「ほっ」と。キャンペーン

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シバの夢を見た。
車に乗せて、木曾谷のとある町を走っている。
走る車の窓から、シバが身を乗り出した瞬間、そのまま地面に落ちそうになったが、間一髪で、胴環と首輪両方に付けた綱によって、車の外にぶら下がる格好となった。

小生が綱を引っ張るのだが、シバはなかなか上がってこない。
予想を遥かに超えた力で引っ張って、ようやく車の中に引き込むと、シバは「あそこにレモングラスがあったから・・・」と、車の外に出た理由を説明した。

レモングラスは、レモンの味がするハーブで、我が家にもかつては存在したのだが、今は枯れてしまい、今は無くなっている。

シバとレモングラスの結びつきがあるとは、考えにくいが、しかしたいていの場合、夢にはその内容に起因する何かがあるから、この不思議な夢のことを考えてみると、ひとつ思い当たるものが見つかった。

昨夕の散歩遊歩道で、シバは、時々そこに生えている草を食べることがある。
犬が食べるための専門の草というものも、販売されているらしく、どんな犬でもこうした草を食べる行動をするらしい。

どんな草でもいいのかというと、自分の好みが決まっているようで、食べるのは、2種類ほどの名前も知らないような草である。

一つは笹のように葉っぱがスーとしているもので、もう一つは比較的丸い葉っぱのものだ。

昨夕は丸い方の葉っぱを食べたが、そのとき頭の中をめぐったのは、どうせ食べるならハーブ類の中から、好きなものを選択すればいいのに・・・という思いであった。

なにもそう役に立ちそうにも無い、そこらの草よりは、まだ体によいとされる、あるいは太古から薬草として使われるハーブを食べたほうがよいのに・・・などと思ったのだった。

それはその草の生え方と葉の形が、バジルに良く似ていたせいだろう。

それに、事実シバは、家の周りに自然に増えた、レモンバームを一時期好んで食べたことがあり、それらの集合体が、小生にそのようなことを想起させたに違いなかった。

夢で、シバが見つけて追いかけようとしたレモングラスは、レモンバームからの、そして今は枯れて無くなってしまった、レモングラスに対する残像の反映なのか。

よい夢なのかそうでないのか。

でも、車から飛び降りたシバが、間一髪で何とか助かった夢が、夢に終わらないで、正夢のように現実となることを願う、手術前日の一時である。

by noanoa1970 | 2008-06-30 14:49 | 愛犬シバ | Comments(2)

今日のシバ

シバはろくに躾もされてない状態でやってきたから、わがままし放題である。
しかし柴犬の特徴なのか、非常に律儀なところがあり、散歩中以外は、キチンと主人を立てる。

玄関から出るときにも、入るときにも、必ず自分はあとに控え、小生が声をかけるまで絶対に自分から先には進むことなく待っている。

お腹がすくと、物欲しそうにやってくるのだが、いつもキチンと座ってひたすら、小生の顔と動きを見るだけで、泣き声は絶対に立てることが無い。

そのまま放置すれば、30分間ズット小生の顔を見ながら、ただ座っていることもあるが、そういう時はこちらが根負けして、オヤツのビスケットをあげる羽目になる。

オヤツを欲しがるときは、そのようにして、ただひたすら催促の声も出さずに、待つのだが、朝夕の定食時には「ご飯だよ」と声をかけると、ドッグフードが入った大きな入れ物の前までやってきて、そこから小分けして、自分の食器にそれが分けられるのを観察し、「ヨシ」の声がかかるまで、嬉しい表現の時の声を発しながら待つ。

こうした、散歩中の自由奔放な行動と、家の中での律儀さのギャップがシバの魅力の一つでもある。

病院から帰ってからの、いつもとは違うわれわれの様子を敏感に察したのか、なんだか普段と違い、どことなくおとなしく感じるのは、小生の思い過ごしであろうか。

触ってみると、細胞腫が少し大きくなってきたようで、手術の日までが心配だが、食欲も充分、今朝は激しい雨の中、嫌がりもせずに散歩に向かった。

今の様子だけを見ていると、とても重篤な病気を持つとは考えられない。

今日のシバは、時々見せる「猫」のような仕草を散々した。
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by noanoa1970 | 2008-06-29 15:41 | 愛犬シバ | Comments(1)

シバ

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昨日のことが夢であって欲しいと願って目覚めた朝だが、期待に反し、やはり現実そのものであった。

息子からは早速動物放射線治療の権威のサイトの紹介メールが届き、MIXIやブログの友から、励ましのお便りをいただき、こんなときこそインターネットのありがたみが身にしみる。

シバの右肩付け根は、針検で傷がついたところが痒くなったのか、夜中に足で掻き、血で赤く染まっていた。(血の赤を見て、昨日のことが、夢なんかじゃなく、悲しいかな現実であることを再認識した)

