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白沙村荘の茶室が火災に・・・

京都新聞によると

31日午前1時ごろ、京都市左京区浄土寺石橋町の白沙村荘・橋本関雪記念館から出火、庭園の池の南側にある木造平屋の茶室(約120平方メートル)を全焼し、約20分後に消した。けが人はなかった。京都市消防局や川端署が原因を調べている。

 茶室は、関雪が1932年ごろ妻のために造った「倚翠亭」や「憩寂庵」の2つで、出火当時茶室はいずれも無人だったという。

 現場は、銀閣寺の西約350メートル。

 【白沙村荘】 大正から昭和前期にかけて活躍した日本画家・橋本関雪(1883-1945年)の旧宅。関雪が文展で初めて特選を受けた1916(大正5)年に建造された。如意ケ岳(大文字山)を借景にした池泉回遊式庭園、大画室「存古楼」、国の重要文化財の木造地蔵菩薩立像を安置する「持仏堂」などがある。関雪の素描画や、関雪が収集した美術品を展示している。庭園は83年に京都市の名勝に指定され、観光客も多く訪れている。白沙村荘内では1998年12月に、関雪の子孫が住む母屋の一部を焼く火事があった。

わずか20分「なぜ」
白沙村荘茶室全焼


 橋本関雪が亡くなるまで造り続けた旧宅から炎が上がり、庭園は猛煙に包まれた。京都市左京区の銀閣寺門前の閑静な住宅地には、けたたましいサイレンの音が響きわたった。31日未明に出火した白沙村荘の茶室は、わずか20分で骨組みや屋根を残して全焼した。1998年にも母屋が火災に見舞われており、関係者や近所の住民は「なぜ」と無念の表情を浮かべた。

 東隣に住み、119番通報した藤井功さん(63)は「自宅2階の窓から白沙村荘を見ると、炎が一気に北から南へ広がった。火の粉が飛んで来ないか恐ろしかった」と興奮した様子だった。近所の主婦(50)は「サイレンに気付くと木立の向こうに炎が上がって見えた。古い物をよく手入れして保存していたようなので残念だ」と肩を落としていた。

 府警によると、30日午後11時ごろに記念館関係者が見回りした時は異常がなかったという。

 市消防局は消防車など18台を出動させて消火に当たるとともに、国宝建物のある銀閣寺への飛び火も警戒した。

 銀閣寺の警備担当者(52)は「消防車のサイレンが何度も聞こえたので驚いた。寺にも火の粉や煙が飛んで来ていないか確認した」と話した。


前日は茶会に使用されたというから、その関係なのか。
先日は旧吉田亭が出火した。

火事の原因は調査中とのことだが、2つの茶室が同時に火災にあうとは・・・・
延焼したものだろうか、あるいは放火の疑いも捨てきれない。

古い建物は維持管理が大変だが火事には特に気をつけないと、日本の財産を失ってしまう。

以前から気になっていたことなのだが、財団法人橋本関雪記念館といっても、個人経営にすぎないから、随所にその歪は出るものだ。

同族経営運営のまずさは、こういうところにも表れてしまう。

ここらで一度、今までの経営運営方法を改め、新しい血を入れて改革しなければ、また同じようなことが起きるであろう。

国宝や重文を維持管理するための基本マニュアルさえもできていない可能性もある。

以前は母屋の台所からの出火があったが、その経験が全く生かされていない。

過去には茶室での火の使用は控えており、客も中には入れないようにしていたが、経済に尾論理には勝てなかったのだろう。
それは仕方がないことだが、それだけに万全の注意を払ってしかるべきである。

いずれにしろ今回の火事は、白沙村荘を愛する小生としては、まことに残念なことであるが、人災であると言われても仕方がないだろう。


これで白沙村荘の茶室は、老朽化が進んだ「問魚亭」を残すのみとなってしまった。

今度火事が起きたらそれこそ終わってしまうことになりかねないから、リスクヘッジ策の早急な対応と順守が必要とされる。

まさに日常の気持ちのたるみが引き起こした災害である。

館長、副館長両人の反省を促すとともに、新しい経営体制への見直しを至急検討されたい。

by noanoa1970 | 2009-03-31 13:08 | トピックス | Comments(0)

