カテゴリ:徒然の音楽エッセイ( 859 )

伊福部昭の「交響詩譚」

本来ならば、彼の初作品で、チェレプニン賞第1位に輝いた「日本狂詩曲」をと思ったのだが、土俗的で面白いには面白く、まるでゴジラの映画音楽のようなオスチナートで溢れているが、どうしてもゴジラの音楽とリズムが被ってしまう。
よって小生はこちら「交響詩譚」が好みである。

2つの楽章にわかれていて1楽章は「田植歌」のような感じのフレーズを引用ではなく自作?し、稲を植えるときの、動作をリズムと一緒に表現しているようなところを入れ込んでいる。
さきに「七人の侍」のラストシーンを彷彿させるといった音楽よりも強くあのシーンガ浮かんでくる。

2楽章ではよく耳にする民謡が引用されていると思うが、それが何かといえば「会津磐梯山は・・・・」であろう。北の方の民謡が引用されたと解説にあるが、はっきりしたことではなかろうか。
一緒に、他の民謡(ちゃっきり節のように聞こえる)も対旋律を奏でるので、引用元の言及を避けたのだろうか。
伊福部本人は、1楽章でリズムを、2楽章ではメロディーを重点にしたというが、リズム感は両方共に強い。
それがくり返されるのが伊福部の特徴の一つであろう。

「日本狂詩曲」は、国内ではひどい仕打ちにあったそうだが、外国で評価が定まると、それで初めて伊福部は楽壇に登場できたという。
北大という音楽非派閥の出自だからこういうことは日常茶飯事だったのだろう。
チェレプニン賞の審査員には、ルーセル、イベール、オネゲル、やけに仏音楽の有名人が多いように思うが、
計8名の審査でチェレプニン賞第1位になったのが1935年。
第2次対戦前のことで良かったと思う。
在野の音楽家だから成し得た業績と称賛され、かのレイボヴィッツもこの曲に対して論評したほどだそうだ。

アレだけこれでもかこれでもかというふうに、同じリリズムパーターンを繰り返しつつ、少しづつ変化していくさまは、ストラヴィンスキーとは違った方言で満ちていて、ものすごい印象度を与えるにふさわしかっただろう。

次回は「日本狂詩曲」UP予定。


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by noanoa1970 | 2013-01-15 16:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

間宮芳生、合唱のためのコンポジションから「鳥獣戯画」京都初の想い出とともに

鳥獣戯画は最初に下宿した最初に見に行ったものであるから、想い出とともに語ってみることにした。

間宮自身の解説の中に、《曲の中に基本的に重要なエレメントとして民俗音楽または仏教音楽からの引用がいくつかある。第1楽章には、華厳宗の声明(しょうみょう)、つまり東大寺二月堂のお水取りの法要のうた、第2楽章に愛媛の田の草取り唄、そして第4楽章に新潟の綾子舞のうた》

3楽章に触れてないのは、民族音楽でも仏教音楽でもないからなのか。
それはともかく、鳥獣戯画は京都の高山寺にあり、1967年3月京都に下宿生活をした直ぐにでかけて行った。長い階段を息を切らせて登って行き、鳥獣戯画を拝見したことを、覚えているが、動物がいっぱい出てきて、マンガチックだなと思ったぐらいで、世相風刺を込めたものなどとは理解できなかった。

有名だからと友人と出かけたまでで、当時はこういうものには興味がわかずに、寺に行っても宗派ど関心もなく、庭の見方・・・借景なんていうものは意味もわからない状態だった。

それが急激に変化してゆくのが「白沙村荘」で過ごした4年があったからだった。
白洲正子さんともお会いしたこともあるし、長山藍子が酔っ払って管を巻いたのもここだった。

脚本家依田義賢さんは、毎晩白沙村荘の「お菜ところ」に飲みに来て、我々バイト仲間とも昔の歌をうたったりした。彼の名前は、酔うた機嫌からつけたという話も聞いた。

陶芸家の小山富士夫さんには小生が料理を作ってお出ししたこともあった。
魯山人の本物を見たのも白沙村荘。
関雪の絵もさすがだが、ここに集まるメンバーと言ったらそれはすごい人たちばかり。
相国寺、銀閣寺の住職もよくお酒を飲みに来ていた。

