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ご飯の友、酒の友・・・三重県菰野町の茄子の「こうじ漬」

いただいたものの中で、最近の「小生のヒット」に「こうじ漬」という一品がある。
味噌と麹に茄子を細かくして漬け込んだものだ。自家製の味噌を使い、晩秋になってから「湯ノ山温泉」があるので有名な三重県の「菰野町」で知り合いの方の実家で作っているという。
菰野町は鈴鹿山麓の三重県側に位置しており、風光明媚なところでまだまだ自然が沢山残っている。「御在所」のふもとはこの時期紅葉がとても美しい。そのような環境・・・美味しい水があるので、豆腐やお酒がとても美味しい。寒暖の差、水、空気、土壌・・・美味しい作物の条件を兼ね備えている土地柄である。土と水が良い聖なのか「手打ちそば」「陶芸家」画多く集まる土地でもある。
紹介するものは昔からこの地方で、この集落で、あるいはこの家で、伝統的に作られ、受け継がれてきたものを商品化したものであると思う。
名ばかりが有名なものが多い中で、「知られざる一品」があることを紹介しようとBLOGに掲載した。
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小生はご飯にはそのままで、お酒には・・・これが小生流の「秘訣」なのだが、こうじ漬の半分の量の「和辛子」を入れて混ぜている。こうするとオリジナルのままでは少し強い麹の甘さが程よく抑えられて、ベストな「酒肴」となる。酒はこだわるなら、「本醸造」のどっしりしたタイプが良いと思う。こうして作った「こうじ漬」を「きゅうり」に乗せて食べるのも、「なすときゅうりのコラボレーション・・・自家製の味噌と麹の自然の甘さによって、とても美味しい嗜好品となる。

鈴木商店のPR
住所:三重県三重郡菰野町田口新田1670
TEL:0593-96-0149 FAX:0593-96-4865 
mail:marukyu-suzuki@syd.odn.ne.jp

「鈴木商店」の頭に○の中に「久」を入れ「まるきゅう鈴木商店」と読みます。
こうじを使った加工食品は、こうじが保有する酵素の働きにより、消化を助け、免疫力を高めると言われております。出来るだけ添加物を使わず、原料にこだわり”先人達の知恵”失われつつある優れた食文化を、頑なに守り続けています。

手造り家伝生みそ
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本品は、特に原料にこだわり(主に国産大豆使用を心掛ける)手造りにこだわり(出来る限り機械に頼らず手作業を心掛ける)天然醸造と無添加(健康上、塩以外の薬品等添加物は一切使用していません)をモットーにして、自然風土の中でじっくりと熟成させた自然食品とも言える味噌です。又味噌本来の風味が有り、酵母菌が生きたままの生粒味噌です。
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by noanoa1970 | 2005-10-30 18:14 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

分かってくれない

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by noanoa1970 | 2005-10-30 13:28 | 小津安二郎 | Comments(0)

小津映画の中の「食」・・・「う」は「うなぎ」の「う」

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昔の知り合いがやっている食堂「カロリー軒」ここで会社の先輩のために正義感を出して解雇された男がビラをまいたりサンドイッチマンとして働くことになる。最初につれてこられたときに・・「カレーライス」ではなく、「ライスカレー」をご馳走になる。看板の文字が右から書いてあるところに「時代」を感じる。


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「お茶漬の味」のノンちゃん(鶴田浩二)は、節子(津島恵子)と三来元でラーメンを食べるのだが、そこでラーメンをおかわりする。「スープがうまい」なんてことを言って津島にもおかわりを勧める。
デートの後の食事にラーメン、ラーメンを食べるカップルは「出来ている」とは誰が言った言葉だろう。しかしインスタントラーメンが登場していないこの時代のラーメンは「庶民の食べ物」とばかりいえなかったから、その言葉はもっと後世のことだといえるかもしれない。


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これは確か「お茶漬けの味」のシーンだったと思う。サイレント作品の「カロリー軒」から時を経て、看板は左書きとなっている「トンカツ屋」。「豚」のデザインもとても面白い。


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「一皿満腹主義」そして店内のメニューの脇には亭主のこだわり書きが掛けてある。昔は名の有るひとかどの人物であったのだが、分け有って食堂の親父となった男の、意地らしきものが見えてペーソスを感じる。小津は決して飲食店の生業を差別したというわけではないのだが、落ちぶれて飲食業をやる・・・このような設定が多い。



