カテゴリ:季節の栞( 144 )

彫型・・画を観る

昨日休館だった桑名市博物館に今日行った。
お目当ては「藍を観る」と題した展覧会、桑名出土の古伊万里である。
会場は2Fだが1Fで伊勢型紙などに使用される、柿渋紙を使った彫型画展覧会が開催されていたので、せっかくなので観ることにした。
家内は学生時代の専攻がテキスタイルで、柿渋紙も良く使用して染色印刷していたから、小生も少しは知っていた。

元来、伊勢型紙は手書きから手工業への過程で生まれたもので、型紙彫り師が造ったものを刷師が白生地にすり込んで反物などにすることによって、多くの着物の元になったもの。
伊勢型紙は伝統でありその技術は世界に誇れるものだ。
また柿渋で塗られた和紙は非常に上だから長年の使用に耐久性を持つから、今でも初期に造られたものが野小手手居るという。
江戸時代庶民が少し裕福になり、数多くの柄反物から好きなものをチョイス出来るという時代、すなわち盛んだったのは江戸中期だと想像できる。

現代ではその技術を生かした彫型画というものに発展し、そのサークル葉全国に存在するといい、博物館では桑名のサークルの会員の作品がたくさん展示してあった。
新聞はこのように取り揚げている。
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間違いだと叱られるかも知れないが、版木の代わりに型紙を使った印刷物だと思っていただければ良いのではないかと思う。

型紙を造っての印刷だから何点も印刷することが出来るが、今回驚いたのは皆さんの作品の芸の細かさと、あらゆる物を題材にした絵があると言うことだ。
本当は絵ではないのだが中には印象派を思わせるような点描我のような作品もあって、なかなか奥深いと思った次第。

非常に細かい網目が入ってるので、てっきり後から網を上からかぶせたのかと思ったが、どうやら1つ1つ穴を開けていったらしいが、その規則正しさは並では出来ない、技術のに培われた根気のたまものだ。

作品群を観て思ったのは、グラデーションを表現するのは非常に難しいので葉だったが、聴いてみるとやはりそうで、細かい穴と大きな穴を組み合わせ方がむずかしく、印刷するとまたイメージが違うので、思ったようにはいかないらしい。

水墨画のようなものが出来るとさらに良いだろうというのは個人的な感想。さらに昔の型紙と昔の絵の具・・・顔料を使った布の再現と其れを使った着物の再現も是非やってほしいと思う。
これは手縫いなどあるいは誇負を利用して新しいデザインとスタイルの着物を考えてるグープとコラボすれば出来るのではないだろうか。


撮影は出来ないと言うことだったが、ちょうどいらっしゃった出品者の許可を得て2点撮影できたので紹介することにした。
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写真のような便利な栞とはがき造っている。

協力:桑名彫型画サークル、彫型画愛好会
加藤由貴子さん他。

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by noanoa1970 | 2013-07-24 17:48 | 季節の栞 | Comments(0)

干し柿と栗きんとんのお菓子

注文しておいたお菓子が届いた。
飯田市「戸田屋安吉」の「柿すだれ」、市田柿の干し柿の中に、栗きんとんを入れたお菓子だ。
中津川の市川製茶のほうじ茶と一緒に食べてみた。
職人技などとは関係なく、只丁寧に作った干し柿と地元の栗を使ったもの。
何時の時代から有るかはわからないが、伊那、南木曽、中津川の南信岐北に伝わるお菓子。
今や高級品化してしまったが、田舎の菓子にしては味が上品だ。

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こちらは我が家の山栗。
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by noanoa1970 | 2012-10-16 13:00 | 季節の栞 | Comments(0)

収穫した「あけび」

今年は去年の数倍実を付けてくれたが、皮目が綺麗ではない。
皮を料理する方法は一つだけ定番があるが、この量を処理するには少し大変だ。
保存方法を考えないといけない。
まだ枝に5個以上ぶら下がっている。
中の実は甘くて野性的な味だが、種が多いので家の中では食べにくい。
昔なら、縁側で食べて、食べを庭に吐き出せばよかったのだが・・・・
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by noanoa1970 | 2012-10-16 12:51 | 季節の栞 | Comments(0)

