バド・パウエルの命日をめぐって夜もすがら

ラウンド・ミッドナイトというパウエルの名曲、小生には、芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」という句とダブルところがかねてからあった。

仲秋の名月を眺めながら池の周りを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまったのである・・・そんなたわいもない歌であるが、月の魅力がそこには歌いこまれていて、しかも風流なこの句、小生は好きである。

パウエルは何を思って深夜の徘徊をしたのであろうか。

7月31日はバド・パウエルの命日。

レコードではなく、彼をモチーフとした映画「ラウンド・ミッドナイト」を見ることにした。

これはいつ見ても心温まる映画で、出演者も音楽も素晴らしい。
特にデクスター・ゴードンの自然な演技・・・素のままのようでとてもいい。

映画を見ていて、本日気がついたことが2つあった。

1つは、音楽仲間のパーティのシーン。BGM風に流れていたのは、ハービーハンコックの「ウォーター・メロンマン」。

バターカップという女房役がブルースを歌う前のシーンで流れていた。

シーンの季節が、夏だということを、それとなく思わせる。

音楽監督がハービー・ハンコックだから、自作の挿入は、当たり前といえば当たり前なのだが、今まで気がつかなかったのを発見し、少しいい気持。

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もう一つ、主人公がアメリカに行くシーン。
出迎えるアメリカの背の低い公表してきな人物が、驚くべきことなのだが、数々の傑作映画を作ったあの「マーチン・スコセッシ」。

映画監督が映画に出ることは、珍しくはないが、他人の作品に出演するのは、珍しいのではないだろうか。
なぜスコセッシが、この映画に出演することになったかの、いきさつはわからないが、音楽好きのスコセッシだから、なしえたことだったことは想像がつく。

タクシードライバーでも、そして小生には、ウッドストックや、ボブディラン、ザ・バンドなど音楽家たちのドキュメンタリー映画監督として認知度が高い。

パウエルの命日から、スコセッシに、巡り合えた今日の日に改めてパウエルに感謝。夜には各種演奏家の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を聞くことにしよう。

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by noanoa1970 | 2008-07-31 16:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

サークル先輩の訃報

65年度入学「シュウメイギク」さんからのメッセージが届きましたので、UPしました。
長い期間お目にかかってないですが、お元気そうで、何よりです。
遠く離れてはいますが、ブログでの今再びの出会いに感謝です。
皆さん歓迎のほど、よろしくお願いいたします。管理者sawyer

上の文章は、小生が管理人を務める「DRAC-OBの集い」・・・学生時代のサークル仲間で運営する非公開ブログに、2006年12月26日に書いた見出しである。

長いあいだ音信不通だったサークルの2年先輩の女性が、ある時小生自身のブログを見つけてくれ、サークルメンバーが集まるブログをお知らせしたのであった。

小生がブログを始めたのは、2006年6月、それまでネット投稿をしていたクラシック音楽の掲示板が2つとも廃止となってしまい、それでブログを書き始めたのだった。

さすがにネットの力はすごいものがあって、ブログを見つけたサークルの後輩drac-obさんをはじめ、そのほか数人と巡り合うことができた。

サークルで同じグループの先輩で、編集の役員をやっておられて、意志の強い是々非々の、小生たちが一目置いていた先輩の「シュウメイギク」さんも、その中の一人でした。

それは突然のこと、一昨日、訃報が彼女のお兄さんという人から来て、5月に亡くなられたと聞き、未だに信じることができない日々を現在送っているところ。

気を使われたのだろう、49日の法要が終わったところでの連絡であった。

ブログを見てメール交換をしたのが、一昨年といっても、2006年年末のことだから、それからまだ1年半しか経ってないのに、・・・・
メールでは「母親の介護に忙しい毎日を送っている」と、してあったのに、・・・・

あまりにも急なことと、ほぼ同時期に同期のT君が逝ってしまったことと重なってしまい、もっと頻繁にやり取りしたり、40年間一度も顔を見ないことを、何かの機会に・・・ブログで近況連絡をしつつ、次回のOB会には出席をお願いしようと思っていた矢先のことでした。

諸般の都合もあるのだろうが、OB会がオリンピックの開催と同じサイクルでは、あまりにも間隔が開き過ぎるのでは・・などと幹事には、いっておいたのですが、今回その甲斐もなく4年ぶり、今年の11月に開催されることとなった。

われわれの年代になると、やはり4年という年月は、あまりにも変化が大きすぎるということを、改めて認識した次第です。

下記の文章は、小生宛に届いたメールを、ブログに記載したもので、本人を説得して載せたものです。

文章の一字一句に彼女の人柄が表れていて、彼女の思いやり、気遣いがにじみ出ているようで、母親の介護に献身的な毎日だった、彼女のことが偲ばれるのです。

こんなことでは、追悼にもならないだろうが、忘れないよう、小生の個人ブログにも掲載しておくことにした。

合掌

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皆様、お久しゅうございます。

『このブログに出遭いましたときは、本州の西の片隅からそっと拝見させて頂くつもりでいましたのに、色々ご迷惑をお掛けいたしました上、図らずも「正体」をお見せすることとなり、思わぬ展開に戸惑い、緊張しております。

