爆演指揮者と言われた男

古くは「ヘルマン・シェルヒェン」、「コンスタンティン・シルヴェストリ」、「レオポルド・ストコフスキー」。

比較的新しいところでは、「エンリケ・パディス」、「ゴロヴァノフ」の演奏が「爆演」と言われてきた。

「爆演」とは何かを論議することは必要であろうが、ここはとにかく「一風変わった演奏」あるいはアゴーギグ、強弱、テンポの動かし方が楽譜に書かれた領域をはるかに超えた演奏であると、仮にしておくが、大なり小なりの味付けはすべての指揮者が施すところであるから、人によっては、上にあげた指揮者以外に多くの人を挙げることもあるだろう。

そして本日書こうとしている「カルロス・パイタ」(クリックでカルロスパイタ公式サイトへ)は、シェルヒェンと並んで、一番多く聴くことになった指揮者である。

昨日から数曲を聴いてきたが、中で本日は「ブラームスの交響曲1番」を取り上げることにする。

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スイスのLodiaレーベルLO-CD 779
ナショナルフィルハーモニックオーケストラ
録音: 1981
於キングスウェイホール

パイタの演奏ほぼ全般に言えることなのだが、きわめて特徴的なのは、
「ティンパニーの強打音」
「低弦パートの唸るボウイング」
「華々しい吹奏楽の行進曲のような音づくり」
「総じて早いテンポ設定」
「弱音のニュアンス・表情付けの欠如」
「意外な箇所でのアゴーギグ」
「意外な箇所でのデュナーミク」
「<>松葉の多様、ただし弱音にはならない」

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以上のことが常に絡まっているので、聴いた感じとしてはいつも「スカッとしている」が、これはアルゼンチン生まれという血によるものなのだろうか。

ブラームスはというと、ちっともブラームスを聴いているという感じになれない。
ベートーヴェン7番交響曲のときも同様、この演奏からはベートーヴェンの曲を感じることは相当苦しい。

金管楽器の咆哮、ティンパニーの強烈な連打音、ゴトゴリゴツゴツとする低弦パート、ドイツなど正当的オケのほとんどの指揮者のブラームスからは相当遠い距離にあるように思われる演奏だ。

しかし過去のオーソドックスなブラームスを聴いた耳には、帰って新鮮に聞こえたのだろうか、またオーケストラの音響にダイナミズムを要求する人や、吹奏楽が大好きな人などは、こういう演奏も好きになるのかもしれない。

雨あられと常時降り注ぐ音響の中に身を置くことができるのは、こういう演奏のメリットであるが、食べ過ぎた後に胃腸薬を飲むように、こういう演奏の後では、箸やすめのようなものが欲しくなる。

いや、こういう演奏は、前もって胃腸薬を飲んでおかないと、消化不良を起こすことになり真似ない。

逆にいえば、普段食べなれている食品とは違う変わり種、ゲテモノ・・・人間にはこのような欲求が多分に隠されていると小生は思っているのだが、そんな食べ物を求めるのも悪食わない。

しかしやはり、それを日常とするには、限界があるというもの。

「パイタ」の演奏がそれである。
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by noanoa1970 | 2009-02-28 13:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

20%OFFだと思ったら・・・

近所にある大型店舗の中のCDショップに入ったら、CD現品割引セールをやっていたので、掘り出し物は無いかと物色していると、あるコーナーのCDに、写真のような黄色に黒文字で20%OFFというシールが貼ってあるのを見つけた。

かなり拡大してあるので白文字も読み取れると思うが、実際は舌のようにCDの帯の部分に張られている大きさなので3.5センチ角ほど。
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実際の大きさはこの80%くらい
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少し色気を出して物色を続けると、SONY発売のブルーノワルターのCDを2枚発見。
モーツァルトとベートーヴェンの、昔から良く聞いてきた録音だが、小生はいずれもLPで鹿所有していない。

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迷ったが5番と6番が両方収録されている、比較的新しい発売のもので、しかもDSDとあったから、いまどき@1680は安くはないが、20%OFFであれば、廉価盤とほど同じ、ワルターは、廉価盤では発売されない指揮者であったから、買う価値は十分にあるとレジに向かった。

すると店員が、「1枚ですと割引は10&になりますがよろしいですか」というではないか。

てっきり20%OFFという心づもりだったから、少し面喰ってCDを見直したが、小生の目には黄色のバックに黒文字のシールには、20%OFFとおしか見えない。

細かい文字が見にくい小生だから、どこかにそのように表記されているのだろうし、今更CDを引っ込めるわけにもいかず、10%割引でそのままCDを購入して、家に帰ってよくよくそのシールをルーペを使って見ると、黄色のバックの中にどやら文字らしきものがあるのがわかった。

