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小津の晩春・・・隠された伏線の発見

小津安二郎作品映画「晩春」についてのエントリー、「二人のリスト」の中で、「巌本真理提琴独奏会」の場面があり、小生はその中の音楽の一つをフォーレではないかとした。

しばらくしてある方から、その曲はヨアヒム・ラフの「カヴァティーニ」である旨のコメントをいただいた。

MIDIの音源が紹介されていたが、映画の中で流れる音は、相当古めかしくて、MIDI音源の音質も、ヴァイオリン封ではなかったから、比較してもなかなか送断定することが出来なかった。

曲想からは・・・といっても当該曲は一部使われているし、その曲調はフランクのソナタや、あるいはサラサーテ、そしてクライスラー風にも聞こえたし、フランス近代音楽・・そう・・・フォーレのノクターンのようにも聞こえた。

音が悪い昔の映画での音楽は、そのような幻想を抱かせるに十分であった。

小生は、J・ラフのカヴァティーニの確かな音源を求めてはいたが、それはほんの短い期間のことであって、すぐにそのことを忘れていた。

d0063263_10295462.gifしかし本日偶然のように「ラフ」という作曲家の存在を思い出し、例のnaxosライブラリーで検索してみると、VIRTUOSO VIOLIN PIECESというコンピレーションアルバムに、他の作品に混ざってJ. ラフ JOACHIM RAFF (1822-1882)
Cavatina in D major, Op. 8510. Cavatina in D major, Op. 85 があった。

「ラフ」という殆ど知られていないと思われる作曲家のプロフィールは 、ウイキペディアに少し掲載されているが、中で興味を持ったのは、『1849年、ラフはヴァイマルのリストの助手として雇われドイツに移った。リストの少なからぬ作品のオーケストレーションを手がけるなどしてその力量を証明したラフは、『1851年に歌劇「アルフレッド王」を完成させてワイマールで発表する』と書かれた記述であった。

「リスト」の弟子のような存在であるとは・・・・
これで巌本真理が演奏する時の演奏品目(演奏の姿は映像としては無く、音楽だけが流れる)に「J・ラフ」のカヴァティーニを持ってきた理由が判明した。

それというのも、その前場面でのやり取りに、「リスト」の綴りの・・・経済学者の「リスト」と作曲家の「リスト」の確認作業の話が挿入されているからで、この話と演奏会で流れる「J・ラフ」がリストの弟子だったということは、偶然の一致ではないだろう。

それはリストの綴りを確認する二人は大学の教授らしき人物と、その弟子らしき人物だからである。

またまた隠された小津安二郎の「拘り」を発見してしまった。
この事実、古今東西の小津研究者の誰も気づいていないことだと思うと、なぜかとてもうれしくなってくる。

自分独自の「気づきと発見」であるから、少々誇らしく、そして非常に満足度の高いひと時となった。

by noanoa1970 | 2007-10-31 10:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ベリオ「フォークソング」

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以前のブログ2007-10-04 「ドビュッシーとブリテン諸島 」で、FERRIER,Kathleen: Songs of the British Isles :英国諸島の歌(1949-1952)とともに、ベリオの「フォークソング」は、聞いておくべきだということを述べた。

本日改めて聞いてみたので、それについて書いてみることにした。

ベリオというと現代音楽の筆頭者としてその名が知られている。
2003年彼が亡くなった直後、京都で開かれた大学時代のサークル、DRACのOB会出席当日、ベリオの「セケンツァ」全曲コンサートが、京都左京区内の3箇所の寺院で順次開催されることを知った。

小生はOB会開始前のひと時を、OB会開催場所から一番近いお寺の本堂で聞くことにしたのだった。

前日の夜京都に到着し、昔よく通ったクラシック喫茶「柳月堂」に行くために、大学前の京都御所の北、今出川通りを歩いて出町柳に向かった。
秋の月が街路の木々をを照らしていて、まるでシェーンベルクの「浄夜」を思わせたので、店に入ってすぐに、あの素晴らしく美しい・・・京都の秋の夜にふさわしいとリクエストした。

その昔ここで聞いたことの有る「浄夜」だったが、「あいにくその曲はございません」というメモが渡された。
そんなはずは無いと思ったが、個々はそのままにしておこうと、ちょうどかかっていたシュバルツコップのモーツァルトのオペラの歌曲を聴いた。

多分「浄められた夜」といえば見つかったのだろうと少し悔やんだが、京都はそのような些細なことをすぐに忘れさせてくれる何かを持っている。

・・・そんなことを思い出しながらベリオの「フォークソング」を聞く。
この曲集は愛妻だったキャシーバーベリアンのために作られた歌曲集だそうだ。
なるほど全ての収録曲には、その頃かなり彼女に無理強いして歌わせた、奇声やうめき声、ヴォーカリーズなどの非人間的で人間的な・・・実験音楽的な前衛歌曲の姿はどこにも無い。

