「死の都」・「廃市」

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「コルンゴルト」という作曲家がいる。最近クラシック界ではある種「ブーム」となった。小生は10年前から音楽関係の雑誌2を全く読んでないので、「コルンゴルト」についての知識も、音楽も、ブームになったことも知らなかったが、一度聞いてみようとCDをあさって何枚か入手した。その一つがオペラ「死の都」である。
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原作は「『死の都ブリュージュ』で作者は、「ローデンバック」である。「ローデンバック」はベルギーの名門一族の生まれで、かれの父祖が住んだ「ブリュージュ」はかつて「水都」として繁栄を誇っていたが、今や活気を失った「死の都」と化しているといわれるが、実際は港などが土砂が堆積して、かっての商業港都市としての繁栄こそ無いが、当時の面影や、古い風景が今も残っているという。
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1892年に発表された代表作を「コルンゴルト」がオペラにしたものである。

オペラは、妻を亡くした男の「幻影」をドラマ風に仕上げたものであるが、原作はいささか趣をことにし、「ブリュージュ」の「光と影」=「陰影」の風景をとてもよく書いている。昔の追憶をたどるような書き方である。d0063263_17584655.jpg

小生は「福永武彦」の「廃市」を想起していた。
「廃市」は

「さながら水に浮いた灰色の棺(ひつぎ)である。」・・・ 『おもひで』 北原白秋
「あなたが、あなたが好きだったのは、一体誰だったのです?」・・・・・・・・

というト書きで始まる、「柳川」を舞台にした水路と陰影の風景とが織り成す古い町が、徐々に生気をうしなって滅んでいく姿と、男女の不条理な人間関係の織り成す「彩」を、都会から卒論を書きに来た学生の目で捉えた短編小説である。
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この小説は、「福永」の作品の中でも「海市」、「死の島」とともに、ベスト・・・いやトップランクの作品であると小生は思っている。
学生時代に彼のほとんどの作品を読んだことがあり、後年ATGから大林監督により映画化されるに及んで、ますますその意を強くした。書庫を探せば「初版本」が見つかるはずである。

「ローデンバック」「北原白秋」「福永武彦」「ブリュージュ」「柳川」「コルンゴルト」「大林宣彦」
小生は、これらの関係を大いに直感するのである。
「トーマス・マン」「ヴィスコンティ」「ヴェニスに死す」「マーラー」を想起する人も居ると思うのだが、小生はやはり「廃市」の方に親和性を感じてしまう。

「廃市」の映画の中の「水路で行く花嫁姿」「懐中時計」
そしてコルンゴルトのオペラでの「カリオンの音色」がとても印象的である。
そして其れが「時間をさかのぼる追憶の象徴」なのだろう。
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by noanoa1970 | 2006-02-28 17:59 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブラームスの「4つのバラード」・・「エドヴァルド」

「ヘルダー」が採取したオールドスコティッシュバラッド「エドヴァルト」=「エドワード」は「レーヴェ」も歌曲として作曲している。そして「ブラームス」が「4つのバラード」の最初の曲として作曲した。
ブラームスが果たして「ヘルダー」から直接影響を受け、彼の民話集からインスピレーションを得たのか、それとも「レーヴェ」の歌曲からのものかは分からないが、とにかくそのルーツは「ヘルダー」であったというのは確かである。
まして「レーヴェ」の「エドヴァルド」の「詩」の作者は「ヘルダー」と記されているから、どちらにしろ、「ブラームス」は「ヘルダー」を知ることになるのである。
「ヘルダー」はこの話を古いスコットランドのバラッドから採取し、民話集としてまとめたのである。

「ミケランジェリ」の演奏でブラームスのバラード第一曲「エドヴァルト」を聞いた。d0063263_18433967.jpg
何気なく聞いていた時とずいぶんその音楽が違って聞こえてきたのには、自身でもビックリした。それはヘルダーが採取したバラッドが「父親殺し」の物語であったということ、レーヴェの歌曲に大いなる刺激を受けたことの両方があってのことだ。

