「ほっ」と。キャンペーン

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「YOU TUBE」は宝の山

大学のサークルの後輩に当たる「drac-ob」さんから教えていただいた、(最近はやりの)、「YOU TUBE」のビデオ閲覧サイトで、PP&Mを検索したら、いくつかの映像があった。思わず興奮してブログにアップすることにした。
古いものも会ったが、カラー映像で音もよかったものは、「(ジャッキー・ペイパー)少年も大人になってしまった」そして「25年経った」、と「パフ」を歌う中で、ピーター・ヤーロウが語りを入れているから、おそらくは下のいずれかの映像よりのものと、おもわれる。

1900年代の終わりごろになると、彼らは、子供相手のコンサートを開き、その映像が配信されたので録画してあるのだが、あの「マリー・トラヴァース」の金髪は健在であったが、体型がおよそ2倍ほどとなってしまっていて、時を感じさせ、少しガッカリしたが、YOU TUBEの映像は、まだ40台であろうから、初期の美貌と金髪の長い髪は健在であった。
男たちは昔から、禿げ上がっていたり、ひげ面だったり、あまり変わっていないようだが、矢張り年相応だ。
「マリー」の声は少し太くなっていて、少し体格がよくなっていたが、若いときを偲ばせるものがあり、音程も確かであった。・・・そして歌がうまくなったように思えた。
「1986 Peter, Paul & Mary 25th Anniversary Concert」
「1988 Peter, Paul & Mary Holiday Concert 」
上のいずれかでの映像であろうと思われる、
「Puff the、 Magic Dragon」、「Blowin' In The Wind」を歌う映像があった。

「パフ」では、少年がずいぶん年を取ったというようなこと、「ドラゴン」の行方などを面白く語って客席を笑いの渦に巻き込むあたり、エンターティナーの要素も身につけ、昔の「反戦」のイメージはすでに・・・・あたりまえだが・・・ない。
観客に一緒に歌うことを合図して歌った「パフ」は、ライヴならではの感慨があった。

「風に吹かれて」では、観客の女性が、感動してなのか、昔を思い出したのか、思わず涙をぬぐうシーンが映される。
これはあの「チェット・アトキンス」の「ダディーズ・ハット」のシーンでも見られ、そのこともあって、こみ上げて来るものが有った。

さらに貴重なのは、おそらくTV出演時の映像だと思うのだが、1960年代か70年代初期のころだと思われる「風に吹かれて」のシーンもあって、これにはかなり興奮した。
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by noanoa1970 | 2006-09-29 08:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

浅川マキ1983

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このアルバムについては、小生のコメントを差し控えたい。
淺川は遠いところに・・・・「後藤」とともに去っていったように思えてしまって、好きではないアルバムだから・・・・このアルバムを最後に、浅川の新しいアルバムを購入することはなくなった。

1983
[WHO'S KNOCKING ON MY DOOR]
(プロデュース:後藤次利)
まだ若くて (浅川マキ/後藤次利/後藤次利 )
ともだち (浅川マキ/浅川マキ/後藤次利)
あの男がよかったなんてノスタルジー (浅川マキ/後藤次利/後藤次利)
町の汽船 (浅川マキ/本多俊之/後藤次利)
時代に合わせて呼吸する積りはない (浅川マキ/浅川マキ/後藤次利)
暮し (浅川マキ/浅川マキ/後藤次利)
霧に潜む (浅川マキ/向井滋春/後藤次利)
最後のメロディ (浅川マキ/後藤次利/後藤次利)
コントロール (浅川マキ/後藤次利/後藤次利)

浅川マキ(vo)、後藤次利(b)、向井滋春(tb)、本多俊之(as,ss,fl)、松武秀樹(prog)、セシル・モンロー(ds)、トリスタン・ホンシンガー(cello)、特別ゲスト:大村憲司(g)

by noanoa1970 | 2006-09-29 08:00 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(3)

浅川マキ1978

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このアルバムの裏面にあった「浅川と、不幸せという名の猫」のポスター、小生はこれと同じものを1980年代初頭まで玄関に掛けていた。
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このアルバムで、1970年代・・・小生が所有する淺川初期のアルバムは最後となる。
ずいぶんとたってから「淺川自選作品集」という10枚組みのCDアルバムを入手したのだが、中期以降の作品が多くて、小生には「昔の淺川」がいなくなっていた気がしたから、長く聞くことはなった。
このまま眠らせておくよりは、誰か好きな人に聞いてもらったほうがよいだろうということに落ち着き、オークションに出品すると、やはり好きな人がいてすぐに落札された。