それは白い文字でごく小さく表記されてあったから、少し白内障気味の小生には、その時は全くわからなかったほどのものであった。

どうりで店員がいきなり「1枚ですと10%割引になりますがよろしいですか」などと言ったのは、おそらくこの表記を見落とした割と多くの客が、購入条件なしの20%OFFだと思ったということの証拠であろう。

小生はこれはある種の「不当表示」「確信犯的表記」ではあるまいかと思ってしまった。

CDコーナーには何もそのような説明もなされなく、しかもシールには判別しづらい黄色のバックに小さく白文字で(1枚の場合は10%となります)という書かれ方。

普通ならば、10%OFFと書かれてあって「2枚以上お買い上げのの場合は20%になります」と表記すべきであろう。

シールを良く見ない小生が悪いと言われれば、確かにそうであろうが、このシールは、小生には購買意欲を引っかけるための巧妙なやらせ方であると映るのである。

とはいうものの、20%割引だと思ってレジに持って行ったCDを、(実は)10%OFFですと言われて、それなら結構ですと言えない小生もだらしがないが、選択したということや、CDで聴きたい昔の録音であったから、その誘惑には勝てなかったのである。

しかしどう考えてもこの表示方法は、悪質であると言わざるを得ないと思うのだが・・・
公正取引委員会・・・いやJAROに告発してやろうかと一瞬思ったが、ワルターの名演に免じて許してやることにした。


やはり何と言ってもワルターは素晴らしい!
「田園」を聴いて、嫌な出来事もすっかり忘れることができた。

DSDで音質も少し改善したようだ。

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by noanoa1970 | 2009-02-27 16:54 | トピックス | Comments(2)

映画「晩春」の巧妙かつマニアックな仕掛けを発見!

昨日のブログ「知られざる作曲家」で「ヨアヒム・ラフ」という作曲家のことを書いた時にと思ったのだが、あまりにも長くなるし、別の日のブログネタにと、取って置いたことを今日は書いてみることにする。

もともとこの「ラフ」に言及したのは、小津安二郎監督作品の中でも、特に有名な「晩春」のあるシーンのバック・・・劇伴音楽として使われたことから来ている。

そしてその前のシーンでは、鎌倉から東京の大学に通う教授と娘の家に、研究の手伝いに来た若い助手が、経済学者の「リスト」のスペルを確認するために、調べた結果フリードリッヒ・リスト(Friedrich List)が正しく、Lisztは作曲家のフランツ・リスト(Franz Liszt)であることを教授に報告するシーンがある。

ここはいつもの小津らしく、まるでボケと突っ込みの会話のようで面白いのだが、おそらく若い助手は少しばかり音楽好きであったことは、後の音楽界のシーンでもわかることである。

たぶん「リスト」のスペルを確認してくれ、と言われた時、彼は音楽家の「Liszt」のスペルを告げたが、教授から「そんな綴りじゃなかったはずだから、もう一度調べろ」などと言われたその時の会話であったことは容易に推測可能だ。

なんのことはない学者とその弟子の会話で、すんなり聞き流しても良いのだが、音楽家「リスト」が出てきたことで、小生は非常な興味を覚えたのだった。

発音が同じだが、分野とスペルが違う「二人のリスト」を持ち出した背景には、きっと何かが仕掛けられているのでは?と推理したのだった。

小津映画には見える見えないにかかわらず、さまざまな仕掛けが施されていることが多い。
小生は、このような仕掛けを発見するのも、小津映画を観るときの楽しみの一つだから、したがって同じ映画を何度となく観ることになる。

はたして巧妙に仕組まれた仕掛けとは一体何であったのだろうか。

教授とその助手・・いわば恩師と弟子の会話から音楽家「リスト」が浮かび出たことは上記のことで明らかである。
小生は「リスト」の名前を出したのは、単に経済学者と同じ発音だったからと言う以上の、巧妙かつマニアックな仕掛けを感じるのだ。

そしてその答えは後の音楽会のシーンで明らかになる。

教授の娘と良い関係だった助手の男は、見合いでほかの女性と婚約をしてしまうが、そのあとで何を思ったか娘をコンサートに誘う。

そのコンサートが「巌本真里のバイオリン独奏会」である。
娘はチケットを受け取りながら、演奏会にはいかない。

推測すれば、たぶん娘は、男が婚約といういわば安全パイを手に入れた上で、婚約者ではなく、娘を誘ったことに「汚らしい・・・不潔さ」を感じたこと、そして婚約者に対して失礼にあたるというその両方から演奏会をキャンセルしたのだと考えられる。

