修学院の家、貸した後

d0063263_20491141.jpg

d0063263_2049452.jpg

d0063263_20484420.jpg

d0063263_20484139.jpg

d0063263_20483573.jpg

d0063263_20483285.jpg

d0063263_20483285.jpg

d0063263_20482042.jpg

d0063263_20481159.jpg

d0063263_20483285.jpg

d0063263_20482042.jpg

d0063263_20481159.jpg

d0063263_2048859.jpg

d0063263_2048511.jpg

d0063263_20474316.jpg

d0063263_20474025.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2017-02-07 20:50 | 京都 | Comments(0)

修学院の家貸す前-2

d0063263_2037584.jpg

d0063263_2037169.jpg

d0063263_2036553.jpg

d0063263_20363768.jpg

d0063263_20363010.jpg

d0063263_20362388.jpg

d0063263_20362180.jpg

d0063263_20361828.jpg

d0063263_20361454.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2017-02-07 20:37 | 京都 | Comments(0)

修学院の家、貸す前の状態

d0063263_20322490.jpg

d0063263_20321934.jpg

d0063263_20321499.jpg

d0063263_2032522.jpg

d0063263_2032224.jpg

d0063263_20315963.jpg

d0063263_20315563.jpg

d0063263_20314938.jpg

d0063263_20314293.jpg

d0063263_20313699.jpg

d0063263_20313185.jpg

d0063263_20312813.jpg

d0063263_2031252.jpg

d0063263_20312099.jpg

d0063263_203136.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2017-02-07 20:34 | 京都 | Comments(0)

その前に

会場の同志社大学明徳館に行く前に、時間があったので、あぶり餅で有名な今宮神社にお参りすることにした。
d0063263_144516100.jpg


d0063263_1446013.jpg
丁度お昼前で、食事を「のらくろ」と決めていたから、香ばしい匂いをかぐだけで、あぶり餅は食べないことにした。

昼食後、今年は寅年というわけではなく、実は小生、「とらや」の本店は東京で、京都にあるということを、つい最近まで知らずにいて、あるとき、同じように思っていたらしき先輩から教えられたのだった。

d0063263_14532620.jpg
そこで、風貌だけは見た記憶がある店を探して、御所の西の付近に行くが、あの古めかしい建物は存在しなかった。
なんと・・・新しく建て替わっていて、昔の古民家風のたたずまいは、影も形もなくなっていて、ガラスケースのショウウインドウを持つ、とても和菓子屋とは思えない店構えに変貌していた。

ビックリしながら車を停めて、小生の祖母が「とらや」ファンだったということで、家内がお供えにというので、最中を購入することにした。

じょうよう饅頭とも思ったが、なんと普通の店の3倍もの価格で、あきらめたのだった。

「とらや」は高い。

春を迎える喜びを表現する最中は、紅白で赤は桜(花弁からは桜に見えたが紅梅かも)を白は白梅をかたどっている。
白梅にはこし餡、桜(紅梅?)には白餡が入っている。

d0063263_1503255.jpg
d0063263_150533.jpg
まだお供え中だが、もうすぐお茶の友に出ることだろう。

制作者本人から、頂いたと息子が持ってきてくれた、自家製の川根茶の極上品を淹れて味わうことにしよう。

[PR]

by noanoa1970 | 2010-01-16 15:01 | 京都 | Comments(0)

海津温泉から今宮神社へ

昨日、車で30分ほどのところにある海津温泉に行った。
平地にある温泉にしては珍しい天然温泉かけ流しだから、最近お気に入りの温泉である。

一昨年までは町営だったので、福祉的な要素が強く、100円という安さだったから、いつ行ってもお年を召した型でいっぱい。

お弁当持参で来る人が多く、休憩場所は席を取るための荷物であふれかえっていたが、去年から民営化されリニュアルされた。

料金は500円となったが、それでも天然かけ流しの温泉だから、リーズナブルであり、鉄分を含んだお湯が出口までは透明なのだが、空気に触れると赤さび色に変わるのもまたいかにも天然ぽくてよいのだ。

