
息子が出張のついでに播州明石の牡蠣を送ってくれた。
出張先の兵庫県立粒子医療センターは、ガンを粒子をピンポイントで照射し治療する最前線の医療機関である。
ここに電子画像解析システムが導入され、そのシステムエンジニアとして出張が多い。
かなり辺鄙な、播磨化学公園都市の中にあり、最寄りの姫路駅…最寄りといってもそこから30Kあるから、駅から、レンタカーを借りてゆくとのこと。
途中の山道也川では諸動物も、ほたるでさえ見ることができると聞いた。
しかし施設は相当立派なものである。
名古屋では計画があるのだが、経済環境険しい中、市長が見直しをするとかで、おそらく実現しそうにもないが、こういう先端技術の治療期間は必須だと思う。
兵庫県はよくぞ投資をしたものと感心する。
昨日届いた牡蠣は、播州室津好吉田水産のもの。
今年は少し小振りだそうだが、久しぶりの殻つきの牡蠣だ。
さてどのように食すか、しばらく考えたのだが、早く食べたいので、手っ取り早く焼き牡蠣にした。
この時期そしてせっかくだから、炭を起こして囲炉裏で焼こうかとも思ったが、はやる気持ちを抑えきれず、いつもはお好み焼きに使う、ホットプレートを使うことにした。
すぐに食べたいという欲求からの、とっさのアイディアであったが、これが大成功。
牡蠣を並べ蓋をしてしばらくすると、心配をよそに、牡蠣の蓋は無事全部あいた。
これだと網の上での時下焼きに比べて、情緒はないが、汁のこぼれも少なく抜群だ。
播州の牡蠣がみなそうなのかはわからないが、伊勢の牡蠣に比べて塩味が強い。
多分洗浄に浄化された海水を使用するからなのだろうか。
したがって、焼き牡蠣は、そのままで、レモンを絞って食すと大変美味であった。
30個余りあったので、残りをやはり牡蠣フライで食べたいと思い、先ほど家内を手ほどきして殻をはいだ。
多分殻つきの牡蠣は、すべての家庭に受け入れられるわけではない、そう思うのはやはり殻を剥く手間があるからだと思う。
焼き牡蠣にしたって、どのようなもので焼いてよいのか、なかなか思いつかないことであろう。
これは多分どこの家庭にもある「ホットプレート」が一番重宝する。
殻をむくのは、なれないと大変な作業だし、多分家庭には殻剥き器はないことだろう。
小生の家でもやはり殻剥き器、今はないので、先の尖ったアイスピックのようなものと、ナイフとフォークのフォークがあれば、簡単に剥くことができる。
最初は身を傷つけてしまうこともあるが、そのうちコツ・・・どこからこじ開けるかさえつかめば、すんなりと開いてくれる。
会を商売にしている店は、素人の一般家庭においても、割と楽に殻が剥けるということや、その方法を消費者に伝えないと、むき身の牡蠣ばかりが売れる結果になってしまうのではないか。
せっかくの殻つきの美味しい牡蠣を、消費者が家庭で食すことができれば、何もバカ高い料理屋や、浜に出向いて食すということもなく、もっともっと殻つき牡蠣の消費が増えると思うのだが・・・・
比較するまでもないが、殻つき牡蠣はむき身の牡蠣と比べ数段の差があるし、第一最も美味しい「生」で味わえるのは、殻付き牡蠣しかないのだから。
先ほど剥いたそばからつまんでみたが、海水の塩味の間から、何とも言えないあの独特の甘みと香りが口中に広がるのを感じた。
牡蠣の甘みを味わいたいなら、殻付き牡蠣に限る。
さぁ今夜は待望の牡蠣フライだ。
牡蠣フライには、タルタルソース何かよりも、絶対ウスターソーズがいいね。
# by noanoa1970 | 2009-11-18 18:08 | 季節の栞 | Comments(2)
半世紀ほど前の話である。
季節はちょうど今頃。
なぜ季節まで覚えてるのかといえば、それは田川律という人が作った「うた」という詩に「石榴の花のオレンジを6月の雨が濡らす時・・・」があって、それに「大塚まさじ」が曲を付けて歌ったアルバムがあったからである。
田川律は「日本のフォーク&ロック史」という本を出したり、数々の日本のフォークミュジシャン達を影で支えてきた人物。
「西岡恭蔵」の追悼コンサートや「クロちゃん」の追悼コンサートを企画した人でもあったと記憶する。
4月に武蔵野市民会館で開催された「高田渡」生誕60年祭・・・還暦にも、ゲスト出演し、高田の持ち歌を披露してくれた。(何を歌ったかは失念)
小生はその時初めて、彼の風貌を見たのだが、もう極普通のくたびれたメタボの中年になっていて、「うた」を作った時の面影は無くなっていたが、いたって元気そうであった。
