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映画・TVに使われた音楽・・・「劇伴」音楽

1967年2月、小生の大学受験の日。京都に行きたかった小生は京都の大学を2つ受験することにし、その2校目が「DRAC」があった「同志社」である。
京都に母親の兄が居て、最初は伯父夫婦の家に世話になって受験したが、2回目は遠慮して、三条辺りの旅館に泊まることにした。
よせばいいのに、母親は京都にいけるので喜んでついてきたが、小生は凄く鬱陶しかったので、河原町の映画館で映画を見るといって、母親と別れることにした。
母親は心配そうであったが、結局小生を残して岐路に着いた。

そのとき見たのが「続・夕日のガンマン」。すでに「夕日のガンマン」は見ていて、その2作目がちょうど上映中であったのだ。d0063263_9264988.jpg
中学生時代にTVで見た「ローハイド」で若いカウボーイを演じた「クリント・イーストウッド」の見事なガン裁き、其れまでの西部劇と違って「予定調和」らしきものが感じられなく、主人公が瀕死の状態になり、危機一髪で、このあたりは定番だが・・・女性の力を借りて最後に相手をやっつけるというもので、「勧善懲悪」の縛りから遠くの位置にある作り方がとても斬新で、。「黒澤」の「用心棒」と良く似たつくりであった。

小生は「マカロニウエスタン」とよばれる他の映画も良く見た。
「モンゴメリー・ウッド」の・・・この人は改名して「ジュリアーノ・ジェンマ」となったが・・・の「荒野の1ドル銀貨」もお気に入りの映画で、彼のアクロバット射撃は爽快であった。

「夕日のガンマン」の音楽を担当したのが「エンニオ・モリコーネ」である。美しいメロディアスな、しかしどこかしこ哀愁の有る口笛に魅了されて、LPを買ったほどであった。

解説によると
「エンニオ・モリコーネ」はイタリアの映画音楽家としてN.ロータを正統派の横綱とすれば、異端児中の最大の人物であった。しかしロータ亡き後、モリコーネは名実共にイタリア映画音楽最大の立役者となり、国際的名声も高まるばかりである。

 ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で、12音技法に強いG.ペトラッシに学んだ。これまでに書いた映画音楽は450本ほどあり、やたらめったら書きまくったという感が強いが、ちゃんと、それぞれの映画に合った音楽スタイルになっているところがすごい。マカロニ・ウェスタンの音楽が有名だが、恋愛もの、文芸映画、歴史スペクタクル、犯罪、ホラー、コメディ……など、守備範囲は無限大と言えるほど広い。

本職は現代音楽作曲家だけに、実験的な音色や手法を使ったものも多く、それが彼の音楽をアクの強い個性的なものにしている。最近は大管弦楽に朗々と歌わせる王道を行く作品も多いが、人気は一向に衰えない。


「ニーノ・ロータ」は小生もCDを所有していてよく聴くのだが、「モリコーネ」はサントラLPを40年前に聴いただけである。、ここら辺りで、「現代音楽作曲家」としての「モリコーネ」を聴いて見なければなるまい。果たしてどのような音楽が聞こえてくるか今から楽しみである。

by noanoa1970 | 2006-01-31 09:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「新選組血風録」島田順司・左右田一平・近藤正臣

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小生が京都に居た終わりの頃には「栗塚旭」氏は三条木屋町と川原町の間付近で「炭焼きハンバーグ」の店を開いていて、数回食べに行ったことがあったり、後になると、「哲学の小道」付近で喫茶店「若王子」をやったりしていたので、「帰一」氏と顔見知りになって、法事に出席したのだろうと推察した。ハンバーグの材料を「大西」から仕入れていたのかもしれなく、「大西の大将=社長」が引き合わせたのかもしれない。