風呂は2か所に分かれていて、昔からの「長寿の湯」と最近できた「癒しの湯」があるが、小生はより鉄分を含んでいると思われる「長寿の湯」を好んでいる。

中央に直径5Mほどの湯船があるだけという質素な風呂だが、最近のスーパー銭湯とはまったく違い、温泉の気分に十分浸れる。
ただ湯温が相当熱いから、長湯ができないのが残念なことだが、いつも空いている。

どうも最近はいろいろな浴槽があり、露天もあるといった温泉のほうが好まれるのか、「癒しの湯」は人が多い。

温泉から上がって時計を見ると午後13時だったが、家内がどこかに行こうというので急遽今日都に行くこととなった。

目的はこれといってなかったが、新名神途中の土山ICでお気に入りの豚まんを買うことはすぐに決まった。

新年だからどこかでお参りをとなって、最初は北野天満宮と思ったのだが、あそこは受験の神様だから今がシーズン。
きっと込み合っていると、前の道を通ると、やはり混雑の様子だったから、車中から手を合せるだけにして、車を迂回させて紫の野「今宮神社」へと向かうことにした。

この神社の楽しみは、言わずと知れた「あぶり持ち」。
しかしお参り後の楽しみということでまずはお参りすることにした。
この神社の良いところは、京都では非常に珍しいのだが、神社の境内近くに駐車場があることと拝観料が無料なことだ。

15時に近い頃だったからか、1月5日にも関わらず混雑は全くなかった。

お参りしたあと参道わきの両側にある「あぶり餅や」の神社に向かって右側にある「一文字や」で「あぶり餅」を1人前注文。

細い竹串の先にほんの少しつけっられたおもちを、黄な粉でまぶし、それを炭火で焼いたのちに西京味噌のタレをかけたものだ。
1人前15本あるが、お腹がすいていれば軽く3人前は食べられそうである。

しかし小生たちは、縁起物として食べればよいので、2人で1人前の注文。

あぶり持ちを食べるのは30年ぶりのことで、よく考えたら前も迎えの店「かざり屋」ではなく、「一文字屋」だったこと、そして学生時代にも同じく「一文字屋」であったことに気がついた。

どうも進行方向左側に相性があるようだが、向かいの「かざり屋」の味も気になるところだ。

次回は違う店に入って味の違いを確認してみよう。

急に思い立ってのことでデジカメを持っていってないから、写真がないのが残念。

往復5時間、京都滞在時間は1時間という無鉄砲な思いつきの・・・・新名神ドライブであった。

ちなみに今宮神社とは以下のような祭神と延喜を持つ
本社 中御座:大己貴命
東御座:事代主命
西御座:奇稲田姫命
摂社 疫社 :素盞鳴命
建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会が営まれた。一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神興に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。

4月には京都三大奇祭とされる「やすらい祭」があるというから、一度は見てみたいものである。

[PR]

by noanoa1970 | 2009-01-06 14:38 | 京都 | Comments(0)

新名神高速道路で京都へ

昨日の11月1日、この日京都での小生と家内の同窓会が重なった。
小生は抜けられない用事があって、すでに欠席の返事を出しておいたので、家内もその旨返事を出したというが、どうも様子を見ていると昔の仲間に会いたいらしい。

家内のほうは女子高等学校の学級会ということで、割と急な連絡だったようで、幹事から電話で10人しか集まらないので何とか・・・といわれたようだった。

10年ぶりぐらいだとのこと。

それで用事が終わり次第、新しくできた高速道路「新名神」を使えば、家から2時間で行ける計算が成り立つことを確認して、15時から開催される家内の同窓会に間に合うように出発した。

どこに行くにも一緒に連れて行かなくてはならない、「シバ」も少し元気を取り戻してきたこの頃だったから、車に乗せても大丈夫という判断のもと連れていくことにしたのだった。

修学院の実家は、現在人に貸しているから、駐車場は使えない。
白沙村荘も先日行った様子では、中庭が取り壊されていて、いつもなら駐車スーペースがあるも、どうもままならない状態だった。

