カテゴリ:小津安二郎( 58 )

彼岸花

彼岸花の季節だ。
2005年 07月 28日のブログ「彼岸花」の「赤」で、小生は小津の「彼岸花」の赤について書いたことがあった。

同じく『自己主張する「赤」』で、「赤」は女性の自己主張の象徴であるという仮説を立ててみたこともある。

小津の「赤」の使い方は、とても巧妙である。

「彼岸花」の映画タイトルは、その時は「赤」つながりだとばかり思っていたのだが、それに加えて、先ほど面白いことに気づいた。

ご存知のように彼岸花は、秋分の日・お彼岸近くなると一斉に咲きだす。
これはたぶん体内時計を持っているためだと思うのだが、映画では娘の婚期が題材の一つとなっている。

それで、娘は「時期が来れば自分で結婚の意思を示すようになる」
だから「親は慌てるなかれ、そして娘が一人で咲こうとするのを、邪魔しないでじっと見守ってやるべきだ」

そのような教訓が「彼岸花」の女性の自己主張の象徴としての「赤」とともに塗り込められている・・・ふとそう思った。

youtubeに、映画「彼岸花」の予告編があったので貼り付けておいた。

知多半島の半田市にある矢勝川の堤防に、平成2年から彼岸花の球根を植える「ヒガンバナ百万本計画」が進められ、現在200万本の花が咲いているという。

「ゴンギツネ」で有名な童話作家、新美南吉の故郷でもあることから、最近は人手も多いと聞いている。

半田市観光課のHPはココ

来年はぜひ訪れてみたいところである。

「彼岸花」予告編、これを見ただけでも、随所に「赤」が効果的に使われていることがおわかりになるだろう。


[PR]

by noanoa1970 | 2008-09-29 13:18 | 小津安二郎 | Comments(0)

お茶漬けと逆さ箒

小津安二郎の映画に「お茶漬けの味」というのが有る。
「お茶漬け」とは庶民の日常そのものを象徴していて、出自が庶民の夫と、上流階級の妻の間の文化的価値観の相違が原因のいざこざが、ふとした切っ掛けで、元の鞘に納まる。
そのときに深夜に2人で食べるのが「お茶漬け」。

お茶漬けは庶民の象徴であり、原点の日本人を象徴するものでもある。

有名な「京都のお茶漬け」(ぶぶ漬け)は、長居しそうな客や、招かれざる客に対し、慇懃に「早く帰れ」と言うための、ある種の方便である。

これを京都人のいやらしさ(いけず)と取るか、それとも、表面だって「帰ってくれ」ということを言わないで、相手を諭す上手い方法であるか、「ソロソロ御開の時間ですよ」との合図を送るものなのか、その時々で自然にうまくつかいわけられるのだろうが、これは恐らく、歴史的な京都ならでの庶民の知恵なのだろう。

小津安次郎の「お茶漬けの味」は、「京都のお茶漬け」とは関係ない話だが、小津の映画「彼岸花」の中に、「京都のお茶漬け」と似たような面白い場面がある。

京都の旅館の女将浪花千恵子が、東京に出てきて田中絹代の家を訪問する。
しかし、あまりにもの浪花千恵子のおしゃべりに閉口して、箒を逆さまにして立てる。
トイレの帰りに、それに気づいた浪花千恵子が、逆さにした箒を元に戻す。
しかもそれを2回繰り返し、印象付けているところ。

これはいろいろな観点で面白いシーンである。

「逆さ箒の風習」は、どちらかといえば、小生は多分に「お茶漬け」と同様、京都あるいは関西の風習のように思うのだが、このシーンでは、東京人の田中絹代の家で、「逆さ箒」の風習・おまじないを踏襲するのに対し、当然それ=「京都のお茶漬け」をやっているであろうはずの、そして「逆さ箒」の意味合いを知らないはずが無いであろう京都人、しかも旅館の女将の浪花千恵子に、小津がまるでその意味を知らないか、あるいは、知っていてワザト知らぬ振りをさせたのか、そのことを無視したように「逆さの箒」を、2度にわたって元に戻すシーンがある。(箒をまた元に戻すことから、その風習を知っていて、無視するような、厚かましさを表現したと取れるし、逆さになったものを親切に元に戻したとも取れる)