かなり昔にCDが数枚発売され、小生もよく聞く「灯ともし頃」を購入しておこうと思ったことがあったが、その頃はまだLPが元気だったから購入を差し控えた。

長年LPで聞いてきたが、あるとき便利さの誘惑と、LP保護の目的とが絡んだので、CDを探したのだが、どこにもその姿はなく、寄せ集め盤がセットもので数種類出ているだけだったので、CDはあきらめた。その後単体のアルバム復刻がなされないのを不思議に思ってはいたが、夜中に聴く音楽には、LPレコードが似合うとばかりに決め込んで今日まで来てしまった。

しかしこのままではオールドファンと、ライヴの愛好者だけの存在になってしまうのではないかと少々心配である。
しかし考えてみれば「淺川」は万人向けの歌い手では、決してないから、それも仕方ないことなのだろう・・・などとも思える。

東芝エクスプレスは何を考えているのだろうか。企画プロデューサーたちも、今はもう若者ばかりで、「淺川」を知らないのだろうか。
ウイキペディアには、淺川自身がどこかで言っていたという話として、初期に出したCDアルバムは、淺川自身が気に入らなかったので、すぐに廃盤にした・・・と書かれている。
なるほどそういえば、オークションに出したものに3枚初期アルバムがあったが、いずれもLPに比べて音の深みに欠けていて、CDなのに妙にダイナミックレンジが狭く感じた。

あれでは淺川の声のトーンの変化も、萩原のギターのチョーキングの音の色彩の変化もわかりにくいので、やはりLPのよさを再認識したものであった。
どうも・・・小生の実感では、1970年代のLPをCD復刻した・・・特に日本のフォークと呼ばれるジャンルの物に、リマスターの稚拙なものが多すぎるように思う。URCなどマイナーな音源では差ほどでもないが、大手レコード会社の音源ではそれが顕著であるのは残念なことだ。

浅川の発言はわからないではないが、現在のリマスター技術ならば(よい耳を持った技術者ならば・・・・これがほんとに少なくなって、クラシックの世界でも、JAZZの世界でも、かつて存在したカリスマはもういなくなってしまったようだ)
昔の、そのような不具合は大きく改善されると思われるから、ここらで、やはり浅川の録音のCD復刻を望みたいものである。

オークションでは、数が少ないうえに、LPが5000円、CDでもそれに近い価格であるから、おいそれと購入しづらいから、・・・せめてライヴに行った人が購入できるような環境を作るべきだと思うのである。

嬬恋コンサート復活に団塊の世代人間が35000人集まるのだから、その中の何割かが淺川を昔聞いているはずであるから、赤字にはなるまいと思うのだが、一向にその気配はないようだ。

淺川自身もリマスター技術を信じて「ハイライト盤」ではなしに、LPレコードのように、意思の入ったCDを復刻してほしいものだ。

「MAKI Ⅵ」のあんな女ははじめてのブルース (Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔) の山下のピアノに、小生は、「エリック・サティ」を髣髴させるところを見たのだが、淺川は、このアルバムの自身の解説の中で、山下のピアノに、やはり「サティ」を見ていて、それは「ルイ・マル」監督の映画「鬼火」で使われた「サティ」によるものと述べている。
小生は、山下のFREEJAZZ的ピアニズムの中に「サティ」を見出したのだが、淺川はこのアルバムの・・・スローなピアノに、「鬼火」の音楽・・・「ジムノペティ、そしてパラード」のような音楽を見出した。

「エリック・サティ」という音楽家は不思議な存在で、(実際の行状の数々も、奇異なところが多い)
1970年代の中ごろ、ロックが好きな連中の間に、(あまりこのような言い方はしたくないが、)どちらかといえば、クラシック畑の「サティ」を聞く風潮があったことを覚えている。
記憶をたどると、それは「フランク・ザッパ」の影響によるものだと思う。(違うかもしれないが)
小生は、淺川が「サティ」を知っていることに何かしら感動さえ覚えたものである。