ひとりで置いておけない「シバ」を一緒に連れていくためには車でいくしかない。

家内の会場は京都駅ビルの中だというが、あの付近の駐車場は少ないし、あっても満車のことが多いから、車が自由に停められ、しかも京都駅に行くのに便利なところ・・・それは小生の知る限り、「宝が池」「国際会議場」周辺である。

そこからであれば、京都駅まで地下鉄で20分あれば大丈夫だ。

しかも「宝が池」周辺は、車を停めておく場所はまだ無数にある。

それで、家内だけを京都駅に送り込むことにして、シバと小生は、宝が池周辺のしかるべき所で待機することにした。

国際会議場前をしばらく通り越したところ・・・勝手知ったる京都だからこのような芸当が可能だ。

人間だけの、しかも観光であれば、ここに車を停めておいて、地下鉄で町中まで出て買い物など、至極便利であろう。

少し遠方の・・・北山や西山、大原あたりなら、ここを拠点にして車で移動すれば便利なこと請け合いである。

苦労して混雑するところに車で移動しなくても、地下鉄という道具が京都にもあるのだから、これをうまく利用しない手はない。

おりしも国際会議場では両陛下を招いて「古典の日」制定に向け「源氏物語」の講演会も開かれていた。

事前に知っておれば、瀬戸内寂聴と米コロンビア大名誉教授(日本文学)のドナルド・キーンの講演が聴けたのに、残念なことをしたが、予定していなかった京都行きだったのでいたしかたない。

d0063263_10421927.jpg
国際会議場前から見た比叡山がきれいだったので写真を1枚。
紅葉にはまだ少し早いようだ。

東名阪経由新名神で桑名から京都まで、途中シバの休憩をはさんでも約2時間、ノンストップであれば、100分余りで到着するから、桑名から京都の新しいルートによって、より京都が近くなった。

おまけに、これはうれしいことだが桑名IC~京都東ICまでは97キロしかないから、通勤割引によって高速道路通行料が半額である。

しかも思ったより道路は広く、とても走りやすい。
途中大型の「土山PA」があり、美味しいものが用意されていたのもうれしいことだった。

d0063263_10461937.jpg
一押しは「ウァン」の豚マン、焼売。
これはものすごく美味しい。

急に思い立ってもいける京都・・・京都がまた近くなった。

[PR]

by noanoa1970 | 2008-11-02 10:54 | 京都 | Comments(10)

遊び心

1980年京都市美術館に1枚の水墨画が展示された。
その抽象的な画風は、展覧会に来た多くの人を、絵の前で立ち止まらせ、中には主催者にあの絵を描いた画家はどなたでしょうかナドという質問をする人もいたらしい。

その大胆なタッチ、濃淡の表現は、他に展示された水墨画が、現実味を多分に帯びていた中、奇異かつ斬新なものに見えたのだろう。

主催者は、数々のそのような質問に、ただ笑うだけで、答えることをしようとしなかった。

主催者は禅画社という水墨画の会を運営していた、京都修学院に住む小生の義父・・・つまり小生の家内の父親である。

そして話題となった絵の作者は、当時3歳の我が息子である。

修学院の実家に帰ったあるとき、陽だまりの縁側で、義父の遊び心に紙と筆を持たされて放っておかれたところ書いたものがこの作品だった。

ソの一部を切り取って、額装したものである。
説明がない限りは、小生が改めてよく眺めても、現代水墨画作家の抽象画だと思うだろう。

額装され、展覧会場の一番メインに飾られたのでは、観る人を悩ませることになった。

恐らく義父はこのような光景を予想して、そしてまたこのような結果となることを見越す余興を楽しんだに違いない。

その仕掛けに見事にはまった人はかなり多かったが、当の本人は、当たり前のようにそんなことなど全く記憶にあるはずもない。

そのような作為のないことがこの作品のよさでもある。

落款まで作ってもらって、立派に表装してあるこの作品を今見たら、どのように息子は思うのだろうか。

d0063263_952438.jpg
d0063263_9523259.jpg
d0063263_9525245.jpg
d0063263_9532060.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2008-01-20 10:14 | 京都 | Comments(2)

