「ほっ」と。キャンペーン

年末のごあいさつ

皆様いつもご訪問くださって、まことにありがとうございます。

ブログを始めてから3年半、おかげさまで、アクセス数も100000を突破しました。

これも皆様方のおかげだと、心より感謝いたすところでございます。

ご心配いただいた愛犬「シバ」も、元気を取り戻し、元気に新年を迎えることができそうです。

皆様もよい師走をお過ごしになられ、さらに良い新年となるよう心からお祈り申し上げます。

今年1年本当にありがとうございました。

NOANOA1970拝

by noanoa1970 | 2008-12-31 18:55 | トピックス | Comments(0)

若き国王の愛したオペラ

年末最後あたりに見よういと思っていた「ニーベルングの指輪」をクリスマス前に見終えてしまい、2008年最後の日に何を?と考えて、「ローエングリン」を見ることにした。

このオペラは、若きバイエルン王ルートビッヒ2世が愛してやまなかったオペラであるとされていて、彼は自分の城に「ノイシュヴァンシュタイン」・・・つまり「新白鳥城」とでも呼ぶべき名前を付けたほどである。

ローエングリンは聖杯を守る騎士長「パルジファル」の子どもであり、白鳥の騎士であることもあって、オペラでは白鳥の曳く小舟に乗ってモンサルヴァートから、ローエングリンがやってくる。

このオペラは宗教戦争としても読めるものがあり、ゲルマンの神が象徴する多神教を信仰する東方土着の民族と、キリスト教によって改宗させられた東方周辺民族の争いのようなものが描かれ、ローエングリンはキリスト教の救世主的存在のようにも描かれていて、「改宗こそが幸せの原点」という言葉がエルザによって告げられる。

オルトランドがゲルマンの神ヴォータン、フライアに復讐の籠を祈るシーンなど、キリスト教と非キリスト教の対立が随所にみられ、興味は尽きない。

以前ブログでこのあたりのことを書いたことがあったが、さらに奥行きのあることなど、今回新たに分かったことをいずれ書き足してみようと思っているところ。

「ルートビッヒ2世」についても、かなりの興味がわくところだから、折にふれこちらにも言及したいところである。
伝統と歴史・・背負うもののあまりにもの大きさに、時に頽廃的にならざるを得なかったであろうことは、なんとなく想像に難くはない。

それにしても彼のような絶対的趣味人は、この世の他に存在するのだろうかと思うほどの徹底ぶりは、呆れるのを通り越して身震いするほどの狂気すら感じることになろう。

金管楽器がさく裂し、男声合唱が活躍する、キリスト教下のドイツ国家の安泰と、父権の強力さをこれでもかとばかり見せつけるオペラでもあるから、若き国王がその虜になったのもうなずけよう。

オペラからの頽廃的要素は微塵もないが、ルートビッヒは一体どこに向かおうとしていたのだろうか。

ゲルマン神話と騎士伝説が現実逃避の源となったのだろうか。
いや、多分彼は正常な人間の精神を宿していて、それを否定することができなかった永遠の少年であったのではなかろうか。

架空の世界に身を浸している時だけが、幸せであったのかもしれない。

そのような推測をさせる十分条件的演奏として、レヴァイン/メトロポリタンの演奏はその一つであるといえそうだ。

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レヴァインのオペラは「指輪」でもそうであったが、オケのダイナミズムを極限にまで出し切ったもの。

歌手陣も非常にバランスが良く秀逸で、一気に見ても飽きることがなかった。
物量にかなりお金をかけた演出も、厭味のないものに仕上がっていて、非常に好感が持てるものと小生は思っている。

・ワーグナー:歌劇『ローエングリン』全曲

 ペーター・ホフマン(T:ローエングリン)
 エヴァ・マルトン(S:エルザ)
 レオニー・リザネク(S:オルトルート)
 レイフ・ロール(Br:テルラムント)
 ジョン・マカーディ(Br:国王ハインリヒ)
 アンソニー・ラッフェル(Br:軍令使)、他

 メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
 ジェイムズ・レヴァイン(指揮)

 演出:アウグスト・エファーディング
 美術:ミン・チョウ・リー
 衣装:ピーター・J・ホール
 映像監督:ブライアン・ラージ

 収録:1986年1月10日 メトロポリタン歌劇場

「ローエングリン」で今年を締めくくったが、来年は「オランダ人」からスタートしようか。

by noanoa1970 | 2008-12-31 18:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリュートナー製ピアノを聴き続けて

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ここ3日ほどブリュートナーのピアノをベートーヴェンのソナタとシューベルトのそれで聞き続け、ようやく音の特徴が分かったような気がした。

先日のブログで、高域が柔らかいという表現をしたのだけれど、そうではなく「高域の音が泣いている」ような感触があるのだ。

小生が聞いている、ディーター・ツェヒリンの弾く録音に限ってい追えば、時々弦楽器のフラジオレット(ハーモニクス)のような響きを出すことがあり、そのせいもあるのだけれど、切ない女性の嘆きの声のように感じるところ多し。

しかし中低音は他のピアノを圧倒するような迫力が再現され、ダイナミクスに富んでいるから、このピアノなかなか素晴らしい。

ドイツの知恵と技術が、共鳴板を形成している自然の木材と高いレベルで調和した結果であろう。

ダイナミックで情熱的ななベートーヴェンにも、鳴きの入ったシューベルトにもかなりの相性である。

シューベルトのD960・B-Dur最後のピアノソナタを聴くと、自然に涙腺が緩むようで困るほどだ。

by noanoa1970 | 2008-12-28 17:23 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

空を飛んだピアノ

ピアノが空を飛ぶという、まるで御伽話のような本当の話がある。

1928年に我が国にも飛来したという、ドイツのツェッペリン号は有名な飛行船であるが、その10年後の1937年にはヒンデンブルグ号がドイツ・フランクフルトを発ち、2日半の大西洋横断後、アメリカのニュージャージー州レイクハースト着陸の際に尾翼付近から突如爆発したことは、時々映像でも見かけることがあるからご存知の方も多いだろう。

