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長浜の風景・・・お気に入りの仕舞家民家

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長浜の商店街アーケードの一角にある「仕舞屋」風の家。
そばを通るたびに気になっていたので、ある時家の持ち主を訪ねた。持ち主は古い「紙問屋」サンであったが、分け合って誰も住むことなくこのままおいてあるそうだ。
もし貸してくれたなら本気で移り住むつもりであったから、残念な気持ちが後まで残り、余計にこのふるい民家が良く見える。

その後何回も着ては眺めているのだが、誰も住んでないし、活用もされていないようである。
商売にも絶好の場所だから、要求は多いと思われるのに、そのままになっている。
よほどの「わけ」があるのだろう。

民家のすぐ下の縁には季節になると「梅花藻」が姿を見せる「疎水」が流れている。

by noanoa1970 | 2005-11-30 06:30 | 季節の栞 | Comments(0)

長浜の風景・・・おもしろ看板

長浜商店街の洋品店。
前を通るたびに名前の由来が気になっている。
「近江商人」ならではのネーミングであろうか。
大阪の其れとはやや趣が異なるような機がする。
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値段を負けない?
商売に負けない?
人生に負けない?

カタカナの「マケン」というところに商売を始めたときの「意気込み」が感じられる。

by noanoa1970 | 2005-11-29 09:50 | 季節の栞 | Comments(0)

長浜の風景・・・以外にもそれは

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商店街アーケードの中のお店。
土産物屋でしょうか?
いいえ、ここは小生がいつも立ち寄る「本屋」サンです。
といっても普通の「本屋」とはかなり違っていて、おいてあるものはほとんどが「文芸」「工芸」「美術」あるいは「郷土」の関係の本ばかり。
本屋のご主人の趣味、嗜好が感じられてツイよってしまいます。
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古い「町屋」を利用してやっています。家の奥には美しい庭が見え、隣の「間」ではちょうどある女流日本画家の展覧会が行われていました。
街の「本屋さん」が展覧会・・・普通では考えられません。
単に町興し(起し)に成功しただけではない「長浜」ならではのことなのでしょう。
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by noanoa1970 | 2005-11-28 16:45 | 季節の栞 | Comments(0)

長浜の風景・・・ウインドウ美術館

良く訪れる長浜のお気に入りの風景を少しご紹介。
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古い商家を美術館にしている。
商工会の会員に「アール・ヌーヴォー」のガラス工芸作品を買ってもらい、それを寄贈してもらってよく「ガレ、ドーム兄弟」などの作家の美術展を開催する。
入り口の大きなウインドウには、そのオ時々に開催される作品を数点展示する。
小生は必ずそこに立ち寄って作品を見ることにしている。
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今日は珍しい「香水壜」クラフトの展示会。犬を連れて行ったのと時間が無いのもあって、ウインドウを拝見。
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中に入ればきっと「ルネ・ラリック」をはじめとする「アール・デコ」の作品も見れたに違いないが、来週時間を作って見ることにして、今日は「ウインドウ鑑賞会」である。
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by noanoa1970 | 2005-11-27 09:10 | 季節の栞 | Comments(0)

落ち葉のシンフォニー

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紅葉(もみじ)
文部省唱歌
高野辰之 作詞
岡野貞一 作曲

秋の夕日に 照る山もみじ
こいもうすいも かずあるなかに
松をいろどる かえでやつたは
山のふもとの すそもよう
落ち葉が谷の流れに 散り浮くもみじ
波にゆられて はなれてよって
赤や黄いろの 色さまざまに
水の上にも 織るにしき

落ち葉が奏でる「錦織」のシンフォニー

by noanoa1970 | 2005-11-26 08:53 | 季節の栞 | Comments(0)

信じたくないが

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これが「地震雲」?

by noanoa1970 | 2005-11-26 08:14 | 季節の栞 | Comments(0)

異説「山の人生」7・・・最終

「共同幻想」的に作られた多くの「真実」はあるようであるが、事件の因果関係的「事実」は「闇の中」、「藪の中」である。
事件から100年余りたった今、さらに「ひとつの真実」の形が最近かの土地にて、民間伝承の新しい形態となって登場することになる。
それを紹介しよう。
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「母情落日斧」は、明治三十七年、大和町内で実際に起きた「新四郎事件」を題材として作られた新作文楽です。
この事件は、柳田国男が『山の人生』の冒頭に「山に埋もれたる人生ある事」と記したものでした。
 平成十三年、人形遣いの中堅吉田勘緑が原作を書き、三味線の鶴澤燕二郎が作曲して、
九月一日、明建神社を舞台に初上演されました。
原作や舞台づくりには地元スタッフも参加して共同作業で制作された画期的な新作文楽です。

 明建神社の舞台を生かした野外公演の素晴らしい雰囲気もさることながら、
郡上の方言も取り入れた口語体や、現代的趣向もいくつか取り入れられたもので、
分かりやすく面白い文楽だとたいへんな好評を得ました。
翌年には屋内公演で再演され、今回郡上では三回目の上演となります。