1967年の白沙村荘の「お菜ところ」は関節の息子の嫁が担当していた関係で、旧来の知人たちが集まってくる場所となった。
関雪の息子節哉下相当なもので、祇園で毎晩のように遊んでいたというから凄いものだし、交際の範囲も広く、江戸川乱歩も白沙村荘に寝泊まりしたことがあり、一緒に谷崎潤一郎の潺湲亭を訪問したという。
谷崎と関雪の、結びつきは強く関雪の孫娘が谷崎家に嫁に入ったからである。

それにしてもあの時代日本画壇で有名とはいえ、銀閣寺の傍に3000坪の敷地と広大な庭、そして4つも茶室を持ち、中国から石像を運び、鎌倉時代のものなど数知れず、個人収蔵品の中には古代ペルシャのガラスのうつわや古代ローマの収集品まで有る。
そんなことことが可能だなんて、たいていの画家は生きているうちは貧乏だったように聞くから、大したものである。

バイト仲間で麻雀をすることがあったが、部屋は誰も入らないような2階の小さな部屋、そしてマージャン牌なはなんと象牙の下駄牌だったから驚くことしきり。
しかしこういう家があるのだということを深く知ってからは、なにがあっても驚くことは少なくなった。

まるで良き時代のサロンと言う感じであった。
まだ行かれてない方のために写真を幾つか。
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by noanoa1970 | 2013-01-14 21:11 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

間宮芳生「合唱のためのコンポジション」から「子供の領分」

「姉三六角蛸錦・・・・」が入ってるはずだと聴いてみたが、思い違いだったようで、「子供の領分」という副題が付いている間宮芳生さんの「合唱のためのコンポジション5番」には入ってなかった。

「子供の領分」は、各地の戦前戦後の童歌を、近代風の音楽に乗せて、少年少女合唱で歌わせている。
日本語の持つ音楽性ということに対する間宮の研究はかなり熱心だったようで、囃子言葉や声明に及ぶフィールド収集の結果、日本語の持つ音楽性を、単にメロディーラインに乗せるというよりも、抑揚とリズムを導き出したようだ。

知っているものも有れば知らないものも、歌詞が変更され伝えられたものもある。
小学校低学年の夏、京都の祖母のところに10日間いたことがあって、隣近所の子供と仲良くなると、ア類比「地蔵盆」だから一緒に集まりに来いと誘いがかかった。
「地蔵盆」という言葉は聞いたことがなかったから何をするのか不安だったが、行って見ると10数人の子供と、大学生ぐらいのお兄さんがいて、皆でゲームをしたり歌ったりするのだった。

そこで初めて聴いたのが「羅漢さんがそろたら回そじゃないか ヨイヤサのヨイヤサ ヨイヤサ・・・」で、手だけで何かを回すふりだけでしたが、本当は数珠を回すとabendさんから教わったことがありました。
同じ調子のものが収録されていますが、歌詞は違っています。
童歌はその節に合わせそれぞれの地方で歌詞が変化していくスピードがより激しいのも、面白い特徴だと思います。

言葉の足し算という、遊びも取り入れ言葉が増えていくのを同じ音の長さの中に閉じ込めるので、必然的に、早口言葉になります。
こういった様々な遊びの要素が童歌にあることに間宮さんは着眼したと思われます。

現在間宮さんが引用した童歌は恐らく大半が生きてはいなく、われわれ世代以上の年代の人の思い出となってしまっているのだろうが、その頃の思い出でと共に聴くというだけでも、今は価値があるようにももう次第。

次回UP予定の「鳥獣戯画」では、ジャズのイディオムを取り入れて、平安期の絵巻物とそこから連想されるものを融合させてみた。
そこからは庶民の暮らしぶりや僧侶の堕落の様子、それらを風刺しからかう視点、それらから伝統的歌謡や宗教音楽のリズム、高揚感を引用し生き生きとする曲に仕上げた手腕は見事だ。



