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「スイカ」の味

「スイカなんぞは猿の食うもんだ」って言うんですよ。また佐田啓二がスイカが好きでねぇ。おまえはなんでこんなもの食うんだって、よくからかっていましたよ。・・・・・・」
カメラの「厚田雄春」 の言葉である。そして小津安二郎はスイカ嫌いだったという噂があリ、それが事実とされている。。しかし本当にそうだったのだろうか?小生は大いに疑問を持っているのである。下町育ちの小津にとって幼少の夏に、縁台で食べた「スイカ」はとても懐かしく、思い出深い食べ物だったに違いないと思うのである。・・・小生の幼児期夏の・・新鮮な記憶も「スイカ」である。

なぜ小津が「スイカ」嫌いかというと、その理由として、「赤いものが緑に囲まれた中に存在するなんぞ、失礼」・・・・だということらしいが、小生はこれを彼独特の、はにかんだ裏返しの言い回しであると解釈している。または小津が無類の「赤」好きだったことへの誇張表現なのかも知れない。・・・「緑」があって「赤」が引き立つ、あるいはその逆、その調和が「スイカ」・・・・このくらいは分かった上での「スイカ」発言だったのだろう。
なぜなら、「彼岸花」では「赤」だけでなく「赤」が他の色・・・・「緑」あるいは「白」、「青」と合わさり、表現されているからである。
赤い湯飲みは決して「赤」だけでなく「紺色の縦縞」そして「白」い内側が色彩的である。「赤」は決して「赤」単独で使われておらず、またそれは「真紅」であることは決してない。
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小津の、・・・カメラを通してというより、絵画的美学的センスである色彩感覚が、赤と緑(他の色と対峙、あるいは調和して)置かれていることに気づいたのである。。ほとんどのシーンで画面に赤と緑が鮮やかに配色されているのだ。田中絹代は緑、山本富士子は赤の入った着物

(なんと着物の裏地までも赤である)
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、というように、赤か緑(白、青)という基本原則があるように思われ、それが小津の美的感覚であると考えられる。
したがって「赤」と「緑」そして「黒の縞模様」の「スイカ」が嫌いであるはずがなく、彼の言動は、好きだといえない独特の表現=反語であったのだろう。
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by noanoa1970 | 2005-07-31 06:45 | 小津安二郎 | Comments(0)

「赤」は危険・注意の「赤」

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大安の日曜日ある日のこと、誰かの新婚旅行の(例によってその姿は映らない)国鉄東京駅で、駅員2人が花嫁の品定め談義をした後、映し出される標識。ここでも「赤」が使ってある。この場合の「赤」は「赤信号の赤」で「危険」、「強風警戒」は「恐妻」を象徴しているかのようで、これから始まる新婚生活が、順風満帆とは行かないことを暗示しているかのようだ。この辺りにも小津のブラックユーモアを感じることが出来て面白い。
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by noanoa1970 | 2005-07-30 07:10 | 小津安二郎 | Comments(0)

小津安二郎「彼岸花」の「赤」

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昔から、「花」は「赤い」のがいいに決まっている。

小津さん、「赤」がすきなのは分かるけど、少しやりすぎでは?
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by noanoa1970 | 2005-07-30 07:05 | 小津安二郎 | Comments(0)

小津安二郎「彼岸花」の「赤」

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カラー作品で「芸術祭」に「参加」するぞ!!という意思表示?
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by noanoa1970 | 2005-07-30 07:00 | 小津安二郎 | Comments(0)

暖色の「アグファ」

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「アグファの映画フィルムは、赤や暖色系の発色に特長があり、写真と同様に暖かく絵画的色調になる。小津の赤、あの絵画的な雰囲気はアグファによって支えられてきたものだ。」

