DRACの末裔による徒然の日々

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semスキン用のアイコン01播州室津の殻付き牡蠣semスキン用のアイコン02

  

2009年 11月 18日

息子が出張のついでに播州明石の牡蠣を送ってくれた。
出張先の兵庫県立粒子医療センターは、ガンを粒子をピンポイントで照射し治療する最前線の医療機関である。

ここに電子画像解析システムが導入され、そのシステムエンジニアとして出張が多い。
かなり辺鄙な、播磨化学公園都市の中にあり、最寄りの姫路駅…最寄りといってもそこから30Kあるから、駅から、レンタカーを借りてゆくとのこと。

途中の山道也川では諸動物も、ほたるでさえ見ることができると聞いた。
しかし施設は相当立派なものである。

名古屋では計画があるのだが、経済環境険しい中、市長が見直しをするとかで、おそらく実現しそうにもないが、こういう先端技術の治療期間は必須だと思う。
兵庫県はよくぞ投資をしたものと感心する。

昨日届いた牡蠣は、播州室津好吉田水産のもの。

今年は少し小振りだそうだが、久しぶりの殻つきの牡蠣だ。

さてどのように食すか、しばらく考えたのだが、早く食べたいので、手っ取り早く焼き牡蠣にした。

この時期そしてせっかくだから、炭を起こして囲炉裏で焼こうかとも思ったが、はやる気持ちを抑えきれず、いつもはお好み焼きに使う、ホットプレートを使うことにした。

すぐに食べたいという欲求からの、とっさのアイディアであったが、これが大成功。
牡蠣を並べ蓋をしてしばらくすると、心配をよそに、牡蠣の蓋は無事全部あいた。

これだと網の上での時下焼きに比べて、情緒はないが、汁のこぼれも少なく抜群だ。
播州の牡蠣がみなそうなのかはわからないが、伊勢の牡蠣に比べて塩味が強い。

多分洗浄に浄化された海水を使用するからなのだろうか。
したがって、焼き牡蠣は、そのままで、レモンを絞って食すと大変美味であった。

30個余りあったので、残りをやはり牡蠣フライで食べたいと思い、先ほど家内を手ほどきして殻をはいだ。

多分殻つきの牡蠣は、すべての家庭に受け入れられるわけではない、そう思うのはやはり殻を剥く手間があるからだと思う。

焼き牡蠣にしたって、どのようなもので焼いてよいのか、なかなか思いつかないことであろう。
これは多分どこの家庭にもある「ホットプレート」が一番重宝する。

殻をむくのは、なれないと大変な作業だし、多分家庭には殻剥き器はないことだろう。
小生の家でもやはり殻剥き器、今はないので、先の尖ったアイスピックのようなものと、ナイフとフォークのフォークがあれば、簡単に剥くことができる。

最初は身を傷つけてしまうこともあるが、そのうちコツ・・・どこからこじ開けるかさえつかめば、すんなりと開いてくれる。

会を商売にしている店は、素人の一般家庭においても、割と楽に殻が剥けるということや、その方法を消費者に伝えないと、むき身の牡蠣ばかりが売れる結果になってしまうのではないか。

せっかくの殻つきの美味しい牡蠣を、消費者が家庭で食すことができれば、何もバカ高い料理屋や、浜に出向いて食すということもなく、もっともっと殻つき牡蠣の消費が増えると思うのだが・・・・

比較するまでもないが、殻つき牡蠣はむき身の牡蠣と比べ数段の差があるし、第一最も美味しい「生」で味わえるのは、殻付き牡蠣しかないのだから。

先ほど剥いたそばからつまんでみたが、海水の塩味の間から、何とも言えないあの独特の甘みと香りが口中に広がるのを感じた。

牡蠣の甘みを味わいたいなら、殻付き牡蠣に限る。

さぁ今夜は待望の牡蠣フライだ。
牡蠣フライには、タルタルソース何かよりも、絶対ウスターソーズがいいね。

# by noanoa1970 | 2009-11-18 18:08 | 季節の栞 | Comments(2)

semスキン用のアイコン01木曽の秋semスキン用のアイコン02

  

2009年 11月 01日

昨日木曽へ墓参りに行った。
中央高速道を中津川ICまで行き、そこからR19号に出て、一路木曽福島に。

途中はまだ紅葉には少し早かったが、さすが標高800Mの木曽駒高原ふもと付近では、今が紅葉の真っただ中。

近くの広葉樹も、遠くの山〃も秋色に染まって、綺麗だった。

# by noanoa1970 | 2009-11-01 10:57 | 季節の栞 | Comments(2)

semスキン用のアイコン01実を付けたアケビ・・・20年semスキン用のアイコン02

  

2009年 10月 09日

街路樹の際に植えた「あけび」。

京都修学院の家内の実家から貰ってきて、種を播いたもの。

去年ようやく花を見る事ができ、今年実を付けた。

20年以上も前のこと、あけびをもらってきて、美味しく頂いて、残った皮の部分を捨てるのはもったいないと、試しにアケビの皮を炒めて、味噌と醤油、みりんと七味唐辛子で味を調えることにした。

結果は・・・大成功。

種の部分を食べるよりも、こちらのほうがさらに美味しいことが分かった。

先日山形だったか秋田だったかでは、種を捨ててしまい、皮の部分に詰め物をして食べる習慣があると、TVで放映していたのを見て、してやったり!