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昭和30年代以降の作品になると、カラー化が進み、映画の中の飲食シーンも「華やか」となる。この頃ともなると、「ラーメンを一緒に食べるカップルは出来ている」ということを言い出したのは、小津監督であったかもしれないと思えてくるような気がする映像である。
「トンカツ屋」で母娘が待ち合わせして食事をし、ビールを飲み、残りのビールを片手で・しかも左手でコップに注ぐというシーンも登場する。小津監督は意識してこのようなビールのシーンを撮ったのであろう。女性が飲食店でトンカツを食べながら、ビールを飲む・・・そういう時代にやっとなってきた日本がそこにある。

余談であるが、実はこの食事のシーンでは、いったい彼女たちが何を食べているのかは映されていない。しかし別テーブルにさりげなく置かれたの「ウスターソース」の壜、「辛子」の入った入れ物で、彼女たちが「トンカツ」を食べているのだと分かる。このシーンでは彼女たちはいずれもご「飯茶碗」らしきものを手に持って食べるシーンのみが映される。
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by noanoa1970 | 2005-10-30 08:50 | 小津安二郎 | Comments(0)

小津映画に見るお店の名前・・・その1

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小津安二郎の映画では・・・最近ではごく当たり前であるが、「食べるシーン」が良く登場する。
特に「外食」のシーンが登場するのは、昭和30年代の作品に多い。このことはやはり、日本が高度成長期に入って、少し余裕が出てきたことの証だろうか。

小津自身も「外食」がすき・・・・自分で作ることも好きだったようだから、・・・食べることが大好きだったのだろう。其れまで≒小津以前は「食べるシーン」はほとんど映画の中には登場しなかったように思う。
多分其れは「人前で食べること」に対する「羞恥心」「礼儀作法に反する」・・・という戦前の教育の残像があったからではなかろうか。そしてそれは食べることが生きる営みであった時代の産物なのかもしれない。現代のように「食べながら歩く」ことは無かったと記憶する。子供でも「駄菓子」などのおやつでも決して何かをしながら、食べることは無く、まして歩きながら食べることは無かった。

「ルナ」「若松」はおなじみだが、さらに良く観察すると「BOW」というコーヒーショップがあり、「ARROW]というバーも有る。「BOW&ARROW」で「弓矢」とはシャレであろうか。「ホープ」「カルメン」という店の名前もうかがえる。
「日展」のポスターも多くの作品の中で登場する。
このほかには
「トンカツ」「ウナギ」「ラーメン」・・・・特に、トンカツとラーメンは重要な位置づけ・・・定番である。
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by noanoa1970 | 2005-10-28 09:00 | 小津安二郎 | Comments(2)

映画の中のTV映像

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小津安二郎の晩年の作品「秋刀魚の味」では懐かしく、面白いシーンが沢山登場する。その一つが、この野球のTV中継を映画の中に取り入れたシーンである。

「4回の裏大洋の攻撃は4番サード桑田からです。足の負傷も全く治りまして絶好調の桑田、今日はバッキーに対して最初はショートゴロ、これが2回目のバッターボックスです。桑田、三原監督の方をチョット見ました。タイガースのバッテリーはバッキーと谷川、第1球は速球でストライクを取りましたバッキー投手。桑田2級目低い球を見送ってワンストライク・ワンボール。バッテリーはサインの交換をしております。・・・・桑田打ち気満々です。」・・・・こんなアナウンサーの語りだったと思う。

TV実況中継のアナウンサーの声が映像とともに流れるのは、小料理屋「若松」でのこと、カウンターの端っこの上にテレビが置いてあり、阪神・大洋戦を中継している。
実はこの試合を見に行く予定の男が他の2人と「若松」でシブシブ合流することになったことを思い出させるシーンでもある。
しかし3人はテレビが見えない別室で、かすかに聞こえてくる野球の中継の音を耳にしながら中学時代の同窓会に漢文の教師だった「ひょうたん」を、呼ぶ・呼ばないで揉める。

中でも野球の試合にいけなかった男の一人は、中学時代にいじめられた「ひょうたん」をよぶことと、試合にいけなかったことで不機嫌そして不満そうである。
遠くのTVで沸きあがる歓声に、桑田がホームランを打ったと勘違いしたのか、「ひょうたん」を招待することをしぶしぶ承知するのだが、後で、女将から已然0対0であることを告げられる。承知などするんじゃなかった・・・・と言いたげな表情が面白い。

