「ほっ」と。キャンペーン

年の瀬のビックリ

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頂き物の「巨大大根」
こんなに大きいものを見たのは生まれて初めてだ。
2ℓのペットボトル1本半のサイズは軽くある。
2007年の記念にUPしておいた。

by noanoa1970 | 2007-12-31 17:35 | トピックス | Comments(2)

私の音楽大賞 2007

年末になると、巷では日本レコード大賞なるものが、今でもまだ続いているようだ。
2007年はまだ決定してないようだが、少し調べてみると、

第1回が1959年水原弘が歌った「黒い花びら」それから松尾和子、フランク永井、橋幸夫・吉永小百合とつづき、美空ひばりが以外に遅咲きで「柔」で1965年受賞。

ブルーコメッツ、黛ジュン、佐良直美、菅原洋一、尾崎紀世彦 ちあきなおみ、五木ひろし 、森進一 、布施明 、都はるみ、沢田研二
ピンク・レディー、 ジュディ・オング、八代亜紀、 寺尾聰 、細川たかし・・・北酒場と矢切の渡しで1983.4の連続受賞。

小生が歌手と作品をなんとなく知っているのは、この細川たかしの1984年までで、その後は誰がどうしたかということなど、サッパリ分からない。

鮮明に記憶にあるのは、1967年のブルーコメッツの「ブルーシャトウ」までである。
この年の末、小生はDRACの大先輩で、音楽評論家でもあった故松本勝男サンの家を友人達と訪問していて、誰がレコード大賞を授与されるかというニュースを、発表よりも10日間ほど前に知らされた経験があったのだ。

そのときの話では、「実力のある者が大賞を得るとは限らない」という、世間ずれしてない学生の身分に取っては、ショッキングなことで、さらにレコード会社関係の裏取引のようなものが存在するようなことを知ってなおも驚き、資本主義社会の矛盾を身近に知る事となったのであった。

とはいってもしかしその頃は、日本レコード大賞は音楽業界の「権威」の象徴でもあり、レコードという録音媒体が、普及期から全盛期に移行する時代でもあった。
当然音楽をありがたく享受する主流は、まだまだレコードの時代だったから、この「大賞」はマスコミ間でも大々的に取り上げられ、人々の間でも話題の一つとなり、NHKの紅白歌合戦につながっていき、年が暮れていくのであった。


前置きが長くなったが、「大賞」というわけではないが、今年小生が聞いた音楽の中で最も印象深かったものを10曲挙げておくことにした。

psalms for the soul:NAXOS盤8554823
以前ブログにUPしたことがあり大絶賛したもの。

stanfordのレクイエム:NAXOS盤

③モーツァルトピアノ協奏曲集21~27・・・カサドウシュ&セル:SONY盤
26.27番は小生が古くから愛聴してきたもの。

シュニトケのレクイエム

イギリス弦楽小曲集http://ml.naxos.jp/?a=8.554186

⑥モーツァルトピアノ協奏曲21番:ギレリス&コンヴィチュニー:ヴォイトブリック盤

⑦ベートーヴェン交響曲6番「田園」:ケーゲル&ドレスデンフィル
通常の「田園」とは異種の「田園」が聞ける。

⑧ローザンタールの肖像・・・ラヴェル、ドビュッシー、ロシア音楽など6枚組み

ジェズアルド:聖土曜日のためのレスポンソリウム/4つのモテット

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:全集 - 1 天の啓示による和声の調和


声楽曲の比率が高くなってしまったが、こうしてピックアップして、小生が好きなジャンルの一つであることを思い知らされた。

数年前あたりからNAXOS盤の比率も高くなってきているが、このことは未知のジャンルに足を伸ばした事への証拠でも有る。

所謂クラシック音楽に一方的に偏ってしまったが、JAZZやブルーグラスにも上げようと思うものは少なくなかった。

一応今年のマイベストではあるが、音盤は過去に出たものも少なくない。
むしろ今年発売のもののほうが少ないだろうが、クラシック音楽ではそれも仕方ないことであろう。

初聞きでしかも衝撃を伴って聞いたのは、④に挙げたシュニトケのレクイエムだ。
この美しくも鮮烈な響きをもち、現代作品には他に存在しないような古典主義的なレクイエムは、デュリフレのそれを聞いたとき以上の衝撃であった。

by noanoa1970 | 2007-12-28 16:14 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