アケビの蔓は、工芸品の材料としても重宝される。
奈川村の村人たちは、アケビの蔓を編んで見事な入れ物を作る。
ということは「あけび」は、実も皮も蔓も役に立ち、捨てるところが無い、しかも野性的で地味に富んだ植物だといえる。

山里では真っ先に猿が食べるそうだ。

しかしあけびは、都会のマーケットではあまりお目にかかれないもの。

少年時代、里山探検に明け暮れていたころ、あけびを見つけて種をほうばった事があるが、あの頃は都市部に近いところでも、あけびを見ることができた。

渓流釣りに山谷に行っても、近年あまり見ることができなくなってしまった。

たった3つしか実を付けてはいないが、実も皮も全部美味しく食べてあげることにした。

# by noanoa1970 | 2009-10-09 09:09 | 季節の栞 | Comments(2)

semスキン用のアイコン01オレンジ 石榴 不如帰semスキン用のアイコン02

  

2009年 06月 28日

半世紀ほど前の話である。
季節はちょうど今頃。
なぜ季節まで覚えてるのかといえば、それは田川律という人が作った「うた」という詩に「石榴の花のオレンジを6月の雨が濡らす時・・・」があって、それに「大塚まさじ」が曲を付けて歌ったアルバムがあったからである。

田川律は「日本のフォーク&ロック史」という本を出したり、数々の日本のフォークミュジシャン達を影で支えてきた人物。

「西岡恭蔵」の追悼コンサートや「クロちゃん」の追悼コンサートを企画した人でもあったと記憶する。

4月に武蔵野市民会館で開催された「高田渡」生誕60年祭・・・還暦にも、ゲスト出演し、高田の持ち歌を披露してくれた。(何を歌ったかは失念)

小生はその時初めて、彼の風貌を見たのだが、もう極普通のくたびれたメタボの中年になっていて、「うた」を作った時の面影は無くなっていたが、いたって元気そうであった。

前置きが長くなってしまったが、それで半世紀も前の、6月と石榴とオレンジが、小生のかすかな記憶の中で、強力に結びついたというわけだ。

そのころ小生は、当時は最新のブロック建築で出来た、市営住宅に住むことになって、2階の小さな部屋をあてがってもらった。

その部屋は北向きで日は当たらなかったが、静かだったから、机の上にある棚の上に自分専用のラジオをおいて、新諸国物語や音楽放送を聞いていた。

TVが家にやって来る少し前の話だ。

机に向かって左側には、鉄でできたサッシの窓があって、細い通路を挟んですぐ、向かいの家の小さな南向きの庭が見えた。

庭の垣根にはいつのころか、赤い実をつけた石榴がなることがあって、その季節になると、小生はこっそりその実を取って食べることがあった。

母親だったか誰だったか忘れてしまったが、石榴のまだ熟しきれてない実を食べていると、「石榴は人間の脳みその味がするんだ」と教えられ、赤い実からは、とうてい想像できないそのスッパサは、人間の脳みその味なのか、などと思うのであった。

その話を聞いてから、2度と向かいの家の石榴を取って食べることはなかったが、多分季節は今頃だろう・・・あるときまだ実のなってない石榴の木を、ボンヤリ眺めていると(オレンジ色の花の記憶は残念ながらないのだけれど)1羽の鳥が飛んできて小生のほうを向いて枝に止まった。

その鳥は、初めて見る鳥で、スズメよりは大きく、近くで飼っていた伝書鳩よりは小さい暗緑色の奇妙な鳥だった。

その鳥はかなり長い時間、石榴の枝に止まっていたかと思うと、突然その口を小生のほうにむけて大きく何回も開いたのだった。

そして小生は、その時奇妙な光景を目撃したのだ。

それは開いたその鳥の口の中が、(こんなことはあり得ないことなのだが)真っ赤であったからだ。

何か病気があって、それで休むために長く枝に止まっていて、血でも流れてそれで口の中が血に染まった・・・・そんなことを思ったぐらいの、それは衝撃であった。

「啼いて血を吐く不如帰」という歌詞がある数え唄があるが、それを知ったのはかなり後年のこと。

事実ホトトギスの口の中は、赤かったのである。
それを先人は「啼いて血を吐く」と、まるで労咳の鳥であるかのように表現した。

小生は、いけないものを観てしまったかのように、このことは誰にもしゃべることなく過ごしてきたのだが、半世紀たった今何かの・・・多分「大塚まさじ」の唄の記憶が引き金となったのだろうが、ちょうどこの季節、遠い昔の話を思い出した。

石榴は、熟して皮が破れて、中の実がはじけるころが美味しく食べられる。
しかしその姿は、決して優雅ではなく、なんとなく頭蓋骨が壊されて、中から脳みそが顔を出す光景にも似るようだし、脳みその皺と石榴の実の粒の付き方や配列は、似ているように思える。
それに石榴:ザクロと髑髏:ドクロは、ゴロが似通っているから、きっと昔の人は、石榴の実と人間の脳みそは同じ味だ・・・そんなことを言ったのだろうか。