小津の「赤」は決して「真紅」でなく、「オレンジ」、あるいは「ダイダイ」の入ったような「赤」・・・「朱色」である。そしてその「赤」は単独で扱われることはない。他の色と組み合わさって使われるのであるから、その表現に優れた「フィルム」、ドイツの「アグファ」を採用したものと思われる。
小生はカメラをやらないが、それでも昔から「暖色のアグフ」ァ」、「寒色の富士」、「黄色の小西六」「コダック」は覚えていないが、とにかく「赤のアグファ」はなぜか知っていた。今考えると、小津が広めて一般市民がまねしたものであったのかもしれない。「アグファは赤がいい」とは・・・・父親が言っていたことを聞いたものであった。d0063263_9334551.gif

そのアグファも残念なことに倒産、現在会社更生法適用申請中だとか。
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by noanoa1970 | 2005-07-29 06:30 | 小津安二郎 | Comments(0)

「彼岸花」の「赤」

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昔から赤が好きだった。だから僕が「赤の色を好くやつは天才か気違いのどっちかですよ」といったら、「どっちだい、俺のは」と言っていたけれどもね。・・・・「厚田雄春」が小津安二郎を語った言葉である。「厚田」は小津組のカメラ担当であった。

「彼岸花」は1958年、小津の初めてのカラー作品である。よほどカラーで映画を作ることがうれしかったのか、いたるところに自己主張する「色」が登場する。しかしこの映画のタイトル「彼岸花」は例によって、どこにも登場しない。
「彼岸花」はきっと何かの象徴だと思うが、今ひとつピンと来るものがない。
「彼岸花」別名「曼珠沙華」は体内時計を持っていて、彼岸のある時期に、ほぼ一斉にその瀟洒な「赤」・・・「白」いものある・・・を咲かせる。しかし彼岸花が咲くのは、あぜ道など・・・いわばわき道である。
調べてみると
花と葉を同時に見ることはできない。 葉のあるときには花はなく、花のときには葉がない。 このことから韓国では「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味から「サンチョ(相思華)」と呼ぶ。別名 「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ) ”天上の花”という意味。
おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天からふってくるという仏教の経典による 。

道の辺(へ)の いちしの花の
灼(いちしろ)く 人皆知りぬ
わが恋ふる妻」 万葉集
(いちしの花=彼岸花、といわれる)

どうしてこの話のタイトルが「彼岸花」なのかは謎であるが、ここは密やかな自己主張の象徴の「赤」=「彼岸花」と、単純にしておこう。
原作は「里見淳」であるから、そちらに聞くほうが妥当であるが・・・・
しかし「里見淳」なら彼岸花にまつわる寓話などを知っていた可能性大である。
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by noanoa1970 | 2005-07-28 07:28 | 小津安二郎 | Comments(0)

小津安二郎「彼岸花」の「赤」

「色があって、色がないかのごとく色がないようにして、どこかにある
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この夏小津監督の作品を改めて見ることにした。
最初は、初カラー作品の「彼岸花」で有る。しばらく作品の中に占める「赤い色」について書いてみることにした。
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by noanoa1970 | 2005-07-27 08:03 | 小津安二郎 | Comments(0)

本当に有った「怖い話」最終回

はたしてその鑑定結果は如何に!!
その霊能者が言うことには、「車に霊がついている」それも複数の霊が・・・・と。
霊能者の質問に、車の持ち主であるBが言うには、その車で、この1月解禁されるとすぐに父親と一緒に岐阜県の飛騨地方に「狩猟」に行ったという。
霊能者は、その際に「飛騨川のバス転落事故」で亡くなった人たちの霊がたくさん車について、助けを呼んでいるのだと・・・・。
この事故は史上最大のバス事故で、100人以上が亡くなり、助かったのはわずか3人だけという悲惨な事故であった。事故にあったのは、乗鞍岳登山目的の観光客で、主婦とその家族が中心だったという。夏休みだから、子供も多かったことだろう。ほとんどが行方不明のままであった。
Bが41号線を走り、飛騨地方に「狩猟」行ったのは、バス転落事故があってから半年ほどのときだったという。この「狩猟」という行為もよくなかったらしい。