これには伏線があって、かつて娘と助手は仲良く二人で湘南の海へサイクリングをするほどであった。

海辺で腰をおろしながらの会話で以下のようなシーンがある。

娘「じゃあ あたしはどっちだとお思いになる?」

助手「そうだな・・・あなたはヤキモチなんか焼く人じゃないな」

娘「ところが あたしヤキモチヤキよ」

助手「そうかな」

娘「だって あたしがお沢庵切ると いつもつながっているんですもの」

男「そりゃしかし 庖丁と俎板(まないた)の相対的な関係で 沢庵とヤキモチの間には 何ら有機的な関連はないんじゃないですか?」

娘「それじゃあ お好き? つながった沢庵」

このシーンの娘の会話は、助手に対する愛情表現であることは、論をまたない。
にもかかわらず助手は、有機的関連は無い・・などと言いながら「お好き?」という問いには答えなかった。

娘にほのかな恋心を持っていたと思われる男の態度は、まるで与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」のようである。

そんな助手を、娘はそれでもいくばくかの期待を持って接していたし、父親の教授も、娘の相手としてふさわしいと思っていた、そんな人物が、見合いで婚約するのは仕方ないとしても、そのことを知っている娘を、当時デートの花形である音楽界に誘うという行為に対し、「不潔さ」を感じたのは、後の教授の疑似結婚話のシーンでの、娘の態度でも推察できる。

助手は隣が空席のままの演奏会で一人身を置くのだが、おそらくは音楽は何一つ耳に残らないことだったろう。

その時に流れるのが「ラフのカヴァチーナ」であったことは、先のブログに書いた通り。

そして面白いのは前段の、ボケと突っ込みから導き出された音楽家「リスト」は、カヴァチーニの作者「ヨアヒム・ラフ」の恩師に当たる人、
逆にいえば「ラフ」の先生が「リスト」だったのである。

小生はここに、巧みかつマニアックな仕掛けが挿入されていると思うのだ。

前段で恩師と弟子が会話をし、リストを導入キーワードとし、音楽界で流れる音楽にリストの弟子のラフの作品を持ってくる。

こんな仕掛けができるのは一体だれかが気になるが、それは後にして、小生は当日の演奏会品目がとても気になるのだ。

これは大胆な推測でしかないが、「巌本真里(女性)のバイオリン独奏会」の演目は「愛」というコンセプトでプログラムされていて、したがって「リストの愛の夢」「フォーレのペレアスとメリザンドからシシリエンヌ」「エルガーの愛のあいさつ」「クライスラーの愛の喜び、愛の悲しみ」そしてラフのカヴァチーナ」などなどが入っていたのではないかと・・・

いずれも小品だが美しくそして悲しくもあり、さまざまな愛の形の曲であるし、何よりもバイオリン独奏曲としても、十分に通用する曲ばかりである。

ここに娘と助手の「愛の終焉」を感じ取ることができるのである。

このような仕掛けができる人物は
小津自身か、それとも脚本の野田高梧か、原作の広津和郎であろうか。
いやそうではあるまい

リストとラフについて当時情報を知りえる人物とは、やはりプロの音楽家だろう。
しかも台本を読める立場にある音楽家でなければならないから、劇伴音楽作曲家だ。

そうなるとその人物はただ一人「伊藤宣二」ということになる。

伊藤宣二は1935年「東京の宿」から1960年「大虐殺」まで小津をはじめ数々の映画の劇伴音楽を担当した作曲家であり、小津作品では7作品も担当する、いわば小津組の一員といっても過言ではない存在の人。

彼が脚本を読んだ時、恩師と弟子→リストからリストを恩師とする弟子のラフの作品を使うことを思いつき、小津に提言をして採用されたのではないかと推理しているのである。

おそらく小津は手放しでそのリンクを喜び、採用したものと大いに推測されるのである。
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by noanoa1970 | 2009-02-25 14:53 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

葬式無用 戒名不用

太郎、次郎は古来わが国では男子の名前に良くつけられたもの。

南極越冬隊の北海道犬の名前にも使われたから、この名前は、我慢強さ、勇気、強い意思などを背景に持つ名前なのかもしれない。

また兄弟の名前として兄を太郎、弟を次郎とする風習もあったようだ。

太郎といえば総理大臣の「麻生太郎」が今一番先に思い浮かぶが、次郎という名前で小生がすぐに思いつくのは、「白州次郎」という人物である。

吉田茂の孫として麻生太郎が一般に知られるのは、総理大臣になる前だが、「白州次郎」という人物は、奇しくも「吉田茂」の懐刀と言われた人であり、その言動や活動は「・・・太郎」とは正反対のように思えるところが多分にある人だ。