年を経て、音楽は向き合うものから静かに私に寄り添っていてくれるものへと変わって行きましたので、皆様の音楽へ向けての変わらない情熱や、培われた友情を羨ましく感じながら読ませて頂きました。

また最近のご様子のお写真なども“大きな感慨”をもって拝見いたしました。40年近い時間(とき)の経過がまぎれもなくそこにはありました。
が、それは、もう片時もメガネを手離せない私自身の今でもあります。

現在私は、年取りました母に接するときはスローペースを心がけ、家事を含めた待ったなしの雑事はペースアップして、気合を入れてこなすというように、これを一日に何度も切り替えながら、慌しく、でも元気に過ごしております。

自分のために使える時間は多くはなく、しかもこま切れの状態ですので、やはりそっと拝見させて頂くことになってしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。」
by shuumeigiku 1965 in

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by noanoa1970 | 2008-07-30 15:26 | トピックス | Comments(2)

ブログ通信簿

Gooが運営するサイトに、ブログ通信簿なるものがあるのを知った。
ためしに自分のブログの採点を依頼してみると以下のような診断結果。

どの記事内容をサンプリングしての採点結果なのか、よくわからないが、とにかく下のような通信簿となった。

年齢が34歳とは??

おまけに小生のブログ話題を占める率の多いのは「音楽」で、書評などはごく一部。

「書評の知識や経験を生かし、職人を目指しましょう」・・・とあるのはパロディなのか。

決して当てにはしてないものの、こういうものに少しでも頼って、自分のブログ評価をしてしまった自分が、情けない。
やはり止めておけばよかった。


良い評価なら信じて、そうでなければ信じない・・・そんな自分の心の奥底が、透けて見えてきそうで、何とも居心地が悪い。

自分がそうしていながら、言うのもおかしいが、こんなものは依頼すべきではないように思う。

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by noanoa1970 | 2008-07-29 10:52 | トピックス | Comments(0)

昔の味・・・1970年のNOANOAを彷彿

MIXIのコミュ、長浜の美味しいもの情報トピで紹介されていたピザ屋さんを本日訪問した。

チーズがおいしいとあったから、小生の勘は、ここのピザは、ゴーダチーズを使っているだろうとことを、告げていた。

またオーダーが入ってからピザのドウを伸ばすから、出来上がるのに、少々時間がかかるとも書いてあったから、もしそれらのことと小生の勘が当たっていれば、今から40年前、小生が銀閣寺近くの白沙村荘で始めたNOANOAのピザに近い味を出しているのでは、と踏んだからであった。

いつもの商店街の手前、市役所を過ぎて1本目の信号を右折し、道なりにしばらく行くと、長浜北中学校があり、その少し先の左手に、その店はあった。

5軒ほどの少し寂れかけた、長屋の店舗付き住宅の真ん中にあるその店は、事前に準備してなければ、絶対に入ることのないようなところで、イタリアの国旗とPIZZAと書かれた看板があるだけの、到底ピザハウスとは思えない風貌の店であった。

店の中は長めのカウンターがおかれ、入口付近に2セットあるテーブルには、夏休みで、親子連れが5人ほどいるのが見えた。

小生が始めたNOANOAは、橋本関雪のギャラリーを改造したものだが、カウンターとテーブルが3つ、そしてオープンキッチンスタイルだったので、この店の店内とは、外観や内装こそ違うものの、似たところがあった。

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店のオーナーは、30年近く務めた会社を退職した脱サラで、ピザの店をやってすでに30年近く経つというから、ベテランの領域に入る。

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彼の息子さんも手伝いながら、おそらくあとを継ぐ覚悟なのだろう、最近では珍しくハキハキしながら親子仲良く店を切り盛りしている。

両方共に明るく人当たりが非常によい。

このような人がどんなピザを作るのかと、そしてNOANOAのピザの味とどのように違うのか、または同じよううなところがあるのか、小生が勘をつけた通りなのか、など興味を持って一挙手一投足を見守った。

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小生がシュリンプピザ、そして家内がミックスピザを注文。
(実は、ミクスピザは、まじめなところほど、具が多いので、特に野菜の水分がぴざのドウにしみてきて、ピザがカラッと仕上がりにくい)

待つこと数分、やはりドウは1枚1枚丁寧に、手でのばしてからパイ皿に乗せているが、さらに片手で持てる大きさの麺棒で、パイ皿に乗せたドウをのばして厚さが均等になるように仕上げている。

なるほどこうすれば、火の通り方にムラがなくなり、焼け具合のちょうどよいピザに仕上がるというものだ。
小生の時は、このような知恵はなかったので、大きな麺棒でドウを伸ばすのだが、イースト菌の力で、のばしたドウがすぐに縮んでしまい苦労した。