じつは、その飛行船には1台のピアノが乗っていたのであった。
それは、世界初の空中からのピアノ演奏放送という大胆な企画目的のためであり、ドイツの知恵と技術は、見事それを成し遂げるにいたったのだった。

飛行船に乗せるために軽量化が必要とされ、アルミフレームで特注されたピアノが「ブリュートナー」であった。
ブリュートナーが選択された理由は明らかではないが、多分軽量化とピアノそのものの音色両方の観点から、数あるドイツのピアノメーカーの中から、が選ばれたのだろう。
またブリュートナー社が宣伝のために、無償提供したのかもしれない。

しかしながら、米国での事故のために、記載されていたものは焼失し、ピアノも焼けてしまって残ってはいない。

ヒンデンブルグ号の事故の話は小生も知っていたが、まさかピアノが乗せられていたとは夢にも思わなかったし、そのピアノの音は以前から聴いてみたかったものだったから、「ブリュートナー」を使った録音を探していたのだった。

ドイツのピアノといえば、すぐにスタインウエイ、そしてベーゼンドルファー、まれにベヒシュタインが聞けるが、ブリュートナーとなると、さすがこの楽器を使っている演奏家は少数であるので、音盤はなかなか入手できないでいたが、それは小生にとってはごくごく身近に存在することがある時分かった。

小生が気に入っている50年代から60年代初頭にかけて東ドイツを中心にで活躍し、ゲヴァントハウス管のシェフを務めたフランツコンヴィチュニーという指揮者がいる。
我が国にも1962年来日し、ベートーベンの交響曲全集を演奏した重鎮である。

彼がバックを務めたベートーベンの3番のピアノ協奏曲のピアニストを「ディーター・ツェヒリン」といい、この人はライプツィッヒ音楽院でピアノの教鞭をとった人でもあり、ライプツィッヒ音楽院では、伝統的にブリュートナーを採用しているようにきく。

そのためだろうか、
ツェヒリンが使用したピアノが「ブリュートナー」であるとの情報を入手して以来、かなり聞き込んではみたが、この1曲では物足りなく思い、他の録音を探してはみたが、あいにくわが国ではマイナーな存在なのか、他の録音はごく少数発売されていたが、廃番が多く入手は困難であった。

ネットオークションでエテルナのLPによる、モーツァルトの12番の協奏曲も入手したが、ブリュートナーの特徴たるピアノの音を確認するには至らなかったのであったが、なんとベルリンクラシックスから、ツェヒリンのベートーヴェンピアノソナタ全集が、しかも廉価で発売されるというではないか。

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入手しないわけはない・・・そう思い、急ぎ注文したソナタ全集を今聴き始めている。

まだすべてを聞いたわけではないが、演奏、録音、ピアノの音いずれをとっても、予想を遥かに超えた出来の良いものであると思う。

小生はどうやら、このブリュートナーのピアノの音が一番のお気に入りとなってしまったらしい。

この全集は1番から32番まで順にCDに収められているから、最初から聞いていけば順に聴けることになるのもよいし、目指す番数の曲の入っているCDを検索することがいとも容易であるのもまた良いことだ。

小生はこのCDで、今まで聞いてきてつまらないと思っていた少数番号のソナタが、こんなに素晴らしいものだということを初めて認識したように思う。

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さて肝心のブリュートナーのピアノの音であるが、「木の香りの音がする」という言葉が適当ではないだろうか。

表現がとても難しいのだが、このピアノは低音から高音までがとてもリニアーで、スムーズだ。

そして基音がとてもしっかりしていて、1つ1つの音の粒立ちがとてもいいように聞こえる。

強打でも決して音が割れるようなことはない。

高音は決してカンカンと金属的に響かず、やわらかく温かみがあるように響く。

この音の特徴は、ブリュートナー社のピアノの特許である「アリコート方式」から来るものなのかどうかは定かではないが、高域部分には余分な弦を1本張って都合4本とし、ハンマーでは3本しか叩かずに余分な1本は、倍音成分を出すためだけに存在するというもの。

そのように贅沢で、なおかつ調整が難しいであろう方法を取るには、おそらく強度の高い金属フレームと良質で音のよい、しかも強度のある木板を採用しなければならないだろうから、きっとそれらが相まってあのような素晴らしい音色を醸し出すのだろうと推測できる。

ブリュートナーを評価する声はかなりあって、代表的なものには以下のようなコメントがある。

「 ブリュートナーは、真にピアノで語ることができ、もっとも美しい声で歌うこと
ができる楽器である 」byフルトヴェングラー

「 ブリュートナーのピアノは、私が今まで出会った中で、一番美しい、歌う音色
をもっている。思うに、私の今までの人生で、これほど心地よく弾いたことはない 」byルービンシュタイン

以上の如くかなりの音楽関係者にも評価されているが、なぜかあまり話題になることがないのは、我が国での使用例が少ないのか、宣伝が下手なのか、あるいは輸入代理店がなかったことが原因なのだろうか。

しかし調べてみると面白いことがわかり、かなり多くの非クラシック音楽ファンでも、実際にはブリュートナーを耳にしているという。
なぜならそれは、ビートルズの最後のアルバム「Let it be」での録音に使用されたというから、ポールマッカートニーの弾く「レットイットビー」のピアノがそうである可能性が高いからだ。

1970年初頭からこのアルバムを聴いていた人はたくさんいるから、ブリュートナーとは知らずに聞いている人は数知れないと思われ、ひょっとするとスタインウエイやベーゼンを聞いた人の数をトータルでは凌駕するかもしれない。

同時に入手したシューベルトのソナタ全集とともに、年末の音楽の大いなる喜びとなるのを期待しているところである。                                

by noanoa1970 | 2008-12-26 11:04 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

