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出来事

ブログを書いていた先ほどのこと。
午前10時半ぐらいだったか、ガシャンと大きな音がした。
また事故だ、小生の住まいは3方道路にあって、玄関側の東道路は、ほとんど車の往来は無く、町内の車がわずかに通るだけ。

問題は北側と西側の道路、この道は幹道の側道で、北側の道路は狭い割りに車の通行量が多い。先にある幹道が込み合うのを避けての事。西の道路は幹道に通じる割と広い道路で、かなりのスピードを出して車が通る。

この北の脇道路と西の広い道路の交差点の東南角が小生の住まいに当たるわけだ。
この地に来てからはや20年ほどになるが、当初はそれほどでもなかった交通量が増え、今では随分周囲の音もうるさくなってきた。

防音の音楽室を早めに作っておいたのが功を奏し、窓を閉めている限り音楽室では、うるさいトラックのお音も聞こえない。

今日は窓を全開にし、空気を入れて蝉の声を聞きながらPCの前に座っていたのだ。
そのときに聞こえたのが、車同士がぶつかる音と、明らかに車がどこかの石垣かブロック塀にぶつかるような音がした。

小生の住処の交差点では10年ほど前から事故が多く、小生の家のブロック塀を壊した事故は大小3回、車同士の事故はすでに両手の指の数ほどある。
つい先日は自転車の少年と女性の運転する車の接触事故があったばかりで、その後すぐにブロック塀を傷付ける車同士の接触事故があって、修理し終えたばかりだった。

音はかなり・・・いつもより相当大きかったので、慣れっことはいえ様子を見に行った。
案の定というか、大きなステーションワゴン:フリージアと、小型のマーチの衝突で、弾みでフリージアが向かいの家のブロック塀に突っ込んでいて、双方の車はかなりの損傷状態であった。

両方ともに女性の運転で、救急車と警察の手配を終えたばかりの状態。
マーチの初老の女性は、事故発生後電話を掛けるべく、車から脱出したが、どうにも耐えかねて半分車道にはみ出して倒れている。
一方のステージアの女性は、割と気丈夫そうであったが、おなかを激しく打ったらしく、どうしたらいいか分からない様子でどうにか立っている状態。

小生が行った時にはすでに近所の数人が出てきて、その中の誰かが救急車と警察に連絡を取ってくれたのだろうが、どちらもまだ現場には到着して無いので、小生は先ず半分身体が車道に出たままで倒れていた女性を歩道に引き上げ、様子を見ながら渋滞を起こし掛けている車の交通整理を行った。

倒れていた女性は最初は意識がハッキリとしていて「痛い痛い」といって泣き叫んでいたが、やがて(どこかに電話をしようとしたのだろう)手に携帯を持ったまま意識が薄れていく様子が見えたので心配になり、もうすぐ救急車が来るからシッカリといって励ました。

やがて救急車が到着、ほぼ同時に2人の警察官も到着した。
救急隊員は手馴れているらしく割りとテキパキとしていたが、小生の驚愕は警察官であった。

倒れこんでいて、しゃべれれそうにも無い状態の救急患者に向かって、一人の警察官が、事故の様子や原因を聞こうとして尋問をし始めたのだ。
周囲は交通渋滞を起こしているし、近くで造成工事があるのか、大型トラックが行きかうときにである。

今まで小生が必要に思って、交通整理のようなことをやっていたが、それを見ていっぺんに頭に血が上った。

この警官はどういう神経をしているのだ、今の状況が全く分からないのか、事故の状況のヒアリング=いかに自分たちの職務だろうが、2台の事故車が道路を半分塞いでいて、第二の事故の誘発の危険性もあるにもかかわらず、2人いる警察官は仕事の分担もしないでいて、しかもその一人の警察官は、救急車で運ばれようとしている人から、今まさにこの状況下で事情聴取をしようとしているのだ。

思わず小生は大声で、「一体お前は何をやってるんだ、今にもいき絶え絶えの様子で救急車で運ばれようとしている人から、この状況で事情調査をしようとするのか」「そんなことは後でもいいから早く交通整理をしろ!」と怒鳴った。

その警官はそれでも「一応聞いとかんと」・・・などと口答えしようとしたが、もう一人の警官が小生の剣幕を見てか、今は無理だともう一人の警察官を諭した。
するとそう言われて初めてその警察官は、しぶしぶながら交通整理をしにいった。

訓練というか教育というか・・・それらの基本が全くできてないのか、今の警察官全般なのか、その警察官だけが特殊な男なのかは分からないが、それでもこの場面では、どんな人でも状況を見ればどうすべきかは判断がつくというもの。
なのにこの警察官ときたら、自分の職務の最低の一つを、しかもそれを優先して果たそうという意思しか働かない。

こいつは人間ではないのではないかとさえ思うような行動を目の前で見せられ、小生は唖然として、逆上してしまったのだった。
事故の状況のヒアリングはこの場合、割と軽いであろうもう一人の事故当事者からも十分聞けるし、両方から聞く必要があれば、病院での診断の結果を待ってからでも良いはずだ。

「初動捜査のミス」がよくある話というのは、何もTVや小説の中だけではない。
現実にこういう「初期作業の不手際」を見せられると、現実には相当あるのだろうと、大いに推測されてしまう。

事故現場を見れば、今後二次的に発生するであろうリスク回避策をすぐにとらなければならないのに、全くお構いなし。

そういえばこの交番の警察官、他にもこんなことがあった。
少し前のこと、その交番が官費で借りていた大きな書店の駐車場の出入りに、その交番の警察官の数人が・・・交番の数人だからほとんど全員が、本来の出入り口ではない、囲いの脇を、・・・(ほんの数秒近道するために、本来は人が通るところではないところを超えて)見っとも無く出入りするのを何度か目撃していたので、あるとき散歩の途中で目撃したのを呼び止めて注意をした。

若い男女2人の警察官であったが、そのときの彼らは、いかにもバツの悪そうな顔をして「申し訳ありませんでした」と素直に謝った。
「知らないと思っているようだが住民はよく見ているものだよ。」
「警察官は範を見せなければならない立場の公民でもあるはず。」
「子供が見ていたらなんと説明するのだ。」

そんな理屈を付けて、交番の全員に伝え置くようにと、お説教をしたことがあった。

その交番を管轄する桑名署は、以前にも勤務中の不祥事を起こしマスコミを騒がせたこともあり、署内風紀が乱れているのだろうかなどと思うこともあったが、今回の交通事故による警察官の対応「事件」は、それをさらに助長させてしまうものだった。

個人的な範疇のことであることを願うばかりの夏の日となった。

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by noanoa1970 | 2007-07-31 14:44 | トピックス | Comments(2)

夏に寄せて

朝早くから蝉の鳴き声が聞こえてくる。
小生の住む桑名市の山手では、油蝉よりも、熊蝉の比率が高いようだ。
以前の住居名古屋では圧倒的に油蝉が多かったので、あのギンギンギラギラと鳴く油蝉の声はなんとなく夏らしい、懐かしい感じもする。

車で20分も入れば、ミンミオンゼミも、もうすぐだろうか、晡(ひぐらし)の声も聞こえてくる。

前から感づいていたことだが、音楽を聞くときに、窓を開けていて、音量が高くなると、途端にゼミの声も一段と大きくなる。
夏はなるべく室内楽まどの、小音量で楽しめる音楽で、しかも涼しげなものを選ぶ必要がある。

