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カテゴリ:JAZZ・ROCK・FORK( 50 )

街行き村行き・・・西岡恭蔵

これは全曲通して聞いていただきたい。
それぞれが季節感を持っているコンセプとアルバム。
細野晴臣、はっぴいえんども参加している。


収録曲。

1. 村の村長さん
2. 春一番
3. どぶろく源さん
4. パラソルさして
5. ひまわり村の通り雨
6. 飾り窓の君
7. 海ほうずき吹き
8. うらない師のバラード
9. 朝の散歩道
10. 街行き村行き
http://youtu.be/-ZuzAq6RRkI

by noanoa1970 | 2012-12-03 18:21 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

ringonokini kakurenbo

この曲、聞き覚えがあるお母さんが多いと思う。
ミキハウスのCMで使われた。
「林檎の木にかくれんぼ」
CWニコルが歌っている。

by noanoa1970 | 2012-12-03 15:06 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

CWニコルのwildrover


ウエールズ出身で、日本国籍を持つ男、CWニコルの歌。
ワイルドローヴァーとは「根無し草」の意味。
金を稼いで酒場に入りびたる男の姿を歌ったアイルランドの古謡。

CWニコルは今も黒姫に住んでいるらしい。
写真は恐らく、黒姫あたりの「ヤコブの梯子」Jacob's Ladderともいい、
創世記に示されている。「そのうちに,彼は夢を見た。 見よ。 一つのはしごが地に向けて立てられている。 その頂は天に届き,見よ,神の使いたちが,そのはしごを上り下りしている。」 (創世記28:12)

by noanoa1970 | 2012-12-03 14:58 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

すかんぽ

ドイツの詩人ヨアヒム・リンゲルナッツの「哀れな草」という詩に曲をつけたもの。
リンゲルナッツはボヘミアン詩人である。

スカンポはイタドリとも言い、その根は強く深く引きぬくのに苦労する。スイバとも言い、噛むと酸っぱいが若いものはお浸しにいて食べる。

「哀れな草」をスカンポとした高田の思いは、とてもよくわかる。


by noanoa1970 | 2012-12-03 13:45 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

懐かしいフォークソング

たまには古いフォークでも、好きな人に聴いていただければと、youtubeにUPした。

朝野由彦の「旅の途中」、あがた森魚の「冬のサナトリウム」そして「サルビアの花」。
70年代のフォーク。
廃盤となっているが、懐かしい曲。

「冬のサナトリウム」を聴くと涙腺が緩む。

by noanoa1970 | 2012-12-03 12:02 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

手術室の音楽

先週の手術の折に流れていたのは、モーツァルトの「レクイエム」、ベートーヴェンのPソナタ「悲愴」。

音楽が趣味らしい先生は、東日本大震災の追悼として、手術室でレクイエムをかけていたとのこと。

術後冗談で、小生が「まさか手術室でレクイエムを聞くことになるなんて・・・」といったのを、覚えていて、今回は音楽を変更したと、術前の診察時に言った。

麻酔の効きがあまりよくなかったのか、先回よりは、ほんの少しだけ痛みがあったが、我慢できないほどではなく、一安心したその時、耳に入ってきたのは、ビル・エヴァンス、キース・ジャレット、おそらくはマッコイ・タイナーと思しきピアノで、それがごく小さい音で聞こえてきた。

どうやら、オムニバス盤か、其々のアルバムからコピーしたと思われるJAZZのBGMは、As Time Goes By [時の過ぎゆくまま]を除けば、ほとんどがオリジナル曲であった。

が、「時の過ぎゆくまま」というAs Time Goes Byの日本語訳は適切ではないという話がある。
As Time Goes By=「時が過ぎても」が正しいとすれば、「時が過ぎても」両目開眼の手術のことは忘れないと関連付けることが可能だが、BGMにそんな意図は無いのだろう。

それでも先週のレクイエムよりは、BGMとしての役割を、たいそう発揮したのと同時に、このところJAZZは、全く聞いてなかったから、帰宅したらJAZZピアノを聴いてみたいという、願望が湧いてきた。

それで、帰宅直後の最初の1枚は、Conversations with Myself 、次にStan Getz & Bill Evans を聴いた。

どちらも良いアルバムで、スタンダードナンバーをエヴァンスがいかにアレンジしているかを聴き取るにはもってこい。

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スタン・ゲッツ、リチャード・デイヴィス、エルヴィン・ジョーンズとの、変形カルテットによる、My Heart Stood Stillが印象的だ。