パイオニアとゴールドムンドのマルチプレーヤーが

いつも訪問している方のブログで紹介されていたのが、パイオニアのマルチプレーヤー。

かなり魅力的間もで、気になって調べていると思いがけないものに巡り合った。

真偽のほどはわからないが、「パイオニア」から発売されている実勢価格が1.5万以下で購入可能なDV-610AVのユニットが、なんと高級オーディオを標榜する「ゴールドムンド」の価格140万GOLDMUND Eidos 20 に使われているという情報を得ることとなり、かなり衝撃的だった。

もちろんチューニング、箱体その他の違いにより、音質の差は出ると思われるが、それにしてもこの価格の差はいかにも大きすぎると思われた。

情報源は海外のオーディオ関連掲示板とのことで、それを含め詳細なレポートをされているHPがあったので、リンクさせていただいた。http://homepage1.nifty.com/iberia/column_audio_goldmund.htm

この記事をUPしようと思い立ったのは、たった今TVで北海道産の米がブランド米のコシヒカリ、ササニシキに劣らず評価されたという情報を得たからで、それについて消費者テストを行った結果、あらかじめブランド名を公表したときには、コシヒカリ、ササニシキが1位を独占したが、ブラインドテストの結果では、北海道産の無名の米が上位を独占し、コシヒカリよりも美味しいと評価する人もいたというもの。

消費者のブランド志向が、味覚に及ぼす影響が強いという結果が見事に反映されていると思うものだ。

似たような話で、主婦の方10名ほどに京都の一流料亭に集まってもらい、そこで密かに小学6年生の女子が作った吸いものを出したところ、全員が「さすが料亭の吸いものは違う」なおといい、だれも素人作とは見抜けなかったという本当の話。

さて、それらから小生が思ったことは「あるいは「耳」「聴覚」・・・つまりオーデョ装置の音に関することだ。

この世界にブランド志向による錯覚のようなものがあるとすれば、上記パイオニアとゴールドムンドの例でも示されるように、方や1.5万、そして方や140万、およそ10倍以上の価格差が音質に反映されているのだろうかという疑問。

もちろんオーディオの世界は価格差と音質の差は正比例しないことは十分承知の上だが、それにしても、特にデジタルハイエンドオーディオ機器には、このような不可思議なことが十分ありそうだ。

ユニットの価格も時間とともにすぐに極端に安くなってしまうことからも、今回のパイオニアとゴールドムンドの関係をそのまま受け取ることは危険で、小生の経験でいえば、5年以上前に購入したパイオニアのマルチディスクプレーヤー・・・DVD、DVDオーディオ、SACD,などのオールパーパスのものは15万ほどしたし、それ以前のSACD,DVDオーディオ対応のプレーヤーは4~50万ほどしたから、ユニットは同じ時期の仕入れ、納入ではなかったと考えることもできる。

しかしこのような情報がもたらされた後では、140万の超高級デジタルオーディオも影が薄くなってしまうのではないだろうかと心配である。

しかしマルチプレーヤーが、実勢1.5万以下で購入可能とは、いかにデジタル機器といえども、ビックリ仰天のことである。

サブマシンとして購入を至急検討しなくてはならない。
CD→USB外部記憶装置へのMP3変換コピーも可能だというのも凄いことだ。

両者のブラインドテストを実施したとしたら、はたしてどのような結果になるのか、大変興味深いことである。

by noanoa1970 | 2008-12-24 13:43 | オーディオ | Comments(7)

以前から気になっていること

この時期・・・年末が近づくと毎年の如くTVの音楽番組では「懐かしのメロディー」という言葉に代表されるように、昔の持ち歌をかなり時がたってから同一歌手で歌うという番組がある。

今年はそんなものがあるのかどうかわからないが、赤白歌合戦でも数は多くはないがそのような傾向があると思う。

そういう場合、つまり昔の持ち歌をその歌手が今歌うとき、ほとんどが「シンコペーション」を施しているのがほとんどだ。

小生はこの「シンコペーション」、とりわけ我が国の歌い手の、特に演歌などでそれをやられるのが、鼻もちならなくてしょうがないのである。

良いアレンジャーのもとに、程よく変形された音楽であれば文句はないのだが、聴くに堪えられないようなプアーで醜悪なシンコペーションで歌われると、背中に虫唾が走ってしまう。

歌手自らそのほうがよいと判断して、歌手自らアレンジするのか否かはわからないが、小生はそんなアレンジなど不必要だから、当時の歌い方のまま歌ってくれた方がどれほどいいかと、いつも思うのである。

昔の持ち歌をそのままのスタイルで歌うことが、何か罪悪でもあるかのように、ほとんどすべての歌手が同じようなシンコペ手法をとるのは一体どのようなる李有があるのだろうか。

古い歌を今歌うのに、彼らはあたかもシンコペがそれを新しく見せるための手段であるかのようにやっている。

しかし小生には、そのシンコペ手法による音楽が、例え本人や関係者がよしとしても、大概の場合は見事に破綻しているように感じられるのだが、そんなことはお構いなしに猫も杓子もと、今やそれが当たり前となってしまっているようだ。

もちろん海外の音楽でも、昔の持ち歌を今歌うときには、そのようなシンコペ傾向はあるが、我が国のものに比べると、いやな感じがしないのはなぜだろう。
素晴らしいアレンジャーがいるからなのか。

そういう観点からいえば、たかがポップスや演歌といえども、手抜きはよくないことだ。

どうしても昔のままに歌うのがいやならば、しっかりしたアレンジャーに依頼して音楽を再構築しなおすべきであろう。

そんなことばかり・・・聴衆を小馬鹿にしたようなインスタントテクニックで逃れようとしても、古い歌い手はいつまでも落ち目のままの存在となってしまうから、それなら古い持ち歌なんぞ歌わない方がよいのだと思う。

声が出るとか出なくなったとかはあるだろうが、昔の歌い方で今も歌ったほうがよほどよいと思うのだがいかがだろう。

懐かしのメロディーを今要求するのは、当時と変わらないその音楽だと思うのは小生だけだろうか。

昔のままでか、よいアレンジャーに依頼するか、どちらかにしていただきたいものである。

中途半端なままで出演し歌うことが、自分の押し下げになることを自覚すべきであろう。

by noanoa1970 | 2008-12-22 15:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

