ちょっとだけ怖い話

小生の息子は、ある電機メーカーの医療用画像情報システム関連グループで、SEをやっている。
病院が稼働してないとき時に、システムの更新やメンテをしなければならないし、初期稼働時には納期があることなので非常に忙しいと聞いている。

先日も夏休みで帰ってきたが、休み中だというのに、アチコチから仕事の電話がかかってくる。

「SEは眠れない」という書物があったようだが、まさにその通りだ。

そんな息子から聞いた話である。

東京の築地にある有名な病院でのこと。

室で、作業していた時のこと。
病院が稼働しない時間帯に実施しなければならないので、この日は深夜遅く作業をしていたという。

サーバー室は地下にあり、通路を挟んで向かいは霊安室だったそうだ。

息子は「霊安室」が向かいにあることから、常々何か無気味なものを感じていて、レントゲン技師と、「出る」かもしれないという話題になった事があったそうで、たびたびいやな予感がしたという。

ある最近のことシステムメンテのため、深夜近く一人で、そのサーバー室で作業をしていた時のこと。

疲れが出たのか、一瞬眠ってしまったようだが、急に部屋が寒くなって、目が覚めた。
それはほんの一瞬のことだったが、あまりにも寒気がしたので、何かある・・・そう思い、レントゲン室のドアを開けると、・・・・

ちょうど白い布をかぶせられ、ストレッチャーに乗せられて霊安室に運ばれるところをまともに見たという。

何かが出る・・・サーバー室ではその話題が絶えずあって、息子もその話を聞かされていたから、この偶然が必然に思えて、背筋が凍ったという。

病院にはこの手の話はつきものだが、それにしても深夜、霊安室の向かいでの作業は、いくら仕事だとはいえ、勘弁願いたいものだ。

普段はITという、いわば理屈の世界での生業をしているのだが、だからこそその分余計に、スピリチュアルなものに対する感受性が強くなるのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2009-08-13 10:25 | 怖い話 | Comments(5)

未だ明けぬ梅雨の怪

人間は同じような現象を同時、あるいは続けて2度以上経験すると、それを「偶然」ではなく、何かの力が働いたと見る傾向があるのは承知の上での話を。

昨日TVのリモコンが効かなくなったので、電池切れだと判断し、新しい電池に換えて作動させたのだが、リモコンはピクリとも働かなかった。

+と-を逆に入れたのでは、と思い調べてみたのだが、向きはきちんと合致していた。
それでもまた逆にしたりして、何度も試したのだが、一向にリモコンが言うことを聞かない。

それまでは快適に使えていたものが、急に反応が鈍くなり、ボタンを押してから数秒の間反応が無くなって、それはしばらく・・・1時間ほど続いた後に、とうとう使えなくなってしまった、というのが経過である。

それで仕方なくTVにある手動ボタンで、チャンネルや音量切り替えをすることになった。
今まで何の苦労もなく使えていて、チャンネル切り替えがイスに座ったままで可能であったものが、いちいちTVの前に行かなければならないから、チャンネル変更はおのずから減ることになり、大事な番組を見落としたりしたが、リモコンという文明の利器のありがたさと、同時に、人間の堕落をも感じることとなった。

