カテゴリ:徒然の音楽エッセイ( 860 )

池内友次郎、弦楽四重奏「プレリュードとフーガ」

本日は多忙のため、これをUPするにとどまってしまいます。
追って何か書く予定です。

池辺友次郎は山田より20年後に生まれている。
山田がドイツ留学をしたのに対し、最初のフランス留学組みの重鎮である。
しかも、山田が三年しか留学してないにもかかわらず、10年間の長きに渡りパリ音楽院で学んだ。

俳人・高浜虚子の次男であるという情報は、1960年代中頃にはどこにも記されてなく、最初に出たこの「日本の弦楽四重奏曲」のプロフィールにも書いてなかった。

音楽とは関係のない話なので必要がないというえばそうなのだが、彼は俳句もこなしたそうであるらしいから、何らかの形で作品には関係性があるものと思われる。

俳句のことはよく知らないのだが、季語の持つ奥深さ、五七五と言う形式にこだわったところ、
の言葉の奥にあるものの表現無くしては成り立たないであろうことは、この時代の作曲に通じるところ多いとみて良いかもしれない。
俳句は感性が形式の中に横溢されるものと言ウノは、あながち間違ってはいまい。

池内がフランスで接したのは、恐らくこの曲からすると、印象派やラヴェルのみならず、彼らよりも少し古い、例えばサン=サーンス、フランク、フォーレあたりもそうではなかったかということを想像させる。
新古典主義といわれるもの、印象派象徴主義を学ぶ機会は多かったに違いない。

1927から1937というとフランス近代音楽の花が素晴らしく咲き出す時期で「六人組」の時代と大いにかぶる。
他の作品を聞かないでは一概に言えはしないが、この曲の持つものは、フランス前近代の音楽との類似点が多い。
半音階的和声、循環形式、対位法を上手く取り込んだ曲であるが、そこはかとないロマン的情緒が漂う曲で、やはり印象派以後ではなくそれ以前の名残が強いようだ。
フォーレの「夢の後に」を彷彿させるようなところも確かにある。

全貌を網羅して聞かずに言うのはいけないことと承知であえて言えば、彼の門下生には、小倉朗、別宮貞雄、松村禎三、黛敏郎、間宮芳生、林光、矢代秋雄、三善晃などがいるが、彼らの音楽にはフランス音楽以外の影響が強いと思うものが有る。

推測で申し訳ないが、池内がフランスで学んだ主なものは、ドイツでも学べたのではないかと思うぐらい古典的手法の曲なのに対し、当たリ前のことだが、門下生は先生を乗り越え、近代和声から近代フランス音楽が影響したあるいは影響された音楽にまで発展して学んでいるようだ。

それでも彼らの音楽より池内が好みなのは、耳慣れた古くからの音楽語法に有るのだろう。
日本的なものは何ひとつないように聞こえるが、そうではなく、自己創造の日本というものが存在するように聞き取れることが有る。

民謡の引用が盛んになる前のこと、山田も彼も西欧の音楽語法は真似ていても、聴こえてくるのはオリジナルの音楽である。

池内には100句集がありネット上に有ることをAbendさんから教わったので今全て読んでみました。

「はいまわる五色の火蛾や楽譜書く」
「短夜のパリーが好きで何時発つや」


上の2句を上げておくことにします。
父親というより、正岡子規に近く、自由律の俳句に通じるような素振りが有るように思います。

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by noanoa1970 | 2013-01-19 17:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

伊福部昭「日本狂詩曲」

狂詩曲はラプソディーを日本語訳としたものだが、この訳は面白いがどうも的を得てはいないように思う。
誰がこれを使って定着にさせたかはわからないが、その本来の意味は民謡を素材とした・・一種の交響詩や変奏曲などの必ずしもソナタ形式にとらわれない自由な小曲ということなんだろう。

伊福部さんのこの曲にも狂詩曲という言葉が使われているが、上に上げた要素を含んだ音楽で有ることはまちがいのないこと。

1937年作曲ということで、しかも彼の初本格的管弦楽作品。
いつもそうなのだが外国で評価されて初めて国内でも評価されることが多いが、この作品もまさにそうであった。伊福部は音楽学校とは無縁、偉い先生についたことも、後人たちがドイツやフランス留学で箔をつけたのとは異なり、自学で作品を作った言わば在野の音楽家だ。