かうひいや3番地

2005年の冬、息子が結婚式を東京でやるというので、前日は武蔵野市で宿泊することとなった。

かって保谷に住んだこともあって、家内も小生も吉祥寺が好きでよく探索したので、懐かしくなり、商店街を見て回ることにした。

かなり歩いて疲れたので、コーヒーが飲みたいという家内を伴って、商店街の小さな喫茶店に入った。

その店は外観からはそのようには見えないが、中に入ると少しアンティーク調で、そんなに広くはない空間に、古い丸テーブルがあり、どこからともなくJAZZが聞こえるという店だった。

ブレンドコーヒーを注文したのだが、最近にはないコーヒーの本来の味がして、店主のこだわりを感じることとなって、しばらく居心地のよい空間に浸って休むことにした。

小生はJAZZがどこから流れているのかと、気になってキョロキョロ見渡してはみたのだが、どうもそれらしきものがない。

隅の方にやっと自作と思しき真空管式アンプは発見できたのだが、どこを探してもスピーカーが見当たらないのだ。

目の前に古めかしい電蓄のようなものが置いてあるのだが、そこから音が出ているという確証はないし、何しろ音はJAZZ向きではないにしろスッキリしていて、耳に心地よかったから、どうしてもアンティークの箱から聞こえるとは思えなかった。

カウンターの奥に設置してあるのだろうかなどと、いったん気になり始めるとなんだか落ち着かないので、客が空いたときを見計らって店主に聞いてみると、どうやら示す方向はあのアンティークの電蓄のようだ。

その付近に別の何かがあるのかと思ったが、それ以上訊くのはやめて、後は想像を巡らせることにしたのだが、その結論はこうだ。

音から推測するに、このスピーカーは、シングルコーンかコアキシャルのそんなに大きくはないもの、せいぜい直径20㎝までだろうが、中音がものすごくきれいで、刺激的な音は一切しないし、特にヴォーカルが良かったから、たぶんシングルコーン。

そうなると候補は、三菱のダイヤトーンp-610かパイオニアのPE-16あるいはPE-20、これらは両方とも使ったことがあるから、大体の音の特徴は覚えているつもりだった。

アンプが自作だから、おそらくスピーカーユニットを購入し、あのアンティークの電蓄にもともと入っていたスピーカーと交換したのではないだろうか。

昔の電畜なら結構箱もしっかり作られているから、後面開放型平面バッフルとして使えば、かなりの音がすることが想像されるのだ。
もし想像が当たって売れば、このアイディアは相当当たりである。

BGMをはるかに超えた音が鳴っているが、それが非常に心地よい。

30分ほどの滞在であったが、途中から客がたくさん入ってきたので、長い尾は失礼とばかり店を後にしたのだが、あの何とも言えない懐かしさがあるような居心地の良さに、今度武蔵野に行った時には、必ず寄ろうと決めていた最近にない良い雰囲気の店だった。

しかし先日ある方のブログで、去年その店が閉店してしまったという残念な情報を得ることになり、急ぎネットで詳細情報を取って見ると、やはり人気のあった店らしくファンが大勢いて、ブログなどに情報を載せている。

それによると、吉祥寺の店は閉店したが鎌倉の長谷に移ったそうだ。
吉祥寺から鎌倉と、魅力のある町から魅力のある街に移転したことは、昨今飲食店の移り変わりが激しい中、もっけの幸い。

鎌倉へはなかなか行く機会がないが、もし行くことがあれば、必ず寄ってみたい店となった。・・・吉祥寺のあの雰囲気を壊さないでいてくれたら。

こだわりの雰囲気の強い店主だったから、きっとそのまま吉祥寺を引き継いでいるものと思う。

学生時代の友人が鎌倉に居るから、一度偵察に行くように頼んでみようと思う。

いずれ鎌倉で美味しいコーヒーと軽めな音でJAZZを聴くのもまた一興だろう。

by noanoa1970 | 2008-12-21 19:50 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

A River Runs Through It

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LDでオペラを見て来たついでに、映画を見ることにした。
この映画は日本で封切りとなるまで、首を長くして待ち望んでいたもの。
この映画に関する情報は「フライの雑誌」からであった。

当時・・・1980年代後半になって小生はそれまでやっていたゴルフから足を洗うべく、クラブを後輩に譲渡してしまい、自然の中に居るようで実は自然とは程遠いゴルフの世界から、もう少しワイルドな自然の中に入っていこうとした時期だった。

乗用車から四輪駆動車に変え、ゴルフクラブをフィッシングロッドに、キャンプ道具を積み込んで岐阜や長野の自然の中に入っていこうとした時だ。

フライフィッシングに目覚めたのは、理屈はいくつもつけらるが、実は他の釣りと比べて恰好よかったことだった。

フライ(水陸の昆虫に似せた毛針)を遠くに飛ばすには、かなりの訓練が必要だが、覚えてしまうと、きれいなループを作るラインとリーダー、その先のティペットに結んだ
フライが狙ったところに着水し、静かに水面を流れ、運が良ければ、渓流魚が水面下から突然水を割って現れ、フライを咥える。

フィッシャーマンは釣り場につくと水温や、周りを観察し、魚たちがいまどのような昆虫を食べているのかを予測して、そのために夜中ひっそりとタイイングした自作のフライを、予測のもとにフライボックスから取り出して、取り付けるのである。

フライフィッシャーマンはこのため水生、陸生昆虫の幼虫から成虫までの生活の特色と、色と形の知識を必要とされる。

数多くの釣りのスタイルの中では、最も釣りから遠い存在の釣りである。
釣果を求める古典的な釣りや、昨今流行りのスポーツフィッシングとも一線を隔す。

そのようなフライフィッシング情報はその頃決して多いとは言えなかったが、フライマンの中で人気があった「フライフィシングジャーナル」そして「フライの雑誌」からがほとんどだった。