出来上がったピザを口に入れた瞬間、ピザに使われるチーズが、勘通り「ゴーダ」であることが判明した。

これはNOANOAで小生が始めたピザと同じチーズであるし、ドウも、ほとんど同じ作り方とお見受けした。

すなわち、強力粉とイースト菌、砂糖少量、塩少々、オリーブオイル、そして小生の場合はオレガノを少し香りづけに入れたが、このピザドウの基本的な作り方を、かたくなに踏襲しているように見た。

最近のピザ屋は、ドウの作り方がかなり合理化され、隠れて冷凍のドウを使っている専門店さえあって、かつてのNOANOAのピザに匹敵するような味のピザに、お目にかかったことがない。

およそピザなんていう食べ物は、真面目にきちんと、基本を守ってさえ作れば、大概おいしいものであるにもかかわらず、どんな店のどんなピザを食べても、今まで満足するものにお目にかかれなかったのだ。(相当いい加減なピザが蔓延している証拠であろう)

ドウと、使うチーズに一番の問題点があり、焼き窯なぞは今流行りの薪を使うピザ専用窯でなくても、オーヴンで十分なのだ。(専用窯のほうに焼きムラができることが多い)

ナチュラルチーズにプロセスチーズを混ぜて使ったり、偽のモッツァアレラチーズを使ったり、またチーズがとろけるのがピザと思い込んでいる御仁が多いが、小生はうまいピザは、やはり「ゴーダ」を使ったものだと思っている。

ゴーダチーズは、とろけ加減が難しいチーズなので、オーブンの上下の温度には気を使うことが多く、そして早く食べないと、すぐに固まってしまう癖をもっているから、最近のピザ屋ではあまり好まれない。

しかしながら、あのうま味成分がなせる、そしてインパクトある味の重量感が生み出す食味は、強力粉とイースト菌で作られたドウにベストマッチする。

一口食べた瞬間、小生は40年前の京都白沙村荘NOANOAで、ピザを作っている自分をそこに見ていた。

奇しくもコック帽とコートと呼ぶコック服の上着だけをきている姿の親子は、小生とアルバイトの学生をも彷彿させ、ドウを伸ばし、かがんでストーブ下のオーブンに出し入れする姿は、当時の小生そのもののようだった。

肝心の味は言うまでもない、40年前のNOANOのピザの味と瓜二つのものがそこにあった。

長浜という小都市の、それもメインから離れた少し辺鄙な場所と、またまた失礼だがおよそピザの店とは思えない・・・場末のスナックを少し改造しただけの店構えから、このような素晴らしい・・・小生が今まで各所で食べてきたピザのどれよりもおいしい、「小生流の本物」に巡り会えるとは・・・

感激のあまり、貝柱のピザを追加したが、これも素晴らしいほどにおいしかった。
今はやりのクリスプな、生地の薄いお菓子のようなピザではなく、かといってパン生地のようにボテっとしたところもない。

ドウの味が生きている・・・このような表現がピッタリのピザ。
カウンターに座って、出来立てをすぐに味わうのが利口な食し方であろう。

おいしくないピザ、あるいはダイエットのつもりなのか、周りを残し、真中だけを食べるのを見かけることがあるが、ここのピザのドウは、本もののつくり方をしているから、2枚ともすべて食べられるほど美味しく、ピザの縁が非常においしい満足度が非常に高いものである。

このようなピザを出せる店・・・・ほとんどないのは残念だが、幸い息子さんが後を継いでこの味を守っていってくれることだろう。

ピザの店ベルペイ
〒526-0015 滋賀県長浜市神照町912-1
0749-63-8581‎
営業時間:11:00〜21:00
休業日:水曜日
ピザは800から1000円

ピザのほかグラタン、ドリア、サラダ、サンドウイッチと種類は豊富。

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by noanoa1970 | 2008-07-28 18:03 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

小林多喜二の

蟹工船が今、若者の間で読まれているそうだ。

プロレタリア小説の代名詞の、この小説が、なぜ今脚光を浴びているかは、ニュースにもなったようで、ワーキングプアー層が増加したことと関係があるらしい。

しかしこのことを仕掛けた人間が絶対にいるだろうと思うのはよみ過ぎなのだろうか。

新しく共産党の党員になった若者もかなり増えたというから、ひょっとしたら、頭のよい共産党員のだれかの、うまい仕掛けなのかもしれないし、潮流をうまく読んだ出版社の販促スタッフかもしれない。

小生はこの小説を読んだことがないのを正直に白状するが、小林多喜二=蟹工船という、まるで図式のように暗記した記憶はあり、それで満足してしまったというか受験で必要だから覚えたと言ったほうが正しいが、ストーリーさえ、ろくに知らずに蟹工船で働く労働者の過酷な労働環境を描いた・・・そんな程度で、そこから先に、つまり小説を読もうという気にはなぜか学生時代、あれだけ本と親しんだ割には、ならなかった。