Emperor of the Keyboard

オスカー・ピーターソンが亡くなった。
MIXIでもブログでも、そのことの話題と、追悼の意を表すもので、満杯状態であったので、小生はただ黙って彼の残したアルバムを聞くことにし、少し時間を置いた本日ブログにアップすることにした。

「リユニオンブルース」というタイトルで、オスカー・ピーターソンについてUPしたのが今年の早春、3月27日のことだった。

そのときには今の消息などは不明のまま・・・何しろ小生などのオールドファンの頭の中では昔の映像やアルバムでしか知らないため、今でも彼の音楽はフレッシュのである。

先日、湯ノ山温泉の近くの、とあるJAZZ喫茶に立ち寄って、ピアノの入った曲をとお願いしたら、かけてくれたのが「We Get Requests」だった。

ピアノの入った曲をというリクエストに、ピーターソンの「リクエスト」で答えるという粋な試みに、オーディオ装置の割には音量の低さは気になったものの、かってのJAZZ喫茶のマスターとの間での、丁々発止的なやり取りを髣髴させて、久しぶりにホッコリしたものだった。

帰宅後オーディオ装置の違いによるピアノの音を再確認すべく聞いたのが、・・これは少し前のブログにも書いたビル・エヴァンスの「TORIOー64」。

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そしてそのときのブログには書かなかったが、勿論JAZZ喫茶でかかった物と同じピーターソントリオの「We Get Requests」そしてこれもバーブ盤の「Torio Plays」だった。

そしてピーターソンのピアノに、小生はロシアのピアニスト「エミール・ギレリス」の鋭さの有るタッチから出てくる、研ぎ澄まされたような硬質の音・・・

それがギレリスの特徴の一つでもあるのだが、彼の録音にはミスタッチなどは決して見当たらなく、しかも無機質の硬い音・・・鋼鉄の鍵盤と評されることがあるが、その表現は適切でなく、そこから出てくる音楽は、例えばコンヴィチュニーとのモーツァルトの21番の協奏曲2楽章を聞くと分かることなのだが、スカルラッティや、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスのそれぞれの演奏とは、かなり趣の異なる叙情美あふれるピアニズムもあることが分かる。

つまり卓越した技術をもつが、その技術に音楽をゆだねることなく、JAZZで言うならば、変化しながらスウィングしている状態を、それぞれの作品に自然発生的に付与している・・・(誤解を招きそうな表現であるが)

卓越した技術の陶冶から表出される音楽の叙情性
これこそがギレリスのピアニズムで、それに良く似たところを、小生はオスカー・ピーターソンに見出すのである。

JAZZファンを表面的に気取る人は、ピーターソンをポピュリズムの大家であるように言うことが多いが、それは彼の音楽を一部しか理解してないからであると、小生は確信できる。

職人としてのJAZZメンは、少なくないが、ピーターソンのように、職人の粋をはるかに凌駕し、「芸」の域に達している人はそれほど多くない。

ギレリスも、ピーターソンも、そのピアニズムを、「鋼鉄」と呼ぶことが多いが、良く聞いて御覧なさい。

ベーゼンドルファー製ピアノの、豊かな低音域と、バカラグラスのような高音域のピアノが、決して無機質な鋼鉄なんかではない、音に血と肉が通った有機的なものに聞こえてきませんか。
どちらもまさしく、「スウィングするピアニズム」といってしまってよいのでしょう。

そしてこれは、まさしく文字通り「鍛錬」ということの結果でしょう。

活躍の場こそ異なるが、両者ともに「巨匠」と読んで差し支えないピアニストだった。
しかし両者ともに、今はこの世に居なくなってしまった。

by noanoa1970 | 2007-12-27 11:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

Murderジェズアルドの音楽

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昨日エントリーしようと思っていたのだが、さすがにクリスマスには相応しくないと思って、今日となった。

