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カテゴリ:宗教曲を聴く( 31 )

12年目・わが追悼の心

早いものであれから12年たった。
小生は年々風化してしまいそそうな気配の漂う、かの地から遠くの住民であるが、「活断層」のほぼ真上にあるところに住んでいることが近年判明し、人事ではないと思うようになって来た。
また、あの惨事から見事復興を遂げた、阪神地区の市民の方々の努力と勇気、そして不幸にも亡くなられた人々への、ほんの微かで僅かな追悼の意を込めて聴いた音楽、それは
「モーリス・デュリフレ」の「レクイエム」そして「グレゴリオ聖歌を主題とした4つのモテット」であった。
いずれの曲も、「犠牲になられた人達」のことを忘れないで、そしてその方たちが天国で安らかに眠ることを祈るものとして、現代の作品の中では秀逸のレクイエムであると思われる。

演奏はデュリフレが亡くなった1986年に録音された、エラートのデジタル録音。
「テレサ・ベルガンサ」「フォセ・ヴァン・ダム」の独唱。
コローヌ管弦楽団と、合唱団
オルガン:フィリップ・コルボ
指揮:ミシェル・コルボ

遠くグレゴリオ聖歌がしのばれて、敬虔さにあふれる楽曲。
ホザンナのフーガは特に傑作だ。
演奏もベルガンサの非宗教的歌い方が逆に良い結果をもたらしたようだ。
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合唱と管弦楽の編成の曲は、やはりアナログで聴くほうが味があるようだ。

by noanoa1970 | 2007-01-18 16:29 | 宗教曲を聴く | Comments(0)

謎のレコード盤・・・ドラランド「我・深き淵より」

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レコード棚を漁っていたら見つかったのが何も書いてない白いジャケットに入ったレコード。白いジャケットに「「パイヤール仏古典音楽集成ー8」「ドゥラランドー深き淵より、、天の女王」とだれかの下手な字、細めのッマジックで書かれてある。
多分1968年付近DRACの「庶務」担当が大阪のレコード会社を回って、学内レコード・コンサート用の音盤を提供してもらいに行っていて、その中の物が小生の手元に残ったのだろうと思われる。

当時学生では下宿先でレコードが聞ける環境にあるものはごく一部、だから地元の学生であった「庶務」担当が、見本盤を預かり置くこととなったが、それが自然に自分の所有となっていったたという記憶がある。どれだけのレコードを見本として入手したのかは、報告も求めなかったし、毎週開かれる「水曜コンサート」に使う新譜や、それに該当するものが供給されれば、サークルとしては十分であったから、誰もモンクを言うものはなく、先代から「庶務」の役得みたいになっていたように思う。

小生は当時うるさ型の「副会長」・・・新撰組の副長「土方歳三」気取りであったから、文句が出るのを恐れてか、何枚かを(口封じに)小生に渡したのかもしれないが、とにかく小生の手元には「見本盤」が5枚ほどあり、その中の一枚がこの「ダウランド」である。

「宗教曲」は当時から好きなほうで、アンチェルとチェコフィルのドヴォルザークの「レクイエム」がドイツグラモフォンから出たときにはいち早く入手し、DRACの皆に聞かせたことがあったから、きっとダウランドの「深き淵より」は小生向きだとの配慮があったのだろう。

しかし当時小生はドゥラランドあるいはダウランドという音楽家は全く知らなくて、この見本盤はほとんど聴くことなく、久しく眠ったままになっていたのであった。

昨日「人間を帰せ」という衝撃的で、刺激的な音楽を聴いたので、本日は心休まるであろう「深き淵より」を聴くことにした。

ジャケットも開設も何もないから、このレコードに関しての情報は全くなく、ネットで調べても「ダウランド」の「深き淵より」の情報は全くなかった。

まず「ダウランド」をネット検索すると、なんと彼はイギリスの作曲家とあり、作品を調べると「深き淵より」などは、どこにも見当たらない。2時間余りを費やしアレコレ探してみるのだが、どれだけ探してもそれらしきものはない。
もしかするとパイヤールとコルボのこの録音は貴重なものか・・・などと考えて音盤をスキャナーで読み取り拡大してみると、Michel-Richard 「Delalande」 とあり、John 「Dowland,」ではないことに気づくこととなった。