これはおそらく、小生が参加したサークルの中央機関「文連」が、反日共系色が強かったためであろう。

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http://www.takiji-library.jp/announce/2007/20070927.html
『マンガ蟹工船』を無料公開!!
白樺文学館小林多喜二ライブラリーというHPに、マンガの蟹工船が全編みゅ量でDLできるサイトがあるのを発見。

マンガ蟹工船 ダウンロード (PDFファイル 約40MB)という大きな容量ではあるが、わかりやすいマンガで「蟹工船」が描かれている。

30分で読める・・・・
大学生のためのマンガ
作画:藤生ゴウ

マンガはある種のイメージ作りの賜物であるから、ある意味原作との関連性を見ることは必要であろうが、それを差し引いても、かなりの力作である。

まだお読みでない方はこの機会にぜひご覧あれ!

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by noanoa1970 | 2008-07-26 14:34 | トピックス | Comments(1)

Any Day Now:Bob Dyran ’s Song Sung By- Joan Baezz

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以前のブログに、ディランの歌い方が好きではなく、ディランの曲をほかの歌い手が歌ったものが好き・・・そのような事を書いたことがあった。

その筆頭は、今日取り上げるこのアルバム「ジョーンバエズ、ボブディランを歌う」である。

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記憶では1967年、京都の十字屋で求めたもので、それは1960年代初め、小生が中学生の時、PP&Mと同じころにラジオでよく聞こえていた、彼女の魅力的な声に想像力をたくましくしながら聞き入っていた、その経験があって、当時は購入かなわなかったLPレコードをサークル価格の2割引きで入手したものである。

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キングレコードから発売されたVANGUARD盤LP2枚組で、全曲ボブディランで占められていた。

小生はボブディランオリジナルよりも、彼の曲をほかの歌い手がうたった(たとえばPP&M)ものを聞いていたが、それらがボブディランの作品とは知らなかったのだった。

このアルバムも、ボブディラン作品を聞きたくて選択したというよりは、バエズが聞きたくてのほうだったが、バエズの歌うディランの曲は、遠くブリテン諸島の古謡のメロディラインが強調されているようで、非常に親しみやすかった。

ディランオリジナルでは、聞こえてこないようなその古い民謡風のメロディを聞いて、ディランが尊敬したピ-トシガーやウッディガスリー、のその先のルーツが垣間見れたような覚えがあった。

棚の隅に、いつの間にか追いやられてしまっていた、懐かしいジャケットを発見し、先ほど、ターンテーブルに乗せて、久しぶりに聞いてみることにした。

60年代のレコード盤は、さすがに重く1枚だけでも80年代のレコード2枚分ほどの重さがあるのではないかと思われるほど。

手に伝わる重みは、その分中身の重みを象徴するがごとくの様相だ。

CDになっているかどうか、調べてはいないが、この時代のLP・・・特にボーカルはCDで買いなおす必要はない。
というより、決してノスタルジーで言っているのではなく、実際LPのほうに音楽的な分が、いまだに存在することが多い。

今の人はおそらくジョーンバエズ・・・そんな人の存在や、彼女の歌も知らないだろうが、60年代の風を経験した人なら、ご存知の方がほとんどというぐらい、当時は有名な人だった。

ボブディランを評価し、陽の当たる場所に引っ張り出したのも、彼女の力あってこそ。

森山良子がリスペクトし、ウエスタンからカントリー・フォークシンガーに転向したのも彼女バエズの力。

単なるフォークからプロテストソングへと導いていったのもバエズの果たした役割が大きいのである。

バエズの声の力は、天界にいる天使、あるいは聖チェチィーリアのように人の心の奥まで届いてきて、聞くという受動的行為から、何かをするべきというような、能動的行為への原動力にもつながった。

ベトナム戦争とちょうど重なるころである。

バエズは今何をしているのか、消息は不明だが、小生の知る限り、長い間反戦運動を自ら行っていた人で、おそらくその心情は今も変わらないのだと思える数少ない人である。

今改めて彼女の静謐で透明感ある、そして優しいが力強い声を聞くと、60年代後半のあの時代のことが頭をよぎるのである。
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by noanoa1970 | 2008-07-26 13:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

IME2007

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昨日かねてから気になっていた、現OfficeーXPをOfficeー2007へグレードアップした。

マイクロソフトから「特別優待パッケージ」が安価で出ていたのを、やっと購入に踏み切ったのだ。

OfficeーXPにはIME2002が搭載されているが、この辞書が壊れているのか、でたらめな変換をする。

くわなしと入力し変換すると、桑名氏、桒名氏、桑名市の順に候補が出るし、学習機能が全く働いていないばかりか、多くの変換候補が順不同で出てくるから、特にIE上での入力には注意が必要であった。