「霊」は、きっと自分の存在を知らせるために、電気をつけたり、寒い中2度も現れたり、ボンネットを開けたりしたのだろうという結論とともに、彼らは、改めて霊能者から祈祷をうけ、お守りをいただいたという。そして友人の首にぶら下がっているそのお守りを小生に見せたのである。

小生の友人の友人Bは、東京に帰るや否や父親にこのことを話して、すぐに車を手放したという。

さあ・・・皆さんはこの話、どう思われるでしょうか?集団で小生を「担いだ」のでしょうか?
小生には、そのときの彼らの悲壮な顔からして、そうだとは決して思うことが出来ないのである。またそれにしては手が込みすぎていて、誰かがキチンとプロデュースでもしない限り、すぐにばれてしまうと思うのだ。もし誰かのプロデュースだとすれば、彼らは全員名プレーヤー、迫真の演技は、映画でも見たことも聞いたこともないほどだったのである。

嘘のような話であるが、・・・・・でもこれは本当の話なのです。

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by noanoa1970 | 2005-07-26 07:52 | 怖い話 | Comments(0)

本当に有った「怖い話」続き物その7

一時は小生もパニックになったのだが、 月日はそんなことがあったのを忘れさせてくれるぐらい、急いで過ぎ去った。あの「幽霊騒動」は小生を担ぐために、全員で仕組んだ芝居ではないかという思いが強くなり、それにしてはたいした演技力なので、彼らが本気でそう思ったのかもしれない。という思いは、だんだん薄れていったのであった。
小生が「女」を見たのは1回のこと、電気が点いているのを見たのもたった1回、奈良での出来事は体験してないのだから、彼らの恐怖のリアリティはなかった。

それから半年がたち、夏休みに東京の友人が再び京都にやってきた。
話のついでに、その友人に「あのときの幽霊騒動は、小生を担ぐために仕組んだのだろう」とぶつけてみた。「いやいやすまんチョットだけと思っていたのだが、話が大きくなって、収拾がつかなくなってね・・・・」・・・てっきりそういう答えが返ってくるものと思っていたが、しかしそうではなかった。

「実はアレからまだいろいろあって」・・・・といいにくそうにしている。
しつこく聞くと、やっと話し始めた。

京都から宝塚に向かう高速道路で、いきなり車のボンネットのロックが外れ、ボンという音とともに、ボンネットがあいてしまう。それが何回もあったというのだ。空気が入り込んで、ボンネットがガタガタと音を立てるので、何回もボンネットを閉めなおしながら走ったと・・・。

車の持ち主で運転手のBはパニックとなったが、交代で運転をして漸くたどり着いた宝塚で、霊能者=祈祷師にお願いすると・・・・・恐ろしいことが分かったというのであった。
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by noanoa1970 | 2005-07-25 06:45 | 怖い話 | Comments(0)

懐かしの味・・知られざる「うなぎ」の名店

もうすぐ「うなぎ」の日である。しかし我が家ではこの「土用の丑の日」に「うなぎ」を食べる習慣はない。
・・・・というよりも食べ物に関する「○○の日」を仕掛けた、江戸時代の有名な元祖・・・・今生きていれば、優秀な広宣マンとして大活躍であったろう、その元祖宣伝マンの仕掛けに乗りたくないからである。何でもそうであるが、一時に集中することでよかったためしがないのだから、この「丑の日」のために「食材の吟味」が犠牲にされ、焼きたてが犠牲にされ、中には自前でウナギを裂かずに、あらかじめ串にさした状態の冷凍モノを使うところも出てくるる。どうも「夏の土用の丑の日」の前後に「うなぎ」を食べるのはやめにしたほうが無難である。「土用」は他の季節にもあるのだから、この日だけに集中することはどう見ても得策でない。