女子フィギアースケートの音楽

今朝のTVで知った女子フィギアースケートの結果。

浅田真央は残念ながら入賞できず4位に終わったが、安藤美姫は3位入賞だった。

小生はフィギアースケートにはほとんど興味がない人間であるが、その時に使用される音楽には興味がある。

たいていがクラシック音楽であることや、あまりポピュラーではない楽曲を使っていると、その曲を選択した背景などを勘繰りたくなる。

朝のワイド番組で流された安藤美姫のスケーティングには、サン=サーンスの交響曲3番、俗に「オルガン交響曲」と呼ばれているものが使用されていた。

サン=サーンスの作品の中ではおそらく「動物の謝肉祭」と並び有名な曲で、2楽章(実質的な4楽章)には、オルガンが使用されていて、音楽的にも、オーディオ的にも面白い作品である。

ただ音楽的には、随所に「神の怒りの日」のモチーフが潜んでいるから、壮大で美しいと言ってばかりはいられない。

小生はこの曲をジョルジュプレートルが指揮をするパリ音楽院管弦楽団、そしてオルガンを有名なレクイエムの作者「モーリス・デュリフレ」で40年前に初めて聞いたのだが、その時にその音楽の中に「神の怒りの日」が潜んでいる気配を感じたことがあった。

安藤美姫のスケーティングの伴奏音楽には2楽章の初めの、弦楽器が細かくトレモロを刻んで上下する所と、最終部分にオルガンが登場するところが使用されていた。

おそらく安藤美姫および彼女のスタッフは、サン=サーンスの楽曲の隠された意味合いなど関係なしに、壮大あるいは荘厳なものに向かっていく意思のようなものを感じ、この楽曲を採用したのだろう。

しかしそれはそれで一向に差し支えないし、ほとんどのこの曲の愛好者は、そんなことは関係のない聴き方をするのだから、あまり向きになることはないのだが、偶然に違いないことは明らかであるが、安藤美姫のこれまでの結果を払拭するようなスケーティングの伴奏音楽としては、いろいろな意味でよく似合っている。

by noanoa1970 | 2009-03-30 09:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

入院

1978年以来使用してきたプリアンプ:YAMAHA-C2a.,
30年も毎日のように使用してきたから、流石にくたびれたのだろう。

バランサーを回すと雑音が出るようになり、それが音質を阻害するようになっていることに気がついた。

新しくプリアンプを調達しようと試みるも、フォノ入力端子およびイコライザーを備える製品自体が物すごく少なく、これもLPを聞かなくなった人が増えたせいなのであろうことを実感した。

LPしか聞けないフォノイコライザー付き専用プリを持っているから、それとコネクトしようと、程度の良いラインアンプを探すと、ハイクラス専門オーディオメーカーが出している最新機種が、なんと50~100万の価格設定だったから、到底手が出るわけもない。

オークションを当たってみるも、繊細なプリアンプだから、状態がよくわからないものは敬遠したほうが良いと判断し、長年連れ添ったC2aを修理に出して継続して使うことに決めた。

今小生のオーディオシステムは、ハイクラスのものはごく少ないのだが、とても良い・・・小生好みの音で鳴ってくれているから、機器を入れ替えることによって、この音質環境を変化させたくないのが第2の理由だ。

小生はこのプリアンプのフォノイコライザーが特にお気に入りで、カートリッジのインピーダンス調整のためのアダプターが2種類付いているのもすごく良いところだ。
アンプ内に組み込まれていてスイッチで可変するものがあるが、このアンプは音の劣化を考えてプラグイン方式(2つのフォノ入力端子の横に、ピンジャック形式の抵抗入力端子がある)となっている。

当初メーカー修理は、と思って連絡するも、古い機種でも修理を引き受けるアキュフェーズやラックスのようなわけにはいかず、予想はしていたが、部品がないからと無下に断られてしまった。

そこでネットで検索し、信頼のおけそうなオーディオ修理専門業者に依頼することにした。

輸送には少々高いが、クロネコヤマトのPC宅急便がよいとのアドバイスで昨日引き取りに来てもらったが、この箱は上下からサンドするようにできていて、PCやその他精密機器専門の箱のようだから、安心して輸送できそうだ。