関雪桜・・・誰も知らない命名の経緯

d0063263_11481418.gif
今はなき掲示板「クラシック招き猫」で議論を戦わせた論客「てつわんこ」氏のブログ「神戸阪神地域芸術文化情報」中の
京都洛東の紅葉(4)哲学の道 に白沙村荘:現橋本関雪記念館のことが書かれていて、中に「関節桜」が紹介されていた。

「この桜は、長い間関節が植えたものとされていたが、事実はそうではなく、関節の妻ヨネが苗木を購入し、哲学の小道の疎水沿いに植林したものである。」と、知ったかぶりのコメントしたら早速訂正していただいた。

さらに関雪桜の命名は・・・関雪の孫に当たる・・・当時白沙村荘の当主で局長であった「帰一」氏なき今日、こんなことを知る人はもうそうはいないと思うのだが、それは何を隠そう、当時アルバイトで入って後にNOANOAを立ち上げることになった小生とと大学サークルも一緒だった友人K田と、そして帰一氏によって考えられ、つけられたものである。

話は1969年ごろ、それまで橋本関節個人の住居で、その家族が住んでいた「白沙村荘」というニックネームで呼ばれていた約3000坪の敷地に有る池泉回遊式庭園を持つ家屋を一般公開するに当たり、小生は庭園管理の先輩達に続いて、屋敷内に新しく設けられることになった、総檜造りの「お菜ところ」という食事とお酒を提供する店のバイトに入った。

切欠はK田と下宿を同じくするS倉という男の誘いがあって、たまたま遊びに行った小生がK田を巻き込んでそれに同調したのだった。
そのとき白沙村荘は、一般公開をして間もない頃だったから、2人とも白沙村荘の存在も、橋本関雪という日本画の巨匠のことも知らなかったが、S倉の説明を聞き興味がわいたのだった。

白沙村荘でのバイト生活は快適そのもので、バイトの仕事は勿論だが、何よりも「文化芸術」の中に身を浸す快楽とチョットした優越感は、得も言われない魅力があった。

全てにわたってが、およそ京都人らしくない豪快さに溢れていて、夜ともなると関雪や、その息子である故雪哉、そしてその奥さんである田鶴子さん

(この人は大昔の東京都知事鹿児島県知事の娘・・・お嬢さんであるにもかかわらず、お菜ところをやることになった。
そして
このとき主に料理の手ほどきをしたのが、関節の墓がある精進料理で有名な山科の月心寺の安寿さんである)

の知り合い縁者などでいつも賑わっていて、青二才の学生の身分では絶対にお目にかかれないような高名の方々とも屈託無く酒を酌み交わしたり出来るそんな魅力があった。

いく月かが過ぎ、NOANOAというイタリアンレストランを開くことになって、小生とK田は開設主担当となって準備を始めていたが、あるときミニコミ誌の記者がやってきて、京都のタウンマップを作るからNOANOAを掲載しないかという。

聞けば昨今流行のタウン誌の走りのようなものを作るということで、銀閣寺周辺を1ブロックにするという。

当時小生たちはミニコミにも興味があったので、どんな感じに仕上がるのか興味もあって、あれこれ話すうちに、咲き始めた白川沿いに植えられた桜の話題になった。

白沙村荘当主で局長の「帰一」氏によると、関節の嫁が植えたもので、周辺の人は関雪はんが植えはったといっているらしいという。

この桜並木をNOANOAそして白沙村荘とむすびつけない理由は無い。
今までは個人の住居にしか過ぎなかったが今は違う。

そこでごく自然に、誰からともないように「関雪桜」とするのがいいのではないかという雰囲気になり、ミニコミ誌にそのように明記してもらうために党首であり局長の意見を仰ぐと「帰一」氏は、さも大発見したように大きく頷きながら「関節桜か、これはいい、当たり前すぎて今まで気がつかなかった」といいながら手放しで喜んだ。

「関節桜」が世に初めて出ることになったのは、このときの京都のタウンマップの雑誌によってで、それから長い年月の間に世間に浸透してようやく定着したのである。

名前の由来や名付け親そして命名者の存在などは、時とともに忘れ去られるのが宿命であるが、そういったものに関わったという事実が存在し、そしてそれが今日まで引き継がれてきているということに、何か特別なものを感じることがある。