小津は野球が好きだったのだろうか?当時の最新式のテレビでこの野球中継のシーンは数分描写される。映画の中に映画を入れるのは、小津にもあるのだが、映画の中にTVの映像を入れるというのは、小津としてもはじめての試みで、それは当時としては斬新なアイディアであったのではなかろうか。小津は将来来るべきテレビのパワーを意識していたのだろうか?
もし小津が後10年も長生きしていたら、テレビで作品を作ったのかもしれない。
しかし反面映画のスクリーンとTV画面の面積と比はだいぶ異なるから、小津の持つ緻密な・・・ローアングルなどによる効果はなくなってしまうことだろう。
そのように考えれると、やはり小津は「映画の人」であることを貫いたように思われる。

小津の死後、かっての小津組の俳優たちは、「原節子」を除けばそのほとんどがTVでも活躍した。映画の斜陽はこの辺りから始まっていたのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2005-10-27 08:45 | 小津安二郎 | Comments(2)

シューベルトの「鱒」は、本当に「鱒」なのか?

小生は「フライフィッシャー」である。正確には、現在休眠中だから・・・
であったということになる。それでもこの釣をははじめてから15年ほどになる。
「フライイッシング」とは「西洋式毛毛鉤釣」、気取って言うとそういう釣師のことを「フライマン」という。「ルアー」釣の「ルアーマン」とはいろいろな意味で一線を画すこだわり人の釣である。
小さく軽い・・・獣毛や鳥の羽などで作った毛鉤を遠くへ飛ばすために、ムチのようにロッド(さお)をしならせて、毛鉤=フライを遠くに飛ばすために重量の有るライン(糸ではない)のさきに結んだ細い糸の先につけた毛鉤=フライを魚の居そうな場所に投げる釣である。

たいていのフライマンはそのために日夜キャスティングの練習をしたり、毛鉤=フライを自作するために、各種の獣毛や鳥の羽などを沢山買い込み、夜ともなれば、ひそやかに毛鉤を・・・この毛鉤でイワナやヤマメ、レインボウを釣るぞとばかり、夢を抱いて作成に励むのである。
実は小生のHN「sawyer」はイギリスのリバーキーパーで、フライマン、そして「ニンフ」という水生昆虫の幼虫を模したフライの考案者の名前をいただいたものである。
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さて問題のシューベルトの「鱒」はいったいどのような「鱒」なのだろうか?
音楽分野からの意見では・・・いろいろといわれているが、結局は根拠の全く無い憶測か、当たり障りの無い推測ばかりで、結局は「不明」のままであるのが現状だ。

そこで今回、音楽・・・其れもシューベルトが好きな元フライフィッシャーマンの小生、意地を掛けて「鱒」の種類を特定しようと試みることにした。
この曲の少し変わっている点は、弦楽器で、シューベルトはピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと「コントラバス」で5重奏を作ったこと。その制で低音部が充実しかなり重心が低く安定し、その上でピアノ=「鱒」が泳ぐ姿が目に浮かぶようである。これは成功ではないだろうか。
またコントラバスの効果はオーストリアの高地の山岳地帯の、ガッチリしたな黒い山肌を思わせ、その間を・・日本の渓流の流れの様ではない清らかさで・、たまたま少しよどんだところ=小さなプールを髣髴とさせるようだ。

そのようなところに釣師は狙いを定め、そして「鱒」はそこにいたのである。釣師は恐らく職業釣師であろう。ストーキングしてこっそり近づいて様子を見る。「鱒」はそれに気づかず、その美しい姿態を透明な水に映して自由に泳ぐ。成虫の水生昆虫=カゲロウを食べる鱒もいて時々水面近くまでライズしてフライを捕食する。そのプール=流れがたまったところ、には恐らく3・4匹の鱒が泳いでいたのだろう。

その「鱒」の体側にある円い斑点は、太陽の光に反射してキラと光り、「鱒」が水中を反転するたびに、その美しい斑点は、白くあるいは朱色に光るのである。

釣師は餌をつけて釣ろうとするが、鱒は「カゲロウ」の幼虫」を盛んに食べていたので、釣師の差し出す餌には見向きもしない、いろいろ手を変え品を変えては見たが、思うようにならない。そしてついにに、・・・そこでこの釣師が「職業釣師」であることが分かるるのであるが、・・・水をかき混ぜ濁らせて、鱒に水生昆虫が見えない状態にしておいて、「匂いの強い餌」・・・例えば「ミミズ」をつけて匂いで誘って鱒を全部釣り上げてしまう。
多少小生の追加脚色が入っているが、このようなストーリーである。