修理業者は大阪で個人でやっている人らしく、電話で話すと修理経験が豊富でC2aもすでに数台修理したそうだ。

経年劣化による接触不良が主な原因だろうということで、大がかりな修理は必要ないようだが、この際徹底的にテストしていただき、補修していただくことにした。
他に大きな問題がなければ、2週間の入院で帰ってくるそうだ。

それまではサブシステムを使うことになるが、この際サブシステムの音をもう少し調整してみようと考えている。

帰還したアンプを再度つないでの最初の音を何にしようか、今から楽しみである。

by noanoa1970 | 2009-03-27 17:39 | オーディオ | Comments(6)

PUPA

高橋ユキヒロ(幸宏)といえば、「ガロ」、「サディスティックミカバンド」、そして「YMO」のメンバーとして小生は認知していて、多方面で活躍するマルチアーティストである。

その高橋が、去年原田知世、高野寛、高田漣、権藤知彦、堀江博久と共に新バンドpupaを結成し、
アルバム「floating pupa」リリースしたという。

小生はそのことを知っていたわけではないが、偶然あるところで情報を得ることとなって、新バンドの名前とリリースアルバムタイトルに思わず目を見張ってしまった。

「PUPA」と「floating pupa」とは・・・・

世に釣りが趣味な人は多いけれど、その中でも最もマイナーな存在の釣りが「フライフィッシング」であろう。

映画「リバー・ランズ・スルー・イット」をご覧になった人であれば、おわかりだろうが、C&R(キャッチ&リリースが原則で余分には捕獲しない)、水生陸生昆虫昆虫を模したフライという毛ばりを使い、きれいなループを描くようにキャストすることなど、釣る技術以外に幅広い見識が必要とされる釣りである。

そのため単なる釣り好きの範疇を超えて、自然愛好家たちにそのファンが多く、古い歴史を持つとともに、そのファンは狂信的ですらある。

かくゆう小生自身も、フライフィッシングの魔術にどっぷり漬かっていた時期があった。

休みの日には夜中に家を出て、車を何時間も走らせて目指すポイントに向かうが、魚の姿をまったく見ない日もあったし、禁漁の季節には夜な夜なフライ(毛ばり)を、解禁日に向けてせっせと巻いたり、各種水生陸生昆虫の姿や生態をも調べたりするのが日課となっていた。

高橋の新バンドの名前「PUPA」そしてアルバムタイトルが「floating pupa」なのには本当に驚いた



「PUPA」とは蛹のことで、完全変態の昆虫は幼虫から蛹を経て成虫になるが、蛹をPUPA:ピューパ、幼虫を「ラーバ」というわけです。

「ピューパ」は、フライフィッシングの世界では必ず出てくる言葉で、水底に生息するから安全なのか、魚が捕食しやすいので、よく反応することから、小生もよくカディスとユスリカのピューパをつかていたのだった。

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カディスピューパフライ


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ミッジ(ユスリカ)フローティンピューパフライ

アルバムタイトルの「floating pupa」:フローティングピューパは、蛹が羽化するために水中の石を離れ、水面や水面直下を漂うように浮いてる状態で、自ら動くことがないから魚に狙われやすい危険な状態だから魚は勇んで捕食しようとする。

フライフィッシャーはこのため、多くの色や形状を模したピューパやフローティングピューパの毛ばりを熱心に作るのである。

高橋の趣味が釣りだとは聞いていたが、まさかフライフィッシングとは思わなかったが、この新バンドのネーミングやアルバムのタイトルから、相当のフライマンであろうということが想像できる。

自らのバンドを、成虫になる前の蛹の状態(PUPA)であるとも引っかけたような、そして川の流れに自信を任せて漂いながら羽化を待つ、フローテイングピューパのように、己の行く末や未来をただ自然の流れに、身を任せるといったことが込められているように見受けられるタイトルを付けたことへの、高橋のこだわりが垣間見れて、かつてのフライマンの1人として、なんだか嬉しい気分である。

