DRACの末裔による徒然の日々
2023-11-21T09:18:52+09:00
noanoa1970
学生時代を京都で過ごしたある男の過去と現在を、「文化芸術」「食」などを軸として書いています
Excite Blog
ブログ中断後あれこれ
http://sawyer.exblog.jp/29749472/
2023-11-21T09:13:00+09:00
2023-11-21T09:18:52+09:00
2023-11-21T09:13:23+09:00
noanoa1970
残日録
便利だった「ノート」も自由に扱い得ず。
よって残された長くはない日々の事象を
再びブログに残すことにした。
カテゴリを「残日録」とした。
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修学院の家
http://sawyer.exblog.jp/26160591/
2017-11-20T17:19:00+09:00
2017-11-23T06:39:09+09:00
2017-11-20T17:19:50+09:00
noanoa1970
京都
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聖金曜日
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2017-11-09T19:29:00+09:00
2022-09-02T14:58:12+09:00
2006-04-12T15:32:59+09:00
noanoa1970
徒然の音楽エッセイ
4月14日がそれにあたるという。
掲示板「猫」ではその日には「受難曲」を・・・という呼びかけのスレッドがたったようだ。
ワーグナーの「パルジファル」にも「聖金曜日の音楽」という場面があり、独立して演奏される。
勿論バッハをはじめとする様々な「パッション」もその日の音楽としてはふさわしいが、実際はその日にはミサは行われないという。
しかし「スターバト・マーテル」、は、聖金曜日の「聖務日課の聖歌」と「聖母マリアの7つの悲しみ」の祭日のための続唱いう2つの場面で用いられるというから、その日を記念して「スターバト・マーテル」を聴くのもよいだろう。
事実掲示板「猫」では、その日にちなんで「スターバト・マーテル聞きまくり」をするという、「てつわんこ氏」の投稿もあるようだ。
小生も「スターバト・マーテル」は、大好きなほうで、スカルラッティ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ハイドン、シューベルト、ロッシーニ、ドヴォルザーク、そしてプーランクなどはよく聴くのだが、それなら少し変わりどころを・・・・と思って聞こうとしたのが「聖母マリアの7つの悲しみ」である。
小生はマリア信仰を非キリスト教世界の「女神信仰」の残像と思っているが、とにかく「マリアの7つの悲しみ」とはいかなるものであるかを探ってみた。
それによると
聖母マリアの7つの悲しみとは
7つの悲しみの道行
「7つの悲しみの道行」のはじめの祈り
第1留 聖母は老シメオンの預言によって悲しむ・・・イェルサレムでシメオンという人が幼児イエスを祝福したあと、イエスの受難を預言し、マリアの心も剣で貫かれると預言したとき
第2留 聖母はエジプトへ逃避する・・・ヘロデ王が出した「幼児皆殺し令」を逃れるために夫ヨセフともにエジプトへ避難したとき
第3留 聖母は御子を見失う・・・・12歳になったイエスをイェルサレムで3日間見失ったとき
第4留 聖母はカルワリオへの途上で御子と出会う・・・イエスが十字架を負ってゴルゴダの丘へ連れられていくのを見たとき
第5留 聖母は十字架のもとにたたずむ・・・十字架にかけられたイエスの足元に立ったとき
第6留 聖母は御子の亡骸を抱く・・・イエスが息絶え、十字架から降ろされたとき
第7留 御子が墓に葬られる・・・イエスが埋葬されたとき
その7つの悲しみの道行の結びの祈りであるという。
小生はこれを非キリスト教文化とキリスト教文化が穏やかに融合したといわれる、アイルランド=ケルトに古くから伝わる、伝統歌を現代感覚でアレンジした
「エクトル・ザズー」「HECTOR ZAZOU」の「ライツ・イン・ザ・ダーク」「LIGHTS IN THE DARK」 の「アルバム」に求めることにした。
アルバム副題に 'un voyage aux origines des chants sacré d'Irlande' とあるように、「アイルランド聖歌の起源を探る旅」がテーマ
アイルランドに残る古い聖歌や伝承曲をフランスの実験音楽家“エクトル・ザズー”がアレンジした音楽。古くからこの地方で歌い継がれてきた祈りの歌と、と現代が織りなす神秘的な音楽は、今までのアイリッシュ音楽の感触のを保ちながら別の世界をも見せてくれるようで、かなり気に入っている。
1.星
2.聖母マリアの7つの喜び
3.死者の詩
4.3人のマリアの哀哭の叫び