本当にこのことがかなり以前から言われてきたことかどうか、一度調べてみる価値はありそうだ。

そして石榴の花のオレンジ、実際にこの目で見てみたいと思っている、梅雨の合間のひと時でした。

# by noanoa1970 | 2009-06-28 17:26 | 季節の栞 | Comments(2)

semスキン用のアイコン01水無月semスキン用のアイコン02

  

2009年 06月 02日

6月になって最初の長浜行き。
滋賀県にはなぜかガソリンの安いところが多い。

愛知、三重に比べ1L10円違うから、満タン入れると平気で往復のガソリン代が浮いてくる勘定になるから、長浜で補給することにしているわけだ。

そんなこともあって長浜に行く機会が一層増えている今日この頃。

いつものように「そば八」で蕎麦を食べることにした。
伊吹産のそば粉はすでに無くなってしまっているのか、本日は越前産のそば粉を使った「おろし蕎麦」を家内が注文。

小生は「天丼」が食べたかったので、小天丼そして先日後から気がついたので、たべることができなかった「だし巻き」を注文した。

「天丼」はシイタケ、大葉、海老が載っているだけの小さな丼に盛られていたが、小生にはちょうど良い量。

からっと揚げられた天麩羅と蕎麦屋の天つゆのマッチングは素晴らしい。
これでご飯がもう少し熱ければ申し分ない。

「出し巻き」を運んできたお姉さんが、「うちの出し巻きは初めてですか?」と聞いてくる。
「先日だし巻きがメニューにあるのに気がつかなかったので、・・・」と答える。

「注文があるたびに、私がてんぷらを揚げ、だし巻きもまいているんです。」
「出来たての熱々ですから美味しいですよ」
「醤油は付けないで、大根おろしで召し上がってください」

入店は15時、他に客がいなかったせいでこんな会話が進む。

しかもその相手は、まだ若い女性なのだ。

この女性の、店員だか店の人なのか、また蕎麦修行中の人なのかは分からないが、先日来た時に、地元伊吹産と越前産のそば粉のチョイスを快く引き受けてくれた女性。

「良く蕎麦の食べ歩きなさるんですか?」などという会話もあって、多分われわれのことを覚えてくれていたようだった。

さてその「だし巻き」だが、これがかなりの腕前で巻かれたもの。

小生は「だし巻き」好きで、正月用には必ず自分でだし巻きを作る。
このために専用の銅製の器具を調達した。

卵料理は、誰にでもできるが、満足度の高いものはプロでも、そんなにいつも出来るものではないことを、過去の経験で知っている。

だからだし巻きがニューにある、蕎麦が割と美味しい蕎麦屋でも、「だし巻き」にはがっかりすることが多いものだ。

この女性が巻いたという「だし巻き」は、数多い蕎麦屋のだし巻きの中でもTOPクラスに入ると思われる。

色が素晴らしい。
卵の色をここまで出しながら、一切焦げ目がついてない。
形がよく・・・当然巻きスで成形するのだと思うが、それにしても形が長方形で角が立っていて、見た目が美しい。
切り方がよい・・・5分割に切ってあるが、切り口も鋭敏、その幅も調和がとれていて、食べるのがもったいないほど。
味が良い・・・・カツオの太削りで取った出汁で巻いた関西風の薄味のだし巻きは、恐らくは辛口の酒に合うことだろう。これなら日本酒でも白ワインでもいける。

1点だけ強いて言えば、丁寧すぎて・・・だから時間をかけて少し弱火で巻いたのだろうか、卵の歯触りがほんの・ほんの少々だが、固くなってしまったことだけ。

若い女性が巻いた事で、採点が甘くなっているのでは無く、だし巻きをメニューに加えている有名店に比較しても優るとは劣らない。

いいものに巡り合い、滅多に褒めない小生が、帰り際に「だし巻き美味しかったよ」と素直に言えるほどであった。

かなりの練習と努力をしなければ、消して巻くことができない優れもののだし巻き・・・あの若い女性の人知れない努力がわかるから、余計に感慨深いものがあった。


・・・
今日は水無月の話をしようと思いながら書いているうちに、だし巻きの話になってしまったが、蕎麦屋の帰りに、いつもの和菓子屋に立ち寄った。

この店は極普通の古い民家そのもので、店の感じは全くない。
小さなガラスケースには、あまり多いとは言えない和菓子が並んでいる。
だから観光客はあまり寄りつかず、購入する人は地元の人が多い店だ。

この店の「ゆべし」には胡桃入りと黒ゴマ入りのものがあって、それが絶品。
小生愛好していたのだったが、最近作るのに大変な手間がかかるというので、このところやめているようだ。

それで行くたびに「ゆべし」はないの?と催促しているのだが、どうも先代が亡くなったらしく、人出がないのか、商品数を絞らざるを得ないようだ。

そんな中から「柏餅」と「水無月」を購入した。

柏餅というと最近のものは、まん丸の・・・上用饅頭の大きさでウスペラなものが、柏の葉にくるまれているだけのものが多くなってきて、昔からの形のものがメッキリ減ったようだが、この店の者は昔ながらの・・・餃子のような形のものが柏の葉に包まれたもの。