曲は静かで美しいが少し陰鬱気味な雰囲気で始まり・・・母親と息子の会話の様子か・・・
母親が息子の異変に気づき、問い詰めていく。
お前の剣が地の色で赤いのはなぜ・・・と母が問う
鷹を斧で殺しました・・・と息子が答える・・・(鷹は弓矢で殺すのだからこの時点で息子の嘘がすでにばれるが問い詰めが続く)

それに母親も気がついていながら、さらに問い詰めると、次に息子は馬を殺したといいさらに問い詰められると、最後に「父親殺し」を白状する。

この物語が怖いのは、最後に息子が言う言葉、「みんなお母さんにそそのかされてやったこと、お母さんを呪う」といい去るところにある、
息子に父親殺しをさせておきながら、そして其れを知っていながら、そ知らぬ顔をして息子を問い詰める「母親」の姿がなんともいえない恐怖感を醸し出す。

家督相続が起こって、父権社会から母権社会を取り戻すためなのか、あるいは男女の愛のもつれなのかハッキリしないが、小生は入り婿の父親が権力を持ち始め、従来母親から娘に家督相続させる慣わしが崩れるのを恐れた母親が、娘婿=義理の息子にそれとなく義理の父親を殺すようにしむけ、事が終わると、その息子もろとも葬り去ろうとした事件を物語にしたのだろうと推理している。

もしくは「近親相姦」めいたものも見え隠れするが、それなら息子は放浪の旅に出る必要は無いから、やはり「家督相続争い」なのだろう。、こうなって「母系社会」・・・今論議をかもしている「母系制」が守られる。つまり母親の娘が家督相続していく系譜が続くことになるのである。

この話の「おどろおどろしさ」をブラームスはあの「運命の動機」有名な「ミ・ミ・ミ・ド・・・・レ・レ・レ・シ・」の「リズム」を入れることによってあらわす。
曲の中盤以降から、数え切れないほどの「運命の動機」が小さく大きく、静かにそして激しく登場する。小生が数えた限りでは12回あるが、後2・3回は登場しているかも知れない。

ご本尊のベートーヴェンはもちろん、彼の信奉者の一人でもあるブラームスでも他の彼の作品の中で良くこの「運命の動機」を登場させるが、このように極端に使用するのは古今東西初めてのことだと思う。

ブラームスは其れほどまでして、この原作の「悲運」「恐怖感」「異国の物語のおどろおどろしさ」を表現した。ブラームスはこの「バラッド」に底知れない「恐怖」あるいは「人間の光と影」を強く感じたことだろう。非キリスト教的な「邪悪なものの存在」が脳裏を過ぎったのかもしれない。
そして「シューマン」「クララ」との人間関係も、なにかしら投影していたのかも知れない。

この物語の実在の人物が果たして誰であるか推理するのはこれからだが、とても面白いことだ。中世から18世紀辺りまでにブリテン諸島に起こった王族の跡目争いの様子をバラッドにしたものかもしれないことが大いに予測される。
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by noanoa1970 | 2006-02-27 09:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「ゲーテ」と「ヘルダー」

シューベルトの歌曲「野ばら」の作詞者としても名が知られている「ゲーテ」であるが、この「ゲーテ」という人物、なかなか食わせ者である。

同じシューベルトの「魔王」が実は北欧デンマークに古くから伝わる民話を基にして、「ヘルダー」という人物が採取したものを、「ゲーテ」がチャッカリ採用してしまったということは調べがついたのだが、この「野ばら」も「ヘルダー」がし採取した「ドイツの田舎の民謡」を「ゲーテ」がチャッカリ使用した・・・現代風に言えば、「盗作」に当たるという話がある。

冒頭の箇所がその例で
「シューベルト」あるいは「ウエルナー」が作曲した「ゲーテ」の詩では
Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell, es nah zu sehn,
Sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