リモコン自体の故障だと、諦めて、今度は扇風機のリモコンのスイッチを入れるのだが、不思議なことに扇風機のリモコンまでもが効かなくなってしまった。

今度は電池切れだと思い、新しい電池に入れ替え、操作するのだが、扇風機はうんともすんとも言わない。

昔は扇風機の作動にはいちいち機会の前に行って操作したものだが、流石に最近は扇風機の前まで行って、しゃがみ込んで操作するのはつらいものがある。

それに機器に色が付けられているから最近の手動スイッチ類は非常に見にくいし、文字が小さく読みずらいから、操作するたびにかえって熱くなってしまう。

TVとほぼ同時に・・・30分もたってないと思うのだが、2つの機器のリモコンが何らかの都合で動かなくなってしまって、まる1日たった今日のお昼のこと。

ダメもとでTVのリモコンのスイッチを作動させると、くもなく稼働し、すべての操作がリモコンで可能になっているではないか。

次に今手動ボタンで操作し、まわっている扇風機のスイッチを押して、動作を解除してみると、今日になってちゃんとリモコンは作動する。

そればかりか、前までON、OFFしか出来なかったリモコンが、強弱、リズム送風まですべての機能が回復しているではないか。

ほぼ同時に動かなくなった2つの機器のリモコンが、ほぼ同時に次の日になって回復した。

多分偶然の重なりだとは思うが、このところの気象状況の、あるいは天変地異をも思わせるような天候と、最近の皆既日食なんかと、あるいはもっとほかの得体の知れない何かの力が働いたのかなどと、どうしても考えたくなる。

科学的に考えれば、原因は湿気による接触不良で、時間が経ち湿気が取れることにより、電池の接触が回復し、使用可能になったとするのが妥当だとは思うのだが、エアコンなどは使用してないから、湿気と湿気回復の因果関係は見当たらないから、不思議な力が働いたとしてもいいのかもしれない。

これが通常のように、暑い夏であれば「真夏の怪談」ライクな話になるのだが、このような天気では、どうも真実味にかけてしまう。

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by noanoa1970 | 2009-08-02 17:09 | 怖い話 | Comments(2)

見事なり、老人の知恵

昨夜TV番組でのこと。
「怒り」をネタにその怒りの根拠が理解できるか否かをゲストに問い、同時に視聴者の意見をアンケート報告するというもの。

MCは某関西の番組で、政治バトルを激しく討論しあう「・・・委員会」の司会者と「TVタックル」に常連で出ている、「大竹まこと」である。

この番組は複雑な怒りの情念を単純に「理解できる」「理解できない」に分け、それに「大竹」が突っ込みを入れてお茶を濁すという、狙いの希薄な俗悪番組なので、全く面白みは無いが、昨夜は他に見るべき番組がなかったので見ることにした。

その中で「怒り」の一つとして、中年・・・いやもう高年齢だろうか、の女性が言っていることが耳についた。

それは、「電車やバスの席を譲ってもらって当然のように振舞っている高年齢の人が目につく」
「非常にみっともないので同じ高年齢者として、我慢がならない」ということだった。

この言動自体の評価はさておいて、それを聞いていて小生が思い出したのは、40年前のある光景だった。

小生はかねてから「萩」に行きたかったので、先に友人たちと一緒に山陽方面に旅行をすることになっていた、今の家内と、「小郡」で待ち合わせるために、京都から出発した。

時刻表やスケジュールは、すべてお任せで、決めらた通りに電車に乗るだけで、何事もなく待ち合わせに成功。

小郡からは2人で行動し、萩を見物し、山陰線で京都まで帰ることにして、列車を乗り継いで山陰線特急に乗ることができた。

しかし列車は普通席は満員、仕方なく指定席をウロウロして、長旅のこともあって開いている席に座ることにした。
車掌が来て、もし空席だったら改めて指定券を購入しようと決めていたが、車掌は来ず、特急列車が停車するたびに、指定席の人が来たら、気まずい・・・と思いながら2人とも心平たんではなかったのだった。

いくつかの駅を列車が過ぎた後、益田だったか浜田だったかで、割と多くの乗客が列車に乗り込んできた。

我々は、座っている指定席の権利者が乗ってくるという予感のもとに、半分腰が浮き加減状態だった。

案の定1組の老夫婦が乗車してきた・・・割と身なりの良い、良家の人らしいと思えるような老夫婦であった。
多分年のころは60代後半ぐらいだったように思われた。

その老夫婦は、各々切符を手にしながら、我々が座っている席の前に来て、席番号と切符を交互に見て「あぁここだここだ」と言った。

そもそも指定券を持たずに座っていた我々は、後ろめたい気持ちと、もし該当乗客が来たら申し訳ないと思う気持ちで支配されていたから、落ち着かない気持ちでうつりゆく車窓の景色も心に刻むこともなく座っていた。

だぁらその老夫婦の言動にすぐさま反応し「すみません、今席をかわりますから・・・」そういって、棚から荷物を下ろし、老夫婦にお詫びの言葉を言ってすぐさま席を替わった。