シバの食欲は、それでも全く衰えないようで、キチンと伏せをして、ひたすら食事を待っている。

それで、いつもよりほんの少しだけだが、量を増やしてやった。


思えば東大阪にシバを迎えに行ったのが2001年5月。

急に犬が欲しくなって、方々のペットショップを覗きに行ったのだが、どうせなら話に聞く「里親」のほうがよいとの思いで、ネットを探し回ってようやく行き着いたのが、あるボランティアのところ。

犬種は「柴犬」と、それだけは決めていたので、里親募集を見つけたときには、嬉しくて小躍りするほどであった。

しかし、そのボランティアの人は、恐らく今までの悪い経験からであろう・・・応募に当たって飼い主たるものが、犬の面倒をキチンと見れる人物なのかを、気にしていて、小生のプロフィール、家族全員と家の写真をメールに添付して送れという。

特に純血種の犬は、里親としてボランティア団体から譲り受けたものを、転売するような輩がいるそうだ。

どれだけ応募があったのかは分からないが、とにかくすぐに必用なものを揃えて送ると、しばらくして、「里親は、貴方に決定しました」とメールが来て、やり取りの後、引き取りに行ったのであった。

条件は「家の中で飼う事」であったが、何故?という疑問はあったが、問題は無い。

受け取り先に指定された、東大阪の花園ラグビー場のある公園は、ちょうど5月のお祭りの催しをやっていて、犬の愛護団体の人たちが、多くの犬を連れて里親探しをしていた。

打ち合わせの電話で、その前で待つようにいわれたので、その場所に行き、目指す相手を探すと、団体の人はなにやら連絡を取っていたようで、目指す相手はここではなく、もう一つ先の公園の駐車場にいるから、そこに行けという。

後で分かったのだが、その人はとても慎重な人で、ネットでのやり取りが本当なのか、(恐らく過去に苦い経験をしたためであろう)里親として本当に適当な人物かを判断するために、ワンクッションを置いて確認したのだった。

当初は、このような疑い深さに、少し腹も立ったが、しかし本当に犬を愛する人ならば、このように慎重になるのは、当然だとの思いのほうが遥かに優先したのだった。

シバは車の中にいて、ボランティアの人が外に出し、首輪をつけ綱を小生に渡すが、何か焦っているようで、なりふりかまわずに、ある方向に突進しだし、近くにある草むらで長い間小用を足したのだった。

慣れるために、30分ほど歩いき、小生が車を止めた別の駐車場まで行く間に、シバの素性などを聞いた。

柴犬のシバは、当時は芝居犬:シバイイヌ≒シバイヌという名前で、関西では有名な、その女性主催者の名前は誰でも知っているであろう、ある新喜劇団体の楽屋で飼われていたが、その団体が廃業となり、その結果シバも1歳半で保健所に行くことになったが、保健所の担当から、あまりによさそうな犬なので、誰か引き取る人がいるだろうから、といってその人が所属するボランティア団体に連絡が入ったという。

このような捨てられ犬は、他にも多くいるだろうが、純血種と雑種では明らかにその後の運命の差があるようで、とにかくシバはもう少しで命をなくすところを免れて、縁あって、小生の元にやってきたのだった。

楽屋で飼われていたせいなのか、躾がなってなく、わがままし放題のところは有り、犬というよりその性格は、猫に近く独立心旺盛で、決して人間に媚びることが無い。

お手だけは・・・食べ物を持っているときだけするが、何も持って無いときには絶対お手はしない。
まして「伏せ」は出来なかったから、手取り足取り教えると、すぐさま覚えて食べ物をもらうときには、必ずするようになった姿を見て驚くばかりであった。

しかし、いまだに直らないというか、躾が出来ないのが、散歩中人間より先に歩こうとし、アチコチ左右、縦横無尽に道路を歩くことと、他の犬に会うと必ず吼えることである。

多くの人間に始終囲まれて育ち、食べ物飲み物も人間の食べるもの何でも、もらっていたのだろうと思えるほど、食に対しては貪欲で何でも来い。

コーヒーでもお茶でも、幕の内弁当に入っているものは特に好きそうである。
通常どんな犬でも、飲ませるのに苦労するというヒラリアの薬でも、錠剤だけにして与えても、平気で食べてしまう。

物凄く臆病なくせに、雷が鳴ってもビクともしない。

音楽が好きなのだろうか、小生が音楽を聴いていると、必ずスピーカーの前に来てジット耳をそばだて、時には音楽に反応して遠吠えを連続して発することがある。

ここ最近は、草むらで動く「トカゲ」に凄く反応し、見つけると血相を変えて反応し、突進することが多くなった。

バイクの音や子供が靴の音をバタバタさせて走るのにも凄く反応する。

車に乗せて少し走ると、振動のせいか、尿意をももよおすらしく、激しく泣くので、当初はそれと気がつかないで長時間走ってしまったが、それでも我慢をしていたらしく、車から降ろすと、30秒も用を足すのだった。