「・・・太郎」は祖父「吉田茂」から「次郎」のことなどおそらく聞いたことはなかったのだろう。

小生が「白州次郎」なる人物を知ったのは、その妻「白州正子」を知ってからで、学生時代にアルバイトをしていた、京都の白沙村荘という日本画家橋本間雪の広大な居住地に、庭園を訪れた客用にと開いた「お菜ところ」というところでのこと、今から40年以上前のことであった。

そのころ「白州正子」は近江探訪のエッセイを書くために、滋賀県を中心として近畿地方の各所を訪ねての取材の最中で、そのついでに「白沙村荘」を訪ね、関節の息子「雪哉」が亡くなった後、その妻である「田鶴子」おばさんが切り盛りすることになった、当時の白沙村荘の「お菜ところ」を訪問した時に、ちょうど小生がバイトで入っていたのだった。

のちに白州正子の著述を読み、「骨董」に一層深い興味を抱いたり、写真集に出てくるポルシェに乗ったダンディな男が目に入ったことで、彼女の夫「白州次郎」を知ることとなった。

先日の日曜日、途中からみたNHKTVの番組案内であろうか、外国風の田舎道を古いスポーツカ^タイプの車に乗り、皮か布どちらかでできているヘッドギアとゴーグルをつけた男がスピードを出して突っ走る映像が流れた。

古い・・明治期か大正期の場面のようなのでしばらく見ていると、スポーツカーを走らせていたのが、「白州次郎」で、なんと28日(土曜)21時からの番組で以後3回にわたって、「白州次郎物語」として放映されるという。

なんと素晴らしいことだろうか、今まであまり話題にならなく、「白州正子の夫」として、あるいは東京都心から移住するために、古民家を鶴川に移築し、今は記念館としての存在である、「無相荘」;ブアイソウという白州正子ファンのいわば聖地のように扱われるところにある残された数々の生活用具などで知られるところの白州正子の夫次郎が正子の呪縛を解き「白州次郎」として幅広く知られる切っ掛けとなる、そんな気がするのである。

時代が違うと言ってしまえば元も子もないが、それにしても「太郎」と「次郎」は、素性は良く似たものがありながら、実行したことは天地の差があるといわれても仕方がないと思えるほどの開きがある。

ウイキペディアに詳しく書かれているし、NHKの放映でより分かりやすくなることであろう。
今週土曜日21時の放送を熱く期待するものである。

マッカーサー支配下の日本にあって、「従順ならざる唯一の(プリンシプルを持った)日本人」と呼ばれた男、それが「白州次郎」であった。

書き忘れるところであったが、ブログの表題は、白州次郎が生前残した言葉である。

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by noanoa1970 | 2009-02-24 15:30 | 歴史 | Comments(2)

IE7からIE8へ

IE6→IE7は小生にとって便利な点はほとんどなく、便利だという「タブ」機能は同時閲覧できないから、やはり複数のIEを立ち上げて使っていた。

これは小生のPCだけのことかもしれないのだが、そうすると、それぞれの立ち上がったIEでの動作がものすごく緩慢となり、IE6のほうがパフォーマンスが良く、まるでアナログ電話回線時のパフォーマンスになってしまうことが多く、そのたびにイライラしていた。

久しぶりにMSのサイトを見ると、去年の夏に出たIE8ベータ版に代わって、IE8製品候補版というのが登場したらしいので、評判をネットで探っていて、苦い思いをたくさんさせられたMS社のことだから、今しばらくよそうかと思っていたが、IE7 と比較して起動速度やダウンロードの速度が5倍も向上したという魅力に勝てず、本日DLして今使っているところ。

確かにスピード感はあるし、複数のIEを立ち上げても、処理能力はダウンしない。
IE7では複数タブを開けた時、すべてを閉じるしか選択できなかったのが、IE8ではそのタブだけを閉じることができるのも良い点だ。

あと過去のIE…特にIE7の欠陥だと思われる、WEB上での直接インプット変換ミス多発問題が、解消されているか否かだが、これはまだお試し中なので結論は出せないでいる。

もう少しいろいろな・・・MIXI、ブログなどで確かめて、改善されていたら報告を書くつもりだ。

少ししか使ってないが、とりわけトラブルは、今のところは無さそうだ。

製品候補版となって日本語表記なので、ベータ版にくらべ使いやすさは増しているし、IE7と見た目はあまり変わらないから、すんなり使えるのも良い。

かつてWEB閲覧のパフォーマンスが悪いのはPCの性能と回線スピードの性とばかり思っていて、PCを交換し、回線も「光」にしたのだが、あまり変化はなかったが、「ブラウザ」の性能のせいだとは気がつかなかった。