「ヘルダー」の原詩では
Es sah ein Knab' ein Roeslein stehen,
「Es」がゲーテでは削除されているだけという。全てを確認したわけではないので、これだけなのだが、「魔王」の話から考えると、やはり「ゲーテ」は「盗作」をしたのだと思わざるを得ない。
しかし盗作された「ヘルダー」は勿論そのことを十分知っていて、むしろ奏されることによるメリットを十分得ていたのではないかと推測する
この例でも分かるように「ゲーテ」と「ヘルダー」は近しい関係にあり、5歳年上の「ヘルダー」の影響をかなり受けたと思われるのである。
「ヘルダー」は。民俗学者的な哲学者であり、内容と形式が一致するものを「美」であるというような美学者でもあった。
「疾風怒濤」運動の立役者でもあり、数ヵの神話や言語に精通して、彼の採取した民話は、音楽の世界でも取り上げられている。
小生はスコットランドのオールドバラッドの「エドヴァルド」、デンマークの民話「オルフ殿」など太古の国の土着の神々とキリスト教の文化の衝突の反映が見えていてとても興味深い。

「ヘルダー」ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1744 ハプスブルク朝
 1744~1803 ドイツの哲学者・文学者、ゲーテの斡旋でワイマールの宮廷牧師となる。カントの理性主義に反対して,理性は根源的なものではなく,その根底に精神と自然と一なるものがあるとし,その直接的産物としての民衆の詩や宗教に着目した。彼はまた神と世界も一であり,さらに感性と悟性も区別すべきものではなく,また美も単なる形式ではなくて内的生命の象徴としての完全性であるとする。
d0063263_1752848.jpgベルリンの科学アカデミーが、当時活発であった言語起源論争の収拾を図るべく、1771年1月1日を提出期限として募集した懸賞論文の課題である。これに応募し見事受賞したのが、当時26才のヘルダー(1744-1803)であった。そしてその受賞論文を刊行したものが本書『言語起源論』である。
 ヘルダーは文学運動「疾風怒濤」において先導的な役割を果たし、若きゲーテの師として少なからぬ影響を与えるなど、ドイツ思想、文学史上に大きな功績を残した。風土や民族など自然的なものと人間との関わりを理論的に考察し、特に言語の問題には力を注いだ。
当時のドイツにおける言語の問題をめぐる哲学あるいは文学思想を深め、活性化させた画期的なテーゼであったことは疑いないであろう。

次回は「ヘルダー」が採取したスコットランドのオールドバラッドの影響で、レーヴェが歌曲を作り、ブラームスが作曲した4つのバラードから1番「エドヴァルド」について書くことにする。
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by noanoa1970 | 2006-02-26 15:23 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「春初めてのうぐいす」を聞く

「鳥」にちなんだクラシック音楽作品はかなり多い。
ディーリアスの作品に「春初めてのカッコウを聞いて」という美しい小品が有る。シベリウスの作品の中には鳥の鳴き声をアレンジしたと思われるものが多く、そしてストラヴィンスキーの交響詩にも「うぐいすの歌」がある。

今朝散歩に出かけ、里山の風情が残るいつもの場所を愛犬「シバ」と歩くと、付近から「うぐいす」の鳴き声が聞こえた。いつもなら「立春」を過ぎる頃には里山付近に下りてくるはずだが、今年は「春」が遅くまだ「梅」もチラホラとしか咲いていてない状態では、「うぐいす」も山から下りてくるのが遅かったのだろう。

それでも「うぐいす」の歌声は70点ほどで、だいぶ上達しているので、もう少し早く降りてきてさえずっていたのだと思う。
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10年ほど昔は、まだ「里山」がアチコチに見られ、小生宅の庭にも時々姿を見せた子世があったのだが、今では環境が大きく変わってしまったので、場所が限定されてしまうようになったが、大都会のように全く聞けないわけでもないことに、少しの幸せを感じる。

ウグイスの名の由来は江戸時代の雅語音声考によると、「うううくひ」という泣き声からの表音と、鳥をあらわす「す」と載っているそうだ。

「ホーホケキョ」という声で表現される現在とはだいぶ異なるが、昔の日本では、平安時代の『大鏡』に出てくる犬の声が「ひよ」と記してあるし、赤ん坊は「イガイガ」と泣き、太陽は「つるつる」登っているとの記述もあるから擬音語・擬態語お時代変化は大変面白い。