昔の人は蝉の声が高くなったり、低くなったり、時には鳴くことををいったんやめてしまう風情を「蝉時雨」といった。

時雨とは急に降出し、急に振るのをやめる様子の雨。
しかし今では蝉時雨のように、常時鳴いている様子をも言うようになったらしい。

それで今日は「時雨」について考えてみることにした。
よく知られているように、小生の住む町「桑名」は「ハマグリ」が古くから有名。
今では焼き蛤専門店は数少なくなってしまっているが、「時雨煮」の老舗はまだまだ数多い。

時雨とはなにかを調べてみるが、気象学、俳諧、旧暦節季など立場によって様々な解釈があり、とても収拾がつかない。

「時雨煮」の語源としては、芭蕉の弟子「各務支考」が桑名のハマグリの煮つけを食したとき、名づけたといわれている。江戸中期の頃である。

そして時雨とは大体においては秋から初冬に降る雨で、降ったかと思うとすぐに止む・・・にわか雨のようなものを言うとするものが多い。
そして中にはそのときの雨は大粒であると規定するものもあることからして、「時雨煮」は、ハマグリ(アサリに比べ大粒)を生姜と味醂、酒、そして醤油でサッと炊きあげたものを、本来そう呼んだのではないかと小生は推測する。

各務が食した時雨煮は、蛤でそして今のようにまるで佃煮のように長時間かけて味をしみこませたものでなく、アッサリとハマグリ本来のうまみを持たせたままの調理法であったのだろう。

場合によっては、客の顔を見てから炊き上げたのかもしれない。
これなら名物の焼きハマグリ同様に、伊勢参りの客にも珍重され喜ばれたことだろう。

今では保存のためだろうか、良い材料が不足したからだろうか、浅炊きのパックのものは存在するが、それでもかなり味は濃い。
しかもハマグリは高価で、木曽三川河口で取れる桑名産の地のハマグリには余りお目にかかれない。

桑名のハマグリ料理の老舗「魚重楼」でも、季節によっては、お客に説明の上で地物以外のハマグリを提供するくらいだ。

さて季節の雨、「時雨」にはいろいろな時雨があり、調べると思いのほかたくさんあるのには驚いた。

花時雨:桜が咲く頃、しぐれる様に降る冷たい雨
春時雨:春の気まぐれ雨
青時雨:冬の季語である「時雨」に、青葉の青を付して
初夏の表情をだした言葉。 青葉、若葉が目に
しみいるこの季節、そのういういしい葉から
したたり落ちるしずくを「時雨」に見立てた
風情のある言葉。
夏時雨:「時雨」は冬の季語だが、夏に降ったり止んだり
時雨のような降り方をする雨の事
秋時雨:「時雨」は冬の季語。晩秋に降る時雨。降ったり止んだり
を繰り返しながら山里に多く降る。冬しかしを思わせる雨。
霧時雨:チョットふってはすぐ止む時雨のような霧雨
露時雨:露と時雨の意味で、使われていたが、時代がさがると
冬の時雨に対して、秋の時雨を表すようになった。
朝時雨:晩秋から初冬の朝にわずかずつ降りみ降らずみを
繰り返す時雨のこと。
磯時雨:磯や波打ち際に降り注ぐ時雨
片時雨:一方には日が差しているのに、片方は時雨が
降っている空模様。
十月時雨: 陰暦十月にふる時雨
北時雨:北風にのって降る時雨、または北の方から
降ってくる時雨
北山時雨:京都の北山の方から降ってくる時雨をいい
晩秋から初冬にかけての京都の風物詩。
山茶花時雨:色が少ない冬に紅い花を咲かせる山茶花。
そのけなげな花に降りかかる時雨。
小夜時雨:夜の時雨
月時雨:月明かりの中を雨脚を白くしながら通り
過ぎる時雨。
初時雨:その年初めの時雨。 いよいよ冬到来。
ほろ時雨:わずかに降る時雨。
村時雨:ひとしきり烈しくふって、さっと通り過ぎて
ゆく時雨の事
めぐる時雨:「山廻り」とゆわれる降り方で
あちら側に時雨を降らせた雲が
今度は山越えしてきてこちら側
に時雨をふらせる事。
山時雨:山に降る時雨の事
夕時雨:夕方になって降ってくる時間の事
「宵の時雨」ともいう
雪時雨:何時の間にか、雪混じりになって
降ったり、止んだりを繰り返している時雨
横時雨:横なぐりに降りつけてくる時雨。
夜の時雨:夜にぱらつく時雨。
時雨(ジウ):ほどよいときに降る恵みの雨 

これらの「時雨」の中でも、小生が特に着目したのが、「横時雨」。
「横しぐれ」は丸谷才一の中編小説で、70年代中ほどに出版されたのを、友人に教えられて、小生は興味深くそれを読んだことがあった。

簡単に言うと、話の内容は小説の中で語りをする、大学の教授だったか、の男(恐らく丸谷その人であろう)、が、意気盛んな医者であった父親が、かなり耄碌してしまい、思い出話を語るときだけ生き生きとしたという、そんな年老いた父親から聞いた、妙に饒舌になった病床の父親が語った昔話。

戦前のあるとき、父親が友人と四国の松山に旅行をしたときのこと。
とある茶屋で酒を飲んでいると、金も払わずにちょうど降り始めた「横しぐれ」の中、茶屋を出ていった坊主がいたという話を聞く。

話の内容からして、父親が見かけた身なりの汚い坊主は恐らく俳人の種田山頭火だったのではないか。そんな仮設にたどり着くことになった作者は、それを実証すべく、事実関係を文献からあたると同時に、推理を働かせていく。

文学推理小説としても非常に面白く「山頭火」のプロフィールや俳句も紹介されているので、興味深くそして面白く呼んだ記憶がある。

「アームチェアディテクティブ」などが流行ったころでもあった。

後にこの作品のヒントが、グレアム・グリーンの日記で、グリーンの父親がナポリである男と出会った、しかし後年それが出獄したばかりのオスカー・ワイルドだったと判明したというエピソードからだということがわかって、本当の話で無い(丸谷らしくは無いが、だから小説なのだが)と分かったが、しかしその面白さを半減するものではなく、その手法は小生のブログにも大いに生かされることになった。

山頭火は今では知る人も多いが漂白の俳人である。
漂白とは放浪で、旅とは決定的に違う物と、小生は思っている。
帰るところがあってアチコチ彷徨うのを「旅」といい、帰る当てが無い旅を流離、漂泊というのだと・・・

「まつすぐな道でさみしい」


山頭火の時雨の歌は

「おとはしぐれか」
「うしろすがたのしぐれていくか」
「お山しぐるる岩に口づけて飲む 」

いろいろな解釈があると思うが、小生はこの「しぐれ」は「死・暮れる」
すなわち、死に至る旅の境地なのだと感じている。

死に至ろうとするのだが、それでもまだほんの少し現世に未練がある。

「やっぱりひとりはさみしい」

帰るところが無く、そうかといって死にきることもできない、そんなどうしようもない絶望感が、時雨のようにあったり止んだりする。
時にはそれが正反対の表現になることもあるが底辺にあるものは「死」の恐怖と現世への未練なのだろう。

生きていくことはなんという苦しみか・・・・この苦しみから何とか逃れたいが

「どうしようもないじぶんがいる」

山頭火にはそんなこと感じさせる句が多い。
われわれは、山頭火に比べれば・・・まだまし・・・などという心境になって、山頭火の俳句に救われることが多いのかもしれない。