フォークグループ「かぐや姫」の「伊勢正三」も生粋のフライフィッシングマニアであることを付け加えておく。

by noanoa1970 | 2009-03-26 10:19 | DRAC | Comments(0)

水虫の唄・・・追加

先日エントリーした「水虫の歌」でyoutubeで検索したが見つからなかったというのは、検索キーワードが違っていたためと分かった。

また「水虫の歌」ではなく正しくは「水虫の唄」であったことも判明。

フォーククルーセイダースではダメで、スートルビー(彼らの別名)で検索してみると、チャントあった。

「田園」の引用はイントロ部分で、歌詞には使われてなかったことも判明したので、訂正させていただいた。



メンデルズーンの「春の歌」はこちら

by noanoa1970 | 2009-03-22 17:42 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

メンデルスゾーンの音楽の影

生誕200年に当たるメンデルスゾーン。

しかしメンデルスゾーンの音楽は、小生今まであまり熱心に聞いてこなかった。

クラシックを聴き初めのころには、学校の音楽の時間に、メンデルスゾーンといえばバイオリン協奏曲だと教えられたこともあって、すぐのちに交響曲3番スコットランドそして4番のイタリアなどのタイトル付きの曲を聴いただけに終わっていたのだ。

ロマン派の作曲家で、他のドイツ音楽の有名作曲家と比較すると、どうもあまり評価がよろしくないのを感じるところがある。

しかし小生は、ある時スメタナとヤナーチェク四重奏団の共演による弦楽八重奏を聞いてメンデルスゾーンに対する考え方を新たにした。

そんなこともあって、生誕200年の節目に当たる今年、入手したのがメンデルスゾーンの全集盤だ。

この全集には以前から聞きたかった彼のカンタータにオラトリオが2曲も収録されていて、普段ならたぶん入手しないようなオルガン曲集、弦楽四・五重奏集なども収録されている。

特に注目したのは、やはりオラトリオの「聖パウロ」そして「エリヤ」さらにカンタータ「最初のヴァルプルギスの夜」であった。

ユダヤ教徒であったメンデルゾーンは、わけ合ってキリスト教に改宗することになるのだが、そういう出自のメンデルスゾーンが作ったキリスト教に密接に関係する作品とは一体いかなるものであるかという関心があったからである。

「エリヤ」は旧約聖書に登場する預言者で、「キリスト」の再来的に扱われることもあるし、新約聖書と旧約聖書の橋渡し的存在でもあるとみてよいのかもしれない。

モーゼとエリヤだけが両方の聖書に登場することからもそれは言えるのではないだろうか。

のちにメンデルスゾーンは、未完のオラトリオ「キリスト」を作曲することになるが、「エリヤ」の前に最初のオラトリオ「聖パウロ」を作曲する。

小生はこのことはメンデルスゾーンのユダヤ人としてのアイデンティティ、そしてユダヤの神に反するようにして、やむを得ず改宗した自分に対しての義憤表れではないかと強く想像する。

異邦人の使徒パウロを題材とした最初のオラトリオ「聖パウロ」では、ユダヤ人の宗教観を表出しながら同時に、キリスト教信仰を恣意的に示した。

そして「エリヤ」でユダヤ民族の指導者旧約聖書の預言者エリヤを主題することによって、ユダヤ民族でありキリスト教徒という複雑な立場を守ろうとしたのではないか。

守る相手とはだれか
それはユダヤ教徒からでありキリスト教徒から・・・すなわち両民族宗教からの陰日なたない抑圧と差別からであろう。

メンデルスゾーンの家系がいかに裕福であっただろうが、キリスト教共同体からは、特殊な目で見られ、ユダヤ教徒からは、自分のアイデンティティを売り渡した裏切り者のような目で見られたか、あるいは自身でそのように感じるところは多分にあったのだろうと推測される。

宗教的民族的差別は、我々日本人が思う以上に激しく醜いものがあると思わなくてはならない。

そんな中でメンデルスゾーンは、一見すると優雅で美しいさして人生の苦労などは感じない音楽を書いてきたと思われることが多いのは事実であるが、たとえばあのホ短調のバイオリン協奏曲でさえどこかしら悲哀のようなものを感じさせることがある。