以下は高石ともやとナターシャセブンによる京の童歌。

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by noanoa1970 | 2013-01-14 16:13 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

ドデカフォニーを雅楽に取りれた音楽

松平さんは、先の柴田南雄さん同様12音技法を取り入れた一人である。
「越天楽」を主題とする変奏曲にそれを応用し使用した。
楽器の音程があ揃わないところからくる微妙な音のズレは西洋音楽と違いおとのモアレのようで、それが美しい響きを出す。

雅楽演奏の特徴は開始の音より少し低い音でせり上がってその音にするが、多分これは楽器の持つ特性・・ジャストな音程調性が困難なことから、探るようにして音程を合わせるということであろうと思う。

各楽器の音程が違うのは、発展させると多調、無調にも通じるところがあるのではないだろうか。
そしてこれは雅楽の特徴を西欧風に言うところのヘテロフォニーの発展系でもあるのではないか。

この楽曲は変奏曲だから、全てが12音技法で作られてるのではないから、非情に聴きやすいと同時に、雅楽の調性が段階を踏むに連れ12音とマッチングしていく様子がよく分かる。
日本の古来の音楽に無理やり技法で捻じ曲げよう、あるいはミ融合しようとしたことより、雅楽のヘテロフォニーとドデカフォニーの相性に目をつけた松平さんは鋭い。

第3変奏から12音が使用されるが、最初の主題はいつもついて回り、頭で考えた理屈の12音ではなく、音楽性が有るのがこの曲の良い所だ。

西欧の12音主義者のように捏ね繰り回したやり方では、たまに偶然的にしか美しい物にはならない。
12音技法は音楽のためのたった1つの技法にしか過ぎないから、使いようが求められる。

変奏曲としながらも、決して最初の主題を忘れることのない松平さんの手法は鋭いシナジー効果を発揮したようだ。

B面には「催馬楽によるメタモルフォーズ」、これも変奏曲の一種だが、収録されている。

演奏は山田和男指揮東京交響楽団、ピアノは窪田江美子
第19回芸術祭参加とあるので1964年以前の録音であろう。


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by noanoa1970 | 2013-01-13 16:41 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「横丁のサリー」ベートーヴェン編&ブリッジ編&ロック編

「sally in our alley」はブリテン諸島の有名な古謡である。

スコットランドやアイルランドに、古くから伝わってきたもので、ベートーヴェンの時代にはすでにあった。
委託作品として、ベートーヴェンは25のスコットランド民謡を編曲した。
その最後の曲が「横丁の、サリー」。
サリーは女生の名前でもあり「柳」のことでもある。
他にもベートーヴェンは、アイルランド民謡の編曲もこなしている。

近代イギリス音楽の作曲家の中でも、美しいメロディーを作るフランク・ブリッジは、この古謡を弦楽合奏に編曲した。

18世紀と20世紀の両者の違いの比較は面白く、下にはロックになったものも上げてみた。
両者を聴き比べてみたい。

ブリッジ編の次がベートーヴェン編。


ロックにもなっている。
ビートルズ、いやフェイセズのメロディラインのようで、イギリスのロックバンドの古謡からの影響は、こういうことからもよく窺える。

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by noanoa1970 | 2013-01-13 14:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

シルヴェストリの新世界・・新旧

瀑演指揮者とされたことがあるシルヴェストリ、日本に来てN響を振ったこともあり、よく知られた人だ。
かつてのクラシック専門掲示板で、この人の新世界に2種類の演奏があり、同じ管弦楽団を指揮し、両方共に仏ディスク大賞をもらっってることから、同じ演奏だという意見と別物であるという意見があった。

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このモノーラル音盤は何処かの輸入全集版の一部らしくオリジナルジャケットでなく非常に簡素化されたもの。オリジナルジャケは動画につけたもの。