イタリア後期ルネッサンスの作曲家「ジェズアルド」の作品を聞いてみようと思い立った。

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彼の名前は、それまで聞いたことだけはあったが、作品を本格的に聞いてみようと思ったのは、クリスマスの日に何を聞こうかと迷ったが、結局、「ドメニコ・スカルラッティ」のスターバト・マーテルを聞こうと決め、取り出したガーディナー盤の中に、今までは気づかなかった作曲家Carlo GesualdoのAve, dulcissima Maria という作品が収録されており、聞いて見るとルネッサンス期の作品にしては、思いのほかモダンな音楽だったので、調べてみると面白いことが分かったのだった。

まずは、Ave, dulcissima Maria・・・イタリア語などは全くといってわからない小生Ave Mariaなら何とか分かろうが、dulcissimaとなるとどうしようもない。
時間をかけて、いろいろ調べると(幸いあれ、いと優しいマリアよ)という訳が当てられていることがやっと分かった。

しかし大発見は、「ジェズアルド」そのもので、なんと彼は自分の妻子を殺してしまった作曲家にしてイタリアの貴族であった人物だという。

原因は妻の浮気で、それを見抜いた彼はある日、妻の浮気現場に刺客を差し向けて、妻と相手の男そして以前から浮気相手との間に出来た不倫の子だと思い込んだ次男をも殺害したという。

彼はイタリアの貴族であり、趣味として・・・職業音楽家ではなかったらしい・・作曲活動をし、趣味の音楽サロンを創設しようとした向きがある人だったようだが、貴族の身分であることから妻子殺人の罪を免れた。

マドリガルやモテット、そしてレスポンソリウムが現在残されているが、この事件後の作風が一説によると、かなり変化して息、半音階や不協和音を多用するようになったといわれている。

彼の用いた半音階的手法や、12音階の巧みな用法、そして旋法的ポリフォニーが主流のルネッサンス期に、それとは異色の手法を多用するようになったのも、この殺人事件の影響であると指摘する人もいる。

確かに殺人は、人の人生を大きく左右することであるし、その前後の人間的、道徳的、宗教的苦悩は並大抵ではないだろう。

小生は常々思うのだが、人が会話するということはその話の内容をお互いが理解しあうdケではなく、恐らくその言葉のトーンというか波長というか・・・つまり、知らない間に双方が調整し合っている・・・お互いが音的音楽的ハーモニーを作っているのではないかと・・・・

だから調和が生まれ、会話が内実ともに成立する。

しかし何らかの都合・・・社会情勢や個の内面的心的不和や不安や強いストレス・・・例えば、信頼していた人に裏切られて愛を失ったなどでは、顕著に出るのではなかろうか。

喧嘩して怒ったり大声を張り上げるなど、相手を罵倒するときの声のトーンや音程音域は、いつもとは違うものになっていることが多いのではないか。

会話とは、声のトーンや調性までも、お互いが自然に認め合って、より沿って調和していくことでもあるとする仮説を立てるとすれば、愛を失い、信頼を失い会話を失った者がよりどころにした「音楽」・・・しかも当時は恐らく宗教音楽か世俗的なマドリガル形式の中で、声を発するならば、それは最早人間として、信頼も愛も、あるいはキリスト教の神でさえも信じることが出来ないような、苦悩の果ての叫びとなり、それが半音階的手法、そして不協和音の多用に結びついたと考えられなくはない。

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マドリガルMoro, lasso, al mio duolo(私は死んでいく、苦悩のために)を聞くと、そのような雰囲気を感じることが出来る。

ジェズアルドを最初に気を入れて聞いたときに思ったのは、「モダン」ということだったが、それは小生が彼の作品に、現代の合唱曲において使用されている音楽語法と同じものを見出したからだった。

彼をして「ジェズアルドの半音階的音楽手法や不協和音の多様は、その後300年時を隔てた後期ロマン派の音楽の出現まで待たねばならないだろう」と評すものもいるほど、彼の音楽は確かにモダンである。

しかし、先ほどの小生の仮説:ジェズアルドの殺人者としての苦悩から発せられるところの、魂の叫びがこの時代の音楽様式の上で、音になって描かれたとするなら、それは凄いことであるかもしれないが、後世の評論が言及するような、革命的なことであると言ってしまうのには、いささか抵抗がある。

