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推理:金属精錬と古代国家の興亡

鉄の重要性は、古今東西新旧を問わず多くの人の認識であることは、間違いない。
農耕民族は、農耕器具。海洋民族は釣り針。
そしてそれらに加えて、重要なのは、丈夫で強力な武器で、この出現には「鉄」の力が無くてはならない。

小生はかって、それに関することとして・・・・

「ヴォータンはなぜ片目か」1から6

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軍略家、山本勘助は「タタラ師」だったのか

そして

「初詣」にて、鉄に関係すると見られる、多度大社の祭神、一つ目の神天目一箇命について書き、製鉄の神と同時に雨風の神であることを、製鉄に使う「鞴」の立てる音からのものではないかと、推測したことがあった。


そして最近は、古代豪族の息長氏と近江の製鉄が関係し、世界的に見て、古代王権の興亡は、鉄をめぐるものでもあるという仮説を立てるに至った。

そのときに、息長氏は、誰でも名前はご存知の豪傑女帝神功皇后と、息長氏の関係に少し触れたが、その推論をさらに進めて・・・息長氏=製鉄=タタラ=片目という図式が成り立つのではないかと、調べてみると、どうやらその漢が当たって面白いことを発見した。

神功皇后は別名「息長足姫命」といい、これが「辛国息長大姫大目命」と、もし同じ発祥であれば、それを祭る神社が福岡県田川郡香春町の香春神社である。

神功皇后は、所謂三韓征伐をしたといわれる女帝であり、辛国とは韓国:新羅、百済、高句麗のこととされるから同一だとしても良いのかもしれない。

そして注目すべきは「息長」という言葉が使われていることであり、さらに驚くべきことは「大目」という文字である。(大姫とは偉大な姫の意味であろう)

この「大目」をどのように解釈するかであるが、大きな目を持った姫とも、勿論ン解釈できようが、谷川健一氏の解釈では以下の様になっていれ、小生も同感である。

『大目はダイマナコと呼ばれる。ダイマナコはヒトツメコゾウ、あるいはイチョメドンとも呼ばれて、一つ目を云う。いわゆる金属技術者を指す「目一つの神」である。そうすると、「辛国息長大姫大目命」は、新羅から香春にやってきて、ふいごを使って銅を採掘し鋳造する技術者たちの信奉する「一つ目の神」に仕える巫女ということになる。』
上の説を発展させれば、天の日矛が新羅から渡来し、製鉄を教えたということにつながってくる。

ただし香春神社がある香春岳付近は、鉄鉱石の産地ではなく、銅の産地というから、この場合は製鉄ではなく、青銅技術の神として祭られたということになる。

しかしいずれにしても、近江と九州という地の利の差はあるが、(年月を経て伝わったのか)息長氏が金属精錬技術をつかさどり、それで力を強くした豪族であったということは確かなようである。

まさかとは思うが、「息長足姫命」が「辛国息長大姫大目命」と、同一人物であるとするならば、
神功皇后の出自種族息長氏は、秦氏と同種で、その祖先は古代新羅から渡ってきた隻眼の巫女で、美人だったのかもしれない。

そして金属精錬の神の象徴として、そして三韓征伐の英雄女帝とであるとされることからも、後に神格化されたのであろう。(大姫は、巫女の意味でもあるらしい)

by noanoa1970 | 2008-01-31 13:10 | 歴史 | Comments(0)

作曲家の憂鬱:「ちりとてちん」のテーマ音楽をめぐって

夏は7時30分、冬になると8時15分、小生の家ではMHKの朝ドラマのスイッチが入る。
家内はTVの前ではなく、ひたすら家事をしながら、音だけを聞く。
本格的にTVで朝ドラマを見るのはお昼の再放送になる。

小生は見るとはなしに観ることになるのだが、今やっているのが「ちりとてちん」という女性落語家の回想録。

小生が凄く気になるのは、このドラマの中身ではなく、実は、冒頭に流れてくるわずか数分のテーマ音楽である。

ここ最近、TVのCMに使われるクラシック音楽の、恐らくNo1の座を占めるのは、ヴェルレク、カルミナ、ベートーヴェンの有名曲のほか、どうも仏近代音楽のラヴェルの「ボレロ」のように思える。
そして、このことはここ十数年変わってないようだ。

「ボレロ」というと、小生の時代には、小中学校の音楽の時間に教えられるのは、ドビュッシー=月の光&牧神の午後、ベルガマスクであり、そしてなぜか、ラヴェル=「ボレロ」オンリーだった。

学校教育でも、そしてCMに使われる曲としても、耳に刷り込まれてきた「ボレロ」のリズムと単純なメロディは、全曲をいまだに聴いたことが無い諸氏にも記憶に残っていることであろう。