「栗塚旭」氏との話は進み、近藤勇役でとてもいい雰囲気を作っていたが、不幸にして若くして亡くなった「舟橋元」さんそして・・・・無名で駆け出しの頃の「近藤正臣」のことにまで及んだ。
小生がなぜ覚えているかといえば、三条木屋町筋に「女波」という飲み屋が合って、底はサラリーマンと学生の多く集まる飲み屋で、小生たちも少しお金があるときには良く利用した。
その「女波」の女将が「近藤正臣」の実の母親で、話題が劇団のことになったとき、「今度TVに息子が出る}と嬉しそうの話したことがあり、其れが「新撰組血風録」と小生は記憶するのだが、・・・1970年当時だから正確には「燃えよ剣」であるようだ。

ハッキリ覚えていなく確認していないので、不正確であるが、「近藤」の役どころは大阪の商人のせがれで、武士になりたくて「新撰組」に入隊し、金銭方を命じられたが、「芹沢鴨」への融資を無断で行った罪で切腹した・・・・そんな役であったように記憶する。
間違っているかもしれない。

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「燃えよ剣」は「新選組血風録」とほとんど配役は変わらなかったが、小生が好きな「左右田一平」さんが「斉藤一」から「裏通り先生」と呼ぶ「沖田総司」を気遣う「街医者」の約に変更された。彼の芸名は彼がぬるいに酒好きで、ことあるごとに「そうだ、いっぺいやっか」といっていたことによるものだ・・・とあるとき「俳優座」で演劇をやっていた故「帰一」氏のお姉さんの劇団の友人が京都に来たおり一緒に飲んでいた時に、聞いた話である。

しかしやはり「栗塚旭」氏の「土方」のイメージはいまだに強烈のようで、NHK大河ドラマ「新選組!」に歳三の長兄・「為次郎役」に出演した。三谷幸喜の粋な計らいであったのかも・・・・
もう一人は沖田総司役の「島田順司」で、今でも刑事者のTVドラマで、しがない能無しの課長の役をやっているが、当時は女性に絶大な人気だった。八重歯と、えくぼ、そして「沖田総司」の特徴である若侍風の月代がピッタリとはまって緊張の有る劇の中のホットする瞬間を作り出していた。

いずれも小生にとっては懐かしい映像と音楽である。

by noanoa1970 | 2006-01-30 08:57 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

「新選組血風録」栗塚旭

このTV時代劇のオモシロさは、今までの時代劇とは全く違う手法で作られていたことであると思う。
その特徴とは
・無名にちかいが味のある性格俳優的役者を起用したこと。
・今で言う連ドラのように26話の長きに渡ったこと。
・司馬遼太郎の小節を脚本にしたことで、今まで「新撰組」が「悪」とされていた時代に一筋の光 明を与えて、それを正面から照らしたこと。
d0063263_18184775.jpg・1話ごとに普通では陽のあたらない、いわば影の人物をハイライトさせたこと。
・普通「近藤勇」を中心とするのが今までの常であったのに、中心人物を余り固定しなかった  ことと、「土方歳三」と「沖田総司」を吸引力の中ほどに設定したこと。
それらがとても斬新で、小生はそれで「新撰組」のメンバーの名前をほとんど覚えた。

6年ほど前に「白沙村荘」で、故「帰一」館長の法事が合ったとき、友人と赴いた
庭園ににしつらえた会場の食事の席で、丸テーブルの向かいに座ってお酒を静か飲みながら、隣の人と話している人と向かい合った。その人が話していた隣人は、すぐに「大西の大将」と昔からよんでいた、小生が「NOANOA]をやっていた時代から出入りしていた「銀閣寺」のマーケットにある・・・今は立派な店舗を構えている「大西」という京都でも老舗の肉屋の社長であった。

むこうも小生を覚えていたらしく挨拶を交わしていると、小生の隣の友人が、小声で「あの左に居るのは「栗塚旭」じゃないか・・とささやいた。改めて見るとは無しに見ると、あの新撰組副長土方歳三をやった「栗塚旭」氏の姿がそこにあった。

よせばいいのに、その友人は小生が大昔からのファンであったことを「栗塚旭」氏におしゃべりするもので、小生は高校生の頃の土曜日の話をすると、彼はいたく喜んでくれて、お酒が入ったことも手伝ってか結構話に花が咲いた。

by noanoa1970 | 2006-01-29 08:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

