「ほっ」と。キャンペーン

くちなしの花

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匂い立つ花一輪、ビードロの酒器に

by noanoa1970 | 2006-06-27 09:54 | 季節の栞 | Comments(1)

愛犬の好きな音楽

ブルックナーを聴く「シバ」
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愛犬「シバ」は我が家にやってきて、4年になる。1歳半で来たから5歳半。今ではスッカリ家族となった。インターネットで、「里親」を募集していたので、貰い受けることになったのだが、「室内」で飼うことが条件の一つであったから、以来いつも一緒に毎日を過ごしている。

時々小生の部屋にやってくるのだが、あるとき流れる音楽に耳を傾けているのに気がついた。「柴犬」は「聴導犬」としても活躍するぐらい際立って音に敏感な犬で、ピンと立った耳が、左右異なった動きをして音の方向ニ照準を合わせるのを発見し、驚いたものである。
まるで集音マイクのような働きをするのか、左右の耳を変化させながら音楽を聴く。

ある日のこと「F・コンヴィチュニー」が指揮をする「ブルックナーの5番」の交響曲を聞いていた時にそれは突然起こった。Ⅰ楽章の金管楽器の咆哮の部分がスピーカーからかなりの音量で流れた時、「シバ」が今まで聞いたことのないような泣き声を発したのだ。
それは遠吠えのようだが、音楽にあわせて歌っているようにも思えるほどであった。

同じ曲を異なる演奏で鳴らしてみたが、反応は「F・コンヴィチュニー」の演奏だけだったので、勝手に「我が家の愛犬はコンヴィチュニーが好き」と決め込んでいた。

それからしばらくたち、理由有ってブルックナーの4番の交響曲をアレコレ聞いていて、比較的珍しい「レーヴェ版」を採用した「クナッパーツブッシュ」と「ベルリンフィル」1944年録音を聞いていた時、曲が最終楽章の後半に差し掛かり、強奏で高みに上っていくとこで、ピクピクさせていた耳をよりまっすぐに立てて静止したとたん、突然一声発して、さらにリピートの部分では短く遠吠えを発したのである。

2つの演奏に共通するものといえば、「テンポ設定のよさ」そして「録音状態」であろうか。特に録音は両者ともに余りよくなく、金管楽器の咆哮などでは音のひずみ、そしてノイズを拾っていて、通常の「倍音成分」以外の音が多分に乗っているようだから、それに反応したのかもしれない。それに最新のデジタル録音のCDではこのようなことはないので、正規のピッチではない音に反応したのかもしれない。

しかしそのような科学的分析をするよりは「ブルックナー好きな犬」としておいた方が、家族の幸せだから、そうしておくことにする。

「クナッパーツブッシュ」「ベルリンフィル」1944年録音
この4楽章後半部分で、「シバ』が反応する。
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こちらは「F・コンヴィチュニー」ゲヴァントハウス管弦楽団」の演奏。1楽章金管の咆哮で「シバ」が歌うようなが長い遠吠えを発する。
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by noanoa1970 | 2006-06-26 15:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

「紫陽花」

いつもの遊歩道、散歩道の脇の「紫陽花」。
「ガクアジサイ」がきれいに咲いた。いままで「ガクアジサイ」はさびしいので好きではなかったが、最近になってこの花のよさがわかるようになったようだ。今年の花は例年になく立派だ。我が家の紫陽花も大きく立派で美しく咲いたから、ことしは紫陽花にとって何かいいことがあったのだろうか。
すぐソバにピンクの「紫陽花」も有るのだが、「ガクアジサイ」の後で見てしまうと、「瀟洒感」に欠けるように思えてくる。

時刻とともに色が変化する紫陽花だが、やはり紫陽花は「ブルー系統」がよい。

夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり (藤原俊成 『千五百番歌合』)

あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る (藤原定家)