映画やTVでおなじみとなった「踊る大走査線」の中でも、ボレロの第2メロディが、上手く編曲されて挿入されていることは、前のブログ「335.2」でも書いたとおりだ。

「ちりとてちん」のテーマ音楽は、ラヴェルの「ボレロ」のアレンジであると断定せざるを得ないところがあり、それはリズムが「ボレロ」というだけではなく、音型といい、展開といい、メロディが単純であるが故の、1音の使いこなし方まで・・・すなわち何から何までソックリ、瓜二つ、一卵性双生児のようである。

このテーマ音楽は、佐橋俊彦という作曲家の手になるものだそうで、彼は映画、テレビドラマ、アニメーション、特撮、ミュージカルなどの音楽や主題歌・挿入歌の作曲や編曲を手がけ、特に「ガンダム」シリーズの作曲を手がけていて、2005年:JASRAC賞(「ガンダムSEED BGM」作曲者として)銅賞受賞をしたという。

芸大作曲科出身の彼が、クラシック音楽にも精通していて、当然仏近代音楽にも明るく、ラヴェルの数々の音楽から音楽語法を学んでいたことは容易に推測可能だし、影響を受けていたとしても、それは至極当然のことで、ラヴェルの作曲技法を真似て・・・あるいはそこからヒントを獲て作曲したというなら、まだしも、ここまでやられると、小生は、最近の作曲傾向の象徴を見たような気がして、非常に気分が悪くなるのである。(以前「千の風になって」で、このことを書いた)

このテーマ音楽は殆ど毎日耳にするが、どう聞いてみてもその音楽からは、作者オリジナルが聞こえてこない。

逆に言うと以下のような推理さえ働いてしまうのである。

義務教育で学び、一部にしろ鑑賞の時間を取ったであろう、よって多くの義務教育の生徒がかって耳にしたであろう、そして昨今CMで刷り込まれることになるラヴェルの「ボレロ」のリズムとメロディは、意識するにせよしないにせよ、殆ど万人の耳のそこに、こびりつく音楽である。

その・・・音楽的トラウマ体験を、商的な意図の(音楽)手法によって、意図的、恣意的に「売れる、ヒットする、了解される」ことを狙っての作りこみという、いやらしさが見え隠れする。

オリジナルのラヴェルの音楽が優れているだけに、亜流のテーマ音楽は決して悪いものではないが、音楽の向こうにラヴェルの「ボレロ」が透けて見え、それはたくまざる商業主義音楽手法によって、恥も外聞も無く、そして厄介なのはこのことに気がつかずにいる人たちが多いから、このくらいやっても身の危険性は無い・・・(パクリと見破れないだろう)であろうというような、聴衆を子バカにした態度が見え隠れする。

このような音楽を天下の・・・最も、いまやそうでないが・・NHKが恥じも無く選択肢採用していることに、小生は、とても我慢がならないのである。

見聞きするのを、拒否できない事情があるから、4月まではひたすらこの醜い音楽と我慢ごっこをしなければならないだろう。

ドラマの中身は、最近面白くなってきたというのに・・・・

伝統と現代を扱うドラマに(落語も塗り箸も)「師匠のまね」は、つき物でそして師匠や先代を追い抜かんとする志向が見えるが、なにもテーマ音楽まで(果たして佐橋俊彦の師匠といえるのか)ラヴェルそっくりな音楽を使うのは、意図的なのか、偶然なのか。

意図してやったとするのなら、誉めてやりたいところだが、そんなはずは無かろう。
決してラヴェルは、近寄ってくるものを拒みはしないが、決してだれも超えられない領域を持つ作曲家であるからだ。

by noanoa1970 | 2008-01-30 14:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

古代日本と「鉄」

農耕による食料が安定すると、人が集る。
そして次に必要なのは、他の豪族達との争いに勝つための、強い武器の調達であろう。
朝鮮半島でも同じように、半島最南端の「加羅」は、鉄を精製するための蹉跌の産地である。

また九州の北部も蹉跌の産地(日本製鉄の地)であったことから、半島の加羅と北九州は、日本列島からも、朝鮮半島の新羅、百済、高句麗から見ても、要衝の地であった。

朝鮮半島南部と日本列島北九州地区は、ひとつの「鉄文化圏」であったといえるだろう。

話を日本列島国内に向けると、同様に鉄の確保は、古代豪族達の生命線でもあった。

従って、古代豪族達は、「鉄」をめぐって地権を争うようになり、ソの地方を配下に置こうとした。

近江高島郡・・・琵琶湖の北東地区は、蹉跌の産地で、そこに「鉄」精製の鞴をつかさどる集団がいて、一大勢力を築いた。

ヤマト朝廷等の中央の勢力は、「鉄」の確保のために、ソの地の勢力と手を結ぶことになる。

「息長氏」という氏族を、小生は、息が長く続くから、海洋民族の子孫=海人:天人
だと思っていたが、その発祥地近江から、海と関係するのではなく、「鉄」・・・鉄精製の鞴を吹く息が長い種族を言うのだということに気づいた。