小生はブリテン初頭の近代音楽家達によって作られたPsalm:讃美歌集を聞くことがあるが、ラッター、フィンジ、ブリテンなどの作品と遜色ない音の響きをジェズアルドの作品から聞き取ることがある。

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本日・・・これも大発見・・現代作品にしては大変珍しい、古来の伝統的なテキストに則って作られた、とてもすばらしく美しくそして全曲ぶっ通しで集中して聞くことが出来る、現代の「レクイエム」では異色の存在、シュニトケのレクイエムを聴いていて、シュニトケの中にジェズアルドの音楽と類似したものがあることを発見した。

by noanoa1970 | 2007-12-26 11:27 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Christmas Eve on the Mountains

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クリスマスイブに聞く音楽は数々あれど、今年はちょっと趣向を変えて。

アーノルド・バックスの交響詩「山上のクリスマスイブ」を聞き加えることにした。
その昔PP&Mも歌った賛美歌第2編172、「GO TELL IT ON THE MOUNTAIN」:「山に登りて告げよ」 が引用されているかと思い期待したが、そうではなかったものの、そこはBAX、大規模なオーケストラサウンドが、オルガンの神秘的で、神々しいまでの響きとともに、音の洪水となって表出する。

低音弦に乗り、やはりハープの低い音で奏される序奏で始まり、徐々に暗闇があけ、光明が射してくるような雰囲気で曲は始まる。

雲の切れ間から、変化する光の洪水がだんだん押し寄せ、まるで光の波のうねりのようである。

澄んだ空気の天界から、下界を見下ろしているような気分にさせる。

トランペット・・・神のラッパであろうか、厳かに何かを語るようでもある。

チェレスタであろうか、あるいはトライアングルなどの打楽器と何かの組み合わせの響きであろうか、下降しながら刻むリズムが聞こえる中、その他の楽器が上昇下降を繰り返しながらクレッシェンドしフィナーレを迎え、そこにオルガンが荘厳に鳴り響く。
ティンパニの1打が加わり、オルガンの「神の声」を力強く演出するかのようである。

賛美歌の言葉が語るように、キリストの誕生の喜びと神秘・・・救世主の誕生を、全世界の人に知らしめんというがごとくの壮大な音楽を作っている。

最後に一瞬賛美歌の引用らしいメロディの一部が聞こえるが・・・・

賛美歌第2編172

世界に告げよ 野を越え 山越え
「救いの君は 来たりましぬ」と

罪を重ねて 悩む我を
君は許して 導き給う

道を求めて 祈る我を
君は顧(かえり)み 救わせ給う

いとも小さき 我を選び
君の御弟子と ならしめ給う

by noanoa1970 | 2007-12-24 15:34 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

架空三ツ星レストランのメニュー ・終楽章

さて三ツ星レストラン最後のメニューは、「運命交響曲」の3・4楽章が続いて演奏される慣習となっているから、それに倣うこととする。

ソナタ形式とは、大雑把に言えば、離反する第1主題と第2主題が、紆余曲折・・・変身しながら最後にはには融合していくものだ。

そんなことから、弁証法と似通ったところがあることを指摘する人もいる。

ベートーヴェンの「運命交響曲」は、俗に「苦悩から歓喜」との表現であるという人も「闇から光明」であるという人もいる。

3楽章から4楽章フィナーレに続くところの「ブリッジパッセージ」は、そのあたりの意識の経過を表すといっても良いだろう。

聞くたびごとに新たなる感動を呼び込み、そして新たなる発見をさせてくれる音楽は総ざらにはない。
好き嫌いという概念などを、はるかに超越したところに、この交響曲は存在している。

古今東西老若男女・・だれかれとなく、今風の若者でさえ冒頭の音型
「運命の動機」を口ずさむことは出来よう。
しかし残念なことに、のだめブームの波に乗ったものが、コンピレーションアルバムを買い求めてから、それぞれのハイライトされた曲を全曲聞くに及んだのだろう。

料理でも音楽でも、コース全体で料理であり音楽であるから、やはりハイライトばかりではその真髄に触れることは難しい。

まして料理においては、素材や調理法のみならず盛り付ける「器」、同時に提供される引き立て役でもあり、時には自らを主張する「飲み物類」当に「酒」、そしてテーブル演出、空間演出など、その全てが重要ポイントであろう。