武蔵野、新東京駅

連休の日曜日、息子が住む武蔵野市緑町のすぐ近くの文化会館で開催の、「トスカ」の公演に行った。
まるで旅芸人一座のような感じの、こじんまりした公演だったが、通算300回目という数をこなしているから、手慣れたものだ。
2つのアリアが有名だが、際立つようなオペラではないが、紙芝居的なまとまりがあり、バランスもとれているように思った。
オケは、総勢30人ほどだから、弦がどうしても弱く、吹奏楽団のような音響だが、ソレは仕方ないだろう。
このホールは、高田渡の追悼記念コンサートが開催された所で、過去に1回来たことがある所。
チケットは直ぐに完売になってしまうから、ほとんど空席がないのはいつもの事のようだ。

1200人収容の小さなホールにどうやってピットを作るのか不思議だったが、30数名のオケガその理由。
前列を何列か外してピットに仕立てたものだが、音の大きさには問題なく、歌手陣の声もよく聞こえた。
ここで開催される公演会はいつも格安だから、次回はオケか室内楽を聴いてみたい。

多目的ホールだから、残響は少ないが、その分それぞれの音はよく聞こえる。
大ホールはあまり好きではないから、気軽に聞くには調度良いし、なにしろ格安。
気に入ったものがあれば交通費を払って行っても良いだろう。
宿泊は息子のところに世話になればよい。

帰りは新幹線の「こだま」、ゆっくり寝ていけるのでグリーン車を選択。
大丸の地下で弁当を買って・・・その前に丸の内側に出て新東京駅を眺めることにした。

東京時代は、丸ノ内線に世話になったから、東京駅丸の内側はお手の物だったが、今回はすっかり様相が変わってかなり慌ててしまった。
だだっ広くて、未だ何もない地下街を彷徨いながら、地上へと近くのEVに乗ると、運良く丸ビルの前に出た。

地図があるだけで、行き先案内がないから、不慣れの人たちは何れも、地図を前にして、どうやってたどり着くのかわからない様子。

もう少し親切な案内ができないものだろうか。
いまのところ多分相当の外来者が新東京駅を見に来るというのに。

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お弁当はコレにした。
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by noanoa1970 | 2012-10-11 17:34 | 季節の栞 | Comments(19)

蛍を見に多度峡に。

6月29日晴れなので、蛍を見に行くことにした。
去年は岐阜県と三重県の境まで行ったが、見ることができずに帰ることになった。

それで今回はよく知っている多度峡に行くことにした。
去年のことがあるので期待ぜずに。

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18時半に到着したが誰も他にはいないので、蛍はやはり出ないのかと思いつつ、川岸を探索して時間をつぶした。

18時半夕闇が迫ると、あちこちで河鹿のなく声がしだし、だんだんその声の数が増していく。
蛍が出なくても、河鹿の鳴き声を聞いただけでもよかったなどと言いながら待っている20時少し前、急に人が10人ほどになったが、みな蛍を見に来た人だ。

中に地元の方がおられたので、それとなくポイントの情報キャッチ。
やはり草木がたくさんある付近がよいらしい。

時計はちょうど20時だ。
するとそれを待っていたかのように1つ2つ蛍が飛び出し、歓声が思わず上がる。

30分でその数はさらに増えてきて、今までで一番の数の蛍を見ることができた。
蛍が飛ぶたびに感激、目で追いきれないが、すぐ別のが飛ぶ。

撮影できるかわからないがシャッターを押してみた。
蛍を追うのは困難だから、光ったらそこに合わせてシャッターを切るのだが、次のシャッターが下りるまでの時間がかかるのでもどかしい。

20枚ぐらい撮影した中、1枚だけが見るに耐えられるものだった。
何匹いるのかがお分かりになれるだろうか。
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すごいのは、駐車場からすぐのところでも見ることができること。
見物の場所が広範囲なことも素晴らしいことだ。
国道からわずか15分足らずの所でである。
さすがは神の山多度山の水の流れの川である。
水温は真夏で17から18度という。

昔ここに釣りに入って夕暮れを待って、落ち込みにキャストしたら、いきなりバシャと魚が出たが、合わせが速すぎて釣れなかったことがあったが、おそらくイワナあるいはヤマメだったろう。