「息長氏」は、伊吹山で採掘される鉄(鉄鉱石)を使って製鉄する種族で、息長氏の出身地坂田が高島と同様に、続日本紀に鉄の産地として記されている。

以下のような説がある。
『日本の古代製鉄には北部九州を窓口とした西日本の「砂鉄精錬」と、北陸地方を起点として東日本中心におこなわれた「鉄鉱石精錬」の二つの系統があるという。近畿地方では、5世紀代に砂鉄精錬がまず入り、少し遅れて北陸から鉄鉱石精錬法が入り混在・並立していたとされる。』

この説を元にすると、日本の古代は「鉄」をめぐる興亡であったといっても差し支えないようだ。

新羅からわたって来て一時この近江地方に住んだとされる天日槍(あめのひぼこ)の一族によって、鉄の精製技術が伝えられたのかもしれない。

そういえば、息長氏出身の、神宮皇后は天日槍の子孫でもあるとされるから、「鉄」でつながることになる。

また、継体天皇と大和豪族出身の、手白香皇女の間に生まれた欽明天皇の宮が置かれた場所は、製鉄王朝としての継体王朝の性格を端的に示していて、日本書紀は、欽明の宮が「磯城嶋金刺宮(しきしまのかねさしのみや)」であるとしている。

金刺も製鉄を暗示するし、宮の所在地は現在の桜井市金屋付近らしく、これは製鉄遺跡である金屋遺跡に一致する。

従って、欽明は父継体から受け継いだ近江、尾張、北陸などの製鉄地帯に加え、母の手白香から大和三輪山の鉄資源を継承しそこに宮を置いたと考えられる。

このような見方で古代史を捕らえると、継体天皇が北陸越前出身で、しばらく近江にとどまり、天皇になる時期をうかがったのも、息長氏懐柔の時間がかかったためであったと見ることも出来る。

壬申の乱で、大天の皇子=天武天皇が吉野から伊勢、尾張、近江、北陸と遡行し、周辺の豪族を味方につけて行ったのも、「鉄」に関係するのかもしれない。

by noanoa1970 | 2008-01-30 11:25 | 歴史 | Comments(0)

大陸から見える『日本」

古代史の文献に以下のような記述があった。
唐の書物に出てくる「日本」の評価だ。
日本の由来について書かれていて、注目すべきは、倭族の大小の国家を統一したのが「日本」であるということ。

日本に統一した倭族の国家とは、恐らく北九州にあって、朝鮮半島の南の加羅と同属の「倭」、そして東征した倭族の中国地方や畿内の倭族が、朝鮮半島の新羅、百済、高句麗などの連合分裂抗争のため、戦略的に、旧倭族国家を巻き込んで勢力抗争をした結果ある意思を持って、あるいは難民となって渡来してきた半島の貴族と武人達が、倭族国家の政治権力の中枢を握るようになった結果のことだろう。

新羅、百済、高句麗、加羅、そして中国5つの半島勢力の、いわば代理政権闘争が、日本本土で行われたことは、異説古代史共通の理解である。

3世紀から7世紀にわたる長い抗争の結果、やがて日本列島は、朝鮮半島そして中国からの独立を勝ち取ることになる。

それまでの王朝:天皇家の出自は、万世一系では無く、それぞれその出自を朝鮮半島に置く、地方豪族の勢力争いの結果、力の強い豪族が他の豪族を抑えて権力の座を握った。

(国ツ神も天孫族も、その出自は朝鮮半島で、ネイティブに近いと思われる、玄日本人は、ミクロネシア、ポリネシア、南アジアからの古モンゴロイド、すなわち縄文人で、農耕民族の弥生人は、中国の南部から出て、朝鮮半島経由で日本列島に渡ってきた人、すなわち倭族を始とする海人。

鳥居と、しめ縄の風習が今も残っているのは、中国南部の少数農耕民族の地であり、そこの建物は大社作りであるという。
鳥居としめ縄は、は現代の日本に、神社の入り口として残るが、発祥を、やはり農耕の神を祭るものと考えてよいのだろう。)




しかし群雄割拠状態では、王朝交代が激しく、海外勢力:朝鮮半島および中国の餌食にもなりやすいから、有る時期、国内統一の必要から、万世一系の「天皇家」を排出し、普遍の安定した強力なる地位をえることになった。


≪旧唐書より≫
旧唐書=中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫らによって編纂された歴史書。二十四史の一つ。「本紀」20巻、「列伝」150巻、「志」30巻の計200巻から成る紀伝体で、唐の成立(618年)から滅亡まで(907年)について書かれた。


「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本となす。
 あるいはいう。倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
 あるいはいう。日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する
 者、多く自ら矜大、実を以て答えず。故に中国焉れを疑う。」