美しい声を存分に発揮して、それぞれの国の古い歌を、「詩と音楽」そしてその歌の歴史背景をも見通すように歌って欲しいといわんばかりの曲が集められている。

ベリオのオリジナルもあれば、古くから歌われてきた歌・・・文字通りフォークソングもある。

何気なく聞くと何気なく聞こえるのがフォークソングであるが、聞いていて思ったことがある。

それはこの曲集、ベリオは何気なく曲を集め、または自ら書いたのではなく、この背景にあるのは、ベリオの音楽の原点としての民族性・民俗性・宗教性への回帰ではないかということだ。

ベリオは人間の声にしても、楽器にしても、本来「そうである」という既成概念を、感性というより、理性を持って打ち破ってきたようなところがあったように思う。
キャシーバーベリアンはその手助けをやってきた歌い手であった。

しかし面白いことにこのように前衛的だと言われていた人が、突然古いものに回帰することは、他の作家において経験することは少なくない。

「回帰」と簡単に言ってしまうことも出来るが、小生はこれらは「回帰」では無く、彼らが本質的に持っていた・・・例えば幼い時母親が歌っていた子守唄や、冠婚葬祭時にだれかが歌っていた歌、お腹の中で胎児が聞くように、それらがある日突然塊となって押し寄せてくる・・・

そんなことがあったのではないかと想像してしまう。

フォークソングの語法は、どこのものを聞いても、底の部分でつながっているようなところがある。

クラシック音楽の歴史を見ても、自国の民謡は勿論のこと、異国の民謡に着眼してきた例は数多く存在する。
ベートーヴェン、ブラームスなどなど、数え上げたらきりが無いほど多くの作曲家が、積極的に異国の民謡を取り入れて、それを上手く使いこなしている事実がある。

異国の珍しい音の響きに着目しただけの人もいるが、中にはその歴史風土民族宗教に関心をもつ人もいた。恐らくベリオはその一人ではないかと思われる。

アイルランド、アゼルバイジャン、アルメニア、シチリア、サルディニア、オーベルニュの民謡を、余り極端に変化させること無く、あくまでもエキスを限りなく残した姿で、再構築している。

第1曲目のBlack is the Colour を解説の殆どがアメリカ民謡としているが、このオリジナルはアイルランドの民謡である。
「黒い髪は私の恋人の証」という恋の歌であり、トラッド、フォーク、JAZZで歌われる。

youtubeからピックアップした「Black is the Colour」

Judy Collins Black is the color

Nina Simone's Black is the Color

The Corrs - Black Is The Colour

by noanoa1970 | 2007-10-30 10:29 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

DRAC諸氏への連絡

連絡です

75年度入学のHN:drac-ob氏が、自身のブログ「別館4階のBOXから」で、小生の後の年代を引き継いでいただいて、「DRAC興亡史」1975~1980 前史その1の掲載からスタートされました。

1972年以降途切れてしまった、その後のDRACの面白い話が聞けると思います。
皆さんお読みください。

上の文章の「別館4階のBOXから」「DRAC興亡史」1975~1980 をクリックでリンクします。
URLは下記のとおりです。

http://gakkan.blog64.fc2.com/


by noanoa1970 | 2007-10-29 11:21 | トピックス | Comments(0)

暖かい暖炉に水を掛けるな

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Cannonball Adderley Quintet のMercy,Mercy,Mercy!Live at 'The Club'を初めて聞いたのは1967年。
京都の「蝶類図鑑」か「YATOYA」でのことのように記憶する。

当時、バップかフリーがよくかかっていたのに、この選曲は大変目らしく、小生は一瞬R&Bが聞こえてきたかのような錯覚を覚えた。

それというのもその頃ラジオからは良くアレサフランクリン、パーシースレッジ、そしてオーティスレディング、サムクック、ソロモンバークなどのソウル系のミュジシャンの音楽が聞こえてきて、そのゴスペルとブルースとJAZZミクスのような音楽にインパクトを覚えていたからであった。

A面の2曲目の「GAMES」はナットアダレイの手になるソウルフルな曲だし、3曲目アルバムタイトルにもなっている「Mercy×3」は、なんとジョーザヴィヌルの作品で、こういう音楽をJAZZでは(「ファンキー」というのだろう)エレクトリックピアノを使ったスローだが軽快な音楽に魅了されてしまった。

(今聞きなおしてみると、この曲どこかオーティスレディングのドッグ オブ ザ ベイにフレーズが似ているところがある)

早速壁に掛けられたレコードジャケットを記憶しタイトルをコースターの裏にメモしてから、レコード店に行き入手した。

その頃の小生はJAZZZ喫茶とクラシック喫茶の両方を渡り歩いていて、クラシックはもっぱら出町柳の「柳月堂」か余り出ることは無かったが、街中に出たときは、三条川原町の「るーちぇ」、しかしJAZZ喫茶はかなり乱立していたのと、店によって音響装置が違う性で、音の特色の違いがが色濃かったので、いろいろなところを物色した。

「ブルーノート」、「ダウンビート」、「52番街」、「しあんくれーる」(1Fがクラシック2FでJAZZを掛けていた)、少しシャレた雰囲気を味わいたいときは「ムスタッシェ」、大学の4年になってもまだ単位を取ってなかった体育の授業で一緒だった男が今度始めるといった「コットンクラブ」などなど、思い出の場所は多い。