自宅から30分でいまだこのような自然が、そして蛍がたくさん出る川があるのは幸せなことだ。

気候がもっと良ければ、蛍の乱舞が見れるかもしれない、そう予感するに十分なものがあった。
気温が少し低く、晴天で月が明るい中でこれだから、蒸し暑いぐらいの天候ならすごいことになるかもしれない。

日和を選んで再度行ってみることにする。

よいものが見れて興奮した。

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by noanoa1970 | 2012-07-01 22:56 | 季節の栞 | Comments(0)

大垣へ・・・古民家カフェ「風地蔵」を発見

ちょっとした用事で隣の町大垣市へ。
お供えにと、義母が好きだった金蝶饅頭を購入してから、お茶でもと思い、かつていきかけた古そうなお店を探すが、見つからずにうろうろしていると、蔦が絡まる古民家があり、「手作り・・」と看板があったので、入ってみた。

印象的だったことはいろいろあるが、その話は次回訪問した時に写真を添えてUPするつもり。
お店の名前は「風地蔵」。
風知草かと思ったが「かざじぞう」と読むそうだ。
風知草や傘地蔵を思うような、そしてその庭の雰囲気を表すようで良い名前だ。

白洲正子風に言えば「適度に荒れたところが良い」というところか。
要するに自然であるという事。

カメラをもっていかなかったのが悔やまれる。

「風地蔵」のインスピレーションは次回に回すとして、今回は店をリンクしておくことにした。
先ほどオーナーの方の日記にコメントしたら、さっそく返事をいただいた。

オーナーは現地ではなく、遠く九州に在住らしい。
スタッフが後をきちんと受け継ぎ守っているようだ。

オーナーはもちろんだが、スタッフも店を愛していることが伝わってくる。
店を愛してないスタッフは、自然と態度に出るが、「風地蔵」のスタッフは、最近まれに見る応対の素晴らしさであった。

OHさん有難うございます。
頂いた新聞も過去のものも10話ほどですが読ませていただきました。
近いうちにまた訪問させていただきます。
しろくまクンも食べたいことだし。
偶然の出会いに感謝。

金蝶堂本店の饅頭と菖蒲団子、そして小生の好きな若鮎の写真だけ。
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by noanoa1970 | 2012-05-14 22:33 | 季節の栞 | Comments(5)

アケビの花

桜の花も残りわずかな時を向えた。

桜の明る色の花の影で、人知れずこっそりと咲く花。

果実は何度もいただいたが、花を見たのは初めて。

花が咲かねば実はなぬものなのだから、是非にとブログ記事にした。

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写真がピンボケで恐縮なのだが、垣根の中から顔を出して、葡萄の果実状の形になって垂れ下がっている。

大きさは小指の爪を1回り小さくしたぐらい。

濃い紫色の花だ。

恐らく数百いやもっとあるかもしれないが、その中で成長して果実になるのはたった5~6個。

実が成熟する秋が楽しみだ。

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by noanoa1970 | 2012-04-13 15:51 | 季節の栞 | Comments(3)

夢のような旅だった…1970年8月

ブログの友abendさんが、修学旅行の思い出の曲「まりもの唄」のことをUPしたのを読んで、小生もある曲を思い出した。

以前に北海道旅行のことについて書いた覚えがるので、少々ダブルと思うが、今回は有る歌のことを中心に書こうと思う。

北海道旅行をしようと言い出したのは、左京区浄土寺のケーキ屋、「大前開泉堂」現在パティシエール オオマエの息子であった。
かれはNOANOAを手伝っていて、小生とは仲が良い人間であった。
彼は大学卒業後、家業を継がなくてはならないので、その前に思い出になる旅をしたかったという事が北海道旅行に結びついた。

小生も賛同したので、簡単な準備をして、友人のカローラクーペで、小樽行のフェリーに乗り込むために、京都から敦賀に向けて出発した。
かなりの海上長旅の末、小樽についたが、事前の調べもないままだったから、行くあてはもち論宿泊先も決めてなかった。

小樽の安宿で1泊して、さて明日からどうしようかと考えた末釧路平野を北上し、北の果てに向かうことにした。

時間はたっぷり、ほぼ30日あるから、綿密な計画など必要なかったので、行き当たりばったりで会った。
函館は外せないので逆戻りし、それから札幌、そして十勝、釧路、根室と車を走らせた。車はカローラクーペで、友人のもの。交代運転で走るのだが、ひたすら長い1本道が多かった。