●日本という国の出自は、倭の(倭族の国家連邦の)中から出たものである。

●その国の名前の由来は、日が昇る東の地にあることから、すなわち日の本(元)であるからである。

●さらには、「倭」という名前が卑しいものを思わせるので、もっと優雅な名前が欲しくて改名した。

●そして日本はかっての倭族の小国家を併合して、大きくなったものである。

●日本からの使い(遣唐使)の殆どは、尊大な態度を示し、内心とは違う言動をするので、中国(唐)は、日本を余り信用していない。

旧唐書の『倭国伝』あるいは『日本国伝』には、白村江の戦い及び壬申の乱が含まれており、壬申の乱をもって「倭国(天智政権)」が倒されて「日本国(天武政権)」が成立したという見解が当時の中国側に存在しいる可能性があると指摘する見解がある。

白村江の戦いのとき、百済に援軍を送ったのは「倭国」なのか「日本」なのかは興味深い。

壬申の乱後に日本列島が統一され、「倭」から「日本」となったのであれば、このとき百済に援軍を送り、唐と新羅の連合軍に敗戦したのは、「倭」国の大きな勢力で、親百済勢力だろう。この国が畿内にあったのか、北九州に有ったのかは良く分からない。

北九州の倭国と畿内の倭国が連合して、朝鮮半島に百済支援の兵を出したのだろうか。

ひょっとしたら、白村江の戦いの実質の指導者天智天皇は汎百済・・・百済王族の子孫がその出自で、その弟とされるが実際はそうではない天武天皇は汎新羅・・・新羅王族あるいは唐からの占領軍の出ではないだろうかと推論される。

壬申の乱敗戦後、日本列島内の百済の勢力が弱まり、変わって今まで政権では辛酸をなめてきた、勝戦国の新羅、あるいは唐出自の、渡来人たちの優秀な人々が勢力を挽回したのかもしれない。

天武=大海人皇子は彼らによって担がれた、天皇家の末裔で、しかも新羅の王族の末裔・・・とすると記紀の数々の不思議なエピソードの謎も、少しは解けてきそうだ。

記紀による壬申の乱の経過は、殆ど当てにならないと考えたほうがいいだろう。

大化の改新と壬申の乱に、共通して流れる日本史の謎は、興味深いものがあるが、これはまたいずれ。

by noanoa1970 | 2008-01-29 15:05 | 歴史 | Comments(0)

妄想の古代史

ここ数日、ネットを含むいろいろなところから、古代日本史の文献を漁っている。
そんな中で、少し妄想気味に思いついたことがあったので、仮説として書いておくことにした。

今まで小生が読んだ学校で学んだ日本通史以外の、いわば異説日本史は、江上波夫 の騎馬民族征服説や八切止夫の日本古代史そして網野善彦の異形の王権、古田武彦の邪馬台国はなかったなど、そして東日流外三郡誌などをはじめとする古史古伝の類にまで及び、その破天荒な、しかし妙に説得力がある内容に興味を引かれたものである。

最近では、遠山美都男が、日本書紀はなにをかくしてきたかで、上の諸説を引き継ぐ形ととなって、かっての八切史観同様、遠山史観とも言われているようだ。

源平籐橘の出自を、それぞれモンゴル系遊牧民族、ペルシャ系海洋民族、唐に代表される漢民族、そして契丹に代表されるツングース系民族であるとする、明快に区分けした八切史観に比べ、さらにそれを詳細な資料分析によって、いささか異なるところはあるが、さらにおし進めた説得力あるものとしたとした遠山史観は、ごく最近の興味である。

アレコレと読むうちに、小生の中である推論が沸いてきた。

八切は、源平籐橘の祖先にあたる民族が、大昔日本列島に、南方の西あるいは南アジアから、そして北からわたってきて住みついたとし、それらが、同じく他所から渡り住んだ勢力の台頭によって追いやられた。

それらが、日本の原住民であり、平野や海辺を住処とした原住民が逃れた先・・・山岳地帯を集団で、彷徨するもの達、彼らを「サンカ」とした。

「サンカ」=日本原住民であるとする説である。

さてこのような考えも成り立つとは思うが、小生は日本の原住民は、やはり古く海を渡ってやってきた民族で、海洋民族が少なくとも2種類以上。

彼らは、太平洋を渡ってきた海洋民族で、瀬戸内海から近畿地方に上陸し定着した。
そして朝鮮半島から渡ってきた海洋民族は、九州北部に定着したと考えている。


そして大陸からは、北海道や東北の日本海側にやってきたとみられる、遊牧民族、そして北陸地方に上陸したと見られるツングース民族。

朝鮮半島に渡ってきた海洋民族は、「倭族」が大半を占め、その中の一部が日本の九州北部に渡った。

南アジア系の海洋民族は主に瀬戸内海や近畿地方に上陸したが、同じように北九州に上陸した倭族も、瀬戸内海を渡って、日本の本土の各地に上陸し、コロニーを構築し、本土はツングース、遊牧民、海洋民族数種類の複合民族コロニーを形成していた。