いずれも「あじさい」と光るもの・・・月そして蛍を対として詠んだ歌である。
「夜」「蛍」と「あじさい」の印象画的風景と、それを見て思う人の心象風景の表現が素敵だ。
定家の「四ひらの数の添ふかとぞ見る」というところを「四=死」と見るのは考えすぎだろうか?
「花の色は移りにけりな・・・・」や、「短い命の一瞬を輝かせる蛍」を思うと、定家の歌に寂莫の念が潜んでいても不思議はないように思えてくる。
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by noanoa1970 | 2006-06-24 10:50 | 季節の栞 | Comments(0)

鴨の里

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長浜で見つけた「懐中汁粉」風のもの。
お湯を注ぐと「かも」の親子が浮いて出てくるのでとてもかわいい。
長浜は「鴨」料理でも名が知られており、冬になって解禁ともなれば、多くの店が「鴨鍋」を供するようになる。
最近では「合鴨」がはやっているようだが、やはり「マガモ」=青首の美味しさは格別。
この「お菓子」というか「飲み物」というか「食べ物」は、商店街のみやげ物のコーナーにヒッソリとおかれてあった。

浮いて出る親子の鴨の姿が見たくて購入してきた。季節ではないが、写真に収めるために、家内に頼み込んで食べtてもらった。

3種類あるうち、お茶の味のものであったが、幼い頃、病気になったとき食べた片栗を熱湯で溶かしたものににている。決して美味しくはないが、「鴨」が浮いて出るのがなんとも楽しい。

上手なプロモーターにかかれば、ヒット商品となるだろうに・・・・

by noanoa1970 | 2006-06-24 10:08 | 季節の栞 | Comments(0)

「クラシック業界永仁の壺事件」

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ルーマニア生まれのピアニスト「ディヌ・リパッティ」は惜しくも33歳でこの世を去ってしまった天才ピアニストである。病を押しての「ブザンソンリサイタル」は「告別リサイタル」として世に知られており、ショパンのワルツは今でも聞く人の感動と涙を呼び起こす。

このレコードは1967年に京都の十字屋で入手したもの。それに先立つ66年に東芝エンジェルから初出されていたものである。「リパッティ」」のショパンの1番の協奏曲が発見されたという話は業界のニュースで少しだが話題になっていて、その頃十字屋で働いていた「出谷啓」氏の薦めも有って、ワルツ集と、このレコードを入手したのであった。

指揮者もオケも不明というところがいかにも古い、そして新発見されたであろうことを物語っていて、聞いてみると録音は古いながらも、そこには並大抵ではないと思われる「ショパン」が存在した。
しかも1949年5月録音と明確に記されているので、信憑性を確保しているように思わせる結果となっている。
レコードジャケットの解説は映画評論でも有名なO・T雄さんが、この演奏のよさを語っていたし、とても上品な演奏だったので、小生は「リパッティ」のピアノ協奏曲を疑うべきもなかった。

ところが1980年代の初めにイギリスの愛好家が、・・・この演奏は「チェルニー=ステファンスカ」のピアノ、「ヴァーツラフ・スメターチェク」指揮 「チェコフィル」 の演奏であるという指摘をし、このレコードの前に発売されていた「スプラフォン盤」と同一の録音であると言ったことで、業界は騒然となったという。(小生はこのことを知らなかった)

「リパッティ」の録音であるというものがEMIに持ち込まれ、当時EMIを牛耳っていたプロデューサーの「ウォルター・レッグ」が・・・ここは定かでなく伝承だが・・・念のためにリパッティ婦人にヒアリングしてもらった結果、間違いなく夫「ディヌ・リパッティ」の演奏であるというので、確信を持ってレコード化したという。
EMIとしては「リパッティ」の遺産の大きな「華」としたかったのであろう。

しかし聴き比べた結果、この演奏は「ステファンスカ」の演奏であることが判明し、EMIは賠償を強いられることになったということであった。「ステファンスカ」のオリジナル演奏は、「スプラフォン」ばかりでなくグラモフォンからも1957年に発売されている。