映画・TVに使われた音楽・・・「劇伴」音楽

「渡辺岳夫」という人をご存知だろうか。小生がこの人の名前を認知したのは、今から40年ほど前、高校生のときである。司馬遼太郎の「新撰組」シリーズの中に「新選組血風録」という小説があり、其れをTVドラマにして1965年から66年まで全部で26話を毎週土曜日の1時から・・・だったと記憶している・・・放映した。
あるとき偶然其れを目にしたときから小生はこの番組に釘付けとなって、土曜日の授業が終わると一目散に家に帰った。
しかし通っていた学校がかなり遠く、1列車乗り遅れると、家についたときには半分話が終っていたこともあった。
それで小生はわき目も振らず。友達の誘いも断って走るように、駅まで急いだことを今でも思い出す。デオも無い次代のことで、見逃したものも何本かあるが、その後再放送をしたときにはほとんど見ることが出来た。

d0063263_1325566.jpgその「新選組血風録」の劇伴を担当したのが、「渡辺岳夫」だったのである。ドラマの主題歌も時代劇ドラマの中に挿入される音楽も、其れは・・一度聞いたら忘れる事は無いくらいに、勇壮で、美しく、甘味で、どこかしら哀愁が漂う。それでいて聴けばほとんどすぐに「渡辺岳夫」の作品と分かる特徴を持っていた。

この人が「野人」を作曲した「渡辺浦人」の長男であることを知ったのは最近のことであり、その後「燃えよ剣」で小生との縁は切れてしまったのだが、この人は若くしてパリに学びスコラカントルム音楽院を卒業下らしい。大学は「経済学部」だから卒業後音楽の道に入ったのは、父親の影響だろうか。

さらに驚くべきはわが国のTVのアニメ作品の劇伴や主題曲のほとんどを総なめにしていることである。古くは「鉄人28号」最近といってもかなり前になるが大ヒットした「機動戦士ガンダム」、「巨人の星」(1968年) 、「アタックNo.1」(1969年) 、「天才バカボン」(1971年) 、「キャンディ・キャンディ」(1976年)
ドラマでは「 白い巨塔」(1978年)「 子連れ狼」(1973年)最近では映画 「キューティーハニー」(2004年)にいたるまで様々なジャンルで幅広く活躍している。

日本の「エンニオ・モリコーネ」」、「ニーノ・ロータ」あるいは「ディミトリー・ティオムキンといっても決していいすぎではないと思う。

by noanoa1970 | 2006-01-28 13:29 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

映画に使われた音楽・・・バリー・リンドン

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以前から気になっていたことが、「キューブリック」と「アイルランド」の関係だ。「時計仕掛けのオレンジ」でもこの話でも「アイリッシュ」が登場し、この作品では主人公が「アイリッシュ」である。キット何かがるに違いないのだが、その関係性についてはいまだ謎のままである。
この映画の舞台はヨーロッパの宮廷華やかな頃18世紀半ば。
原作は『虚栄の市』で有名なサッカレー(1811~63)の同名小説である。
ロウソクの灯りにだけで照らし出される光こそ、電灯が発明される19世紀末以前の世界で、それを再現しようとしたキューブリックの美意識は相当なものがある。
それは「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」の絵画の雰囲気にも似て神秘的ですらある。
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アイルランドの農家に生まれたバリーはベルギーの宮廷でバリーは、名門リンドン家の夫人と出会い、持ち前の勇気と行動力でたった「6時間で」彼女の心を虜にしてしまう。
しかし貴族の称号を手に入れるためにバリーが莫大な金を持ち出したため、リンドン家の財政は急速に苦しくなっていくこうしてバリーはついに破滅する。