前置きが長くなってしまったが、それで半世紀も前の、6月と石榴とオレンジが、小生のかすかな記憶の中で、強力に結びついたというわけだ。
そのころ小生は、当時は最新のブロック建築で出来た、市営住宅に住むことになって、2階の小さな部屋をあてがってもらった。
その部屋は北向きで日は当たらなかったが、静かだったから、机の上にある棚の上に自分専用のラジオをおいて、新諸国物語や音楽放送を聞いていた。
TVが家にやって来る少し前の話だ。
机に向かって左側には、鉄でできたサッシの窓があって、細い通路を挟んですぐ、向かいの家の小さな南向きの庭が見えた。
庭の垣根にはいつのころか、赤い実をつけた石榴がなることがあって、その季節になると、小生はこっそりその実を取って食べることがあった。
母親だったか誰だったか忘れてしまったが、石榴のまだ熟しきれてない実を食べていると、「石榴は人間の脳みその味がするんだ」と教えられ、赤い実からは、とうてい想像できないそのスッパサは、人間の脳みその味なのか、などと思うのであった。
その話を聞いてから、2度と向かいの家の石榴を取って食べることはなかったが、多分季節は今頃だろう・・・あるときまだ実のなってない石榴の木を、ボンヤリ眺めていると(オレンジ色の花の記憶は残念ながらないのだけれど)1羽の鳥が飛んできて小生のほうを向いて枝に止まった。
その鳥は、初めて見る鳥で、スズメよりは大きく、近くで飼っていた伝書鳩よりは小さい暗緑色の奇妙な鳥だった。
その鳥はかなり長い時間、石榴の枝に止まっていたかと思うと、突然その口を小生のほうにむけて大きく何回も開いたのだった。
そして小生は、その時奇妙な光景を目撃したのだ。
それは開いたその鳥の口の中が、(こんなことはあり得ないことなのだが)真っ赤であったからだ。
何か病気があって、それで休むために長く枝に止まっていて、血でも流れてそれで口の中が血に染まった・・・・そんなことを思ったぐらいの、それは衝撃であった。
「啼いて血を吐く不如帰」という歌詞がある数え唄があるが、それを知ったのはかなり後年のこと。
事実ホトトギスの口の中は、赤かったのである。
それを先人は「啼いて血を吐く」と、まるで労咳の鳥であるかのように表現した。
小生は、いけないものを観てしまったかのように、このことは誰にもしゃべることなく過ごしてきたのだが、半世紀たった今何かの・・・多分「大塚まさじ」の唄の記憶が引き金となったのだろうが、ちょうどこの季節、遠い昔の話を思い出した。
石榴は、熟して皮が破れて、中の実がはじけるころが美味しく食べられる。
しかしその姿は、決して優雅ではなく、なんとなく頭蓋骨が壊されて、中から脳みそが顔を出す光景にも似るようだし、脳みその皺と石榴の実の粒の付き方や配列は、似ているように思える。
それに石榴:ザクロと髑髏:ドクロは、ゴロが似通っているから、きっと昔の人は、石榴の実と人間の脳みそは同じ味だ・・・そんなことを言ったのだろうか。
本当にこのことがかなり以前から言われてきたことかどうか、一度調べてみる価値はありそうだ。
そして石榴の花のオレンジ、実際にこの目で見てみたいと思っている、梅雨の合間のひと時でした。
# by noanoa1970 | 2009-06-28 17:26 | 季節の栞 | Comments(2)
6月になって最初の長浜行き。
滋賀県にはなぜかガソリンの安いところが多い。
愛知、三重に比べ1L10円違うから、満タン入れると平気で往復のガソリン代が浮いてくる勘定になるから、長浜で補給することにしているわけだ。
そんなこともあって長浜に行く機会が一層増えている今日この頃。
いつものように「そば八」で蕎麦を食べることにした。
伊吹産のそば粉はすでに無くなってしまっているのか、本日は越前産のそば粉を使った「おろし蕎麦」を家内が注文。
小生は「天丼」が食べたかったので、小天丼そして先日後から気がついたので、たべることができなかった「だし巻き」を注文した。
「天丼」はシイタケ、大葉、海老が載っているだけの小さな丼に盛られていたが、小生にはちょうど良い量。
からっと揚げられた天麩羅と蕎麦屋の天つゆのマッチングは素晴らしい。
これでご飯がもう少し熱ければ申し分ない。
「出し巻き」を運んできたお姉さんが、「うちの出し巻きは初めてですか?」と聞いてくる。
「先日だし巻きがメニューにあるのに気がつかなかったので、・・・」と答える。
「注文があるたびに、私がてんぷらを揚げ、だし巻きもまいているんです。」