そして水無月は、ちょうど6月に入ったから、そんな理由だけで購入した。

歩きながら家内に「どうして6月は水無月・・・・雨がたくさん降るのに水が無い月というのか知ってるか」と聴いてみた。

実は小生もそのことを最近知ったばかりだったが、そのことは黙って聞いたのだった。

予想した通り家内もそのわけを知らなかった、しかしこれは多分当たり前で、学校でも、5月は皐月、そして6月を水無月というとは教えられたが、なぜ梅雨の季節を水無月というのかを教える先生はいなかったし、生徒にも質問をする者はいなかった。

それで小生は、旧暦の6月は新暦の7月に当たる、そして7月は渇水季だから、そういうのだろう・・・などと勝手な解釈をして何十年も過ごしてきたのだったが、あるときそうではないことが分かって仰天した。

ご存知の方も多いとは思うが、それは・・・

昔の人の考えでは季節をつかさどるのは「天」の力。
「天」は神であり、農耕民族にとっては「水」「雨」は豊作の原点だ。
6月は梅雨期で、地上には水があふれる、しかし「天」から見ると、地上に水を注ぐから、「天の水瓶」からは水が無くなってしまう。

昔の人は、物事の中心を、自分たちの居る「地上」または「地球」に置いたのではなく、「天」または「宇宙」に置いた。

そうして考えると、「水無川」なんかも、今では水があまりない川の象徴的存在であるが、かつては、水が大変豊富な川・・・天の水瓶が底をつくような水量のあった川だった可能性も出てくる。

「逆読み」の必要性はこんなところにもある。
だから面白い。

# by noanoa1970 | 2009-06-02 09:47 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01その名も知らずsemスキン用のアイコン02

  

2009年 04月 20日

散歩の途中の遊歩道わきに咲く花。
かわいい花だが名前は知らない。

公園に今いっぱい咲く白い花。
清楚で美しい花だが、その名前は知らない。
一体どんな名前がついているのやら。


日陰にこっそりと咲く花。
これは「シャガ」だ。
なぜか名前を知っている。

これからが花盛り。
つつじの蕾が柔らかなふくらみ。

今年は速いのだろう。
すでに咲いている「藤の花」

わずかな時間の散歩の間に、こんなに楽しめる季節となった。
季節の移り変わりはとても速い。

# by noanoa1970 | 2009-04-20 14:03 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01近江八幡ぶらりsemスキン用のアイコン02

  

2009年 01月 11日

なんだか長ったらしい名前だが、近江八幡日牟禮ヴィレッジ. クラブハリエ日牟禮館のバームクーヘンが食べたくなって、近江八幡へ向かった。

と言っても小生、バームクーヘンという菓子を特に好んではいるわけではない。
バームクーヘンと言えば「ユーハイム」と相場が決まっていた時代の育ちだから、何かというとこの缶入りのお菓子にお目にかかることが、子供時代からあったが、いつ食べても喉に引っ掛かるようなパサパサ感が付きまとっていて、昔のことで紅茶やコーヒーと一緒には食べることがなかったせいか、噎せてしまうことが多かったからとても好きにはなれなかった。

しかしそんなバームクーヘンも、最近の傾向は、シットリ感のあるものへと変わったようだ。

多分このことは進物贈答用という昔のバームクーヘンとは違う、つまりもっと身近でいつでも家庭でみんなが口にすることができるようになったことで、保存期間を短くしても良くなったからではなかろうか。

近江八幡を含む近江の町には、伝統的な和菓子の老舗が多いが、日牟禮ヴィレッジもご多分にもれず、和菓子「たねや」の洋菓子部門としてできたもので、近江八幡の日牟禮八幡宮の境内にある日牟禮庵の向かい側に新しくできたもの。

冬の季節、それも出来たてで少し暖かいにも関わらず、「お帰りまでどのくらい時間がかかるか」と店員に質問される心の配りよう。

おいしく食べられる時間は半日ぐらいであるらしい。

家内は欲張ってロールケーキも購入したから、帰宅後かなり大量のケーキを消費してしまった。

他にも美味しいバームクーヘンところはあるだろうが、この店の者で十分すぎるほど満足であった。

昼食を取らずに向かったから、お腹が空いた状態で到着し、神社へのお参りの前に「たねや」の日牟禮庵で甘味を食べることにした。

懐かしい「おくどさん」には火が入っていたし、上には神様が祭ってある古民家を移築した店で、気に入っているから必ず寄ることにしている。

一息ついたところで神社にお参りをし、小生「あと厄」であることを発見。
還暦はあまり良くないらしく昭和23年から24年生まれは「厄」が付いて回るらしいから十分注意しなければならない。

日牟禮八幡宮の祭神は、譽田別尊(応神天皇)、息長足姫尊(神功皇后)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫神(たぎつひめのみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)の三姫神である。

小生は息長足姫尊と製鉄とは関係性が深いのではないかと思っているが、それについてはまた改めて。

阿吽の口の開きがあるといわれる狛犬にもお参りをし厄払いとした。


いつも美しい八幡堀を後にし。
湖岸道路を長浜に向けて走り、長浜の「ベルペイ」にて初ピザ。
やはりここのピザは美味い。
今日は牡蠣のピザにしたが、ゴーダチーズには魚介類が一番合っている。