「クラシック音楽界の永仁の壺事件」と言ってもおかしくないほどの事件で、当時の評論家の中にはこの演奏を「ベタ誉め」したが、「ステファンスカ盤」を評価しなかった人や、この演奏のピアニズムは、明らかにリパッティらしい優雅で知的であるなどと書いておられる人、ピアノはよいがオケがいまいちという人など、いずれもこのピアノを賞賛したものがほとんど・・・というか全てであった。
小生も完全にリパッティの演奏と端から思って聞いていたから、音のメリハリが欲しい・・・・録音的に・・・だが、素晴らしいと感じていた一人であった。

この古い録音からハッキリとした演奏表現の違いに気づき、それを指摘できたた人が存在するのだろうかというと、小生は大いなる疑問を持たざるをえないのである。
今頃になって一部から当時の評論に対して「この違いが分からないのは可笑しい・・・」などの声もあるようだが、いかにプロでも所詮は人間の耳、・・・であるからまして今のようによい条件の、音で、特にピアノのタッチや音色が聞き取れるわけではなかったから、ある程度は仕方ないことであろう。

しかしである、このことは後に続くCDの時代になったのを良いことに、無理やり忘れ去られようとしている感がある。1980年代の初め頃の音楽情報誌に、このことに関しての「お詫び」の記事が掲載されていたことなどの記憶は小生にはない。・・・・というかつい最近までその事件のことすら知らなかったぐらいなのであった。

業界の関係者たちがそのまま黙って時効(そのようなものがあるのかどうか)が来るのをただ黙って待っているというのは、やはり失礼な態度であるというべきで、なんとも痛快だったのは、この指摘を素人である「熱心な音楽ファン」の手によってなされたということである。

多分このことを指摘した愛好家なる人は、ショパンの、あるいはリパッティのそしてステファンスカの録音を暗記できるくらい聞き込んでいたのではなかろうか。
さすればリパッティの演奏ではない・・・ことはなかなか分かりづらいにしても、ステファンスカと同一の演奏であるとの判断は何とかつきそうな気がする。

アマチュア愛好家の熱心さが、並み居るプロが気がつかないことを指摘したのは、彼が特に耳が良かったからではなく、好きな音楽を沢山の時間を費やして丁寧に聴いていたからという・・・必然の帰結なのである。

「あれ、この演奏どこかで同じようなものを聴いた記憶がある・・・という感性が起こり調べたら、やはりそうだった」ということなのだ。

そういう意味では、コンヴィチュニーのゲバントハウスそしてウイーン響のブルックナー4番が同一との指摘はかなり恣意的なところがある。聞き比べての結果というより、演奏時間やスペアナ分析が勝っての結論のような指摘だから、小生は一概に賛同できないところがある。今まで聞いた中では、小生の「感性」は別物といっているが、まだまだ聞き込みが足りないのかもしれない。

追記
この時代の東芝エンジェルのレコードは「赤く透明」のものがかなりあって、黒のビニールのものと混在していた。
うわさでは「赤いレコード」は音質が劣るとのことであり、経験では最初にこの赤いレコードに針を通すと、針に削りカスみたいなものが沢山付着した記憶がある。

by noanoa1970 | 2006-06-21 18:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「F・コンヴィチュニー」ブルックナー「ロマンティーク」の謎

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小生が最も好む一人「F・コンヴィチュニー」が指揮をしたブルックナーの交響曲4番「ロマンティーク」は3種類ある。

その一つが1952年「チェコフィル」と演奏した「ハース版」と、1960年に「ライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」との演奏これはノヴァーク版。もう一つが「ウイーン交響楽団」との1961年の最晩年、これも「ノヴァーク版」の演奏である。

小生はLPレコードで長い間聞いていたのだが、理由有ってCDを長い間探していて、5年前に「チェコフィル」との現役盤を、同じ頃オークションで廃盤となって久しい「ゲバントハウス管」のもの、そしてつい最近になって漸く「ウイーン響」のものを入手することが出来た。

1960年1961年の2つの録音はいずれも「オイロディスク原盤」を日本コロムビアがCD復刻したもの、以前には同じ会社からLPで発売されていて、それを小生も所有している。
CDとなって発売されたのは1993年のことであった。「コンヴィチュニーの芸術」として全10枚、で、この中には「バンベルグ響との新世界」を始めとする「コンヴィチュニー」らしからぬ録音があったのだが、LPで持っていたので、目には留まっていたのだが、その時はあえて入手しなかったがすぐに廃盤となったままもうすぐ15年になる。