熊の神社の交差点に近い「YAMATOYA」は中でも好みのJAZZ喫茶だった。
この店は他の店ほど音量を上げないから、真空地帯のような沈黙がなく空気管があり、しかも声高にしゃべる声は逆に聞こえない店の持つ独特の雰囲気があった。

この主人、陶芸をやる人で、後にNOANOAの2Fで個展を開いたときに再開した。
当時は若い奥さんと2人で店をやっていて小生とほぼ同じ世代の人間のように思えたが、40年時を経てみると、やはりそれらしくなっていて、それは小生も同じなんだと納得したものだった。

あの当時はレコード音楽、それにかかわる情報はうんと少なかって、このアルバムの
Live at 'The Club'の'The Club'とはどこかのJAZZクラブ、そしてこのレコードの録音はそのライブ録音であると信じきっていた。

レコードからはそれらしいライブハウスの雰囲気が伝わってきて、客のざわめきも、ナレーションも、あたかも自分がそこに存在して生で音楽を聴いているかのような気分を味わうことが出来、こんなところでお酒でも飲みながら音楽が聴けたらいいな・・といつも思っていた。

レコードジャケットの裏にはそれらしきことがかかれていて、「シカゴ」のJAZZクラブでのライブであるように読める。

しかしある筋からこれは「真っ赤な嘘」であるとの情報を得ることになった。

このレコードはシカゴのJAZZクラブでのライブ録音ではなく、ロスアンジェルスのスタジオに観客を入れて、(お酒などを出したかどうかは、分からないが)あたかもJAZZクラブのライブのような演出の元で録音されたものであるなどという、いわば今流行の「情報公開」がなされた。

でも、しかし、・・・・

たとえそれが事実であったとしても、そのことを声高の叫ぶことが、誰のために、そしてどのようなメリットがあるというのだろう。

隠された真実を公表することは、一般論的に言えば、確かに正しい行為であるかもしれないが、隠されていた(擬似ライブ・・・これはクラシックの世界においてもよくあることで、ゲネプロに観客を入れたものをライブ録音として市場に出すなどの事実は必際にあったことだ)ことを、そのままにしておいても、誰も不利益にならないだろう。

それにもかかわらず、敢えて公表し、「俺はこんなことまで知っているぞ」などという極個人的な喜びを満たすための道具としてしか「情報」を公開する意味がないとすれば、このプアーな正義感から出た情報公開は、(この場合はまさしくそうであると思う)付加価値を生産することにはならず、帰ってマイナスの価値を生産してしまう。

しかもこのレコードが世に出てから40年経つのだが、当時からこのレコード音楽に抱いてきた視聴者の「夢」や「思い」そして「憧れ」をも一瞬のうちに打ち砕いてしまい、「騙されていた」という感情が先走ることになる。

価値を再生産しない情報公開などは必要が無い・・・というと反感を食らう可能性が大であるが、敢えてこのように言っておくことにした。

「真っ赤な嘘」という悪意がこめられたような言い回しが、このレコードに収録された音楽演奏に悪影響を及ぼす可能性があるなどとは思わない想像力の欠如は、・・・多分音楽関係者であろう人間の言動としては最低であり、「それは別にして音楽そのものの価値に変わりは無い」などのフォローを入れておく気遣いは必要であろう。

「亀田事件」のマスコミの、そして視聴者の反応がたった1日で逆転するような危うさを人間の感性は持っている。
こうした例を挙げるまでも無く、「情報」の与え方、そして得方の問題は奥が深い。

by noanoa1970 | 2007-10-29 10:45 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

自分の感受性くらい

先週たまたま観たTV。
「金八先生」をやっていた。
30年昔と今では教師、学校、教育、生徒、(P)TAなど様々な環境が変わっているのをどのように表現するのか、少し興味があったので、チャンネルをそのままにして、しばらく観た。

女子生徒が、私服登校をすることから展開される様々な問題と、息子の個性を尊重しない父親の家庭教育、そして学校が生徒を集めたいために依頼した、もとJリーグ選手のサッカーコーチの指導方針をめぐる生徒との対立・・・
生徒の「個性」とは何かを問うような内容だったと記憶する。

(見る限り、製作の基本姿勢は昔と変化は無いようだ)

小生がインパクトを覚えたところは、金八が女子生徒に渡した一冊の「詩」
そしてその一節は

「自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」

というものだった。

小生はこの詩のことは知らなかったし
物語のシチュエーソンから推して、また金八の例の鼻にかかった発音から、勝手に「ばか者よ」を「若者よ」と聞き間違いをしていたようだが、なんだか気になって検索すると、作者も詩の全貌もネット上にあるのを見つけた。

作者は「茨木のり子」という人で、詩誌「櫂」を創刊「戦後現代詩の長女」と目された人であるという。
戦後詩人の谷川俊太郎、大岡信、吉野弘ぐらいは有る程度知っていたが、この女流詩人は知らなかった。

