山の幸・・・春

d0063263_1891882.jpg
この季節の楽しみは、やはり山菜が豊富に出ることだろう。
山菜の王様など呼ばれて、貴重な存在の「タラの芽」は、どこにでも手に入るが、大抵は栽培物。

昔東京都下の保谷という町に住んだことがあるが、関東ローム層の黒土の畑に、タラがたくさん栽培されているのを見て、至極ガッカリした。

付近の里山に天然のタラは、あるにはあるが、競争率が激しく、小さな芽でも摘み取られてしまう。

また、芽をすべて摘んでしまうという、次の年を考えない人種がいるから、その年でタラは終わってしまう。

小生はかって、長野県南安曇郡奈川村という山間の小さな村で、農業体験をしたことがあった。

農園つきの小屋を借りて、農作物を・・・といっても、ジャガイモ、トウモロコシ、花豆、蕎麦を作っただけであったが・・

村の人と仲良くなって、タラを探しに連れて行ってもらったことが合った。
そこでタラの芽の取り方、美味しい食べ方、遠くからの見分け方、見つけ方を教えてもらったことがあった。

慣れてくると、そこらじゅうに天然のタラは自生していて、天麩羅だけではとても食べきれないほど収穫があった。

d0063263_1895018.jpgさらに教えてもらったのは、「コシアブラ」という山菜。
今までその名前も存在も全く知らなかったもの。

昔からこの植物で、油を採取したという。
だから「漉し油」というとお教えられた。

ただしこの植物は、かなり大きな樹木の新芽で、採取するにはかなり熟練が要るので、小生は村の人が切ってきた枝から、新芽を採取しただけだったが、食べてみると、これがとんでもなく美味しいのであった。

タラとコシアブラ2種類を天麩羅にして同時に提供すれば、十中八九コシアブラに美味しい評価が下ることは間違いない。

天麩羅だけでなく、量が減ってしまうのを、ヨシとしても、和え物ガさらに美味しい。

このような新芽が大きな樹木のものだとは誰も思うまい。
最近になって、ようやくこの山菜が、町の食通にも知られるようになったが、市販されることは先ず無いから、見つけたら絶対入手して損は無い。

栽培は多分不可能だろうから、すべて天然の山菜で、山菜の女王とされることも有るようだ。

今日は、R306を走り、山を越えて桑名→岐阜県上石津→滋賀県多賀→彦根→長浜、というルートで新緑を楽しんだ。

d0063263_18104552.jpg
帰りに伊吹山麓の「コシアブラ」と「ヤマウドの芽」を見つけて、早速入手。

一押しの山菜、ギョウジャニンニクは、標高の加減でこの地方には無いが、「コシアブラ」と「ヤマウドの芽」どちらも小生の好きな山菜である。

今夜からの夕食がとても楽しみだ。

[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-30 18:11 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

古楽三昧

GWが特別の日々でなくなったここ10年。

今年も例に漏れず、何もしないで過すことにした。

「サンデー毎日」という名前で象徴されるような日々を送っていると、この時期を選んで出かけることの、良いことは1つも無い。

それでも、無性にどこかに出かけたくなるときは、結局人気の余り無い、しかも近場を探索することになるが、そんな場所はあるものではない。

先日も、上石津の千寿ボタン園を尋ねたのだが、昔あったはずの案内看板がこのシーズンになっても、取り払われていて、昔の記憶で林道を探し登ったのだが、結局見つからず。

イソップのすっぱい葡萄のように、「運営資金がなくなって、すでに廃園となったのだろう」などと勝手に決めて、往復2時間ただ車に揺られて帰宅したという始末。

目的は果たせなかったが、新緑と、八重の山桜の綺麗なことだけは満足だった。

この季節の特権は、清清しい新緑を走ることでもあると合理化。

帰宅し、ネット検索すると、廃園などにはなってなく、ちゃんと存在しているではないか。

ただし見ごろになってから看板を出すということが書いてあり、しかも小生は1本道を間違えていたことが分かった。

1000株のボタンが咲く光景は、壮観だろうなと、今度の楽しみに。

d0063263_126855.jpg

それで、GWにやることは唯一つ、注文しておいた「ドイツ・ハルモニア・ムンディ設立50周年記念限定BOX 」を聞くこと。

今まで殆ど聴くことのなかった、見知らぬ作曲家達の音楽が、古楽演奏で聞くことが出来る。

1BOX・・・50枚入りだから、相当お付き合いすることが可能だ。

d0063263_1262833.jpg
アトランダムに聞くと順番がわからなくなってしまうから、ここは順番に聞くことにして、聞いたCDを後ろに逆に並べていくことにした。