やがて九州北部の「倭族」が大きくなって、同属の朝鮮半島南部の倭族と行き来を盛んにするようになり、その勢力は強大になっていった。

このあたりを魏志倭人伝で倭と呼び、倭人の複合国家を大倭と呼んだ。
大倭の象徴とされるのが邪馬国で、卑弥呼がいたのが邪馬の一国、すなわち邪馬一国である。

比較的強大な勢力を持つ、倭人の国の一つ邪馬国は、同属の分家を多く持っていた。
魏志が伝えた、卑弥呼の邪馬国は、邪馬の国々の強大な一つで、それらがさらに集った地方豪族連合あるいは、その中の最大協力部族をを称して大倭といい、それが後にDAIWAから大和となり発祥の国「邪馬国」と「大倭」の読みを重ねて、「ヤマト」と呼ばれることとなる。

記紀の伝える、倭を大和・・ヤマトと読ませるのは卓越した知見であると思う。
邪馬一国を邪馬台国と屁理屈を付けて読ませた、恣意的な学者の考え方とは根本的相違がある。

すなわち「邪馬台国」は後世の捏造であり、正しくは文字路とおり、「邪馬一国」であるとする古田武彦説は、この意味で正解である。

倭人のコロニーであった日本列島であるが、その後の度重なる中国、朝鮮半島の民族興亡の影響によって、朝鮮半島南部と、九州北部を一つの政治文化圏とした動向によって、日本列島の政治文化も引きずられていくことになる。

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漢、中国三国史、五胡十六国時代、東西晋、南北朝、隋、唐に対する朝鮮半島・・・契丹、高句麗、新羅、百済、加羅の動向とともに、日本の動向を見手初めて今まで見えない歴史が見えてくることを実感した。

日本の3世紀から7世紀あたりの歴史は新羅、百済、高句麗、渤海の政変、民族興亡と密接なかかわりがある。

白村江の戦い、大化の改新、壬申の乱でさえ、それらと無関係では決してない。

原住民の一つ、倭族の上位構造をしめる朝鮮半島における、征服王朝民族の興亡が、そのまま日本の政治文化の興亡史となっていることは、注目すべきことである。

by noanoa1970 | 2008-01-27 10:55 | 歴史 | Comments(0)

「鳥居」に関する不思議

以前鳥居の形状とその色について書いたことがあったが、先日から読んでいる古代史の文献に、面白いことがかかれてあったので、紹介がてら記述しておく。

神社には鳥居があり、そして必ず「しめ縄」が飾られる。

このしめ縄を古代人の信仰のシンボルであるとする説がある。

研究者によっては、「しめ縄」の形状から、「蛇の交尾」・・・子孫繁栄のシンボルとする人もいるが、さらに「雲」と「しめ縄」に垂れ下がる紙で出来た飾り=熨斗を「雨」・「水滴」の象徴とする人もいる。

古代わが国の・・あるいは他国からの農耕民族は、農耕に必要な自然物として、太陽と水をありがたがった。
それは勿論、この2つこそが農作物の育成の源であることを、熟知していたからであろう。

そしてそれは、大きく2つの自然神信仰グループとなったようだ。

1つは比較的寒い地域に生活するグループで、彼らは「太陽」を信奉する。

もう一つが「水」の確保に時には事欠いていた・・・今の四国地方など暖かい地域に生活する人。

彼ら2つの勢力が歴史的に交わっていく中で、「太陽」と「雲」=「水」その両方を信奉するものに変化した。

神社に「しめ縄」があり、社殿の奥には「鏡」があるのはこのためで、正月に備える「鏡餅」の形状は「雲」と「太陽」そして「水」を象徴しているという。

何故「鏡餅」というのか不思議に思ってはいたが、丸く形ドられた形状が、確かに「鏡」のようでもあり、2つ重ねられたところは、雲の重なりにも見立てることが出来そうだ。

熨斗は水滴のように見えるし、餅の上でキラリと輝く柑橘類は、「太陽」にも見える。


何の根拠も無い話であるが、なかなか面白い。

by noanoa1970 | 2008-01-24 16:00 | 歴史 | Comments(1)

Year of the Frog

タイトルのfrogをblogと勘違いされた方もおられるかもしればいが、blogでは無く、frog:すなわち「かえる」のこと。

2008年はネズミ年だけど、「国際かえる年」でもあるということをはじめて知った。

小生知っている両棲類は、カエルを筆頭にヤモリ、サンショウウオがいる。

しかしこれらの両棲類の中では、イモリやサンショウウオだけでなく、比較的その姿を近年まで頻繁に見られた「カエル」の姿が最近メッキリ減っていて、以前だと梅雨時には庭に時々アマガエルが遊びに来たり、地面をカエルがヒョコヒョコと歩く姿が見られたものだった。

一体どこから沸いて出てくるのだろうと、いつも不思議に思うほど、田植えの季節になり田んぼに水が溜められると、少し足を伸ばした郊外では、カエルの合唱が聞こえたものでした。