「出来たての熱々ですから美味しいですよ」
「醤油は付けないで、大根おろしで召し上がってください」
入店は15時、他に客がいなかったせいでこんな会話が進む。
しかもその相手は、まだ若い女性なのだ。
この女性の、店員だか店の人なのか、また蕎麦修行中の人なのかは分からないが、先日来た時に、地元伊吹産と越前産のそば粉のチョイスを快く引き受けてくれた女性。
「良く蕎麦の食べ歩きなさるんですか?」などという会話もあって、多分われわれのことを覚えてくれていたようだった。
さてその「だし巻き」だが、これがかなりの腕前で巻かれたもの。
小生は「だし巻き」好きで、正月用には必ず自分でだし巻きを作る。
このために専用の銅製の器具を調達した。
卵料理は、誰にでもできるが、満足度の高いものはプロでも、そんなにいつも出来るものではないことを、過去の経験で知っている。
だからだし巻きがニューにある、蕎麦が割と美味しい蕎麦屋でも、「だし巻き」にはがっかりすることが多いものだ。
この女性が巻いたという「だし巻き」は、数多い蕎麦屋のだし巻きの中でもTOPクラスに入ると思われる。
色が素晴らしい。
卵の色をここまで出しながら、一切焦げ目がついてない。
形がよく・・・当然巻きスで成形するのだと思うが、それにしても形が長方形で角が立っていて、見た目が美しい。
切り方がよい・・・5分割に切ってあるが、切り口も鋭敏、その幅も調和がとれていて、食べるのがもったいないほど。
味が良い・・・・カツオの太削りで取った出汁で巻いた関西風の薄味のだし巻きは、恐らくは辛口の酒に合うことだろう。これなら日本酒でも白ワインでもいける。
1点だけ強いて言えば、丁寧すぎて・・・だから時間をかけて少し弱火で巻いたのだろうか、卵の歯触りがほんの・ほんの少々だが、固くなってしまったことだけ。
若い女性が巻いた事で、採点が甘くなっているのでは無く、だし巻きをメニューに加えている有名店に比較しても優るとは劣らない。
いいものに巡り合い、滅多に褒めない小生が、帰り際に「だし巻き美味しかったよ」と素直に言えるほどであった。
かなりの練習と努力をしなければ、消して巻くことができない優れもののだし巻き・・・あの若い女性の人知れない努力がわかるから、余計に感慨深いものがあった。
・・・
今日は水無月の話をしようと思いながら書いているうちに、だし巻きの話になってしまったが、蕎麦屋の帰りに、いつもの和菓子屋に立ち寄った。
この店は極普通の古い民家そのもので、店の感じは全くない。
小さなガラスケースには、あまり多いとは言えない和菓子が並んでいる。
だから観光客はあまり寄りつかず、購入する人は地元の人が多い店だ。
この店の「ゆべし」には胡桃入りと黒ゴマ入りのものがあって、それが絶品。
小生愛好していたのだったが、最近作るのに大変な手間がかかるというので、このところやめているようだ。
それで行くたびに「ゆべし」はないの?と催促しているのだが、どうも先代が亡くなったらしく、人出がないのか、商品数を絞らざるを得ないようだ。
そんな中から「柏餅」と「水無月」を購入した。
柏餅というと最近のものは、まん丸の・・・上用饅頭の大きさでウスペラなものが、柏の葉にくるまれているだけのものが多くなってきて、昔からの形のものがメッキリ減ったようだが、この店の者は昔ながらの・・・餃子のような形のものが柏の葉に包まれたもの。
そして水無月は、ちょうど6月に入ったから、そんな理由だけで購入した。
歩きながら家内に「どうして6月は水無月・・・・雨がたくさん降るのに水が無い月というのか知ってるか」と聴いてみた。
実は小生もそのことを最近知ったばかりだったが、そのことは黙って聞いたのだった。
予想した通り家内もそのわけを知らなかった、しかしこれは多分当たり前で、学校でも、5月は皐月、そして6月を水無月というとは教えられたが、なぜ梅雨の季節を水無月というのかを教える先生はいなかったし、生徒にも質問をする者はいなかった。
それで小生は、旧暦の6月は新暦の7月に当たる、そして7月は渇水季だから、そういうのだろう・・・などと勝手な解釈をして何十年も過ごしてきたのだったが、あるときそうではないことが分かって仰天した。
ご存知の方も多いとは思うが、それは・・・
昔の人の考えでは季節をつかさどるのは「天」の力。
「天」は神であり、農耕民族にとっては「水」「雨」は豊作の原点だ。
6月は梅雨期で、地上には水があふれる、しかし「天」から見ると、地上に水を注ぐから、「天の水瓶」からは水が無くなってしまう。