今ようやくDisc16
カッチーニ:新しい音楽/新しい音楽の書法
・『愛の神よ、何を待つのか?』
・『愛の神よ、我去りゆかん』
・『翼あれば』
・『天にもかほどの光なく』
・『気高き至福の光よ』
・『我は見ん、我が太陽を』
・『ひねもす涙して』
・『いとど優しき溜息の』
・『東の門より』
・『麗しのアマリッリ』
・『憐れみの心動かし』
・『麗しき真紅のばらよ』
・『この苦き涙よ』
・『ああ、戻り来たれ』
・『輝く麗しの瞳もて』
 モンセラート・フィゲーラス(Sp)
 ジョルディ・サヴァール(gamb)
 ホプキンソン・スミス(バロック・ギター&リュート)
 バーゼル・スコラ・カントールム


バロックシャンソンとでもいうような声楽曲。
5月の爽やかな朝にピッタリだ。



[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-29 12:06 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

南蛮幻想ノスタルジー


d0063263_11174081.jpg


d0063263_11123035.jpg

みどりの日・・・これも馴染めなかった呼称だが、それもいつのまにか、昭和の日=昭和天皇誕生日に変わった。

今日はその昭和の日だ。
 
そのような経緯があるのだから、明治天皇の誕生日=「文化の日」も 「明治の日」に変えるのが筋というもの。

文化の日は、ほぼ定着しているようだが、余りにも抽象的な記念日で、実態が捕らえられない。

日本国憲法の発布を「文化」とするのは、いかにも官僚的発想で、とうてい文化的とはいいがたい。

そもそも「文化」を記念するとは、「文化」というものが、なにか日本人の生活や、そこからの所産から、ひどく分離していることを表現するかのようで、気持ちが悪い。
 
またそうなると、大正の日は、7月30日となる。

天皇誕生日を記念日とするのに、大正天皇だけが無いのも、何か納得がいかない。

天皇誕生日を記念することと、天皇制を同一地平線上に置くようなヤボは、辞めたいが、これも致し方ないのだろう。

小生は昭和の人間だから、「昭和の日」といって、さしたる思いも感慨も無いのだが、見知らぬ「明治」「大正」の世界には、なにかノスタルジーを大いに抱く。

そこで取り出したのが、「川上澄生」の版画の本。

1970年代初期の頃、版画本「ゑげれすいろは人物」から題材をとったとみられる、「ヘッポコ先生」シリーズという、ウイスキーのテレビCMで使われていたのを見て、いたく郷愁をそそられたものだった。

「南蛮幻想」は、A5サイズの単行本だが、A4の和紙のような紙を使って、A5に折りたたんで、装丁してある凝った作りとなっている。

仏象徴派詩人研究の平野威馬雄が文章を書いた、1975年2月5日渚書房発行の初版本だ。

この本で、川上と平野は初めて協作した。

文明開化時代の明治の人々が、ある種の憧れと畏怖を持ったであろうと推される、西欧文化。

そして同時に、だんだん遠のいていく運命にある、江戸期の文化・風俗・風習などが、版画という手法によって、・・・だから、余計リアリティを増すように、描かれる。

昭和の日に明治の日をノスタルジックに偲ぶ・・・思いを馳せるのも、決して悪くは無いだろう。

1991年、川上澄生美術館が栃木県鹿沼市に開館されたと聞く。
機会を見つけて一度行ってみたいものだ。

[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-29 11:08 | 歴史 | Comments(0)

