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変身

マイミクのakemin さんのJAZZメンソックリさん・・・・「スピルバーグ」と「ボブ・ジェームス」のソックリ度に刺激され、前々から思っているソックリさんを上げてみます。

≪クラシック演奏家ソックリさん≫

映画監督「ウディ・アレン」
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ピアニスト「アルフレッド・ブレンデル」
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画像を貼り付けるときに、混乱するほど小生にとっては、似ています。
どうでしょう?

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by noanoa1970 | 2007-06-30 16:55 | トピックス | Comments(2)

理由(わけ)

小生が住む町は、愛知県と隣接した中規模の町「桑名」である。
去年まで10万人であったが、市町村合併で、長島温泉で有名な長島町、上げ馬神事で有名な多度町を併合して、人口は14万人となった。

この地へは、名古屋から移り住んではや20年近くになる。
現役時代は通勤が名古屋の中心だったから、東京、大阪、京都に比べると、大物の演奏家達は素通りすることが多かったが、それでもそこそこの満足を得ることができたので、桑名のホールに足が向くことはほとんど無かったのである。

今世紀に入って現役を引退して、ようやくこの町の住人として町をジックリと眺めると、思っていた以上に、「文化」に対する市民の意識が、形としてオモテに出てきてないことに改めて気づいた。
文化の香りのしそうな町にしては、そして割と立派な中規模ホールを持ちながら、ほとんど活用されてないことに不思議な思いをしていた。

ホールで何らかの催しものが行われているだろうと思い、ネットで調べようとしても、どこにも出てこない。
市役所のHPはやっとできていたが、「文化」の項目をクリックしても何もないのだ。
仕方なくホールに電話で問い合わせると、ホールの受付、掲示板に開催予定があるから、それを見ろという。

ふざけるのもいい加減にしろ・・・とすぐさま市役所に電話すると、電話をたらいまわしにされ、3つ目に出てきたのが、「生涯学習担当課」の男であった。
「生涯学習と、ホール」の関係性がわからなかったので、聞くと、今期から市の施設の一部が「生涯学習課」の所管となったという。
それはホールに隣接されている・・お花、お茶、日本舞踊などの教室の管理を担当し、ついでにホールの運営管理もすると言うことだった。

このご都合主義にも唖然としたが、この電話の目的は、市が管轄している大小のホールの催し物案内を、またスケジュールをHP上にUPしてくれと言うものだったから、その旨を伝えると、「利用者の中には、公表しないでくれ」とおっしゃる人がいますので・・・・などという。

明らかに手間がかかるからやりたくない、というサインである。

「それでは催し物を見たい、参加したいという市民はいちいちホールまで行って確認するのですか?そんな市民サービスなどありえないこと」
今の貴方の話しは貴方の担当セクションの総意なのか・・と詰め寄ると、まずいと思ったのだろうか、今度は人手がかかるからすぐにはできないと言い出した。

そんなことはない、現場ではエントリー表を作って受け付けているのだから、
ホールで受け付けた催し物を、メールでもらって、貴方のセクションでまとめ、HPにUPするだけだから、人での問題でなく、やる気が歩かないかの問題だと言うと、ようやく、私の一存では決められませんので、後日・・・・という。

ここで分かりましたと言えば、後日が永遠となる予想がついたので、意思決定ができる貴方のセクションのトップを電話に出してくれというと、しばらくして出てきた男は、言われることは最もですが、もうすぐ施設運営は第3セクターに委譲することになっていると言い出した。

もうすぐとはいつだと聞くとハッキリ分からないと言うから、そうなったらそうなったときのこと、それまでは貴方が責任を持って市民サービスに当たるべきでしょうと、おおよそ1時間余りの電話で、ホールの催し物案内をHPにUPする約束を取り付けた。

2日後HPを見ると、リンクしてあったので、催し物案内を見ることができるようになっていた。
やればすぐできる。

がしかし
「今月の催し物案内」と書かれてあるその1ヶ月の中身は、たった3件。
・福祉団体主催の講演会
・どこかのピアノ教室の発表会
・任意団体の会合・・自治会の総会だったか

たった3件であった。

次の月、またその次の月も5本の指でも余るほどの数に終始している。
ひそかに期待している音楽コンサートは全くない。
土日祝でもウイークデイでも、全く活用されてないことがこれで判明したのであった。
どうりで、催し物案内がUPできないわけで、主催者側が掲載を断るような内容のものなど端から存在しなかったのだ。