こんなことなどが今、頭の中を駆け巡り、昨日の朝まであれほど聞いていた音楽も、今はもう聴けない状態である。

大好きな音楽も、こんなときは慰めにもならない。

シバが早く全快し、早くモーツァルト・・・いや、最もよく反応するコンヴィチュニーのブルックナーの4番の交響曲「ロマンティーク」と、ピンクフロイドの「原子心母」を一緒に聞きたいものだ。

今は、その日が来ることを、ただ願うばかりである。

by noanoa1970 | 2008-06-28 11:46 | 愛犬シバ | Comments(0)

終に・・・・・

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そのことを気づいたのは、1ヶ月前のこと。
愛犬「シバ」の右肩付近に出来た小さなシコリ。
直径1センチほどのものである。

触った感触は少し硬く、脂肪の塊だといいと思いながら、今日までそのままにしておいた。

シバの様子はいつもとなんら変わることはなく、食欲も旺盛だったから、放っておけば自然に治ると、勝手に思っていたのだった。

しかしそのシコリは大きくも小さくもならずに、依然としてその場所から消えることがなかったから、思い切って獣医に連れて行くことにした。

シバは獣医が大嫌いで、5月いつもの狂犬病、ジフテリア検査でその道を行こうとすると、必ず「行きたくない」とばかりにさかんに鳴き声を発する。

病院について、痛がるシバを抱きかかえて診察室に入り、シコリを触診してもらうと、獣医は細胞検査をするといい、シバのシコリに針をさして細胞を採取した。

試薬を加えて、顕微鏡で検査した結果、予想もしないことが告げられた。

「細胞の色が紫色に変化しました・・肥満細胞腫の疑いがあります。」

なに・・・肥満細胞腫、そんなにも太ってないのに・・・散歩の尾時間を延長する必要があるかと思いながら、獣医の話をまとめて解釈すると、初めて聞く病名であるが、どうやら悪性腫瘍:「ガン」であるらしい。

獣医は女性だったせいなのか、飼い主を慮り、決して悪性腫瘍や癌だとは言わないので、肥満細胞腫と最初告げられたときは、一安心をしかかってしまったので、後で知ったときの衝撃、それは相当強いものであった。

治療方法は現在のところ、確実といわれるものは無く、先ずは早期発見、早期摘出手術があるのみで、しかもかなり広く・・周囲3センチ、深さも3センチという摘出が必要であるらしいことが分かった。

摘出手術出来るか否かを確認するため、レントゲンと血液検査をし、ガンの転移がない状態であれば、全身麻酔により手術を行うが、どうしますと聞く。

シバは今8歳だが、少なくとも後5年、長生きであれば7年は生きる。
中には20年も生きる犬もいるから、このまま放置し、死に至らしめることが論外なことは明らかだ。

このまま何もせずに放置すれば、ガンが全身に広がる可能性が有る。
稀に広がらないこともあるらしいが、そんなものはリスクの大きすぎる賭けにしか過ぎない。

返事の前に自分で、この病気について調べてみようとも思ったが、一刻も早い摘出手術が望ましいのだろうと考え、すぐに返事をした。

レントゲンと血液検査の結果では、転移の兆候は認められなかったが、ごく小のガンの転移までは発見が難しいらしい。

帰宅し、ネットでしらべると、とても厄介な病気であるのだという。

今の今まで自分の愛犬が癌になる・・・そんなことは思いもしなかったし、いたって元気そのもので、すれ違う人からは口々に、「若くて元気がいい」などといわれ、殆どが半分以下の年齢に見まがう。
現に今日の獣医もシバをみて「確か4歳でしたね」などと、外見を見ていうぐらいであった。

しかし元気で若そう・・・これは癌の転移や進行が早いということだとも考えておく必要はありそうだから、気持ちの整理は難しい。

こんなに元気で、食欲も人一倍旺盛な愛犬が・・・・
折角の梅雨の晴れ間なのに、心の中はいっぺんに薄暗くなってしまい、食欲もなくなってしまい、めったに行くことの無いドーナッツショップで、コーヒーを飲むこととなった。

店には小さな子供連れの、若いお母さん達が大勢いて、決して小さくない声で談笑し、子供達はそこらじゅう駆け回る。

今日ほど、そんな子供達と母親の姿が羨ましく思ったことは無い。

今はまだそんな兆候は微塵も無いが、最悪の時は術後再発し、数ヶ月の命だとインターネットでしらべて分かった。

癌の進行状態は、摘出後の生体検査でグレードが判明し、そのグレードにもよるのだろうが、いずれもはかばかしいものは無いようだ。

何とか癌の進行が遅く、転移してないことを願うのみだ。

手術は7月1日に実施する。
全身麻酔だから手術中の痛みは無いだろうが、麻酔が覚めたときの痛みは相当なものがあると考えられる。

シバは結構我慢強い犬だそうで、去勢の手術後の抜歯のときにも、鳴き声一つ立てなかったから獣医を驚かせたほど。

シバよ頑張れ!!
最低でも後5年は、生きて欲しい。

こんなとき、飼い主は何もしてやれない・・・
全てがよい方向に行くことを、ひたすら願うのみだ。

by noanoa1970 | 2008-06-27 17:40 | 愛犬シバ | Comments(4)