幼児期に驚愕したもの

鰻が食べたくなって、鳴海宿・・・東海道:旧1号線沿いにある老舗の「浅野屋」に向かった。(浅野屋のことは、以前のブログに書いたことがあった)

ここの鰻は、沢山の炊飯器を使い、保温などしないシステムを今でも踏襲しているから、三河一色産の新子の鰻の美味しさを引き立ててくれている。

食べきるまでアツアツのご飯だから、今日も大満足。
タレは、少し煮詰まったのか、味を変えたのか、いつもより濃い目で、少し甘みが増していた。

いつもどおり備長炭で焼いている。

食事を終えた後、思いついて、幼児期に育った知多半島の付け根の町、「聚楽園」を尋ねることにした。

小学校2年生間で、小生はこの町で育ったのだ。

現在は東海市となって聚楽園は、名鉄電車の駅と、愛知製鋼、そして新日鉄という巨大鉄鋼会社が進出している。

小生が目指すのは、その名鉄聚楽園駅の、目の前の小高い山腹にある大きな大仏だ。

当時は電車からも、道路からもひときわ目立つように、巨大な大仏が見えたが、車で行った産業道路からはやっとのことで、大仏の頭部が見えただけだった。

50年以上昔のこと、周りの様子はスッカリ様変わりしていて、かなり迷った挙句、駅からの長い坂道の記憶を頼りにたどり着くことが出来た。

d0063263_17421680.jpg
d0063263_17424661.jpg

知る人は少ないと思うが、聚楽園の大仏は、恐らく日本一の高さのある大仏だろう。

奈良の東大寺・・・これは建て屋の中に有るから当然だろうが、像高約11メートルの鎌倉の大仏よりも高く、像高は18.79mある巨大なもの。
ただし鉄筋コンクリート製であるが・・・

小生がこの大仏の傍に初めて行ったのは、5歳ほどの頃。
両親が冠婚葬祭の関係だったか・・・よく覚えてはいないのだが、小生を知り合いに預けてどこかに行ったことがあった。
そのとき預けられた家が、大仏のある小高い山の中腹にあった。

よく陽の当たるガラス障子が、とても印象的だったことをボンヤリ覚えている。

d0063263_17445836.jpg
随分長いこと両親は帰ってこなかったように記憶するが、その間オヤツをもらったりして遊ぶうち、連れられて長い石の階段を登りつめると、そこには不気味な顔をした仁王さんが左右にいて、こちらを睨んでいるようで、こわごわ進むと、ビックリするような巨大な大仏さんが正面にいて、やはりこちらをジット見ていた。
d0063263_17462961.jpg

時々山すそから、その姿を見せることがあった大仏の、余りにもの大きさに、ただ口をあけて見つめるだけであった・・・と思う。


あの時依頼、大仏の山に行くことはなく、やがて名古屋に引越しをするようになって、知多半島に行くことは、ほんの稀なことだったから、電車の中から遠めに見ることは有っても、間じかに見ることは今日までなかったのだった。


周りの様子は様変わりしていて、昔あった池のヘリの料亭らしきものも、「やかん池」といって、よく釣りをしている人がいた池の周囲は、いろいろな施設が充実する、大きな公園となっていた。


昔の痕跡を探すも、跡形もなく、ただ大仏さんだけは、当時のそのままの姿であった。


欲張りついでに、小生が住んでいたところ付近を尋ねたが、当時の面影すらない変貌振りで、全く分からなかったから、それなら「神社」なら今も残っているはずと、周囲を森で囲まれたあたりを探すと、なんとその神社は残っていました。
d0063263_17471734.jpg


野球をし、お堂の周りをカケッコし、相撲を取り、そしてあの忌まわしい、頭を十数針縫うお祭り事件を起こした神社の境内。

周りはスッカリ変わっていたが、神社・・・八幡社はいまだそこに顕在だった。

しかし学校の帰りに、いつもすり抜け通った、神社の横道の向こうにあった池は、埋められていて、新建材の建物ばかりが建っていた。

d0063263_17475622.jpg
神社の階段をすべり落ちた先の「石碑」に頭をぶつけたという記憶は、どうやら違っていて、ぶつけた相手は石灯籠だったようだ。
それらしき古い灯篭が2対、石の階段下にあった。