もしそれが事実であれば、公共の施設をそのような公表もできないような催し物のために貸すということで、また別の問題が発生する。

これらは余分な仕事を増やしたくないと言う役人根性の最たるものpから出てきたこと、市民サービスのサの字も考えてないし、税金を投入して作ったホールなど各施設の活用活性など、端から考えてないのだ。

活用されればされるほど、管理の手間暇がかかる・・・それがいやだから彼らにとって一番良いのは、施設を使ってくれないことなのだ。
全く活用されなくても、身分と給料は保証されるからだ。

こんな人たちに任せておいたら、わが町の文化領域の様々なものなどは、とんでもないことになると言う予感と、空恐ろしい現実と実感を目の当たりにしてしまった。

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by noanoa1970 | 2007-06-30 09:56 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

A Man of Double Talk


Double Talkと言っても、米国の新聞で揶揄された、日本の偉い人のことではない。

昨日は朝から嫌な気分になってしまった。
午後はスッキリと音楽を大音量で鳴らしてみようと思っていたのが大間違い。
とんでもない1日となってしまった。

小生は有料ボランティアで、中高年にパソコンを教えてから7年になる。
過去においては、主婦の比率が高かったが、最近では定年後の再雇用で、新しい職場で仕事をすることになったという団塊世代のサラリーマンが多い。

以前の職場ではそこそこの地位にあった彼らが、新しい職場でいわば再・継続雇用されるというわけだ。
当然部下も存在しないか、少ないかの環境になるわけで、今まで誰かに依頼したドキュメント作成の仕事も、今後は自分でやらなくてはならないことになる。

恐らくは人事担当などから、「今度の職場ではパソコンが使えないと」、あるいは「今までのように部下に頼れない職場環境だから」などといわれて、あわててパソコンを習いに来たのだろう。

そういう人は決まって「ワード」「エクセル」を教えてほしいと、言う。
それで新しい業務内容を聞くと、分かっている人と、余り分かってない人がいて、業務が分かっている人には、小生の経験から割と短い期間でその業務をこなせるポイントを教えることができるが、そうでない人の場合には、新しいセクション、会社が変わる場合にはその会社の業態を調べて、「多分こんなことを覚えておけばよいだろう」と言うことを教えるようにしている。

延べ何万人もの技術者達が開発した「OFFICE」のワード一つをとっても、それを極めることなど、到底できない相談である。
しかし多くの受講者は、それを簡単そうに思っているのかいないのか、今まで自分ができなかったことを棚に上げて、「ワードを、エクセルを簡単に教えてください」と言う。

小生がそういう人に必ず、「ワードやエクセル」は道具ですよ、
その道具を使って何をしたいのですか?という問いかけをするのは、それを成し遂げるために必要な最低限の道具の使いこなし方を覚えてもらうことが肝心だと思うからである。

新しい職場に移動することが分かる季節の3月、ある男がやってきて、教えてくれと言う。
業務をたずねると、公共機関の「入金管理だと思う」と言う。
今までは地方公務員で、全く別分野の仕事をしていたらしく、話からは新しい職種への不安がたくさん読み取れる。

キーボード入力もままならない状態だったので、それを含めて、・・・恐らくエクセルの表がすでに作成されていて、それに数字を打ち込めば、「計算式」もプログラミングされているという予測・・・(ワードエクセルできる方というパートの募集も100%ちかくは、数字を入力できればOK,むしろ文章作成能力のほうが必要な場合が多い)

ただしエクセルの基本的なものは知っておいたほうが良いので、それらを説明しコースを組んだ。

さて、それに合意をもらって受講生となったその男、4月になって新しい職場に通いだしてしばらくすると、案の定仕事はエクセルの表に数字をインプットするだけ。
民間のようにスピードなどは要求されないから、ただ正確にテンキーボードから数字を打ち込めばよいことが分かったのだろう、それが分かった時以来受講態度が豹変した。

新しい職種への恐怖から自由になったと思ったのは間違いなく、復習はしない。
「分かりましたか」と言うと、「分かった」という、「今度までにこれをやってきてください」というと、「分かりました」と返事だけは良い。