ギネスの「鑑定人」たちが、どのくらい優れた美意識と美的感覚を持っているかは不明だが、「ギネスの星」は、今までは相対的にそれなりのステータスがあった。
創設のコンセプトが忘れ去られてないといいと思うのは小生だけではないはずだ。


最後の料理は、勿論「素材の融合」である。
今まではそれぞれの素材の持ち味を「主題と変奏」のようにアレンジしてきたつもりだが、やはりソナタ形式風料理の最後は、「融合・統合」であることはロンを待たないであろう。

そんなわけで考えたのが
「鴨と鰻のギャランティン・シャスールソース」
勿論これも小生の架空のレシピだ。

鴨をやや荒めのミンチにし、中に鴨の肝と白トリフを細かく切って入れ塩コショウで味を調える。
筒状にした鴨ミンチに、捌いた鰻を巻きつけ、八幡巻きのようにする。
その表面を軽く焼き色を付けたものを、専用の魚蒸し器で蒸してから、円筒にカットし、シャッスールソースで食べる。

ソースヴァンルージュあるいはグラスビアンソースで食しても美味しい。

野性味がお好きな方には、ミンチに鴨の血を加えるがこの場合はソースヴァンルージュが最も合う。

付け合せは、やはりきのこ類が良いと思う。
「衣笠茸」か「クロイグチ」があれば申し分ない。


d0063263_10351618.jpgトロッケンべーレンアウスレーゼ・・・貴腐ワインを食後にどうぞ。

by noanoa1970 | 2007-12-23 10:36 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

老師の命日

12月24日はクリスマスイブ。

巷では、クリスチャンでもないものたちが、毎年のように大騒ぎをする。
クリスマスやイブは、我が国ではとっくの昔にキリスト教とは無縁のものとなって久しい。

たまにはクリスマスの意味を考えてもよさそうなものだと思う小生は、どうやら古い考えの持ち主になってしまったようだ。

その24日は、「老師」と呼んでもその名に恥じることのない、わが国の近代の名僧「山田無文」の命日だ。

実はこのことを知ったのは、先日のブログエントリー「「柳」にまつわるetcetera...」の、ある方から、柳にかけて「花紅柳緑」は、学生時代に日本人の心であると教えられたというコメントを頂いたので、先に書いた「魯山人の命日」から山田無文の命日を調べると、12月24日・・・明後日のことだということが偶然のように分かり、なにかの「縁」を感じるところがあったので、本日早速エントリーしたのである。

小生の義父にあたる家内の父親は、京都で日本画の勉強をし、やがて水墨画を「禅画」と称し「禅画社」という名前のサークルを創設し、多くの生徒達に水墨画を教えていた。

年に一回、京都市美術館で展覧会を開催し、91歳で亡くなる直前まで、40数回にわたり続けられていたその展覧会に、その経緯は不明だが、妙心寺の管長「山田無文」老師から展覧会を記念してだろうか、老師の墨蹟が毎年1点づつ展示され、共箱に入ったものが30点ほど残された。
そして今は小生の家内が引き継いで所有するところとなった。
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その中の一つが「山田無文老師の書」の中の「花紅柳緑」写真の軸である。

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義父と老師は生前かなり親交があったらしく、小生の息子が2歳のとき祖父母に連れられて妙心寺に行ったおり、無文老師の膝の上に抱かれた写真がある。

息子も人見知りなどはせずに、老師も満面の笑みを浮かべて写っている。
老師の人柄のなせる技なのか・・・
写真の裏には、S・54年9月9日とあるから、ちょうど重陽の節句のとき。
算してみると、老師80歳のときの写真である。



「生きているのではなく、生かされている」という、老師の言葉の意味はいまだに理解しがたいものだが、「寿 わしゃ九十九まで」とは、無文老師が結婚などのお祝い事の際によく記したもの。

彼自身は88歳で天寿を全うし、仏となった。

こういう「偽」の時代だからこそ、老師の言葉を今一度噛み締めておきたいものである。

by noanoa1970 | 2007-12-22 11:01 | トピックス | Comments(0)