「走る悲しみ」と、ある人がモーツァルトの音楽を評したことがあるが、メンデルスゾーンの音楽には甘い香りの花があるが、同時にその根や果実は毒が隠されているのだ。

カンタータ「最初のワルプルギスの夜」はその典型的だと小生は思っている。

ゲーテの散文詩を題材にしたワルプルギスの夜とは、知られているように、ドイツの伝承では、ヴァルプルギスの夜はメーデー前夜の4月30日の夜で、魔女たちがブロッケン山で集い、彼らの神々とお祭り騒ぎをするというもので、今やお祭りの一つにもなっているほどである。

しかしゲーテやハイネが言う通り、「魔女」とは、非キリスト教徒民族集団が、キリスト教共同体から締め出され、おそらく山岳地方など人気の少ない所に移住していったのであろうその異宗教・異民族はキリスト教共同体からの追跡・・・改宗や迫害差別などから逃れるために、ある集団は武装し、ある集団は姿形を変化させたりしながら歴史的抑圧から耐えようとしてきた。

ゲーテはそのような意味のことを、異民族集団は異世界の体を装って、迫ってくるキリスト教民族集団を撃退した、これをキリスト教共同体は「悪魔」「魔女」といって歴史文化から抹殺しようとした。
…そのような意味のことを言っていて、これはハイネもヘルダーにも共通していることである。

作品ではブロッケン山にい集まる「魔女」「悪魔」はドルイド教徒だとされるが、ドルイド教は、歴史上古くからある自然神を信奉する宗教で、ケルト人もドルイド教を信奉していて、神木を「樫」とする集団もいたとされる。

カンタータ≪最初のワルプルギスの夜≫ 作品60は以下の構成である
1 序曲
2 第1部:「五月はほほえむ」 (一人のドルイド教徒、女たちの合唱)
3 第2部:「あなた方はいとも大胆に振舞えますか?」 (一人の老いたる女、女たちの合唱)
4 第3部:「今日、いけにえを捧げるのを畏れる者は」 (ドルイドの一人の僧、ドルイド教徒の合唱)
5 第4部:「男たちよ、ここに散らばれ!」 (一人の僧、ドルイドの見張りたちの合唱)
6 第5部:「この愚かなキリスト教の僧たちを」 (ドルイドの見張りの一人、一人の僧、見張りたちの合唱)
7 第7部:「万物の神を夜にひそやかに崇めるにふさわしく」 (一人の僧、合唱)
8 8部:「助けてくれ、助けて」

ドルイド教信者たちがキリスト教徒の侵略を阻止するために悪魔に変装し、驚いたキリスト教徒たちを退散させるという話。

つまりメンデルスゾーンはゲーテの力を借りながら、巧妙にかつしたたかに音楽的にキリスト教批判をしたのではないか、その理由はユダヤ教徒の自分が、やむを得ずキリスト教徒に改宗したことに対するアイデンティティの復活的な意味があったのではないだろうかと、小生は推理する。

最近ではようやく、ほうぼうで聞くことができるようになったのは喜ばしいこの曲。
音楽的にも優れていると小生は思うのだが、それ以上にメンデルスゾーンの隠された心境を表出した音楽としても、小生は高く評価したい。

合唱の部分では、後世「カール・オルフ」が作曲した有名な「カルミナブラーナ」の土俗的なリズムの前身のようなところが所見され一瞬だが、メンデルスゾーンとは思えない展開を見せる。

はたして、メンデルスゾーンがどのような思いと意図を持ってこの作品を作ったのかは確信はもてないが、「聖パウロそして「エリア」、未完の「キリスト」の流れから推測すれば、「最初のワルプルギスの夜」でメンデルスゾーンは大胆になり、ユダヤ人としての自己アイデンティティの保持に熱心になり、その象徴としてドルイド教徒への憧れ郷愁共感賛美につながり、作品にしたのではないかと思っている。

メンデルスゾーンに対する考え方が、かなり変わりそうな予感。

by noanoa1970 | 2009-03-22 15:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