「しぐるるや死なないでゐる」

「しぐるる」とは「時雨れる」と「死・来る」の、言葉の持つ音の響きの掛詞的な使い方・・・
そんなことを激しく想起させるものを、この句は持っている。

死がそこまでやってきているが、まだ死ねない。


シューベルトの多くの「流離」の音楽も、恐らくはこのような心境からだったのかもしれない。

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by noanoa1970 | 2007-07-31 10:04 | トピックス | Comments(0)

蟷螂の斧

参議院議員選挙に比例区から出馬した黒川紀章夫妻が、開票結果が明らかになった後TVに出ていた。
夫である黒川紀章が党首の、共生新党から夫婦付随で出馬した若尾文子がその中で敗戦の弁を語っていたのが凄く印象的であった。

彼女はそのとき、『私に言わせれば、黒川は蟷螂の斧なんです』と語るのであった。

小生にとって若尾文子は、小津安二郎の「浮き草」の旅芸人一座の加代 ・・・座長中村鴈治郎の隠し子で好青年役の川口浩を誘惑する役や、「卍 」の徳光光子、 「雁の寺 」の桐原里子などが思い浮かぶ。

彼女は妖艶な役柄も多かったが、気品のある女性と以前から思っていた。
言葉を選んで、しかも言葉少なに語るその姿は、どこか気品が漂うのをTVでも確認できたような気がした。

その若尾が使った言葉が「蟷螂の斧」・・・これには少々驚いたとともに、彼女には気品と教養と知性があることを再認識したのだった。

そして彼女が夫の黒川を「蟷螂の斧なんです」といった背景を考えてみることにした。
そしてそれは、恐らくはこうだったであろうと推測されることになった。

それは、先の都知事選に出馬し、あえなく敗退、今度は参議院選挙、そして来るべき(そのように黒川自身が予想する)衆議院解散選挙に出馬するという言葉を受けてのことであったことから、「もうこのあたりであきらめて、政治の道に行くことはやめなさい」ということを、若尾が暗示していたような気がしている。

今回の参議院選挙に若尾がなぜ出馬したのか、その深層は定かではないが、小生の推理は・・・

若尾自身が・・・有名なタレント女優の若尾が出馬しても、簡単には選挙に勝つことはできないこと、すなわち「餅は餅屋に」ということを亭主の黒川に自らが出馬し、落選して見せることで分からせようとしたのでは無いか・・・と。

若尾は当初から自分が参議院議員になる現実を捉えていなかったと、どうしても伺えるのである。

「正義や義憤」がいくら強くても、どんなに名前が知れていても、一昔とは違う世の中だから、一時のタレント候補のようには簡単ではないという事実を、若尾自身の落選によって理解させるために、ワザワザ若尾が買って出た行為だったのではないか。

亭主を「蟷螂の斧」と、今回の選挙の結果を持って表現することの真意は、この1点にあると強く思うのである。

「負けることを承知で行った、ある目的のための勝負」
若尾があえて挑んだ理由は、これにあったのでは無いか。

「蟷螂の斧」とは中国の故事からの慣用句だが、今では知る人はそう多くは無いと思われる。

実際若尾のこの発言を聞いていたコメンテーターが7人ほどその場にいたが、「それはどういう意味?」という声も聞こえたし、何人かがキョトンとした顔でいたから、この若尾が使った慣用句を理解してた人はほとんどいなかったのではないかと思われるくらい、・・・その後の展開が無かったことで証明されたようなもので、これには本当に呆れてしまった。

「蟷螂の斧」
蟷螂とは「カマキリ」で、斧とはカマキリの鋏のことである。
斉の荘公が馬車で出かけた折のことと、道の真ん中に1匹のカマキリがいて、鋏をかざしながら、馬車の前に立ちはだかったという。

荘公はそれを見て、従者にたずねると、従者は「これはカマキリという虫で、進むことを知って引くことを知りません。自分の力を省みずに、敵に向かっていこうとする性格を持っています」と説明した。

それを聞いた、荘公は「もし、これが人なら天下に名をはせる勇士となるだろう。謹んで道をあけ、カマキリを避けて通れ」

そう命じ、勇者カマキリに道を譲り、馬車を迂回させたという。

そのような故事から、風車に戦いを挑んだ「ドン・キホーテ」のように、自分の力量をわきまえず、無謀な挑戦ばかりすることを意味する言葉となったといわれている。

このことから、若尾が黒川を勇者と暗に認めつつ、一方では力量を知らずにいつも無謀なことばかりしている男・・・この二面性を、上手に昔の故事からの慣用句を使って表現したことは、小生には「気品と知性を言外に意を込める」発言として、とても印象的だったのである。

果たしてそれを聞いていた黒川本人、そしてコメンテーター諸氏が、そのことに気がついたかどうかは(十中八九気づいて無いだろう)分からないが、小生には若尾の・・・(品格などというバーゲンセールの言葉ではない)・・・気品と知性を大いに感じ、このような女性が少なくなったことを非常に残念に思うのであった。

果たして、近く衆議院選挙があるのかどうかは分からないが、小生は黒川が国政に自ら参加することはもう無いと思っている。

「年をしつこく聞いた事件」も過去にはあったし、とてもそのようには見えないが、若尾 文子は1933年生まれだから、現在74歳。
黒川 紀章は1934年生まれ、若尾より一つ下の73歳。

夫婦でとともに、自然を相手にでもして、この先の余生をユッタリと過したほうが絶対に良いと強く思うのである。

若尾との結婚の口説き文句は「君の美しさはバロックだ」といったという黒川のエピソードがある。
「バロック」の真意が分かる黒川だからキット、若尾の「蟷螂の斧」の真意も分かるはず・・・若尾の気持ちを考えると、そんなことを強く期待しているのである。

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by noanoa1970 | 2007-07-30 11:53 | トピックス | Comments(0)

パラソル雑感

梅雨明け宣言が昨日あった。
いよいよ本格的な「夏」。
散歩中に行きかう女性はことごとく「パラソル」を挿しているようになった。
最も、紫外線の怖さと皮膚への影響を恐れてか、最近では初春の頃からパラソルを指している人も見かけるが、今の季節はほとんど全員が、色や形が異なるいろんなパラソルを挿している。

服装にもよるだろうが、小生は希成か白のパラソルがいいと思う。
少し前に「白いパラソル」という歌もあったようだが、小生は「パラソル」というと、やはり「西岡恭蔵」の「パラソルさして」が一番記憶に残る。

作詞作曲は西岡本人となっているが、小生の勘では作詞は、奥さんの「KURO」ではないかと思う。彼女はこのようなリリシズムにあふれた、そして少年・少女期の思い出の詰まったような、ほのかに寄せる淡い恋心の心象風景を、そこにある自然とともに描くのを得意とした。

この作品もその類にもれず、どこかで彼女の作品であることを静かに主張しているようだ。今では二人とも故人となったが、彼ら二人の合作はキットいつまでも残り続けることだろう。

《コカコーラの広告塔の影に守られた夏が、人気のない公園に
ポツンと君を浮かべる
人待ち顔の街角は、おいてきぼりの君の夏
のぞいた僕は、気まぐれな風さ
緑の夏に、パラソルさして、きみをさそって
街を歩けば、時には風も吹くみたい
・・・みどりの夏にパラソルさして、君の手をとり、街を歩けば
時には風も吹くみたい》