アメリカの指揮者の依頼で作った音楽が評価され、それでチェレプニン賞に応募した結果、「素材とインスピテレーションの豊富さ、巧みさ、それに加えて真の民族性がある」と言う事で、審査員のルーセル、イベール、オネゲル、タンスマン以下総勢8人から絶賛を浴び一位に輝くことになった。

「一風変わった勉強をしながら、自己の音楽的才能によって、この作品を書くことが出来たのは、驚嘆に値する」とランドフスキーが講演で述べ、レイボヴイッツもこの作品について触れてたという。
それだけヨーロッパで評判になった作品だが、やはりチェレプニン賞の力は大きい。

伊福部はようやく日本の音壇に登場することになり、彼を慕って後の日本の音楽を担う逸材も集まった。
彼らは大概非アカデミズムの人たちだ。

日本の近現代音楽界は大きく分類すると、アカデミズム派と非アカデミズム派があり、アカデミズム派の中ににドイツ派とフランス派が存在するという構造となるように思う。

非アカデミズムの代表はなんといっても伊福部と武満。
フランス派と、ドイツ派の音楽は、これから作品を通じて実感して行きたい。
この音盤を入手した学生時代は、聴いていた音楽もたかが知れてるから、そう言われてもピンとはこなかった。
都合よく「日本の弦楽四重奏」と題した音盤が手元にあり、彼らの作品を比較しながら聞くことができる。
山田耕筰、池内友次郎、小倉朗、三善晃、間宮芳生、安倍幸明、高田三郎、黛敏郎、の弦楽四重奏が収録されたものだ。矢代秋男は別音盤で有る。

西欧音楽後進国の日本から見れば、1930年代から50年代はこの2国がイニシアティヴを握っていたことが伺えるが、ある意味では当然のことだ。
印象派以降の仏音楽、12音前後のドイツから多くを学び取るべく留学したのだと思うが、なぜかイギリス&アメリカに眼が向かなかったのは幸か不幸だったのか。

音楽後進国ながらも優秀な音楽家たち多くを受け入れ、他のジャンルの音楽も素材として活用したアメリカ音楽、そして自国の民謡を大切にしながらも近代音楽語法と匠に融和させたイギリス、それらから学ぶことは多かったろうに。
こういうドイツ&フランス偏重主義もアカデミズムの欠陥だといって良いのかもしれない。


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by noanoa1970 | 2013-01-16 10:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

伊福部昭の「交響詩譚」

本来ならば、彼の初作品で、チェレプニン賞第1位に輝いた「日本狂詩曲」をと思ったのだが、土俗的で面白いには面白く、まるでゴジラの映画音楽のようなオスチナートで溢れているが、どうしてもゴジラの音楽とリズムが被ってしまう。
よって小生はこちら「交響詩譚」が好みである。

2つの楽章にわかれていて1楽章は「田植歌」のような感じのフレーズを引用ではなく自作?し、稲を植えるときの、動作をリズムと一緒に表現しているようなところを入れ込んでいる。
さきに「七人の侍」のラストシーンを彷彿させるといった音楽よりも強くあのシーンガ浮かんでくる。

2楽章ではよく耳にする民謡が引用されていると思うが、それが何かといえば「会津磐梯山は・・・・」であろう。北の方の民謡が引用されたと解説にあるが、はっきりしたことではなかろうか。
一緒に、他の民謡(ちゃっきり節のように聞こえる)も対旋律を奏でるので、引用元の言及を避けたのだろうか。
伊福部本人は、1楽章でリズムを、2楽章ではメロディーを重点にしたというが、リズム感は両方共に強い。
それがくり返されるのが伊福部の特徴の一つであろう。

「日本狂詩曲」は、国内ではひどい仕打ちにあったそうだが、外国で評価が定まると、それで初めて伊福部は楽壇に登場できたという。
北大という音楽非派閥の出自だからこういうことは日常茶飯事だったのだろう。
チェレプニン賞の審査員には、ルーセル、イベール、オネゲル、やけに仏音楽の有名人が多いように思うが、
計8名の審査でチェレプニン賞第1位になったのが1935年。
第2次対戦前のことで良かったと思う。
在野の音楽家だから成し得た業績と称賛され、かのレイボヴィッツもこの曲に対して論評したほどだそうだ。

アレだけこれでもかこれでもかというふうに、同じリリズムパーターンを繰り返しつつ、少しづつ変化していくさまは、ストラヴィンスキーとは違った方言で満ちていて、ものすごい印象度を与えるにふさわしかっただろう。

次回は「日本狂詩曲」UP予定。


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by noanoa1970 | 2013-01-15 16:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