散歩中耳にした若い主婦たちの会話から・・・

愛犬シバと自分自身のため、
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小生は毎日の朝夕の散歩を欠かしたことが無い。
シバが我が家に来て、かれこれ7年になるが、いまや日課となってしまっている。

当の犬本人は、「散歩に行くよ」:と声をかけると、ご主人様の前に来て、散歩用の綱を付けやすい、ドンピシャの位置で待機するようになった。

散歩のコースは大まかに2通りあり、朝は付近にある里山近くを回り住宅地を抜けて帰るコース、夕方は住宅地の中にある遊歩道を抜け、公園を回って帰るコースだ。

シバは面白いことに、朝夕のコースを認識しているようで、玄関を出ると朝は左方面に、夕方は右方面に向かおうとする。

何度か朝夕のコースを逆にしたことがあったが、そのときでも夕方は、朝とは逆の方向に行こうとするのである。

どうやら同じコースを行くことを「良し」とはしていないようで、犬には犬の思いがあることが分かって、なんだか嬉しい気分になるときがある。

で、今朝はいつもどおりのコースで、里山から住宅の中を通っての帰り際、道路の反対に、幼稚園の子供をバスに乗せた後だろうか、数人の若き主婦が立ち話をしている。

シバは用を足すために、そこらじゅうの立ち木により、滞留するから、そしてどうしても2里以上の立ち話は往々にして大きな毛となるようであるから、彼女達の話す声が聞くとは無しに耳に入ってくる。

話題はどうやらパンを作ろうと思って無塩バターを探したのだが、どこにもないので、仕方なく、無塩マーダリンを買ってきて作ったということのようである。

スーパーからバターがなくなったという話は、ニュースでも取り上げていて、小生も大手スーパーの食品売り場を見たことがあるが、やはりバターは、缶入りの高級品が少し置いてあるだけで、四角いカミの容器のものは一切入荷して無い様であった。

なるほど無塩バターの代わりに、無塩マーガリン・・・なかなかやるものだ等と感心していると、話は発展し、バター不足のことに及ばないで、有塩バターで作ってもチャント美味しいパンが出来る・・・などという話になった。

主婦A「塩の量だけの問題だから、少し塩分を減らしておけばいいのよ」
主婦B「なんだ、そんなことでいいの」
主婦C「それなら、ワザワザ無理をして無塩バターを探さなくてもいいわね」
主婦A「そうよ、塩加減さえ注意すればいいのよ」
主婦A「無塩バターのときと、全く変わらないものが出来るわよ」

道路の反対にいても、よく聞こえるような声高に、彼女たちは会話してた。
彼女達の子供は、お母さんが手作りしたパンを食べられて、幸せでいいな・・・創刊汁と共に、彼女達一体、パンに無塩バターを使う本当の理由をご存じないのだろうか、彼女達の作ったパン、かなり硬いんじゃなかろうかナドと、いらぬ心配をしてしまった。

パン作りを基本どおりに覚えた方ならご存知だろうが、パンを作りの工程は
小麦粉に水を加えて練る作業から始まる。

そのとき食塩を入れるのだが、それはイースト菌の過醗酵を抑える目的と、
小麦粉からグルテンを効果的に引き出す為のもの。
さらに無塩バターを加えてさらに練り込み、醗酵に進む。

このとき有塩バターを使うと、2つ問題が出る、その1つは塩加減が重なり塩分調整が難しくなるということ。
さらに過食塩は、醗酵が進みにくく、とても硬いパンになりやすいから、より発酵をしやすいようにイースト菌にわざわざ砂糖を加えるわけなのだ。

だから、無塩バターを使うのが基本中の基本であるのだが、残念なことにこの主婦A、塩加減にばかり目がいっていて、肝心の発酵にまで、知恵が回らなかったようである。

同じことを小生も試したことがあるが、やはり発酵が芳しくなく、キチンと発酵が進まないから、パンが少し固く仕上がり、重くなってしまう。

でも、まあ家庭で作ることで、しかも最近の若い主婦にしては、子供のためにパンを焼くということだけでも、立派であると、小生はほめてあげたい気持ちになった。

そのうち子供が「お母さんこのパン少し固い・・・」などというようになれば、そこで気づくのかもしれない。

しかし今では無塩有塩にかかわらず、バターがないのだから、バターの香りたつ美味しいパン。
どう頑張っても作れない状況だ。

農政の失敗という評価がされるが、これは何も牛乳だけに限らない。
牛乳を大量に廃棄したニュースは、まだ生々しく残像としてあるくらいなのに、今度はバターのみならず、牛乳までもが不足するというから、減反政策の見通しの甘さといい、牛乳といい農政の欠陥はどうしようもない。