暑い真夏の昼、急に彼女に会いたくなって、いわば強引に誘ったが、行くところも無くて、仕方なく公園に行ってみる。

当ても無くさまようが、彼女は嫌な顔一つ見せないで、黙ってパラソルを挿してついてきてくれる。

そのときの彼女の思いやりへの感謝のしるしが、一服の清涼剤。
風なんかどこにも吹いてないのに・・・

どんなに辛くても、彼女が傍にいれば耐えられる・・・そんな思いを白いパラソルが運ぶ夏の日の涼風に託した、過ぎ去った青春の思い出の歌であろう。

「コカコーラの広告塔の影に守られた夏」・・・ここに「KURO」らしさがあふれ出ているように思う。

さて「パラソル」で想起するのはもう一つある。
それは「太宰治」の短編「満願」。

太宰が伊豆の旅館にこもって執筆活動をしていたときの話。
ある晩酔っ払って自転車でこけて怪我をし、行った先の医者と仲が良くなった。
かなり親密に家族ぐるみでお付き合いする仲となったある日、医者の奥さんからある話しを聞いた。

数年前から通っている上品そうな奥さんのことだが、医者はまだ体が回復していないから「もう少し我慢しなさい」・・・「奥さま、もうすこしのご辛棒ですよ。」と大声で叱咤することがある」・・・と原文にはある。

さらに、「お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである」
「言外に意味を含めて」という表現がポイントであるが、それは最後に種明かしされる。

ある朝のこと新聞を読んでいると、隣に医者の奥さんが座って、
「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁いた。
 ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿(言外に意味を含めて、我慢しなさいと言われていた女性)が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。

白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。

何のお許しが医者から出たのか、それは想像に易いが、ここにはあえて書かない。
3年間じっと、その日を待っていたのか、清楚で上品な女性が・・・・

作者はこれを見て胸がいっぱいになり、その女性の美しさを再確認し、「あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない」と結ぶ。

医者の奥さんはその患者の女性が可愛そうになり、医者に早く「お許しをだすように」と迫ったのだろうか。女性だから分かる女性の心理がある・・・と太宰は推理した。

その喜びとと嬉しさが「白いパラソル」・・・・「白」は清潔で清楚の象徴で、喜びはパラソルを「クルクルと回した」所によく表現されてている。
うら若き清楚な奥さんの「静」と嬉しさのパラソル回しの「動」、目の前の小道の「緑」とパラソルの「白」が対比のように書かれていて、非常に音楽的な要素があることを認識したのだった。

鈴の音のかすかにひゞく日傘かな
飯田蛇笏

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by noanoa1970 | 2007-07-27 14:12 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

ireland

「アイルランド」と同じ綴りだが、John Nicholson Ireland: ジョン・ニコルソン・アイアランド(1879年 – 1962年)のイギリスの作曲家でもある。
彼はスコティッシュ系のイギリス人とのこと。
アイリッシュだったらirelandのirelandとなるのだがそういうわけではない。
あくまでも「アイアランド」と発音するらしい。
「ア」でも「ル」でもどちらも正解だろうと思うのだが、国名と個人名が同じでは何かと不便なため、便宜上分けて使っているのだろう。

まぁこんなことはどうでも良いことで、この人はわずか14歳の少年期に王立音楽大学・・・(王立音楽大学(Royal College of Music)は、ロンドンにある名門の音楽学校で国立音楽養成学校(National Training School for Music)の後継校として、当時の英国皇太子(後のエドワード7世)により1882年に設立され、ジョージ・グローブ(George Grove)を理事長に迎え1883年に開校した。1894年にロンドンはケンジントン地区の現所在地に移転したが、この年にチャールズ・ヒューバート・パリー(Hubert Parry)が理事長に就任し、1918年まで職を務めた)

以上の記述のように、類稀な才能の所有者であったことを思わせるが、残念ながら、彼の名前や作品はほとんど世に知られていない。
イギリス近代音楽の祖、スタンフォードの弟子で、後に「モーラン、ブリテン」を弟子とした。

作風は一概にいえない面があって、よく「イギリス印象派」とされている面もあるが、確かにドビュッシーやラヴェル、時にはモンポウなどの響きが聞こえるも、やはりブリテン諸島の作曲家らしく、その根っこには広い意味での「フォークソング」と、「宗教性」を持っていると思われる。(音盤はそれほど多くないのと、まだ彼の全貌を聞き込んではいないのでご了承のほどを)

手始めに取り上げたのはピアノピースとして作曲され、後に様々なスタイル・・・弦楽四重奏や弦楽合奏に編曲され、アイアランドの作品の中でも短いが美しい曲の代表的存在である「聖なる少年」。

エルガーの作品に有名な「愛の挨拶」、「ため息」という小品があり、バイオリンソロ、合唱、コーラスなどに編曲され、その甘い美しいメロディを聴いたことのある人は多いと思うが、アイアランドの「聖なる少年」も同様の曲想で、とても親しみやすい曲である。

エルガーも直接民謡の主題を使っていないと思えるのであるが、アイアランドのこの曲も、あたかも民謡をモチーフに使っているようで、実はそうではないのだろう。
しかし、数々の民謡の主題を使った曲を指導してきたり、先生のスタンフォードの影響を考えれば、底辺にあるものは「ブリテン諸島」の民謡風のモチーフであったことは容易に想像可能だ。

したがってこの作品の底に流れるものは「アイアランドオリジナルの、新しくてなおかつ古い民謡風」のモチーフであるといえる。

民謡を使うとヴァリエーションに様々な工夫をすることになるのであるが、オリジナルのモチーフであれば、自然に、素直に、淡々と曲を進行させればよい。
様々な音楽技術や技法を駆使して、奇をてらうことなど何一つ必要ないのである。

エルガーの「愛の挨拶」も「ため息」も、アイアランドの「聖なる少年」も、そのような音楽である。

そのことがこれらの小品を、誰もが愛するであろうすばらしい曲としての確立させた要因ではないかとも思っている。

「聖なる少年」とは一体何を示すのだろうと、気になって調べてみたが、あいにくそのことに関する記述には遭遇できなかった。
文字通り取るべきか、稲垣足穂の「少年愛」に踏み込むのか、あるいは「ダフニスとクロエ」のようなギリシャ神話風の話・・・神話伝説に関係するのか、カトリック修道院
に関係するのかはサッパリ分からない。

がしかし、音楽を聴く限り神秘性や宗教性は余り感じられない。
むしろ「無垢で純粋なの少年」あるいは「永遠の少年」といった言葉で表現されるような、「優しい心を持っている・・・信仰心の厚い少年」・・・といってもキリスト教のそれではなく、もっと根源的な、すなわち自然神を敬える心の持ち主のような、そんな音楽イメージが沸いてくる。

今後は彼の「宗教曲」を聴く楽しみを見つけられたことがうれしい夏の一日でした。

「聖なる少年」は以下のCDに収録される。
他にイギリスのマイナー作曲家「ブリッジ」の作品が収録されていて、聞き応えがある。エルガーの「Sospiri=ため息」は特にすばらしい。

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English String Miniatures Vol. 2
指揮: David Lloyd-Jones
オーケストラ: English Northern Philharmonia
Naxos:ASIN: B000058UU1