「吉野金次」という男は、淺川のアルバムをいくつか作ってきた録音技術者で、このアルバムを担当しているときに、結核で倒れたという。
その性かどうかはわからないが、A面とB面では微妙に音楽作りが違って聞こえる。
A面は、70年代の香りがいたるところでするのだが、、B面になると,あの・・・・小生にとって、忌まわしき「淺川の80年代、そして90年代」へ続いていく、その過渡期的なものが聞こえてくるのである。
このアルバムの後、小生は1983年の[WHO'S KNOCKING ON MY DOOR]
(プロデュース:後藤次利)を聞くことになるのだが、このアルバムで失望してしまい、それからは新しい淺川のアルバムを聞こうとしなくなった。

90年代の中ごろに見つけた10枚組みの淺川「自選アルバム集」も80年代以降のものがほとんどであったので、オークションで手放してしまった。
小生にとっての淺川は、淺川には悪いが、「70年代」で終わっているのである。

「時代に合わせて、呼吸するつもりはない」・・・というのは十分わかるが、そう入っても淺川のベースは、「ブルース」・・・決して前衛的な音楽、あるいはその手法による音楽ではなく、「伝統の上に存在する音楽」なのであろうから、紆余曲折はしても、やはりそこに戻ってきてほしいものである。

確信的なことはいえないが、プロデューサーの変更、ミキサーの途中退場、などが微妙に影響したらしいことが分る録音でもあるように思える。
さらに淺川の音楽が1980年代に入って「変貌」していったのは、淺川自身の意識でもあったのだろうが、70年代録音でもライヴでも、ほとんど連れ添ってきたギターの「萩原」との決別・・・それが淺川変貌の・・・われわれにわかる手がかりとなったのかもしれない。
70年代のアバムにおいて、「萩原」の果たした役割は、非常に大きかったと思うのである。

1983年、「ニューミュージックブーム」に乗った形となったように思える、[WHO'S KNOCKING ON MY DOOR](プロデュース:後藤次利)に見られる
浅川の、POPS志向への変貌は、小生にはどうしても理解できないものであった。

1978[寂しい日々]

A面
Too Much Mystery (浅川マキ/B.Cruttcher-H.Banks-R.Jackson)
どうしたのさ (浅川マキ/C.Womack-M.Womack)
コーヒーひとつ (浅川マキ/浅川マキ)
MR.マジック・マン (浅川マキ/Eli Fisher)
面影 (浅川マキ/浅川マキ)

B面
ナイロン・カバーリング (浅川マキ 山本安見(訳)/M.Levin)
女が笑う (浅川マキ/浅川マキ)
寂しい日々 (浅川マキ/浅川マキ)
暗い日曜日 (浅川マキ 橋本千恵子(訳)/J.Mareze-F.Eugehe Gonda-S.Rezso)

浅川マキ(vo)、山下洋輔(p)、向井滋春(tb)、杉本喜代志(g)、川端民夫(b)、つのだひろ(ds)、大出元信(g)、荻原信義(g)、白井幹夫(p)、吉田 健(b)

by noanoa1970 | 2006-09-28 08:05 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(1)

浅川マキ1977

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このアルバムはJAZZっぽいところよりも、バラードっぽい作品が多い。「紀伊国屋ライヴ」、そして「灯ともし頃」で見せた静と動という2つの要素は少し消えていて、静かなバラード調になっていて、淺川も全編しっとり歌っている。
ここでもバックミュジシャンに「萩原」のギター、「つのだ」のドラムスを起用するが、「内田」そして「坂本」といった腕の確かな新進気鋭を起用する。

ロッドステュアートートも歌った「If I'm on the late side」葉、「ロニー・レーン」の作品。淺川は、よほど「ロッド」あるいは「フェイセス」から影響を受けたに違いない。

それは多分、浅川の中にあるだろう、拭い去ることのできない日本の伝統歌と、ブルース、ロック、R&B、JAZZ、黒人霊歌など多くのジャンルの中に、ブリテン諸島の伝統歌に代表されるなにか、共通性のようなもの、を見出し、「ロッド」のアルバムの中にピンとくるものを発見したからではないだろうか。

「ロッド」の「エブリーピクチャー・テ-ル・ザ・ストーリー」「ガソリン・アレイ」
フェイセス時代の「馬の耳に念仏」、「ロング・プレイヤー」のアルバムには、非アングロサクソン系の、伝統歌らしきメロディが聞こえてくるし、楽器もマンドリン、ドブロ、フィドルなどの使用で、ブルーグラスやカントリーの雰囲気を出したものがかなり存在する。