このシリーズで不思議だったのは、ブルックナーの5番そして7番の交響曲のほかに、4番が2種類入っていたことだった。なぜこのシリーズにあえてオケだけが違う2種類の同じ曲を取り上げたのか?プロデューサーや商品開発者の意図が分からないままに時が過ぎていった。

LPレコードで聞く限り、両者(ゲバントハウス管とウイーン響)はかなり趣が異なっていて、前者の、緻密だが構造美あふれるようなドッカリした音楽に比べ後者は、やわらかく優雅な響きが特徴、2つのオケの音の違いによるところの差が顕著に出た演奏と思って聞いていた。
そして解釈はほとんど変化が見られないところから、コンヴィチュニーの「ブレない思想」らしき物が見えてきてとても感動したものであった。

録音自体も少し違い、前者は、弦の漣をハッキリと強く表出するところが捉えられており、後者は左右の広がりがあるし、ホルンもフルートも音色が柔和なところが違っている。

しかし驚いたことに両者の演奏時間は各楽章で見ても、全体でも、わずか1分程度の差であることが分かった。

そうこうしている時に「掲示板」に「だまされた音楽」というスレッドが立ち、小生は「フルトベングラー」の「新世界」のことを投稿した。するとどなたかが、「コンヴィチュニー」の「ゲバントハウス管」と「ウイーン響」の2つの録音は、外国人の知り合いが調査した結果では「ウイーン響」と称されるものは実は「ゲバントハウス管」の録音と同一のものであるらしい」という情報が寄せられた。

コンヴィチュニーとくれば、小生、これを黙っているわけには行かないので、LPをとっかえ引返して自分なりに聞き比べてみた。
しかしその時小生がLPレコードから聞き分けた違いは上に書いたとおりの結論になったので、そのように投稿した。

するとその投稿者のアメリカの友人は、「同一のものとの判断」は、スペアナなど科学的な機材で調査した結果で、そのことはHPにも書いてあり、「ウイーン響」のディスコグラフィーにも「コンヴィチュニー」との「ブルックナー」の演奏記録はどこにもないという。

しかし小生は、これも好きな演奏なのだが、「コンヴィチュニー」が「ウイーン響」と演奏した「ワーグナー」の「ジークフリート牧歌」の録音を所有しているので、1950年後半から60年代の、特に混乱期の東ヨーロッパの業界においてのことだから、情報の混乱が起きた結果演奏者が入れ替わったり、録音年月が定かでなかったり、その結果この時代の録音には信憑性に乏しいと思われるものが少なくないのは事実であることを承知しているつもりだが、LPで何回聞いても同じようなところは確かに有るにはあるのだが、細かい部分も、全体的に見ても、どうしても同じ演奏には思えなかったのである。

そこで推理したのがコンヴィチュニーのベートーヴェンの9番1楽章の中間部で見られる「つぎはぎ」丁寧によく聞けば、分かる人は分かるはずなのだが、あるところから急に別の録音を貼り付けたように左右の音の広がりがなくなり、モノラルみたいになって、音自体もかなりレベルが落ちるので、今まで張り詰めていた緊張感がほどけてしまうような、ものすごく残念な箇所がある。これは明らかにテープをツギハギした結果だと思うのであったから、

もともと「コンヴィチュニー」のブルックナー4番の演奏はゲバントハウス管とウイーン響の2つがあった。残された原盤テープの保存状態が悪かったので、2つの録音から「いいところ取り」して完成品を作った。演奏オケはどちらともいえるので、結局両方の表記が使われていた。
それをどこかで誰かが、恐らく販売戦略上であろう、違う演奏として発売した。

もし同じマスターから興した音盤演奏であるとするなら、このような仮説が立てられるのではないかと思い、それを確かめるためにLPレコードと、比較の際に便利なCDで今一度確認してみようと思ったのが、オークションで廃盤を落札した大きな理由であった。