1. Sally in our Alley - Frank Bridge
2. Cherry Ripe - Frank Bridge
3. Sospiri - Edward Elgar
4. Fantasy Concerto - Hadyn Wood
5. The Holy Boy - John Ireland
6. Charterhouse Suite - Ralph Vaughan Williams
7. Air & Dance - Frederick Delius
8. Serenade for the 60th birthday of Frederick Delius - Peter Warlock
9. Consort Music - Geoffrey Bush
10. Sir Roger de Coverley - Frank Bridge

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by noanoa1970 | 2007-07-26 17:29 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

HAVE I TOLD YOU LATELY THAT I LOVE YOU

「愛してるって言ったかい?」
ヴァンモリソンとチーフタンズの「アイリッシュハートビート」というアルバムで、その歌のよさを実感した。

多くのミュジシャンたちが取り上げてきたが、youtubeに取っておき映像があったのでリンクしておく。

アルバム、アイリッシュハートビートと同じ音源で、小生が聞きなれたもの。
これは凄く良い。
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Van Morrison & Chieftains
http://jp.youtube.com/watch?v=E5K92mCfv1w&mode=related&search=

いきなりヴァンモリソン節(同じフレーズの言葉を連続して歌う)が登場するライブ。アイルランドの歌姫シニード・オーコンナーが競演する。彼女はスキンヘッドではないからかなり昔の映像だろうか。彼女の歌はいつ聴いても良い。全く趣の異なる二人が妙にあっているのが注目だ。mikaesitemirutoこの映像は恐らくは、アルバム「ロングブラックヴェイル」作成当時のどこかでのライブ映像だろうと推理された。
チーフタンズと、オーケストラの弦楽器群がバックにあり、ブルーグラスのフィドラーが登場するから恐らくあたりだと思う。
Morrison & Sinead O`Connor - Have I Told You Latelyhttp://jp.youtube.com/watch?v=AjG7YcCZmpo&mode=related&search=

ご存知、ロッドステュアートのライブ。彼を大衆迎合のやわな人間であるとする勘違いがあるようだが、イギリスの伝統音楽を取り入れ、しかも大衆受けする音楽に仕立てたのは評価に値する。さりげなく歌っているようだが、細かいところの歌いまわしは、彼独特のものを持つ。
Rod Stewart in LA - Have I Told You Latelyhttp://jp.youtube.com/watch?v=4f4IU1i6mjM&mode=related&search=

歌詞と大意

Have I told you lately that I love you
Have I told you theres no one above you
Fill my heart with gladness
Take away my sadness
Ease my troubles, thats what you do

Oh the morning sun in all its glory
Greets the day with hope and comfort too
And you fill my life with laughter
You can make it better
Ease my troubles thats what you do

Theres a love thats divine
And its yours and its mine
Like the sun at the end of the day
We should give thanks and pray to the one

Have I told you lately that I love you
Have I told you theres no one above you
Fill my heart with gladness
Take away my sadness
Ease my troubles, thats what you do

Theres a love thats divine
And its yours and its mine
And it shines like the sun
At the end of the day we will give thanks
And pray to the one

Have I told you lately that I love you
Have I told you theres no one above you
Fill my heart with gladness
Take away my sadness
Ease my troubles, thats what you do

Take away my sadness
Fill my life with gladness
Ease my troubles thats what you do
Fill my life with gladness
Take away my sadness
Ease my troubles thats what you do.
最近おまえに「愛してる」って言ってないけど、本当はお前をいっぱい愛しているんだ、お前こそわが希望、そして太陽が一日の終わりを告げるように沈んでいくように、とても感謝してるんだ、お前なしでは生きていけないんだ。
随分長いこと「愛してる」って言ってないけど、今こそ言うよ、「愛してる」ってことを!

一見すると「男が女・・・女房」に感謝と愛を確かめるような歌詞に思えるが、奥にあるものは「神」への深い畏敬の念であるように思われる。
このことは、特にヴァンモリソンの歌で想起されることで、ロッドでは男と女の愛の形となっているように感じられて、そんなことも含めて面白い。

なおScotty Wiseman が1945年に作ってエルヴィスプレスリーが歌った同名の曲があるが、これはカントリーソングの別物である。

また上の歌詞はヴァンモリソン自身の作品である。

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by noanoa1970 | 2007-07-25 09:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の民謡・・・お気に入り

ジョン・ラター(1945 -)というイギリスの作曲家は、近年わが国でも評価されつつある、主に合唱曲が有名な作曲家であり、「レクイエム」は、現役の作曲家からしからぬ非現代音楽な、ロマンの香りがする美しい作品で、小生も好きな曲の一つである。
また有名なフオーレのレクイエムの「ラター版」の作者でもあり、これもすばらしい出来だと思っている。

ラターは現在のクラシック界における「慰めの音楽」の代表だと言ってもよく、その和声とメロディの美しさは、ロマン派音楽の美音を集大成したかのようだ。

「弦楽合奏のための組曲」は、そんな形容がすんなりと出てくるほど美しい曲で、4つの伝統音楽をモチーフにしたもの。

いずれも安心して音楽に浸れるし、暑い夏にはピッタリなので、聞いてみることにした。

1. A-Roving 03:11
2.I Have a Bonnet Trimmed with Blue
3.O, Waly Waly
4.Dashing Away

3曲目の「O, Waly Waly 」は、最近CMソングとしても使用される、特別に美しい曲で、耳に馴染んでいる方も多いと思われる。

この曲を聴いていて、思い当たったことがあったので、youtubeで確認するとやはりそうだったから、ここにそのことを書いておくことにした。

アイルランドの古い民謡「O, Waly Waly 」は、恐らくは移民たちとともに以下の曲に変身したと思われるので、音と映像をリンクしておくこととした。
(オレンジ色の文字をクリックするとyoutubeにリンクします)

ジョンラターの弦楽合奏を学生オケが演奏したもの。3曲目と4曲目が収録される。
A wonderful rendition of John Rutter's suite for strings Mvts 3 and 4, by Hwa Chong Institution (High School) String Orchestra in Concord' 07
http://jp.youtube.com/watch?v=wDjOkJC5OlA

「the Water is Wide 」という歌になったものをアコースティックギター1本で演奏したもの
http://jp.youtube.com/watch?v=3U3mowRPH1o

こちらは「ジェーム・ステイラー」が歌った「The Water Is Wide」
james Taylor Live August 26, 2006 The Water Is Wide
http://jp.youtube.com/watch?v=JvbVgnAMd-w&mode=related&search=


ひょっとしたらこちらが「限局」かもしれない「ウェックスフオードのキャロル」
動画には無かったが、「ナンシー・グリフィスとチーフタンズ」の演奏が、小生には最も心に響く
The Wexford Carolhttp://jp.youtube.com/watch?v=SDuESZKZ57Y

小生がいつも聞いているのはこちら

「ENGLISH STRING MINIATURES, Vol. 1」
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Royal Ballet Sinfonia
デイヴィッド・ロイド=ジョーンズ - David Lloyd-Jones (指揮)


下記のマイナー作曲家の作品を含むが、いずれも美しいものばかりである。

CHARLES WILFRID ORR (1893-1976)
A Cotswold Hill Tune05. A Cotswold Hill Tune 05:12

GEORGE MELACHRINO (1909-1965)
Les jeux06. Les jeux 04:39

PETER DODD (1930- )
Irish Idyll07. Irish Idyll 03:45

C.A. ギブス CECIL ARMSTRONG GIBBS (1889-1960)
Miniature Dance Suite08. March 02:12 Quick Minuet 03:21 Graceful Dance 01:47 Sarabande 01:48