北大路魯山人の命日に

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12月21日は魯山人の命日だそうだ。

小生は、学生時代の1960年代、京都の白沙村荘という日本画家の居住地にある「お菜ところ」を経て「NOANOA」を開設することになったのだが、この白沙村荘こそが、芸術への開眼の場所であった。

魯山人のぐい飲みなどは、そこいらに転がっていたし、小山富士夫の作品も良く見かける環境にあった。

魯山人の生家、京都上賀茂は小生の2度目の下宿先でもあり、料理と食が好きな小生は、中学生時代から好きだった土師器などの土器収集の経験もあって、「器」・・・陶磁器に興味を持つに至った。

そんな折、美術館で開催された魯山人展でその凄さを味わい、その後白崎 秀雄の書物、自ら書いた美味論語等を読み漁ったものだった。

当時小生は、真の美食家が世の中に存在するとすれば、それはブリア・サバランと北大路魯山人しかあるまいと、本気で考えていて、NOANOAの後本格的にフランス料理の修行をするために、名古屋の一流といわれるホテルに入ったほどだった。

面接のとき人事課長と思しき人に「料理は芸術である」・・そう思っている、など生意気を言ったのも、北大路魯山人の言動のパクリだった。

小生の今までの人生の中で影響を得た人物は、あまた存在するが、やはりその筆頭は北大路魯山人なのだ。

小生が、魯山人の料理をよく真似てやるものは数多いが、なかでも牛肉と醤油と酒と4センチに直角にきったネギだけでの魯山人風すき焼き、そしてビールと砂糖と生姜で作るジンジャーエール・・・これはすばらしい。

白沙村荘:橋本家では、家人がバイト達と一緒に、よくこの「魯山人風すき焼き」を作って食べた。
関雪の息子節哉氏がこれを好んだという話であった。

国産の生姜を使えるので、ジンジャーエールは、市販のものをはるかに凌駕する味わいだ。


魯山人伝記などには必ず
京都の金持ちの呉服商で、美術品に対する造詣深く、多くの芸術家のパトロン的存在でもあり、魯山人も世話になったという内貴清兵衛という人物がいる。

小生の京都での最後のアパートは、松ヶ崎にあり、魯山人が薫陶を得た内貴清兵衛の別荘「松ヶ崎山荘」があったところの近くである。
高野川沿いの小高い場所には、それらしき仕舞多家が散見される。
アパート周辺を流れる高野川から取り込んだ疎水には、小生の時代には夏になると蛍が
飛び交う光景も見られ、8月16日の五山の火送りに「妙法」に火がともされる集落・・・それが松ヶ崎である。

内貴がやったような、芸術家達が集るサロンの雰囲気を、当時の白沙村荘は持っていて、「お菜ところ」には、常時誰か彼か・・・関雪あるいはその息子節哉に関係を持つ、文化芸術界の人間がやってきては、酒を酌み交わし談笑していった。

こういうサロンのようなところから、文化芸術の花が咲くのだろうということを激しく思わせるようなところがあり、そんな雰囲気の中で生活できたことを、今でも光栄に思っているのである。

魯山人を育てた人物の一人内貴が、スポーツ衣類やスニーカーで有名なメーカーで、若者に人気のNAIKIというブランドと関係があるとおもしろいのだが・・・・。

しかし、今では魯山人のような、総合芸術プロデューサー兼、演出者兼出演者・・・すなわち全方位に力を持った人物は決して現れはしないだろう。

何故ならば、現在の金持ちの多くは金の使い方を知らない人ばかりのようで、
人間を育て、ひいては社会貢献するという使命感が欠如しているからである。
また文化芸術について、自ら造詣深く、美意識を上位において物事を考え、そして見据える・・そのような生粋の趣味人が少なくなったことも要因だろう。

TOP画像は、小生の家にある魯山人の墨絵「竹篭の図」。
義父から譲り受けたものだ。

by noanoa1970 | 2007-12-21 14:48 | トピックス | Comments(2)

「柳」にまつわるet cetera...