「自分の感受性は自分で守れ」

作者の背景には「戦争」があったといい、以下のように述べている。

『実は、この詩の種子は戦争中にまでさかのぼるんです。
美しいものを楽しむってことが禁じられていた時代でしたね。でも、その頃はちょうど美しいものを欲する年ごろじゃありませんか。音楽も敵国のものはみんなだめだから、ジャズなんかをふとんかぶって蓄音機で聞いたりしてたんです。隣近所をはばかって。これはおかしいな、と。』

一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしいんじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじゃないかという疑問は子供心にあったんです。
ただ、それを押し込めてたわけですよね。

今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうしたときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをするっていう、戦争時代からの思いがあって。だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」なんですけどね。』


自分の感受性を守らなければならない状況は戦後の今も存在する。
「感性」の脆弱さ危うさは昔も今も変わらないことだろう。

さすれば・・北壮夫風に言えば「一心不乱に桑の葉を食べている蚕が、咀嚼を止め時々頭を持ち上げる」ように、自分の感性のその源を反芻することは必要ではないだろうか。

社会環境は「感性の脆弱さ」を食い物にして、いろいろなものを仕掛けてくる。

感性の陶冶・・・の意識と努力は必要だろう。
内なる感性と内なる論理の丁々発止こそ、満足度の高い、「ものの見方考え方の」、そして新たなる価値創造への道へとつながってくるのだろうと思っている。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ




by noanoa1970 | 2007-10-28 11:07 | トピックス | Comments(0)

映画の中の伏線で考えた

「マディソン郡の橋」では音楽が巧妙に使われているが、それとともに、さらなる面白い伏線が仕掛けられている。

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物語冒頭で、主人公フランチェスカの子供達が、母親の遺産を整理するシーンで、フランチェスカが愛した写真家キンケイドの遺産を受け継いだ箱の中から出てくるペンダントがこの写真である。

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これはキンケイドがフランチェスカに贈ったものだが、その十字架の形状は、上の写真のように「ケルト十字架」である。

このことから、写真家キンケイドはアイルランド人あるいはアイルランドからの移民の末裔であることが分かる。

一方先のブログに書いたように、フランチェスカは、ベッリーニの歌劇「ノルマ」を好んで聞くことから、イタリア人であることを想像させ、歌劇のストーリーを知っている人は、これからの物語の展開を予想させる伏線になっている。

原作など読んでもいないし、小生はこの映画のストーリー展開が好きではないが、この映画のこのような仕掛けについては興味を抱き、そこにクリントイーストウッドの監督としての才能を見るのである。

しかしそこは観る対象を固定しない映画のこと、万人向けに製作するためには、伏線だけに終ると、観る人の全てに理解を得られないから、途中でアイルランドの詩人「イエーツ」の詩まで読ませるにもかかわらず、キンケイドは自らアイルランド出身であること、そしてフランチェスカは、自らイタリア人であり、しかも南イタリアのバリの出身であることを口にして観客に分からせてしまう。

さて物語の最初の伏線と、途中で明らかになる2人の出身地・・・
小生はこのこと、すなわち両者ともに異邦人、いわば異教徒の人間であったことはかなり重要なことだったのではないかと想像する。

歌劇「ノルマ」は異邦人、異教徒同士の恋愛の話で、これから始まるフランチェスカとキンケイドの恋愛も、異邦人同士そして、物語中間でエピソード的に挿入される、カフェでの光景で、そのことの重要性と結末の理由の伏線が張られている。

それは、ある町のカフェでキンケイドがカウンターに座ってお茶を飲んでいると、有る女性が入ってくる。
すると店にいた全員がいぶかしそうにその女性を見る。
キンケイドは事情を知らないから、躊躇無く隣の空いている席に、その女性を座らせる。

ウエイトレスは、乱暴に水のコップを置き、ぶっきらぼうに注文を取る。
まるで、「お前なんかこの店に来るな」・・・周囲の客はみな、「お前なんかこの町から出て行け」・・という雰囲気だ。
どこからか小声で誰かが言う、「不倫したのがバレタのよ」と・・・。

このことは2つの意味を持っていて、小生が強調したいのは、村社会における「差別意識」である。

「不倫」による差別的な視線は、直接キンケイドとフランチェスカにかかわってくると予想されるが、もう一つの重要な視点は、「異邦人」あるいは「異教徒」という隠された差別である。

フランチェスカはイタリア人そして南イタリアのバリ出身というから、連合軍の南部イタリア防衛戦で上陸したアメリカ兵の夫と知り合って恋に落ち、結婚してアメリカはアイオワの田舎町にやってきたことを思わせる。

1945年前後のことだろうから、その時代はアメリカでさえ人種差別は田舎ほど激しかったと予想される。
黒人が対象とばかりはいえず、異邦人・・特に敵国であったイタリア人そしてカトリックといういわば異教徒のアイリッシュも、目に見えない差別を受けたことは推測可能だ。(日本人は宗教煮ついては無関心だが、当時はまだプロテスタントとカトリックの反目はユダヤ教徒ほどではないにしろ有ったであろう)