そんな状態が見られたので、「分かったのならもう一度やってください」と言うと、今覚えたはずのものができない。

小生の説明を最後まで聞かないで、いつも早とちり・・・というより既成概念が余りにも強いのだ。理屈を無視して、やり方・技術を覚えようとする。田から1クリック間違えると、もう収拾が利かなくなる。
推測と言う感性が全く働かないのだ。

説明し、やって見せて、やらせてみて、自分の言葉に置き換えてノートにする・・・市販のテキストは、専門用語が多いから、その場では分かったつもりでも、しばらくすると忘れて、テキストを見るが、テキスとに書いてあることが理解できないから、結果できないのである。

そのために・・・おまけに、個人個人で教え方も、カリキュラムも変えないとどうしようもないから、この方法を取っているのだ。
だからノートへの書き方もアドバイスする。

・1枚ワンライティング
・ノートの一番上の空白には、受講項目を大きな字で書く
・例えば「コピーの仕方」と言うタイトルで1枚ノートを使い、違う項目内用を続けて書かない・・・進度に応じた2つ目のコピーの仕方、3つめの方法が教えて分かれば、その下に書き込むこと
・ノートに書いてある項目をすぐに検索できるように、ノートに項目を書き込んだ「タグシール」をつけること

以上のことを必ずアドバイス・・というよりやっていただくようにしている。
このやり方で70才の女性も、83才のお年寄りの男性も一人前にパソコンが使えるようになり、インターネットも、メールも、画像の貼り付け加工でさえできるようになった。

しかし学校で身についてしまったのか、このことができない人もいて、定年退職後この第2の職場に行った男もその一人だった。
教えられてすぐにだったら誰でもできる・・・しかし時がたつとすっかり忘れてしまう
このことの経験をしているはずなのに、全くやろうとしない。

いつもメモ程度に、しかも連続して異なる項目を書いていく。
このように・・・といって見本を示すが一向に実行しない。

新しい職場の業務が、当初恐れていたものとは全く違っていたので、とたんに安心し、もうパソコンを覚えなくてもいいと思っているのか、口では「ハイ分かりました」「帰ってすぐ復習します」・・・この言葉を聴き続け、何もやられてないことが続いてもうかなりの時間がたつ。

ほんの少し感性を働かせれば、会社でも、課程でも、趣味でも、覚えたことを生かす方法はいくらでもある。
実際「道具」を使った活用事例を示したのだが、ほとんど反応がないのだ。

思い出したが、業務で使っている(これから使う)PCのOSを、この男に聞いたら調べた結果、「XP」だと言い、家のPCも「XP」のデスクトップだというから、それならば教室の「XP」PCを使って覚えて、家のPCで復習すると言う話がついてたのだけれど、初回・・・得意げに教室に持ってきたのは、新しく買ったと言う「VISTA」ノートブックPCだった。

2つの意味でこれには困った。
1つは小生自身VISTAを教えるのは初めて。
もう一つは
家の、そして職場のPC環境と違うものを覚えることの「負荷」であった。
しかし新しくノートPCまで購入して、覚えようとする、その気概に小生は細かい違いは「XP」と比較しながら教えることにして、「VISTA」を急遽勉強することにしたのだった。

こうしてこの男との付き合いが始まったのだった。

小学生でもできるような、数字インプットだけの仕事に、賃金を払う公的機関。
税金がこのような無駄なお金に化けているかと思うと、実に情けなくなってくる。
こういう男、これからどのような人生を送るのかわからないが、自分が虚しくならないのか・・・

昨日の午前中で、この男との係わり合いはなくなったので、午後はノンビリしようと思っていたのだが・・・・・
とんでもないことが待っていた。

その話はいずれまた。

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by noanoa1970 | 2007-06-29 11:21 | トピックス | Comments(0)

映画ラウンド ミッドナイト・・・示唆に富んだ言葉など

続けて2回「ラウンド ミッドナイト」を見てしまった。
80年代後半に、映画館で見たときの印象は、さほどでもなかったのだが、見るたびにこの映画の面白さが増してくる。
それはストーリー展開の面白さでも、多くのJAZZミュジシャンたちが登場するからでもなく、50年代の「パリ」ブルーノートが、酒と公衆トイレと女のにおいが漂ってくるような、パリの路地裏のにおいを感じられるからである。