いったん「減」したものを復帰させるには、相当の力量と年月がかかることぐらい、素人でもすぐに考えられることなのに・・・

人口増加あるいは高齢長寿化と食料機器による国家存亡の危機は、地球温暖化等の悪害より深刻で卑近な問題をはらんでいる。

にもかかわらず、なんら対策が取れないのでは、つまるところ映画「ソイレント・グリーン」が、実感として現実性を帯びてきたこのごろである。

by noanoa1970 | 2008-06-25 11:43 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

カートリッジ針圧調整の裏方

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1975年、テクニクスから発売されたスタイラスプレッシャーゲージSH-50P1は、今でも現役である。
このオーディオアクセサリー機器は、かつてSME3009INPというトーンアームにシュアーのV15TYPEⅡを取り付け、軽い針圧・・・1gで使用するため、測定用に購入したもの。

0.5gの錘が付属していて、先ずそれで針の位置が正しく0.5を示すかを実験し、誤差をなくすよう調整してから、実際にカートリッジの針圧を測定するもの。

それまで発売されていたシーソータイプの、目分量による計測道具と異なり、使っていて安心感がある。

今回もこの道具でDL103の針圧を0.1g単位で変化させることが可能となった。

しょっちゅう使う機械ではないが、いざというときには、アナログオーディオ愛好家にとっては、必要不可欠である、調性能力を発揮する貴重な存在である。

30年以上の長きにわたっても壊れないところがまた凄いところ。

今回カートリッジとアームの微調整作業に、大いに貢献したので、改めて感謝。

by noanoa1970 | 2008-06-24 10:35 | オーディオ | Comments(0)

カートリッジ、アーム調整最終確認作業

1週間かけて調整してきた、レコードプレーヤー:カートリッジとトーンアームの調整がようやく終わり、ほぼ満足する音が得られることとなった。

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新旧いろいろなレコードを聞いて試してきたが、最後の仕上げにと、本日取り出したのが、チャイコフスキー:大序曲「1812年」作品49/ベートーベン:ウェリントンの勝利・作品91/チャイコフスキー:スラヴ行進曲・作品31/ロリン・マゼール指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団

いずれも「戦争」に関係する音楽で、この録音では、本物の大砲やマスケット銃の音が使われているという触れ込み宣伝があったレコードである。

当時はまだベートーヴェンの秘曲的存在であった「ウエリントンの勝利」を聞きたいところもあって、輸入盤を購入した。

CBSマスターワークスとして発売された、1981年6月ムジーク・フェライン・ザール、ヴィーンでの録音である。

チャイコフスキーの序曲1812年の冒頭の女性コーラスが、それまで聞いてきた録音での、弦楽器によるアンサンブルとは違って、物凄く新鮮で、神々しく聞こえた思い出があるが、購入後2.3度聞いただけで、後は棚の奥に眠りっぱなしになっていたのだった。

このレコードを何故取り出してきたかというと、その理由は2つあり、そのひとつが初期のデジタル録音であること。
もう一つが、本物の大砲や銃やドラ、太鼓、鐘などの音が、物凄いダイナミックレンジで録音されれいて、調整が上手く行ってない装置では、針飛び起こしたり、音が歪んだりして、決して上手く再生できないからである。

エラートの1983年のデジタル録音では、無残な経験をしていたので、同じ頃の違うレーベルで、初期デジタルの録音成果を確認しても見ようと思い立ってのことであった。

録音装置の差なのか、録音技術者の差か、マスターリング技術の差か、プロデューサーの耳の質のせいか、カッティングマシーンや盤のプレスに起因するものなのか、演奏者に依存する問題なのか、ほぼ同じ時期のデジタル録音で、このように歴然とした差が有ることに、改めて驚いてしまう結果となった。

初期デジタル録音であるが故に、殆ど期待していなかったVPOの、あの柔らかい弦の音が、それぞれの楽器パートの音とともに、そして収録曲では重要な位置を占めるであろう、打楽器の明瞭な音の間に、緻密な響きを伴って塗り込まれている。

初期デジタルとしては、恐らく出色の出来栄えの録音であろう。

さて問題の大砲がドカーンドカーン、銃がパンパン、太鼓がドンドンズシズシと鳴り響くところの再現性はなんら問題なくクリアーしてくれた。

これもカートリッジの針圧2.6、トーンアームのオイルダンプ量を、今までよりやや少なめに調整した成果であろう。

アナログのオーディオ機械の調整は、いつでも試行錯誤。
頼りはマニュアルなんかではなく、頼りがいのなさそうな、自分の耳だけである。
いろいろやっても、まだまだ決まりきれないところに、人生そのもののようなところがあって、苦労のしどうしであるが、それがまた面白いのである。