小生はこのため、一応点検はしてきたつもりだが、それでも見逃していて、後で気がつくと、ひどい誤字脱字の文章が、そのままになっていることが多く、ここ数年・・・ブログをやり始めてから特にこの現象が激しくなってきたように感じていた。

学習機能を最適位置にしたり、辞書復元を実施しても、この現象は治ることがなく、Officeを入れ替えるか、A-TOKに入れ替えようかと迷っていた矢先に、グレードアップ「特別優待パッケージ」が発売されたのである。

しかも10000以下と格安であるから、同じころ発売された、Officeー2003グレードアップ版とどちらにするか迷ったが、現状のOfficeーXP・PROをそっくり残したままグレードアップ可能ということから、Officeー2007グレードアップ版にすることにした。

したがって小生のPCには、Word、Excel 、OLが新旧2種類。
PP、Access が旧バージョンのまま残されていることになる。

IME2002が残されると思っていたが、しかしこれはそうではなく、IME2007に変更されてしまっていたので、Word2002のIMEは2007を使用することとなった。

残念なのは、愛用してきたMicrosoft Photo Editerという画像処理機能が付いた便利なソフトが、Microsoft Office Picture Manager に変更されたことだが、これもほぼ同等の機能を持っているから、あとは慣れの問題だろう。


IME2007はあまり評判がよろしくないようであるが、小生のIME2002は暴走気味だったから、以前ののような変換ミスは今のところなくなり、安心してIE上で入力できるようになり、精神衛生上かなりの改善となった。

もっと早くやっておけばよかった。

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by noanoa1970 | 2008-07-25 16:53 | トピックス | Comments(2)

シバの近況

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応援いただいた皆様にシバの近況報告です。

手術を終えて3週間がたつ。
先日病理学検査結果がわかった。
肥満脂肪腫の「グレード3」「ステージ1」という結果が出た。

グレードとは、悪性度を測る単位で1から3まで有り、3が最も悪性度が強く、ステージとは腫瘍の進行度を表す単位で1は最も軽い。

したがってシバは強い悪性腫瘍があったが、進行は一番低い段階ということになる。

手術のマージン:腫瘍部分からの深さと距離は、充分確保されているという結果であったから、少し安心した。

腫瘍の部位によっては、このマージンの確保が困難であるがゆえに、腫瘍がすぐに転移してしまうからである。

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先日、術後の抜歯の後、治療が始まり、注射による抗がん剤の投与と、抗生物質の飲み薬が処方され、抗がん剤は前足に注射された。

犬によっては抗がん剤によって、食欲が無くなり、体毛が抜けることもあると聞いたが、シバは今のところ普段と変わりなく元気だ。

シバは食事に薬を混ぜておくと、きれいに全部食べてくれる。
薬を飲めない、食べない犬が多いと聞いていたから大変助かる。

ただ薬のせいで、食欲が増進され、喉が渇くのか、普段の3倍近くの水を欲しがるようになった。

残念なことに、遠吠えまでして激しく反応していた音楽にも、今のところ反応の姿を見せない。

もともとそんなに大きくない体の、約10cm四方に及ぶ切除であったから、大変な目にあったわけで、それで性格や体質が少し変化したのだろうか。

この暑さのせいもあるとは思うが、寝そべることが多い。

散歩の時は、綱を引っ張るほど力強く進むから、今のところ体調の悪化は感じられないのに。

手術に当たって剃られたところに、新しい毛が生えつつあり、もう少しで手術の傷後が隠れるようになる。

涼を求めているのだろうか、小生の部屋に来て、棚の一番下の空き部分に体を入れて、眠ることがある。

今現在、シバは「元気」です。

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by noanoa1970 | 2008-07-23 16:01 | 愛犬シバ | Comments(4)

名前の由来

小生の名前は「治憲」という。

名前は祖父が付けたと、小さいときから聞かされてきて、父親からは、名前の由来を、昭和22年(1947)5月3日、日本国憲法が発布されたからと聞いていた。

小生は23年生まれだから、こじ付けだろうと思って、しらべると、以下のようなことが分かったから、まんざらこじ付けでもなかったようだ。

「日本国憲法が発布記念して昭和23年7月の「 国民の祝日に関する法律」で、この日が祝日と定められた」・・・この日とは5月3日の「憲法記念日」のことである。

1948年5月3日は確かに憲法記念日であるが、小生は1948年3月に生まれたのだから、
それよりも2ヶ月早い。
はたしてこれも正しいかどうか、良く分からないが、命名が何時のことかが分かればハッキリするのだが・・・・(生まれてから2ヶ月もたってから命名したのだろうか?)