FRANK CORDELL (1918-1980)
King Charles's Galliard13. King Charles\'s Galliard 02:53 このトラックの

DAVID LYON (1938- )
Short Suite14. Rustic Dance 02:42 Gavotte 02:30 . Aria 02:31 . Moto perpetuo 02:24

ROY DOUGLAS
Cantilena18. Cantilena 07:47

PHILIP LANE (1950- )
Pantomime19. Alla marcia 02:20 . Andante 02:33 . Vivace 02:03

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by noanoa1970 | 2007-07-24 20:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

3人の「Arnold」よりArnold Schoenberg

管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲あるいは2つのヴァイオリンのための協奏曲 ばかりを聞いていたその昔、あるとき「音楽の捧げ物」を聞いてから小生のJSバッハの音楽に対する考え方や価値観が大きく変わることとなった。
下の図は、音楽の捧げ物の「主題」である。
バッハがフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際、以下のようなハ短調のテーマ (Thema Regium) を大王より与えられたと伝わっている。

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バッハはこのテーマを持ちにその場で3声のフーガ形式の即興演奏をした後に、「対位法」を駆使して6声のフーガ:リチェルカーレに発展させた。
これを俗に「音楽の捧げ物」といい、トリオソナタ、カノンを含む大曲である。

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カールミュンヒンガー指揮/シュトゥトガルド室内管弦楽団

小生はこの曲を初めて聴いたとき、「これがあのバッハ?」・・・今まで聞きなれた音とはまるで違う音がそこにあったのにビックリしたのだった。
そのときは何が違うのかを理解することは出来なくて、この音楽の余りの奇妙さにそれから随分長い間「音楽の捧げ物」を聴くことは無かった。

大学生になって、周囲の影響もあったのか、所謂「現代音楽」をかじることになり、サークルで「松平頼則 」の「越天楽」、『催馬楽」による主題と変奏 ・・・旋法を12音技法により再構築した音楽を聴いたとき、突然あのバッハの「音楽の捧げ物」を聞いたときと同じような不思議な感覚を得ることとなった。

12音技法と音楽の捧げ物は、そのままリンクするとは思わないが、それでも図の音符が示すとおり、半音階を全てにいれ音階を7→12音全て使用するところは、後に「シェーンベルク」が確立した12音技法に通じるものがあるのだと考えてもよさそうだ。

シェーンベルクは、恐らくバッハをひそかに影の手本として、12音技法を開発したのではないかと想像させるものである。

小生はシェーンベルクの音楽作品の中では、「12音技法」を使用していないロマン風味がまだ漂っているときの・・・しかし表現主義的傾向の萌芽を感じる美しい曲「浄められた夜」が一番好きであるが、もうすぐ迎える終戦の日にも因んで、「ワルソーの生き残り」を聞くことにした。

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エーリッヒ・ラインスドルフ指揮/ボストン交響楽団/シェリル・ミルネス(ナレーション)

1947年に作曲された「ワルソーの生き残り」(作品46)は、「ワルソーのゲットーから実際に生き延びた一人がシェーンベルクを訪れ、その模様を話したことに基たもの」(ルネ・レイヴォヴィッツ)とされる。

語り手、男性合唱、管弦楽の構成を持ち、ガス室に送り込まれる人の語りという形をとっており、最後にユダヤ人達が突如として「聞けユダヤ人の民よ」を一斉に歌いだす。

シェーンベルクについては様々な記述があるが、小生は中でもとりわけ次のことを指摘しておかねばならないと思っている。

それは彼の改宗のことで、
ユダヤ人として生まれながら、銀行行:言い換えれば「金貸し業」をやっていた先祖が必要に迫られて、カトリック教徒に改宗したのを受けて、シェーンベルク自身は、幼い頃より、「カトリック教徒」として教育を受け育てられた。

「金貸し業」は、キリスト教社会・・・・キリスト教徒がそれを行うことは禁止事項であって、それをやるいわば下賎な職業は、非キリスト教徒であるユダヤ教徒のユダヤ人が勤めることとなっていた時代があった。
そのことは、シェークスピアの「ヴェニスの商人」でも明らかなように、歴史的事実だったようだ。

「金貸し業」は後に、あのメンデルスゾーンの家系がそうであったように、財を成して行きやがて銀行業へと発展していくが、そうなると「闇」から「公」へと、その商圏は広がることになる。
そうなるとユダヤ教徒のままでは周囲のキリスト教徒との軋轢、摩擦が生じることになり、商売チャンス消失のリスクを恐れ、会合や教会参加など周囲との協調を図ろうと「改宗」を余儀なくされた。
その例は数多く、あのハイネも、メンデルスゾーンも然りであった。

シェーンベルクは先祖の改宗で「カトリック教徒」となり、しばらくは銀行勤めをしていた。(ドイツだから、周囲は恐らくプロテスタントが多かったと思われる)
やがて、ウィーンを追い出され、ベルリン芸大の教授に任命される時プロテスタントのに改宗した。
しかし、その後ナチのユダヤ政策に反対して1933年、ユダヤ教に再改宗しているのである。

ユダヤ教(祖先)→カトリック教徒→プロテスタント教徒→ユダヤ教徒と、常人では考えられないほどの宗教的遍歴を送ってきた。

われわれ日本人は特に宗教に関しては無頓着なところがあるが、西欧の・・・特にユダヤ教徒、イスラム教徒において宗教は生活そのもの、場合によっては生き様である。
「改宗」することは、われわれの想像を遥かに超えた所の人生上の転機であるだろう。

シェーンベルクを語る上で重要なこの点をどうしても書いておく必要があると強く思うのである。

「ホロコースト」は、ユダヤ人にとっては、今でも悲惨な記憶で、今もなおナチの残党を探して、罪を暴くといった行為が行われているというし、ドイツは深い反省と陳謝を世界に向けて発信し続けた。

シェーンベルクは同胞民族のナチによる殺戮を音楽で表現し、耳に焼き付けるかのように残すことになった。

時に芸術作品は、事実よりもそのリアリティを高く持つに至ることがある。
個人的なリアリティが、作品によって、それを享受する万人に与えるリアリティがあるのも事実だ。

戦争のホロコーストのリアリティとは自分が死に行くことの「恐怖」だけではない。
家族や同胞・・・・自分たちの神、いにしえより続いた民族の壊滅の恐怖でもあった。
それは誇り高き民族が、理不尽な理由無き理由で世界から抹殺されて行こうとする恐怖でもある。
ユダヤの人々は、長い間歴史的差別を受け続けてきた民族でもある。

「ワルソーの生き残り」で、男のモノローグに被さるように聞こえてくるのは、旧約聖書の中の申命記 6章 「聞けイスラエルよ」である。

《これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと掟と法であり、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい》
(申命記 6章 1~ 9)

『あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである
そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える』
・・・・このような旧約聖書の言葉も、一人二人とガス室に急がされていく彼らにはむなしく響く。

シェーンベルクがこの1節を用いた意味、聞き手にとっての意味合いははどこにあるのだろう。

戦争やホロコーストの前には「神」など何の役にも立たないということなのだろうか?
それでもユダヤの民は「神」の言葉を信じて来世の幸せを思ったのだろうか?
人間の罪の深さを思い知れと、神が下した試練だと思ったのだろうか?
自分たちが犠牲になれば、多くのユダヤ人が救われると思ったのだろうか?
生き残ってしまったことに対しての後ろめたさの表現のようなものもあるのだろうか?