現在の白沙村荘:橋本関雪記念館の運営は「帰一」氏が亡くなった後、奥さんの「妙さん」と次男の手になるが、まだ若き関節のひ孫は、そのあたりの経緯を多分知らないであろう。

[PR]

by noanoa1970 | 2007-12-04 11:21 | 京都 | Comments(1)

修学院の家

玄関を上がってすぐ左にある茶室。伝統的なつくりでは勿論ない。玄関脇からすぐに入れるようにしてあり「にじり口」風にしてある。部屋の中には「炉」が切られている。小生はこの部屋をベッド代わりにしたことがよくある。右側の障子を開ければ、LDKに通じる。左は庭が見えちょうど「椿」「お茶」の木がすぐに見えるようになっている。
d0063263_2014322.jpg

部屋の中心部分に入る扉を開けたところ。障子が目に飛び込んでくる。
d0063263_2025316.jpg
かなり広い部屋。多分昔はここが画室であったことだろう。最近まではこの部屋が、今で言うところの、LDKとなっていた。京都の冬はとても寒いので、煙突つきの大型石油ストーヴは必需品である。
d0063263_204022.jpg
LDKから次の次の部屋がこの囲炉裏部屋。古い民家の板戸を持ってきて仕切り戸にしてある。年月を経た板戸の黒光した色艶がなんともいえない風情をだしている。
d0063263_2042458.jpg
LDKから囲炉裏部屋を望む。右に見えているのは料理屋の厨房を思わせるぐらい長いキッチンユニット。
d0063263_2045344.jpg
囲炉裏部屋から一つ部屋を経て、LDKを見たところ。
d0063263_2051265.jpg

囲炉裏部屋の天井はこのようになっていて、自在鍵が下がっている。栗の木で作ったJ字型の、重さ50kgほどあろうかと思われるフックは取り外してある。平屋だからこそこのような天井にするが可能なのである。
d0063263_20252455.jpg
LDKの西側。ここも全ての窓が障子である。アルミサッシの手前にサンを設けて、全ての窓に障子をはめ込んだもの。
d0063263_2052871.jpg
囲炉裏部屋のシャレた空間。ここで寝てもいいし、机を置いて、あるいは寝転がって読書に励んでも、音楽を聴いてもい。ここは囲炉裏から少し持ち上がった3畳のタタミの間。居心地が大変によい。
d0063263_206071.jpg

囲炉裏の回りはこのようになっている。火鉢も相当古いものである。囲炉裏の周りには8人は座ることが出来そうだ。ここでお気に入りの器と、料理と酒で楽し見たいものである。
d0063263_2016564.jpg
片付ける前まではこの部屋が納戸になっていた。全貌が明らかになると、この部屋の梁には、余り太くはないが、角材でなく自然の樹木が使われていることを発見した。
d0063263_2063246.jpg
囲炉裏部屋の自在鍵から廊下を介して納戸になっていた部屋を眺めたところ。
d0063263_207723.jpg

一番北側の六畳の部屋。その向こうにはたたみのユーティリティがあって、橋には風呂がある。
d0063263_16495766.jpg


以上が修学院の家内の実家のあらましである。日本画家としての義父の趣味嗜好が表出した家屋であるから、いずれはこの地に住まいたいと思う。庭も相当に広く、手入れが何意義だが緑が豊富だから、そして静かな環境であるから、老後にはもってこいの住まいである。

LDKとなっている部屋は、天井高が3m以上有るから、ここの天井を取り除いて梁を露出させたら、ものすごい空間になると思うのだが、それは当分先の話、夢・幻で終わるかもしれない。
[PR]

by noanoa1970 | 2006-05-23 06:48 | 京都 | Comments(0)

修学院の家

玄関の扉をを開けると・・・・
d0063263_19513417.jpg

上がりかまちの向かいには、障子で仕切られた部屋があり、良く来客用に使っていた。
d0063263_19504170.jpg

部屋は書院造の四畳半。とても落ち着いた雰囲気だ。この写真ではまだ長火鉢が置いてある。
d0063263_19592481.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2006-05-22 09:57 | 京都 | Comments(2)