最もそんな専門的な雑誌を読んで、ある程度理解できるようになったのは、シェリダン・アンダーソンと我が国のアウトドア生活の元祖的存在の田渕 義雄 によって書かれた漫画入りの解説本であった。
このようなハウツー本は面白くないものが普通だが、この本は全く違い、想像力をかきたてられるようにして、何回も繰り返して読むにいたった本である。

当時信州のログハウスでクッキングストーブを使いながら生活していた田渕 義雄、今どのような生活を送っているのだろうか。
彼も60をとっくに過ぎていることだろう。

不定期そして期間紙という出版サイクルであったが、それらの雑誌が発売されるのを楽しみに待つ日々は、かって毎月、毎期欠かさずに見ていた「レコード芸術」「ステレオサウンド」誌にかわって、小生にとってなくてはならないものとなっていった。

そんな中「フライの雑誌」の情報で、「もうすぐフライフィッシャーマンが主人公となる映画が来るらしい、フライマンは必見」などという情報を得ることとなり、しかもロバート・レッドフォード云々とあったので、期待が膨らむこととなっていった。

映画での釣りのシーンは少なくはないが、経験ではフライフィッシャーが登場するものは今まで見たこともないし、聞いたこともなかった。

「フライ」という言葉を聞くと、それがアジフライでもカキフライでもすぐに反応してしまうし、出張時に乗った電車から川が見えると、必ず川の様子を細かく観察する癖。
家族で旅行に行っても、川があれば停まって覗きこみ、いい川であればこっそりとロッドを出し、車の中で家族を待たすこともあった。

それまではものすごく嫌だった、体にまとわりついて離れない「うんか」あるいは「ゆすりか」を、渓流魚が最も捕食しやすい陸性昆虫と知り、何か愛しくなってもいった。
事実この「ゆすりか」の幼虫を模したフライでは、数多くの魚がヒットしたのだ。

時々街中で見ることができる「カゲロウ」が目にとまると捕まえて、それがどんな種類のカゲロウであるかを特定するのを楽しみにもしたし、魚が釣れると「ストマックポンプ」を使って、魚のお腹の中を調べて、今魚がどんな昆虫を捕食しているのかを調べるのが常となった。

そうするうちにその河川のある地方では、いつ頃どんな昆虫が飛び交うようになるのかということも大体予想がつくようになり、釣り人というよりミニ昆虫博士のようになっていくのであった。

そんなフライフィッシングマニアになりかけた時に、映画のことを知り、原作者の本が出版されるというので、出張先の神戸の地下街の書店に行くと、なぜか一番目につくところに目指す本が置かれていたので驚いてしまったが、それがノーマン・マクリーンの『マクリーンの川』で、映画が来るまでの間、その本を読むこととなった。

しかしどうも期待とは違い、あまりなじめなかったので、ザット読むだけで終わってしまったのは、その頃はあくまでもフライフイッシングに重点を置いての期待であったから、その割にはつまらないと感じたのだろう、返す返すも残念なことをしたと思っているが本はもう手元にはない。

フライフィッシングをやっていた時は、今の季節は来るべき日の水の流れをを夢に見て、一心にフライを巻いている(作成すること)ころ、渓流への思いが一番強くなるころでもあったから、それでそんなことを思い出しながら、「A River Runs Through It」を見ることにしたのだ。

映画の原題には必ず邦題がつけられているのが常であるが、不思議なことにこの映画にはそれがない。

最適な訳が見つからなかったのか、それとも原題そのままの方が、雰囲気が出ると考えたのか、よくわからないが珍しいことだ。

そもそも原作「マクリーンの川」→映画「A River Runs Through It」となっているのだから、映画の名前を「マクリーンの川」としてもよさそうなのに、そうしなかったのはなぜなのだろう。

「A River Runs Through It」という言葉の意味は、それだけですぐにわかるようだが、実は映画を見ないと本当の意味はわからないし、見たとしても、その解釈は恐らく多岐にわたることだろう。

それを狙ってのことであれば、象徴主義的手法のように思わぬこともあって、面白い試みのようにも取れる。

映画を再び見て思ったことは、以下のようなことであった。

スコティッシュ・アイリッシュ(スコットランド系アイルランド人) と呼ばれ、イングランドとカトリック双方から苦しめられた長老派は1700年頃から北米に渡っていったといわれる。
恐らくノーマン一家も、そのようなスコティッシュ・アイリッシュのカルヴァンプロテスタント長老派の移民を先祖に持つ、牧師なのだろう。

先祖は移民として大変な苦労をしたであろうが、物語のノーマン一家は、第一次大戦あたり裕福になって来た米国の田舎町モンタナではとりわけ、ワスプ(WASP)、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)として、エリート支配層の一員であったことも否定できないことは彼らの暮らしぶりでもうかがい知れる。

そして彼らにとって釣りとは、食べ物を得る手段であると同時に、「父親が子供に伝える精神と技術」としての先祖からの伝統の賜物であり、スコティシュとしての誇りでもあった。

物語の牧師もそうして親からフライフィッシングを習い、そして子供に教えたのだろう。

気位の高いスコットランド貴族の伝統文化の継承を見るような気がする。

彼らはむやみに魚を釣ることはなく、それはエスキモーやネイティブインデアンと同様、必要最低限の匹数、あとはリリースしているのだろう、映画では必ず一人1匹しか魚籠には入っていない。

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彼らにとってフライフィッシングは、彼らが毎日行う神への感謝の祈りにも似て、一つの「儀式」でもある。

この物語は原作者の自伝的小説で、モンタナのミズーリという町に住んでいた時の、家族の話を回想的に語ったもの。

作者の強い思いは、とりわけ若くして死んでしまった弟のことである。

何をやらせても常に自分の上を行く、自由奔放な弟、もちろんフライフィッシングは天才的才能を持つ。

敬虔な牧師の家庭において、そんな彼は異端児的存在でもあるのだが、兄と違い故郷のモンタナから外に出ない決心をしている。

その理由として物語からは、モンタナの自然が好きだということしか伝わらないが、どうもそれだけではないような気がする。

社交的で能動的、冒険心が強く、能力も高い弟だが、新聞記者をやっていたせいなのか、実は非常に社会的に開けていて、恐らく変わりゆく(映画は1910年から20年代のアメリカの田舎モンタナ州)故郷や近隣の州、そして形成されつつある大都市の問題が浮き彫りとなってくる予兆を感じていたのではないだろうか。