これで一番利用頻度の多いWEB閲覧のパフォーマンスが向上するだろう。

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by noanoa1970 | 2009-02-24 13:55 | トピックス | Comments(0)

知られざる作曲家

以前小生は、「小津安二郎」の映画「晩春」の1シーンを「二人のリスト」というタイトルで書いたことがある。

それは、大学教授とその弟子が、鎌倉の教授の家で、研究論文の草稿をしているシーンでのこと。
学者のフリードリッヒ・リスト(Friedrich List)と作曲家のフランツ・リスト(Franz Liszt)を少し混同した弟子が、教授から「Zが入るのが作曲家だ」とたしなめられるシーンのことを、印象的だったので、ブログに書いたものだ。

同じブログ記事に、弟子が教授の娘を誘って演奏会に行く約束をしたのだが、娘が約束を果すことが出来なかった「巌本真里バイオリン独奏会」のシーンd0063263_11255356.jpgでの演奏品目と同時にバックで流される、聴きとりにくいが美しいヴァイオリンのメロディを、小生は「フォーレ」の曲ではないかと思っていたのだが、ある方から、この曲は「ラフのカヴァティーナ」だと教えられ、そのころ入会していたNAXOSの音楽配信サイトを検索し、確認してみたところ、編曲の違いはあれど、まさしくその音楽は「ラフ」:のものであった。

それで少し興味を持って「ラフ」について当ってみたのだが、2006年当時には「ラフ」に関する情報らしきものがほとんどなく、CDもNAXOSにコンピレーションアルバムがあるのみで、収録曲も「カバティーナ」のみという状態であった。

それ以来「ラフ」という作曲家のことは脳裏から離れていたのであったが、先日ウイキペディアを検索すると、さすがにきちんとしたプロフィールや今まで知られていなかったラフの作品の数kらずが記されているではないか。

小生は「ラフ」を、小品の作曲家だとばかり思っていたが、それはとんでもない間違いで、なんと交響曲を11曲も書いているし、バイオリン、チェロ、ピアノの協奏曲を5曲も書いている、知られざる大作曲家であるということがわかったのであった。

ラフの作品が聴けるのは、今後の楽しみの1つでもある。

CDは41品目と少ないが、かつて調べたときには考えられないほどの充実ぶりだった。

何があったのかは知る由もないが、今まであまり見向きされなかったものに光があたろうとしていることは、どうやら間違いないようで、3月に発売となる予定のフランツ・コンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団を率いて1961年来日し、ベートーヴェン交響曲全曲を演奏した時の一つ、日d0063263_1213352.jpg比谷公会堂での幻の「第9」が約50年ぶりに初音盤化されるのも、一時の売らんが為のものにとどまらない(需要はそれほど多くないと推測可能だから)、時代の流れや、知られざるものの新たな発掘というだけにとどまらないものがあるように思えてくるが、それがなんであるのかはよくわからない。

ともあれ「選択肢」が増えることは悪くはない。
かつてのように、音盤化されるものが、すでにいくつかのフィルターによって、チョイス・・逆にいえば振り落とされる中にあって、クラシックのブランド化の真っただ中からなかなか抜けきることができなかった長い時代があったし、今でも多分にその傾向はあるが、「芸術評論家」がいまや存続できないのと同次元で、忌まわしきフィルターが、だんだん取り払われれていくのは非常に望ましいことである。

しかしこうなると、享受する側の質が問われるのも事実。
自分の「価値観」というものが強く求められるのであろう。

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by noanoa1970 | 2009-02-24 11:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「頑張れっ日本一」という掛け声

TVカメラの前で、大声でエールを送ったのは誰かと思えば、なんと前大臣の妻であった。

前大臣とは、言わずと知れたNのこと。

ローマで開催されたG7の財務大臣・中央銀行総裁会議で醜態をさらしたことで(NHKのアナウンサーが醜態をギタイと発音したのには驚いたことはさておき)紆余曲折の後、大臣を辞任した人である。

そのNを一番よく知っているであろう妻が、辞任前の朝、夫Nを送り出すときに、多くの報道陣の前で大声で叫んだ言葉が「頑張れっ日本一」。

妻が夫をかばう気持ちは良くわかるのだが、それにしても「頑張れっ」というだけならまだしも、「日本一」とは一体何を表現したかったのだろうか。

小生はこの言葉を発したのは、マスコミ関係者のだれかの、そしてギャグであると思ったぐらいで、まさか当事者の妻によって発せられたとは夢にも思わなかった。

「日本一」という掛け声は歌舞伎などで良く聞かれるもの、いわば歌舞伎役者と観客のある種のコミュニケーションツールのように思うのだが、N前大臣の妻は自分の夫を、夫という存在ではなく、まるで舞台歌舞伎役者のように、また歌舞伎の掛け声が多分にそうであるように、まるで大向こうを張ったかのように、大声で何度も叫んだのであった。