5.聖母マリアの7つの喜び
6.3人のマリアの哀歌
7.受難の詩
8.我等が父の御名のもとに勝利せんことを
9.聖母マリアの7つの悲しみ
聖母マリアの感情の波について語っている。7つあるヴァースの一つで、特定の悲しみについて、表現しており、それぞれのヴァースは、同じオープニングのリフレインを、繰り返した後、それぞれの悲しみがそれに続いている。中世ヨーロッパの伝統に即したこの曲の、さまざまなヴァ-ジョンがアイルランドで見つかっているという。
この曲・・・女性とバックには「ブーズキー」だろうか「ウード」だろうか太く低い音の弦楽器と太鼓が鳴らされる、・・・は、「ケリー郡」で収集されたもので、「ロザリオの祈り」の後、伝統として、歌い継がれてきたものである。
10.主の御心に捧げる小さな歌
11.マリアの哀歌
12.愛の求め
13.すべての希望の墓]]>
引っ越しオーディオ2
http://sawyer.exblog.jp/25968079/
2017-10-23T12:35:00+09:00
2017-10-24T16:53:11+09:00
2017-10-23T12:35:13+09:00
noanoa1970
未分類
日通のダンボールを1枚置いておきます。
ウファーなど養生用の発泡紙シートです。後で吸音材で使用します。工具のみ置いておきます。]]>
引っ越しオーディオ
http://sawyer.exblog.jp/25968032/
2017-10-23T12:28:00+09:00
2017-10-23T19:48:06+09:00
2017-10-23T12:28:29+09:00
noanoa1970
未分類
フィリップスCDPとトリプルアームに費用なTAOCとスタビライザーヤマハCDLDPです。リモコン忘れずに願います。テクニクスSL-10専用箱ります。プラッターのがたつきを抑えるに養生テープで止めてください。
専用箱なしのパワーアンプ、インナーサウンドE-300
アキュフェーズC-220はアキュフェーズ制作の箱があります。
ヤマハC2aは発泡スチロールの箱に入れてください。メリジャン207MK2、専用箱なし。プチプチで梱包してください。ヴィクターSX-500は箱なしです。ヤマハNS-1000は箱がありませんが、荷造り用の布団を用意しました。ウーファーが裸ですから費用に応じ、発砲の吸音材を使用してください。ハーマンカードンのプリ、パイオニアCDP共に箱はありません。
ヤマハの総合デジアン、その下のハーマンカードンも箱なしです。SONY ST-5105箱なしです。マイクロSX-111ふぁv配置図写真が載せてあります。
コード類の結束ベルト、白い箱にはプラッターはずし冶具があります。プチプチシート2種類置いておきます。]]>
先輩小出さんの写真
http://sawyer.exblog.jp/24978590/
2017-07-21T12:16:57+09:00
2017-07-21T12:16:57+09:00
2017-07-20T20:41:48+09:00
noanoa1970
トピックス
2008高山駅前の蕎麦屋で
2008高山市内観光中
1967年小豆島合宿1968年木曽駒旅情庵合宿同じく木曽駒合宿1968年オーディオフェア小出さん企画1968年北小松学舎春季合宿1967年小豆島?
以上全てて小出さん撮影、この時のカメラは「ライカ」2008年上高地上高地小出さん撮影奥飛騨温泉、深山荘の露天高山にて、小出さんは蔵元を回って少々酩酊
深山荘露天、中道さんとライカではなくこのときはNIKONデジカメ、
やっぱりLPだよ、CDにはない魅力があり音質も良い・・・と上高地手前のオーベルジュ「グリンデルワルト」で]]>
松本勝男さんの作曲したタイサンボクの花について
http://sawyer.exblog.jp/24627733/
2017-07-11T09:33:00+09:00
2017-11-16T19:57:02+09:00
2017-06-26T15:49:09+09:00
noanoa1970
徒然の音楽エッセイ
修学院の家内の実家のタイサンボクの花が咲いた。
ブログを初めて間もないころ、DRAC(同志社大学レコード音研)の大先輩にあたる松本勝男さんがCCD(混声合唱団)在籍中に作曲した「泰山木の花」という曲の楽譜をサークルBOXで発見したという、ある方のブログを見つけ、松本さん、どのような曲を書いたのだろうと気になっていたことがあったが、其のことをすっかり忘れていたのを、昨日花を見つけて思い出した。
それで早速発見した方にメールを差し上げると、ご返事を即刻頂いた。
まずは作詞者の息子さんにあたられる方のブログに記載されているものを引用させていただいた。どうやら花や植物がお好きらしい。
コメントができないようなので、無断借用になりました。
引用
タイサンボク(泰山木)とは、という説明は、このさい省略させていただき、狙いの誌の一部が紹介されてるので、そこから。