昔の人は、物事の中心を、自分たちの居る「地上」または「地球」に置いたのではなく、「天」または「宇宙」に置いた。
そうして考えると、「水無川」なんかも、今では水があまりない川の象徴的存在であるが、かつては、水が大変豊富な川・・・天の水瓶が底をつくような水量のあった川だった可能性も出てくる。
「逆読み」の必要性はこんなところにもある。
だから面白い。
# by noanoa1970 | 2009-06-02 09:47 | 季節の栞 | Comments(0)
「神無月のころ、来栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入る事侍れしに、遥かなる苔のほそ道をふみわけて、心ぼそくすみなしたる庵あり。
木の葉にうづもるるかけ樋のしづくならでは、つゆおとなふ物なし。
閼伽棚に菊・紅葉など折りちらしたる、さすがにすむ人のあればなるべし。
「かくてもあられけるよ」と、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが周りを、厳しく囲ひたりしこそ、すこしことさめて「この木なからましかば」とおぼえしか」
徒然草第十一段で吉田兼好は、そのように書いている。
趣ある家人が住まいする山里の邸であるなと思っていたら、そんな人が、周囲を囲って
蜜柑を盗まれないようにしているのに気が付き、興ざめしてしまったという話である。
しかし小生、以前からこの方、「大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたる」という部分が気になって仕方がなかった。
「大きなる柑子の木の」とは、木が大きいのかそれともその実が大きいのか、たぶん木が大きいのだろうが、普通の蜜柑(温州みかん)とは違って、さらに大きい・・・夏ミカンのような大きさのものだろうとも思えるのだった。
そしてその柑子蜜柑のたわわに実る光景と、美味しそうな蜜柑の味を夢想することがあった。
季節は神無月、しかも旧暦の神無月だから、新暦では10月下旬から12月上旬ごろに当たる。


写真はこの季節小生が最も気になっているものの一つ。
柑子は固有種で、形は温州みかんのよう、約40g内であるとされている割と小さいものであるから兼好の「柑子」ではないらしい。
どうも「八朔」のような感じがする。
ある家の庭に植えられたものだが、遊歩道に枝が張り出し、いつもたくさんの実をつけている。
まだ蜜柑の実は少し黄色が付いた程度、あと数週間で黄色く色づき、食べごろになるだろう。
相当色づいてもなかなか収穫しないので、いつもやきもきするのだが、気がつくといつの間にか無くなっている。
ジュースにしたらどんなに爽やかで美味しいことだろう。
マーマレードを作ったらどんなに美味しいものができるだろう。
しかしあんなに大量になっている蜜柑、その家の人はどう処理しているのだろうなどと、ひとりで気をもんでいるのだ。
兼好が見たのと同じような、見事な「たわわに実る柑子」を思わせてくれるものを近所で見れる、そして取ろうと思えばだれでも取れるようなところにあるのが、来栖野のそれとは違う。
# by noanoa1970 | 2008-10-21 10:21 | 季節の栞 | Comments(2)


プラタナスの樹木に寄生する直径15センチほどの「きのこ」。
散歩の途中で発見した。
遊歩道はプラタナスが両脇に続いているが、キノコが」生えていたのは、この木だけ。
とても美味しそうに見えるが、たぶん毒キノコであろう。
きのこ図鑑で正体を探すが、悪戦苦闘の結果、結局は正体不明。
きのこの判別は相当難しい。
# by noanoa1970 | 2008-10-21 09:50 | 季節の栞 | Comments(0)
倉敷の有名なカフェ、エルグレコ。
学生時代の憧れの店だった。
そしてついにその願望が現実となったのは、今から40年前のこと。
五山の火送りも終わって数日たった夏のこと、白沙村荘のバイト仲間と連れだって、日本海側から山口県を経て太平洋側に3泊で回るという計画が元あがった。
萩と倉敷はかねてから行きたかったところだからと、小生はすぐに合意し、バイト先に4日の夏休みをもらって出発することになった。
小生がその頃乗っていたスズキのフロンテSSSという軽自動車に3人が乗って、ほとんど荷物が積めないから後部座席に必需品を少し、そしてテントと水分補給にと、氷をたくさん入れたクーラーボックスにコーラを入るだけ入れてのことだった。