こうして、50年以上昔の記憶との再開は、「鰻」から始まったのだった。
[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-25 17:48 | 季節の栞 | Comments(2)

パウムガルトナーのハイドン

d0063263_12274663.jpg
103番「太鼓連打」、100番「軍隊」のカップリング。
見事なリマスターで、音の隅々まで見通せる。
優雅で、美しいそして透明感のあるハイドンである。
太鼓連打の出だし太鼓の音は<   >遠くから聞こえてきた太鼓がだんだん近づき、目の前を通り過ぎていく、そんな動きのあるような音作り。

最近流行の・・・まるで「驚愕」Ⅱ楽章のようにドンと大業にぶちかますよな事はやってないところに、パウムガルトナーの、そしてその時代を感じさせる。

どうも最近の演奏の多くに見られるような、太鼓をバンバン鳴らす演奏に、小生は奇異なものを感じてしまうのだが、これはランドンの新解釈によるものを踏襲する演奏が多いためであろう。

ハイドン時代のオーケストラと聴衆の関係は、C.F.ポールによれば、ザロモンのオーケストラは27~32人の弦楽器に管とティンパニが加わって、およそ40人であったと伝えられ、ランドンによれば、オペラ・コンサートのオーケストラは、60人の大編成で木管はクラリネットを含め各4本であったと言われるようだ。

はたしてこの後期交響曲の演奏会が、どのような形式で行われたかは、正確にはわからないが、この時代はいまだ市民革命がなされていないとき。
聴衆の多くは貴族階級、あるいは金持ちの一部の市民であっただろうから、一般大衆が音楽界に参加することはなかったと推される。

比較的小さな会場での演奏会であったろうから、太鼓連打といって、太鼓を冒頭からドンドンやるのはいかがなものか。
いくら「驚愕」で眠る貴婦人をビックリさせるためといっても、それはそれ。

同じようなことを「太鼓連打」に求めようとするのは、いかにも下世話な話である。
音楽的品位が遠のいてしまうように感じるのは小生だけだろうか。
ユーモアだけの人がハイドンではない。


以下のハイドン時代の聴衆についての言及は、楽譜出版の多さと、大衆市民社会の音楽文化への参加について、批判的なことを述べていると思われる。
筆者は、購入された多くの楽譜が、総譜ではなくパート譜であったという事実から、以下のように言及している。

≪ハイドン交響曲の聴衆のほとんどが教養階級であったという推測は出版の多さによって変動するものではないのです。(大崎滋生:「文化としてのシンフォニー」「オーケストラの社会史」「音楽史の形成とメディア」同じく未出版論文「ハイドン同時代の出版」≫

つまり演奏者として楽譜が購入されたことが正しく、後の時代のように、市民社会が今日教養として、趣味としてピアノを習うようになり、楽譜が売れたのとは違い、貴族社会における宮廷音楽家の増加と、一部市民社会において、出現し始めたプロ音楽家について言及したものと思われる。

当時のオケは、貴族が雇う宮廷オケであろうから、やはり数十人程度だったのであろう。
ランドンのいう、60人規模のオペラコンサートにしても、はたして正しいのだろうかという疑問が膨らむのである。

その観点から、小生はここ最近流行の古楽器による古楽奏法を、現在のような広いコンサート会場で演奏することに、いささか懸念を持っている。

またオケの配置に関して、クラシック愛好家の中に存在する両翼配置信奉者は、「左右のバイオリンの音の掛け合い」が特徴的な曲を例に出して、これを絶対視する傾向があることが多いが、これもまた時代背景・・・聴衆、楽器、コンサート会場などの要素を無視した、いわば宗教的とも取れる人が、かっての巨大クラシック掲示板でも存在していた。

パウムガルトナーは、ハイドンにおいても、モーツァルトにおいても、モダン楽器によるモダン奏法で通している。

ただオケの人員は、恐らくは当時の成員に、より近いものを採用して、中規模以下のホールで演奏をしていたと思われるところがある。
事実、残された録音の殆どが、ザルツブルグモーツァルティウム音楽院内のホールである。