フライマンの常から考えれば、・・・というのは、オーストリア地方に生息したであろうの「トラウト」種は、いまやどの「管理釣り場」にも放流されていて、フライマンはシーズンオフともなると、「自然の川」から「管理釣り場」へと行き先を変えて腕を磨くのであるから、小生もご多分に漏れず通って、さまざまな種類の種のトラウトを釣った経験があるのだ。

其れは経験と自学習から2種類に絞られ、一つは「ブラウン・トラウト」そしてもう一つが「ブルック・トラウト」であると思われるのであった。シューベッルトの「鱒」はこの2つのうちのどれかであう。

学術的には「マス」というくくりは、実は存在しない、「サーモン」=「サケ科」と大きくくくられ、その中で「イワナ属」「サケ属」「サルモ属」に別れ分類される。
ちなみに「ブラウントラウト」は「サルモ属」であり、「ブルックトラウト」は「イワナ属」である。
一般に「鱒」と呼んでいるものは「サケ」を含め全て」「サケ属」に分類される。
「鱒」は俗称ということになるのである。

結論から言えば小生はこの鱒は「ブルック・トラウト」であると考える。
其れはその容姿であり斑点の美しさであり、斑点の色でもある。一方の「ブラウン・トラウト」も釣り味は良い魚であるが、いかにも「獰猛」「狡猾」「警戒心が特に強烈」斑点の色は「しろ」のみ、やや美しさに書けるところがあり、魚対の大きさは大きいものでは70センチを超える。小生は57センチの「ブラウン・トラウト」を釣ったことがある。

「ブラウン・トラウト」を男性の魚とすれば「ブルック・トラウト」は女性的で優雅な局面を見せることがあり、体調もせいぜい40センチ。朱色の斑点のある魚体も見られ、とても美しい魚である。「ショーバー」がもし、「鱒」に「女性」を投影したと仮定すれば・・・・たぶんにこれはありそうである・・この「鱒」は「ブルック・トラウト」もしくはその仲間・・・「イワナ属」ということになる。

<ブラウン・トラウト>
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<ブルック・トラウト>
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これに決定!!シューベルトの「鱒」=<ブルック・トラウトの一種アルプスイワナ
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アルザス地方の伝統料理に、「オンブルシュバリエ」(アルプスイワナ)の天日焼き リースリングバターソースという料理がある。「アルザス」 はドイツになったり、フランスになったりしてきた地方だが、その伝統料理というより山岳地方の川魚料理は、フランス料理として引き継がれており、いまやフランスでも幻の食材とのことらしい。一昔前にわが国で「幻の魚」=「岩魚」といわれていたように、天然物を入手することは難しいのであろう。
シューベルトの時代にもウイーンの宮廷などではこの「料理」が珍重され、「アルプスイワナ」 を捕獲するための職業釣師が存在したものと推測される。
食べて余り美味しくない「ブラウントラウト」ではなく、非常に美味しい「ブルックトラウト」あるいはその仲間の「アルプスイワナ」がシューベルトの「鱒」であると断定する理由はそこにもある。

ちなみに料理、「オンブルシュバリエ」(アルプスイワナ)の天日焼きは、上品でパワフルな身の味わいが素晴らしい.白ワイン「リースリング」を使ったソースが軽やかでよくあう.・・と評価される。
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by noanoa1970 | 2005-10-25 08:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「山田無文」老師の書

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「花は赤く柳は緑」「花紅柳緑」=「かこうりゅうりょく」と読むのであろうか。
「花」とはこの場合「梅」であろうか。そしてこの当たり前のことの意味するものは?
小生にはいまだに「謎」のままである。

これは日本画をやっていて、のちに「禅画」=「水墨画」に親しんだ義父が、京都市美術館で、毎年のように絵を習いに来ていた人たちの作品を展示する発表会をやっていたときに、どうして知り合ったのかは分からないのだが、生前は花園大学学長であり、臨済宗「妙心寺」の管長であった故「山田無文」老師から特別出品してもらっていて、其れはおよそ40回以上にわたり続けられた。毎年のように記念としていただいたものの一つだという。