「露のはれまのひといこい/月の天使の白たえか/天津おとめの羽衣か/れいこうあたりにふくいくと/泰山木の花咲きぬ 散りてはかなき人の世の/人のさだめを思いつつ/あいのたつきはつれづれに/れいこうあたりにふくいくと/泰山木の花よせぬ」。
古めかしい歌詞ですが、これは「番傘」の川柳作家でもあった、私の亡父による「泰山木の歌」。
松本勝男氏の曲がつき、同志社大学グリー・クラブによって歌われました。
父が71歳で没して43年、私も同じ年になりました。
以上が、小生がメールした方からの作詞者の情報です。
松本勝男さんの「泰山木の花」の発見をブログに書かれ方からの情報は以下の様なものでした。
偶然にも法学部政治学科の大先輩に当たる方でした。
・譜面は「松本勝男作曲」とだけあるので、松本氏は「旋律だけ」ではなく、「男声四部合唱曲」として作曲されたものと思われます。
・指揮して当時の同志社グリークラブに歌わせた指揮者は、1954年に3年だった澁谷昭彦氏(後に経済学部教授、現在もお元気で教会等で活動中)、その時1回だけで、その後演奏記録がありません。
・澁谷さん以降の指揮者さえ、これを同志社グリークラブのレパートリーと認識していたかどうか疑問です。というより曲の存在を「知らない」と思います。
・同志社グリークラブ部報S28年11月号にこの詩が掲載され、この詩がグリークラブにより歌われるのを死ぬまでに一度でよいから聴きたいと切望しておられる旨の記述があるそうです。
・八木氏は故人となられましたが、ご令息のブログがあり、この詩が掲載されています。
http://yagi070.exblog.jp/3205363/
一番上の「詩」はこのブログ記事から借用したものです。
新情報がありました。
・松本氏は同志社グリークラブに在籍はしておられたものの、才人の常で、「在籍した」にとどまった模様。GleeMenとしての活動は記録にありませんでした。
・このほか唯一、1949.9.25栄光館「同志社グリークラブ創立45周年演奏会」に「松本勝男作曲・狐のわざ」という曲を歌ったことが記録されていますが、譜面は未見です。
情報提供していただいた方は、楽譜を公開するのを逡巡されておられたようですが、意を決して小生の要望を叶えていただきました。
小生の記事の誤謬もご指摘くださいました。
・貴信中いくつか誤認(失礼)があるので・・
①松本氏のころにCCDが出来たのは間違いありませんが、CCDには氏の伝承が全くありません。同志社グリークラブの常任指揮者だった森本芳雄先生が同志社創立記念日に同志社グリークラブと同志社女専クワイアで新島襄作詩大中寅二作曲「庭上の一寒梅」を歌うため集合させ、それがCCD発足の引き金になったと聞いています。
(前回のDRAC-OB会で配布された資料の中に、森本芳雄氏が指揮するCCDの演奏を録音したことが記されてますので、松本氏と森本氏は懇意だったと思われます。松本氏がグリー在籍中、女子と一緒い歌いたいと願い・・・諸先輩からの伝聞、相談した相手が森本さんだった可能性もあると思います)
②私は3年だけでなく4年もCCDを振っていました。当時は学生が振るのが同志社では常識でした。(了解いたしました)
☆ところで私のブログを引用されておられますが、当該年度分はプロバイダーのトラブルで全部消えており、私の所では見ることが出来ません。どこかに残訣が見つかれば、と思っています。
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引っ越しオーディオ機器
http://sawyer.exblog.jp/24737803/
2017-07-06T15:57:00+09:00
2017-07-06T16:03:03+09:00
2017-07-06T15:57:29+09:00
noanoa1970
京都
テクニクス専用梱包材あり
梱包剤なし
梱包材なしCDPとパワーアンプ梱包材なし
梱包材なし梱包材なし専用梱包材なし
LPP梱包材なし
アームは大理石の上にアルミ厚板CDP梱包材なし梱包材なしQUAD取扱い注意
プリアンプ:ハーマンカードン薄型、ヤマハC2a、アキュフェーズC-220パワーアンプ:ハーマンカードンHK87、インナーサウンドE-300LPP:メリジャン207MK2、パイオニア、フィリップスSP:QUAD63、ヴィクターSX500、ヤマハNS-1000LPP:テクニクスSL-10,SL-1200GAE、マイクロSX-111FV+バキューム装置アームAC-3000MC、SAEC308L、テクニカAT-1501L
DVDPL
TAOCラック、TAOC SPベース、PLボードその他小物
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室内造作
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2017-04-07T17:59:00+09:00
2017-04-07T17:59:24+09:00