パウムガルトナーの音楽は、そのような音楽的環境にも支えられて、より輝きを増し、精彩を放つヴィヴィッドな音楽を与えてくれた。

ハイドンでは、それに優雅さが加わり、気品あふれる演奏が聞こえてくるのである。
[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-23 12:27 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

ブルショルリのベートーヴェン

d0063263_10333819.jpg
彼女は「オルレアンの少女のようにピアノを弾いた」・・・という形容がふさわしいほど、ダイナミックで縦横無尽、魂が揺さぶられ、鼓舞されるような、ベートーヴェンだ。

3番の協奏曲は、トリルとアルペジオが特徴的で、出だしからしてその後の大胆な音楽展開を予感させるダイナミズムあふれる曲である。

いままでかなりの数の演奏を聞いては来たが、ブルッショルリのピアノは、恐れを知らずに敵に向かっていく、女戦闘士のように勇猛果敢であるが、細部には、秘められた「女性」が、やはり見え隠れする。

そのことは、控えめに・・・隠し味のように施される「ルパート」「シンコペーション」からかもし出される、洒落てウイットに富むようなところに現れる。

この録音での、ピアノのタッチそしてトーンの色気を見逃すと、ダイナミックで天才的指使い、まるで男性のような迫力だけで彼女の音楽が評価されてしまいがちだ。

d0063263_10372782.jpg1966年1月14日ハンブルグ・ムジークハレでのライブ録音というから、ブルショルリが来日した年のこと、数年後にルーマニアで交通事故にあって、腕を負傷したことから、第一線からは遠ざかるのだが、それ以前60年代の彼女は、最も音楽的に冴え渡っていたのであろう。

はやる気もちからか、3楽章ではつんのめるところが見受けられるが、そんなことは彼女の音楽全体から見れば、些細なこと、ましてこの録音はライブである。

ライブ演奏の録音で、これだけのことを爽快にやってのけるブルッショルリ・・・こんな女流ピアニストは稀に存在するものではない。

ごく最近になってやっと再評価されて来た感があるが、活動期間の短さと、録音の少なさがたたったのか、当時の音楽評論家たちに、クラシック音楽界における女性差別意識でもあったのか、それとも彼らの耳が悪かったのか、レコード会社の広宣がまずかったのか、ブルショルリの録音の評価は余り良いとは言えなかったようだ。

小生はこの録音の存在も、レコード会社の広告も、評論家の薀蓄も全く見たことも、聞いたことも、・・・その存在すら知らないで居たのであった。

オルレアンの少女ジャンヌを護衛した騎士ジル・ド・レイはペローの「青髭」と同一人物とされるようだが、実は小生、これらのCDと合わせて注文したのが、バルトークの「青髭公の城」ケルテスの古い録音だ。

LPを長く聞いてきたのだが、途中で盤ひっくり返すのに興ざめして、とうとうCDを買いなおした。

バックのヤーノシュ・フェレンチェークとブタペスト国立フィルハーモニー管弦楽団は、オルレアンの少女を援護した騎士、ジル・ド・レイのごとく、気が隼って勇み足になりそうなブルショルリを諌めるように、落ち着いた重心のあるサポートを果たしていて、この人の実力を思い知らされることになった。

このような演奏が、埋もれずに、登場したことに感謝の意を投じなくてはならない。

[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-22 10:28 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

パウムガルトナーのモーツァルト

バウムガルトナーではないパウムガルトナーであることを最初に書いておかねばならない。

何故このことをくどいように言うのかといえば、昔のクラシック音楽掲示板でもそうであったし、最近の大手通販WEBサイトでも、いまだに2人を混同しているのを見かけるからだ。

ルドルフ・バウムガルトナー:Rudolf Baumgartnerは、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団を率いてのバロック音楽が得意な指揮者であり、バッハ、ヴィヴァルディ、パッフェルベルでオールドファンには、おなじみの人。