水虫の歌

フォーククルセダースが1968年にヒットさせた曲だ。

この曲については、改めて記述する予定でいる、メンデルスゾーンのカンタータ『最初のワルプルギスの夜』Op.60を聞いた。

これは隠れた名曲であるように思うが、この曲についてはいずれまたにしておこう。

そのCDの余白に収録されていた「12の歌曲集」を聞いていた時、本来はピアノ曲集「無言歌」にある「春の歌」が、オーケストラ伴奏で歌われているのを聞いて、タイトル曲「水虫の歌」を思い出した。

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紀元貳阡年というアルバムに収録されていて、小生が大学2年生の時に流行って「帰ってきたヨッパライ」とともに、ラジオからよく流れていた曲である。

当時から小生は、この曲のイントロがベートーヴェンの「田園交響曲」1楽章のイントロから、そして第2メロディがメンデルスゾーンの「春の歌」から引用んされているのではと思っていた。

それで気になって、さきほどウイキで調べると、やはりそのような記述がされていて、やはり・・・とあの時の思いが間違いではなかったことを確認できた。

さらにウイキには作者が記述されていて

水虫の唄
作詞・作曲:山田真一(山田進一)、補作詞:足柄金太、補作曲:河田藤作
以上のように書かれてあった。

春の歌の引用は、水虫は冬の間は黙っているが、暖かくなると姿を現すことからなのだろうか、
下の歌詞のように。

どんなにどんなに離れていても
ぼくは君をわすれはしない

夏になると思い出す
君と歩いたあのなぎさ
せつなくうずく水虫は
君とぼくとの愛のしるし

どんなにどんなに離れていても
ぼくは君をわすれはしない
君のうつした水虫は
今でもぼくをなやませる
せつなくうずく水虫は
君とぼくとの愛のしるし

どんなにどんなに離れていても
ぼくは君をわすれはしない

下線オレンジ部分が「田園」の引用、黄色が「春の歌」の引用だ。

そして偶然なのだろうと思うが、ひょっとするとひょっとするかもしれないことを発見した。
、補作曲:河田藤作が河田盗作と読めるのは彼ら特有のギャグなのだろうか。

彼らなら、こんなことを平気でやりかねない。

youtubeにはUPされてないのが残念だ。

by noanoa1970 | 2009-03-21 17:48 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

心太と箸

「心太」と書いて、「ところてん」と読むことは、小さい時から知っていた。
それは暖かくなると、近所の駄菓子屋にそう書かかれた張り紙がかけられ、それを「ところてん」と読むことを教わったからである。

暖かくなってくると心太(トコロテン)が食べたくなってくる。
京都では主に黒蜜で食べるところが多かったようだが、やはり少々甘酸っぱい三杯酢で食べるのが、これからの季節にはよい。

小さい時小生が住んでいた地方では、寒い時は関東煮(おでん)を売っている駄菓子屋は、暖かくなるとかき氷とともに心太を売っていた。

もっともプールのそばにある駄菓子屋だけは、夏でも関東煮を売っていたから、プール上がりの冷たい体には都合が良かったこともある。

今考えると非常に不思議なことで、京都では決してそのような光景を見ることは無かったものがあった。

それは心太を食べる時、箸が1本しか付いてこないことである。

どの店で食べても、客全員が箸1本で心太ををすくうようにして食べていて、しかもそれが上手に口に運べるのだが、小生はなぜ心太をを食べるときだけ箸1本なのかと不思議に思っていた。

たまたま昨夜TVで、心太製造販売店の主人がその理由をこのように述べていたのを聞いた。
箸1本で食べる理由を、「当店の心太は新鮮で本物だから、箸1本で食べても、途中で切れることがなくおいしく食べられるから、その証拠として箸1本で食べてもらうのだ」と。

この話はわからないでもない、実際今スーパーなどでパック詰めで売られているものは、腰がなく切れやすいのは事実。

しかしこの主人の話はどうも胡散臭い。
どうも自分のところの心太のアピールのためにとってつけたのではないかと思われるのだ。

それというのは、この箸1本で心太を食べることは、小生が子供の時…1950年代からある話だからであるのが第1の理由。

第2の理由は、このころの心太は、長方形に切られたものを、専用の突き出し器で突き出して、糸こんにゃくのように押し出して、ガラスの器に入れるものがすべてであったから、本物であり新鮮であったはずだから。