リンドン家を追い出され、アイルランドに戻るため、松葉杖をついて馬車に乗り込むバリー。その後ろ姿には、人生のはかなさが漂っていた。

農民の子として生まれた人間が偶然幸運を手にした手に入れたのだが、身分偽装のために、妻子を裏切り自分の全てをなくしてしまう、・・・・人間の欲望の成れの果てを描いた作品で、ごく最近のニュースにも登場する「あの話題」と精神構造が似ている。。、1975年/米/185分スタンリー ・キューブリック
ライアン ・オニール/バリー・リンドン
 マリサ・ベレンソン/リンドン夫人

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この映画の中で流れるのが、「シューベルト」の「ピアノトリオ2番」の2楽章。「美しく切ない」、そして「けだるく、やるせない」メロディが何回も出てくる。
シューベルトの甘味な音楽にある不気味さをキューブリックは知っていて使ったのだろうか?
演奏は「ウイーン・ベートーヴェン・トリオ」
とても鮮烈なシューベルトが聞ける。

by noanoa1970 | 2006-01-26 15:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(5)

世界初の劇伴音楽【ギーズ公の暗殺」

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1908年にパリで設立され、1913年まで存続した映画製作会社フィルム・ダール(Film d'art )の作品。当然「サイレント」である。この映画の音楽は、「カミュ・サン=サーンス」が書いたものである。恐らく世界初の「劇伴」「映画音楽」ではなかろうか。
曲はイントロダクションを経て1話から5話まで5つの部分に分かれる。何かを予感させるようなチェロとクラリネットのモノローグの始まりは、サン=サーンスらしさがあまり無いが、すこしたつと、やはり「サン=サーンス」の「香り」が出てくる。

3番の交響曲に秘められた「神の怒りの日」のような暗さと、其れを隠してしまうような美しいメロディが交差する。映画を見ながら聴けばキットもっと違う雰囲気だろうと思うが、映画をまだ見ていないのが残念だ。
音楽(場面)の終わりのときに極端に落としていくテンポは、思わせぶりな映画のシーンを推測させるようで面白い。

ピアノで奏される低音のトレモロにも陰鬱な動機を思わせるものがあり、大胆な半音階の使用にも、惹かれるものがある。

TVの2時間サスペンスドラマ、風なところもあって少し可笑しかった。室内楽で聴いたのであるが、実際はオケの演奏だとすると、もっとダイナミックになるはずだ。「レクイエム」のような感じを出したあと、早足で駆けるようにて音楽が終わる。

「ギース公暗殺の背景」
スペインのフェリペ2世の無敵艦隊がフランスの海岸をゆっくりと遊戈していた。狙いはイングランドのエリザベス女王。しかし、フランスにとってもこれは脅威であった。カトリック派の貴族の首領でもあった「ギーズ公」はフランス王「アンリ3世」にとって脅威であった。「ギーズ公」はブロワ城に三部会を招集することを「アンリ3世」に要求した。3部会ではギーズ公派の方が多く、国王派は全議席の4分の1も占めていなかった。

アンリ3世はギーズ公の暗殺を決意する。ブロワ城のなかの隠れ小部屋に45人隊を引きこみ、「ギーズ公」が1人になるように仕掛けたところを一気に襲いかかった。そして、弟のギーズ枢機卿も引き続き暗殺された。2人の死体は切り刻まれ、焼かれ、灰はロワール河に投げこまれた。ランソワ・ド・ギーズは1563年に暗殺されるが、その背景というのは「宗教戦争」のようだ。
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「ブロワ」とは、ケルト語で狼を意味するという。城のネーミングからもケルト民族の隆盛が偲ばれる。

by noanoa1970 | 2006-01-25 13:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

必需品の小物

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なんだかお分かりだろうか。
すぐに分かった人は、かなりのオーディオ愛好家・・・其れもLP時代からの・・・ということになる。写真の上にあるのは、「フォノ・カートリッジ」=平たく言ってしまえば「レコード針」だが、実際はもっと複雑で、「針」で拾った振動を電気信号に変換する、レコード再生の一番の入り口に当たる重要なものだ。

LPレコード全盛期には、この「カートリッジ」が各社から発売されていて、国内でも20や30種類ぐらいはあっただろうか。クラシック音楽再生に優れているといわれ、デンマークの「オルトフォン」・・・「真正な」「正当な」という意味らしい・・あるいはジャズ再生に適していると言われるアメリカの「シュアー」などの外国の主のを含めると、かなりの数になる。この市場が確立されていたことの証でもあった。