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(写真は借り物です)


いつもの散歩道。

里山の貯水池にある柳も、さすがにもう葉を落としている。
この柳は、満水時にはいつも水の中にあり、畑に水を流す季節には地面にその幹を出す。

殆ど枝に茂った葉っぱを水面に漬けていることが多い。

そんな風に水に強いからだろうか。

「ばっこ柳」のまな板は、昔から超高級品といわれている。

柳というと小生は、ブリテン諸島の近代音楽作曲家、不幸にして第1次世界大戦で夭逝した「ジョージ・バターワース」の「青柳の堤」という隠れた名曲が浮かぶ。

民謡「青い茂み」を引用して作られた美しく優しい曲で、「シュロップシャーの若者」、「2つのイギリス田園詩曲」とともに、彼の残した作品であるが、クラシックファンの間にても、イギリス音楽愛好家を除くと余り聞かれることはないようだ。

前にも書いたことがあるが、小生はThe Banks of Green Willow「青柳の堤」・・・あおやぎのつつみと読ませることがどうしてもしっくりこない。

というのは、「大須ういろう」と並び、名古屋の伝統的な和菓子外郎(ういろう)の老舗で「青柳総本家」というところが在って、名物の「ういろう」を古くから製造販売していて、青柳=Green WillowでWillowは発音通り「ういろう」であるし、堤=包みと同じ発音だから困ったことに、小生にはこの「青柳の堤」という邦訳が、「青柳ういろうの包み」を想像させてしまうのだ。

小生はWillowとういろうの語呂合わせで、「青柳」という名称を使ったと思っていたが、それは間違いで、何でもその歴史は明治12年、初代後藤如休が旧尾張藩主 徳川慶勝公より「青柳」の 家号を贈られて創業したとされるから、Willowとういろうの語呂合わせではなく偶然のことだったのかもしれない。

しかし、創業者が、ういろうを店の看板として売り出そうとするときに、ヒョットしたら、Willow:ういろうと「青柳」の語呂を知っていて、ういろうを商売としてやり始めたのかもしれない。
Willow:ういろうは、余りにも出来すぎている。

殆ど全てといっていいほど、The Banks of Green Willowは、「青柳の堤」と訳されて使われているのに困っていると、とあるところで、古い日本語を使った役による表記を発見。

「柳青める堤」とされていたので、もっぱら小生はこちらを採用することにしている。

青柳とは、春になって芽を出し初夏にかけて緑の葉をいっぱいに付けた新鮮な柳のことでもあろうから、この訳はすごく良い。

携帯電話のCMで、北海道犬のお父さんが「何でも短くするな」と「ただとも」に反応し、叫んでいたものがあったが、小生も同感である。

話は変わるが、この会社の北海道犬が出てくるシリーズCMは、小生の好きなCMだ。
いつも「笑」の質を根底的に変化させるようなところがある。

ヴォーンウイリアムスの名曲に「上げヒバリ」「揚げヒバリ」という醜い訳を付けたものが、が有名なってしまったのにも残念なことである。(俳句の季語と分かったがいつそうなったか不明だ。略された言葉だから、そう古いものではないと小生は見る)

短縮が日本語をダメにする。・・・こんなことを最近富に思うようになってきたが、これも年のせいだろうか。

「柳」は東洋西欧問わず、芸術一般・・・いろいろなところでよく使われるから、身近な存在でもあったのだろう。

花札、ドジョウの格言、幽霊、能・狂言の「柳の下」・・・

これもバターワース同様ブリテン諸島の近代音楽作曲家、ブリッジにも、There is a Willow Grows Aslant a Brookという曲がある。
これも「小川のほとりにたつ斜めの柳」と訳されたり、「小川の枝垂れ柳 」と訳されたりするが、「しだれ柳」が斜めにたっているように見えるのか、本当に斜めに植えられた、あるいは斜めに育ったものかは不明だ。

しかし短縮してない前者のほうが、意味合いはなんとなく分かろうというもの。
斜めの柳・・・これは余りいただけないが・・・・
恐らくは、水面に枝葉を浸している様子を表すものだろうと推測できる。

「河岸にしなだれる柳」という訳が最もあっているように思う。

美しいがどことなく不気味さがある不思議な曲だ。
風にユラユラする柳を思わせる弦楽器のざわめきと、イングリッシュホルンの音色、そしてハープのグリッサンドが特徴的だ。