「逆さ箒」の風習・おまじないは、「サザエさん」にも登場するのを見たことがあるから、かなり一般的な風習のようにも思えるが、その発祥は良く分からない。

しかし物を「逆」にするということは、非日常を象徴するのだろうことは、想像に値する。

万葉集の大伴家持の歌に、初春の祝いとして、“玉箒”がめでたい物として出てくるらしい。箒は魂を集める呪術的な力を持つ物とも考えられていたようだ。

また、古事記にも、日本書紀にも、「箒」が参列に加わるという信仰が有ったことが分かるようです。

日常的な行事=毎日の清めの仕事=掃除として、悪いもの=邪気を吐き出し、よい魂を集める・・・それが「箒」であったともいえることになるから、逆さにすることは、非日常のそのような忌を、すばやく回避したいという表れなのかもしれない。

ネットで以下の記述を見つけたので紹介しておくと、

「箒を逆さにした形に似たものに、氏神の祭礼を迎えるにあたって、神主や頭屋(とうや)の家の前に、青竹の先に藁(わら)ぼてを付け、御幣や神符を供えた、神霊の依り代とした「おはけ」と呼ばれているものがあります。この「おはけ」に似ている事から、「逆さ箒」には本来の箒神に、新たな氏神がが宿ると考えて嫌ったとも考えられます。」

文中の「おはけ」とは、お八解(おはけ)=御刷毛とも書き、祭日が近づくと頭家(とうや=祭祀当番)に立てる大きな御幣(ごへい)=笹竹や榊の先につける、物忌みの標識のこと、よく見かけるのはコイノボリを立てる竹ざおの頂上に、笹の葉をつけたようなものがある。

これはすなわち、祭事に際して悪霊を追い払うための、「おまじない」のようなものとも思われるから、「逆さ箒」は悪霊=長く居座る客とし、それを追い払う「おまじない」に転化したものかも知れない。

そうなるとこの風習は、神社と共に庶民の間で行われてきたかなり古くからのものであり、全国的な風習・おまじないであるのかもしれない。

小生の体験では少年期に、5歳上の叔母が、鳴海の実家で近所の叔母さんが来て長々しゃべるのを嫌って、実際にやったのを目撃したことがある。

小津の彼岸花が1958年、小生が10歳、叔母が15歳だから、まさか小津の映画を見てまねをしたとは考えにくいので、多分叔母の家人から、そういうおまじないや風習を見聞きしていたのだろうと思われる。

京都のお茶漬け、小生は体験したことは無かったが、アルバイト先の「お菜ところ」ではメニューに「お茶漬け」があって、サークルで一緒だった女性と、その母親が来たときに、「ゆずきり」を出してあげて、その後しばらくして「お茶漬けでもどうですか」と・・・そのときは「京都のお茶漬け」のことなど知らなかったので、本当に親切心で、ソロソロおなかが空いた頃だと思って、そのように言ったのだったが、後に「京都のお茶漬け」の意味合いを知ることになり、純粋京都人の母子に、はたしてどのように受け取られたのだろうかと、今でもそのときのことを思い出してしまうことがある。
(多分その後すぐに、その母子が帰った記憶がある)

そのこと依頼京都では、「お茶漬け」は小生の禁句となった。

そして、「逆さ箒」は勿論、「箒」事態も、今ではもう見ることは出来なくなった。
[PR]

by noanoa1970 | 2008-05-11 11:00 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語の色・・・そして「鶏頭と毛糸」

しばらくは東京物語については書くまい・・と、思っていたが、気づいたことを忘れないうちに・・・・

東京物語にハ、モノクロの作品だが、その中には「小津の色」を感じるところが多い。
気が付くものを挙げてみた。

老夫婦が東京の長男宅に到着する前に映される映像。青空に白い洗濯物。対比がきれいで、誰にでも「青としろ」野色彩を連想させる、しかし・・・・この映画の大きな特徴である、と小生は思っているのだが・・・「風」を感じることは一切ない。