間宮芳生、合唱のためのコンポジションから「鳥獣戯画」京都初の想い出とともに

鳥獣戯画は最初に下宿した最初に見に行ったものであるから、想い出とともに語ってみることにした。

間宮自身の解説の中に、《曲の中に基本的に重要なエレメントとして民俗音楽または仏教音楽からの引用がいくつかある。第1楽章には、華厳宗の声明(しょうみょう)、つまり東大寺二月堂のお水取りの法要のうた、第2楽章に愛媛の田の草取り唄、そして第4楽章に新潟の綾子舞のうた》

3楽章に触れてないのは、民族音楽でも仏教音楽でもないからなのか。
それはともかく、鳥獣戯画は京都の高山寺にあり、1967年3月京都に下宿生活をした直ぐにでかけて行った。長い階段を息を切らせて登って行き、鳥獣戯画を拝見したことを、覚えているが、動物がいっぱい出てきて、マンガチックだなと思ったぐらいで、世相風刺を込めたものなどとは理解できなかった。

有名だからと友人と出かけたまでで、当時はこういうものには興味がわかずに、寺に行っても宗派ど関心もなく、庭の見方・・・借景なんていうものは意味もわからない状態だった。

それが急激に変化してゆくのが「白沙村荘」で過ごした4年があったからだった。
白洲正子さんともお会いしたこともあるし、長山藍子が酔っ払って管を巻いたのもここだった。

脚本家依田義賢さんは、毎晩白沙村荘の「お菜ところ」に飲みに来て、我々バイト仲間とも昔の歌をうたったりした。彼の名前は、酔うた機嫌からつけたという話も聞いた。

陶芸家の小山富士夫さんには小生が料理を作ってお出ししたこともあった。
魯山人の本物を見たのも白沙村荘。
関雪の絵もさすがだが、ここに集まるメンバーと言ったらそれはすごい人たちばかり。
相国寺、銀閣寺の住職もよくお酒を飲みに来ていた。

1967年の白沙村荘の「お菜ところ」は関節の息子の嫁が担当していた関係で、旧来の知人たちが集まってくる場所となった。
関雪の息子節哉下相当なもので、祇園で毎晩のように遊んでいたというから凄いものだし、交際の範囲も広く、江戸川乱歩も白沙村荘に寝泊まりしたことがあり、一緒に谷崎潤一郎の潺湲亭を訪問したという。
谷崎と関雪の、結びつきは強く関雪の孫娘が谷崎家に嫁に入ったからである。

それにしてもあの時代日本画壇で有名とはいえ、銀閣寺の傍に3000坪の敷地と広大な庭、そして4つも茶室を持ち、中国から石像を運び、鎌倉時代のものなど数知れず、個人収蔵品の中には古代ペルシャのガラスのうつわや古代ローマの収集品まで有る。
そんなことことが可能だなんて、たいていの画家は生きているうちは貧乏だったように聞くから、大したものである。

バイト仲間で麻雀をすることがあったが、部屋は誰も入らないような2階の小さな部屋、そしてマージャン牌なはなんと象牙の下駄牌だったから驚くことしきり。
しかしこういう家があるのだということを深く知ってからは、なにがあっても驚くことは少なくなった。

まるで良き時代のサロンと言う感じであった。
まだ行かれてない方のために写真を幾つか。
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by noanoa1970 | 2013-01-14 21:11 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

間宮芳生「合唱のためのコンポジション」から「子供の領分」

「姉三六角蛸錦・・・・」が入ってるはずだと聴いてみたが、思い違いだったようで、「子供の領分」という副題が付いている間宮芳生さんの「合唱のためのコンポジション5番」には入ってなかった。

「子供の領分」は、各地の戦前戦後の童歌を、近代風の音楽に乗せて、少年少女合唱で歌わせている。
日本語の持つ音楽性ということに対する間宮の研究はかなり熱心だったようで、囃子言葉や声明に及ぶフィールド収集の結果、日本語の持つ音楽性を、単にメロディーラインに乗せるというよりも、抑揚とリズムを導き出したようだ。

知っているものも有れば知らないものも、歌詞が変更され伝えられたものもある。
小学校低学年の夏、京都の祖母のところに10日間いたことがあって、隣近所の子供と仲良くなると、ア類比「地蔵盆」だから一緒に集まりに来いと誘いがかかった。
「地蔵盆」という言葉は聞いたことがなかったから何をするのか不安だったが、行って見ると10数人の子供と、大学生ぐらいのお兄さんがいて、皆でゲームをしたり歌ったりするのだった。