# by noanoa1970 | 2009-01-11 17:08 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01収穫の時semスキン用のアイコン02

  

2008年 11月 17日

いつもの散歩道、とある家の柑子みかん。
収穫の時を迎えたのだろう、橙色に色付いて来た。

さらにすぐ近くの民家の庭に、珍しいものを発見。
最初は蜜柑だと思っていたが、よく見るとそれは「レモン」であった。

それほど大きくはない樹木には今、レモンがたくさん実っている。
庭先で収穫できるレモン。

かなり贅沢でうらやましいものだ。

10年前の今頃なら、収穫した新蕎麦を三たてで味わうことができたのだが、今ではそれも遠い昔の思い出となってしまった。

里山では農作物の収穫の時期を少し過ぎたころだが、柑橘類の収穫はこれからが本番。

「収穫」といえば、昔よく聞いたアルバム、ニール・ヤングの「Harvest」。
「After The Gold Rush」とともに好きだったもの。

「アラバマ」という歌が収録されていた。
「After The Gold Rush」の「Southern Man」ともリンクする、南部人の人種差別に対する叛旗とも取れるような歌である。

南部で収穫とくれば、レッドベリーが作ったフォーク&カントリーの名曲、「Cotton Fields 」歌詞の中に、It was down in Louisiana
Just about a mile from Texarkanaルイジア州、テキサス州が登場する。

「綿摘み」に従事し、一生懸命働いても収入が少ない、貧しい黒人の子供が、かって母親の背中で聞いた歌のような感じである。

一方「レモン」はといえば、中学生時代に耳にした曲が2つ。
NHKの番組に「夢であいましょう」という音楽番組があって、男性四人のコーラスグループ「ダーク・ダックス」と人気を二分した「デューク・エイセス」が歌う「おさななじみ」・・・おさななじみの思い出は、青いレモンの味がする・・・

レモンは、今のようにポピュラーな果物ではなく、喫茶店でレモンティなどを注文するようになるのは、当分先のことであったから、当時、「青いレモンの味」とは一体どのような味なのか、とても興味がわいたものだった。

ちょうど同じころ、ラジオではナンシー・シナトラが歌った「LIKE I DO」という曲が
流れ、それをザ・ヒットパレードという民法の歌番組で、ザ・ピーナッツという双子の姉妹が歌っていた。

大学生になって、この曲の原曲が、「ポンキエルリ」というクラシックの作曲家の歌劇「ラ・ジョコンダ」の中の「時の踊り」であることを知ることになった。

ザ・ピーナッツは、他にもベートーヴェンの「エリーゼのために Fur Elise」の編曲「情熱の花を歌っていた。

60年代の初めは、クラシックとポピュラー音楽があまり優れちぇいるとは言えない編曲で結びついた時代の始まりでもあったようだ。

散歩中の柑橘類の樹木になっている果実から、音楽へと話が発展してしまったが、そのような展開も悪くはないだろう。

# by noanoa1970 | 2008-11-17 18:38 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01紅葉の木曽路semスキン用のアイコン02

  

2008年 11月 14日


昨日13日の朝、久しぶりに暖かくて快晴の天気だったので、思い立ったように木曽へ行くことにした。

いつもなら前もってある程度決めておくので、高速道路を通勤割引を使用して半額で行くのだが、昨日は思い立ったのが既に8時を回っていたから、通勤割引は使用できないが、それでもこの季節滅多にない天気の良さと暖かさは、割引料金のことなど気にするより、途中の紅葉を眺められるほうにメリットがある。

木曽では本当に珍しく、1日中快晴のままで、うっすらとした雪化粧した木曾駒ケ岳がよく見えた。

木曽川沿いの山々は、錦をまとったよう、ものすごく綺麗で、道中を楽しませてくれた。

ところどころにある針葉樹の緑が、コラージュされているようで、また美しい。
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# by noanoa1970 | 2008-11-14 10:16 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01やがて美味しそうに・・・semスキン用のアイコン02

  

2008年 10月 21日

「神無月のころ、来栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入る事侍れしに、遥かなる苔のほそ道をふみわけて、心ぼそくすみなしたる庵あり。
木の葉にうづもるるかけ樋のしづくならでは、つゆおとなふ物なし。
閼伽棚に菊・紅葉など折りちらしたる、さすがにすむ人のあればなるべし。
「かくてもあられけるよ」と、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが周りを、厳しく囲ひたりしこそ、すこしことさめて「この木なからましかば」とおぼえしか」

徒然草第十一段で吉田兼好は、そのように書いている。

趣ある家人が住まいする山里の邸であるなと思っていたら、そんな人が、周囲を囲って
蜜柑を盗まれないようにしているのに気が付き、興ざめしてしまったという話である。

しかし小生、以前からこの方、「大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたる」という部分が気になって仕方がなかった。

「大きなる柑子の木の」とは、木が大きいのかそれともその実が大きいのか、たぶん木が大きいのだろうが、普通の蜜柑(温州みかん)とは違って、さらに大きい・・・夏ミカンのような大きさのものだろうとも思えるのだった。