そういわれてみれば、ここ数年カエルの姿を見たことがありませんし、近所の田んぼはいまや休耕地化してしまっています。

小生はテッキリ、カエル減少は休耕地の多いこの地方だけのことだと思っていましたが、そうではなく、なんと両棲類の32%の品種がすでに絶滅だとか。

そして、この数字は地球上の生物の絶滅率トップだそうだ。

そのことを懸念し、「国際カエル年活動宣言」が以下のように出された。

 今年2008年は、国際自然保護連合(IUCN)と世界動物園水族館協会(WAZA)
が提唱する「国際カエル年」です。財団法人東京動物園協会4園(恩賜上野動
物園、多摩動物公園、井の頭自然文化園、葛西臨海水族園)では、カエルやサ
ンショウウオなどの両生類が危機的状況にあることをふまえ、一年を通して次
の4つを柱とする活動を進め、両生類がくらし続けていくことのできる環境の
保全に貢献して参ります。


つまりカエルを筆頭とする自然に敏感な生物達が安心して住める環境・・・それは人間にとっても良い環境であるから、両棲類の「カエル」を象徴とする、自然保護運動を展開していこうというものだ。

小生は両棲類についての知見は持ってなかったし、今まで殆ど気にもしてなかったが、それでも昔、ゴルフクラブをフィッシングロッドに持ち替えて、渓流のフライフィッシングをやりだしたときに、渓流沿いの木立で「モリアオガエル」の泡のような産卵の後や、ほんの稀ではあったが、イモリの姿を見ることはあったし、小さなサンショウウオも目にすることが出来た。

しかしカエルの世界的現象等は、予測さえしてなかったことだから、このニューズを聞いたときには本当に驚いた。

水の無い土の中からでも、湧き出すように出てきて、初夏の夜には賑やかに大合唱する「カエル」だから、生命力は他の生物よりも強力だとばかり思っていたのだ。

いや生命力は強力なのだが、それをはるかに上回る環境破壊が実際に起こっているとするべきなのかもしれない。

本日は2008国際カエル年にちなんで、チャイコフスキーの交響詩「小ロシア」を聞くことにした。

なぜかというと・・・(お聞きになった方はすぐ思いつくだろうが)、この曲の中には「蛙の歌が聞こえてくるよ、ケケケケ・ケロケロケロケロクァクヮクヮ」でおなじみの童謡「カエルの合唱」の一節が塗りこめられているからである。

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イーゴル・マルケヴィッチ/ロンドン交響楽団
チャイコフスキー初期交響曲集
小ロシア、フィランチェスカ・ダ・リミニ

そしてこの曲の推理を、過去のブログ「かえるの合唱」の謎・・・チャイコフスキー「小ロシア」を巡ってに書いてあるので、興味のある方はそちらも参考にされたし。font>

by noanoa1970 | 2008-01-22 10:27 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

クラシック音楽永仁の壷事件その2

昨年は「偽」の年であった。
しかし「偽」などは、どの世の中、何時の時代にもあるもので、たまたまそれが表面化されたに過ぎないのが昨年だったということだ。

良識の府といわれて久しい、クラシック音楽の世界にもそれらはあって、小生はかって「リパッティ」のショパンの協奏曲が実は「ステファンスカ」の演奏だったという事実と、当時その演奏を「さすがリパッティ」と賞賛し、アチコチの音楽雑誌にその音楽の評価をし、レコードの解説にも、その旨の記述をした棒音楽評論家のこと、ステファンスカの演奏であることを見破ったのが、プロではなくアマチュアの音楽愛好家であったことを書いたことがあった。

先日のこと、たまたまキューブリックの難解な映画「2001年宇宙の旅」を観ようとして、そういえば、小生がR・シュトラウスのツァラを知り、本格的に聞き始めるきっかけとなったのは、この映画を観てからだっただったということを思い出した。

1968年か69年京都のスカラ座だったかで観たが、難解な筋書きの映画でSF好きな小生の期待と違っていて、残ったものといえば、「HAL」というコンピューターの名称が「IBM」の後に・・・つまりIBMより進んだ(有名な話だが、IBMのアルファベットの一つ後の文字をなぞるとHALとなる)AI型コンピューターだということと、映像技術の凄さと、映画で使われた数々のクラシック音楽であった。

今年はカラヤン生誕100年ということで、クラシック音楽業界でも、こぞってカラヤンの残した録音を集めて売り出そうとしている。

中で小生が注目しているのは、主に1950年代後半、カラヤンがDECCAにウイーンフィルと残した「カルーショウ」プロデュースの9枚組みの全集だ。

昔から小生が一押しのベートーヴェンの7番や、ホルストの惑星、モーツァルトの後期交響曲などカラヤンを知る上で、なくてはならない録音を集めたものだ。
この時代のカラヤン、そしてウイーンフィルは、「ビロードの時代」と小生は例えるようにしている。

その中にR・シュトラウスの「ツァラトウストラはかく語りき」も収録されていて、あるCDショップの解説には、「この演奏は、キューブリックの2001年宇宙の旅」で使われた・・・」と有った。