「す」が「鳥」を意味するという話も納得できないことは無い・・・例えば「カラス」「カケス」「モズ」「ホトトギス」が鳥類ではすぐに浮かぶ、しかし「キリギリス」有る地方では「蚊」を「カンス」というから、「す」は飛び回って泣き声を出すもの=鳥、昆虫、動物の「栗鼠」「リス」などもその中に入るかもしれないなどと考えるとこれまた面白くなる。
「す」は古代朝鮮語あるいはアイヌ語でどんな意味なのだろうか?
古代の人は、身近に居て飛んだりはねたり・・・動き回るあるいはなかなか正体がわからぬものなどで、「声」「音」を発するものを「す」としたのではないかという「仮説」も成り立ちそうだ。

春きぬと人はいへどもうぐいすの
鳴かぬかぎりはあらじとぞ思う

ウグイスには「歌よみ鳥」、「人来鳥」、「春告鳥」の別名がある。
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by noanoa1970 | 2006-02-25 15:34 | 季節の栞 | Comments(2)

長浜「大通寺山門の木彫装飾」

長浜での「悲しい号外」の後、美術館探訪をやめて、商店街を東に門前通りを歩き、「大通寺」へと向かうことにした。ここには何度も来ているのだが、今日は何かしら特別行きたい気分であったのだ。

通りから山門を望む。巨大で壮大な「山門」である。
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沿革は
慶長7年(1602)、教如上人(本願寺12世)は「家康」より本願寺の分立の許可を得て「東本願寺」を興した。これにともない長浜城の旧地に移っていたこの寺は「無礙智山大通寺」と号して発足た。
大谷派本願寺第13世 宣如上人の長男霊瑞院宣澄が住職として入寺1639(寛叡16年)し、これを契機に彦根藩主 井伊直孝の援助を得て寺域の拡大をはかり、東本願寺から伏見城の遺構と伝えられる本堂や広間を譲り受けた。
真宗大谷派の別格別院として七千坪の境内を要し名実共に当地方における信仰の要として今日に到ると言う。

この山門は京都東本願寺の山門のモデルとなったといわれるが、最初に大通寺の山門が東本願寺の山門をモデルとして造られ、その後に本願寺山門が焼失して再建する際に大通寺山の山門を手本にしたと記されている。

いずれにしても400年の歴史の立派なお寺である。しかし長年手入れが行き届かなかったと見られ、所々傷んでいるので、定期的な修復がより望まれるところだ。

小生が好きな山門柱周りの木彫装飾もまだ壊れかけたままである。この「装飾」は凄い・・といつも思ってしばらく眺めることにしている。

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この季節は「馬酔木」展を開催している。

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今年から始まったNHK歴史大河ドラマのおかげで、再び活気を取り戻そうという町全体が力を入れている様子が分かる。
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by noanoa1970 | 2006-02-21 14:33 | 季節の栞 | Comments(0)

苦節20年の謎がついに解けた!!

小生の昨年10月のBLOG| 2005-10-05 10:39 | こんな音楽を聴いた | で
ベートーヴェンの「7番の交響曲」に「アイルランド民謡」のモチーフが使われるということを昔 聞いたことがあって、手持ちのCDで調べたのだが分からない・・・という主旨のことを書いた。それから4ヵ月、最初の疑問から20年経って、漸くそのオリジナルを突き止めることが出来た。
7番交響曲の該当の箇所は、「アイルランド」の音楽をいろいろ聞く中で、ほぼ特定は出来たのだが、確証は無かったし、そのオリジナルの発見は出来無かったので、半ばあきらめていた。

以前小生が入手した「ベートーヴェンの秘曲集」の中、ベートーヴェンが編曲した「25そして20のアイルランドの歌」の中では発見できずに、悔しい思いをしていたのだが、「12のアイルランド民謡」の存在を知り、NETで検索すると、ある大手CDショップのHPにたどり着いた