そこで初めて聴いたのが「羅漢さんがそろたら回そじゃないか ヨイヤサのヨイヤサ ヨイヤサ・・・」で、手だけで何かを回すふりだけでしたが、本当は数珠を回すとabendさんから教わったことがありました。
同じ調子のものが収録されていますが、歌詞は違っています。
童歌はその節に合わせそれぞれの地方で歌詞が変化していくスピードがより激しいのも、面白い特徴だと思います。

言葉の足し算という、遊びも取り入れ言葉が増えていくのを同じ音の長さの中に閉じ込めるので、必然的に、早口言葉になります。
こういった様々な遊びの要素が童歌にあることに間宮さんは着眼したと思われます。

現在間宮さんが引用した童歌は恐らく大半が生きてはいなく、われわれ世代以上の年代の人の思い出となってしまっているのだろうが、その頃の思い出でと共に聴くというだけでも、今は価値があるようにももう次第。

次回UP予定の「鳥獣戯画」では、ジャズのイディオムを取り入れて、平安期の絵巻物とそこから連想されるものを融合させてみた。
そこからは庶民の暮らしぶりや僧侶の堕落の様子、それらを風刺しからかう視点、それらから伝統的歌謡や宗教音楽のリズム、高揚感を引用し生き生きとする曲に仕上げた手腕は見事だ。



以下は高石ともやとナターシャセブンによる京の童歌。

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by noanoa1970 | 2013-01-14 16:13 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

ドデカフォニーを雅楽に取りれた音楽

松平さんは、先の柴田南雄さん同様12音技法を取り入れた一人である。
「越天楽」を主題とする変奏曲にそれを応用し使用した。
楽器の音程があ揃わないところからくる微妙な音のズレは西洋音楽と違いおとのモアレのようで、それが美しい響きを出す。

雅楽演奏の特徴は開始の音より少し低い音でせり上がってその音にするが、多分これは楽器の持つ特性・・ジャストな音程調性が困難なことから、探るようにして音程を合わせるということであろうと思う。

各楽器の音程が違うのは、発展させると多調、無調にも通じるところがあるのではないだろうか。
そしてこれは雅楽の特徴を西欧風に言うところのヘテロフォニーの発展系でもあるのではないか。

この楽曲は変奏曲だから、全てが12音技法で作られてるのではないから、非情に聴きやすいと同時に、雅楽の調性が段階を踏むに連れ12音とマッチングしていく様子がよく分かる。
日本の古来の音楽に無理やり技法で捻じ曲げよう、あるいはミ融合しようとしたことより、雅楽のヘテロフォニーとドデカフォニーの相性に目をつけた松平さんは鋭い。

第3変奏から12音が使用されるが、最初の主題はいつもついて回り、頭で考えた理屈の12音ではなく、音楽性が有るのがこの曲の良い所だ。

西欧の12音主義者のように捏ね繰り回したやり方では、たまに偶然的にしか美しい物にはならない。
12音技法は音楽のためのたった1つの技法にしか過ぎないから、使いようが求められる。

変奏曲としながらも、決して最初の主題を忘れることのない松平さんの手法は鋭いシナジー効果を発揮したようだ。

B面には「催馬楽によるメタモルフォーズ」、これも変奏曲の一種だが、収録されている。

演奏は山田和男指揮東京交響楽団、ピアノは窪田江美子
第19回芸術祭参加とあるので1964年以前の録音であろう。


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by noanoa1970 | 2013-01-13 16:41 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「横丁のサリー」ベートーヴェン編&ブリッジ編&ロック編

「sally in our alley」はブリテン諸島の有名な古謡である。

スコットランドやアイルランドに、古くから伝わってきたもので、ベートーヴェンの時代にはすでにあった。
委託作品として、ベートーヴェンは25のスコットランド民謡を編曲した。
その最後の曲が「横丁の、サリー」。
サリーは女生の名前でもあり「柳」のことでもある。
他にもベートーヴェンは、アイルランド民謡の編曲もこなしている。

近代イギリス音楽の作曲家の中でも、美しいメロディーを作るフランク・ブリッジは、この古謡を弦楽合奏に編曲した。

18世紀と20世紀の両者の違いの比較は面白く、下にはロックになったものも上げてみた。
両者を聴き比べてみたい。

ブリッジ編の次がベートーヴェン編。


ロックにもなっている。
ビートルズ、いやフェイセズのメロディラインのようで、イギリスのロックバンドの古謡からの影響は、こういうことからもよく窺える。

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by noanoa1970 | 2013-01-13 14:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