では箸1本の理由は何であろうか。

小生はこの風習は、ある地方独特のものと考えた。
調べ上げたのではないが、他ではお目にかかったことがないから、たぶんということになるが、ある地方とは名古屋を中心とする東海地方のこと。

ケチな駄菓子屋が、たかが子供の小遣いで食べられるような安価な食べ物に、割箸を使うことは不経済だからであるし、箸1本でも十分食べられるということがわかったからであり、それは名古屋人の合理的精神の表れではないかと推測するものである。

そしてまた箸2本を使って食べれば、すぐになくなってしまうが、い本なら救い上げる量が少ないので長持ちするといった効果もあるから、おそらくこの2つの効果・・・経済性と味の持続性を両方満足させるやり方として定着したものであろう。

事実のど越しが非常に良い心太を2本の箸でたべると、物の数口でなくなってしまい、さらに食べたい気持が増してくる。

やはり心太は、1本箸で食べるのが理と情に適っているのである。

心太の食べ方、皆さんの地方ではいかがでしょう?

by noanoa1970 | 2009-03-21 12:58 | 「食」についてのエッセイ | Comments(4)

シャボンという言葉は、なぜ使われなくなったか

小津安二郎監督の映画の中では、「シャボン」という言葉が時々使われる。
「石鹸」とはおそらく一度も言ってないと思われる。

小生の祖父も父親も、小生が小学生時代までのころは、「石鹸」といわず、「シャボン」と言ってい記憶がある。

大正生まれ以前の人までは「シャボン」は、石鹸よりポピュラーな言い方であったのかもしれない。

小津の映画では「オーイシャボンがないぞ・・」と、洗面台で叫ぶのが印象的だったから、今では全く使われなくなった「シャボン」という素晴らしい響きの言葉を思い出し、記憶が50年以上前に遡ったのだ。

もちろん小生は「シャボン」という言葉は、「シャボン玉」あるいは「シャボン玉ホリデイ」ぐらいしか使ったことはない。

周囲の先輩や同年代の人が「シャボン」という言葉を使うのを聞いたこともない。

どうしてこんな素晴らしい響きの言葉「シャボン」が、今ではあまり使われなくなってしまったのだろうか。

ほとんどどのような人でも「石鹸」:セッケンという硬い発音をする。

その理由をアレコレ推理してみると、ひとつのことに行きあたった。

それは昭和20年代後半から30年代前半ぐらいだったろうか、ラジオのコマーシャルソングに、「牛乳石鹸良い石鹸」・・・

さらに「ワワワ、ワが三つ・・三ツ輪三ツ輪三ツ輪石鹸」と歌うものが、毎朝必ず流れていた。

毎朝流れるラジオコマソンの影響で、それまで生きていた「シャボン」という言葉発音表現文化が、「石鹸」という表現に洗脳されていったからではないだろうか。

「シャボン」という発音表現は、小生などはすぐに「泡の立つ様子」を思い浮かべるぐらいだから、石鹸よりもかなり表現力も発音も良いと思うのだが、全くと言っていいほど使われなくなってしまった事を残念に思う気持ちがある。

「シャボン」が外来語であるから、戦時中に使用が制限でもされたのが影響するのだろうか。

しかし「シャボン」の語源はポルトガル語からだといわれるから、それも怪しいが、戦時中は日用品を外国語で表現すること自体が、奇異な目で見られたのかもしれないし、またそのような言葉を使うものは、非日本人的であると思われることになるから、自然に使うのを控えたのかもしれない。

しかし理由はどうあれ、小生は「シャボン」という発音がとても気に入っているから、これから使ってみようと思うが、周囲からは変な目で見られる恐れがある。

どうしたものか。

by noanoa1970 | 2009-03-17 16:54 | 歴史 | Comments(0)

カラヤンの「浄夜」ライブ

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カラヤン最後のロンドン公演というキャッチフレーズでTESTAMENTから発売されたCDを聴いた。
ブラームス1番交響曲とカップリングされたものである。