音響装置は、JAZZも快適に鳴らしてくれている。
たまにはJAZZも良いものだ。

先生がどのアルバムから、BGM音楽を作ったのか、次回訊いてみることにしよう。

お陰さまで「目からウロコが落ちた」ような気分。

この新鮮な状態、いつまで続くのか。

by noanoa1970 | 2011-05-27 00:42 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(2)

同志社学館1968年秋

2回生になって半年以上が過ぎた頃、恒例の同志社大学学園祭「EVE」が開催された。

その締めとして、当時関西で活躍しかかっている、フォークシンガーを招き、京都フォークキャンプのようなコンサートが計画された。

資金がないため、覚えている有名所は、ディランⅡの「大塚まさじ」、「永井洋」、そして「西岡恭蔵」ぐらいで、後は素人集団が前座で、CSNYのコピー曲を演奏した。
でもディランⅡ結成は1971年で、68年当時は「ザ・ディラン」というグループを、大塚、永井、西岡の3名でやっていて、このコンサートでは、のちのディランⅡのメンバー2人と、ソロのシンガーソングライターとして活躍する西岡が、すでに先を見越した編成で望んだと思われる。

しかも「パラソル指して」を大塚、永井がフオークロック調に歌った後、西岡が「私には少しアレンジが違うんで」と、バラード調に歌った記憶が鮮明にある。

この頃はまだ、持ち歌が少なかったのだろう。

他に「友部正人」「中川五郎」も多分出演したと思うが、ハッキリとした記憶がない。

その名前が記憶に残っているのは、「やしきたかじん」という人物で、小生は長い間「やしき たかじん」でなく「やしきた かじん」と覚えていた。

司会者の紹介のイントネーションがそうさせたことと、小生は初めて聞く名前だったこと、フォークシンガー=歌人(かじん)という具合に、勝手な連想により、そうなってしまった。

ローカルTV番組で「やしき たかじん」という名前を知り、学館コンサートの記憶が間違いであったこよに気がついたのは、40年もたってからのこと。

この男の名前を間違っていたにしろ、覚えていたのは、その時彼が歌った歌が、フォークでもロックでもなく、あえて言うならばサイケデリック調で、まるで「クスリ」を飲って歌っているような、アングラっぽい雰囲気がしたことと、それしか記憶がないが、歌詞の一部のに、「カンカンカンカン」という電車の踏切の鐘の音が擬音で有ったことによるもの。

今ではローカル局とキー局、2番組の司会進行を務めるまでになり、特に関西では抜群の人気と知名度がある、無頼漢的存在だ。

懐かしくなって、1968年歌ったあの「カンカンカンカン」(菅総理を揶揄ったものではない)が、歌詞中に出てくる歌はなんで有ったのか、そし何を歌いたかったのかを再発見するために、ネット検索をしてみたが、一向に引っ掛かってこない。

古くて、多分ヒットもしなかった歌だから、情報がないのだと、諦めていたのだが、youtubeを利用して検索すると、「ふみきり」というタイトルを発見。

急ぎ聴いてみると、そこには「カンカンカンカン」という擬音が有るではないか。

かれこれ40年以上、この曲の歌詞とタイトルを探してきたことになる。

奇妙なメロディに、和をかけたような歌いまわしの奇天烈さが、当時ヒッピー等によってもたらされた、マリファナや大麻などのドラッグを使い、意識が朦朧とした状態で歌ったかのように聴こえる。

事実この頃、街に出るとアチコチにサイケ喫茶なるものが存在し、取締が手薄だったせいか、昼間からラリった男女が薄暗い喫茶店で屯していた。

しかしよく見るとこの歌「やしきたかじん」が歌ったものでなく、カラオケをバックに彼を好きな愛好者によって歌われたものと知った。

しかし歌い手は、たかじんオリジナルを聞いているだろうから、歌い方も似ているものと確信する。

1977年との記載だが、これは多分アルバムに収録した年で、小生が1968年にこの曲を聞いているのは間違いない。万が一記憶違いであるとしても1967年から1971年までのいずれかだ。