氷とコーラはバイト先から頂いたもので、3人が抜ける4日間を、残りのバイトが埋める惨憺をしてのことであった。
木の先に通じる坂道で突然エンジントラブルに見舞われ、どうしようもなく、最寄りのスズキのディーラーに駆け込むと、オイルフィルターのオイルシールが逆むけに取り付けてあって、オイルが逆流したためと分かった。
点検に出した京都のディーラーのミスとわかって、修理費は無料となったが、半日のロスとなってしまった。
損害賠償など考えもしなかったのが、いかにも世間知らずの、おとなしい学生であったと、思い出して苦笑することがある。
紆余曲折の上、たどり着いた倉敷で満を持して入ったのが、名店エル・グレコ。
よい雰囲気の店ではあったが、でも期待を大いに持って想像していた店とは少し違って、少しがっかりしたことは否めなかった。
その理由は、NOANOAがそして白沙村荘がもつ、年輪の風格が醸し出す雰囲気とどうしても比べてしまったからであるのだが、しかし調度品の配置の仕方や絵画の展示法などは、学ぶところが多かったように思った。
蔦の絡まる洋館・・・エル・グレコもNOANOAも、どちらも小生の好みである。
コーヒーの味は、残念ながら全く覚えていない。
今あのエル・グレコ、どうなっているのか、少し気になるこの頃だ。
40年前のエル・グレコのモノクロ写真をお目にかけるとにしよう。
# by noanoa1970 | 2008-08-22 16:28 | 季節の栞 | Comments(0)
京都時代最後の夏、それももう終わりのころ、ちょうど今頃の8月から9月中旬にかけた1か月に渡って、北海道を旅したことがあった。
同行したのは、いかにも京都の老舗らしい名前の洋菓子屋の息子で、彼は卒業後すぐに、洋菓子屋を継がなくてはいけないから、近い将来のために、NOANOAに接客と料理の基本の修行に来ていた。
たぶん伝統的洋菓子やから脱却し、何か系統の違う、斬新な洋菓子屋を、と考えてのことであろう。
O君と言って、今でも洋菓子屋は、京都市左京区の浄土寺にあって、名前はおしゃれなフランス風になってはいるが、しっかりした作りのケーキは、地元の愛好者が多い。
小生は京都を去る前の年のクリスマス前から、忙しくなる洋菓子屋を手伝いに行ったことがあり、クリスマスケーキをたくさん仕込んだ割には売れ行きが乏しかったのを、彼が嘆くので、店の外にテーブルを出してそこに見本を並べようと提案したところ、たちどころに注文が殺到し、それから、彼の小生を見る目が、尊敬に変わるのを、目の当たりに見ることになったこともあった。
新しいケーキを開発し、たくさん売れるように、洒落た名前を考えたいというので、その形状とハイライトされているイチゴから、「ストロベリー・クッペ」にしようといったところ、やがて人気が出て、この店の看板メニューとなったと後に聞いた。
北海道旅行は、そんなO君が4回生の遅い夏のこと。
もうこれで自由な生活ともサヨナラして、店の跡継ぎになるべく、身を処さなくてはならないから、どこかへ旅行しよう・・・そういうことになったのだった。
小生は翌年名古屋に帰ることになっていて、その年は自由人的生活を送っていたから、2つ返事でOKした。
そこで、O君のカローラクーペで、京都から敦賀までいき、そこからフェリーに乗って北海道は小樽に上陸し、そして約一月かけて北海道を回ろうという計画となった。
さすがに広い北海道、でも襟裳岬のある道東以外は、ほぼ全域・・・利尻礼文も含めまわることができた。
宿泊は行き当たりばったりのYHを中心に、もしダメな場合にと簡易テントとシュラフを積んで、出発となった。
道中さまざまな面白話があるが、それは又別の機会に・・・
写真は、網走刑務所から出所したてのある男。
そして礼文島の草原で、シンガーソングライター気分を味わっているところ。
(このころ北海道のYHのいたるところで、「旅の終わり」という歌が聞こえてきた。YHに宿泊した人なら、誰でも覚えたはずのこの歌、とてもいい感じの歌だ)
夢のような旅立った
遠い北の国の
僕は旅の楽しさと旅の辛さを知った
こんなつらい旅なんか
もういやだ、旅を終わろう
汽車に乗ろう
以上のような歌詞で、今でもはっきり覚えている。
40年近くたっているので、写真が色褪せてきてしまった。

# by noanoa1970 | 2008-08-22 15:47 | 季節の栞 | Comments(2)