つまり「ダウランド」とばかり思っていたのは実は「ドラランド」で、フランスの作曲家で、再び調べると、
『ミシェル=リシャール・ドラランド Michel-Richard Delalande [またはド・ラランド de Lalande](1657年パリ - 1726年6月18日ヴェルサイユ)はフランス・バロック音楽の作曲家で、フランス宮廷オルガニスト。ジャン=バティスト・リュリやフランソワ・クープランと同時代に、太陽王の宮廷音楽家として活躍。ルイ14世の王女の音楽教師を務め、1714年から没年まで王室礼拝堂の楽長を務めた』
オルガン奏者。ラランドとも。いわゆる〈ベルサイユ楽派〉を代表する大作曲家の一人で,モテットの発展に寄与した。パリに仕立て屋の子として生まれ,少年聖歌隊で音楽を習得。1683年ルイ14世の礼拝堂楽長の一人に選任され,のち王室楽長に就任。リュリ亡き後の宮廷音楽界に君臨した。国王の礼拝のために,独唱,重唱,合唱,管弦楽による約70曲のモテット(グラン・モテ)を残し,中でも壮麗な意匠を凝らした《深き淵(ふち)より》(1689年)は広く知られる。ほかに《テ・デウム》(1684年)などの宗教音楽,宮廷バレエや器楽曲がある。

一方「ダウランド」は

『ジョン・ダウランド(John Dowland, 1563年-1626年2月20日)は、イギリスの作曲家、リュート奏者である。1588年にオックスフォード大学で音楽楽士となり、海外で職を求めた。ニュルンベルク、ヴェネツィア、フィレンツェなどヨーロッパ諸国を遍歴し、1598~1603年にはデンマークでクリスチャン4世付きのリュート奏者を努めた。
1606年にイギリスに戻り、1612年に国王付属のリュート奏者となった。ダウランド自身は、その名のもじりである "semple dolens"(常に嘆いている)を標榜したが、陽気な人間であったと伝えられる』

下手な字で「ドゥラランド」と書かれていたのを、なまじっか仏語の知識をいいことに、小生が早とちりして「ダウランド」と勝手に思っていたことから、40年余り「誤解」をしていたと言うことになる。レコードのセンターラベルの記載など今まで気にしなかったものだから余計に思い違いはそのままであったが今回買う題して眺めたことによって漸く招待が判明したのであった。

フランスとイギリスそして100年の隔たり、背増音楽と宗教音楽の特徴の違いなど、両者について今まで知らなかったことが少しわかり、この時代の音楽への興味がより強まったことは少しデモの救いだった。


De Profundisは大体察しは付いていたが、念のため調べてみると
De Profundis」「深き淵より」
詩篇第130章「深き淵より,De Profundis」の最後にレクイエムの入祭唱の冒頭2行を続けて、それをモテットとすることは、よくあることのようだ。そうした例としては、ドラランドなどが有名だ。しかし、それをレクイエムの中に組み込んだ例は珍しい。シャルパンティエのH.7ぐらいであろう。

「grand motet」
とレーベルに記載があるので調べると
グラン・モテ(大モテット) grand motet
17世紀末から18世紀にかけてフランスで多く作曲された、独唱とコーラス(多くは2重合唱)と管弦楽つきの大規模なカンタータ風のモテトゥス。テキストには教会の典礼に関係していないものもあり、教会と劇場の両方に出来る音楽形式ということが出来る。

レコードには詩篇129となっているが通常「深き淵より」は詩篇130ミ♭ソレとの記述もあるので、この録音は特殊であるかあるいは120と130はほぼ同一のものであるか・・・その辺りは調べなくてはならないが、・・・・