母情落日斧あらすじ}

◎第一場 【新四郎棲家(春)】

 奥美濃大和の里の奥山に、新四郎は娘ナヲとその弟イチの二人の子どもを抱え、
焼畑や炭焼きなどをしてつましく暮らしています。母親はイチを産んで間もなく亡くなり、
その思い出は石塚に積まれて、母の教えを守る子どもたちの平穏な日々が続いていました。

       【同(夏)】

 母の形見の斧を振り回す弟イチをたしなめる姉ナヲ。
そこへ猪獲りのワナにかかって大けがをした父新四郎が帰ってきます。
三人が懸命に傷の手当てをする中、外にはホタルの灯が集まり母の姿となって現れます。
しかし、新四郎の傷はおもわしくなく、ナヲは寒水の庄屋の家へ奉公に出ることになりました。

◎第二場 【寒水庄屋ナヲ奉公(秋)】

 奉公先で健気に働くナヲ。庄屋夫婦にも気に入られますが、下男の六は面白くありません。
ナヲの色気にも気を惹かれる六は、夫婦になろうと言い寄りますが断られ、庄屋の銭とカンザシを盗んだと濡れ衣を着せます。
それに気づかぬ庄屋夫婦はナヲを解雇するしかありません。

◎第三場【寒水峠】

 庄屋を追われたナヲは失意の中、寒水峠を越えます。
失意が恨みへと転じる己の邪心に気づくナヲ。母を呼び、新四郎とイチの待つ古道へと急ぎます。

◎第四場【新四郎棲家・落日】

 傷だらけになりようやくたどり着いた我が家。
ナヲは亡き母親のところへ連れて行って欲しいと新四郎にすがります。
弟イチの願いも聞き入れて、新四郎は落日の陽が射しこむ中、形見の斧を二人の首に振り下ろすのでした。

      【同・二ツ塚(冬)】

 人気の消えた山里に雪が降り積もります。
浄土には再会を果たした親子の姿。思い出の二ツ塚の傍らには雪の中、九輪草が花を咲かせます

・・・・・・こうして「文楽」という「古典的技法による新しい形」で、「新四郎事件」および「柳田」の「山の人生」の話は語り継がれるのであろう。内容は「文楽」特有の「人情事件」「情話」として脚色されてしまってはいるが、この悲しい心中事件は、この先もその地域で長く語り継がれることになる。
そしていつのまにか「真実」と「事実」とが同じ水平線上に並ぶことになるのであろう。

しかし小生は 異説「山の人生」4の中の「異説その2」に直いっそうの説得力を感じるのである。

伝えられてきた古今東西の「民間伝承」「神話」「伝説」等の中には、このような形で変化しながら、伝えられてきたものも少なくないはずである。
ここに小生は
ワーグナーによる「ゲルマン神話」を素材とした「オペラや楽劇」に思いをはせるのである。

by noanoa1970 | 2005-11-25 09:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

異説「山の人生」6

異説「山の人生」「3」「4」で述べた2つの話はいかにも説得力ある話ではある。
しかし問題は、事実はひとつであるにもかかわらずその真相なるものが複数あり、しかも異なっていることに大いに不可思議さを感じてしまうのだ。この2つの話の「複合」だとしても、それが原因で一家心中はありえない(だろう)と思うからである。。

事件がおきた明治37年(日露戦争開戦の年)、季節は「柳田」では「秋」、「新四郎さ」説では「夏」のことであるし地域敵に見ても、郡上郡「寒水」「大和」地区であるらしいから(新四郎屋敷後)として今も碑が建つという)その地区・・・「寒水川」は小生がよく釣りに出かけたところでよく熟知しているのであるが、中山間地区の農村であるが、険しく奥深い山の中の里ではなく、確かに寒村ではあったであろうが、厳冬期ならまだしも、事件のあった季節では、飢饉で飢えるような気候の地域ではないと思われる。(小生が小屋を借りていた安曇軍奈川村のほうが厳しい地区だから比較できる・・・時代が違うことを考慮しても)
    
・この2つの事件の当事者によって語られたという、「後日談」は本当のことなのであろうか?

・本人が語ったことをその身元引受人が記憶し、それをまたその親戚のものが後に思い出し
筆記した。・・・・この年月の間に、だんだんと事実関係が薄れて、曖昧になっていった可能性はないか?

・果たして本人は事実を語ったのか?

・事件の犯行動機供述に弁護士による脚色は本当にあったのか?

・村人の、「事件に対する因果関係誤謬の原因」となるような「共同幻想」・・・・事件当事者本人もさることながら、「庄屋家族」に対する気使いや自分の村の汚点を世間から隠そうとする見えない意思が働かなかったか?