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町々でのことはたくさんあるが今回はパスすることにして、オホーツク海を北上し途中羅臼に行くときガス欠になりそうなので、延々とカソリンスタンドを探して標津まで戻ったりして、引き返し知床半島の付け根まで行き、そこから網走、浜頓別、そうだ厚岸に寄ったことを書き忘れたが、宗谷岬までたどり着いた。

稚内の途中の宿泊は、湖の傍でのキャンプが思い出されるが、YHの記憶はあまりない。
稚内でもYHには泊まらなく(YHが無かったと思う)、安宿に泊まってこれから先のことを考えて、利尻礼文に行く事になった。
小生はこれらの島のことは全く知らなかったが、相棒の友人が行ってきたことを聞いていて、ここまで来たらということになった。

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礼文島では桃岩荘というYHに宿泊することになったが、ここはハードボイルドなYHで、先に宿泊した利尻島のYHとは比較にならないようなところだった。

YHの性格は何で決まっているのかわからないが、非常に厳しいところとそうでなく自由度が高いところいろいろであった。
るYHに夕方到着して呼び鈴を押すと、ペアレントらしきおばさんが出てきたので、今晩開いてますかと聞くと、開いているというので、お世話になりますといって入ろうとすると、ここはいきなりの訪問はお断り、予約約した人だけ受け入れているという。
それでは公衆電話から予約します、そういっていったん立ち去ろうとすると、かなりきつい声で、今回だけは仕方ないから利用可とするといい、これからどこのYHでも予約を入れるようにと叱られてしまった。

協会からの通達か何かでそういうルールができているのだろうが、言っ九に守っているところとそうでないところがあり、ペアレントが自ら前面に出てくるようなYHはおおむね厳しいが、バイトノヘルパーに任せっぱなしのYHは比較的緩やかであるような感じだ。

桃岩荘はヘルパーが前面に出る運営で、ペアレントの顔は見たこともないのだが、kなり厳しいいいYHであった。

特に知床半島の付け根から北のYHでは、熊が怖いという話を、どこのYHでもヘルパーするのが習慣となっているようだったが、桃岩荘では、「島1周8時間コース」というのがあって、半ば強制参加を求めるかのようで、参加しない人は白い目で見られるほどであった。
要は「体育会」のような雰囲気だと思うとよいかもしれない。

小生たちは参加を断って、というのは早朝4時半に起きなくてはいけなかったからで、まだ残り15日以上ある長旅であったから、風邪気味の友人の調子が悪いこともあって、これ以上体調を悪くするとどうしようもないからであった。
それに、かなりハードらしく、これを乗り超えてこそ男だのなんだのと焚きつけられるのが嫌で仕方なかったのもあった。

さらに驚くことは、ヘルパーの大部分は小生たちと同年代の学生のバイトだろうと思われるのに、命令口調の言い方には少々頭に来ていたこともあった。
YHではペアレントそしてヘルパーのいう事を順守するのがルールだから仕方ないが、この桃岩荘というYHは、特別ヘルパーの権力が大きいところのようだった。

驚きは夕食に、自由に食べることができるまっかに茹で上がった「花咲蟹」」の足が大きな笊に盛られて出されたこととトウモロコシがふんだんにあったことだった。
烏賊」の刺身かと思ったらこんにゃくだったり、そのほかは大したことが無かったが、蟹の足の美味かったことは忘れられない。


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夕食後のミーティングの時に、なにか芸をやらないといけないルールがあって、皆やらされたが、小生たちは車での旅行だから持って行けたギターを伴奏に、小生は五つの赤い風船の「母の生まれた町」を歌った。…自慢ではないが同志社大学アメリカ民謡研究会の会長からぜひ来て、歌い手になってほしいとまで言われた小生だ、伴奏の友人もフォーク愛好会に入ってやっていた男だから、下手なわけはなく、歌い終わった時の圧倒的な拍手は、リクエストがでるほどだった。歌詞が歌詞だけに旅先で故郷や母親を思いだしたのか、なかには涙を流す奴まで現れたぐらいだった。