おぼろげない記憶では、たかじんの歌は、もう少ししんみりした歌い方だったようだが、この人もそれなりに雰囲気を出しているから、なんとか曲想はつかめると思う。

小生の印象では、「ドアーズ」の影響を強く受けて、作曲編曲されたように思う。

たかじんのその他の歌には、このような歌い方はなく、桃山大学から龍谷大学に転入した、まだ学生だった初期の頃の彼が、そういったドラッグ経験の上での歌い方であったとしても不思議ではない。

さてyoutubeで発見した奇妙な音楽はこれ。
「ふみきり」
荒木十章作詞. 家鋪隆仁作曲. クニ河内編曲


by noanoa1970 | 2011-05-26 12:50 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(2)

高田渡生誕祭60に行った・・・3

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休憩の間に後方の席を覗くと、TVカメラとミキサーがしつらえてあった。
どうやら何れTV中継をするらしい。

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2部の司会はナギラと佐久間さん。
CD製作者の一人内田さん(女性)も加わっている。


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幕が開くと舞台向かって左側には吉祥寺のバーかうんたー。
右側にはいせやのカウンターを模したものがしつらえてあり、すでに数人の出演者が腰を掛けていた。

曲が進むにつれ彼らの中の一部・・・大庭珍太がもうすでに酔っ払っている。
いせやのカウンターには観客からのプレゼントらしい一升ビンが数本、他に焼酎も置いてあり、心ある出演者は出番がまだなのにも関わらず、高田渡追悼にかこつけて舞台上で飲んでいるのだ。

高田には、飲みながらのコンサートはあるにはあったが、舞台上で10人余りが(中には模擬で飲むふりをしていた者もいるようだが)コンサート中で飲んでいる姿を初めて体験した。

これも高田の記念らしく、全く不快ではないどころか、こころなしほのぼのさを感じてしまう。

1部の淡々としたまま、残り2部3部と4時間余り進行するかと思うとやや気が重かったが、Ⅱ部は思考をがらりと変化させる演出で、随所に笑いが出る進行となった。

なぎらはやはり、こういうことにかけては抜群の才能を発揮する。

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吉祥寺のカレー屋の主人とバーのマスター夫妻が登場し、高田の生前のエピソートを語るなどの趣向もあり、普段は知ることのできない高田の一面を知ることとなった。


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1曲しかレパートリーがなく、高田が最も恐れたという、女性軍団武蔵野レディースが登場。

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2部の目玉は急きょ飛び入りで九州から参加した南こうせつ。
南と高田は20年ほど前BSやWOUWOUで放映したフォーク特集番組での共演は見たことがあるが、昔はどうだったのだろうか。

流石に南はエンターテナーの要素も強く持っていて、何を歌おうかまだ決めてなく、高田の唄も数曲アルバムに収録しているが、やはり・・・といって結局「神田川」。

バックに佐久間さん、加川良そして司会のなぎらに、歌いたい?でもあんたは替え歌にしてしまうから・・・とふりを入れると、なぎらが「あなたのやらしさが怖かった」とボケ返す光景もあった。

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加川良が満を持して登場。
やはりこの人は人気が高く、一段と拍手が大きい。
高田さんと岩井さんに感謝・・というから、てっきり「下宿屋」と思いきや、あまり歌うことはなくなってしまったが・・といいつつ「教訓」を歌った。

福岡風太は既に酔っ払っているのか、斜に構えたような口ぶりでしゃべっていた。

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田川律がブルースギターの名手藤縄てつやを伴い登場し、「バハマの風」を歌う。
これは西岡恭蔵の奥さんクロちゃんの作詞になる歌で西岡が歌っていたが、高田の「旅の記録」下巻で高田と若い女性のデュエットが収録されていた。

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京都から来た藤村さんを紹介しますとの声で、とっさに気づいたのは、やはり高田の主治医の藤村さんであった。

なぎらがURCを知っている人なら「新幹線はうんと早い~」という世界一くだらないと言われた唄をうたった人でもあると紹介したので、PPMが歌った「トレイン」の日本語訳をうたった人だとわかった。

オートハープが我が国に初めて2本輸入された折の1本の所有者で後の1本は5つの赤い風船の西岡たかしだという。

すでに時計が18時半を回っており、終了までいたかったのだがこの後息子と飲みに行く約束があったから、そろそろ退散しようとしていると、小生が待ち望んでいた一人「大塚まさじ」が登場。