団塊の世代の一部の人は、「憲」という漢字を当てた名前が多いという話もある。

小生は長い間、この名前の由来をそのように信じてきたのだが、あるときこれはどうも胡散臭いと思うようになったのである。

小生の父親は大正生まれ、法律を学んできた事から、一次は法曹関係に進みたかったのだが、事情があって民間の鉄鋼製造メーカーの労務畑に就職した。

朝鮮特需の最中で、会社は忙しく、さらには朝鮮特需によって引き起こされた労働者へのしわ寄せから、労働運動が活発となり、左派色を強めた労働組合が、組合をしきって会社と決裂するのを抑えることに奔走したそうだ。

今でも「〇産党」に、激しい嫌悪感を抱いているのは、そのときの心身の苦労からであろう。

小生は昭和23年3月、愛知郡鳴海町、現在の名古屋市緑区鳴海町という、東海道の宿場町の古い閑静な住宅地で生まれた。

父親は鳴海から、文化的には遠いが、距離的には近い知多半島の付け根の、聚楽園という小さな海沿いの町に出来た、〇〇製鋼という会社に就職し通っていた。

ここは海を埋め立てた土地に、近くに名古屋港があったせいか、大きな製鉄会社が3つも参入して現在に至っているところ。

小生が生まれると直ぐに、実家の鳴海の家を出て、聚楽園の荒尾という集落で、会社の近くの農家の離れを借りて移り住んだ。

荒尾の「加家」というところで、風呂は知り合いの家に、もらい風呂をしに行くという生活で、垢で汚れたような湯船に漬かるのを、「今日は湯船に入るな」といわれた覚えがあるという悲惨なときもあった。

d0063263_10471272.jpg「平州保育園」から「平州小学校」へと進むことになったのだが、この学校は郷土の学問の師「細井平州」に因んでその名が付けられた学校で、先生やPTAの役員が、有りとあらゆる場で、ことごとく「平州」の業績の偉大さを話すのを聞かされてきた。

記憶には、「細井平州」は尾張藩校・明倫堂(現在の愛知県立明和高等学校、小生の頃は旭丘と並び、愛知県下の優秀校だった)の初代督学(今の校長)となったという。
そして「明倫堂」という言葉が今でも耳に残っている。

鳴海から、父親が勤める鉄鋼関係の会社のある聚楽園に、小生が生まれて間も無く引っ越すことになったのだが、この聚楽園という町の引越し先「荒尾」という集落こそ、「細井平州」を排出したところであった。

小生の祖父の祖父・・・すなわち小生の高祖父は、長野県の木曽谷の「原野」という集落の庄屋をやっていたが、あるとき次男に家督を譲って、自ら江戸に赴き学んで帰ってくるや、全財産を投じて木曽駒高原の山間地を農作物が栽培できるように開墾し、努力が実ることなく挙句に破綻した人である。

「細井平州」は「農民にも学問を」といい「塾」を開いたが、高祖父「三羽」という人も、「開化亭」という、農民達とのサロンを開いたという。

そして儒学を学び、自ら多くの和歌を詠んだ人でもある。(小生の手元には、高祖父「三羽」が、紙にも事欠いていたのだろう、紙の両面を使って和歌が書き留められているものが残っている)

祖父から見れば、祖父の祖父「三羽」と「細井平州」は、イメージがダブルものがあったのだろう。

d0063263_10483085.jpg「上杉鷹山」という人は、誰でもその名を聞いたことがあると思うが、実は、「鷹山」は、十六歳で元服のとき、将軍徳川家治より諱の一字をもらって「治憲」と名乗り、「鷹山」という名を用いるのは総髪した五十二歳の時から・・・と有るように、正式には「上杉治憲」という元服名:諱(いみな)なのだ。

この「上杉治憲」に質素倹約を説いたのが「細井平州」。
「細井平州」の勧めに、藩の経済再建を目標に積極的な殖産興業政策を実施し、田畑の開墾、桑・楮・漆などの栽培、養蚕・製糸・織物・製塩・製陶など新産業の開発に力を入れ 自ら先頭に立って奨励につとめた「上杉治憲」と高祖父「三羽」は、祖父の中で恐らくダブって見えたのだろうと思われるのである。

「三羽」は、規模は小さかったろうが、製塩・製陶以外は「上杉治憲」の取り組みに詫匹敵することを手がけていたのだった。

祖父は林野庁の役人だったこともあって、アチコチ転勤したと聞く、恐らくこのあたり旧米沢藩の「開墾事業」についても調べていた形跡があるし、祖父は父親から高祖父のことも聞いていたのだろう。

失敗したが、その基礎は作られ、今では立派に米さえ作れる農地にもなっている木曽駒高原開拓の先祖の偉業を、藩の復興のために生涯を捧げた「上杉治憲」の偉業にダブらせることは、かなり高い確率で考えられることである。

祖父、高祖父、聚楽園荒尾、「細井平州」、「上杉治憲」、そして憲法発布の記念の祝日の制定日23年7月。

祖父は、このあたりの事象の複合体から、小生に「治憲」という名を命名した・・・

小生は、「憲法発布」を記念してというしか、父親からは聞かされて来なかった、自分の名の由来について、このようなことが隠されていたのではないかと、大いに推測している。