音楽監督「ハービー・ハンコック」のサジェスションであろうか、バド・パウエルが残した言葉だろうか、あるいはそのミクスチュアだろうか、ハッキリした子著は分からないが、この映画の中のセリフに、とても示唆に富んだものがあることに気づいた。

それは小生自身がかねてから思っていたこととリンクすることなのだが、仏近代音楽とJAZZの関係性についての言及である。

ドビュッシーやラヴェルそして仏6人組、ストラヴィンスキーなど、JAZZから影響を受けたとされる指摘を受けている作品が存在する。
JAZZ→クラシック近代音楽・・・と言う流れでの説明が、これまで数多く語られてきた。

確かにそう思える節も認めるものではあるが
小生が「目からウロコ」だったのは、映画の中で、(「ディル」・・・SAX奏者として登場するが、ピアニスト「バド・パウエル」を投影したもの)に、語らせるセリフであった。

これによると明らかに
ラヴェル、ドビュッシー→ビ・バップという影響があることを示唆するのである。
「ハービー・ハンコック」がいわせたのか、「バド・パウエル」自身が、かつてそのように言及したのかは分からないが、少なくとも「バップ」のJAZZメンの幾人かは、仏近代音楽を始めとするもろもろのの音楽から「モード」「和声」「メロディ分解」の要素を嗅ぎ取っていた考えてもよいのだと思う。

「JAZZ⇔クラシック音楽」は、時代を超え相互作用しあって、シナジーを作っていったと考えてもいいのだという、確信に近いものを覚えた次第であった。

「ドビュッシー、ラヴェルはビバップである」とディルに、言わしめた奥の深い背景を想うと、興味は尽きない。

映画の中での印象シーンをあげておく。

仏人のデザイナーで、ディルを尊敬し、かばいながら身の世話を焼く男フランシスが、初めてディルの演奏に接したときの感嘆の声
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フランシスがディルと同時に尊敬するJAZZメン「JAZZの革命家」という。
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ディルのビ・バップ観
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ディルが尊敬するSAX奏者、音楽家
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ディルの美学
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JAZZにおける「ビ・バップ」の情念的意味を、再考しなくてはならないかもしれない。

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by noanoa1970 | 2007-06-28 13:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

ROUND about MIDNIGHT again

長いブログ記事の完成間際shiftキーとctrlキーを間違えて押したら、一瞬のうちに白紙となってしまった。直HTML入力だから、「元に戻す」も効かない。
しばらく放心状態である。

おまけにエアコンもいつの間にか効かなくなっている。
どうしようもないとはこの事、しかも過去数回このようなことを経験しているから、息子などは、エラーチェックもやるから、変換ミスや、打ち間違い軽減にもなるから・・・先ずWORDで打ってからコピペしたほうがよいと何回も言ってくれていたにもかかわらずである・・・自業自得とはこのこと。

あきらめきれないが、再度あの長い、そして苦労してひねり出した文章を思い出しながら入力する気には、到底なれない。
だから書きたかったことを、箇条書きにすることで、自分の気持ちを落ち着かせることにした。

題名の「AGAIN」とはそんな意味である。
画像も無いがお許しを!

・昨夜「リンダ・ロンシュタット」の「for sentimental reasons」を聴いたこと。
・彼女の声の特色について、詳しく書き込んだ。
・B面最終曲「ラウンド ミッドナイト」についての感想。
・「同音異曲」を聴くことも小生の趣味であること。
・ラウンド「アバウト」と、「アバウト」の表記が無いものの理由。
・「クロード・ウイリアムスン」トリオの「ラウンド・ミッドナイト」について。
・芭蕉の句「池を巡りて夜もすがら」とカントリーの「ナイト・ウォーク」そしてモンクのラウンドミッドナイトの関係性について。
・映画「ROUND MIDNIGHT 」について。
・ボビー・マクファーリンのファルセットによる擬似ミュートトランペット演奏について。
・映画に出演したJAZZ面について。
・50年代仏「ブルーノート」について。
・映画中の音楽についての諸相。
・映画について考えたこと。
などなど

映画に登場するJAZZメンを書き記しておこう。

"'Round Midnight" (1986)

Produced by Irwin Winkler
Directed by Bertrand Tavernier
Screenplay by David Rayfiel, Bertrand Tavernier
Music by Herbie Hancock