CDでの視聴の結論はというと、いまだ分からないのが正直な気持ちである。
というのは、CDの場合リマスターリングの影響で、LPにも増して出てくる音は違って聞こえるからである。しかしテンポやリズム処理などの時間的なところは非常に似通っているといえる。

こうしてみると
同一演奏である可能性が高いが、小生は、もともとお両方あった演奏の「つぎはぎ説」を撮りたいと思っている。ワーグナーの例でもあるように「コンヴィチュニー」「ウイーン響」の演奏は地政学的にも十分ありえるのである。

調査の可能性は無いのだが、とくに3・4楽章における微妙なアーティキュレーションの違いが有るように聞こえてくるので、大胆な推理となってしまうのであるが、ウイーン響の比重が高いのものとゲバントハウス管の比重が高いもの、つまり「つぎはぎ」されたマスターが2種類有ったのかもしれない。

●ゲバントハウス管盤・・・ゲバントハウス管とのテープからの比重が多いが、3・4楽章の一部なん箇所かに渡り「ウイーン響」との録音から「つぎはぎしたマスター」
●ウイーン響盤・・・「ウイーン響」とのテープが中心だが、「ところどころ、ゲバントハウスのものをつぎはぎしたマスターテープ」
いすれも戦後の東欧の混乱が招いた負の遺産の結果であるという推測である。が勿論今となっては、実証など出来ないことである。

by noanoa1970 | 2006-06-19 19:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

2つのバッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲」

この余りにも有名なバッハのバイオリン協奏曲については、ちょっとしたエピソードがある。
今から5年ほど前だったか、ある掲示板に、この曲で第1バイオリンと第2バイオリンを弾いているのは親子のうちのどちらがそうなのか?という質問があった。

その演奏は小生も気に入っていたオイストラッフ親子の共演「ユージン・グーセンス」指揮による「ロイヤルフィル」の古い録音でのことであった。
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このことはある程度小生も興味があり、ちょうど同じオイストラッフ親子の「F・コンヴィチュニー」と「ライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の演奏も聞いていたことから、幾度となく聞き比べした上で、グーセンス盤では「1番を、父ダヴィッド・オイストラフ」、「2番を息子のイーゴリ・オイストラッフ」であろうと言うレスを投稿した。資料を探してみたのだが、どこにもそれらしきものがないまま、自分の耳を頼りにした上でのことであった。

ダヴィッドは音程はかなり確かだが、時々シャープ気味に入るクセらしきものがある・・・・などと感性に理屈をつけても見た。

しかしこれには大きな誤算というか勘違いというか・・があって、後にに大きな問題に発展することになったのである。

というのは、

小生恥ずかしながら、イントロで第2バイオリン以下の低弦のバックが演奏され、そして出るのが、「2番のソロ」であり、第1バイオリンのバックで、次に出るのが「1番のソロ」であると思い込んでいたのである。
それは音楽関係の雑誌か何かで聞きかじった「最初は第2バイオリン・・・」というのを「2番のバイオリンのソロ」と完全に勘違いして思い込んでいたためであった。

つまり小生が
右=1番=父ダヴィッド・オイストラッフ
左=2番=息子イーゴリ・オイストラッフ
と思い込んでいたのは、
実は
右=2番=父ダヴィッド・オイストラッフ
左=1番=息子イーゴリ・オイストラッフ

以上のように演奏者は合っていたのだが、第1と第2を逆に思っていた・・・番号を間違えていた・・逆だったのである。これでは全く意見がかみ合うはずがなく、早速「反論」が寄せられた。
しかしお互いに1番と2番は周知のところとして(小生が逆に思っていた)議論しいたから、それは二人の演奏論や楽器の話、弾きかたの特徴までに発展した。

「1番を弾く息子の腕はまだ成熟度がない」という(正しい)意見に対して、小生は、1番を父オイストラッフと思っているから、そんなことはない、音のふくよかさや間のとり方は父ダヴィッド・オイストラッフのように思える、とまた反論。・・(・同じ人についての論評をしていたことになる)d0063263_142879.jpgおまけに小生はもう一つの録音を例に出して、「コンヴィチュニー盤ではグーセンス盤とは逆の役割」などと書いた。
・・・・正しい第1第2の位置づけの確認無しにである・・・・