JAZZにはトミーフラナガンの演奏でも有名なwillow weep for me「柳よ泣いておくれ」がある、

weeping willowは「しだれ柳」のことで、恐らくはその立ち姿が、人がすすり泣くようだからきたもの・・・ 女流作曲家(An Ronell) Hinda Hoffmanがガーシュインンに捧げたといわれている。

詩の内容からは失恋の歌のようでもあり、奇妙な果実のように、差別とリンチにあって仲を引きさかれた黒人が恋人をしのんで、しかも怨念のようなものを持って切々と訴えるようにも感じられる。

どうも柳には、その姿かたちから、古から不気味なものが宿って居る・・・、あるいは「水」に住む魔物から人間を守る神木のようなところを人は、感じていたのかもしれない。

柳の下には霊がたむろし、悪霊たちが水底から地上に登がってくるのを柳は防御する役目を持つ・・・だから古来、堤には柳が植えられたのか。

またそういうわけで、河川のそばの道路には、柳が植わっていたのかもしれない。

銀座の柳もそのようにして江戸時代に植えられたものだろうか。

柳はそんなことを強く想像させる。

「柳の文化考」は、面白いテーマとなりそうだから、今後の課題としておこう。

by noanoa1970 | 2007-12-20 10:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

私の本棚から・・・最も影響の強かった書籍

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昭和48年15月15日と、その書籍の裏表紙に書いてある。
この本を読み出したのは、今から約40年前1968年の秋のことだ。
下宿を上賀茂に移ってから、DRACの先輩の前幹事長、T海林さんと一緒に行った百万遍の古い喫茶店「進々堂」近くの古本屋で買い求めたもの。

先輩は「三木清」を、小生は副題「美と政治の間」に興味を持ってその本を手に取ると、「中村雄二郎か・・・かなり凄い人だ」と教えてくれたので、躊躇なく買い求めたものだ。

この前から「私の本棚」という題名で、数冊の本のことを書いているが、なぜか大半が「勁草書房」から出たものだ。

今どうなっているかウイキで調べてみると、「1948年に大和(金沢市に本社を置く百貨店)の出版部「勁草書房」として創立された。1970年に株式会社勁草書房として独立した。」とある。

京都の出版社だと思っていたのは勘違いで、金沢が出自であり、最近では宮台真司、上野千鶴子等の本を出版していて健在である。

この本の初出は1961年、購入時の7年ほど前である。
前の持ち主は誰かは知るべくもないが、この古本屋は昔から京大学生が多く出入りしているらしいから、そして購入時にはすでに日焼けしたところがあったから、推測するに恐らくは、1960年代の中ば以前のこと、京大生が購入し読んだあと、古本屋に売却したものだろう。

当時の定価は500円、購入金額は確か350円だったと思う。

350円といっても、当時は120円で「のらくろ」のトルコライスやハイシライス、ドライカレーを食べることが出来たから、今思えばかなりの投資であった。
学食のAランチは90円、すウドンは25円か30円だったように記憶する。

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小生は余りこのようなことをしないのだが、この本にはよほど影響を受けたのか、目次の項目のところに、読み終えたところの項にはチェックマークを特別に付けている。

チェックマークを付けるためには、相当熟読しなければならずにいたから、この本と随分長い間格闘したことが分かる。

この本から小生は、専攻していた政治学とあいまって「伝統」「ナショナリズム」、またDRACでの日本音楽G研究に参加したことも手伝って、「美学」「日本的なるもの」等に興味を持つようになった。

その切欠を「中村雄二郎」の「現代情念論」が、提供してくれて、物の見方や考え方の
今までと違う何かを多分に与えてもらったのだった。

続いてこれは新規でで購入した「日本の思想界」を読むにいたって戦前、戦中、戦後のわが国の代表的な思想家たちについての記述は、この後の小生の読書体験に多大な影響を及ぼした。

恐らく学生時代に読んだいくつかの書物の中でも、最も刺激的なものだったに違いない。

by noanoa1970 | 2007-12-19 12:07 | トピックス | Comments(0)