小生はこの2つの説の「動機」にとても不可解な点が見えるような気がするのである。
①=「柳田」説=「新四郎さ」の1つめ・・・「飢饉による飢餓から父を救うため自ら犠牲おなった子供の孝行話」

②=「新四郎さ」の2つめ・・・「奉公に出した娘がイジメにあって盗みの疑いを掛けられたことに抗議しての一家心中」

①も②にしても子供殺害および一家心中未遂事件の「動機」としては非常に説得力に欠けるといわざるを得ない。
そしていずれもが非常に「作為的」であるように感じてしまうのである。
その「作為」とは
この事件のあらましを・・・こういう事にしておこう。・・・ということであったのかもしれない。

by noanoa1970 | 2005-11-24 09:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

紅葉は?

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家内の実家が有る京都市左京区修学院。
実家のすぐそばにある「鷺森神社」の参道の「紅葉」。
この時期、いつもなら相当にきれいな紅葉を見せるのだが今年はまだ早いようだ。
京都の紅葉の穴場的知る人ぞ知る名所である。
参道には樹齢数百年は経っていると思われる「山桜」の巨木があり、京都市の保存樹に指定された。

創建貞観年間(約千百年前)
鷺 森 神 社
御祭神 素盞嗚尊 (スサノヲノミコト)
御神号鬚咫天王(しゅだ)
御神徳:家内安全・旅行安全・諸願成就
[由緒]
 神使の鷺がこの森に群集していたのが名前の謂われとされている。赤山禅院の側に
鎮座していたが、修学院離宮の建設にともない、現社地に遷座した。
離宮造営にあたり霊元帝より現在の鷺の杜に社地を賜り、元禄2年6月御遷座になり
修学院、山端修学院一帯の産土神として今日に至っております。
 境内は鬱蒼とした樹木に覆われ森厳たる佇まいを見せる。涸れ涸れではあるが
一乗寺川の谷が南を境し、小径は曼珠院へと続いている。
神域六千六百坪、境内に流れる宮川にはその昔御水尾帝、霊元帝も行幸された御下賜の
御幸橋もあり、荘厳な社殿とともに桜樹、楓も多く四期幽鳥の声を聞く鎮守の社であり、
又、最近では森林浴や春の桜、秋の紅葉の名所としても知られるようになってきました。

住所:京都府京都市左京区修学院宮ノ脇町16
アクセス : 叡山電鉄修学院駅より東山方面へ徒歩7分
営業時間 : 参拝自由
入場料 : なし
料金 : 参拝無料
駐車場 : あり(無料)5台

by noanoa1970 | 2005-11-23 13:15 | 京都 | Comments(0)

異説「山の人生」5

さらに調べてみると、また面白いことが分かった。「柳田」の「山の人生」の話と、「異説1」は金子貞二著「奥美濃よもやま話」の中に「新四郎さ」と題して2編収録されているそうで、この「新四郎さ」の話は、岐阜県明方村(現在明宝村)に居住する金子信一氏の話を金子貞二がかきとめたもので、新四郎は出獄した後、金子信一宅で作男として働いていて、身の上話を打ち明けられていたというもので、其れは2つの説明があったという。

事件の有った地域とはおそらく地図上の×・・・このあたりであったであろう。「大和」と「寒水」を結ぶ山道が合ったという。現在は合併されて郡上市となったの白鳥、八幡、明宝の三角形の中ほどの地域である。
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「谷川健一」によるとその話とは

『新四郎が金子信一氏に打ち明けた話によると、新四郎は妻に先立たれたあと、ふたりの子供と山で暮らしていたが10歳になる娘が、明方村寒水にある柿洞という屋号の家で使ってもらうことになり、家族にも可愛がられていたが数年経った頃から息子の嫁さんの嫉妬心から、意地悪されるようになり、巾着を盗んだという濡れ衣をきせられ柿洞の家を解雇されることになる。娘は炭焼きの父親のところにやむなく帰ることになる。娘は死にたいと漏らし、それに同情した弟と父親は一緒に死ぬことを決心し、父親は明年播くために採っておいた種のアワやキビをお粥にして子供らに食べさせてから殺したという。柳田國男の文学的表現と多少の違いはあるが、それは、裁判官の同情をひくための弁護士のテクニックであったのであろうと。』

新四郎さは獄中でも模範囚で、出獄したあとは善光寺参りをかかさず、念仏三昧で八十八年の生涯をとじたという。    谷川健一「柳田國男の民俗学」より

「柳田」オリジナルの「飢餓説」そして「新四郎さ」の「恨み人情説」・・・これらがいずれも出獄した事件当人から、身請け人となった金子某に伝えられ、その親戚であろうか、金子某が後に資料にまとめたものを、「谷川」が言及したものである。

「柳田」オリジナルの「飢餓説」よりは信憑性はあるが、「盗みの嫌疑」を掛けられたことで、「一家心中」未遂をはたしてするものであろうか?
いわゆる「村社会」であるから、「村八分」的な扱いに耐えられなくなったともいえなくは無いが、それにしても「一家心中」未遂とは考えにくいと思われる。

小生は先の話の中の「庄屋の息子の妻の嫉妬による盗みの濡れ衣」というところ、そして「弁護士のテクニック」というところが妙にヒッカカルのである。、

by noanoa1970 | 2005-11-23 09:32 | 怖い話 | Comments(0)