そして何故父親ではなく祖父が命名したか・・・それについても不思議に思うことがあるが、それは永遠の謎である。

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by noanoa1970 | 2008-07-23 10:48 | 家族の肖像 | Comments(0)

寒村でのコース料理・・・杉原さんと一緒に

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写真は燻製まじかの自家製生ハム。
右の網の中には、スモークを待つサーモンが。

今から約15年ほど前のこと。

小生はその夏、長野県南安曇郡の奈川村に滞在していた。
知り合いのおばちゃんがいる、村の温泉施設の食堂のカウンターで、出来立てのカレーを食べていると、速報のテロップが流れた。

(よくカレーは一晩置いたほうがおいしいというが、小生は出来立てがおいしいと思う。その理由は、一晩置くとカレーの鮮烈な香りが飛んでしまっていて、どうしても好みではなくなってしまうからである。新しいカレー粉を足してそれを補ってくれる店ではいいのだが、殆どはそのようなことをしないから、ぼやけた味のカレーとなっていることが多い。家では必ず新しいカレー粉を加えて食べることにしている)

それはダイアナ妃が交通事故で即死した・・・というニュースであった。
その悲しいニュースの記憶を頼りに、何時のことであったかを調べると、1997年8月31日ということが分かった。

その日は、畑の手入れした後、汗を流しに村の温泉に行き、風呂上りにビールを飲み、出来立てかどうかを訊いてカレーを食べたのだった。

食堂勤務のオバチャンは、前はキャンプ場に務めていたから、もうかれこれ25年以上の知り合いだ。

キャンプに行っていたときは、自作の漬物・・・赤カブやスンキを毎回テントまで持ってきてくれた。

家内とも気が合って、行き来が始まったオバチャン。
カウンターで、「今日のカレーは出来たて?」と確認して、注文すると、家内と2人で食べろとばかり、特盛りにしてくれる。

畑用のネギも、ジャガイモの種も、オバチャンから地のものを分けてもらって、栽培することが出来たのだった。

(この土地で作ったジャガイモは、いままで食べたジャガイモの中で一番おいしいもの。
収穫後、一部をポテトコロッケにして食べたが、人生の中で一番美味しいコロッケが出来上がり、驚愕の時を味わったことがあった)

その1年前のこと、蕎麦を収穫した晩秋。
小生はかねてからやりたいことがあって、それを実行に移すことにした。

それは幻といわれる奈川産の蕎麦を使ったコース料理を作ることで、和洋を融合して、蕎麦という素材を異なる次元の料理で味わってみたかったからである。

蕎麦打ちは、それまでに何回も経験し、一応自分でもほぼ満足できるほどになっていたから、昔の経験を生かして、また蕎麦の新しい可能性を探って見ようと、かねてから考えていたことであった。

村の知り合いや、都会から奈川村に遊びに来る知人を誘って、収穫祭の一環として企画した。

10人のメンバーが集ってくれることになり、会費は原価の3000円とした。

蕎麦打ちは、小生の会社の同僚の杉原さんが引き受けるというので、彼に任せることにしたが、彼も凝る人間で、名古屋から小さい石臼をわざわざ持参して望んだ。
蕎麦切りは、自作の奈川の在来種の幻蕎麦を使用し、しかも石臼手挽きの完全自家製粉であり、俗に言う「三たて」であることは勿論だ。

小生が考えたメニューは

スープ、本格的コンソメを作ろうと思ったが、余りにも手間がかかるため、それは断念し、代わりに市販の「海亀のコンソメ」にマデラ酒などを入れ手を加え、浮き身を蕎麦のクネルと蕎麦米とした。

オードブルとして、数日前に完成した自家製生ハムを蕎麦のクレープで筒状に銀ホイール巻いて、それを斜めにカットしたものを当てることにした。

生ハムとスモークサーモンは、同じくクラインガルデンを借りていた、ホテルニューオータニのベテランのコックが絶賛したほどであった。(小生を全くの素人と思ったに違いない、
このころはすでに一流ホテルでもサーモン、生ハムは、業務用市販品を使用していたから、当たり前といえば当たり前だが)

新鮮でなければ、生ハムは作れないから、このとき使用した材料豚肉のモモは、その旨を伝えて小生の地元桑名の「柿安」という肉屋に特別注文して入手した極上のもの。

それに奈川のすばらしい食材で、昔はこの実の油で漆塗りの器を磨いたとされ、葉は天麩羅にすると、かすかに胡麻の香りがする「えごま」の実をすり鉢で丹念に下ろし、醤油に少し砂糖を混ぜたものを、蕎麦掻にかけて食すという村の隠れ名物。
五平餅のタレとして使っても美味しい食材である。
これを村の長老と、キャンプ常連の長老2人でやってもらうことにした。