パウムガルトナー:Bernhard Paumgartnerは、彼よりも20年ほど古い人であるが、1960年当たりに、両者とも・・・バウムガルトナーはルツェルン音楽院、パウムガルトナーは、ザルツブルグモーツァルティウム音楽院を創設して活動したから、同じような経緯があり、名前も似ていることから混同されやすいのだろう。

ベルンハルト・パウムガルトナーは、彼が残した録音によってではなく、カラヤンの先生として、またモーツァルト研究者としてだけの名声が高いのか、はてまた彼の残した録音が少ないせいなのか、その音楽に比して今まで、一部の人意外は、余り高い評価をしてこなかった指揮者である。

小生がこの指揮者の音楽を聴いたのは、1962年のこと。
35番、36番のカップリングで、廉価版の全集に収録されていたのだった。

その全集には当時殆ど無名状態であったが、実力は相当高いと目される人たちの録音が集められていて、アルテュールローター、レオポルド・ルートビッヒ、フリッツ・リーガー、イシュトヴァン・ケルテス、フランツ・コンヴィチュニー、ゲオルグ・ルートビッヒ・ヨッフム、ピエール・デルヴォー、エリク・テンベルク、ヤコブ・ギンペル、アンドレ・ナヴァラ、フリッツ・ブンダーリッヒ
有名どこでは、ウイーンコンツェルトハウス弦楽四重奏団のモーツァルト、ハイドンというものまでがあった。

今ではポピュラーなクラシック音楽の代表を、バロックから近代まで50枚のレコードに収録した全集で、この中に今日取り上げるベルンハルト・パウムガルトナー指揮のザルツブルグ・モーツァルティウム音楽院管弦楽団のハフナーとリンツが収録されていたのだった。

大学生になるまでの間の5年間、小生はこのレコードを聴き続けてきたが、そのうちレコードは廃棄されてしまい、探し続けて40年入手に至ってなかったのだった。

この世界は、最初に見たものを自分の親だと思ってしまう動物の子供のようなところが有って、本当の評価以上の付加価値をどうしても与えてしまうところがあって、それを一概に否定するものではないが、改めてCD復刻版で聞いてみても、矢張りこの演奏は素晴らしい。

d0063263_114416.jpg

心地よい緊張が連続し、音色が明るいモーツァルト。
ノーブルな「トパーズ色の香気」が漂ってくるような心地よい演奏に、小生は35,36,38,41と4曲も続けて聴いてしまったほどだった。

d0063263_11442915.jpg音色が明るいのは、オーケストラのピッチが、今まで聞いてきた現代オーケストラのピッチと違うのかもしれないが、ピリオド楽器のピリオド奏法に依存度の高い今日の演奏事情とは方向性の異なる演奏スタイルを、1960年にパウムガルトナーがモダン楽器のモダン奏法で、これだけの素晴らしいモーツァルトを聞かせたのだから、古楽器古楽奏法信者の諸氏は、パウムガルトナーの演奏を聞くべしであろう。

ペーター・マークのモーツァルトにも素晴らしさを感じたが、この演奏は、「気品」という観点でそれ以上である。

[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-21 11:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

45年ぶりの再会・・ブルショルリのモーツァルト

1962年小生が中学2年生のときに、我が家にやってきたヴィクターのステレオ、小生はそれで、同時期に思い切って父親が購入した、コロムビアから発売された、クラシック音楽ライブラリーという、名曲ばかりを集めた初心者用の50枚組みのセットをむさぼるように聞いた。

その中になぜか、本日の話題となるフランスの女流ピアニスト、モニーク・ド・ラ・ブルショルリと、知っている人はかなりのオールドクラシックファンであろうと思われる、ベルンハルト・パウムガルトナーが指揮をするザルツブルグ・モーツアルティウム音楽院管弦楽団の演奏で、モーツァルトの20番と23番のピアノ協奏曲が収録されていた。

ベルンハルト・パウムガルトナーは、バロック音楽を得意とするルドルフ・バウムガルトナーと混同されることがあるくらいの、いまやマイナーな存在になってしまった感があるが、ワルターの薫陶を受け、カラヤンも指揮法を学んだという、モーツァルト研究の権威で、ザルツブルグにモーツァルト専門の音楽院を創設し、そこで研究をしつつ、教鞭をとってきた人物である。