そしてその柑子蜜柑のたわわに実る光景と、美味しそうな蜜柑の味を夢想することがあった。

季節は神無月、しかも旧暦の神無月だから、新暦では10月下旬から12月上旬ごろに当たる。



写真はこの季節小生が最も気になっているものの一つ。

柑子は固有種で、形は温州みかんのよう、約40g内であるとされている割と小さいものであるから兼好の「柑子」ではないらしい。

どうも「八朔」のような感じがする。

ある家の庭に植えられたものだが、遊歩道に枝が張り出し、いつもたくさんの実をつけている。

まだ蜜柑の実は少し黄色が付いた程度、あと数週間で黄色く色づき、食べごろになるだろう。

相当色づいてもなかなか収穫しないので、いつもやきもきするのだが、気がつくといつの間にか無くなっている。

ジュースにしたらどんなに爽やかで美味しいことだろう。
マーマレードを作ったらどんなに美味しいものができるだろう。

しかしあんなに大量になっている蜜柑、その家の人はどう処理しているのだろうなどと、ひとりで気をもんでいるのだ。

兼好が見たのと同じような、見事な「たわわに実る柑子」を思わせてくれるものを近所で見れる、そして取ろうと思えばだれでも取れるようなところにあるのが、来栖野のそれとは違う。
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# by noanoa1970 | 2008-10-21 10:21 | 季節の栞 | Comments(2)

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2008年 10月 21日


プラタナスの樹木に寄生する直径15センチほどの「きのこ」。
散歩の途中で発見した。

遊歩道はプラタナスが両脇に続いているが、キノコが」生えていたのは、この木だけ。
とても美味しそうに見えるが、たぶん毒キノコであろう。

きのこ図鑑で正体を探すが、悪戦苦闘の結果、結局は正体不明。

きのこの判別は相当難しい。
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# by noanoa1970 | 2008-10-21 09:50 | 季節の栞 | Comments(0)

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2008年 09月 27日

散歩道で去年見つけた不思議な花。
その時は八重の「木槿」だと思っていた。

今朝散歩の途中で立ち止まって見ると、1本の木にピンクと白の花が同時に咲いていた。

確か去年も同じ光景を見たのだが、今年は新たな情報があって、それによるとその花は「酔芙蓉」ではないのかという思いがした。

それで、散歩から帰ってデジカメを持ち、撮影することにした。
家内に見せると去年同様「八重の木槿」だという。

木槿ならばなぜ酔芙蓉のように花の色が変化するのか不思議であるから、調べたが、色が変化するのは「酔芙蓉」としてあった。

撮影は午前8時ごろ、今朝は快晴でもう太陽が上っている時間だが、両脇が木立の遊歩道は陽のあたり方がまばらである。

そのせいだと思うのだが、つぼみは全部が薄いピンク、咲いているものは薄いピンクと純白両方ある。

酔芙蓉の特徴は、朝は白い花を咲かせるが昼から夕方になるとインクから赤い花に変化する。
その様が酒に酔う様子と似ていることから「酔芙蓉」とされたという。

同じ気にピンクと白両方の花が見られたのは、日当たりと個体差がその要因であろうと考えるのだが、もしこれが酔芙蓉でなく木槿だとしたら、同じ気に白とピンクの花が咲く木槿があるということになる。

花を見ただけでは、見分けがつきにくく「葉っぱ」の計上を見る必要あり・・・そう記されているものを見つけたので、また引き返して今度は、明らかな木槿の葉っぱと正体不明の物の葉っぱ両方撮影してきた。

明らかに違うように小生には見えるが、家内は同じ種類だといい、やはり「木槿;」だと言って譲らない。

夕方再度現場に行って見て、白い花がピンクか赤に変化していたら、「酔芙蓉」の可能性が強まると思うのだが、それまで待ちきれなく書いている。

葉っぱの形状と花を見て、酔芙蓉か八重の木槿かがお分かりになるだろうか。

小生は酔芙蓉であって欲しいと思うのだが・・・・

花には判別が難しい種類がかなりあるという例を実感した次第。
今夕が楽しみだ。

酔芙蓉と思しき花



木槿の花


裏庭に修学院から持ってきて植えた芙蓉があるというので、それぞれの葉っぱをスキャンした。

左、庭の芙蓉の葉。中、酔芙蓉と思しき葉。右、遊歩道の木槿の葉。

葉を比較すると、明らかに芙蓉と木槿は違う。
どうやら酔芙蓉と思しきものの正体、葉っぱの形状からは木槿に近いようだ。

はたして夕方、花の色の変化はあるのだろうか。

ひとまず結論を持ち越しにしておこう。

# by noanoa1970 | 2008-09-27 10:30 | 季節の栞 | Comments(0)

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2008年 09月 23日

昨朝急に話がまとまって木曽へと墓参りに向かうこととなった。
7月初めからの愛犬シバの闘病生活のこともあって、春の彼岸にお参りしてから、もう半年、かなり間が空いてしまった間に、お墓の周りはすっかり様子が変わってしまっていた。