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中川イサトをバックに歌ったのは「夕暮れ」。
黒田三郎の詩に高田が曲を付けたもの。

この曲に関しては以前のブログに書いたことがある。
大塚のしっとりそして少し粘りのある歌い方もよかった。
これは小生の好きな曲の一つだ。

大塚の唄が聞けたところで会場を後にしてロビーに出ると、ディスプレイには「中山ラビ」の姿が・・・
しまった、もう少しいればよかったと悔やまれたが、仕方なく会場を後にした。

まだ聞けてない大物がいたのだが、6時間の長丁場はかなりきつい。

足元がかなりふらついてしまうほどだったが、待ち合わせの割烹へと向かった。

by noanoa1970 | 2009-04-07 09:42 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(6)

高田渡生誕祭60に行った・・・2

司会は中川五郎と佐藤GWAN博だ。

何しろ出演者が多いのと、リハの遅れで相当巻きが入ったらしく、司会進行は途中で彼らから出演者が次に出演者を簡単に紹介するスタイルに変更された。

最初の出演者はJAZZピアニスト渋谷毅。
サラッと登場し、さらっとダニー・ボーイを弾き、一言もしゃべることなくさらっと退場。
デジカメが未調整の間に終わってしまった。もう少し聞いてみたいピアニストだが、1曲しか弾けないスケジュールだから、しょうがないか。


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続いて中川イサトがエフェクターをうまく使用した1曲を披露。
小生はアコースティックギター1本のほうが好きなのだが、最近のイサトはこういう傾向が強いようだ。


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早川義夫はピアノ弾き語りを披露「一番美しいもの」というバラードだ。
この歌は往年の「サルビアの花」の延長線上の曲のように思えた。
彼の曲は一見ポップス調に感じるが、実は決してそうではないものがある。
メロディーメーカー早川スタイルは今も生きている。
少し驚くが、早川が高田と仲の良い飲み友達であったと中川五郎談。


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林亭という名前で当時から認知されていて、佐久間順平として活躍してきたが、最近林亭を再復活したといい大江田信を伴って登場。
この人はマンドリンやフィドルで高田のバックをやってきた人でもある。
ギターも弾くという万能選手で、なぎらと一緒にⅡ部の司会もたという才能ある人だ。


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青木とも子が登場オリジナル曲を歌う。
あの時代の、女性シンガーソングライターたちの、あの懐かしい声のトーンは健在だ。


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あまりも多い主演者だから記憶が跳んでいるので間違っているかもしれないが、次に斉藤哲夫が登場、ウディガスリーのナンバーを日本語でうたう。相変わらずの熱の入った歌いっぷりだ。


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京都では有名な女性シンガーで、高田と共演コンサートをやったことがあるという松倉如子という人。
この人の唄には一昔前の日本が潜んでいそうで、高田好みと小生は見た。
吉祥寺の「いせや」で働くも煙が喉に悪いことに気づき2日でやめた人だというし、天然だともいわれる。
若いのに、「赤色エレジーマニア」 というタイトルアルバムをだしているのも一体何者なのだろうかと、想像力をかきたてられる。
とても素晴らしかった。
小生初めて経験した彼女の唄だが、ものすごく興味を覚えてしまった。


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松倉が何か叫んで退場したと思ったら、「シバ」が登場。
彼は2つか3つのコードだけでとてもアーシーなブルースを聞かせる。
シバとは高田が付けたあだ名で、金がなくて困っている折公演のシバを食べたからだそうだ。
わが愛犬もシバという名前だが、芝居犬とこのシバが由来なのだ。


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次に登場した高田渡の息子高田漣は、なんと親父とは全く関係はないのですが好きな歌でと、ビングクロスビーのナンバー「イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム」を披露。
昔ラジオでよく流れたラブバラードだ。


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いとうたかおが登場。
先日のブログタイトルの「あしたはきっと」は、彼の持ち歌であったが、高田がそれを聞き、気に入って武蔵野タンポポ団の唄として取り入れた。


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恐らく高田の「パウロ」というクリスチャンネーム、洗礼を与えたであろう後藤神父が登場し、高田との思い出を語った。