出展される方はは、京都、大阪、富山と広範囲であり、老若男女を問わず幅広く、中には「陶芸」作品の展示もあった。小生の息子などは3歳のとき紙と筆を与えられ、勝手気ままに書いた絵を表装してもらい発表会に展示すると、その非常に「抽象的」な絵?の前で、何人かが立ち止まって、・・・これを書いたのはどなたですか?とても斬新です・・・などという事件があったという笑い話もあった。この絵は現存していてたまにそのときの話とともに、見ることがあるのだが、見ようによってはとても3歳の子供が書いたとは思えない・・・上手下手の概念を超えていて、面白いものである。最近ニュースで海外の子供の天才画家の話を知ったが、継続することが出来れば、わが息子もその類になれたのかもしれない。(笑)・・・なんていうことはありえないのだが・・・

さて「山田無文」老子の「書」はそういうわけで、我が家に20幅ほど残された。そのうちの一幅がこの「書」である。
丸みを帯びた勢いの有る筆遣い・・・これが「山田無文」老師の特徴で有り、禅の言葉をしたためたものが多い。

「山田無文」老師経歴:
明治33年~昭和63年(1900年~1988年)
臨済宗、京都五山、妙心寺派26代官長。
愛知県出身。学生時代、川口慧海に師事し、静岡県細江町金胤地院の河野大圭和尚につき得度。妙心寺僧堂を経て天竜寺僧堂にて関精拙老師に嗣法する。妙心寺山内霊雲院住職、神戸祥福寺僧堂師家を勤め、花園大学学長勇退後、昭和53年、妙心寺派官長となる。通仙洞と号した。


    頭を下げて貰いに行くものは

    天下に何もない。

    学問もいらん。知識もいらん。

    幸福もいらん。金もいらん。

    命もいらん。何もいらん。

    俺がこうして坐っておることが、

    一番尊厳なことだ。

    そう徹するのが自信だ



            『臨済録』 山田無文

これを「無一物」というのであろうか?
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by noanoa1970 | 2005-10-24 08:31 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

「ビリケン」・・・・ご存知でしょうか

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「ビリケン」・・・この言葉の響きを小生はなぜか子供時分から知っていた。その理由などは、全くわからないままであるが、とにかく言葉の響きとして長い間記憶してきたのであった。「ビリケン」がある種の「人形のお守り」である・・・そんなことを知ったのは、わけ合ってある「お店」の名前を考えていた時のこと。小生はなぜか「~軒」という名前に強い郷愁を持っていて、それは例えば小津映画に出てくるトンカツ屋「カロリー軒」、菅原克巳の詩に高田渡が曲をつけ歌った「ブラザー軒」あるいは洋食屋「神田西洋(精養)軒」京都の老舗洋食屋「一養軒」などのイメージから来たものであったのかもしれない。
「ビリケン」・・・「ビリ軒」というのもいいな、と考えてでもやはり「ビリ」ではいけないのではなどと思ったり・・・とにかく「ビリケン」はそれ以来小生の頭から離れられない存在となった。

「ビビアンリー」が恋人が戦争に行くときに、恋人からお守りだと言ってビリケンをもらうシーン見たさに映画「哀愁」を見たり。通天閣に行こうとしたり、HMVでビリケンが飾られてあるというニュースを聞いて探したりもした。映画「ビリケン」も見たがこれには正直ガッカリした。

「ビリケン」は、ご存知の方も多いと思うのだが、1908年のアメリカ生まれ。カンザス市在住の若い女性の画家・フローレンス・(Florence Pretz)によって生まれた。彼女の絵がコンテストで入賞するキッカケは彼女が見た夢・・・ビリケンの元になるその人形の足に触って願い事をかなえれば、幸運が訪れる・・・というものだったとか。
日本には明治42年に幸福を招く福の神として渡来し、奇妙な井出たちのビリケン人形が作られ大人気を博していたのを、「田村駒」の創業者、田村駒治郎が偶然、ビリケン人形を目にする事となり商標登録としたという。

また上野池之端の不忍池の底には無数のビリケンさんが居るという。上野界隈の芸者たちがこぞって「ビリケン」をお守りにしていたが、戦時中には全員が米国の守り神ということで不忍池に捨てたという。

このように「ビリケン」は有る時期においては「ダッコちゃん人形」のように日本を一斉風靡したのではなかろうか。

ある日のこと、新聞だったかインターネットだったか忘れてしまったのだが、京都のあるデパートで「ビリケン」の展示即売会があるというのを聞き、早速行ってみた。展示されていた2番目に大きくてよい味わいを出していたものを入手した。
京都の人形師「丸山」さんつくり、「信楽」の窯で焼き上げたものだという。