今考えれば、お互いに正しいと目されることを延々いい有ったことになるのだが、小生の番号勘違いに気づかず、またその時はお互い確証がもてなかったのか、両者痛みわけとなった。反論者も、まさか小生が1番と2番を逆に思っているとはツイ思いもよらなかったことだろう。

あるときまたこの話が再燃した。その時初めて「ステレオ」盤のメリットを生かして左から聞こえるのが2番のイーゴリ・オイストラッフで、右が1番の父ダヴィッド・オイストラッフという確認をしたところ、以前と変わりなく「NO]という。
楽譜で確認したので確かなことだが、1番が最初に出るソロ、つまりこの場合左の息子「イーゴリ・オイストラッフ」で、2番が次にでる、父「ダヴィッド・オイストラッフ」であるというのだ。
(ここで初めて1番と2番の定義が明確になるのであった)

仰天するとともに小生の勘違いを大いに恥たが、しかし、1番と2番を逆にしてはいたが、オイストラッフ親子の演奏が1番か2番かは違ったが、どちらの演奏がそうなのか、ということについてはは違っていなかったことにホッとするとともに、「最初に出るのが1番次が2番」といういわば常識的なことを、逆に思い込んでいたことへの恥を知ることになってしまった。

ややこしいので整理すると
オイストラッフ親子のバイオリンによる「バッハの2つのバイオリンのための協奏曲BWV1043」には「ユージン・グーセンス盤」と「F・コンヴィチュニー盤」の2種類がある。

グーセンス盤では

第1を息子「イーゴリ」、2番を父「ダヴィッド」が演奏。・・・左~聞こえるのが息子で右が父。

コンヴィチュニー盤では逆で
第1を父「ダヴィッド」、2番を息子「イーゴリ」が担当(モノラルなので左右の区別なし)

録音風景を見たわけではないので100%正しいかは定かではないが、多分間違いないものと思う。残された数々の「ダヴィッド」の録音、数少ない「イーゴリ」のメンデルスゾーンやウエニヤフスキーの録音を聞いてそれがより確かなものとなったと、小生の感性がそういっている。

さて今回の問題の元凶は、「議論における重要な前提である「定義」を誤って解釈したこと。」であるが、多分日常生活においても、そのようなことは知らない間に熾きていそうな感じがする。常に気をつけておきたいことだ。

ちなみに親子饗宴のこの曲には「コーガン」親子の録音があり、最近では「諏訪内晶子」のCDのように一人二役・・・つまりアフレコで多重録音した物もある~話は寄りややこしくなってくる。
「コーガン」の場合もデータがないようだから推理してみると面白いかもしれない。

by noanoa1970 | 2006-06-16 14:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

懐かしのレコードジャケット

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1965年当時小生は「カール・ベーム」の「運命」をなぜか激しく求めていた。それはあるレコード雑誌で「ベーム」が大変に評価されていたからのことだ。

ハッキリは覚えてはいないが、ベーム紹介の記事は、多分以下のようなものであったろう。

『ロルフ・リーバーマンは『彼は、音楽的なアイデアを実現することに関して、何か問題が生じた場合はいつでも、彼の柔和なオーストリア的性質は、怒りに近い非妥協的態度によって相殺された』と書いた。この非妥協的態度は、ここでの録音においても、ふたつの段階で表現として示されている。一方では、聴き手は気楽さの暗示もないオーケストラ演奏の卓越さに気づくだろうし、また他方では、作曲家の精神状態の完全な反映のように思える熱狂的かつ断固とした感情が認められるのである。――トビアス・メラー(ライナーノートより)』

名古屋の大きなレコード屋を何軒も探したのだが、それは見つからなかった。探していたのは1953年録音のBPOとの演奏のレコード。
とうに廃盤になっていたのだろうか、カラヤン、ワルター、トスカニーニ、モントゥ、セルやオーマンディはあるのだが、どこを探しても「ベーム」の「運命」は見つからなかった。