1850年から1919年の70年間で、移民の数は合計3000万人以上、年40万5千人にも達したという。

農村地帯では、人間の過剰と農地の減少で農業に従事できない人が増加したが、その反面都会では工業化が進み、専門性を必要としない労働者を必要とし、農村地帯と都市の格差が急激に深まっていた時代でもあった。

このような環境下で、農村から都会へ出ていく若者は多かったことだろう。
物語の主人公の弟は、そんな中、モンタナにとどまるが、昔の仲間は今ではもう少なく、両親の家からも出ての生活だから、あまり我々が感じることのない「農村での孤独」なるものを感じ始めていたのではないだろうか。

しかしモンタナの・・・かってインディアンたちが住んでいた自然の大地、そしてそれを象徴するブラックフットリヴァー。

映画の中でインディアンのガールフレンドを連れて、カフェに入り、カフェの主人からインディアンお断りを言われるが、強引に席を用意させたり、飲み屋でインディアンのガールフレンドが、差別的にからかわれるのに腹を立て、喧嘩をして留置場にぶち込まれるなどという面を見せる。

彼にとってネイティブインディアンは、尊敬すべき存在であるかのように描かれているし、人種差別の激しい田舎においては、リベラルな存在でもあった。

そのような若者を、この田舎は受け入れきれなかったのだろうか、彼の心はだんだん荒んでいく。
そんな中、唯一幼いころから父親と兄と3人そろってよく行ったフライフィッシングだけが、そんな心のよりどころであった。

弟の荒れる気持の理由がわからぬまま、何とかしたいと思う兄であったが、ある日弟からのフライフィッショングの誘いに、父親と一緒に向かう。

釣りをする弟の姿は、神々しさをも感じるほど、美しく優雅で、大物をしとめるが、それを最後に、それから間もなく賭けごとのいさかいで撲殺されてしまう。

弟が荒れ始めた理由もわからず、何もしてやれなかった自分。
小さかった良い時代のノーマン一家が、神の加護があろうはずなのにもかかわらず、バラバラになっていってしまったあの時代を、今は老フライフィッシャーマンとなった兄が、思い出深げに回想する。

川だけは、昔と変わらずに今も流れ続けているが、時代は大きく変わってしまった。

そんな感慨と昔の思い出、身近であるはずの弟を救えなかった自分の思いが入り混じる物語である。

小生はこの映画を見る事になったきっかけは、「フライフィッシング」であったが、映画では今をときめく若き日の「ブラッド・ピット」が出演したから、それを目当てで見た方もいらっしゃるだろう。

原作は冗長度が少し高かったから、原作から映画に行った人はそんなに多くはいないと想像されるから、この映画いったいどのような人たちが見るのだろう。
映画館の観客は少なく、きっとフライマンばかりではないか・・・そう思っていたが、「ブラピ」ファンと思しき若い女性がことのほか多かったのには、予想を裏切られ、少し恥ずかしい思いをしたことがあった。

by noanoa1970 | 2008-12-21 12:09 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(0)

「イーゴリ公」は英雄だったのか

ボロディンのオペラでは、英雄として語られるこの「イーゴリ公」実はその頃台頭してきた遊牧民族「ポロヴェッツ」征伐に遠征し、囚われの身になり、ようやく故郷に帰ってきたという人物。

だから歴戦の強者、あるいは勇士といった人物ではないということが分かる。

オペラ「イーゴリ公」は作者不明の『イーゴリ遠征物語』という散文をもとに書かれたもので、イーゴリの遠征は1185年というから、日本では鎌倉幕府成立の前、源平の合戦があったのと同じ年代に当たる。

イーゴリ遠征物語の成立は12世紀とされるが、原本は紛失され、その後何回も写本が繰り返されてきて、19世紀初めに写本も焼失したことから、現在のものはオリジナルと内容が同じか否かは疑わしいとされる。

ボロディンがなぜそのようなものをオペラにしたかは、多分ロシア国民楽派が象徴するように、パン=スラヴ主義の影響下にあったボロディンが、東スラブ人とされるイーゴリの歴史的書物(そのころこの物語が脚光を浴びていた可能性もある)に行きつき、オペラの材料として面白いから、待ってましたとばかりに飛びついたのだと推測される。

小生は世界史を勉強したが、どうしてだろうか、こと「ロシア」についてはロシア革命あたりをかじっただけで、ロシアの成立過程などはさっぱり知らないまま今日にいたてしまった。

それで少し「ロシア史」なるものを紐解いて見たことがあって、その中での最大の興味は「ロシア」成立前の群雄割拠時代の時代であった。

そしてロシアがキリスト教化されていった過程にも興味があり、中央アジアの遊牧民たちとのかかわりからみると、面白いものが見えてくるのだった。

オペラの中「韃靼人の踊り」という有名な曲があるが、韃靼とはタタールのことであると、つい最近まで思っていたが、実はそうではなく、正しくは「ポロヴェッツ人」Polovtsyであることがわかり、「Pol」トはあのポーランドPolska/Polandの「Pol」と同じで、野原や草原を意味する「ポーレ (pole)」 が語源と言われていることがわかり、中央アジアの遊牧民族たちの予想をはるかに超えたヨーロッパ進出を認識できた。

ロシア中世史以前を少し垣間見ると、さらに興味深いことがあって、それはロシア建国のもとになった「ルーシ」あるいは「キエフルーシ公国」を作った民族、ノルマン人・・・すなわちヴァイキングだという説があり、ヴァイキングのリューリックという人がノブゴロドという町を作り、それが発展し、、現在のロシア北西部、ウクライナ、ベラルーシなどの東スラブ地方をも手中に収めて行って、それが「ルーシ」と呼ばれることになり、やがてモスクワ公国が優位に立つと、モスクワ公国は我こそがリューリックが建国して発展させた「ルーシ」の正当な後継者であるといい、「ルーシ」=「ロシア」と名乗ることになったという。