パウムガルトナーの録音は、35番、36番、41番、の交響曲そしてアンドレ・ナヴァラと共演したハイドンとボッケリーニのチェロ協奏曲、ハイドンの交響曲100番、103番も同じ全集に収録されていた。

その頃のコロムビアレコードは、スプラフォン、そして上記の音源を持つ、ドイツオイロディスクもパートナーにしていたらしく、この全集には、決して名前はメジャーではなかったが、それでもシッカリした演奏をする奏者達の音楽が収録されていた。

小生がクラシック百科事典のごとく聞いて育ってきたこの全集は、小生が大学生になって、京都に下宿した当たりの年、実家の引越しの際、半分以上が廃棄されてしまい、手元にあるのは、京都に持っていった10数枚だけになった。

廃棄された中に、本日取り上げるブルッショルリのモーツァルト20番と23番のレコードがあって、それからというもの、あらゆる手を尽くして探しては見たが、いまだに入手できなかったのであった。

今は亡きクラシックの音楽掲示板にも、復刻希望を出しては見たが、何も進展はなかったが、一昨年になって、ある海外の会社から復刻されたという知らせが入ったが、小生の求めるオイロディスク原版とおなじかどうか疑わしく、手を出せないまま時は過ぎていった。

つい最近、いつも見るネット通販のWEBではなく、もう一つある有名サイトを見ると、「オイロディスク」という文字が目に入った。

d0063263_1036591.jpg


そこにあった、「オイロディスクヴィンテージコレクションVol3」という帯タイトルをクリックすると、そこには45年前の記憶の、あの懐かしい演奏家達の名前が網羅されていて、もしやと思いVol1、Vol2を見ると、長い間切望してきた「幻の録音」が沢山あるではないか。

大して売れそうもない(と思われる)この企画を、しかも45年もたってCD復刻する技量が、今のコロムビアに有るとは思いがけないことだったので、つい嬉しくなって、お礼とまだ発売されてない、コンヴィチュニーがバンベルク交響楽団を振った、ドヴォルザークの「新世界より」について質問をすると、大手にしては珍しくすぐに返答があり、来年以降に予定しているということであった。

Vol4.5と続くことを大いに期待するものである。

息子が、小生の誕生日に欲しいものは?と聞くので、早速渡りに船とばかりに、注文したもろもろのCDが昨日届き、勿論最初に聞いたのが、ブルショルリ、今朝も相変わらず聞き続けている。

45年前の小生の中にある記憶の、ブルショルリのピアノは、「溌剌とした」という言い方で表現されるものであった。

中学2年のクラシック初心者に、・・・まして、はじめて聞くモーツァルトのピアノ協奏曲の感想だから、表面的な思いだけの記憶であることは否めないが、しかしCD復刻された音盤を聞いていて、その初心の感想があながち間違ってはいなかったことを、思い知らされることとなった。

録音は1961年3月10から12日、くしくも小生の誕生日と同じであった。
誕生日プレゼントに、このCDをリクエストしたこと、録音が小生の誕生日と同じであること・・・これも何かの因縁のような気がしてならない。

コロムビアが1962年の廉価版全集に、1961年録音の、いわば新譜を収録したこと、あるいはしなくてはならないほど、この奏者達が当時、実力に比べて物凄くマイナーな存在扱いであったことを思うと、良くぞ復刻してくれて、彼らの素晴らしいモーツァルトが埋もれることなく、陽のあたる場所に出られたことに、改めて感謝したい。

レコードでもかなり録音状態は良好であったと記憶するが、CD復刻、リマスターにより、さらにミスミスしい音に生まれ変わって、ピアノの表情が良く聞き取れるし、バックのオケも、清楚で格調高い表情のモーツァルトを作っている。

d0063263_1115690.jpg
これからブルショルリのベートーヴェン3番の協奏曲、パウムガルトナーの35、36、38、41番、ハイドンの100、103番の交響曲を聴いていく予定。
とても楽しみである。
[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-20 10:42 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