そこには「Beethoven: Volkslied - Bearbeitungen, Vol. 17 」というCDBOXの紹介があり、なんとサンプルが聞ける。
そこで7枚約50曲のサンプルディスクのうち、小生が所有していないもの及び、「12のアイルランドの歌」を入念にチェックすると、その中に其れらしきものがあるではないか。
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それは「12のアイルランドの民謡」の5曲目に収録された、「12 Irish Lieder, WoO 154: Save Me From The Grave And Wise」=「まじめで気難しいやつは勘弁して」
そのピアノのメロディとリズムが、7番の交響曲の4楽章、冒頭「ダンダカダン・・ダンダカダン」とそうされるスギ跡に続く、くるくる回って踊りを踊っているようなところに「瓜二つ」。
これに間違いないという結論を得たのである。

CDを入手しようとしたが、「現在扱ってない」とのメッセージ。良くぞサンプルをリンクしてくれたと感謝に耐えない。

これで20年の「モヤモヤ」が解決したので、とてもスッキリした気分を久しぶりに味わうことになった。
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by noanoa1970 | 2006-02-20 13:48 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

長浜の早春

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長浜でいやな事件があったので、気を取り直して、美術館兼喫茶店をやっている、いつもの「町屋」に向かった。今回は美術探訪はやめにして、d0063263_1450385.jpg入り口、近くで、いい匂いがしている方へと向かった。するとそれは、薄い黄色の本当に蝋細工のように咲いている「梅」・・・すなわち「蝋梅」であった。
長浜からの帰り、今年初の「ふきのとう」を見つけて、摘んで帰った。
扇面の器に盛り付けてみて。後に「てんぷら」にして食した。
d0063263_14432057.jpgまだ本格的な苦味には遠かったが、それでも「春の香り」がして、「春鹿」を飲んで、いやな事件を忘れようとした。
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by noanoa1970 | 2006-02-19 14:51 | 季節の栞 | Comments(0)

ラヴェルの「子供と呪文」のティーポットとティーカップ

子供の「いたづら」を題材にしたこの小さなオペラは「コレット夫人」の作った台本をもとに、「ラヴェル」によって作曲された。少年は母親に反抗してばかり、周りの動物植物静物などに当り散らし、わがままな破壊行為をするのだが、やがていけないことと知った少年は、最後に母親の胸に飛び込む、というお話。
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幼児虐待、子供の親殺しとは無縁の世界であり、とても高感度の高い音楽である。

物語には多くが登場するが、母親と子供を除くと他は全て動植物及び、静物。それらが擬人化され、怒りや悲しみを訴える。
中に「ティーポット」tp「ティーカップ」が登場し、子供によって木っ端微塵にされた恨みつらみを歌うところがある。
「ティーカップ」はそこで「マージャン」「ハラキリ」「セッシュウ」「ハヤカワ」と、中国語と日本語の混ざった言葉で歌い、其れが恐らく「コレット夫人」のオリジナルと思うのだが、小生が聞いた「ペーター・マーク」の演奏では「ハラキリ」「セッシュウ」そして「フジヤマ」と歌わせている。
「フジヤマ」としたのは誰だったか?
小生はこの犯人は「ラヴェル」自身であっただろうと推測する。

「セッシュウ」は「ce・sur」とフランス語でもなじむが、「HARAKIRI・HAYAKAWA」では最初のHを発音しないから「ARAKIRI・AYAKAWA」となり「早川雪舟」のイメージが音楽的に薄くなる。そこでラヴェルは其れを嫌って片方を日本の象徴でもある「富士山」=「フジヤマ」を後に当てたのではないかと思うのだ。

またここで登場する「ティーポット」はBLACK!BLACK!と叫び、これを黒人のボクサーとする向きもあるのだが、小生はこのポットをイギリスの「ウエッジウッド社」製の「ブラック・バサルト」=「黒玄武岩」を原料にした「磁器」のことであると思う。d0063263_13263251.jpg