その涙男は自己紹介で、バイトの昆布取の苦労を話したが、ヘルパーから「そんなもの苦労でも何でもない、さも苦労したように言うな」と言われた男だった。

そんなホステラーと対抗意識を持ったヘルパーがなぜかこのYHには多くいて、何でなのか気になっていたのだったが、小生たちの・・プロ並の唄には言うことが無かったようだたが、悔しそうに「簡単なコードでやっているな」といった。

其れはそのあとに自分たちの歌を披露しつつ全員に歌わせる・・・あの五つの赤い風前の「西岡たかし」のようなやり方で歌いながら皆を導いていく歌声喫茶の伝統を引きずったものをしなければならないので、そのための牽制球であると後でわかったが、その時の唄というのが「旅の終わり」というフォークソング系統の唄と、風船の「遠い世界に」であったことで、対抗心がでたことと納得した。

そんなことがあったが、その時に聞いて歌った「旅の終わり」は、妙に心に残り、それ以後のYHのミーティングでは必ず歌われると知った。
この歌を知っている者はベテラン、知らない人は素人、いつの間にかそんな区分けもできていたほどで、知っている人手を挙げてというヘルパーの確認がそのことを物語るかのようだ。

コード進行は簡単だから、小生たちはすぐにそれを覚え、ギターをバックに歌えるようになっていた。
あるYHで、外のベンチに腰掛けて歌っていると、その前に3人の女学生が立ち、両端の開いたベンチにいきなり座って、一緒に歌いだしたことがあった。

この曲「旅の終わり」は「浜田光男」が作っただの「小林旭」だの言うヘルパーもいたが、結局作者不詳で通っていた。

ABABABABCとABを4回も繰り返したのちに、Cとなって終始するといういう形式は、多分に素人くさいし、歌詞の内容もよくわからないところがあるままだ。
しかし訪れたYH・YHで多少のアレンジがくわえられ、メロディは同じでも歌詞はご当地を表現していたようだったがわずかな変更ですませたようだ。

礼文利尻が歌詞の中に出てくるので、歌の発症をこれら2つの島だという物もあるが、たぶんそれは違うであろうと小生は思う。

またメロディーと歌詞は同時にできたものでなく、メロディー先行で歌詞が後でつけられたように思う。

だから、恐らく小生たちのようにギターを持って旅した誰かが、どこかのYHで、ギターのコードを鳴らしながら作って、誰かがそれに試行錯誤で歌詞をつけ、完成の末友人たちと歌っていたのを聴きつけたホステラーが集まって、全員で歌えるようになったということ考えられる。
あるいはミーティングで披露したかだろう。

ホステラーは次のYHに移動するから、ミーティングで披露したのがだんだん広まっていき、歌詞も1番以外のものがつけられ、瞬く間に北海道中のYHに広まっていった。
ホステラーも当然のことながら覚えてこの曲を北海道YHの象徴的な」曲とした。

小生たちが北海道に行ったときには、そんなに有名でなかったし、
教えないYHもあったから伝搬途中だったのかもしれないが、そうなるとこの曲と歌詞の成立は1960年代の後期だと考えられる。

北海道ローカルだったこの歌に目を付けたのは、フォークポップス歌手やレコード会社で、多少の編曲、歌詞の変更を加えうりだしにかかった。下記URLではそれぞれの会社の歌い手が集まっている。
しかし小生の知る限り全国区とはならなかったようで、やはりYHでの歌という域を越えなかったと思う。
しかしどのくらいかはンわからないが北海道以外のYHで歌われたというから、YHミンストレルズの力はかなりル良いのだと認識した。

果たして現在でも歌い継がれているとしたら、50年すさむことはなかったという事で、隠れロングランの「名曲」・・名曲とはいえないものの、YHトラッドフォークとして定着したことになる。

http://monokoto.jugem.jp/?day=20071021

C    Dm  F Am   C     F  G G7
ゆめの 様な 旅だった  遠い   北の 国の
ボクは 旅の 喜びと   旅の   辛さを 知った
北の  国の 少女たちと 過ごした ゆめのせつな
明日は 君も 他の町へ 僕も    他の町へ