吉祥寺界隈を散歩して、いせやの前を通ると、必ずと言っていいほど一人の男がカウンターに座っている。

4年前の今頃のこと、一本の電話が鳴った、それはある方からで家の者が亡くなったので葬儀の手配をしていただきたいというものだった。
家に行って亡くなった人の顔を見ると、その顔は、いつもいせやのカウンターに座っているあの男だったそうだ。
神父は思わず高田の奥さんに向かって「この人前から知っている」…そう叫んだのだそうだ。

小生の息子は武蔵野市のある会社に勤務しているが、高田渡ると思しき人物が、三輪自転車のかごにギターケースを入れて、吉祥寺方面に向かって必死に漕いでいるのを何回も見たという。
メールで高田の写真を送ると、まさにそれは高田であったという話もある。

ひそかにギターの衰えをカバーしに井の頭公園に練習に行っていたという話もあるから、そうだったのかもしれない。


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次に登場したのはブルースハープの達人松田幸一。
実にすばらしいブルースハープを聞かせてくれるから、高田はバックミュジシャンとして、佐久間順平同様、絶対の信頼を置いていたに違いない。


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小室等が娘のゆいを伴って登場し、誰だったか大岡信だったかの詩に自ら作曲したものを披露した。
佐久間順平がフィドルで花を添え、結は美しい声で小室に合わせていた。


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沢田としき、かれのブログはここは、生誕祭ポスターの作者で、小生の好きなイラストレーターでもある。
高田のエピソードを語ったのだが、内容を失念した。


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次にJAZZギターの名手が登場し、ブルースを弾いたのだが、よく知っている名前なんだが、今は思い出せない。思い出し次第追加します。
追伸:・・・・出演者プロフィールを見たら下路雅之だった。


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中川五郎がブラックボックスを伴って登場。
舞台の上は総勢20人ほど。ブラスも加えてのバンドで中川が歌った。

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ブラックボックスというバンドは大がかりなジャグバンドといってもよいだろう。
彼らが歌ったのが同郷の仙台での出来事をうたった「ブラザー件」。
しっとりとした歌い方もいいが、彼らのような早めのワルツスタイルは新鮮だ。
幽霊の父と娘が登場するところではヒューという、ちんどん屋が使うような擬音楽器を使っているし、最初は少女が「笹の葉サーラサラ・・・」と歌ってから始まるところなど心憎い思考だ。

モダンチョキチョキーズというコミック風のバンドが、かってあったがその大がかりバージョンのようだ。

これで2時間余りの1部が終了し、20分の休憩に入る。
Ⅱ部はいずれUP予定だが、記憶が途切れているので間違いがあるのを勘弁されたい。

休憩時間の合間に「旅の記録」上下巻セットを購入。
未CD化の内容もよいがブックレットなどの装丁もかなり手の込んだものになっていて、高田の本望ではないような気もするが、ここは記念にと妥協した。

by noanoa1970 | 2009-04-06 16:28 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

高田渡生誕祭60に行った・・・1

久しぶりの東京。
武蔵野はちょうど桜が満開の時期だ。

三鷹の駅で息子と待ち合わせ、西久保の「なかざき」で鴨汁そばと出し巻き卵の昼食後会場の武蔵野文化会館へ向かう。

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2時頃の会場付近にはチラホラしか客の姿がないので心配したが、ホールの階段は2時の会場を待つ人で溢れていた。

並ぶのを避けてホールの休憩所に座って待つことにしたのだが、5分もたたない間に次から次へ観客が増えて外にまで溢れそうになったから、あわてて列の中にもぐりこむ。

階段の中腹で待つことになったので、足場が悪く身動きができない。

リハが遅れているとかで、結局階段上で30分待つことになった。

ほとんどが中高年の観客ばかりで少し危険であるから、外での待機にしたほうがよいのではないかとも思ったが、外での待機は許可されてないのか、あるいは警備などの都合上やむを得ないところか。少し寒いのを気遣ってのことか、とにかくあまり慣れ手ない様子であったが、それも内輪の手作りコンサートだからいたしかたないし、一人だけ遅れている理由を説明しろ!と叫んでいたが、後は大人であった。



観客数はザット1000人あまりだろうか、1300人収容ホールが7部ほどの入りだ。

2時半開演が20分遅れて開始となった。

by noanoa1970 | 2009-04-06 12:06 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)