学生時代にはそのような有名ブランドの製品をもてなかったのだが、「シュアー」ソックリで価格が5分の1の「ニート」という国産のものや、「グレース」という、いずれも今は無メーカーのものを使った。
「サテン」というメーカーの「カートリッジ」の評価がとても優れていて、憧れだったのだが、1960年代後半当時一番安価なものでも14000円していた。下宿代が6000円だったから、いかに高価だったかがお分かりいただけると思う。

「サテン」=「絹」のように滑らかな音・・・のメーカーが、偶然にも大学から目と鼻の先にあることがわかって、「DRAC」で交渉して少しでも安く譲ってもらおうということになり、その結果、2割引で入手した覚えがある。

それからかなりの年月が経ち、自分で「カートリッジk」をいくつかもてるようになったとき、必要になったのが、「針」の「圧力」=「針圧」を正確に測定するもの。
以前は、「アーム」の錘の部分についているメモリで、アバウトで「針圧」を決めていたのだが、「カートリッジ」自体がデリケートになってくるのと同時に、最適「針圧」が必要とされるようになって、写真の「針圧計」を入手した。

何とかという「素子」で出来ていてとても正確に「針圧」が測定できるから、安心してレコードが聴け、レコードにとっても安全である。現在では昔のように頻繁に「カートリッジ」を交換して聞くことが少なくなり、使用する機会が余りなくなったが、今も立派に現役で稼動している。
「パナソニック」の「針圧計」である。

下のほうの黒いものは、「針」を掃除する道具。
昔は固めのブラシに揮発性の液体をしみこませて「針」をこすって、「針」に付着したゴミをきれいにしていたが、それではなかなかきれいにならないというので、・・・ちょうど今の「電動ハブラシ」のように、細かい振動を与えて針のゴミを掃除する道具である。

顕微鏡で見ない限り、付着しているかどうかを見ることは出来ないのであるが、これも精神衛生上とてもよい道具である。

オーディオの世界は実際に効用があるかどうか、分からないようなものの存在が多いのは、良く経験するところであるが、高価で貴重な「音盤」を相手にした時代だから、其れも仕方がないだろう。

by noanoa1970 | 2006-01-21 11:36 | 音響装置 | Comments(0)

小津安二郎の「小物」

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「小津」はかなり「モダン」な人間だったらしい。
映画に使う「小物」も彼自身が生活の中で使う「小物」も全てこだわりがあったという。
信州は茅野の酒「ダイヤ菊」をこよなく好んだというから、どうも「飲食」に関してはそれほどでもないように思えるのだが、品物には相当こだわったのだと思う。
上の写真はほんの一部だが、自作のペンケースを見ると彼の「美意識」が見えるような気がする。
小津の映画の中には、ハッとするような小物の使い方が頻繁に出てきて、小生などは、今でも「あ、いいな」などと思うから当時の同時期の方はキット憧れの目で見ていたに違いない。
小津の映画は「庶民的」かというと、決してそうではないことが多いことに気づくのである。
昭和30年代の中堅サラリーマンが「マクレガー」の「ゴルフクラブ」を持つ・・・普通では考えられない感覚であり、恐らくそのようなことは実際にはほとんどありえないことであると思う。

高価なものをさりげなく、まるでごく普通のように扱かったり、どう見ても身分不相応なものを、多分わざと持ち出したりすることがある。

恐らく彼の脳裏には常に外国への「憧れ」・・・特に「アメリカ」への其れがあったのではなかろうか。

まだボンヤリとしていて、ハッキリとは言うことが出来ないのであるが、その意味において彼は決して「リアリスト」でなく、「ロマンチスト」で有る意味その流れの帰結としての「象徴主義」的な作風の映画監督なのではなかろうかと思うことがある。、

by noanoa1970 | 2006-01-20 10:03 | 小津安二郎 | Comments(0)