「東京物語」の「風」については改めて・・・・・・
d0063263_8284492.jpg
突然映し出されるウロコ雲の有る青空。
d0063263_8292378.jpg
「とみ」が亡くなった後の尾道の家、玄関を通して「紀子」が映る。玄関脇には、「鶏頭」の「赤」がモノクロフィルムにも拘らず、鮮やかでとても効いている。
d0063263_8335955.jpg


この「鶏頭」・・・小生の幼児期には、どこの家の庭にも植わっていたのを覚えている。とても変わった「花」なので、近所の年上の女の子に名前を聞くと「毛糸」というので、赤い色の「毛糸」で出来ているように見えるから「毛糸」というんだと、勝手に思い込んでいた。
「毛糸」≠「鶏頭」・・・鶏の「とさか」に似ているからという呼び名であることを知ったのはずいぶん後のことであった。

良く似た話では
「台風一過」の青空・・・とラジオでよく言っていたのを「台風一家」の青空と思って、台風は怖いからその筋の人たちに例えて言っているとばかり思っていた。

童謡の
「ウサギ追いし、かの山」は、「ウサギ美味しい」と思っていた。これは続いて「小鮒釣りし・・・」とあるから、この唄の人は昔野山や河川で食糧を取って食べていた人なんだ・・・と思っていた。

さらに
国家「君が代」は小学生になると歌う機会が多くなったが、ほとんど「国旗」掲揚とともに歌われたので、その唄の意味は99%分からなかったが、「細石の巌となりて・・・・」のところを「さざれいしの(意味は全く分からない)祝おうとなりて(祝祭日やおめでたい行事に良く歌ったから、祝おうということになって・・・・)とばかり・・・そこのところだけ意味がわかったような気持ちになっていたことを思い出す。

[日本国国歌」「君が世」の意味が理解できるようになったのは、高校生になったときであった。

小学校でも、中学校でも「日本語教育」の方法がまずかったbのか、「戦後民主主義教育」の弊害なのか、例えば「唄」においても、その歌詞の意味を理解しないまま覚えさせられていたのであった。もっとひどいのは「日本の国歌」の意味を全く教えずに、見よう見まねで歌わせてきたことである。
これについては、いまだに祝祭日にはきちんと、玄関先に国旗を掲揚する父親からも教えられなかった。
「国歌」の意味を教えることは、ある種のタブー性を、当時持っていたのだろうか。

世の中は自民党総裁選で持ちきり、もうすでに決着がついているようであるが、「憲法改正」「教育基本法」の見直しもマニフェストに上げているようだが、「国歌」については誰も黙して語らない。

日本国「国歌」は、果たして今のままでよいと思う人が多いのだろうか、それとも少ないのだろうか。
小生はこのまま残すのは反対ではないが、さらにもう一つ新たに作り、例えば、オリンピックやサッカーなど対外的なスポーツなどの際に使用する「第2国歌」を制定してもよいと思っている。

今の「国歌」は、確かに慣れ親しんできたし、趣き、落ち着きがあって、一昔前の日本人・・・という感じはあるのだが、今一つ「覇気」に掛けるように思う、それに中身が分かりにくい。

靖国問題ばかりに言及しないで「国歌」についても考える場を提供したらいいと思うのだが・・・・
国民からの「公募」で「第2国歌」を制定する・・・・こんなアイディアでないものだろうか。
[PR]

by noanoa1970 | 2006-09-02 09:24 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・「しげ」・・・その性悪ぶりと合理的精神

今日から9月。8月中に「東京物語」について書こうと思っていたのだが、まだまだ書き足りないところが沢山ある。大きな課題として残されたのは「紀子」の言動。「とみ」が2度目に「紀子」のアパートを訪ねたときの夜のこと、そして葬式が終わった後の「紀子」と「京子」の会話。
「とみ」の形見をもらう時に「周吉」に「私ずるい」と言った、の「紀子」の心理・・・・
これらの難問が残されたが、これについては、いまだ考えるところが多いから、いずれまたアップすると言うことにして、一先ずこれで最後にした。