2017-04-07T17:59:24+09:00
noanoa1970
未分類
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病院の怪
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2017-03-17T06:52:00+09:00
2017-03-17T06:52:55+09:00
2017-03-17T06:52:55+09:00
noanoa1970
未分類
子供の不思議な角笛から
http://sawyer.exblog.jp/7407730/
2017-03-11T10:53:00+09:00
2017-03-11T11:01:42+09:00
2008-03-04T17:28:33+09:00
noanoa1970
徒然の音楽エッセイ
その話の時代背景は、察するに多分まちまちで、その出自も、ドイツの民謡ばかりであるとは思えないものもあるようだ。
例えば、魚に説教する「聖アントニウス」などは、もともとがドイツの民話とするには少々ひっかるところがある。
この話とは、イタリアのパドヴァの聖アントニウスが、ある日教会で説教会を開いたが、誰も聴衆はやってこなかった。
それで川辺に立って、説教をしていると、なんと川魚たちが沢山集ってきて、熱心に説教に聴きいった。
それからというもの、人々は聖アントニウスの奇跡を信じ、熱心に説教を聞くようになった。
・・・恐らくは、そのような聖人賛歌がベースの、カトリック教会でのお話であったのだろうと思うが、(原本は知らないが)マーラーで使われた内容は、聖人賛歌ではなく、説教する聖アントニウスの言葉を、熱心に聞いていた川魚・・・鯉、ナマズ、ウナギ、蟹、カワカマスだったが、話が終わると、その瞬間、説教で語られたことなどお構いなし、なにも改心することが無く、結局元の魚達のままであったという話である。
わが国の諺で「馬の耳に念仏」と同じであろうか。
オリジナルは、カトリック教会の聖人賛歌であったものが、いつの間にか変貌し、自己満足を象徴するような似非聖人話へと変化するのである。
これはどうしたことであろうか。
マーラーの使用した詩の魚達は、勿論本当の魚ではなく、推測するに、非キリスト教徒、あるいは非カトリック教徒、すなわち異教徒の民、それも下層階級:農民を始とする民衆達などを表現したものであるのだろう。
そのような人々を教会に集めて、言葉の分からないラテン語で説教をしても、その意味するところは当然文字もろくに読めない下層の民衆には伝わらない。
支配層のカトリック教徒の貴族連中は、相変わらず無理難題を押し付けるし、カトリック教会そのものも、権力闘争の巣窟となった時代、フランスではユグノーが、ドイツではルターが宗教改革・・・プロテスタント新教の運動を起こし、それが飛び火していった。
魚への説教が聖者の奇跡から、愚考話へと転化したのも、反カトリックあるいは反キリスト教の力が働いた、社会的風土の中からではなかろうか。
また、子供の不思議な角笛には「この世の営み」という曲(小生が好んで聴くテンシュテット盤では、2曲目にルチアポップが歌う)があり、おなかを空かせた子供が、お母さんにパンを焼いてとせがむので、お母さんは麦の借り入れ、小麦か、そして最後にパンをやっと焼き上げて子供に与えようとするが、そのときすでに件の子供は、棺桶の中に横たわって、息絶えていた・・・という話。
現世のご利益を与えてくれない宗教、母親が自分の子供さえ守ってやれないような社会、そんな不条理で悲しい社会風刺が歌われる。
宗教改革のパワーは、このように虐げられた民百姓の支えによっても、推進されてきたのであろう。
マーラーは、ユダヤ教からカトリック教徒に改宗した。
理由はいろいろな説があるようだが、今現在と違い、19世紀の改宗は、恐らくわが国の共産主義者の転向以上に、後ろめたさで溢れた精神構造を秘めた、人生の大きな反革命的要素の一つなのだろう。
宗教は民族の文化であり、生活そのものであった。
出自さえも、理論的には否定することになる。
祖国が無いデラシネというわけだ。
そんな・・・心情的にはユダヤ人、理論的にはキリスト者。
このような絶対矛盾的自己同一を、マーラーは、持ち続けたのでは無いだろうか。
マーラーに見られるシニカルな表現は、そのことを良く物語るようだ。]]>
エドガーアランポーの作品を基にした音楽
http://sawyer.exblog.jp/23944765/
2017-03-10T11:21:00+09:00
2020-09-13T11:28:42+09:00
2017-03-10T11:20:59+09:00
noanoa1970
徒然の音楽エッセイ
一連のポーの作品の音楽には、怪奇という文字が浮かぶが、音楽的には象徴主義からの影響を受けたと思われる、神秘主義的な傾向があるようだ。
ラフマニノフは特に敬虔なロシア正教徒、プーランクもそうだが、敬虔なカトリック教徒はどうもその中に神秘主義的なものを秘めていることが有るようだ。