お気に入りの小物

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[YAMATO]製の木枠丸型掛け時計。この時計は今から35年ほど前に、京都の洛北高校前の骨董屋・・・というより「古物商」という言葉の方が良く似合いそうな、年老いた主人の店で入手したもの。学生だった小生は良くその店を覗いていたのだが、それというのもその頃学生の間で密かに流行った皮製の・・・あるいはその紛い物の分厚い紙で出来た「旅行カバン」を探していたのだった。
よくカバンの表に外国の航空会社や船舶会社のレッテルが張ってあるアレのことです。

その日たまたまその店に行ってみると、その老店主曰く「今日はまだひとつも売れないので、オマンマの食い上げだ」という、前から欲しかった木枠の「アンティーク掛け時計」に目をつけた。
1500円というのを1000円しか持ってないというと、いつも顔を見るから1000円でいい、という。完全に動くかどうか確かめつつ、これはしめたとばかり喜んでもらってきたもの。
「YAMATO」とメーカー名があり、「テンプ」が見える珍しい時計で、早くも下宿の柱に取り付け1週間に一度、時計のねじと、ベルのねじを巻く手間はあったが、ずいぶん重宝した。
当時の価格水準から察すると、当時の1000円は現在の5000円~7000円ほどであろう。

今でも現役で動き続けているが、流石にねじまきを忘れるので、知らない間に針が止まっていることが多い。

先だっても遊びに来た人がこの時計で時を測り、お酒を飲んでいて、とっくに夜中の12時を過ぎているのに、止まっているこの時計を見ながら、「ずいぶん時の流れが遅い」と思っていたらしく、気づいたときには明日になっていた、という笑い話もある。
姿かたち、見栄えも、今出来のアンティーク風の時計と勘違いさせる美しさを、この時計は持っている。

もうあの老店主はこの世にはいないだろうが、その老人が仕入れてきた古い時計はまだ元気で、「ねじ」を巻くのを忘れない限り、動き続けている。
そしてあの老人を、小生は決して忘れることは無いであろう。
「ドック・ワトソン」の「おじいさんの古時計」をしばらくぶりに聴いた。某国の某歌手の歌と違って、過ぎてきた時間の重みを感じさせてくれる・・・素晴らしい!!

by noanoa1970 | 2006-01-19 09:15 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

お気に入りの小物

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英国紳士のデスクに置かれていたものだろうか?
そんな想像をすることも、古いものに接するときの「楽しさ」の一つといってよいでしょう。
拡大すると、「サーモン」あるいは「トラウト」の特徴である「膏鰭」はあるのだが、「背鰭」が無いことに気づかれるでしょう。「魚」は「背鰭」が無いと、とたんにマヌケになってしまいます。

お父さんの書斎にコッソリと忍び込んだ子供が、いたづらをして「背びれ」をむしったのかもしれません。小生も昔誰も居ない書斎を探検するのがたいそう好きで、ノリタケ製の鶏の置物の羽を折ったことがありました。

大きな机や大きな本棚、何が書いてある皮から無いような本の背表紙、少し黴臭くてめくると、銀色の「紙魚」がいて、触ると消えてしまい気持ちが悪かったこと。
用途が分からない(余分なインクを吸取る)スタンプ、金属製のスケール、計算尺、や分度器、コンパス。鉛筆削りなど、おいてあるもの全てがとても凄いものに見えた記憶があります。
とりわけプラスティックがない時代の鈍くあめ色に光るボディを持つ「万年筆」は憧れの的でした。アレは「エボナイト」で出来ていたのだろうか。

この体験は自分の家でなく、父親の実家の話で、昭和初期の建物は洋間がただひとつ「書斎」だけにあって、何かしら不思議な空間が小生にはたまらなく、父の実家に行くたびに、コッソリとその「書斎」にもぐりこんだものでした。

d0063263_1881313.jpg「東郷青児」と「エドワール・マネ」の「笛を吹く少年」の複製がかかっていたことを覚えています。

by noanoa1970 | 2006-01-18 20:50 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)