小生は「何をいまさら・・・そんなことは百も承知のこと」それにしてもまた古い映画を持ち出して宣伝文句としたものだと、少々いぶかしげに思っていた。

小生がかってこの映画を見てすぐに購入した演奏が、カラヤンとウイーンフィルのDECCA録音で、当時は他の録音は余り市販されてなかったので、当然のように映画で使われたのはカラヤン盤であると勝手に思い込んでいたのだ。

ところが・・・そのことは小生は知らなかったのだが、有る時期、映画で使われたのは、ベームとベルリンフィル盤であるとする事実が明らかになった。

サントラ盤に収録された演奏が、ベーム盤だったことから、映画で使われた演奏はベーム盤であるということになったのがその理由だ。

しかし、事実はそうでなく、映画の中で使用されたのは、実はカラヤン盤で、そのことが明らかにされたのは、DECCAのプロデューサー「カルショウ」の伝記本「レコードはまっすぐぐに立てて」の中で、映画にカラヤンの演奏を使用する許可を求められたが、DECCAは、クレジットに何も表記しないことを条件に使用を許可したと書かれていることからだという。

事実手持ちのDVDでエンドロールを調べてみたが、他に使用された曲には、演奏者やレコード会社名が記されているにもかかわらず、ツァラには何も表記されてないことが判明した。

この裏話を後日聞いたカラヤンは、激怒したといわれているらしいが、それは至極当たり前のこと。


何より不思議なのは、何故DECCA側が、自社のレコードの最良の宣伝になりえる、異常と思えるような、表記をしない条件を出したのか、これは大いなる謎である。

一方サウンドトラック盤では、演奏者の名前を伏せたり、コッソリと違う演奏者名を付け替えたりせず、むしろ映画の中では実際に使用されなかったベームの演奏を使って、サントラ盤のみならず、全曲演奏盤をも売ろうという、積極的意思が現れている。

こうしたマーケッティング戦略、広告宣伝戦略をとったのは「ドイツグラモフォン」であった。

「2001年宇宙の旅のサウンドトラック盤で使われた、ベーム/ベルリンフィルの「ツァラ」のキャッチフレーズは、この映画を観てツァラを好きになった人、古くからのクラシックファンなどなど、あらゆる購買層にとってベームのツァラを選択させる切っ掛けとなったに違いない。

キューブリックの2001年ブームは、初公開から10年後の1970年代後半と、2001年の2つあったといわれるだけに、その時代前後にR・シュトラウスを聞き始めることになった人の中には、ベームのツァラを選択した人も、相当数いたに違いない。

このことを裏付けるように、クラシック音楽の掲示板では、ベームのツァラは、映画でキューブリックが』使用したという付加価値も、そしてドイツグラモフォンの宣伝効果も手伝って、一定の評価を得ていたのであった。

小生も実は、DVDを所有する事となってからも、難解なストーリーゆえ、何度となく観るたびに、映画の中のツァラを、何の違和感もなしに、カラヤンウイーンフィルの演奏であると、ごく自然に思い信じてきた。

ベーム盤は所有してなく、他にはカラヤンとベルリンフィル、レヴァイン、ライナーそしてジンマン盤を所有するだけだが、映画の中で使われたカラヤン・ウイーンフィル盤は、最初に出る低オルガンの、風が吹くようなざわめきの音そのもの、そして次に出るトランペットの音を聞くだけで、他の演奏者のものと大きな違いを認めることになるから、その音楽的音響的特徴だけをもってしても、カラヤンとウイーンフィルのDECCA盤であることを疑ったことがなかった。

しかしこれらのことは、VTRもDVDも無く、リピートして見聞きできなかった当時では確認することは難しく、小生が自然にそう思っていたのを確信するに至ったのも、DVDで確認出来たからであることは言うまでも無い。

しかしどう考えてもこの一連の騒動の元になったDECCAサイドの思惑、当事者カラヤン、またこの事実を知りながら結果としては徴収を騙すことになったドイツグラモフォンの老獪な戦略。

「サウンドトラックで使用されたベームのツァラ」といううたい文句は、決して嘘は言ってないし、間違いでもない。
しかし徴収の受け取り方としては「サウンドトラク=映画の中で使用された」と受け取って当然だから、映画のあの強烈なシーンと、そこで巧妙に使われた演奏と同じものを求める購買意欲はもって当然。

かくして
2001年宇宙の旅のツァラは、長い間ベームの演奏とされてきたのだった。

当時DECCAとグラモフォンはライバル会社であったが、時を経ていまや同じグループ賛歌となったことは、時代の悪戯であろうか。


それにしてもくどいようだが、何故DECCAがクレジット表記を拒否したのか。
組織がそうさせたのか、かかわった人の個人的な考えなのか・・・

カラヤンとDECCAの何らかの確執なのか。
映画制作スポンサートのかかわりなのか。

考えても推理しようとしても、謎は深まるだけだ。

by noanoa1970 | 2008-01-21 12:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

遊び心

1980年京都市美術館に1枚の水墨画が展示された。
その抽象的な画風は、展覧会に来た多くの人を、絵の前で立ち止まらせ、中には主催者にあの絵を描いた画家はどなたでしょうかナドという質問をする人もいたらしい。