「ロッド」という人は、隠れた・・・・誰かが書いた名曲になりえると思えるような曲をよく取り上げて、ヒットさせてしまう名人でもあるが、その心の奥底に存在するものを、小生は「スコティッシュ、あるいはアイリッシュ・・・ソウル」なのではないかと思っている。
それらは「ケルトの血」ゆえにのことだろう。

「二人の女の歌」の中で淺川が聞いたのは「ビリー・ホリデイ」二人とも死んだと歌うから、もう一人は、「ジャニス・ジョプリン」だろうか。二人とも麻薬中毒だったといっているから・・・・
「あなたに」ではトロンボーンは「向井」から「粉川」に変わっている。粉川の演奏はとてもやさしい音だ。少し物足りないかもしれないが、バラードにはピッタリで、よいトーンを出している。

淺川自身が作曲したものはどれも同じようなテーマがある。どこにでも、誰にも作れる曲のように見えるが、淺川の声で、歌い方で聞かされると、妙に説得力が増してくるからふす=意義である。編曲のよさも、もちろんあるのだが・・・・

淺川はこのアルバムでも引き続いて「ラングストン・ヒューズ」を取り上げた。
それに淺川自身が曲をつけてしまうのだから、なんともすごい・・・・

淺川の声のトーンは、このアルバムでもほとんど「ブルー」で、高域のビブラートがいつものようがいつものように響かないのは、わざとなのだろうか。
つのだのドラムスもそれに合わせているようで、かなり大人しくしている。

1977.03.05
[流れを渡る]
あの人は行った (浅川マキ/浅川マキ)
知人を訪ねて (浅川マキ/浅川マキ)
私のブギウギ (成田ヒロシ/南正人)
流れを渡る (Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/浅川マキ)
If I'm on the late side (浅川マキ・吉田建(訳)/R.Stewart R.Lane)
二人の女のうた (浅川マキ/浅川マキ)
あなたに (浅川マキ/浅川マキ)
波止場 (浅川マキ/浅川マキ)
罪人小唄 (Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/浅川マキ

浅川マキ(vo)、荻原信義(g)、池田洋一郎(g)、内田勘太郎(g)、坂本龍一(kb)、吉田 健(b)、つのだひろ(ds)、粉川忠範(tp)、他

by noanoa1970 | 2006-09-27 08:36 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(2)

浅川マキ1976

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小生が「紀伊国屋」ライヴとともに、最も好きなアルバム。
1曲目「夕凪の時」のギターのイントロ、そしてドラムスのスネアに、のっけから参ってしまう。
「あなたなしで」は、ずいぶん長いこと、浅川自身の作とは思っていなくて、てっきり「ロッド・ステュアート」の曲とばかり思っていた。それほど彼が歌っても似合う曲に仕上がっているのだ。

続いて、もう浅川のライヴでの定番ともいえる「ロッド」が歌った、「スポットライト・・・・」この日本語訳は名訳であると感心することしきり。
浅川がしみじみと歌うのに対し、サビでは、「つのだひろ」が、ソウルフルな歌を聞かせてくれて、この曲を直いっそう格調高いものにしてくれている。
「ロッド」のしわがれ声も、英語の表現もよいのだが、小生は浅川の方が好みである。
Barry Goldbergはブルースバンドを組んでいて、KGBというグループで活躍、Gerry Goffinは、キャロル・キングと組んで、彼女に詩を彼女に提供していた人である。
2人の共作が、ブリテン諸島の伝統歌を髣髴とさせる様な名曲に仕上げた。

「センチメンタル・ジャーニー」はスタンダードとして有名だが、ここでは小生とほぼ同じ時を同志社大学で過ごし、「軽音楽部」=LMCでトロンボーンを吹いていて、その後JAZZミュジシャンとして、一流の人となった、「向井滋春」がゲスト出演している。
彼は高等学校が名古屋だから小生と同じ空気を吸ってきた人でもある。
Just another honkey のR.Lane)おは、恐らく「スモールフェイそしてフェイセス」のベーシストの「ロニー・レーン」であろう。

とにかく小生は、浅川マキによって「ロッド」を知り、「フェイセス」を知ることとなり、やがて日本のフォークそしてカントリー、ブルーグラスそしてイギリスのクラシック音楽と結びついた「オールドバラッド、オールドフォーク、・・・所謂古い伝統歌」に行き着くことになる。
浅川マキの70年代のアルバムは、小生の音楽的眼(まなこ)を広く、深くしてくれたのであった。