Cast:
Dexter Gordon (as Dale Turner)
Francois Cluzet (as Francis Borler)
Herbie Hancock (as Eddie Wayne)
Bobby Hutcherson (as Ace)

Freddie Hubbard (trumpet)
Palle Mikkelborg (trumpet)
Wayne Shorter (tenor and soprano sax)
Cedar Walton (piano)
John McLaughlin (guitar)
Pierre Michelot (bass)
Ron Carter (bass)
Mads Vinding (bass)
Tony Williams (drums)
Billy Higgins (drum)

どうです凄いメンバーでしょ。
JAZZファンは勿論、そうでない方もごらんになるべき映画であると、小生は強く思うのです。

「タクシードライバー」、「ラストワルツ」ほか、多くの映画を作ってきた「マーティン・スコセッジ」が映画の中に登場しているのも興味深い。どこで登場するのかお分かりでしょうか?

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by noanoa1970 | 2007-06-27 15:11 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

LALAMIE and HOAGY

《ララミーララミー・・・ここは西部の大草原》
という歌で始まる「ララミー牧場」は、我が家にテレビがやってきた1960年の夏、同じ頃放映された「ローハイド」とともに、人気を二分した西部劇番組だった。
小学6年生か中学1年生だったか、クラスでその話題は持ちきりだったのだが、作風が全く異なる2つの西部劇なのに、登場人物の性格がよく似ていたから、当時はそうでもなかったが・・・今では混同した記憶が残っているだけである。

思慮分別がある落ち着いた牧場主あるいは牧頭。
少しひねくれてしまった若いが腕の立つ流れ者風で美形の男。
悪役一味と1作ごとに出演するゲスト。
時々登場する怪しい美女。
マリア様のように大きな愛情を持った家庭的な女性。
子役が必ず登場し
そして世代を超えてきて、世の中を知っている、相談役の知恵者の老人が登場する。

このあたり・・・壮年と青年そして年寄りそして花を添える女性の登場は、映画「リオ・ブラヴォー」にも共通する登場人物設定だ。

「ローハイド」では「クリント・イーストウッド」が、「ララミー牧場」では「ロバート・フラー」が、若くて無鉄砲な腕の立つ、少し陰のあるひねくれ者を・・・「理由なき反抗」の「ジェームス・ディーン」あるいは「シェーン」の「アラン・ラッド」のように演じていた。

中でも小生が全く混同していたのは、物語にいつも安堵感を与えていた二人の脇役老人
「ララミー牧場」の「ジョンジー」と「ローハイド」の「ウイッシュ・ボン」。
彼らはいずれも「相談役」として物語の重要な脇役の位置にあった。

「ウイッシュ・ボン」は「ポール・ブラインガー」という性格俳優が演じていて、独特のテンガロンハットをかぶって皮肉の聞いたセリフを言うのが印象的で。
一方「ジョンジー」は、年の功を発揮する。・・・なんとなんと「JAZZファン垂涎の「ホギー・カーマイケル」がその役を演じていた。

物語の中で、ホンキートンクピアノを弾いて(弾き語りだったかは記憶が無い)いるシーンがわずかな記憶にある。

「お前、知ってるか・・・ローハイドのウイッシュ・ボン・・・あの人有名なJAZZシンガーで、かの有名なスターダスト、ジョージア オン マイ マインド を作った人だってことを・・・」

1970年初頭、このように言われた小生、まさかと思ったのだが、余りにも確信を持って言うその言葉を信用してから数年。
ジャケットの顔とTVの「ローハイド」での印象が違うのにもかかわらず、それでもなおそう信じ込んでいたのだった。

二人の老人のキャラクターは、「ローハイド」の「ウイッシュ・ボン」のほうが数倍強烈だったから、「ジョンジー」も「ホギー・カーマイケル」も記憶の外にあったのだから、恐らく小生に得意そうに教えてくれたその男も、知りえた情報が自分の頭の中で、自然にすり替わってしまったのだろう。

「ララミー牧場」の「ジョンジー」老人が、かの「ホギー・カーマイケル」であることを知ったのは、それからさらに数年後、70年代の後半のことであった。


写真向かって右がローハイド「ウイッシュ・ボン」役の「ポール・ブラインガー」
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写真向かって右から二人目が「ホギー・カーマイケル」d0063263_10271536.jpg