一方はモノーラル、もう一方はステレオ盤だが、12年前のその当時聞けるのはステレオ盤のみという状態だから、小生は真偽を確かめるべくネットでモノーラル盤を探して入手して聴いてみると、明らかに演奏は別物だった。
例えて言うならば、フリッチャイの新旧の新世界のように違っていて、2年間の差でよくぞこれだけの差が出るものだと感心することしきり。

掲示板で応答すると、有る方から頂いたのが、両方収録されたCD-R、小生がモノーラル版を入手した直後だったが、こちらのほうが比較するのは容易で実にありがたいこと。
掲示板では恐らく最長老で紳士、12.3年前に60を過ぎていらしたから、今は70を超えていると思う。

面白いのは序奏が終わってホルンの合図で次に行くところのホルンの吹き方で、モノはポポーでステレオはポッポーだったこと。
ある人によると、このポポーはプラハ版の楽譜によるものだそうだが、シルヴェストリは、プラハ版より先にそのスタイルでやっている。シルヴェストリは楽譜を検証研究することも得意だったようでドヴォ8でも、アーノンクールが初めてやったように言っている人が多いが、シルヴェストリは先駆けてやってしまっている。

モノーラル盤は小生手持ちの音盤の状態が良くなく、雑音が酷く入るので、かつての掲示板で知り合った長老から頂いたものをUPすることにした。

大変気帳面な方で、録音データ、当時のジャケット、そしてレーベルまでCD-Rを作っていただいた。モノーラルとステレオ2種類が1枚に収録されたものだ。
それをお借りして今回1楽章を新旧でUPした。

以下の録音データが記してあった。
音盤の状態も良いのだろうが、CDレコーダーはいいようだ。
コンスタンティン・シルヴェストリ/フランス國立放送管弦楽団
ドヴォルザーク交響曲9番「新世界より」
①anjel日本初出LPより・モノーラル・音源録音1957.7.9&12
②CDステレオより・音源録音1959.10.20
CDレコーダーYAMAHACDR-HD1300使用。
オルトフォンSPU-G-GOLD、U-BOROS-5トランス増幅


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by noanoa1970 | 2013-01-13 12:36 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

尾高尚忠、フルート協奏曲2種+1

どちらが好みだろう。
西洋人と日本人の違いがあるように感じるが・・・・

1668年5月録音。森正指揮、読響、ジャン・ピエール・ランパルfl


1960年録音、岩城宏之指揮、N響、吉田雅夫fl


1969年再発盤、岩城宏之指揮、N響、吉田雅夫fl
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by noanoa1970 | 2013-01-12 20:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

矢代秋雄「交響曲」

「日本人初の交響曲らしい交響曲」、そういった人がいたが、小生の耳にはそうは思えない。
1つのテーマを様々な形で変化させていってまた戻ってくるという循環形式的な音楽で、祭りのお囃子の太鼓をモチーフにして、それをデュティーユあたり(真っ先に浮かんだ)の和声の使い方と、近代末期の新古典主義的音楽語法によって完成したような気がする。
ソナタ形式とは考えにくく、「交響曲らしい交響曲」の意味がよくわからないが、それはともかく、日本のリズムを使って入るが、それ以外は日本的なものは感じにくい音楽で、矢代秋雄の場合は日本的という民族主義的なものからは遠い存在であったのかもしれない。
しかしチェロ協奏曲のように、日本情緒が時折顔を出すこともあって、自分の作風がまだ固まらないうちに早世してしまったようだ。
評価スべきは、リズム変化が非情に面白く、よく練られた曲であると思う。
プロコと同等以上のものに思えることがある。

(youtubeに誤って岩城宏之指揮N響としたが、渡邉暁雄指揮日フィルのまちがいでした)

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by noanoa1970 | 2013-01-12 12:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

浅川マキ「にぎわい」を久しぶりに

小生がオーディオシステムを、変更した時、必ず音響を試す音盤がある。
浅川マキの紀伊国屋ホールライブである。

彼女の声は、再生がかなり難しく、満足が得られるまで、相当苦労する。
よく調整ができると、口のすぼめ方や、少し笑いながら唱う様子さえわかってくるし、観客が転がす瓶の音がコーラだということもわかる。