「灯ともし頃」1976.03.05「アケタの店」で収録
1.夕凪の時 (浅川マキ/浅川マキ)
2..あなたなしで (浅川マキ/Williams)
3.それはスポットライトでない (浅川マキ/Barry Goldberg-Gerry Goffin)
4.夜 (浅川マキ/浅川マキ)
5.Just another honkey (浅川マキ/R.Lane)
6.思いがけない夜に (浅川マキ/浅川マキ)
7.センチメンタル・ジャーニー (浅川マキ/Les Brown-Ben Homer)
8.何処へ行くの (浅川マキ/浅川マキ)

浅川マキ(vo)、荻原信義(g)、吉田 健(b)、白井幹夫(p)、つのだひろ(ds)、坂本龍一(kb)、向井滋春(tb)、近藤等則(tp)、杉田 順(g)

by noanoa1970 | 2006-09-26 08:45 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

浅川、マキ1974

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バックミュジシャンの山下洋輔、坂田明といえば思い出すのは1980年代半ば、その頃小生はトヨタ系の会社が多い、豊田、刈谷、岡崎、豊橋、そして鉄鋼大手のある知多地区を管轄する営業所に配属された。営業所は岡崎という古い街にあり、小生も岡崎に住むことにした。
この街は、かつて「徳川家康」がいた城があり、街を流れる乙川では、夏にはスケールの大きい花火大会が催され、小生のマンションから、それがパノラマのように見えたから、ビールを片手に見物が出来た。

営業所には東京から転勤してきた神戸出身、関学出のIがいて、音楽好きということで、連れ立ってしょっちゅう飲みに行った。

営業所の裏手には、JAZZ界では有名な、医者兼ミュジシャンたちの育ての親でも有る「内田 修」氏の住まいが有って、時々楽器らしきものを抱えた・・・如何にもミュジシャン然とした人たちが、入れ替わり入って行くのが目撃できた。

営業所から小生の住むところまでの間には、JAZZ喫茶&レストラン「セント・ルイス」という店があって、普段はJAZZのレコードがかかっていて、聴きながらワンショットやるにはちょうどの雰囲気の良い店で、最初の住居が気に入らなかったTは、小生と同じマンションの上の階に越してきたから、帰りに立ちよって、ひと時を過ごす多くなった。

その「セント・ルイス」は、時々JAZZのライヴを企画して、中に冒頭の・・・・この浅川マキで出演している2人のライヴがあって、勇んで聞きに行ったことがあった。
しかし、そのライヴでは、ほとんど聴きなれてない、FREEJAZZが多く、坂田などは、冗談半分でもあるまいが、「馬」とか「牛」のマネをSAXで吹きまくり、モダンJAZZ から抜け出せないわれわれを挑発するようなライヴだったので、ちっとも酒がうまくなかった。

「セント・ルイス」オーナーの吉見氏は、内田先生の勧めがあって、JAZZ喫茶&レストランをやるようになって、特に親しくしたのは「日野元彦」(ds)であったと後年述べている。
1975年に前の店を立ち上げたのが、22歳の学生だったそうだから、小生より少し若い年齢である。学生時代からJAZZが好きだったそうだ。
しかしその彼も、今は50台半ばである。

小生は、「セント・ルイス」ではバドワイザーかウイスキーソーダを注文し、何かおつまみ・・・というと、彼は「チーズの焼いたもの」はいかがですか」といって、ゴーダチーズをフライパンで焼いてパリパリになったものを提供してくれた。
小生が京都で、日本でも初に近いピザの店、「NOANOA」をやっていた人間であるとは、夢にも思わなかったことだろう。

内田先生の存在は、岡崎を「JAZZの町」へと変える力を持っていて、大勢のミュジシャンが集まってくるから、ライヴをやる場所も徐々に増え、JAZZ喫茶も、京都に比べれば少ないが、名古屋に匹敵するほどの勢いがあった。

海にも近く、そして山にも割りと近いから、朝市には、山海の珍味が並び、古い町並みが文化の香りに包まれる・・・・そんな町が「岡崎」である。
近年NHKで八丁味噌とJAZZの朝ドラをやっているようだが、ここにも、そのような背景がある。ちなみに八丁とは、岡崎城から北へ八丁の地区で作られた「豆味噌」の総称である。