お墓は新しいものが増えてきて、緑に囲まれていた周囲は、木立や木藪が切り取られて裸同然となり団地の様相を呈していた。

スッカリ見渡せるようになったのはよいのだが、これだけ木立を伐採され周囲が明るく開けてしまうと、お墓の厳粛な雰囲気が無くなったようで、先祖に申し訳ない気持ちだ。

なんでも地区の消防団の計らいで、乾燥時の森林火災防止、そして熊の出没の危険回避のための措置であると聞いた。

お盆やお彼岸のお供え物を狙って、熊が出るのだろうか、そういえばつい最近も人間の住む領域に熊が出没したし、近所のかなり交通量がある交差点のど真ん中に、猿が出現し、悠々としていたのを目撃したこともあったから、野生の動物たちが里山からさらに人間の住む領域に接近したことを体感した。

小生の先祖の墓は、昔から箱型に周囲を小藪で囲ってあったが、幸いなことに、私有地ということなのか伐採されてなかったから、ここだけは「団地型墓地」という感覚はなく、昔の面影を残せることとなった。

墓標の前にいれば、周囲の変化にがっかりすることはないが、しかし少し離れると団地のようなお墓の数に圧倒されてしまうこととなる。(と言っても都会の大型墓地とは比較にもならない規模なのだが)

邪魔する木立がないから、木曾駒ケ岳眺望のパースペクティブは抜群だし、木曽駒カントリークラブの〇番ホールも見通せるようになり、陰陽のメリハリがハッキリするようになった。

お墓には、最近誰かが来たらしく、花はすでに枯れた、「カンナ」の大きな葉っぱだけが残るのを発見した。

近くにある叔母の墓にも同じものがあったから、両方に縁のある人が来たのだろうと
推測はできるが、確証はない。

そして「カンナ」を供えたことに、小生の関心は移っていった。

小学生の低学年時に住んだ家の近所の農家の家の庭に、今頃になると大きな赤い花が咲くのを見て、なんとすごい花なんだろうと子供心に思ったことがあった。

そしてなぜか小生の心の中では、その赤い花は「大きくて派手だが、どこか悲しげなところがある花」という印象が強くなり、それは今でも続くこととなった。

どうしてそう思うようになったかを思い起こすと、それはどうもある歌のせいであるという結論を得ることとなった。

「カンカンカンナの花咲けば、赤いカンナの花咲けば、優しい母さん思い出す・・・・」

ラジオだったか・・・当時の音楽的情報源は、ラジオか保育園、小学校の音楽の時間、そして母親が歌っていた歌、悪ガキどもが歌う歌・・・のいずれかしかない。

しかしどれだったか、その情報源は覚えていないが、メロディと歌詞の一部、そしてその歌を歌った歌手の名前はなぜかハッキリ記憶にある。

タイトルは覚えていないが、歌った歌手は「松島トモ子」。
目の大きい童謡歌手で、一番最近の話題は、どこか外国の動物園でライオンに噛みつかれ、大怪我をしたということだった。

小生は童謡歌手としての認識のほうが強いが、調べると女優としても活躍していて、小生の「カンナ」の思い出の歌は、1955年の映画「赤いカンナの花咲けば」の主題歌であったことが分かった。

55年というと、小生が7歳だから小学校1年生だ。
やはり知多の聚楽園のころである。

農家の離れを借りて住んでいたから、農家の庭に咲いた「カンナ」を見たのだということを確信することとなった。

それならば、大柄で派手なカンナをなぜ「悲しげ」であると思うようになったのだろう。

そのヒントは、映画「赤いカンナの花咲けば」にあった。

映画「赤いカンナの花咲けば」のストーリーはざっと以下の通り。

主人公トモ子(松島トモ子と同じ名前だから、おそらく満州引き揚げの子供だった松島自身の経歴と映画はダブルのだろう)は兄がいたが、ある時自身の素性を母から聞かされる。
それは満州から引き揚げる時に、ある女性から託された子供が自分で、今の母親は実の母親ではなく、兄は実の兄ではないという事実。

それでも生みの母の形見の「ボタン」をつけながら、強く生きて、とうとう歌手になって、昔満州で流行ったという「赤いカンナの花咲けば」を、ラジオで歌ったところ、それを聞いた母親とようやく再開することができた・・・というストーリーであった。

むろん小生は映画を見てはいないし、その話も、まして映画になったということも知らなかったが、なぜかその主題歌とそれを歌った「松島トモ子」は知っていた。

この映画を見た誰かに聞いたのか、当時ラジオでこの主題歌がよく流れたのかは、今となっては分かろうはずはない。

母親が歌っていたという記憶もないし、映画の話を聞いた記憶もないのだ。

しかし小生の中の「カンナの花」は、「表面的には派手であるが、実はその影でとても悲しい花」として今も存在している。

いつもの遊歩道に、たった2本だけ、ポツンと「カンナ」が咲いているのを見つけ、今朝写真に撮った。

先祖の墓に供えられた、カンナの名残の大きな葉っぱを見つけたのが、昔住んだ田舎の町の農家の庭に咲くカンナの思い出と、どこか悲しげなカンナの歌につながった。

ちなみに、歌の作者は「古関裕而」である。

# by noanoa1970 | 2008-09-23 10:37 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01倉敷38年前「エル・グレコ」semスキン用のアイコン02

  