C    Am  Em  Am   
こんな つらい 旅  なんか  
 F      G7      C G7 
もういやだ 旅を終わろう 汽車に乗ろう

ご覧になってお分かりのようにギター初心者が良く使うコードによってできていることがわかる。
しかもこれと全く同じメロディが都合4回あり、ようやくサビとは言えないようなサビが来て終始に向かうが、先に挙げた音中心の和音がファ ラ ド中心音の和音が3段階下降して終わるという予定調和的な終始で、これはプロの仕業とは到底思えない。
詩の形式もメロディーに合わせて作った感じが強いし、多少稚拙なところがあるので、こちらも素人の作であるのは間違いないと思う。何人かで寄ってってたかって作りおあげていったような感じがする。

4回連続同じメロディーが出るから、非常に覚えやすいことが、YHなどですぐに皆で歌える音楽として適しているし、哀愁の漂うメロディーはギターの弾き語りにも良い。

しかしプロが歌うときには、編曲はもちろん4つの同じメロディにつけらっれ歌詞を考慮して同じ歌い回しはできないだろう。したがって聴きどころはそこにあるということになる。

現在聴くことが可能なものを聴いて思ったのだが、北海道のYHという「場の雰囲気」がいかに大切であるかを思い知ったた。

ベストはないが一番いいものを貼っておくことにした。

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by noanoa1970 | 2012-04-05 17:30 | 季節の栞 | Comments(2)

ひなたぼっこ

少し暖かくなってきた。

こういう暖かい日の遅い朝に散歩していると、アパートや公団住宅の前の日向に、老人たちが集まって、座りながら談笑し過ごす姿を見ることがある。

すでに老人の域に達している小生だが、そんな風景を見ると、ほほえましくあり、そしてすこし寂しいものの両方が交差する。

かつて隣町に、入泉料100円という破格な値段の町営の温泉があった。
温泉の鉄分で茶色く変色した、半径4mほどの円形の浴場が1つあるだけの質素な施設だったが、一応天然温泉の掛け流しということと、何より近郊の街中の温泉で100円と、普通の銭湯よりも安価な魅力で、たまに小生も利用したことがあった。

しかし最初にその温泉に行って見た光景は・・・・
なんと、そこは町の老人たちのたまり場となっていて、待合室は足の隙間もないほど満員。

置いてあるソファーはもちろん足らず、床に座る人、寝そべる人、みな持参したシートを下に敷いていて、持参した飲み物食べ物を持ち込み、いわばミニ宴会の様相を呈していて、中には枕を持参し昼寝する老人もいて、この温泉の実態がその町の老人福祉施設となっていることが分かった。

待合室の空間を占有するために、老人たちはきっと、仲間内で順番を決めて、朝早くから休憩場所確保のために並ぶのであろうことは、この光景を見ると容易に想像がつく。

家の人も、老人たちが温泉で1日過ごしてくれれば、健康的だし、何よりあれこれ世話をかけないで済むから、面倒ではないから、双方にメリットが大きいということだから、自分たちが仕事に行くとき車で送迎する家族が多い。

突然その事件が起こったのは、小生が最初にその温泉に行って湯船に浸かっているときのことだった。

一人の70歳は過ぎていると思しき老人が、湯船のヘリに長い間腰かけていて、見るとは無しに見ていると、コックリを始めた。

いい気持ちだから眠っているのだ、初めはそう思ったのだが、どうも様子がおかしい。
そのうちすぐにその老人は、洗い場のほうにひっくり返ってしまって、そのままじっとしているではないか。

老人は長い間風呂場にいて、その間何度も風呂に浸かっていたらしく、それでのぼせたのだろう。
それが原因で意識をを失ったことが後で判明したが、小生はテッキリ心筋梗塞か脳梗塞などの病気ではないかと、そばにいた人と一緒に脱衣所に運び、あわてて救急車を呼んだ。

救急車が来る前に、施設の管理者の連中が来て、意識が戻ったその老人に、「またお前さんか、こんなに熱い湯に長く這入っていたらいかんぞ」「これで3度目じゃないか」そんな会話から、老人はのぼせで意識を失う常連で、したがって重い病気ではないと分かったが、初日のしかも何も知らないまま、このような事件に出くわしたのだから相当な驚きだった。