そんなことを思いながら、小生には
Dunkel ist das Leben, ist der Tod!:「生も暗く、死もまた暗い」・・・マーラーの「大地の歌」の李白の詩が重なってくる。

シェーンベルクはマーラーの「大地の歌」の随所に現れる「生は暗く・・・・」のフレーズが、半音階的に上昇していくのを参考にしたのだろうか、またこの詩の持つ、アイロニカルで、退廃的かつペシミックなことに何かしらの共感を抱いたのだろううか。
マーラーもシェーンベルク同様、ユダヤ人であり、彼もまたユダヤ教からローマ・カトリックに改宗しアメリカに渡った。
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by noanoa1970 | 2007-07-22 10:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

3人の「Arnold」よりArnold Bax

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バックスというとクラシック音楽愛好家でもその存在や音楽について知る人は少ない。
かくいう小生も、バックスを知ってその音楽に触れたのは今世紀直後のことであった。
ケルト→音楽文化→ブリテン諸島の民謡→トラッド、フォーク→クラシック音楽での引用→イギリス近代音楽家の中で、最後のほうにたどり着いたのが「バックス」であった。

バックスを象徴する面白そうなエピソードを見つけたので記しておく。

《20世紀前半イギリスの作曲家アーノルド・バックスは、超自然現象に魅せられており、ケルト文化に夢中でした。アイルランドの伝説と民間伝承にはまりこみ、アイルランド語を猛勉強し、詩人兼小説家としてダブリンの文学界で受け入れられたほどでした。あるとき、バックスは道を歩いていて、見知らぬ男に呼び止められました。さて、何と言われたのでしょうか?

答は、「あなたは悪魔にとりつかれています」

バックスを呼び止めたのはデンマークの神秘論者でした。彼はバックスに向かって「あなたは悪魔にとりつかれているようなので、注意を怠ってはいけません」と真剣に忠告しました。バックスが「実は、悪魔とさらに深くかかわるのではないかと恐れている作品(交響曲第1番)を書き上げてしまったところなのです」と言うと、男は「そのような曲など、決して演奏されませんように」とつぶやいて十字を切ったのだとか。のちに作曲家ヴォーン=ウィリアムズはバックスについて「彼が帽子をとるときは、その下にピンととんがった耳があるのを見たいと思ったものだ」「この世に属しているようには見えなかった」とまで言い切ったそうです。》
※参考文献:「イギリス音楽の復興」マイケル・トレンド著、木邨和彦著(旺史社)

このエピソードが示すとおり、バックスは、同じイギリスの作曲家グスターヴ・ホルストに占星術の手ほどきをした劇作家クリフォード・バックスの実兄でもあり、彼自身ホルストとは親しい間柄であったというから、彼自身も「ケルトの神秘」や「妖精」、「古代ケルトの自然神」に深く傾倒していたことは、数々の作品群から明らかなことのように思われる。

上のエピソードの「悪魔」とは古代ケルトの自然神・・・非キリスト教の神のことでもある。悪魔に取り付かれることはケルトに真髄することでもあるわけだ。
キリスト教文化は異教徒を、そして異教の神を「悪魔」としてきた。

バックスの作品のほとんどには、ブリテン諸島・・とりわけアイルランド・スコットランドの古謡の引用が見られる。

アイルランド出身のような作風であるが、実はイギリス人で、生粋のアイリッシュより、アイリッシュの素地を持つという変わった人でもある。
ケルトを題材や素材にする文学者や芸術家は多いが、住居も名前もすべてアイリッシュとした・・・いわば異教徒に改宗したと同じように、アイルランド・・ケルトにドップリと漬かった人は珍しい。

作風は奇抜なところは微塵も無く、ロマンの香りを随所に残す・・・非モダニズム的なものがほとんどで、時には濃厚な印象派のようなトーンを聞かせることもある馴染みやすいものが多い。
ディーリアスと》比較されるようだが、ディーリヤスよりも遥かに土着的である。

ホルストが占星術→オカルトに向かおうとしたのに対し、バックスはそれに影響されながらも、その基本スタンスを古代文化・・・古代ケルトの自然と神々に求めたのではないか・・そのような気配が音楽からいつも漂って来る。

このことは、ケルト文化の再評価ばかりか、ある意味で長くヨーロッパを支配してきたキリスト教文化の否定にもつながる事であるから、多くのブリテン諸島の近代音楽家の中で、バックスを聞くことには、他の作曲家とは少しニュアンスの違う、深い文化的意味性を持つ。

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交響曲第6番 / 黄昏に / 夏の音楽 ロイド=ジョーンズ / ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

本日はそのなかで
季節に似合った「夏の音楽」を取り上げることにした。
10分余りの小交響詩で、・・・捧げられたか依頼によるものかは定かではないが、イギリスの名指揮者「ビーチャム」が関与したらしい。

イギリス南部の地方の夏の風景を描いた曲とされるこの曲。
イギリス南部の地とは「コーンウォール」ではないだろうか?
コーンウォールは唯一、イングランド内に残るケルト地域であり、コーンウォール独立運動が起きたり、独立統治をしてきたり、イングランド内では異質なところが目立つ地域で、ブルターニュケルト文化地域でもあるから、イングランド人であるバックスが、短い夏を過した土地としては打って付けだと思われる。

コーンウォール出身の作家、ロザムンド・ピルチャーは、「コ-ンワルの夏」という作品を書いていて、そのあらすじは以下のようである。 

《幼くして両親を失くしたローラは、夫アレクとの新婚生活の幸せのさ中にありながら、妻として自信の持てない自分をもどかしく感じていた。季節は夏。病後の療養に出かけた先はアレクの叔父の住むコーンワルの果てのトレーメンヒア荘。ローラを迎えたのは風変わりな人々の暮らす地上の楽園であった。》

コーンウォールとその夏のひと時を地上の楽園・・・人生の回復のためのよりどころとするかのようなこの作品と、バックスの」「夏の日」は、小生の中でシンクロするのである。

ハープとホルンで始まる序奏を経て、コールアングレが奏でる民謡風の哀愁を帯びたメロディ。
弦楽パートに引き継がれての草原を吹き渡る風、そして眼下の海原。

ある夏の日の思い出を語るような優しい音楽が、突然現実の生活に引き戻されるように荒々しく響く。

トランペットに誘われてかすかに聞こえてくるアイリッシュあるいはスコティッシュの民謡が出てきては消えていき、最後にはかき消される、そこで「夏の日」は夢幻の思い出にしか過ぎないことに気づくが、それもまた「夢」の中での話・・・そんな事を思わせる音楽だ。




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by noanoa1970 | 2007-07-21 09:33 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

3人の「Arnold」より Malcolm Arnold

「アーノルド」というと、映画ファンならすぐにシュワルツネッガーを、ゴルフ好きなら、またブランドポロシャツ好きなら傘のマークのパーマー、歴史ならトィンビー、映画音楽ファンであれば、インデペンデンス・デイ や0007/カジノ・ロワイヤルの作曲家デイヴィッド・アーノルド の名前が浮かぶかもしれない。