HOAGY sings CARMICHAEL・・・ジョージア・オン・マイ・マインドが収録される
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by noanoa1970 | 2007-06-25 10:31 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

たった3音の展開・・・恐るべし

菊地雅章 というピアニストをご存知だろうか。
雅章=まさぶみと読むこのJAZZピアニストは、70年代に開花した。
その曲が「ダンシング・ミスト」で、当時のJAZZ音楽シーンではかなり話題となった。

小生が「ライブ」録音のディスクを所有することになったのも、「ダンシング・ミスト」を聞きたかったからであった。

「Dancing Mist」
菊地雅章 イン コンサート / 1970.11
1.Dancing Mist
2.Yellow Carcass In The Blue
菊地雅章(elp)、峰厚介(ss)、菊地雅洋(harpsicord, org)、
池田芳夫(b)、村上寛、岸田恵二(ds)

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ギターでも有名な、フェンダー社製の「フェンダーローズ」というエレクトロニック・スーツ・ピアノを使った、いかにも気分が乗ってくる16ビートのサンバのようなリズムに支えられて、上昇するピアノとそれにかぶせるような下降するssxの音階、それらは5音階ペンタトニックの5拍子でできている。
そして同時にこれはイントロを形成する重要な音でもある。

主モチーフはたった「3つの音」からできている単純なもの、にもかかわらず、かなり自由なイマジネーションによる、しかし約束された(アドリブ)展開と、何度も帰結するモチーフの妙に、まるで「予定調和」のごとく、正統派JAZZファン以外の人たちの心までをも、グイッとつかんで離さないものがあった。

今ではお目にかかれることが少なくなってしまった、非シンセの音や、ハモンドオルガンの音色に、そしてssxの持つ和楽器との共通性や、ここでのドラム演奏の・・・テンツク・テンツク・テンテンツクというリズム音型や、初音にアタックを置いたドラミングは、お祭りのお囃子のようでもあり、所謂JAZZドラム奏法の合間合間に入れ込んだ演奏法は、感覚的に日本人の心の琴線に触れるものがあったに違いない。

ディスクではA面にこの「ダンシング・ミスト」1曲のみが収録されている。
クラシック音楽の循環形式にも似て、モチーフが紆余曲折しながらも、幾度も・・・数えようとしたのだが、つい音楽に引き込まれてしまって、正確な数ではないが、恐らく7.8回は繰り返し何度も戻る。

イントロと展開移行音は、5音でできているし、モチーフは単純な3つの音、その展開だから、誰でも一度聞いただけで、モチーフとその第1展開が記憶に残る。
そんな「ダンシング・ミスト」であるが、変拍子のごく自然な活用と、転調とアドリブ展開の巧みも指摘せねばならないだろう。
その展開はファンキーとされているJAZZっぽい・・・ハービーハンコックのようでもあり、初期ウエザーリポートのようでもある。

マイルスのクロスオーヴァーJAZZ「ビッチェズ・ブリュー」の亜流のような評価をするの見かけることがあるが、マイルスの子飼い、ウエザーリポートの1年前に、すでにわが国のJAZZメンがこのような音楽を作っていた事実は、キチンと認めなくてはならないし、後に、尺八の山本邦山 との「銀界」を出すことの萌芽・・・「和とJAZZ」がすでに「ダンシング・ミスト」において見られるようだ。

今日は朝一番で、「ダンシング・ミスト」を一気に聴き上げた。
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by noanoa1970 | 2007-06-24 10:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

日本の「メルトーメ」か?

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「メルトーメ スイングス シューバートアレイ」というVerveの音盤を出して聞いた。
「マーティペイチ オーケストラ」をバックにして、ミュージカルナンバーを取り上げた有名な録音である。

フランク シナトラやジョニー ハートマンやチェット ベーカーもいいものだが、小生はこの録音が好きで、いつしかJAZZでの愛聴盤となって久しい。

(1)トゥー・クロース・フォー・カムフォート
(2)ワンス・イン・ラヴ・ウィズ・エイミー
(3)ア・スリーピン・ビー
(4)君住む街角
(5)オール・アイ・ニード・イズ・ア・ガール
(6)ジャスト・イン・タイム
(7)ハロー,ヤング・ラヴァーズ
(8)飾りのついた四輪馬車
(9)オールド・デヴィル・ムーン
(10)ホワットエヴァー・ローラ・ウォンツ
(11)トゥー・ダーン・ホット
(12)ロンリー・タウン