老夫婦は、我々をとがめることもなく、無言で席に座った。

我々は、少し後ろめたい気持ちを持ちながら、しかしそれは当然のことだから、むしろスッキリした気分になって、これから先の長い列車の旅も苦にすることなく、通路に立った。

列車はしばらく走り続け、いくつかの駅で停車したが、席は開かなかった。

そのうち、列車が松江に到着すると、またかなりの乗客が乗車してきた。
そしてその中の1組の乗客が、かつて我々が座っていた・・・そして今は我々が席を替わった老夫婦が座る席の前に来て、老夫婦に何やら言っているのが聞こえた。

「ここは私たちが予約した席です・・・・」と、その声は聞こえたようだった。

するとしばらくして、その老夫婦は席を立ち、松江から乗車した1組の男女の中年カップルと交代した。

驚くべき事の真相が、眼前で行われ、しかも当事者の一人となったことに、初めて気がついて、驚くやら唖然とするやら・・・・

我々は老夫婦の巧妙な「芝居」に、まんまと一杯食わされた事に気づくことになったのだ。

恐らくこの老夫婦は、過去の経験から、年寄りに席を替わってくれない若者に多く遭遇していて、そんなことの苦い経験からこのような手段を思い付き、あるとき実行に移したら、見事に成功した経験から、いわば常套手段的に、この技を使うことにしたのであろう。

普通席では、このような事は実現できないから、過去は誰かが席を譲ってくれるのを待つ身であったのだろうが、若者の前で立っているにもかかわらず、席を譲る若者には遭遇しなっかった。

60代後半のように見受けられるから、年寄り・・・という程ではないように見えるのか、それともすぐに降りるだろうと思われるのか、席を譲るものはいなかったのだろう、しかしとにかくその老夫婦は席に座りたいのであった。

山陰線は長距離路線だから、老夫婦は長旅なのかもしれない。

また外観は元気そうだが、ひょっとしたら、何か持病でも持っていたのかもしれない。
そして列車に乗るのに指定券を買おうと思ったが、あいにく満席だったのかもしれない。

しかし彼ら老夫婦が我々にした行為は「だまし」である。
しかも我々のように、指定券なしに指定席に座っているものがいて、それはかなりの確率で存在すると知っての行為であるといえる。

多分あの老夫婦は、今までの経験から、学生や若者にそれが多く、それらが座っている席の前に進んでいって、チケットと席番号を見比べるふりをし、「あぁここだここだ・・」と小声で、しかし聞こえるように呟く、そして反応を素早く見抜く技術を身につけていたのだろう。

鋭い勘でそういう人を見抜いて仕掛ける巧。
一日の長というか、こうなるとベテランの技といっても過言でないようなお手並みである。


老夫婦は、本当の座席権利者に席を代わってしばらく我々の横に立って、チラッと我々の顔を見るようなしぐさをしたが、悪びれた様子は微塵も見せないまま、しばらくすると平気な顔をしてその車両から違う車両へと移動していった。

その時のあの老夫婦の心持・・・どのようなものであっただろう。
ぜひとも聴いてみたい衝動にかられたものだ。

我々は声には出さなかったが、顔を見合せながら、あの老夫婦の巧妙な手口に、ただ驚くばかりだった。

40年たった今でも、あの時のその話が話題になるほど老夫婦の行為は、それが良家の上品な老夫婦に見えたから、余計に衝撃的だったが、指定券なしで指定席に座ったという自分たちのよくない行為が付いて回るから、老夫婦については、ことさら深く追及しないようになっていたのだった。


吉野弘の「夕焼け」という詩があり、高田渡が曲をつけて歌ったが、その詩のこと強く今思い出す。

満員電車で老人が立ち若者が座っている。
老人が女性の前に立つ。女性は老人に席をゆずった。
しかし老人は礼も言わずに、次の駅で降りた。

次にまた老人が娘の前に立った。
娘は今度も老人に席を譲った。

礼を言って老人は次の駅で降りた。
また次に老人が娘の前に立ったが、娘は今度は席を譲らなかった。
次の駅が来ても、老人は降りず、次の駅そして次の駅も・・・

娘は顔を伏せ自分の行為を反省するかのように、うつ向いて長い時間を耐え続けた。
外は美しい夕日が沈もうとしているのに
娘にははそんなきれいな景色を見る余裕も、感性もないまま
歯を食いしばり耐えている娘。