シルヴェストリの新世界・・新旧

瀑演指揮者とされたことがあるシルヴェストリ、日本に来てN響を振ったこともあり、よく知られた人だ。
かつてのクラシック専門掲示板で、この人の新世界に2種類の演奏があり、同じ管弦楽団を指揮し、両方共に仏ディスク大賞をもらっってることから、同じ演奏だという意見と別物であるという意見があった。

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このモノーラル音盤は何処かの輸入全集版の一部らしくオリジナルジャケットでなく非常に簡素化されたもの。オリジナルジャケは動画につけたもの。

一方はモノーラル、もう一方はステレオ盤だが、12年前のその当時聞けるのはステレオ盤のみという状態だから、小生は真偽を確かめるべくネットでモノーラル盤を探して入手して聴いてみると、明らかに演奏は別物だった。
例えて言うならば、フリッチャイの新旧の新世界のように違っていて、2年間の差でよくぞこれだけの差が出るものだと感心することしきり。

掲示板で応答すると、有る方から頂いたのが、両方収録されたCD-R、小生がモノーラル版を入手した直後だったが、こちらのほうが比較するのは容易で実にありがたいこと。
掲示板では恐らく最長老で紳士、12.3年前に60を過ぎていらしたから、今は70を超えていると思う。

面白いのは序奏が終わってホルンの合図で次に行くところのホルンの吹き方で、モノはポポーでステレオはポッポーだったこと。
ある人によると、このポポーはプラハ版の楽譜によるものだそうだが、シルヴェストリは、プラハ版より先にそのスタイルでやっている。シルヴェストリは楽譜を検証研究することも得意だったようでドヴォ8でも、アーノンクールが初めてやったように言っている人が多いが、シルヴェストリは先駆けてやってしまっている。

モノーラル盤は小生手持ちの音盤の状態が良くなく、雑音が酷く入るので、かつての掲示板で知り合った長老から頂いたものをUPすることにした。

大変気帳面な方で、録音データ、当時のジャケット、そしてレーベルまでCD-Rを作っていただいた。モノーラルとステレオ2種類が1枚に収録されたものだ。
それをお借りして今回1楽章を新旧でUPした。

以下の録音データが記してあった。
音盤の状態も良いのだろうが、CDレコーダーはいいようだ。
コンスタンティン・シルヴェストリ/フランス國立放送管弦楽団
ドヴォルザーク交響曲9番「新世界より」
①anjel日本初出LPより・モノーラル・音源録音1957.7.9&12
②CDステレオより・音源録音1959.10.20
CDレコーダーYAMAHACDR-HD1300使用。
オルトフォンSPU-G-GOLD、U-BOROS-5トランス増幅


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by noanoa1970 | 2013-01-13 12:36 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

尾高尚忠、フルート協奏曲2種+1

どちらが好みだろう。
西洋人と日本人の違いがあるように感じるが・・・・

1668年5月録音。森正指揮、読響、ジャン・ピエール・ランパルfl


1960年録音、岩城宏之指揮、N響、吉田雅夫fl


1969年再発盤、岩城宏之指揮、N響、吉田雅夫fl
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by noanoa1970 | 2013-01-12 20:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

矢代秋雄「交響曲」

「日本人初の交響曲らしい交響曲」、そういった人がいたが、小生の耳にはそうは思えない。
1つのテーマを様々な形で変化させていってまた戻ってくるという循環形式的な音楽で、祭りのお囃子の太鼓をモチーフにして、それをデュティーユあたり(真っ先に浮かんだ)の和声の使い方と、近代末期の新古典主義的音楽語法によって完成したような気がする。
ソナタ形式とは考えにくく、「交響曲らしい交響曲」の意味がよくわからないが、それはともかく、日本のリズムを使って入るが、それ以外は日本的なものは感じにくい音楽で、矢代秋雄の場合は日本的という民族主義的なものからは遠い存在であったのかもしれない。
しかしチェロ協奏曲のように、日本情緒が時折顔を出すこともあって、自分の作風がまだ固まらないうちに早世してしまったようだ。
評価スべきは、リズム変化が非情に面白く、よく練られた曲であると思う。
プロコと同等以上のものに思えることがある。

(youtubeに誤って岩城宏之指揮N響としたが、渡邉暁雄指揮日フィルのまちがいでした)

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by noanoa1970 | 2013-01-12 12:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)