観客の拍手、最初は50人程度に聞こえるが、後半になると、100人以上いそうな拍手に変わる。
録音の変化か、途中で観客が増えたのか。
年末だからそういうこともありえるからどちらとも言えない。

今回は1曲「にぎわい」をデジタル化した。
かまやつひろしの作品である。
彼女はCD化を嫌っていて、生きてる間はアナログ盤しかなかったから、とても貴重だったが、いまでは、mCDもたくさん出ている。
解禁になったのではなく、文句をいう人がいなくなったからだ。

これを聴いて、直ぐにヘッドアンプに戻すことになった。
質感がトランスでは全く出てなくて、会場の雰囲気が伝わってこないし、拍手の音も、リアリティーがないからだ。
声の質もライブで聴いた浅川の声とは違い、別人が歌ってるように変わってしまった。

C2aのヘッドアンプは相当の優れものと再確認することになった。



「朝日楼」と「カモメ」を、追加した。
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by noanoa1970 | 2013-01-11 15:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

柴田南雄「シンフォニア」1960.12.12

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松平頼則、間宮芳生のバイオリン協奏曲、先に上げた尾高尚忠、外山雄三、三善晃、それらが一番最初の邦人作品体験だったと思う。

サークルで、本当は国民楽派研究グループに入るつもりであったが、その年から消滅し、日本音楽グループとなったからだった。

音楽史に沿ったグープ構成から、初めて現代日本音学というくくりで始まったサークルだが、誰も知見者はおらず、音盤の数も実に限られていた。

日本音楽受容史を学んだ後、注目されそうな音楽家を対象とし、担当を決め小生は「間宮芳生」担当になった。

唯一の自慢は、その頃の邦人作曲家の住所がを入手でき、彼らに対しアンケートを300通ほど出して、100通戻ってきたことだった。
優れた分析能力があれば、結構な試みとなったはずだ。
データ解析の力も能力もないまま、皆で読んで感想を得たに過ぎなかったのは、非情に残念なことをした。

間宮担当だから、とにかく音盤をと、生活に支障が出るのを覚悟で、合唱のためのコンポジションの4枚組LPを購入した。

バイオリン協奏曲は好きな曲で、海野義雄 指揮:渡辺暁雄 東京都交響楽団の録音音盤がどこかにあるはずだ。

2年先輩が当初のリーダーだったが、彼はその前に国民楽派音楽グループをやっていたので、日本的なものと西欧の音楽語法の出会いが果たしてうまう行くのだろうかという問いかけが常にあったように思う。

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彼は吉田秀和の信奉者の一人で、水戸で会社を大きくして今や全国にに500点店舗を展開するカジュアルアパレル会社の会長になった。
公私共に世話になった先輩の一人だ。
水戸芸術会館を支援する立場で、吉田秀和氏とツーショットの写真が掲載された。

この柴田南雄さん、作品よりも著述や評論、音楽番組でのパーソナリティとしてのほうが有名な気がするが、12音技法を日本に導入した重鎮でもある。

バルトークとシェーンベルク、ベルク、ウエーベルンの音楽を必ずしも日本的ではない自己の音楽に応用した。

その頃の現代音楽といえば、クセナキス、ケージやシュトックハウゼンなどは、音源が無く聴くに聞けない状態だった。音盤がほそぼそと登場したのは1968年頃以降だったと記憶する。ブーレーズはまだまだ聞けずにいて知ったのは指輪の少し前あたリという始末。
イタリアの作曲家は誰もまだ相手にできなかった時代。
しかしFMではかなり紹介されていたので、サークルでSONYのテープデッキを購入した。

この曲は12音以外にも当時の音楽語法を取り入れていたように今聴くと思うことがる。
終楽章はジャズっぽい変拍子が巧みだが、バーンスタインのウエストサイドストーリーのような感じがする。

当時は好きなれない曲であったが、今はそんなに抵抗がない。

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by noanoa1970 | 2013-01-09 21:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(12)