小生この曲はマールボロ音楽祭時に弦楽6重奏で演奏されたもの、そして評価の高いブーレーズの室内楽版と弦楽合奏版を好んで聴いているので、カラヤンの演奏が何を語るのか、とても興味を持って聴いた。

シェ-エンベルクのこの曲は、リヒャルト・デーメルの詩に基づき作曲されたものだ。

以下の新田先生の優れた訳詩のように、5つのパートにわかれる・・・つまり5つの標題音楽ともとれるように小生は思っている。

法政大学 新田研究室ブログに訳が掲載してあったのでお借りすることにした。

浄夜 (リヒャルト・デーメル/新田訳)

二人が冬枯れの森を歩いている
月は共に動き,二人は互いを見つめ合う
月は,高い樫の木の上にあり
月夜をさえぎる雲一つない
夜空に木々の黒い棘が突き出ている
女の声がする

お腹の子は,あなたの子ではないの
あなたにも迷惑をかけようとしている
私は,取り返しのつかない過ちを犯してしまった
幸せというものがあるとは思えなかった
それでも生きがいを見つけ,母親の喜びや務めを
味わってみたかった。身の程知らずにも
知らない男に自分の性を抱いてもらった
今思うとゾッとする。
私は身ごもり,人生の報いを受けた
そうして,あなたに,あなたに出会った

女の足取りは重い
見上げると,月は一緒についてくる
暗い眼差しは、月明かりに呑まれる
男の声がする

できた子どもを
心の重荷にするな
ほら、夜空がこんなに輝いている
何もかも包みこむ輝きだ
君は僕と冷たい海にいる
でも、君の温もりを僕は感じ
僕の温もりを君も感じている
この温もりがお腹の子を祝福する
どうか僕の子として産んでほしい
君は僕の心を照らしてくれた
僕自身を子どもにしてくれた

男は両手を腰に回して抱きしめる
女の吐く息が寒空に交錯する
二人は澄みきった月明かりの夜を歩む

(訳は、2007/08/30に改訂)

カラヤンの解釈は、「浄夜」を5つのパートからなる表題音楽として捉えているかのように、そして後期ロマン主義の香りを色濃く出すような演奏スタイルで、表現の幅、揺れ具合がとても広く激しい。

表現主義的な音楽づくりとはこのようなことだろうか。

2つ目の区切りでの女の告白の場面では、女の心の中の、わだかまり、苦悩、救いを求めるような心境などなどが弦のボウイングによって、波がざわめきながら引いていき、またすぐに押し寄せるように情感込めてかなり強調して奏される。

この物語の最後はハッピーエンドと解釈するのが通常であるが、カラヤンの演奏は、リヤルトシュトラウスの『エレクトラ』のように終始重たい。

まるで二人のこの先の行方が、あまり良くない方向に行くのを象徴するようである。

森閑とした冬の森の中、月だけがこうこうと輝いている。
月の光は「狂気」の象徴ともされるから、二人の将来は決して明るくはないのかもしれない。

本来ならば、男が女の過ちをゆるし、未来に向かって二人で支えあって生きていこうとするのを象徴する「足取りの軽やかさ」が、微塵も聞こえてこない。

重く重く感じる演奏である。

カラヤンが亡くなる1年前の演奏だから、ひょっとして彼は自分の死の予感を何らか得てていたのだろうか。

表現力の凄まじさを感じるところは大いにあるが、カラヤンはデ-メルの詩に存在するものに、「時代の不安」をかぎ取ったのか、あるいはそんな事とは関係なしに、独立した楽曲として、いかに表現豊かに聴かせるかだけを念頭に置いたのか、この演奏からはどちらでも解釈できそうだ。

終始心がかき乱れるようなカラヤンの演奏表現は、今まで聞いた「浄夜」には無かったもの。

ブーレーズ盤などはこれに比べれば、非常に冷めた演奏であるといえる。

「浄夜」の新しい解釈として、この演奏はカラヤン晩年の評価すべき演奏であるように思う。
仮にこの演奏を、新表現主義的演奏だとしておこう。

by noanoa1970 | 2009-03-15 12:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)