万葉の頃、「大伴家持」が「ウナギを食べて健康になろう」という趣旨の歌を詠んだという記録があるが、「土用の丑の日」に「うなぎ」とは、江戸時代のアイデアマンで発明家でもあり、からくり、エレキで有名な人、または「狂歌」で名高いお方などが、一説によると・・・・夏場に不振の「魚業界」を救うために考案した・・・といわれるが、しかしそれにはキチンとした理屈が存在し、小生は「二十四節季(気)」「七草粥」というような風情を感じる。
ところがどうだ、29日は「肉の日」11日が「麺の日」と来た日には、なんの季節感もなく、何の風流も風情も、ひねりも、ウイットもありゃしない、日本人の貧困な発想の極致が見えてしまって情けない。「うなぎの日」仕掛け人は、「平賀源内」という説も「大田蜀山人」という説もある。
さて話を「うなぎ」に戻そう。
小生の実家は東海道の「鳴海宿」・・・現在の名古屋市緑区鳴海町宿地・・・というところにあった。東海道の鳴海商店街の一角に、一件の「うなぎ屋」がある。
この店は小生が幼い時ににすでにあったからかなり古くからある店だ。
比較的淡白に仕上げたウナギの味と、なによりいまだに心に強く残っているのは、「ごはん」の熱いことで、出前のときでも変わらない、その炊き立てのような「ごはん」の熱さには、いつも驚いた記憶がある。

先月やっと15年ぶりにその懐かしの「浅野屋」に行ってみた。ここの「うなぎ」は三河一色産でその一色産のうなぎを使用している店はとても多いと聞く。食べてみると昔の味と全く変わってなく、小ぶりの「うなぎ」を丁寧に「吟味」して仕入れたのであろう、養殖うなぎにあるいやな脂の味など全くない、よそのウナギ屋のように大きく分厚くもない。そのウナギは、直焼きのせいだろうか、食感がクリスプで、噛むとシッカリした味と、程よい脂の香りが立つ。「天然うなぎ」のように歯ざわりも良い。

そして「ごはん」が熱いことは今なお健在であった。これは今のご時世だから、ほとんど期待していなかったことであったが、それを長い間守り通して来てくれたのには、頭が下がる思いであった。
帰り際に大きな厨房を覗いて、「ごはん」がいつも熱いわけがやっと分かった。調理台には家庭で使うくらいの大きさの、ガス炊飯器が5台ほど並んでいて、店の「おばあさん」がご飯の係りを専門に担当して入り。そして常に炊き立てを出すことが出来るように、頃を見て何度も炊き変えているのであった。いったいどこの「うなぎ屋」にそのようにしてまで、出来立てを供する努力をしているところがあろうか。ほとんど全てのお店が、電子ジャーの世話になっているのが現状ではないか。

近くに割烹料亭が別館でやっているウナギ屋があるのだが、焼いたウナギを盛るために、焼き場から厨房へと長い距離を運び、ご飯も明らかに保温してあるものであるから、客前に持ってきたときには何の躊躇もなく、ぬるいお茶漬けをすするように食べることができる温度になってしまっている。、なにより、うなぎの脂がもう少しで凝固しそうなネットリした感触を味わってしまい、2度と行かない店の烙印を押して帰ってきた覚えがある。

「浅野屋」は一見簡単そうであるが、非常に手間暇かかるので継続することが一番困難なことを、半世紀以上も続けているのである。「うな丼」を一番美味しく食べるその秘訣を分かって、代替わりしても伝統として守っている。こういう店を「老舗」というのではなかろうか。
「ひつまぶし」で有名な、熱田神宮」の近くにある「うなぎ屋」などは、「うな茶」で「ごはん」が冷めているのを補っているように思ってしまうのである。
やはり「うな丼」は熱々をフウフウ言ってほうばるのが良い。

メニューはいたってシンプルで、安価

うなぎの
「浅野屋」
緑区鳴海町字相原27
TEL 052-621-0457
並うなぎ丼(吸物付き)/¥1,380
上うなぎ丼(吸物付き)/¥1,480
特上うなぎ丼(吸物付き)/¥1,890
上長焼ごはん(吸物付き)/¥1,480
特上長焼ごはん(吸物付き)/¥1,890
長焼/¥1,430

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by noanoa1970 | 2005-07-24 07:30 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)