N夫人は歌舞伎が好きで、掛け声を発するのが趣味だったのか、自分の夫を歌舞伎役者や映画俳優のように、夫としてではなく、自分が好きな物の対象として普段から扱ってきたのだろうか。

夫に対する変え声としての「日本一」は、どう考えても心からの叫びとは、小生には思えない。
妻であるN夫人は、これまでの数々の夫の公私にわたる失態を見てきているはずだから、すでにどうしようもなく、もはやあきらめていて、他人が聴いたらまるでギャグのように捉えかねない言葉を、わかっていてわざと発したのだろうか。

発した言葉についてのリスク管理の無さは、大臣たる本人も、その妻も、そして大臣任命の総理大臣にも同様のものがある。

「頑張れっ、日本一」が、大臣夫人の、心からの叫びであった事を願うばかりである。

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by noanoa1970 | 2009-02-21 14:11 | トピックス | Comments(2)

眠りの精もしくは砂の妖精に関する覚書から

讃美歌 第2編59番 「すべてのもの統らすかみよ」は、ブラームスの交響曲1番終楽章の有名な旋律からとられている。

この旋律をベートーヴェンの第9交響曲終楽章の「歓喜の歌」との類似性から、ブラームスがベートーヴェンをリスペクトして用いたとする向きもある。

またブラームスの作品49「5つの歌曲」の第4番目の歌曲「子守唄」は讃美歌となったというし、ブラームスのコラールは「今装いせと」、「血しおしたたる」と同一である。

小生がなぜブラームスの曲と讃美歌聖歌の関連性を述べたかというと、それはブラームスの「眠りの精」という子守唄風の小曲を、エリーナイのピアノ演奏で聴いていて、この曲は讃美歌のようだと感じたことと、この曲が先に述べた交響曲1番終楽章の有名なメロディーととてもよく似ていたこと。
そしてそこからベートーヴェンの9番の交響曲終楽章「歓喜の歌」との関連性に行きつき、そしてさらに、ドーヴァー海峡をわたったイングランドの作曲家ホルストの「惑星」のジュピターの中間部の美しい旋律に及んだのだった。

頭の中をいろいろ駆け巡らせた結果、妄想的仮説なるものを考え付いた。

「眠りの精」はもともとアントン・ツッカルマーリョ編集の「ドイツ民謡原曲集」に収録されたものを、ブラームスが編曲したものだ。

その曲にフリートリッヒ・シュペーという人が「ベツレヘムに生まれたもう」という詩を付け、それがドイツのクリスマスキャロルとなって、今もあるという。詩がつけられたのは1637年のことだそうだ。

シュペーという人物は詩人とされていることが多いが、魔女裁判を実施した裁判官でありながら、のちに魔女裁判に対し反旗を翻した人であったという説もある。

もしこのシュペーが同一人であるとするなら(活躍時代は、ほぼ等しい)、1631年に、「裁判官への警告、または魔女裁判について」を出版し、反響を呼んだとされる、ドイツのイエズス会士フリードリヒ・シュペーが「ベツレヘムに生まれたもう」のシュペーであるということになる。

一方この元旋律は、詩に先立つこと約75年ほど前の1559年に、パリで記録されていたものを、アントン・ツッカルマーリョが「ドイツ民謡原曲集」として編集したものという記述が正しいと仮定すれば、この元旋律はもともとドイツの民謡ではなかったということになる。

小生は以前のブログで、チャイコフスキーの交響曲「小ロシア」に登場する「カエルの合唱」と類似したメロディの原曲を探ろうとして、それがウクライナ地方のものであったという仮説を導くことにしたのだが、通説では「カエルの合唱」はドイツ民謡とされている。

ここに、おそらくドイツの昔の知識人たちは、自国の歴史文化隆盛のために、周辺の文化をあたかもドイツ民族の固有のものとするように、恣意的に歴史文化財産を築くことで、ドイツ民族の意気高揚に貢献しようとしたように思えるものを感じることができる。

「眠りの精」とは「砂の精」であり、もともとは子守唄風の、子供が寝付くのを見守るような、優しい妖精ではなく、子供の目玉に砂をかけ、その目を奪い取って食べてしまうという恐ろしい妖怪悪魔であった。

それはおおもとの発祥の、つまり非キリスト教文化圏下では、その民族の信奉する神々の一つ「砂の妖精」であったものが、キリスト教文化のもとで、妖怪扱いされ、おそらくは「早く眠らないと、砂の妖怪が来てお前の目玉をくり抜いてしまうぞ」などというように、子供をしつけるためのツールとして用いられてきたのではないだろうか。