そして「ティーカップ」は「中国茶碗」ではなく、「CHINA]=海外では陶磁器を広く指し、「ティーカップ」が「ハラキリ」「セッシュウ」「ハヤカワ」または「フジヤマ」と叫ぶことから、日本製の「輸出磁器」これはあくまで推測だがd0063263_13271773.jpg「薩摩焼」のティーカップであったのだろうと思う。
「薩摩」のーティーカップ」・・・輸出品は全て六客セット、輸出戻りの骨董品をもう少しで購入するところを、同じ里帰りの「九谷」に化けたことがある。外国人には「薩摩」はとても人気があったそうで、「パリ万博」にも出品されたという。
お里帰り=(江戸から明治期に輸出したものを、ヨーロッパで買い付けで日本に戻ったもの)の「九谷」のティーカップ&ソーサーは、六客1セットで、「ボーン」でなく「玉子の殻」を入れて、ものすごく薄く、白く、硬く焼いてあり、透けて向こうが見えるようなものである。

模様が「あやめ」か「杜若」なのでシーズンになればお見せしようと思う。
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by noanoa1970 | 2006-02-19 07:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

「江口夜詩」のふるさと

「江口夜詩」と聞いてすぐに思い当たることが出来る人はかなりの高齢の方になってしまうのだろう。実は小生も彼の名前は知らなかった。
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岐阜県の西、三重県との境に「上石津」という町がある。「養老山脈」の西側、「関が原」と、「三重県境」の間の南北に長い小さな町である。
15年以上になるだろうか、この町に「昭和音楽村」という施設が出来、小生は桜の季節に何度か訪れた。
そこにあるイタリアンレストラン「アルペジオ」d0063263_11104416.jpgの「トマトソースのスパゲッティ」が1.4ミリの細麺を使用していて、アルデンテで美味しかったので、行く、たびに食べることにしていた。

d0063263_1111142.jpg町から山すそを10分ほど登ったところに在る、河を数本せき止めて作った灌漑用の人工ダムと周辺が織り成す風光明媚な場所で、余り知られてないのか、ウイークデイになると、10人足らずの人しか来ない、穴場であった。

あるとき、その一角に200人がやっと入れるような小さなコンサートホールがあることを発見し、演奏会のチケットを入手した。モンゴル音楽「馬頭琴」の名手「李波(リポー)」サンの演奏会だった。
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ホールに入ってなぜこんなところに「昭和音楽村」と銘打った施設があるのかを始めて知ったのである。
上石津こそ江口夜詩・・・・、『月月火水木金金』、『長崎のザボン売り』、『憧れのハワイ航路』、『赤いランプの終列車』、などを作曲した・・・のふるさとであったのだ。

最近までこの場所に「サツキとメイの家」を誘致しようと町をあげて取り組んでいたこともあった。d0063263_11121519.jpg施設の一角には、松に囲まれた、芝生の100坪ほどの土地が用意されていた。ここからは、鈴鹿参詣の岐阜県よりの山々、緑と、青い水の「水嶺湖」が見渡せる絶好の環境であった。
惜しいことをした。

★ 日本昭和音楽村◆江口夜詩記念館◆FN音楽館
  岐阜県養老郡上石津町大字下山2011
 岐阜県の最西南端にある江口夜詩記念館、FN(フォークニューミュージック)音楽館、ランチサービスもあるイタリア料理のアルペジオもあり環境も素敵な静かで落ち着ける場所です。アウトドア派にはうれしいコテージやコンサートもできる音楽ホール等もあります。
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by noanoa1970 | 2006-02-18 11:14 | 季節の栞 | Comments(0)

号外

滋賀県長浜市に行った。行きがけの車の中で突然ニュースが飛び込んだ。
「長浜市」で「殺人事件」、しかも幼児が・・・・
詳細が分からぬまま、いつもの商店街に到着。アーケードを歩きかけたら、通行人が皆「新聞」らしき物を手に持っている。
しばらくして其れが「号外」であることを知った。配っていたのを早速入手。
今日の「長浜」は少しも楽しめずに帰ってきた。
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by noanoa1970 | 2006-02-17 21:57 | Comments(0)