小生は、ヒョットしたらイーストウッドはアイリッシュではないのだろうかと推測して、調べてみると、以下の記述があった。

クリント・イーストウッドは父クリント・イーストウッド・シニアと母モーガン・イーストウッドの間に生まれる。スコットランド、アイルランド、ドイツ、イングランドの4ヶ国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃は世界恐慌の煽りを受け生活は苦しかった。
なるほど矢張りイーストウッドの底辺には、アイリッシュのルサンチマン的感性があったのだろうことは、想像を拒むものではないようだ。

by noanoa1970 | 2007-10-27 10:19 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(0)

映画の中の音楽で考える

クリントイーストウッド出演監督作品「マディソン郡の橋」では例によって効果的に音楽が使われている。

すぐに気がつくのは「ベッリーニ」のオペラ「ノルマ」からマリアカラスが歌う「清き女神よ」である。

異教徒同士の恋と異教徒の戦い・・・そして破局。
侵略者である古代ローマの長と、非侵略者のガリアの巫女との許されない愛ふをテーマとしたこの物語が、マディソン郡の橋では、ローマ=イタリア人の人妻とアイルランド人の写真家の悲恋となって再現されるように効果的にユ変われる。

ちょうど歌劇「ノルマ」の男女の民族人種がが入れ替わったかのようだ。

また「ノルマ」がそうであるように、占領軍と非戦占領者の恋という視点では、マジソン郡の橋では、妻と夫の関係がまさにそれである。

主人公の人妻は、イタリアの田舎町の出身だから、第2次大戦でイタリア戦線に出兵していた夫と恋に落ちたと推測できるだろう。
物語では語られないが、アメリカのワイオミング州の田舎では、あの当時なら人種差別、宗教差別、敗戦国差別意識はあったであろうから、途中で挿入されるどこかの女性が不倫で、村八分にあったようなところまではいかないにしろ、そのような差別の空気は存在したのでは無かろうか。

歌劇が好きな人妻の隠れた教養を暗示しているようで、それに引き換え、娘や夫の粗忽な振る舞い・・・お祈りもろくにしない、ドアをバンと開け閉めする、聞いているラジオ局を断りもなしに変えてしまう・・・そんな日常の生活に対する潜在的不満と、幸せだったと思われる少女時代のイタリアを思い出すようなシーンでもある。

映画の中で流れるのはマリアカラスが歌う「Casta Diva 」

清き女神、あなたの銀色の光は
この聖なる老木を洗い清めてくださる
どうぞ、そのかげりない明るい面を、
私たちにもお見せください。
どうぞ、この燃える心を、
人々の興奮を、やわらげて下さい。 
天を治めるそのこころよい安らぎで、
この地上をもつつんで下さい。


聖なる老木とは古い樫の木のことであろう。
古代ケルト人は樫の木を神木として彼らの民族のトーテムとしたようだ。
ドルイド教下のケルトの民は、樫の賢者を自然神として信仰の対象にしたといわれている。

さらに挿入されているのは女性ヴォーカルと男性ヴォーカルの」
For All We Know
I'll Close MY Eyes
Easy Living
Blue Gardenia
I See Your Face Before Me
Soft Winds
Baby, I'm Yours
It's A Wonderful World
It Was Almost Like A Song
This Is Always

主に使われているのはジョニーハートマンであることはあの独特の甘ったるい声で分かるが、それは全てではないようだ。

For All We Knowをこの映画の中で最初に聞いたときは、ビリーホリデイが歌ったものだと確信したが、続いて出る女性ヴォーカルは、ダイナワシントンのように聞こえるものもあり、サラヴォーンの粘りの有る声も聞こえるから、かなりの人の録音を使用して劇伴音楽としたようだ。

For All We Knowの歌唱がビリーホリデイなのか、それともダイナワシントンなのか・・・2人のいずれかであることの推測は可能なのだが、断定は出来ない。

有る時期のビリーホリデイとライナワシントンの声も、歌い方もとてもよく似たところがあるからだ。

今日はビリーホリデイをDECCA録音盤を含めVerve録音のものを3種類聞いた。
久しぶりに聞くことになったが、実に良い・・・・
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ダイナワシントンはクリフォードブラウンとの録音を明日聞くことにした。

by noanoa1970 | 2007-10-26 16:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

行列待ちで食べるラーメン(のような)


(美味しいラーメンの話だと思われた方は勘弁してください)

およそ、人間の持つ感覚というものは、非常に不安定極まりないものである・・・
そう小生は思うのである。

このことは生活の中で様々な形で体験できる。

何時だったか、そのことを実験するのに、京都の一流の料亭に、主婦達数人を招いて、吸い物を提供して味の評価を聞くというものがあった。

この料亭は教徒でも屈指の名料亭で、主婦がおいそれと行ける様な所ではないから、恐らく彼女達はその前から期待と想像力で、心の中を一杯に満たして参加したのであろう。

建物の、調度品の、照明の、庭が配されたエントランスのしつらえ、そして料理の器。
それらの相乗効果が相俟って、提供された「吸い物」の感想は、全員がパーフェクト・・・さすが料亭〇〇さんだけのことはある・・と手放しの評価であった。