日本酒は、新潟の名酒「ハ海山」、ワインはシャブリ・プルミエ・クリュ・・・いずれもが小生が「キリット、切れの有る酒」をと注文しておいたもの。

メインディッシュは、あれこれ考えたのだが、ここはローストビーフで行くことに決めた。

決めた理由は、場所柄(ログハウス風の集会所で、一応の料理の設備がある)付きっ切りでサーバー可能だから、焼きながら様子を見て一番よいタイミングで食べてもらうことが出来ると思ったからである。
ただ、オーブンという必需品の設備が無いので、キャンプ用の組み立て式のコールマンのオーブンを使うことにした。

このオーブンは、小生の必需品で、これにダッチオーブンを持っていけば、外でも大抵の料理は出来てしまう。

1泊か2泊のキャンプならば、大概のキャンパーは、バーベキュー、カレーなどを作ることが多いと思うが、小生のキャンプは3日以上のことが多かったから、それでは飽きてしまうし、ゲストが来たときに毎回バーベキューでは飽きるから、野外料理の巾を広げたく思っていたが、この料理道具のおかげで、殆どの料理が可能となった。

そういう魔法の道具が、風防付ツーバーナーと上の2つの道具である。

このときの牛肉も、やはり桑名の「柿安」で仕入れた4等級のものである。

魚は奈川のイワナのムニエール。(残念ながら養殖)
10名の出席だから、いくら奈川村でも、とても天然イワナというわけには行かない。
ハーブ類は、畑に10種類植えている物から、セージ、ローズマリー、タイム、オレガノ、フェンネル・・・およそ料理に使えるものは殆どある。(というより料理に使う目的で植えたのだが)

蕎麦打ち以外の料理人は、小生ただ一人、エゴマをすり鉢で当たっていた2人と、蕎麦うちの2人以外は、手伝うにも、手が出せないであろうことは分かっていたから、何問題もないし、段取りさえキチントしておけば、席を行ったりきたりしながら、自ら楽しむことが可能である。

オードブルの「生ハムの蕎麦クレープ包みソースグレービー」(小生開発の料理だからネーミングも適当)

スープ「蕎麦のクネルと蕎麦米を浮き実にした海亀のコンソメ」・・・「山海の出会い」とでもしておこう。

魚料理「イワナの香草焼き・ムニエール奈川風」

シリアル①「蕎麦掻inエゴマソース」

肉料理「ローストビーフ・野趣豊かな漁師風」・・・・グラスに天然山椒で風味を付けたソース

シリアル②「幻の奈川産の自家栽培、自家製粉挽きぐるみ、さんたて蕎麦」

デザート「生ハムwithマンゴウ」・・・・相性抜群のイチジクを探したが入手できないため、しかしメロン同等美味い。(イチジクの上に生ハム載せ白ワインを少量ふりかけるととてつもなくおいしい)

コーヒー:(京都イノダプレミアム)
酒:八海山、シャブリ・プルミエ・クリュ

以上の料理での楽しいひと時であった。
村の人の中には、ミディアムに仕上げたローストビーフがダメだから、完全に火を通してくれというのも合ったが、総勢10名が満足した小宴会となった。

これ以降、村の人の噂で、小生は料理の達人とされることになってしまい、この先の集まりには、必ず何か作れというリクエストが来ることになってしまって、あるときは、「タヌキ」を捕獲した村人が、タヌキの肉を料理して、都会から来た人に食べさせろというので、畑からハーブを抜いてきて、タヌキの臭みを緩和して料理をしたこともあった。

黙って差し出すと美味しいといって食べるが、これタヌキの肉ですよ・・・・そういうとたいていの人の顔つきが見る間に変化するのが面白かった思い出がある。

この村の人は、時々このような、軽い悪戯をすることがあって、「これおいしいよ」といって出された「シシトウ」を焼いたものを一口食べると、・・・・
口の中どころか、顔中が、頭までもがその余りにもの辛さで物凄いことになって、水を飲むとよけいにその辛さが増す・・・その名も「カラナンバン」。

姿かたちは「シシトウ」ソックリだから直ぐに騙される。
村の人は、仲良くなってこの人ならそういう悪さをしても問題ないと思った人には、このような村の洗礼を浴びせる習慣があるらしい。

可愛いウサギを檻に入れ飼っているらしいので、タンポポを取ってきて食べさせてやっていたが、ある日突然檻から消えた。
どうも飼い主の爺さんが食べてしまったらしい。

寒村であったから、タンパク質補給には欠かせなかったのだろうことから、習慣となって受け継がれてきたのだろう。

家にお邪魔すると必ず熊の敷皮がある。
熊も鹿もイノシシも鳥類も食料としていたから、昔からジビエ料理をやっていたことになる。

別の集まりだったが、まさか狸まで料理して食べることになるとは・・・・
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by noanoa1970 | 2008-07-21 12:37 | 田舎で遊ぶ | Comments(3)