そして思ったことは、今度で三度目だという、この事件を、この老人の家の人はどのように思っているのだろうということだった。
救急車を呼ぶのは、今度で3回目。
いずれも温泉によるのぼせと思われるが、万一という可能性がないわけではない。

老人にとっての温泉は、決して安心安全な場所ではないと思うのだが、温泉に長くいるときの、温泉の這入り方を指導しなければ、このような事件は必然的に起こるのではないだろうか。

民間の温泉施設などは、こういうこと、つまり」責任問題に発展しそうなことには、かなり気遣いがあるが、この温泉施設は町営だ。

残念ながら、住民サービスの一環として、当たり前なことが実施れてない。
ここで1日を過ごす老人の姿は、施設運営管理者の目に入っていると思うが、リスク管理も何もできてないのは、非常に残念だし問題がある。

老人の過ごし場所として、近年顕著な光景は、大手スーパーの待合場所だ。
空調設備はあるし、トイレもある。
必要なら自動販売機もあり、オニギリだってすぐに買える。

もし何かあったとしても、大勢のお客のだれかが気づくし、スーパー側もそれなりの対応をするだろうから、老人たちの過ごし場所としては、もってこいなのかもしれない。

ただし、もってこいというのは、あくまでも老人の家の人の考え方であって、老人たち本人は、やはり寂しいのだと思う。

老人たちには、自分の家の前で、ひなたぼっこを兼ねて、近所の老人同士が三々五々、お菓子など持ち寄り集まって、ひと時おしゃべりで過ごすのがいい。

一仕切りおしゃべりしたら、家の人たちが帰る時間には、家に帰って家族との団らんで一日が終わるのがいい。

近年ひなたぼっこの光景は、すごく減ったように思うが、それでも、老人たちが集まって、ひなたぼっこをしている姿を見かけると、心が少し温まるようになってくるのである。

しかしその一方、家に今帰っても、多分ひとりっきりであるということが予想され、同時に少し心が痛む。

自分のこととして考えると、近所に仲間の存在のない小生だから、もう少し年老いると、どんなことに楽しみを感じることができるだろうかと、すこし不安になる。
音楽があれば・・・と、思いたいが、耳が悪くなったらどうすることもできない、おしまいだ。

中川イサトが歌う「ひなたぼっこ」
長い時間ひなたぼっこをして、過さなければならなくなってしまった老人たちの姿。
本当は寂しい老人たちの、それが故の優しさが、ささいな子供自慢となって現れる姿が歌われている。
20年前の台風のことを語る老人・・ということは、この歌は1980年代初期にできたのだろう。
ドヴォルザークの「新世界」二楽章のような雰囲気を持つ。

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by noanoa1970 | 2011-02-06 13:05 | 季節の栞 | Comments(0)

雪は降り積もる

昨日は約15~20cmだった雪は、夜中中断続的に降り積もり、先ほど外に出ると、なんと30㎝近くになっていた。

三重県北部のいなべ市、桑名市の北部でさえ、40cmの予報が出ているから、さらに北の上石津、関ヶ原方面ではものすごい積雪であろう。

いつも見るBS放送が見えないので、2階のベランダに設置してあるパラボラアンテナの雪を取り払いに行った。

ベランダはスリッパではいけないほど雪が積もっていて、アンテナまで届かないから、デッキブラシを取りに行って雪を払った。

しかしその甲斐なくアンテナレベルは19から21しかない。
時々22に復帰するのだが、まともな映像は送られてこずに写真のように、抽象絵画のようなディスプレイとなる時があるばかり。

映像があまりにも面白いので、思わず写真を撮った。

こういうのを、「怪我の功名」というのか、いや「人間万事塞翁が馬」のほうが適当だろう待てよ、「災い転じて福となす」のほうがこの場合あってるようにも思う。

ところで「人間万事塞翁が馬」の人間とは、「にんげん」の意味とばかり思っていたのだけれど
じんかん」と読み、世間という意味を表すということを知ることとなった。

BSが映らないことで、こんな知識が身についたというわけだ。

ちなみに、BSアンテナ感度不良が作ったハプニングアートはこれ。
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by noanoa1970 | 2011-01-17 08:41 | 季節の栞 | Comments(0)