ヘッドアンプも、一瞬いいと思ったYAMAHAから、三度アキュフェーズに戻し、やはりこれで当分行くことを決めた今日この頃である。

by noanoa1970 | 2008-06-23 10:56 | オーディオ | Comments(0)

JR東日本新幹線社内誌トランヴェール

d0063263_11175545.jpg先日息子が帰宅したとき、新幹線の社内誌として無料配布されたという雑誌「トランヴェール」をもらった。

まさかグリーン車に・・・というと、最近は普通車でも、この雑誌のサービスがあり、
JAZZの特集だったから、もらってきたというのだった。

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特集:「東北、ジャズに酔う旅」とタイトルのある表紙には、アナログレコードプレーヤーとポアノ、ベース、バックにはトランペット、トロンボーンのイラストらしきものが書かれていて、いかにも・・・という雰囲気をかもし出している。

この雑誌を見たのが、仙台の大地震の直後で、一ノ関の「ベイシー」は大丈夫だろうかと、新潟の先輩Kさんと電話で話して、間もないときであったから、まだ一度も訪問していない「ベイシー」が地震の被害に遭遇してないことを願いつつ、その雑誌を見た。

JR東日本発行の雑誌・・・昔のJRでは到底考えられないような、まるで「スウィンジャーナル」の特集を見ているようで、大衆性と、マニアックなところが上手く共存するその内容に、感動すら覚えたものだった。

「トランヴェール」は仏語からとったものだろうか、さすれば「緑色の旅」という意味となる。

「緑」は、美しいものの象徴であると共に、未知、魔物の象徴であるから、旅は病み付きとなる魔物のような存在でも有る。
誰が命名したかは知らないが、意味深長なネーミングだ。

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ナベサダとベイシーのオーナーで、JAZZファンなら誰でもその名を知っている菅原さんが対談した記事があった。

余談であるが、今度の地震で亡くなった方やその親戚筋に「菅原」性を見ることになってしまったが、東北のこのあたりには菅原姓が多いのだろうか。

対談の中で面白いことを言っていて、そのことは小生が常々感じていたことと同じであったから、思わず膝を打ってしまった。

それは演奏時の手拍子のことである。
クラシックでもおきまりのように、J・シュトラウスのポルカ等で、観客の手拍子が聞こえることがあるが、殆どはそれが最後まで続いたのを見たことも、聞いたことも無い。
観客のリズムと指揮者・演奏家のリズムは微妙にずれるから、合わなくなって途中で屋根ざるを得ないのである。

分かっていても手拍子をすることがマナーだと勘違いしているやからはまだまだ多い。

クラシックでも手拍子は難しいのだから、JAZZのようなアゴーギグだらけの演奏での拍手は、単に難しいばかりでなく、演奏者のリズムを大いに狂わすことになろう。
決して一定のリズムで演奏するわけではないから、よほどの鍛錬者以外は、音楽とのリズムが狂って当然だ。

だから手拍子はやめて、拍手だけにしておけばいいのに・・・・
演奏者にも、観客にも迷惑なときがあるから。

以前から小生はそう思っていて、手拍子は絶対に、拍手でさえ気に入った演奏でなければ、しないことにしていたのだった。

対談でナベサダは、婉曲な表現ではあるが、そのことについて語っている。
プロなら手拍子などに惑わされずに演奏すべき・・・などという意見もあると思うが、狭い会場で全員が手拍子を・・・しかもリズムずれの・・・する中で、まっとうな音楽をやれというほうが無理というものだろう。

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話は変わるが、この雑誌のガイドを見ると、東北地方、特に岩手県には中心都市を凌駕するようなこだわりと、雰囲気と、オ-ディオ装置、それに大量のソース・・主にレコードを伴った、JAZZ喫茶があり、しかもその数が少なくないことに気がつき、その理由はなんだろうかと考えてみた。

恐らくその答えの一つは、コンサートホールが見j皮下に少ない。
交通の便が不自由。
したがって生の演奏を総簡単に聞ける環境ではなかった。
音楽喫茶とは、もともとは、音楽が好きだけど、いろいろな事情で好きなときにすぐ音楽に親しむことができない、人たちのために出来てきたもの。

都会の音楽喫茶でも、もともとは同じ発想であったが、今では、時間と金とその気があれば、好きなときにライブ演奏が楽しめる都会と、その機械が全く均等ではない地方との格差が広がって、いまでも地方に、物凄い音楽喫茶が生き残っているのだろう。