ヴァイキングの「ルス族」が進出しやがてルーシができ、それがロシアになって行ったという(ロシアノルマン人説)が有力だが、しかしボロディンの時代すなわち「汎スラブ主義」の時代には、それは通用しないことであるから、ロシアはスラブ人が建国したもの(ロシアスラブ説)であるとされたのである。

この2つの説は、政治的背景も絡み、未だにどちらが正しいのか決着を見ないでいるという。

ともあれこうした背景下で「イーゴリ公」が作られたということで、面白いことにオペラでは、まだ成立してないはずの「ロシア」という言葉が随所に登場するから、イーゴリ公の時代に「ロシア」があったと誤解する人もいるかもしれない。

しかしイーゴリ公の時代は、日本でいう戦国時代と同じ、群雄割拠の時代で、それぞれ力のある領主が競って、奴隷を確保し、領土を広げ、周りの領主がくっつき離れ覇権を競い合っていた時代であったのだ。

日本の戦国時代と同じように、東スラブ地方には多数の「公」がいて公国を形成し、また、ポロヴェッツにも多数の「汗」が存在し自分の一族を束ねていた。
お互い他国、他公国、他民族の地域に侵入し、勢力を強めてはいたが、同時に政略結婚など縁戚関係を結ぶことによって、領土保全を図るものもいて、日本と違うのは他民族間でもこの関係で、お互いの力を借り合うといったことがみられることである。

宗教も文化も生活習慣も異なるものが、共同歩調をとり、たとえば公国の群雄割拠を抜けるために、ある公国はポロヴェッツと協定を結んでまでも、他の公国をけん制したりしたという。

「イーゴリ公」では遠征に行ったイーゴリが、息子ともどもポロヴェッツに捕えられて虚しい日々を過ごすが、やがてポロヴェッツ人の中のキリスト教徒の協力によって脱出に成功し、故郷に帰るところで終わるが、その中で興味深いのは、イーゴリの息子とポロヴェッツの汗の娘が恋に落ちて結婚するというくだりである。

イーゴリは、敵の娘と結婚した息子を、ポロヴェッツ陣営に残したままで、帰国するのだが、どうもこの話はおかしなところがある。

ポロヴェッツの汗は捕虜であるイーゴリたちに対しものすごく寛容で、娘と敵の・・・イーボリの息子の結婚に前向きなのだ。

いかにポロヴェッツの汗が寛容な人物でも、何かがなければこのようなことにはならないと思うのだ。

それで小生は、この話すなわちイーゴリのポロヴェッツ遠征の話を以下のように推理してみた。
イーゴリはルーシ諸侯の内紛を収め、勢力拡大を狙って、本来は敵であるはずのポロヴェッツの武力を頼るため、息子とポロヴェッツの汗の娘を政略結婚をさせに赴いたのではないかということ。

そのような仮説を立てると、ポロヴェッツでの持て成され方(宴会での韃靼人の女の踊りに見られるような)そしてポロヴェッツの汗のあまりにも積極的すぎる娘とイーゴリの息子の結婚、ポロヴェッツ人による脱出の手助け・・・などなどが、お互いにうま味のある取引、そしてその証である息子と娘の結婚にあるとすれば、すっきりわかる話になるのである。

イーゴリは(ルーシの諸公国が同じ民族か否かはさておき)ルーシの派遣を優位に保つために、全く別民族・・・遊牧民族であるポロヴェッツと手を組んだ、汎スラブ主義からすれば、噴飯物の行為に出たということになり、とても英雄どころではないだろう。

オペラは未完とされ、リムスキーコルサコフやグラズノフが補筆したとされるが、イーゴリの帰還の続きは本来予定されていたのだろうか。

オペラではイーゴリの帰還で物語が終わるが、イーゴリ遠征物語では、敗北したイーゴリのところで、過去の回想になぜか入っていき、ルーシの諸侯の内乱と キエフ大侯スヴャトスラーフのポーロヴェツ戦での勝利を語り、注目すべきは、スヴャトスラーフは出陣したイーゴリの功名心を非難していることである。

小生は上記の事から、小生のたてた推理があながち的を得ていないことはないのではないかと確信したのだが、はたしてどうだろう。

いずれにしてもこの時代の・・・ロシア成立以前のルーシあるいはキエフルーシ諸公国の時代が我が国の戦国時代と同様の内乱状態であったことは間違いのないことである。

またロシアの成立はその時代から2・3世紀ほど遅れてようやく到達するのだが、それは巨大遊牧民族「モンゴル」による支配が続き、俗に「タタールのくびき」(ここでも韃靼=タタールが出てくるが)時代を経て後のことになる。

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オペラはベルナルド・ハイティンク/コヴェントガーデンロイルオペラ管のもの。
ハイティンクは凡庸だという評価もあるが、小生が初めて聞いた「展覧会の絵」はハイティンクとコンゼルトヘボウとのものだったが、これは素晴らしい演奏だったから何故凡庸などといわれるのかがさっぱりわからない。

恐らく何でもこなす、しかしその反面これが得意というようなレパートーリーに固執しなかったことが、そのような評価のもとになったのでなかろうか。

この豪勢な、最初から登場人物が100人を超えそうな、盛大なオペラのバックの音楽に、ハイティンクの棒は冴えていて、華やかなオケの音を響かせてくれる。

ポロヴェッツの陣営での饗宴の時の音楽は、何といってもハイティンクの真骨頂。
このような派手な、金管が活躍する音楽はハイティンクが得意とするところだ。

3時間余りある長大なオペラであるが、ロシア正教の祈りの歌のようなものあり、異民族の旋法あり、小さい時から耳にしている「中央アジアの草原にて」の一部のメロディも聞こえて、飽きの来ないオペラである。