若葉の頃

若葉というと、新緑の・・・若緑色を想像させるが、この季節、真っ赤な若葉がアチコチで見ることが出来る。

d0063263_932267.jpg
d0063263_9322361.jpg
d0063263_9324283.jpg

ある説によると、この季節はかなり紫外線が強く、若葉はその害から身を守るために、葉を真っ赤に染めるのだそうだ。

意外と紫外線が強い春先。
知らなかったが、気を付けるに越したことは無い。

昔ビージーズの歌った歌で「若葉の頃」原題First Of Mayという子供の頃の思い出と、今の自分を歌ったの曲があった。「小さな恋のメロディ」という映画で使われ、1971年にヒットした曲だ。


When I was small, and Christmas trees were tall,
We used to love while others used to play.
Don't ask me why, but time has passed us by,
Some one else moved in from far away.

あの頃僕は小さく そしてクリスマス・ツリーは大きく
僕らは恋をしていた 他の子は遊んでいたけどね
理由は聞かないで でも時が僕らの間に流れて
遠くから来た誰かが割って入ったね
5月が来たというのに、泣くものか。

Now we are tall, and christmas trees are small,
And you don't ask the time of day.
But you and I, our love will never die,
But guess we'll cry come first of May.

今僕らは大きく クリスマス・ツリーは小さく
そして君はあの日の時を尋ねたりしない
でも僕と君 僕らの愛は決して消えない
たぶん僕らは涙するだろう 巡り来る若葉のころに
5月が来たというのに、泣くものか。


The apple tree that grew for you and me,
I watched the apples falling one by one.
And I recall the moment of them all,
The day I kissed your cheek and you were gone.

君と僕のために育ったリンゴの木
僕はひとつひとつ落ちていくリンゴを見つめていた 
そして 僕は思い出すよ あらゆる瞬間を
あの日僕は君の頬にキスをした そしたら君は去って行ったよ
5月が来たというのに、泣くものか。


Now we are tall, and christmas trees are small,
And you don't ask the time of day.
But you and I, our love will never die,
But guess we'll cry come first of May.

今僕らは大きく クリスマスツリーは小さく
そして君はあの日の時を尋ねたりしない
でも僕と君 僕らの愛は決して消えない
たぶん僕らは涙するだろう 巡り来る若葉のころに
5月が来たというのに、泣くものか。


When I was small, and christmas trees were tall,
Do do do do do do do do do...
Don't ask me why, but time has passed us by,
Some one else moved in from far away.

あの頃僕は小さく クリスマスツリーは大きく
Do do ...
理由は聞かないで でも時が僕らの間に流れて
遠くから来た誰かが割って入ったね
5月が来たというのに、泣くものか。
[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-19 09:32 | 季節の栞 | Comments(4)

今が満開の桜

我が家からすぐ近くの遊歩道に1本の桜の木がある。
この桜は少し変わっていて、去年は冬に花を咲かせた。

樹木の形状や花の色形から、「ソメイヨシノ」ではないと思うが、この季節ソメイヨシノが満開を過ぎても、まだまだ花を咲かせない。

周辺の桜が満開の花を咲かせ、それも全部散ってしまった今日この頃のこと、散歩中に、ただいま真っ盛りにと、若葉と一緒に花を咲かせている桜を発見。
d0063263_12112972.jpg
d0063263_12115590.jpg
d0063263_1212273.jpg


桜の品種は不明だが、葉と花が同時に開くから「山桜」なのかも知れない。

ソメイヨシンより1週間遅い開花で、葉も一緒だし、花の色も白っぽいから余り目立たない。

最近は桜につき物の、鳥「ヒヨドリ」がチャッカリと枝に止まって、桜の花の蜜を吸い、咲いたばかりの花を落としてしまう光景が見られる。
d0063263_12125852.jpg


小生の先祖の土地にある、桜の古樹も山桜だが、そちらは枝垂れである。
今月末には開花するだろうから、お墓参りのついでに見てこようと思っている。

[PR]

by noanoa1970 | 2008-04-15 12:16 | 季節の栞 | Comments(0)