そしてそのような音楽喫茶は、演奏者達の巡業の場の存在価値を有し、情報発信のコミュニティの働きもして、連綿と生命を維持し続けてきたのだろう。

偶然だが、昨日ブログにUPした、南部鉄器の町、岩手県水沢の「Half Note」という店も掲載されている。
LP保有数20000枚というから、膨大なアーカイブ。

東北岩手は、昔からJAZZ喫茶の宝庫だったのだろうか。

今度の地震で大きな被害にあってないことを祈りつつ、近いうちに、みちのくJAZZ喫茶探訪と蕎麦を味わう旅をしたいと思っている。
  

by noanoa1970 | 2008-06-22 11:24 | トピックス | Comments(4)

岩手水沢・南部鉄器角型すき焼き鍋・・・50年前の

調整してきたレコードプレーヤーが、何とか最上の状態となったので、棚から出した物を整理していると、「民芸」という雑誌があり、何気なくパラパラとページをめくっていると、思いがけないものを発見した。

d0063263_12274812.jpgこの雑誌は昭和29年3月31日の出版で、手に取ったものは、昭和32年1月1日発行となってる。

毎月1日に発行すると表記されていて、今から50年以上も前の古い雑誌である。

定価は50円である。

大正末期、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎 、富本憲吉 、バーナード・リーチ などによる民芸運動のリバイバルなのか、戦後ようやく庶民の生活が楽になってきたせいなのか、このような雑誌が刊行されたことは、ある種驚きでもある。

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雑誌の終わりのほうに、今で言うところの「通信販売」コーナーがあり、「たくみ案内」頒布会という名前が付けられた、それには第1回頒布会出品の「浜田庄司」の湯飲みが大盛況であったこと、そして予定をはるかに上回る応募があって、品物が品物だけに、到底増産は不可能で迷惑をかけたことのお詫びと、今回頒布が出来なかった方のため、「芹沢鮭介」作の四季カレンダーを、第1回頒布会の延長作品として提供することが書かれていた。

頒布品で「浜田庄司」、「芹沢鮭介」を出品するなど、今では到底考えられない、贅沢なことであるが、当時はそのようなことがお互いに許されたいい時代であったのだろう。

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さらに、第2回頒布会のお知らせとして、今回の話題の品の宣伝がついていて、それは我が家に2個伝わっていて、少人数のスキヤキには必ず登場するものであった。

岩手県水沢製の「スキヤキ鍋」と銘打たれたその頒布品、角型で取っ手がついていて、肉厚の南部鉄器で出来た、見た目も美しい鍋である。

取っ手はスライドさせ、取り外し可能、角型であるが内部にはRがやんわりと付けられ、いかにも手工芸作品の風格がある。
これでスキヤキをすると、これがとんでもなく美味しいのだ。

小生の好きなスキヤキのスタイルは、魯山人」風。
長ネギを3センチほどに切り、肉の入る余地を残し、鍋に立てにぎっしり並べる。
砂糖は使わずに、醤油と酒だけで味を調えるもの。

学生時代のスキヤキコンパ・・・京都の「いろは」というスキヤキ専門店でやるのだが、それぞれの出身地でスキヤキのやり方が大きく違い、同じテーブルに着こうものなら、もう少しでけんかになりそうな場面をいくつか見てきたこともあった。

スキヤキも地方やその家庭で、やり方が大幅に違うのは面白い現象である。

またスキヤキ専門店でもやり方は千差万別。
このあたり詳細に調べると面白いであろうが、今後の課題としよう。

魯山人風のスキヤキなどは当時は誰も知らないことで、こんなやり方を強行したら、きっと総すかんを食ったことであろうが、小生がこのやり方を学んだのは、かなり後の話し、白沙村荘でのこと。

それまでは本当に適当に、醤油、砂糖、水を使い、せいぜいヘッドで最初に肉を焼くのであるが、その肉がなくなって追加するときには、そのまま生肉を入れるのはなぜかと少しだけ疑問を呈しながらも、食欲が勝っていた年代だったから、さほど深く追及することなく過ぎてきたのだった。

魯山人風すき焼きをやるのにテーブルに並ぶのは、一升瓶と醤油。
砂糖がないようだから台所に取りに行きます・・というと、ここでは砂糖は使わないといわれ驚いたものだった。

このやり方が一番おいしいから・・・といわれ、見ていると、ダイナミックに肉、ネギ、しらたき、豆腐(焼きではない)、春菊を大量に入れた、大きな鉄鍋の上から一升瓶の酒を大胆に注ぐ。

酒が煮詰まってきて、少しテリが出てきた頃、醤油をくわえて一煮たち。

スキヤキきにつき物の卵はナシで、そのまま、薄口で、酒で甘みが出た肉や野菜をたらふく食べるのであった。

味が薄いが材料の味がよく出る、それは美味しい体験で、それ以来小生はこのやり方に、魯山人の伝記で知ったスキヤキのやり方を加え・・というか差し引きして、今日に至るのだ。

d0063263_12302761.jpg雑誌「民芸」の頒布品が、2セットあるのは、京都の義父が、自ら注文したものか、どなたかから頂いたものか、今となっては分からない。