しかし・・・なんとその吸い物を作ったのは小学校5年生の女の子であった。

彼女の腕がたまたま、通常の人間よりも良かったことは推測可能であるが、一流料亭の板前と比べれば、ダシのとり方も、塩梅も知れているから、極普通のシチュエーションであれば、いかに味覚神経に乏しかったとはいえ、何人かがその味に気がつくはずだ。

このように人間の味覚を含む感覚には限界(絶対感覚がない)があることは明白な事実のようだ。

30分以上並んで、やっとのことで食べることが出来るラーメンなども、そういう・・・他の付加価値要素が働いて、味そのものに対する感覚が鈍ることも多いのだろう。
そして、これらのことは一種の「ブランド志向」「ブランド信仰」ということも出来そうだ。

さて、「音楽」に関しても似たような経験がある。

例えば、クラシックファンでなくてもその名を知っている「ヘルベルトフォンカラヤン」というカリスマ的指揮者がいて、古くから彼の演奏振りは評価されてきた。

しかしコアなクラシックファンの間では、まるでブームのように、ここ20年ほど前あたりから「アンチカラヤン」という声が声高に叫ばれるようになったと記憶する。

「アンチカラヤン」=クラシック通である・・・このような図式がいつの間にか定着しかかったような様相を呈した。

一方「アンチ巨人」というのも有って、これもほぼ「アンチカラヤン」と似たような傾向であるように思われる。

「強いものへの反抗」・・判官びいき、あるいは「ネームヴァリューの大衆化」に反目するというマイナス加速は確かにあると思うのだが、大抵はその向こう側に対抗軸としての擬似ブランド志向がある。

つまりいずれもが同じ土俵上に立っているのだが、当の本人達は、そのことに気がついていないということだ。

例えばカラヤンの対抗軸として引っ張り出されたのがSergiu Celibidache「チェリビダッケ」で、彼がカラヤンとベルリンフィルをめぐった権力闘争に敗北していったことを受けて、またその音楽性が大いに異なることから、また人種的なことも含めて、一時期アンチカラヤンサイドから担ぎ上げられていて、いまもその影響は大きいものがある。

残された音盤を聞くと、ザハリッヒで、豪華きらびやかな音楽のカラヤンと、表現主義的、瞑想的、ユッタリしたテンポ設定を多く取るところから来る、神秘性、伝説のように語られる毒舌で、カールベームをこき下ろしたり、ベルリンフィルに難癖を付けたりしたというから、アンチカラヤンの旗頭としてもてはやされたのは事実である。

しかし実は、これらのことは彼らの音楽性とは余り関係が無いことで、昨今特徴的なことの一つ・・・少し前までは録音されたものをLPやCDとして発売する前には、必ず演奏者のチェックと了解が原則であったのが、彼らが亡くなってしばらくたった今日では、その頃の了解事項が見事に破られ、何でもかんでも音源として残されているものをチェックも、勿論本人の了解など取るはずも無く、「商品」・・・しかもヴァーゲンセールの・・体をなして来ているようになってきてしまった。

その昔なら到底演奏に瑕疵があるような録音は、世の中に出ることに歯止めがかかったのだが、今ではその歯止めが機能していないから、そしておまけに非常に安価に発売されるから、「情報開示」がごとく、洗いざらい彼らの残した演奏が耳にさらされる今日である。

音源における情報の量・質は、過去とは到底比較にならないのである。

したがってその気になれば、彼らの残した演奏を殆ど聞けるから、ようやく今彼らの正当な評価も可能になってきているように思うのだ。

一昔前は一種の情報操作・・・瑕疵を上塗りして訂正したり、出来がよくないものは市場に出さない・・・いろいろな立場でフィルターが掛けられていたが、いまではそのような手間暇がかかることはしなくなって、何でもかんでも売れそうなものは市場に出してくるようになった。

こうして一昔の「神話」は崩れていき、ネームバリューの高い演奏家達にも、失敗があり、全くつまらない演奏をしていることがあるということが分かるようになってきて、コアであればあるほど、その価値観を新たにせざるを得ない状況となってきたようである。

ところで「カラヤン」であるが、小生は今まで聞きえた彼の新旧の音源から、「カラヤンに駄作は無い」と断言できそうな確信を持っている。
このことは好き嫌いとは少し違う意味で、好きな演奏スタイルの演奏家は他にもいるが、カラヤンが残した録音の殆どは、そこそこの水準を保っていて雑味は殆ど感じられない。

しかし対抗軸のチェリビダッケの音楽は、出来不出来がとても激しく、素晴らしいものはカラヤンを凌駕することさえあるが、送でないものもあり、その落差は大きい指揮者である。

鋼鉄の羽物と、ステンレスの羽物の差のようでもある。(例が帰って分かりにくいかも)

このことは簡単なようでそんなに簡単ではないことで、才能あるプロでも、時には気が入らないことはあるし、生の演奏会ではかなりそのことを経験したことがあるから、コンサートライブは、(これを絶対視する人が多いのにも困ることがあるのだが)ある種のギャンブルのようなところがあり、ネームヴァリューがある演奏者が必ずしもすばらしい演奏をするという保障は何も無い。