鼻に抜けるような、そして言葉をシッカリと音にする・・・いわばオーソドキシャルで古典的な歌唱法だが、今では珍しい歌い方となってしまったようで、逆に新鮮である。

YOUTUBEにかなりの動画があるので、その一部をリンクしておく。
メルトーメの若い頃のもの。
この人、目がものを言うようにして歌うらしく、ジャケットの顔写真と同じ「目」の表情をして歌っている。上目遣いの目と髪型が特徴的だ。
フレーズの最後を必ずビブラートを掛けるのは「シューバートアレイ」でもおなじみのこと。

夜中に一人で・・・ウイスキーグラスでも傾けながら聞きたいものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=rWWVGyxvSCk

この人を動画で見ていたら、ある人を思い出し、探してみると、これもYOUTUBEに動画があった。
先日ある番組で見た「大塚まさじ」の「アフリカの月」だ。
「石田長生」のギタートリオをバックに、JAZZにアレンジして歌っていた。
「メルトーメ」と「大塚まさじ」本来であれば、似ても似つかない存在なのだが、大塚のビブラートと声のトーン、ひょっとしたらメルトーメを真似たものかと思うほど似たところがある。
どのくらい似ているかというと、ほんの10%ほどにしか過ぎないが、顔だともなんとなく似ているようで、もし大塚が目を大きく見開いたら、メルトーメになるだろう。

「アフリカの月」は、故西岡恭蔵夫妻(KUROちゃん)の作詞作曲になる、いわばフォーク分野の名曲。
JAZZアレンジしたのも、とてもいいものだ。
ジャンルを超えた活動を、演奏家達は、聞き手が思っている以上に、実際は行っているものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=QCj7v5EzrMk

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by noanoa1970 | 2007-06-23 17:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

アイリッシュウイスキーのグラス

MIXIでお世話になっているakemin さんから、ウイスキーについて、以下のご質問があったので、ブログの写真掲載でお答えすることにした。

夕食→ギネス→(アイルランド)→アイリッシュウイスキー→ストレイト→セロニアス・モンク→ワンショットグラスの形状

以上のように話が発展したのがその背景だ。
小生も・・・特にアイリッシュウイスキーは、ストレートで飲るのがほとんど。

以下がakeminさんの問いかけ。
>そうだ!
一度何方かにお聞きしたかったのですが・・・
ウイスキーをストレートでやる時 
ワンショットグラスで一気にやるスタイルに憧れていました。
たとえば
映画「アフリカの日々」のわりとはじめの頃のシーンに
出てくるのですが・・・。
で、ライブハウスで
ウイスキーをストレートでオーダーすると
私の予想に反して、
試験管みたいな細長いグラスで登場してきました。
ストレートを注文すると
試験管みたいなグラスがそのスタイルなんですか?


akeminさん写真をUPします。

小生の使用しているものは、少し古い時代の鉛ガラスでできたもの。
五つあったのですが、ある夜酔っ払いが落として割ってしまいました。
酔っていては、倒れやすいので、危なっかしいグラスです。
しかし、小生はこのグラスが一番のお気に入り。

菊模様のガラスプレートを台にすると、また趣が変わります。font>
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by noanoa1970 | 2007-06-23 09:22 | 季節の栞 | Comments(1)

天気予報


入梅なのに雨が降らない。(UPする本日は朝から小糠雨が降っている)
雨が降らない日は、犬の散歩も楽なのだが、水不足が心配される。
ウエインショーターつながりで、10年以上の・・・本当に久しぶりに「ウエザーリポート」の「ウエザーリポート」を聞いた。

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インナーに掲載されている、ライナーノーツなど、今まで読んだことが無かったが、「I 波 Y 三」の解説があったので読む。

「ミルキーウエイ」における響きを、「除夜の鐘」のごとくに見立てたことは、小生も同じような感覚を得てたので、・・・この人なかなか(面白そうだ)・・・と思って次の展開を期待したが、そこからは何も発展しなかった。

1971年・・・前年度サークルDRACに「JAZZ G」を作りたいという要請に、小生は内心賛成であったが、このサークル伝統の、そして創設コンセプトである「クラシック音楽研究」の規約に抵触するから、しばらく躊躇していた。