このアルバムでの二人は、オーソドックスな演奏をしていて、彼らがキワモノのミュジオシャンではないことが、そしてちゃんとした音楽的素養を、身に着けていることが、ハッキリ分かるような演奏をする。
だから、浅川も安心して音楽に身を任すことが出来、彼らの音楽のバックに支えられて、
ノビノビとスイングするような歌が聞こえてくる。

浅川は、ここで「ラングストン・ヒューズ」の詩に「山下洋輔」が曲をつけたものを3曲、そして師匠でもある「寺山修司」の詩に、彼女自身が曲をつけたものを1曲取り上げた。
山下洋輔・森山威男・坂田明・稲葉国光というJAZZカルテットによるスインギーな、バックもよいし、坂田のクラリネットが聴けるのも面白い。

[MAKI VI]
(1974.12.20神田共立講堂ライヴ含む)
1.わたしの金曜日 (浅川マキ/山下洋輔)
2.港町 (Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
3.ジン・ハウス・ブルース (浅川マキ/Henry Troy-Fletcher Henderson)
4.キャバレー (Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
5.あんな女ははじめてのブルース (Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
6.今夜はおしまい (浅川マキ/浅川マキ)
7.戸を叩くのは、誰 (寺山修司/浅川マキ)
8.ボロと古鉄 (浅川マキ/Oscar Brown Jr.-N.Cautis)

浅川マキ(vo)、山下洋輔(p)、坂田 明(as)、稲垣国光(b)、森山威男(ds)

by noanoa1970 | 2006-09-25 08:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

浅川マキ1973

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浅川マキの5枚目のLP。
ほぼ年に一つアルバムを作ってきた彼女は、5年前を振り返って、「私のLPが5枚にもなるなんて、思ってもみなかった」といっている。
今までは、レコーディングのために、一緒にやってきたプレイヤーとの演奏が多かったのだが、このアルバムは、長く舞台を一緒にやってきた仲間たちとのもので、2枚目から一緒にやってきた「萩原信義」の「トラブル・オン・マインド」を聴いてほしい・・・と、彼を絶賛するかのように述べている。
やはり浅川は、萩原のギターは、相当気に入っていたのであろう。
彼はテクニックがあるだけでなく、音楽に心があって、そこから感性豊かなアドリヴが聞こえてくるから、浅川は、そんなところが気に入ったのではあるまいか。

若手が中心のメンバーの中に、ベテランの「南里文雄」がゲストで出演した4曲目の、「セント・ジェームス病院」について触れ、日本語訳が間に合わず、舞台に出てから、いわば、即興的に歌ったと独白してもいる。

「セント・ジェームス病院」の歌詞などには、そういう浅川の苦労の跡が良く見える。
翻訳を手伝ったのは盲目の歌手として、ギターの弾き語りで有名な「長谷川清」だという。
銃数年ぶりに舞台で演奏するというピアノとオルガンそしてディレクターを兼務した「渋谷」との、「初めての出会いで、緊迫していた」という浅川は、「あのなにか」を大切にしたいとも述べている。

浅川の「あのなにか」とはなんであろうか・・・・
其れは新しい出会いであり、ある緊張感を伴った、ワクワク感であり、それらを共有できる「共同体の創造」が、演奏過程において生まれてくることなのだろう。
其れはやはり計算づくで演奏会を企画し、仕込むより、「アドリヴ」によって実現されるのかもしれない。

1973
[裏窓]
3は73.04.13明大前キッドアイラックホールで収録。4、5は73.06.15神田共立講堂で収録。
浅川マキ(vo)、荻原信義(g)、白井幹夫(p)、富倉安生()、小松崎政雄(ds)、他

1.こんな風に過ぎて行くなら (浅川マキ/浅川マキ)
2.裏窓 (寺山修司/浅川マキ)
3.あの男が死んだら (浅川マキ/Irving Berlin)
4.セント・ジェームス病院 (浅川マキ/Joe Primrose)
5.ロンサム・ロード (浅川マキ/Gene Austin-Nathaniel Shilkret)
6引越し (浅川マキ/浅川マキ)
7.Trouble in mind (浅川マキ/Richard.M.Jones)
8.翔ばないカラス (真崎守/浅川マキ)
9.町の酒場で (浅川マキ/浅川マキ)
10.ケンタウロスの子守唄 (筒井康隆/山下洋輔)