ましてオーケストラにおいては100人に近い人が集っているわけだから、中には体調、気分がマイナーなままで参加している人もいて当たり前。

そのような人が10%もいれば、他がどんなにがんばっても緊張感ある演奏にはなりようが無い。
そんな物凄い者には、めったにお目にかかれない・・・現実はそんなものだろうと思っておくほうが良く、これは一種の「運」でもある。
当たったときには幸運だ。

ところが、中にはこういうことを理解しようとしない輩もいて、「高いお金を出して、名のある演奏者のコンサートに参加したのだから、絵も言われないような音楽を聞かせて当たり前だ」と端から思い込んでいる人がいて、そのような人たちの感覚をさらに鈍らせるものが、以下のように・・・・

・・・・「30分行列して、やっと食べるラーメン」の例のように、「並んでまで食べるという付加価値」によって本質の味=音楽・演奏を見失ってしまうようなところがあるから注意が必要で、よく「良かった」「感動した」などなど自身の感性をこのような言葉で表現して満足してしまうことが、往々にしてあるが、(そういう感性の大切さを十分わかった上で、敢えて)それはどうしてなのか、どういうところから来たのか、なにに対する感情なのか・・・など自問自答することも必要だと思うこのごろである。

確かにコンサートライブは素晴らしいが、純粋に演奏・音楽そのものを聞くという観点から見ると、紛らわしい付加価値が多すぎるのも事実だから、音楽の享受の仕方も、そこから得られる感性も、いろいろな場面で確かめてみることが必要なのだろう。

コンサートライブ評というものが散見されるが、小生はそれらは全く信用しないことにしている。
それによる演奏者の評価のような論評は、かなりの疑いを持って、軽く受け流すか、殆ど参考にもしない。

たった1回にしか過ぎないものを、しかも時間ととともに瞬時に過ぎ去っていく(繰り返し聞くことが不可能な)音楽の演奏評価が出来るほど、人間の耳や感性は強固ではなく、可能なことは個別の楽曲についての演奏の一瞬の印象、あるいはコンサート全体についての個人的感想の領域にとどまるに過ぎない事でしかありえないと思うからである。

一回性のライブコンサート評は、たとえ無責任に何を書いても許されると思う風潮があるから、(その場に参加していない人にはわからないから)褒めようが貶そうが、あまり性質がいいものではない。

そういう意味では、誰もが追体験可能な音盤評であれば、その評価の違いの理由を自ら探ることが出来るから、「評論」「評価」における眼力も訓練のシナジーが図れるというものだ。

しかし音盤とて、それを聞く環境は千差万別(ある人はPCで、ミニコンポで、またある人は専用のオーディオルームで巨額のオーディオシステムで、という具合に)であるから、一筋縄では行かないものがあることも事実。

音響装置によって録音された演奏が異なって(音のみではなくその質感までもが)聞こえることは実際に経験することだから、「音楽と対峙」するのは非常に厄介なことでもある。

by noanoa1970 | 2007-10-25 10:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

お気に入りの珈琲と聞きたいレコード

リー・コニッツとレッド・ミッチェルが、1974年にステイプルチイスに録音したコールポーターも作品ばかりを集めたアルバム。

ジャン・リュック・ポンティが、フランクザッパの曲を演奏した「KINGKONG」

ジャックブルース、カーラ・ブレイ、ドン・チェリーの3人が会し、サミュエル・ベケットの詩にマイケル・マントラーが曲をつけた超レア盤「NO ANSWER」

復帰後のアート・ペッパーのアルバムも・・・

・・・定盤の「ジャイアントステップ」、「ア・デイ・インザ・ライフ」や、リーモーガンが聞きたくなって、「イーストコーストjAZZ」などかなり珍しいものも取り出だした。

ジャケットの上にある赤い缶は、京都三条堺町の「イノダ」の珈琲、小生の大好きな
レギュラーコーヒー「アラビアンブレンド」である。

高田渡が「三条に行かなくちゃ・・・三条堺町のイノダって珈琲屋へね」

珈琲を飲みながら60年代のJAZZ喫茶の気分を味わってみたい。

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by noanoa1970 | 2007-10-22 12:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

封印された振武寮・・・特攻隊の悲劇

昨夜NHKスペシャルで、特攻隊の悲劇「振武寮」という番組を放映した。
この夏小生は映画「月光の夏」を再びGyaoで見ることとなり、それをブログに書いた。

知られざる戦争の傷「振武寮」
月光を弾きて往きたる特攻の 思い語るか古きピアノよ

そこで、そのとき以上に知りえた事実を、録画をせずに一気に見たので、記憶が不鮮明なところがあるが、覚えている限り、書しておくことにした。

敗戦の色が濃くなってきた1945年、学徒動員が盛んに召集され、多くの大学生が戦闘要員として戦地に配置される前の訓練を受けた。

三重県明野の訓練場で、たった3ヶ月の飛行訓練を受けたに過ぎなかった六郡航空隊志願兵は鹿児島の知覧飛行場から特別攻撃隊として出兵するための要員となる。
その殆どが18から20才の若者であった。