考えた挙句、「JAZZ=現代音楽」としようと言う・・・今の政府のような拡大解釈で、規約を変更することなく「JAZZ研究G」を創設したのが1970年。

71年のこと、様子を見に出席したJAZZ Gで取り上げられていたのが、「ウエザーリポート」であった。

その時小生は、日本の作曲家によるクラシック音楽のグループをやっていて、そのこともあってか、それ以来この曲のA面を通して流れるのは、「日本」・・・日本の伝統音楽の響きなのではないかと思うようになっていた。



《セブンスアロウは、ヴィトスの作品で、いくつかのモチーフで、できており、モチーフの不断のインタープレイであると、彼らは言っている。
ヴィトスは、射て座の生まれで、ここには矢の持つスピードとエネルギーが示されている、という》・・・「I 波」は、このように解説で書いている。

さらに「オレンジレディ」で彼は、このように述べている
《オレンジレディは、ザヴィヌルのオリジナル。イン ア サイレント ウエイを想起させる牧歌調の演奏である。ザヴィヌルは、もっぱら自分のワイフのことを考えながら書いたという。つまりは大都市で子供を持って暮らす、母親の悲しみである。ここにはカントリーにおける生活の幸せと、都会で暮らす[ゆううつ]が交差して、一種サッドなサウンドを作っている》

「I波」の指摘どおり、冒頭では、大伽藍に響く「鐘の音」を限りなく想起させる。
しかし、小生は続く「アンブレラ」で、雨が降ってくる中、足早に駆けて行きかう人たち・・・安藤広重の絵を想起し、セブンスアロウでは、勇ましく戦う「賤が岳の7本槍」をも想起したことさえある。(半分以上冗談だが)

広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』
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ゴッホが広重の浮世絵を模写した作品・・・「雨」の表現が微妙に異なる
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それはそれとして

これらのことを小生に想起させた要因は、この曲想が限りなくわが国の伝統音楽のオマージュに聞こえていたからなのであった。
セブンスアロウからオレンジレディにいたる展開は、ウエインショーターのSsxのダブル録音の音色に象徴されるように、それはわが国の「雅楽」の「笙 篳篥 龍笛」・・・まさにそれらの楽器が、モアレのようにマージするヘテロフォニー音楽そのものなのだ。

「オレンジレディ」は「朝焼け」あるいは「夕焼け」のように、空が朱色に染まっていき、だんだんと薄れていって、明るくなったり暗くなっていく・・・その瞬間の茜色の美しさと、大気の揺らぎ感を表現したとも取れる。

ショーターは、この表現のために一人二役・・・2本のSsxを使い、ホモフォニーを重ね合わせることで、音のモアレ・・・これが雅楽の音の真髄である・・・を作り出した。

ちなみに音のモアレのモアレとは、昔の人の絹・麻の夏着物や、夏場に襖を取り去って使う絹・麻のカーテンのようなもの、それらが重なり合うときにできる不連続の縞模様のことである。

微妙な音のずれ、アンサンブルの遅延さえ、ウエインショーターは、見事にやってのけている。

ショーターが、あるいはザヴィヌルが、わが国の「雅楽」を聴いてなかったはずがない・・・それどころか、雅楽へのオマージュさえ感じられるような、そんな確信さえする曲想である。

「オレンジレディ」の中間部では、なんと「君が代」あるいは「越天楽」が聞こえてくるし、鉦鼓や琵琶の音を髣髴させるパーカッションの響きもある。

「I波」は、よくこの音楽を聴いてあのような解説を書いたのだろうか?

せっかくの冒頭の「除夜の鐘」への言及の割には、その後の解説展開が全て、ウエザーリポートのメンバーがどこかでしゃべったことを、なぞっているだけの、全くつまらない文章に成り下がっている。

もっとも、70年代の音楽評論はそれまでの主観的表現を廃していく傾向が強くなって、よい客観的であろうとするがゆえに、つまらないものが増えつつあった時代でもあったから、「I波」の表現の要因も分からないではないのだが・・・・

「I 波」のことはともかく

ここでのウエインショーターは、ザヴィヌルは、そしてウエザーリポートの音楽は
JAZZかフージョンかなどという、かつてのプアーな論争を、はるかに超えたところに存在している、まさに「音楽」だといえる。

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by noanoa1970 | 2007-06-22 09:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)