ここではかなり強烈なキャラを方々で撒き散らしている「しげ」について書いておこう。

「小津」は作中で、東京で美容院を営む長女「しげ」(杉村春子)を、徹底的に、「性悪女」として描く。しかし良く観察すると彼女の言動には「根性が悪い」だけではなく、ある種の「合理性」を強く感じることも多いのである。

それは恐らく・・・当時、田舎から東京に出てきた人間の、「生きていくための処世術」のようなもので、まして女性の身であるから、そのように生きていかなければ、野垂れ死にするか水商売をするかというほど、厳しい世の中であったのだろうと想像される。

このkyラクターがあるおかげで、作品はニ、ある種の面白さが与えられる。そして多分「私たちはあんなにひどくない・・・・」と観客が思う、そのことを計算していたのでは、あるまいか。
世知辛い世の中ではあるが、「しげ」のような生き方はいやだ・・・そんなことを思わせるのに、とても役立っているように思われる。

1953年は、朝鮮戦争が終わる年、日本は朝鮮特需で景気はよかったとされるが、庶民の暮らしは、決して楽ではなかった。安い原料は中国から入ってこないし、アメリカからの輸入物は「舶来品」で、高嶺の花。「舶来神話」は1950年代の産物であるのかもしれない。
インフレの兆で物価が徐々に高騰していく時代でもあり、まだまだ戦後真っ只中、周辺で起きた戦争の影におびえながらも、必死に生活をしていた時代であった。

「レッド・パージ」、「共産主義」の恐怖、世の中では「あの人は左」だとか右だとか・・・イデオロギーで氷魚を評価するような風潮も見られた。(小生の家でも両親が良くこのような会話をしていた。左・右とは何を言っているのだろうと不思議に思ったことがあったのを、覚えている)
(戦争への獏とした恐怖は、いつも上空を自衛隊のジェット戦闘機が爆音をとどろかせて飛んでいたので、ソ連が攻めてくるのではないかと、本気で思ったことがあった。太平洋戦争、そして朝鮮戦争の話をだれかれとなく・・・多分小学校の年上の生徒から・・・ 彼が親から聞いた話を聞き及んでいたからだと思う。)

「こんな女に誰がした・・・」ではないが、もって生まれた自分の感性や情緒、人間性などをも、放棄して、生きていくことしか出来ないご時世があったことを強く思わせる。
田舎者と、生粋の東京人の・・・具体的には見えないないけれど・・・対比のように思われて仕方がない。

周囲の目を気にしながら生きる、見栄っ張りの東京の「田舎者」と、シッカリ土着した東京人。
人情がありそうで実は人情の乏しい「田舎者」。

とても大胆な発想なのだが、「小津」は、そんな「田舎者」が大嫌いではなかったろうか。
志を持って東京に出てきた人間が失敗するが、身は落ちぶれても精神は落ちぶれない。
そのような美学、価値観を「小津」は持っていたような気がする。




東京に着いた晩、おもてなしのご馳走を用意する時に、「お肉とお刺身か何か・・・」と聞かれ、「お肉だけで沢山」と「しげ」
d0063263_19104676.jpg


義理の両親のために饅頭を買ってきた亭主に、
高いんでしょ!(両親の)「おやつはオセンベイで十分」
d0063263_14265568.jpg


「夫が・・おとうさんかあさん、どこかに連れて行かないといけないな」というと「いいことよ、そんなこと心配しなくって」
d0063263_14283019.jpg


銭湯に行こうとする母親に「お母さん、そこの私の汚い下駄、はいてってよ」
d0063263_8303550.jpg


夫の申し出を断っておいて、そそくさと義理の妹「紀子」の会社に電話する「しげ」。このときの「しげ」のよそ行きの声と、薄笑いの顔の表情は、計算づくで動く女のいやな姿を良く表現する。
d0063263_19281768.jpg


両親を熱海旅行に行かせる策略をする。それに渡りに船のごとく、と長男が乗せられる。
「相談が有るんだけど・・勿論私だって(お金)出すのよ」「そのほうが安上がりよ」
d0063263_14295366.jpg