他にもたくさんの「アーノルド」が存在するであろう。

「Arnold」は西欧では姓名ともに使われているようなので、その由来を紐解くと、以下のようなことが分かった。

《古代ドイツ語 arn-wald (または arin-vald) 「鷲」-「権力,支配力」で構成された名に由来。イングランドでは同意の古代英語名 Earnweald が存在した所に,ノルマン人が古代ドイツ語由来名を持ち込んだ形になった。
 近代の Arnold は古代ドイツ語名の復活使用,または姓名の転用で,古代英語名とは直接繋がっていない。》

余りよく分からない説明だが、古代ドイツと古代イングランドそしてヴァイキングの言葉の混合形であるようだ。
ヴァイキングだから、余計に戦闘的な「強者」の意味は納得できる。

さて多くの「アーノルド」から、小生が取り上げた3人の「アーノルド」として、次の音楽家
●アーノルド・シェーンベルク
●マルコム・アーノルド
●アーノルド・バックス
以上を挙げ、本日はその中の一人「マルコム・アーノルド」の音楽について触れてみることにする。

マルコムアーノルドは、Sir Malcolm (Henry) Arnold, 1921年10月21日 - 2006年9月23日)、アーノルドバックスと同じく、近代イギリスを代表する作曲家の1人である。

Sirの称号を受けたようにイングランドでは有名なようだが、わが国ではほとんどその存在や音楽については知る人が少ないようだ。
昨年の秋亡くなられてもうすぐ1年たつが、そのときでさえほとんど話題に上らなかった人である。

しかし多くの・・・少し古めの人であれば、彼の名前は知らなくとも、彼の音楽を聴いているはず。

彼は純クラシック音楽の作曲家であると同時に、劇伴音楽の優れた作曲家でもあり、以下の映画作品の音楽を担当していた人なのだ。

・さすらいの旅路(1970)
・テレマークの要塞(1965)
・大突撃(1964)
・ドーヴァーの青い花(1964)
・ダイナミック作戦(1963)
・脱出(1962)
・野獣狩り カウボーイ・スタイル(1962)
・ライオン(1962)
・暗殺!5時12分(1962)
・去年の夏突然に(1959)
・六番目の幸福(1958)
・激戦ダンケルク(1958)
・戦場にかける橋(1957)
・日のあたる島(1957)
・空中ぶらんこ(1956)
・嵐の中の青春(1955)
・ホブスンの婿選び(1954)
・完全なる良人(1954)

テネシー・ウィリアムズ原作、エリザベス・テイラーが「トラウマ」を持つ令嬢訳で出演した奇妙な映画「去年の夏突然に」、レジスタンスがナチスドイツの原爆開発を阻止するテレマークスキーと雪が印象的だった映画、カーク・ダグラスよりリチャードハリスのほうが渋くてかっこよかった。

しかしなんといっても音楽ともにハッキリと覚えているのは、早川雪洲が出演したことで、人気の映画となった、口笛が印象的な音楽「クワイ河マーチ」の「戦場にかける橋」だろう。
リアルタイムで見なかった人も、音楽は聴いていたであろうし、リバイバル上映を何度かしたし、TVでも放映されたから、見た人も多いと思う。
「風とともに去りぬ」のデイヴィッド・リーン監督、脚本になる名画である。

この映画音楽の担当作曲家が「マルコムアーノルド」その人である。

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ルモン・ガンバ 指揮BBC・PO演奏

マルコムアーノルドが作った曲は純クラシック音楽、劇伴音楽ともに数多い。
本日はその中から最後の交響曲、交響曲9番を聴くことにした。
「9」という数字は恐らくクラシックの作曲家にとっては因縁の数字であるはずだ。

ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザーク、マーラー、ブルックナーなどはいずれも「9」の呪縛を感じていたであろう。
「アーノルド」は、果たしでどうであろうか?

交響曲第9番 Op.128
作曲年 1986年
第1楽章  ヴィヴァーチェ
第2楽章  アレグレット
第3楽章  ジウビローソ
第4楽章 レント

この交響曲の大きな特徴は最終楽章の「レント」。
全体が45から50分の長さの曲の約半分余りを最終楽章に費やしていることである。
このような配分の曲を小生は経験したことが無い。
マーラーの9番も長いが合計80分以上ある大曲で、しかも一楽章が終楽章と同じような20数分の配分であるから、アーノルドの9番は、マーラーと曲想を同じようにはするが、極端に最終楽章に表現したいところが詰まっているような感じがする。

それでは彼の「表現したいこと」とをどのように把握できるのだろうか?

一楽章ではトランペットとホルンが活躍する「オスチナート」が、低弦楽器群と低音管楽器郡が織り成す・・・まるで深い淵から湧いてくるような・・・パイプオルガンのような響きをともなって聞こえてくる。

2楽章は、「荒野を渡る風」や「草原の牧歌」風の優しい心にしみこむ音楽がオーボエで奏そうされ、木管楽器郡へ受け継がれていく。
ここでもお得意の(アーノルドはトランペット奏者でもあった)トランペットの弱音による哀悼歌や葬送の音楽のような、美しさの中に哀愁を帯びたメロディが聞こえてくる。

弦楽器だけで演奏されるメロディは、ブリテン初頭の民謡からそのモチーフから取られているかのように思える。

3楽章になると一転し
草競馬のような「ギャロップ」が突然繰り広げられる。
トランペットの難しそうな奏法の音が周囲から追いかけてきて、彼がいかにこの楽器に思い入れがあったかということをあらわすようだ。

所々ではあるが、ショスタコーヴィッチを髣髴させるところも見受けられる。
小生が期待していたような「イギリス近代音楽」:多くの人たちの一つの特徴でもある「伝統音楽」の引用がさほどあるようには思わなかったが、それでもほんの一瞬、「らしきもの」が垣間見れたから、この曲以外にも聴こうという気になれたのだった。

さて問題と思われる終楽章
絃パートだけでの、暗くて地の底を這うような、異教徒の「モーン」のような、悲痛な叫びか、嘆きのような音楽で始まる。
マーラーは終楽章を「アダージョ」としたが、アーノルドはここを・・・ほぼアダージョといってもいいような「レント」とした。

やはりマーラーの9番を相当意識したことは容易に想像できることだ。
やがて登場するクラリネットの音色も、追いかけるフルートも、そしてコールアングレ、ファゴットの音も陰鬱に響く。

半音階の上昇そして下降の陰鬱なメロディラインは、チャイコフスキー交響曲 第6番ロ短調作品74「悲愴(Pathétique)」 の主題の一つを思わせる。
そして確認は出来ないが、小生にはグレゴリオ聖歌風の旋法のようなものの、使用の痕跡を聞き取ることが出来たのだった。

そのような音楽はかなり多いが、「彼岸」、「死」、「諦観」、「悟り」といった語句が脳裏を掠めるようで、声部の無い「宗教音楽」・・・「レクイエム」あるいは「スターバトマーテル」のようであるといっても決してはずれはしないだろう。
この音楽を夜更けに聴いたら、激しく魂を揺さぶられることは目に見えている。

かなり危険な香りのする音楽である。

しかし最後の最後の音は、リヤルトシュトラウスの「最後の4つの歌」の第4曲「夕映えに」のそれのように・・・ひょっとしたら最後の最後になって、「現世」を賛美して終わったのかもしれないと思うようなところもある。

このように緊張を強いられる音楽は、そうそうやすやすと聞けるものではない。
そして恐らく聞くたびにその印象が変化することだろう。



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by noanoa1970 | 2007-07-20 10:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)