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カテゴリ:「サンカ」」あるいは「山窩」( 1 )

日本にもいた「漂泊」「流浪」の民

「漂泊」、「さすらい」、「流浪」、「HOBO]に言及していて、フトあることに気づいた。ケルト、ジプシーもそうであるのだが、実は昔・・・・といっても昭和の20から30年代の間くらいまでは、我が国日本にも、「流浪の民」が存在した。
その人たちを「サンカ」または」「山窩」という。歴史にも登場しないし、誰もそのことについて語る人物は身近にいるわけではないので、よほどの「民俗学」などに興味があるか、「八切止夫」氏の著述の愛好者か、「三角寛」の著述の読者くらいしかその存在を知るものはいまい。しかし最近どういうわけだろうか、彼らに関する研究がネット上でも見られるようになってきている。

彼ら「サンカ」は日本国籍を持たない日本人であり、定住をしないで、季節とともに、放浪移住し、主に山に隠れ住む・・・いわば「山の民」である。
彼らは、竹細工や、蓑などを作って山すその民家に下りてきて、村人たちと食糧との物々交換をしたという。その辺りの記録はかなり残っていて、雑誌「マージナル」などで紹介されている。

かれらの素性はいろいろな説があり、古代戦いに敗れた種族が山に逃げたというもの、・・・その中には、平家の落人よりもズット古い貴種流離譚があったり、日本の原住民という説があったり、その一つとして「弥生人」に滅ぼされた「縄文人」の残党説、最近では天明の飢饉で飢えた農民たちが山に食を求めて入り、季節とともに食糧を求め移動する集団となった、という説など、いろいろなものがある。・・・・そのルーツはいまだハッキリしていないということであろうことを物語っている。

小生がなぜ今この「サンカ」の話を持ち出したのか・・・その背景にはケルトの民があったのはもちろんであるのだが、他にもう一つ決定的な理由がある。

其れというのは・・・・・・・・・
忘れもしない小生が小学校3年のときのこと、当時小生は田舎の小学校から、千種区という名古屋の文京地区の団地に引っ越してきて、通うことになったのが動物園で有名な「東山小学校」。住居からその小学校へ通うのは、子供の足で早くても40分はかかる位置にあった。

子供なりに近道をいろいろ捜し歩くうちに、「猫が洞」という地区にある「猫が洞池」のわき道の小高い山を越えると、30分で行き帰りできることがわかり、学校の帰り道はモッパラそのルートを使うようになった。

4年生になったある日のこと、いつも通る池の傍を登りかけると、池のすぐそばにテント形式の掘っ立て小屋がいつの間にか出来ていて、しばらく立ち止まってみていると、上半身裸の子供が一人テントの小屋の入り口に出て立っていて、小生をじっと見ているのに気がついた。

おととい来たときには無かったので・・・「乞食」の人が住んでいるのかもしれない・・・などと思いながら、不思議に思い少し見ていると、急にお母さんと思しき女性・・・・とても小奇麗な、コザッパリした身なりをしていた・・・3・40歳くらい女性が出てきて、すばやく子供を抱えて中に入ってしまい、再び外に出てくることは無かったのであった。

3日たち、その場所を通ったのだが、そのテント小屋の痕跡はまるで何も無かったかのように、跡形も無く消えていて、幻を見たように不思議な気持ちになり、そのときに見た子供の愛くるしい顔がしばらく脳裏を離れなかったのと、いったいあの家族?はどこに行ってしまったのだろう・・・としばらく思っていたことをハッキリと覚えている。
昭和33年か34年の話である。あの「こざっぱりした身なり・・・動きやすそうな着物姿であった・・・・は決して乞食ではないのだ。小生は其れが時代最後の「サンカ」であったのだろうと信じている。

「サンカ」研究者で、小生も昔連絡を取り合ったことのある、飯尾恭之氏の著述
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「サンカ」のシンボルであるナイフ「ウメガイ」
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「無政府主義者集団」である「サンカ」しかし彼ら独自のネットワークと強い血縁を持ち、組織的にも統一されているとする考え方の有る・・そんな「サンカ」に郷愁を抱いた作品として、五木寛之の「風の王国」があり彼は「戒厳令の夜」でも「サンカ」の存在を伏線に小説を書いている。アニメでは「宮崎駿」の「もののけ姫」では「サンカ」の存在が潜む。

「鳩椋十」は自らを「サンカ」の子孫だと言っているくらいである。(実際は違うのだが・・・)
一昔前の政治界のドンや建設業界、銀行の親玉も実は「サンカ」である・・・というような風のうわさが聞こえたりしたことがあった。

彼らが存在したのは紛れもない事実であるのだが、ケルト同様文字を持たない民でもあったようであるらしいから、彼ら自身の記録は何一つ無く、昭和初期から中期にかけて、彼らに対するヒアリングや、彼らと接触した人たちからの情報でしか、彼らを知ることはできない。

「サンカ」は「トケコミ」といって、太平洋戦争の時に徴兵の目的で、戸籍を与えられ大半は一般社会に無理やり復帰させられ、社会の中に入っていかざるを得なかったという。

がしかし
遠い山の向こうでは、いまだ「サンカ」が生き延びているのかもしれない。

by noanoa1970 | 2005-10-08 14:24 | 「サンカ」」あるいは「山窩」 | Comments(7)