全体的にブルージーで、暗い曲が多い。
小生は、浅川の声、歌い方・・・全てに「ブルーノート」を感じることが多い。
英語で歌われるJAZZやブルースも、確かに響くものはあるが、日本語訳したものを聞くと、インパクトが・・・・其れは強くて、よりリアルに心の中に入ってくるようで、このアルバムを全部通しで聞くことが出来ないほどである。
「ケンタウロスの子守唄」は、作詞作曲が凄い、そしてとてもよい曲で、最後にこれが聞こえると、ホッとする・・・・好きな曲である。

by noanoa1970 | 2006-09-24 09:27 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

お茶とお菓子

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いただいた和菓子をお気に入りのさらに盛ってみた。
八角の伊万里の鉢、芙蓉紋だ。どんなものを盛っても良く似合ってくれるので、重宝している。
この店は、町で一二の老舗で、良質の材料を使い、地味だが、丁寧な仕事をしていて、好きなお菓子が多い。


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今日は気が向いたので特別に、絵唐津の茶碗で茶をいただくことにした。
小生は「左千家」である。
この茶碗は、真半分に割れたのを丁寧な金つなぎで繕ってあり、素朴だが、芸術的感性豊かな、一筆で書いたような侘び模様に惚れ込んでいて、我が家のお宝でもある、「石黒宗麻呂」作の茶碗・・・これも小ぶりで、手に、とてもなじむのだが、この絵唐津の茶碗は、それよりもいっそう扱いやすくて好きである。何時頃のものかは分からないが、決して新しいものではない。

by noanoa1970 | 2006-09-24 08:30 | 骨董で遊ぶ | Comments(3)

彼岸花

あぜ道に咲くもの、林ヤ森の中に咲くもの、庭先で咲くもの。いずれで咲いても、彼岸花は、不思議と周りの風景と、調和する。
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白い彼岸花もある。
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神社の森には、沢山の彼岸花が咲いていた。
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彼岸花も萩もこのように風光明媚なところでも咲く。
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by noanoa1970 | 2006-09-23 20:42 | 季節の栞 | Comments(1)

浅川マキ1972-2

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1972年には、「紀伊国屋ライヴ」に続いて、ブルースナンバーを集めた「ブルー・スピリッツ・。ブルース』も発表された。ここでも萩原が絶妙のブルースギターを聞かせてくれるが、なんといっても特筆すべきは、FREEJAZZの「山下洋輔」が参加していることである。
ジャケットはわざとピンボケ・・・ロバート・キャパを気取ったのだろうか・・・

中にある歌詞カードは淺川が凝りに凝ってのものであろう、黒字の紙に白いペイントで自筆で書かれている。かなり達筆なのに、驚いた。浅川は、「黒」が好きなのかところどころで「黒」を使用する。衣装も「黒」で決めることが多く、小生の見たライヴでは全て「黒」であった。
有るライヴ会場で、浅川がイスに腰掛けて、猫と一緒に写っている大きなポスターサイズの物があったので入手し、板に貼り付けて玄関口に飾っていたことがあったが、東京へ赴任する時に、知人にあげてしまったが、このポスターも、モノクロであった。
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まだ若き「山下洋輔」
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1972・12.01
[ブルー・スピリット・ブルース]
Blue Spirit Blues (浅川マキ/S.Williams)
難破ブルース (浅川マキ/B.Smith)
奇妙な果実 (Lewis Allan)
あの娘がくれたブルース (浅川マキ/浅川マキ)
HUSTLIN' DAN (浅川マキ/J.Crawford)
ページ・ワン (寺沢圭/山木幸三郎)
灯ともし頃 (浅川マキ/浅川マキ)
町 (森須九八/浅川マキ)
大砂塵 (浅川マキ/浅川マキ)

浅川マキ(vo)、南里文雄(tp)、山下洋輔(p)、高中正義(b)、つのだひろ(ds)、荻原信義(g)、他

「奇妙な果実」は、あの「ビリー・ホリデイ」野歌でもおなじみ。
木の枝に吊り下げられ、ぶら下がっている黒人の「死体」を指して、「奇妙な果実」と表現した哀しいブルースである。
浅川も流石にこれは翻訳しづらかったのだろう。つたないが、哀愁を込めて切々と歌う。
「ホリデイ」と互角といってよいだろう。

「難破ブルース」での南里文雄のトランペットソロも見事。

by noanoa1970 | 2006-09-23 11:50 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)