当初ついていた木の蓋は、今はもうないが、錆び一つでずに、今でも立派な現役で、大変重宝している。

結婚を期に、息子にその一つを渡してあるが、どうやらそれを使った形跡は、今のところ無い。

このようなものを愛でるようになるには、後少なくとも10年はかかることだろう。

スキヤキは冬のものと思われているようだが、夏のスキヤキもいいものである。

映画「異邦人との夏」は、地下鉄を上がると浅草の文字が、生まれ育った浅草が懐かしく道をたどると、そこは昔の浅草があって、ある夏の日突然のようにして、亡き両親と再会し、短いひと夏を過す物語。

その映画の中で、両親と一緒にスキヤキを食べるシーンがあって、夏のスキヤキもいいものだと思うようになったものでした。

山田太一・大林宣彦のコンビ作品で、片岡鶴太郎と秋吉久美子 が両親役、風間杜夫が息子役、その恋人役で実は幽霊の名取裕子が出演する、下町の情緒の中の郷愁感が漂う映画でした。

雑誌「民芸」から映画へと、話は発展したが、雑誌「民芸」には内容は勿論、広告宣伝に、目を見張るべき優れたデザインのものが多いので、紹介することにした。

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東京の老舗洋食屋「たいめいけん」、京都の老舗民芸店「やまと民芸」、松本の和菓子「開運堂」、神戸の鰻や「竹葉亭」などなど・・・・すばらしいデザイン広告が掲載されている。

by noanoa1970 | 2008-06-21 12:07 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

新しいものがよいとは限らない

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ここに2つのレコードがある。
演奏者はジャン・フランソワ・パイヤールが率いるパイヤール室内管弦楽団が、バロック音楽を演奏したものだ。

両方共に、今はジャンルにかかわらず誰でもご存知の「パッフェルベル」の「カノン」が収録されている。

その一つ旧盤は、モーリス・アンドレ、ピエール・ピエルロ、ジャック・ジャンボンという管楽器の名手と共に、録音された恐らくは1960年代半ばの録音。
もう一つの新盤は、ジェラール・ジャリ、ギト・トゥーブロンを加えた1983年のエラート創立30周年を記念してデジタル録音された重量盤のレコードである。

旧盤を長く聞いてきてなんら不満は無かったが、「重量盤」、「デジタル最新録音」という触れ込みの誘惑に負けて購入したのだった。

旧盤の弦が重なりながら展開するPPからFFまでの見事なパイヤールの棒さばきと、それぞれのパートの弦の音色の違いが鮮明に浮き出てきて、この録音は恐らくエラートの中でも出色の出来ではないかと思えるほどであった。

全合奏時にも決してにごらない録音は、そうやすやすとは無い。
ワンポイントマイク録音だろうと思われる、その技術水準の高さ、録音エンジニアの質の高さには、これが60年代の録音であること忘れさせ、聞くたびいつも驚くのである。

新録音盤は、それを超える・・・そう見込んで購入したのだったが、その音色は醜いものであった。

当初は、装置のせいだと思い、アレコレやってみたが、いままで一度も満足する音を発したことがないという、奇妙で珍しいレコード。

何が30周年記念だ、何がデジタル最新録音だ。何が重量盤だ。

おまけに、この録音でのパイヤールの演奏がまたひどい。
旧録音に比べると、明らかに静から動へと展開していく、あのエネルギーが感じられないのだ。

旧録音のコーダ部分では、心臓が思わず高鳴るような高揚感が味わえるのに、新録音では、それが全く無い。(弦中心の室内楽団で、そのように心が高ぶる録音は、めったにないものだ)

新録音は、まるで高域と低域を圧縮したような、実に醜い録音であることが、今回改めた装置でもハッキリしたのだった。

デジタル初期の録音のレコードは、とんでもない物が多いことは経験上明らかなことでもあるが、ここまで音楽になってない録音をリリースした神経に、それまで美しい録音の代名詞的な「エラート」のイメージが、もろくも崩れ去ったのを実感してしまった。

二十年たてば、恐らく経営戦略も技術者も、顔ぶれが変化するであろうから、ある意味致し方ないのだろうが、それまで培ってきた大事な遺産を捨て去るような、享受者をバカにしたような商品戦略展開は、やがて身を滅ぼすことになろう。(と、強く思ったものだった)

したがって小生は、これらの醜い経験から、デジタル録音したものをレコードでは聞かないことに決め、デジタル録音されたものは、CDで我慢することを守るようにしている。

またボーカルは、出来るだけアナログレコードで聞くというのも、経験上の知恵となった。

ただし古い録音はレコードを探せないものもあり、最近CD復刻が盛んになされても居るし、ここ最近はデジタルマスターリングにも長けてきたようだから、一度過去の初期デジタル録音でレコード化されたものを、期待せずにCD復刻で聞いてみようと思っている。

by noanoa1970 | 2008-06-19 17:01 | クラシック | Comments(2)