曲は・・・「ミ♭・ソ・レ」と陰鬱なメロディで、アルトが「主よ われ深き ふちより御身に ・さけぶ
主よ わがこえを ・ききて・・・」と歌いだす・・有る意味レクイエムよりも暗く、嘆き悲しみがあふれるような音楽である。レクイエムが「死者が安らかに天国にいける」ようにと祈る、残された人の歌」であるのと異なり、「深き淵より」は、「死者の声そのもの」のように思えてきた。

レクイエムやミサ曲以外にもこのような「宗教的」な曲を聴くのもたまにはいいものである。久しぶりに宗教的な気分となってしまった。

余談だが「ドラランド」は「ド・ラランド」とも「ラランド」表記されるようである。

De Profundis 我深き淵より

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。
耳を傾けてください。
嘆き祈る私の声に

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。
人はあなたを畏れ敬います。
なぜなら赦しはあなたのもとにあるからです

私の魂は望みをおき御言葉を待ち望みます。
私の魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして。

イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かなあがないも主のもとに。

主は、イスラエルを
すべての罪からあがなってくださる。

主よ永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光を彼らに照らしたまえ

by noanoa1970 | 2006-08-17 08:45 | 宗教曲を聴く | Comments(0)

3人のマリアの慟哭の叫び

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古代ケルトの国、狭義には古代アイルランド・・・といっても外れではないが・・昔その勢力範囲は今のヨーロッパの半分以上を占めていた・・・、といわれるその国にはずーっと古くから、「ドルイド教」という自然神信仰の民がいたという。人間と自然神の仲介役としての「樫の木の賢者」・・・樫の木につく「宿木」が神格化されたので、そうなったというのだが、この「ドルイド教」とはDru(オーク)とwid(知る)からなる古ケルト語で「オーク=樫の木を知る者」ということらしい。
アイルランドにキリスト教が入ってきたのは、5世紀「聖パトリック」によってだと言われている。そしてパトリックは、キリスト教への改宗政策を他の地域で、キリスト教が行った「弾圧」などにはよらず、土着の民と融合するため、緩やかなキリスト教化を目指したという。

ここに古代ケルトの古い文化を継承しながら、キリスト教の価値観による社会に徐々に変化していったアイルランドの、無血革命?が成立するのである。

例えば、古代アイルランドの民謡や、聖歌など宗教的儀式の音楽は、その歌詞をケルト語と、ラテン語それぞれが両立した形で存在することによって、改宗した人にもしていない人にも・・・両方受け入れることが出来、キリスト教化への進行は、ユックリであるが、確実だったと言われる。

「3人のマリアの慟哭の叫び」もご多分に漏れず、古代ケルトの音楽の上に、キリスト教の歌詞をケルト語でつけたもので、別にラテン語のものが存在するという。
3人のマリアとは「聖母マリア」「マグダラのマリア」「聖ヨハネの母のマリア」・・・・・この3人といわれる。

「3」は古代ケルトでは最も重要な数字で、「3人の女神信仰、「三幅対」(トリプリズム)」「三脚巴紋(トリスケル)」「3つ葉のクローバ」を重く用いることでも分かる。

聖歌の中で、マリアを3人としたことはキリスト教の、ケルト融和政策の一環によってのことであったのだろう。「3人の女神信仰」が自然に「3人のマリア信仰」となっていったのではないかと想像できる。

今日聴いたのは・・・・CDショップの声楽コーナーで見つけて、何も分からずにジャケット買いをしたもの。「lights in the dark」と題されたその黒っぽいCDには作者らしい見知らぬ名前が「HEKUTOR ZAZOO」と記されてあった。ジャケットの十字架がは「いかにもケルトの十字架」ぜんとしていたので、中身を確かめることなく衝動買いをした。

調べてみるとこの「ザズー」という人物はクラシック音楽とはなんら接点のない、少し風変わりなポップス、ジャズの音楽家であった。もしCDショップが間違えてこのCDをクラシックの声楽コーナーにおかなかったとしたら、小生の目に留まることは決してなかったはずのものである。