熱海から予定より早く引き上げて帰ってきた両親に、「あらもう帰ってきたの・・・」と、お帰りなさいの一言もなしに、迷惑そうな顔で、応対する。
d0063263_19114491.jpg


美容院の客が、周吉夫婦を見て「誰」と尋ねると、「ちょっとと知り合いのもの」「田舎から出てきたの」
d0063263_14573923.jpg


d0063263_14354239.jpg


周吉が酔っ払って深夜に、追い出された「しげ」のところに、友人と帰ってきた時、酔ってイスに座り、眠りこけた父親の帽子をひったくってからまた載せて
「いやんなっちゃうなもう、いやんなっちゃう、いやんなっちゃう」
d0063263_14512195.jpg


d0063263_1533685.jpg


母危篤の電報を受けての兄との話
「喪服どうする、持ってったほうがいいわね。使わなけりゃ、それに越したことないから」
d0063263_1593410.jpg


尾道に到着後、母親が死んだ時に、「紀子さん、あんた喪服もって来た」「もってクりゃ、良かったわね」「京子は喪服あるの」「じゃあ借りてきなさい二人分」
d0063263_19152881.jpg


初七日の席で、全員の前でそして京子に向かって
「お母さんの・・・〇〇の柄の帯、形見にほしいの、それから〇〇の着物も・・・・京子、あれ出しといて」
「京子、私にご飯よそって頂戴」
d0063263_1573681.jpg


「でもこんなこといっては何だけど、お父さん先(に死んだ方が)のほうが良かったわね。」
「お母さんなら東京へ来てもらっても、何とかなる」けどもお父さんでは・・・・」
といって「しげ」は、全員の前で父親の面倒は見ないという宣言をする。
d0063263_19155333.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2006-09-01 08:30 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「繰り返される日常」

しかし小津は、前にあげた「生と死」の単なる対比だけには終わらなかった。
「とよ」がなくなり、周吉は尾道での新しい生活が始まることになるのだが、小津はやはりそこまでケアーしたのである。
それは、「紀子」が尾道を去るときに乗ったであろう列車を、それまで殺風景な尾道の国鉄のレールに走らせることによって、「過去と決別」することが、漸く適うようになって、再び新しい尾道の生活をする、という意欲が湧いてきて、新しい日常が始まり、恐らくそれが繰り返されるであろうことを、小津は見るものに訴求する。

尾道の、「生と死」の象徴でもある河口付近の「船」の行き来の風景は、力強く描かれ汽笛の音とともに写されることでも分かる。

今まで聞こえなかった蒸気船の音、そして汽笛の音、機関車の力強い音が、最後になってここで聞こえてくる。
d0063263_1754856.jpg
d0063263_17652.jpg
d0063263_176244.jpg
d0063263_1764996.jpg
d0063263_1772710.jpg
d0063263_1774316.jpg
d0063263_178085.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2006-08-31 07:35 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「静と動」

この映像はいずれも「とよ」の生前そして死後の尾道の定点風景。
「とよ」が亡くなった直後の映像では人もいない、列車も走らない、とてもうつろ、空虚な、何もない風景画描写される。周吉、そして京子の心の中を代弁するものとして挿入されたのであろうか。前に挙げた河口付近の常夜灯の風景と重ねると、しかしどう見ても「早朝」にかこつけた小津の意識的な演出ではないだろうか。
d0063263_16525033.jpg
d0063263_16504968.jpg
d0063263_16533959.jpg
d0063263_16511381.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2006-08-31 07:33 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「生と死」

「とよ」が倒れ生死を彷徨っている時に描写される河口あるいは港近くの風景。船が2隻港方面から、そして川上から近づき、やがて交差する。一瞬重なるがすぐにまた離れていく。
2隻の船は「生と死」の象徴であろうか。周吉の、・・・妻「とよ」に対する思いの実感描写の象徴なのか。漸く近づいてきたのに、また去っていかなくてはならない「運命」をあらわすのだろうか。肉親の死を目の前にして、人は始めて、自分の心の中を自分で見ることが出来るのだろうか。
そんなことを思わせる印象的な映像である。
d0063263_16432427.jpg
d0063263_16434223.jpg
d0063263_16435671.jpg
d0063263_16441183.jpg
d0063263_16443086.jpg
d0063263_16444927.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2006-08-31 07:31 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情と対比