そのルーツは、砂を大切にした多神教民族の、神々あるいは妖精から来たものかもしれない。

民族の守り神であったものを、キリスト教の文化圏では、悪魔的存在にしてしまった。

そしてそれを、いつの世にか、おとぎ話や童話の世界に変身させるために、「眠りの精」という子守唄風の怖くない妖精へと変えていったのだろう。

小生の妄想的仮説は、ブラームスもベートーヴェンも、またホルストという全く関係性のない人が、結果として似通った旋律を用いたのには、やはり宗教上の・・・讃美歌とか聖歌というような背景を早期せざるを得ないのである。

ベートーヴェン→ブラームスあるいはシューベルトという系譜以上に、「眠りの精」「歓喜の歌」の大本の旋律は、非ドイツ民謡を聖歌や讃美歌に取り上げたこと、それを聴いた作曲家たちが自分の世俗的な曲の中に取り入れたとするほうが合理的である。

類似性があるおのおのの讃美歌聖歌の成立時期とベートーヴェン、ブラームスの作曲時期を検証しなくてはならないが、讃美歌聖歌の作られた時期は、あまり確定できるものがないだけに、仮説の実証には至ってなく、彼らが新しい旋律を求め、さらに大本の原曲をリサーチいたとする考え方も可能だが、ここはやはり「キリスト教教会」との関連性のほうが説得力がありそうだ。

特にブラームスには、讃美歌風の旋律が多用されているように思うことがある。
そしてホルストもブラームスおよび讃美歌の影響によって、またそれにブリテン諸島の民謡のメロディラインを加えることによって、あの「ジュピター」の名旋律をしたためたのではないだろうか。
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by noanoa1970 | 2009-02-20 16:20 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

フォルテピアノによるFür Elise

かって総統のピアニストとして、ヒットラーお抱えの女流ピアニスト「エリー・ナイ」という人がいた。

日本ではあまり知られてなかったようだが、おそらくそれは、彼女がナチス党員であったことが、大きな原因の一つであろう。

しかしながら最近、彼女の音楽性を再評価する動きとともに、少ないながらも彼女の復刻CDが発売されることとなったのは、特にベートーヴェン弾きとして、名前以上の実力を持つ彼女の音楽に触れることが可能となった事は大変喜ばしいことである。

小生もCD12枚からなる、コロッセウム発売のCD選集を聴くにおよび、彼女のベートーヴェン、シューベルト、ブラームス,そしてショパンの演奏を「音魂」の存在するピアニストであることを再確認した。

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80代という高齢時の録音にもかかわらず、出てくる音はまるで男性の、バックハウスやギレリスをも凌駕するような、しっかりして情熱にあふれたもので、比較するのも適当ではないが、わかりやすく、フジコヘミングウエイ、アルゲリッチ、内田光子などをも超えた存在のように思えた。

一言でいえば小生好みのピアノを弾くピアニストなのである。

ナチスに加担したり自らが党員であったとされる芸術家、音楽家は少なくはない。
しかし政治信条や思想と音楽性はいったん切り離して考えてあげるべきこと。

たとえ彼女がナチス党員の反ユダヤ主義者だったとしても、彼女のベートーヴェンの音楽とは関係がない・・・とみるべきであろう。

つまり音楽には音楽上の評価を与えてあげてしかるべきだということだ。

そんなことは分かっていると言いながら、小生も多分に、ほかの価値観でその音楽を評価してしまうところがないとはいえない。

しかしエリー・ナイにおいては、そんなものはどこかに消し飛んでしまい、純粋に彼女の音楽に埋没してしまうほど、彼女のピアノはものすごい力を持っている。

例えば、ベートーヴェンの後期のソナタを聴けば、それが事実だということをわかっていただけるはずである。

選集の中にフォルテピアノを使って録音されたものがあって、32番のソナタも収録されていて、これも大変素晴らしいのだが、本日は有名で誰もがご存じの「エリーゼのために」を聴いてみることにした。

この曲を録音で聴いたのは相当昔のこと、我が家に初めてステレオ装置が来たときに、ヴィクターが家庭向けに発売した25センチLP、「ワルター・ハウツィッヒ」というピアニストが弾いたものだった。

もちろんピアノは現代のピアノで、その当時はピアノの歴史などは全く知らなかったから、それが当たり前で、YAMAHAのアップライトも同じような音を出していたから、ピアノとはそういうものであると思っていた。

それからかなり時を経て、フォルテピアノという存在を知り、実際に自分でその音を確認できたのは、シューベルトのピアノソナタ全集を入手した時だったが、その時はその音色と抑揚のない強弱感を好きになれなかったのだった。