2008年 08月 22日

倉敷の有名なカフェ、エルグレコ。
学生時代の憧れの店だった。
そしてついにその願望が現実となったのは、今から40年前のこと。

五山の火送りも終わって数日たった夏のこと、白沙村荘のバイト仲間と連れだって、日本海側から山口県を経て太平洋側に3泊で回るという計画が元あがった。

萩と倉敷はかねてから行きたかったところだからと、小生はすぐに合意し、バイト先に4日の夏休みをもらって出発することになった。

小生がその頃乗っていたスズキのフロンテSSSという軽自動車に3人が乗って、ほとんど荷物が積めないから後部座席に必需品を少し、そしてテントと水分補給にと、氷をたくさん入れたクーラーボックスにコーラを入るだけ入れてのことだった。

氷とコーラはバイト先から頂いたもので、3人が抜ける4日間を、残りのバイトが埋める惨憺をしてのことであった。

木の先に通じる坂道で突然エンジントラブルに見舞われ、どうしようもなく、最寄りのスズキのディーラーに駆け込むと、オイルフィルターのオイルシールが逆むけに取り付けてあって、オイルが逆流したためと分かった。

点検に出した京都のディーラーのミスとわかって、修理費は無料となったが、半日のロスとなってしまった。
損害賠償など考えもしなかったのが、いかにも世間知らずの、おとなしい学生であったと、思い出して苦笑することがある。

紆余曲折の上、たどり着いた倉敷で満を持して入ったのが、名店エル・グレコ。

よい雰囲気の店ではあったが、でも期待を大いに持って想像していた店とは少し違って、少しがっかりしたことは否めなかった。

その理由は、NOANOAがそして白沙村荘がもつ、年輪の風格が醸し出す雰囲気とどうしても比べてしまったからであるのだが、しかし調度品の配置の仕方や絵画の展示法などは、学ぶところが多かったように思った。

蔦の絡まる洋館・・・エル・グレコもNOANOAも、どちらも小生の好みである。

コーヒーの味は、残念ながら全く覚えていない。

今あのエル・グレコ、どうなっているのか、少し気になるこの頃だ。

40年前のエル・グレコのモノクロ写真をお目にかけるとにしよう。

# by noanoa1970 | 2008-08-22 16:28 | 季節の栞 | Comments(0)

semスキン用のアイコン01晩夏の思い出・・・36年前北へsemスキン用のアイコン02

  

2008年 08月 22日

京都時代最後の夏、それももう終わりのころ、ちょうど今頃の8月から9月中旬にかけた1か月に渡って、北海道を旅したことがあった。

同行したのは、いかにも京都の老舗らしい名前の洋菓子屋の息子で、彼は卒業後すぐに、洋菓子屋を継がなくてはいけないから、近い将来のために、NOANOAに接客と料理の基本の修行に来ていた。

たぶん伝統的洋菓子やから脱却し、何か系統の違う、斬新な洋菓子屋を、と考えてのことであろう。

O君と言って、今でも洋菓子屋は、京都市左京区の浄土寺にあって、名前はおしゃれなフランス風になってはいるが、しっかりした作りのケーキは、地元の愛好者が多い。

小生は京都を去る前の年のクリスマス前から、忙しくなる洋菓子屋を手伝いに行ったことがあり、クリスマスケーキをたくさん仕込んだ割には売れ行きが乏しかったのを、彼が嘆くので、店の外にテーブルを出してそこに見本を並べようと提案したところ、たちどころに注文が殺到し、それから、彼の小生を見る目が、尊敬に変わるのを、目の当たりに見ることになったこともあった。

新しいケーキを開発し、たくさん売れるように、洒落た名前を考えたいというので、その形状とハイライトされているイチゴから、「ストロベリー・クッペ」にしようといったところ、やがて人気が出て、この店の看板メニューとなったと後に聞いた。

北海道旅行は、そんなO君が4回生の遅い夏のこと。
もうこれで自由な生活ともサヨナラして、店の跡継ぎになるべく、身を処さなくてはならないから、どこかへ旅行しよう・・・そういうことになったのだった。

小生は翌年名古屋に帰ることになっていて、その年は自由人的生活を送っていたから、2つ返事でOKした。

そこで、O君のカローラクーペで、京都から敦賀までいき、そこからフェリーに乗って北海道は小樽に上陸し、そして約一月かけて北海道を回ろうという計画となった。

さすがに広い北海道、でも襟裳岬のある道東以外は、ほぼ全域・・・利尻礼文も含めまわることができた。

宿泊は行き当たりばったりのYHを中心に、もしダメな場合にと簡易テントとシュラフを積んで、出発となった。

道中さまざまな面白話があるが、それは又別の機会に・・・

写真は、網走刑務所から出所したてのある男。
そして礼文島の草原で、シンガーソングライター気分を味わっているところ。
(このころ北海道のYHのいたるところで、「旅の終わり」という歌が聞こえてきた。YHに宿泊した人なら、誰でも覚えたはずのこの歌、とてもいい感じの歌だ)

夢のような旅立った
遠い北の国の
僕は旅の楽しさと旅の辛さを知った
こんなつらい旅なんか
もういやだ、旅を終わろう
汽車に乗ろう

以上のような歌詞で、今でもはっきり覚えている。

40年近くたっているので、写真が色褪せてきてしまった。



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# by noanoa1970 | 2008-08-22 15:47 | 季節の栞 | Comments(2)

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