物語最初の映像。船は左から右に進行する。海に向かうのか川上に向かうのか、港に帰るのかはハッキリしないが、それはどちらでもいいのだろうが、この映像は川上、あるいは港に戻る船と見てよいかもしれない。

2枚目のの映像が恐らく「母なる海」へと出向する船なのだろう。
d0063263_1649114.jpg
「とよ」が亡くなった後の、物語冒頭と同じ風景の映像。しかし船の進行方向は画y管。
d0063263_16493086.jpg


単純に考えれば、最初の映像はお昼近くそして2枚目の映像は明け方あるいは早朝であるから、当然船の進行方向は逆でよい。
しかしただそれだけではないような隠された表現がありそうなのを強く感じる。

1枚目が希望に満ちた思いの東京行き・・・すなわち、生き生きとした「生活力」の象徴すなわち、尾道の日常。。
2枚目は肉親の「死」を体験して、漸く湧きあがってきた「静謐」すなわち尾道の非日常。

ほとんど同じような2枚の「静かで美しい「映像」から受ける印象が、物語の展開によって、かくも異なることに驚いてしまう。船の進行方向は、そんのほんの小さなことに過ぎないのだろう。
[PR]

by noanoa1970 | 2006-08-31 07:30 | 小津安二郎 | Comments(0)

「東京物語」を見る・・・「うちわ」の謎-3

長旅を終えた安堵感と、やはり尾道がいい・・・そんな思いが交差する至極ユッタリとした「うちわ」。
d0063263_16393925.jpg
「とよ」が倒れ生死を彷徨う時、祈るようなな気持ちで・・・単にユックリではなく「目を覚ませ」と呼びかけるような「うちわ」の使い方・・・素晴らしい。
d0063263_16395815.jpg
d0063263_16401827.jpg
家族が集まる中一人皆のため、そして母のために「うちわ」で扇ぎ続けることが、仏神に願いが届け、とばかりに、助けを請うように扇がれる末娘「京子」の「うちわ」。
d0063263_16404894.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2006-08-30 15:45 | 小津安二郎 | Comments(0)

「東京物語」を見る・・・「うちわ」の謎-2

d0063263_8412530.jpg
d0063263_8414335.jpg
d0063263_842550.jpg
d0063263_8422112.jpg
d0063263_8425210.jpg
d0063263_8431182.jpg
d0063263_8433684.jpg
d0063263_8435232.jpg

熱海の旅館でのこと。老夫婦はいつもの習慣どおり、早くとこにつく。しかし慰安旅行などの行楽客の夜は長い。察するところ恐らくまだ22時前であろう、が床に就いた老夫婦は外がうるさくてなかなか寝付かれない。

始めは、そのうち静かになるだろうと、我慢しながらユックリと仰いでいた「うちわ」だが、やがて動きが少し早くなり、ついには虫が寄ってきたかのように、「パシッ」音を立てて体や顔の辺りをたたく。それでも外は相変わらずうるさい、それに文句も言えない周吉。
こんなところに来ることになってしまった自分たちの惨めさを味わうことになった、怒りと悲しみの表現でもある。

外は夕凪が終わっても相変わらず風がないのか、ほとんどの観光客は「うちわ」を手に持って、扇ぎながら談笑したり行き交ったりする。お忍びできている怪しそうなカップルでさえ「うちわ」を持っているのが面白い。

やがて周吉夫婦は我慢の限界を超えてしまい、突然布団の上に起き上がる。
この旅館で唯一静かな・・・静かであってほしいという願望の表現が、部屋の入り口に、丁寧にそろえて脱ぎ置かれた「スリッパ」。
静と動の対比」が素晴らしい映像である。
[PR]

by noanoa1970 | 2006-08-30 15:40 | 小津安二郎 | Comments(0)