その大胆なタッチ、濃淡の表現は、他に展示された水墨画が、現実味を多分に帯びていた中、奇異かつ斬新なものに見えたのだろう。

主催者は、数々のそのような質問に、ただ笑うだけで、答えることをしようとしなかった。

主催者は禅画社という水墨画の会を運営していた、京都修学院に住む小生の義父・・・つまり小生の家内の父親である。

そして話題となった絵の作者は、当時3歳の我が息子である。

修学院の実家に帰ったあるとき、陽だまりの縁側で、義父の遊び心に紙と筆を持たされて放っておかれたところ書いたものがこの作品だった。

ソの一部を切り取って、額装したものである。
説明がない限りは、小生が改めてよく眺めても、現代水墨画作家の抽象画だと思うだろう。

額装され、展覧会場の一番メインに飾られたのでは、観る人を悩ませることになった。

恐らく義父はこのような光景を予想して、そしてまたこのような結果となることを見越す余興を楽しんだに違いない。

その仕掛けに見事にはまった人はかなり多かったが、当の本人は、当たり前のようにそんなことなど全く記憶にあるはずもない。

そのような作為のないことがこの作品のよさでもある。

落款まで作ってもらって、立派に表装してあるこの作品を今見たら、どのように息子は思うのだろうか。

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by noanoa1970 | 2008-01-20 10:14 | 京都 | Comments(2)

千の風になって幻想曲

阪神淡路大震災が起こったのは13年前の今日のこと。
TVでも盛んに取り上げている。

しかしなぜか追悼の曲として多く耳にするのは「千の風になって」。

小生はこの曲を余り好んではいないので、「またか」という気分にさせられてしまう。

ハッキリ言ってしまうと、この曲かってどこかで聞いた曲の焼き直しのように聞こえてしまうからであることがその原因だ。

似た曲や、あるいはパクリのような曲は、数え切れないし、有る程度それは仕方ないことだろう・・・これだけ多くの楽曲が存在し、作曲する人も、過去の作品を聞いて参考にしているし、最近ではデジタル作曲が盛んで、ある曲のエキスだけをデータとし、それらをコンピュータによって、様々な形に複合あるいは融合することによって曲を作ることも出来るから、当然のようにそれらの曲は元の曲に似てきてしまう。

しかしチョット薬味として拍子やリズムを変えてしまうと、オリジナルに化けるのである。

小生はこのような曲を何曲も聴いてきた。

しかしこの「千の風になって」だけは、そのような音楽の中でも、小生が許すことが出来ない俗悪曲なのだ。

理由を簡単に言うと、使われる詩の内容と一緒になって、大震災の追悼曲としても、あるいは9.11テロの追悼に使われて、計算づくで人の心の中に土足で入り込もうとする、不逞の輩の曲だからだ。

小生が聴く限りにおいてこの曲は、最近流行のような手法・・・古今東西の心に残るメロディの数々をコンピュータに放り込んで、いいとこ取りをしたような音楽の代表選手に思えてしまう。

しかもある目的を始から持ちながら現れるのだから、非常に性質が悪いのだ。

こんなことを前から思っていたら、やはり似たようなことを思う人がいて、似ている曲の代表として1970年代だったと思うが、ポールモーリア管弦楽団で良く深夜のラジオ番組で聞いた「悲しみのソレアード」とソックリさんだという。

指摘のとおり、これは良く似ているし、オリジナルのサンタクルスアンサンブルのものは、宗教的気配を漂わせるから、雰囲気も良く似たものがある。

Daniel Sentacruz Ensemble - Soleado

さてこのSoleadoは、以下のアイルランドのキャロルにも似たところがある。

Wexford Carol — Traditional Irish Christmas Hymn

そして小生の好きな「永遠の絆」にも似ている。

Will the circle be unbroken
Johnny Cash & Nitty Gritty Dirt Band & Friends

そして「永遠の絆」を3拍子にするとあの名曲アメージンググレースになってしまう。

Leann Rimes - Amazing Grace

面白いことにベートーヴェンのピアノ協奏曲3番1楽章序奏部分に同じメロディが使われている。1分53秒あたり。
beethoven piano concerto 3, mvt 1 (1of2) - Brendel, Abbado


「千の風になって」の作曲者は不明であるそうだ。

しかし作者は、ここに挙げた曲以上のソックリさんを聞きながら、この曲を作ったのだろうことは、容易に推理可能なことだ。

これだけ話題になっているのだから「作曲者は、私です」と名乗ってもいいはずだ。
しかしいまだに不明のままだということは、やはりこの曲、誰かが古今東西の有名メロディを、器に放り入れ、ガラガラポンして出来上がったものではないだろうか。

今になっても名乗り出ないことの原因は、その作曲手法が余りよろしくない割には、有名になりすぎてしまったことにあり、作者不詳としたほうが安全だという理由ではないだろうか。

by noanoa1970 | 2008-01-17 17:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)