彼らの中には、肉親を米国戦闘機の機銃掃射で無くし、その堅きうちをするために志願したものもいた。

陸軍参謀本部は自体を考えて、「一機一艦」という体当たり作戦を机上で考えることになった。

現場の指揮官の中には、その非現実性を指摘する人もいたが、それらの声は有事の重さによってかき消されたという。

少し先に実施された海軍特攻隊の(有名な神風特攻隊)の戦果が華々しく伝えられると(恣意的な報道管制・・大本営発表によるものだろう)、海軍に負けてはならないという、いわば身内の戦いから、陸軍航空隊による特攻作戦が具現化されたという側面があったということが分かった。

しかし陸軍の保有する97式、あるいは1式戦闘機(隼)は、長樹の使用でエンジンも、機体も相当老朽化したままであり、おまけに対ソ連用に開発されたという背景を持つから、海軍の戦闘機や爆撃機のような性能は保持してなかったという。

そのため250K爆弾を搭載して航続するためには、他の重量あるものをすべて取り去らなくてはならず、無線装置、機銃真で取り去られたという。

それでも作戦の、高度1000mから垂直に下降して、敵艦に体当たりするなどは、技術的にも、戦闘機の性能から言っても不可能であったという。

陸軍の両戦闘機は時速300Kが限界点で、350Kを出すと空中分解する恐れが多分にあったという。

たった3ヶ月の飛行訓練しか受けてない素人同然の航空兵派、仕方なく水面スレスレを飛行せざるをえなかったが、それは非常に危険をともない、援護機も無いままに出陣したからグラマンヘルキャットに撃墜されたものが多かったという。

恐らく知っている人は少ないと思うが、特攻隊で出撃した総数は約4900人、(恐らく殆どの人は)特攻隊の全員が、見事に「お国のために死んだ」と思っておられるかもしれないが、実はそうではなく約半数近く(記憶では)が生き残っているという事実だった。

映画「月光の夏」は、出撃前にピアノを弾きに鳥栖小学校を訪れた2人の若者への思い出を描いた話であるが、そのうちの一人は生き残った。

理由は殆どが戦闘機の整備不良で、エンジンがストップしたり、操縦コントロール不能で、作戦の場所まで到達できずに不時着したり、最寄の基地に帰還を余儀なくされたものだ。

番組の中では第22振武隊(陸軍航空隊の別名を振武隊という)に配属され、沖縄作戦に特攻隊として出撃したが、飛行機が整備不良でやむを得ず島に不時着し生還した人の話があった。

彼らはすべて福岡の「振武寮」という帰還した特攻兵の収容所に入れられて、上官から「何故生きて帰って来た・・国賊」と罵られ、激しい叱責をされ続けたという。
そして下界には顔を出すことも出来ないまま、精神修行の鍛錬や、肉体的訓練をさせられた。

特攻隊員は、神兵であり、国のために尊い命を捧げた英雄でなくてはならなかった。
その神兵である英雄英霊が生き残っていては困るのだ。

大本営発表の嘘や、続いて出兵する若者達の士気に影響することを恐れた参謀達の悪知恵の結果であった。

番組でインターヴューを受けた特攻隊の生き残りの人たちは、もうすでに80台の半ばの人ばかりだが、中の一人は、仲間が最後に書き残した国旗をいまだに、カバンに入れて全国を行脚し、無くなった特攻塀を供養しているという。

彼の仲の良かった一人は師範学校から志願した若者で、出撃前の彼の言葉は「もう一度生まれ変わるとしたら、戦争の無い国に生まれて、教壇にたって多くの生徒を教えたい」ということだった。

出撃が決まってから数日は「死」について悩んだが、前日には親兄弟親戚友人知人を守るためにということに落ち着き、国のため、まして天皇陛下のためにということは一切思わなかったという本音を言っていた。

振武寮の寮長という陸軍少佐級の人物が残したテープで、「彼らは全て大学生で、通常の兵隊より学問があったしか、人の命は地球より重いなどといい、何故われわれが何のために死ななければならないのかなどと言ってくるものが多かった、などと当時の振武寮に収容された若者を語った。

さらに、特攻兵と天皇陛下の命令によって・・・つまり赤紙によって召集された兵隊を差別したことがあったらしく、与えた飛行機も特攻兵には旧式のものであったという発言も有った。

戦闘作戦として全く効果も無く意味も無い・・・それを分かっていながら、このような無謀な作戦を実施した・・・集団ヒステリーのような陸軍参謀の心的要因を探りたいのだが、思うにそれは連合赤軍、オウム、そして昨今の紀元水をシンボルとする宗教団体の、集団リンチにいたる心的動向の結果であったのかもしれない。


こうしてみると映画「月光の夏」は、かなり忠実に事実を語った映画であることが分かった。

「生き残ったものの苦しみと悲劇」が、現実としてそこにあった。

by noanoa1970 | 2007-10-22 09:58 | トピックス | Comments(0)