家内は毎日足をなでているらしく、良いことがあるのだそうだ。だから座布団を敷いてもらって、一番良い席に座ってもらっている。
お守りには大きく、高さ40センチ以上あるものだから「置物」である。我が家の「幸福の守り神」となってくれることを願っているのである。
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by noanoa1970 | 2005-10-22 08:10 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

秋の味覚とお気に入りの器

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かれこれ20年以上前のことになるだろうか、京都の実家で「栗の実」が生ったのをもらい、其れを我が家の地面に埋めておいたものが、実をつけるまでに大きく成長した。種類は分からないが、恐らく「山栗」ではないかと思う。とても小さい実ではあるが、食べるとかなり甘い、ちょうど。「天津甘栗」のような感じだ。

今年も沢山取れたので、其れを「お気に入りの器」に入れてみた。器は「古伊万里」の直径18センチと小さな「鉢」で、かわいい「栗」のデザインが施されている。見込みには唐人らしき人物がかなりデフォルメされて描かれているから、そんなには古いものではないだろう。
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それでも「裏」は「角福」あるいは「渦福」があるから、幕末から明治初期のものである可能性が高い。
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チョット見では分からないのだが、実はこの器は細工があって、器の縁の部分には非常にユッタリとして、目立たない、「波」のような「うねり」が施されているのだ。
最初はただそこだけ曲線が「いびつ」になっているのだろうとばかり思っていたのだが、さらに観察してみるとその「いびつ」と思った曲線は周期的に、つけられていたのであった。

チョット見ると「いびつ」だけど良く見ると「ワザトそのように仕組まれた、目立つことを避けた波曲線」。
通常なら「波線」はデザインであるから、「強調はしなくても」、それなりに分かるようにするのが普通であるが、この作者はそうはしなかった。

作者はここに何を意図しようとしたのであろうか?
小生はそこに「下手を気取った上手」なるもの、すなわち表面上では失敗したように見えるが、実はそこには計算されたもの・・・しかもその作品を身近に置いて、日常使うことによって発見可能な「隠された美的なる物」をこっそりと忍ばせたのだろうと思っている。

そのように考えると、ますますこの小さな「鉢」が気に入ってくるのである。
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by noanoa1970 | 2005-10-21 10:05 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

首にタオルを掛ける理由

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久しぶりに」「小津安二郎」の映画を見た。
普段なら何気なく見過ごしてしまうシーンも何度と無く見ると、一つ一つ手の中に入ってくるようだ、もちろんそれで小津を理解したということにはならないのだが・・・・

これは小津映画、「秋刀魚の味」で岩下志摩が扮する。、「娘兼主婦の立場で、甲斐甲斐しく働く姿」、家族の洗濯物に「アイロン」をかけるシーンである。
このシーンを評して最近の人の中には、首にタオルを掛けるなんて・・・見っとも無い・・・とか、なぜこんなダサイシーンを小津がワザワザ撮ったのだろう・・・などと不思議に思う声を、「掲示板」などで見かけることがある。
しかしこのようなシーンは50代以上の人なら経験しているだろうことで、その時代では日常茶飯事であったろうと思うのだ。
というのは、当時の「アイロン」は今のように「スチームアイロン」ではなかったから、アイロン掛けの傍らには「霧吹き」がいつも常備され置かれており、完全にシワをとりたい洗濯物・・・例えばワイシャツ、などにアイロンを当てるときには、「霧吹き」で水を吹き、その上にタオルをかぶせて、アイロンを掛けたからである。

この場合タオルを下におくと、洗濯物と一緒になってしまったり、すぐ手の届かないところに行ったりして作業効率が悪くなるのである。
だから首にタオルを賭けておき、必要なときにすぐはずして使えるようにした「生活の知恵」なのだ。

このタオルのシーンに恐らく小津はこだわったものと推測する、・・・というのはこの場合娘役岩下は男家族がまるで自分たちのお母さんや女房みたいに便利に使ってきた人格であり、そのおかげで婚期が遅れている女性だから、そしてその長い年月が・・・「首に巻いたタオル」・・・亡くなった母親から教えてもらったのかもしれないことも含めて、、其れによって岩下の扮する「娘」に「母親としての娘」のリアリティを与えるのである。

この辺りは現代の若者には通じないことなのかと、少し残念に思う気持ちと、その反面このような「ディテール」まで理解できると得意になる気持ちと両方味わえる。
このような楽しみ方も小津映画にはある。
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by noanoa1970 | 2005-10-20 18:36 | 小津安二郎 | Comments(0)