そして「エリーゼのために」という格好のピアノ小曲を、エリー・ナイという格好のベートーヴェン弾きが、それもフォルテピアノを使った録音に巡り合うことができ、ベートーヴェンが弾いた時とほぼ同じニュアンスで聴けることに興味を持って聴いた。

ベートーヴェンが使用していたピアノのうち、現存しているのは1803年エラール製、1817年ブロードウッド製、1825年グラーフ製の3台と言われている。
そして、このうちのグラーフ製のピアノを用いて、エリー・ナイはベートーヴェンを演奏したとされるから、なんと約185年前に作られたフォルテピアノ、しかもベートーヴェンが使っていたのと同じメーカーのピアノで演奏されたというのだから、それを聴く小生もベートーヴェンの時代にさかのぼれるような思いで聴けた。

音、音色は高域が出ないハープの親玉のようで、高域が伸びない代わりに低域は割と伸びて良く響くもの。

時にハープシコードのような音を響かせ、現代の・・・モダンピアノとはまったくことなる音だ。
そしてやはり強弱の幅が狭いので、ダイナミックな音量の変化は出ない。

しかし曲が曲だけに、(このCDには、フォルテピアノによる32番のソナタも収録されるが)「エリーゼのために」は、フォルテピアノが似合っているように思う。

次に収録されたパイジェッロの歌劇「水車屋の娘」からの二重唱
「わが心はうつろになりて」の主題による6つの変奏曲 WoO.70になると、フォルテピアノを変更しての録音だろうか、ベートーヴェンの時とは音色が異なるようだ。

もう少し音同士の切れが良く、モダンピアノにより近いように思う。
そしてハープのような感じもあまりしなく、高域低域もさらに伸びていて音のダイナミズムがよくわかる。

ブリリアント発売のシューベルトソナタ全集でのフォルテピアノには少しがっかりしたが、エリー・ナイ選集のそれは、そんなに悪くない。

仕様楽器によってかなり差が出るのかもしれない。

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by noanoa1970 | 2009-02-18 17:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

カッチェン/コンヴィチュニーのモーツァルトP協奏曲20番2楽章

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とても残念なことなのだけれど、ジュリアス・カッチェンとフランツ・コンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したモーツァルトのピアノ協奏曲20番は、2楽章しか残されていない。

データに乏しいが、1960年11月24日ライプチッヒ・コンサートホールでのライブとなっており、同じ日付にてブラームスのピアノ協奏曲2番が同じ演奏家で録音されていて、こちらもライブ録音であるから推測すれば、ブラームスのあとのアンコール曲なのかもしれない。

もしくは20番がブラームスとともに、あらかじめプログラムにあって録音されたが、1楽章および3楽章は録音状態が悪かったのか、または保存状態が良くなくテープに瑕疵があったので、やむなく2楽章のみCD化されたのか。

いすれにしても、コンヴィチュニーが残したモーツァルトの中でも、交響曲以上に多い伴奏オケを振ったピアノ協奏曲の録音の数々・・・ムスリン、ウエーバージンケ、ギレリス、ツェヒリン、そしてカッチェンとピアニストはそれぞれ異なるが、数種類はエテルナに録音を残しており、かってLP化もされたから、ここはぜひCD復刻していただきたいと願うものである。

ベートーヴェンなら5番に、バックハウスとの共演もある。

ソ連に押収されたテープの中には、ギレリスとの21番の超名演といっても良いものがあり近年CD化された。
カッチェンとの20番は、存在さえほとんど知られていないと思うが、名演としてもいい素晴らしいものである。

全曲が残っていたなら、大きな話題となったことは間違いないと思うのだが、残念ながら2楽章だけ残された。

カッチェンのピアノはどこまでも優雅で澄み切っているし、コンヴィチュニーは・・おそらくこの演奏を聴けば、あのコンヴィチュニーが、ここまで優しいそして優雅な音楽を作る人でもあったかを思い知ることとなってさぞ驚くことであろう。

見事に統率されたゲヴァントハウス管弦楽団の紡ぎ出すオケの音色が美しいのに、改めてこの時代のゲヴァントハウス管の実力を感じることとなった。

1楽章のおどろおどろしい、地の底から聞こえてくるような音楽を、どのように表現したか、推測するしかないのだが、もし全楽章あったら、20番の名演の一つに十分加わってよい演奏であることの想像は容易につく。

これがたぶんアンコールだったであろうことは、2楽章終了後の観客の盛大な拍手が物語るが、もしそうであれば、いきなり2楽章だけを演奏してこれだけの音楽が作れるのだから、全楽章通しであったなら、それはきっと、とてつもない音楽となっていたに違いない。
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by noanoa1970 | 2009-02-17 11:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)