そうするうちに偶然のように見つけたのが「ロンドン普及の名曲・名演集』とつけられたレコード。そこに「ベーム」の演奏があった。ベートーヴェンとシューベルトの「8番の交響曲」が録音されていて、VPOとの演奏であった。目当てではないが、「ベーム」を聞きたくて、1枚1000円と安いこともあって、入手したのがこのレコードである。

ベートーヴェンでは初めて聞く明るい響きの音楽にビックリし、「未完成」では低弦の出だしの音が小さくて聞こえにくかったことを今でも覚えている。

あれから40年以上経った今、レコードに針を落とすと、昔の音の思い出を払拭するような良質の音が聞こえてきたのには驚いた。
レコードの厚さ重さも、80年代の貧弱に鳴ったレコードの1.5倍ほどある。

録音時期は書かれていないが、1950年代のモノラル録音あるいはSPのLP焼き直しかもしれない。流石DECCAの録音は一味違う・・・などと悦に入っているのである。

「ベーム」の「運命」はというと、やがて熱は醒めてしまい、今は聞く気にもなれない。「ベーム」は「運命」を苦手としたのか、それとも特別な、何かを感じていたのだろうか。
アレだけの録音の中で、小生が知る限り、スタジオ録音は1953年BPOと1970年VPOのたった2つしかないようだ。

大手ショップのサイトを見ると、1953年録音が復刻されているようなので、見つけたら入手してみよう。

by noanoa1970 | 2006-06-14 15:30 | レコードジャケット | Comments(0)

懐かしのレコードジャケット

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1973年だったと記憶するのだが、その頃名古屋に勤務していた小生、とある小さなJAZZ喫茶の向かいにある個人経営の輸入レコードショップを見つけた。

そのJAZZ喫茶は古くからあって、JBLの「オリンパスS8R」d0063263_18443839.jpgというスピーカーがおいてあったので良く通ったのだが、あるときに、そのレコードショップが、いつの間にかオープンしたのである。

入ってみると同じ年のころの多分新婚の夫婦と思しき人が店にいて、しばらくすると、それがその店のオーナーということが分かった。

レコード展示用の棚にはまだ余り数は多くはなかったが、ロックやJAZZ の輸入盤が置いてあり、クラシックの輸入盤も取り寄せることが出来るという。

幾度となくかようにつれ、オーナー夫婦の住む家が小生の住む隣街と言うこともあって、仲良くなり、一緒に京都に行ったこともあった。

小生所有のJAZZのレコードはほとんどがこのショップからのものである。

ある日店に入ると、懐かしい歌声が聞こえていた。それは「虹の彼方に」で、もちろん「ジュディ・ガーランド」であることはすぐに分かった。

レコードジャケットを見せてもらうと、全くといっていいほど愛想もそっけもないMGMレコードの「ジュディ」が出演した映画のオムニバスである。
迷ったが、値段を聞いてすぐに購入することにした。1ドル360円の時代にも拘らず、国内版より遥かに安価であったからだ。

恥ずかしながら小生は「ジュディ・ガーランド」は「レッド・ガーランド」の一族だと勝手に決め込んでいたことも手伝って、このレコードを所有することにもなったのであった。

「アニーよ銃を取れ」「オズの魔法使い」「ブロードウエイメロディ1938」「べーブス・イン・アームス」「リトル・ネリー・ケリー」「ミート・ミー・イン・セントルイス」「古きよき夏の日」などからの挿入うたをチョイスしたこのアルバムは、オムニバスであるがゆえにいまだに復刻されてない。

驚いたことにコノレコードジャケットの中にはジャケット6枚分の大きさの「ジュディ」のイラストが入っていたことである。
イラストの作者を懸命に探したのだが、誰かは判明しないままでいる。

by noanoa1970 | 2006-06-13 18:30 | レコードジャケット | Comments(1)

菖蒲と亀

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[桑名九華公園の風景]

by noanoa1970 | 2006-06-12 15:09 | 季節の栞 | Comments(1)