収録曲はケルトの古い聖歌のアレンジ。現代的にアレンジされているか、しかしどこかしこに古い伝統をタップリと引きついででいるようだ、3人・・・これも3であるが・・・の女性のアイルランドの歌い手も素朴で美しい声を聞かせる。「キーナ」という葬儀の通夜に嘆き悲しみの歌を専門に歌う職業・・・最近まで存在したという・・・・の伝統歌の、程よい具合のアレンジが聴けることも大変貴重である。

久々にジャンルの垣根を壊し其れを遥かに飛び超えた、とても優秀な録音にめぐり合った。
わが国から「坂本龍一」教授がピアノあるいは琴で参加していることが後に分かった。

by noanoa1970 | 2005-10-03 15:03 | 宗教曲を聴く | Comments(0)

フランク・マルタンのレクイエム

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スイスの作曲家フランク・マルタン(1890~1974)は余り知られていない作曲家である。
確かにこのLPは好んで入手したものではなく、レクイエムを集中して集めていた1970年代後半に、ディスカウントで手に入れたものであった。マルタンは1974年に亡くなるのだが、このレクイエムは、その1年前に作られており、完成とほぼ同時の1973年5月4日にスイスのローザンヌ教会で、作曲者自身の手で初演されたライヴである。

1974年11月21日死去と伝えられるから、この演奏はそのわずか半年前のことであった。
10歳の時にバッハの「マタイ」を聴いて感銘を受けたという彼の音楽はバッハの他、シェーンベルク、バルトークからの影響が見受けられるという。このレクイエムも初期のシェ-ンベルクのようにロマン主義的「無調」が頻繁に現れ、対位法の要素も強くもつように聞こえる。

しかし無調≠12音にも似た音楽語法を駆使したレクイエムは、当然の事ながら、われわれが知る其れとは大きく違う。ここで聞こえるのは、「死者の魂が安らかに天国に導かれるように」と神にお願いするために祈るレクイエムではないようだ。
言い方を変えれば、この世にまだ「未練」が沢山あり、「まだ死にたくない」・・・「死がが怖い」、残念でしょうがない・・・などなど、死に対する「うらみ、つらみ」が聞こえてくるような音楽である。彼は「ユグノー教徒」であったということ、彼の父は「カルヴァン派の聖職者」であったというから、彼は「プロテスタント」である。にも拘らず通常のラテン語の典礼文をテキストにしたレクイエムを書いたことに、「自身の死の予感」があったのではないかと思っている。

このライヴもそのことを思わせるようで、すさまじいばかりの演奏ぶりであるし、全員が同じ方向を共有しているかのように・・・まるで何者かに取り付かれているかのように激しく切ない演奏を聞かせてくれる。第3曲のすさまじい不協和音の「ディエス・イレ」に比べて第4曲の「オッフェルトリウム」ではロマン主義的な美しいコーラスを聞かせる。不思議といえば不思議だが、7曲にフォーレも採用した「天国にて」が無限旋律のような管弦楽に、魂が上昇していくような合唱とソプラノのソロで歌われ、上昇のまま(途中)で曲が終わる。曲はレクイエムのフル版で全8曲。最後の「ルクス・エテルナ」で終わる。

聞き物?は演奏終了後の「拍手」である、延々と・・・・5分以上続く。途中で手拍子に変わるが、すぐに元に戻る。この演奏に対する聴衆の「宗教的興奮」が伝わるようだ。マルタンのスイス人にとっての人気の高さが思われる。
今ではこのようなことは望むべくもないが、拍手が終わるまで全てを収録したこの音盤にも敬意を表したいものである。

FrankMartin (dir) André Luy (org) Elisabeth Speiser (sop) Ria Bollen (alto) Eric Tappy (tnr) Peter Lagger (bss) Groupe Vocal 'Ars Laeta' : Orchestre de la Suisse Romande

by noanoa1970 | 2005-10-01 13:12 | 宗教曲を聴く | Comments(4)