ライブだけにアリアの後の拍手や、幕間の管総曲のオケ、指揮者の姿も見えて、こういう点もなかなかよい。

オペラというものに接した時の驚きは、TVで見た実際の象が登場したという記憶がある「アイーダ」とマタチッチの「イーゴリ公」の公演であった。

by noanoa1970 | 2008-12-18 12:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

エレクトラ

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R・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」を見た。
ギリシャ神話を題材に、ホーフマンスタールが戯曲化したものだ。
彼は世紀末ウイーン芸術の演劇の分野で活躍した人物で、あのザルツブルグ音楽祭を始めた重要な一人でもある。

ザルツブルグ音楽祭と呼ばれてはいるが当初は演劇でスタートし、祖霊音楽が入り、次にオペラが加わることになった本来は芸術祭である。

百花繚乱の芸術家、芸術スタイルが湧いて出るように現れた文化芸術にとっては、まさによき時代でもある。

そのような時代の中、フロイトの影響を受けたせい「エレクトラコンプレックス」なのかどうかはわからないが、ホーフマンスタールがソフォクレスのギリシャ悲劇エレクトラを戯曲化した。

ところがソフォクレスのオリジナルとホーフマンスタールの戯曲には相当の隔たりがあることがわかり、どうも「エレクトラコンプレックス」とは少し異なるところが見え隠れする。

小生はこのオペラで、いかに「エレクトラコンプレックス」が描かれているかということをひそかに期待してみたのだが、もちろん演出の力もあるのだろうが、フロイトとは異なる世界を、あえてホーフマンスタールは描こうとしたように思われた。

親族殺しという陰鬱なファンダメンタルの中、娘を殺された母親と、その母親と愛人の手にかかって殺された父を持つ娘エレクトラは、見えない運命の力によって、やがて自分もまた自分の妹・弟も、やがてはもうこの世には生きられないことを知ることになっていく。

それは今の自分の置かれた非人間的環境と、実の息子でさえも死客を放って殺させようとする母親とその愛人の姿を見ることになったからで、自分の一族の血筋はけがわらしい血が流れていて、それは自分にも流れていることを認識し始めている。

そんなエレクトラは、自殺することも許されなく、みじめな生き恥をさらすことになり、その反動で激しくすべてに拒否反応をしてしまう毎日を送る。

そのうち彼女は、父親を殺害した母親とその愛人を殺害すること、それこそが自分のレーゾンデートルであると錯覚するようになる。
すなわち現状から脱出するためには、自ら死を選ぶかそうなった原因を排除するしかなく、彼女は後者を選んだわけだ。

しかし所詮は女であるから自ら手を下す力はない、そこで密かに不本意ながらも弟の登場を待つのだが、弟が死んだという知らせが入り、それならば自分でとばかり、隠し持っていた父親殺害に使用された斧を取り出そうとする。

いつからエレクトラが憎悪から殺害の意思を、持つようになったかは難しいが、「弟が帰ってきたら、あなたは殺されるだろう」と母親に言うところを見ると、これは非現実的な願望でしかないし、そうかといって自分で殺してやるとは言ってないから、この場面では単なる反抗でしかないと、小生は思っている。

父親が殺された武器を使って、その犯人である母親とその愛人を殺害することは、恨みの増幅作用となり、エレクトラにはすごく意味があることなのであるが、彼女には実行するまでの決心はまだ付いてない。

言い換えれば「いつか殺してやる」という観念が支配する世界にエレクトラは生きていたことになるし、そういう仮説的目的を設定しなければ、生きる意味そのものがないのだ。

しかし実は弟は生きていて、密かに帰郷していて、母親とその愛人を殺害しに戻っていることが判明する。

ここが問題のシーンだと小生は思うのだ。

なぜかというと、当初エレクトラは母親とその愛人に反攻こそすれ、自らでの殺害の意思はそれほど固まってはいなかった、自ら殺害の意思を固めたのは、弟の死の知らせがあったときで、妹にも拒否されたことで他には頼るものが全く無くなった時だ。

このように自分の意思を決定的にしたときに、死んだはずの弟が突然現れたことに、喜びを感ずるのと同時に、彼女は自分のレーゾンデートルが失われていくのを感じたのではなかろうか。

やっと母親とその愛人を、あの因縁の「斧」を使って殺害しようと決心したにも関わらず、その決心を覆す存在が突然現れるという、苦悩の末強い決心をして選んだものが無駄になってしまうことの虚しさ。

弟にあの「斧」を手渡さなかったエレクトラに、自分で成し遂げたいという、強い欲求と信念を強く感じる。(観念的に頼っていた弟だが、実際に出現する弟の存在は、エレクトラの固まった意思を壊す存在となってしまった・・・男社会に敗北した不本意なエレクトラの姿が見えるようだ)

エレクトラのレーゾンデートルは、ここですっかり無に帰してしまうのである。

弟が仇を取ってくれたことに、感謝と狂喜して踊っているように思える最後のシーンも、小生には、自分の力が全く及ばない展開、もうこの世にいる理由がなくなってしまったことの、自らの死に至る踊りのように見えてしまう。

そしてさらに意味深長なことは、姉エレクトラの死を見ることになった妹が、門外で城内にいる弟に呼びかけ、おそらく門を開けて出てきてほしいということを訴えようとしたにもかかわらず、弟はその声に耳を貸さないのか、門をあける気配が全くないまま物語が終わることだ。

旨くお話しできないが、父権社会と母権社会の葛藤なるものが、そこに見え隠れするようで、その背景としては国王の死に伴う跡目相続のゴタゴタがあるようにも思えるが、その話はいずれまたの機会にしよう。

ベームによる最後の録音とされる演奏に、映像をつけたとされるものだが、恐らくアフレといっていいのだろうか、録音された音楽にあわせ歌と芝居をあとから入れたものだろうが、全く違和感がないばかりか、トーンも相まって映像がとてもリアルで、劇場版とは趣を新たにしている。

by noanoa1970 | 2008-12-16 18:57 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)