象徴主義者の中には、神秘的なものを偏愛する傾向があり、これがカトリックの復興と繋がったという史実は、もともとカトリックの中に神秘主義的なものが内在したということであろう。
アメリカのポーは、フランスの象徴派の詩人が絶賛されたといい、それは単に恐怖と言うものではなく、キリスト教の中に、内在する神秘主義的なものを、再発見したからであろう。
ロシアに於いての神秘主義的音楽はスクリアビンが有名だが、ラフマニノフにもその萌芽が認められ、代表は「鐘」「死の島」のような気がしてならない。
「鐘」は人生を鐘の音で象徴し、最後は弔鐘で終わる暗い曲層の曲だ。
保守とは改革をしながら前進するもの、という言葉はラフマニノフに似合う。
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アレキサンダー・ネフスキー
http://sawyer.exblog.jp/23930489/
2017-03-08T10:07:00+09:00
2017-03-08T10:22:56+09:00
2017-03-08T10:07:34+09:00
noanoa1970
徒然の音楽エッセイ
プロコフィエフがが同名のエイゼンシュタインの映画の劇伴音楽を、演奏会用にカンタータにして再編したものだ。映画、音楽を理解しやすいようにするためには、ロシアの歴史を少し勉強する必要がある。
ロシアの元は、ノヴゴルドを征服した「ルーシ」でヴァイキングの末裔とチンギスハンの子孫、そして周辺の諸民族を取り込んだいわば混血の公国、よってルーシはヴァイキングとモンゴル民族をルーツに持つ国と言ってもよい。今のウクライナ地方にあたる大きな都市となったが、その中に大きな力を持つところがあった。
しばらくルーシの中心地だったが、首長の死によって遷都され、キエフに移ったが、工業立国ノヴゴロドはやがてキエフ公国から独立し、ノヴゴロド公国となっていく。簡単だが、9世紀から12世紀の話。
キエフは今のウクライナの中心地だった。古代から中世にはモスクワは登場してない。
モスクワ公国がアレクサンダーネフスキーの血縁によって建国されたのが14世紀。
キエフルーシ、モスクワルーシという具合に、どちらも「ルーシ」=ルーシカガンが出自という誇りが合ったようだ。
しかし、ルーシ人の北方スラブ人は、スカンジナビア半島、モンゴルおよび周辺民族の混血民族ということになる。
ウクライナを「小ロシア」(チャイコフスキーの交響曲2番の名称にもなっている)、と言うことが有るが、東ローマ帝国から観て、近くにある大都市を小ロシア、遠くに有る大都市をロシアとよんだ。その次代はウクライナ葉重要な年であったことを物語る。
アレクサンダーネフスキーの登場は、13世紀はじめの頃、周辺の新楽民族との戦いで、名を馳せた人物で、スエーデン、ドイツ騎士団、ハンガリー、モンゴルなどと戦った英雄。
有名なのは、ネヴァ河畔の戦いで、スカンジナビア半島軍隊と戦って勝利し、英雄視されることになった。
ロシアの英雄で、史実を疑われる人物はかなりいて、イーゴリ公、ボリスゴドノフも多分に造られた感がある。
モスクワは、キエフ・ルーシの時代には名前も知られていなかった北東ルーシの小都市にすぎなかった。そして、モンゴルのハーンによって厳重に支配、管理されるようになったルーシ諸侯のなかから、モンゴルとの関係を巧妙に利用し権力を握っていったのが、ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーと北東ルーシの諸公国に分封されたその子孫たちであった。
アレクサンダー・ネフスキーは、一方では戦闘の勇者であったが、片方ではモンゴル民族の建てた、キプチャク汗国に従った人物。
ロシア史の最大の屈辱は、タタールのくびきと言われるもので、モンゴル民族によって支配された歴史がある。
多くの英雄伝説は、その裏替え史とも観て取れそうだ。
そうは言っても、プロコフィエフの音楽は、素晴らしいの一言に尽きる。
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家具調度2
http://sawyer.exblog.jp/23890917/
2017-03-01T16:26:00+09:00
2017-03-05T16:57:08+09:00
2017-03-01T16:26:45+09:00
noanoa1970
未分類
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家具調度品
http://sawyer.exblog.jp/23890915/
2017-03-01T16:25:00+09:00
2017-03-01T16:25:11+09:00
2017-03-01T16:25:11+09:00
noanoa1970
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