・・・このような光景を読んだ詩である。

あの老夫婦の行為、昔はかなり頭にきた・・・というより、世の中にこのようなことが平気でできる老夫婦の存在があるなど疑ったことがなかったので、かなり強い衝撃も受けたが、今ではなんとなくわかりそうな気さえするのは、自分がそういう年齢に近づいたからだろうか。

そして昔も今も変わらず、棒弱無人な若者を、少なからず見る機会が多いからなのだろうか。
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by noanoa1970 | 2009-05-29 11:31 | 怖い話 | Comments(2)

寺山修二はこれで・・・

西条八十の奇妙な詩「トミノの地獄」。

夢野久作の一連の作品に通じるところがある。

相互影響受け合っていたのだろうか?

夢野の「少女地獄」は、「嘘の無間地獄」に陥った女の奇妙な話である。

さらに噂によると、寺山修二という作家は、西条の件の詩を、声に出して読んだことから49歳の若さで亡くなったという。

もっとも以下の寺山の詩のように、西条のオマージュがたっぷりと塗り込められたものを作っているのだから、そんな都市伝説も生まれる。

西条+夢野=寺山であったともいえそうだ。


惜鳥椿
 寺山修司

姉が血を吐く 妹が火吐く
謎の暗闇瓶を吐く

瓶の中身の三日月青く
指で触れば身も細る

ひとり地獄を彷徨うあなた
戸籍謄本盗まれて

血よりも紅き花ふりかざし
人の恨みをめじるしに

影をなくした天文学は
まっくらくらの家なき子

銀の羊と鶯つれて
わたしゃ死ぬまで後つける

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by noanoa1970 | 2009-05-09 16:01 | 怖い話 | Comments(2)

こいつは・・・

とても危ない!
猟奇歌
夢野久作


人間のダークサイドの本質か。
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by noanoa1970 | 2009-05-09 11:39 | 怖い話 | Comments(0)

絶対に声に出して読んではならない・・・

昨日は西条八十の「お菓子と娘」という詩について触れてみた。
彼が仏留学したのは恐らく1920年代の初めだったと思われる。

「狂乱の時代」といれる1920年代のパリは、世界最大の文学・芸術の実験場となり、また世界の文学・芸術の「中心」の地位を確立することになるわけで、西条はフランス象徴派の詩人たちの影響多分に受けたものと推される。

その前後、西条は、折重なる大正ロマンの文化風俗の日本で、とても奇妙な・・・象徴派が表現主義へとその芸術スタイルを変化させたような異質の作品を残すことになった。

もしかすると、さまざまな芸術スタイルが乱舞した影響下の仏留学の後のことだったのかもしれない。

大正8年1919年西条は詩集「砂金」を発表することになるのだが、件の詩はその中に収録されたものである。

おどろおどろした詩の内容とリズム、そして活字の使い方は「怪奇小説」「幻想小説」のように奇奇怪怪に今でも迫ってくる。

発表当時これを読んだ人たちは恐らく一様に、ある種の恐怖と陰惨そして淫靡さを覚えたに違いない。

なぜこの詩が、声に出して読ンではいけない詩だとされるのかは、推して知るべしなのかも・・・・
一部の人の間ではこのことは都市伝説化しているという。

実際ネット上では「トミノの地獄」に関する記述が多数あって、中にはこういった逸話まで掲載されている。

トミノの地獄について触れたブログの作者の妹からの書き込みで「兄は急きょ入院することになりました、しばらくブログ更新をお休みします」と・・・

これが真実かそうでないかは定かではないが、これなんぞは「トミノの地獄」に触れることのタブーをも連想させるに充分なもの。

さらに
「私はこの詩を声に出して読みました。
途中までスラスラと読んでいたのですが、3分の2ぐらいになった時、何だか気分が悪くなり、途中で読むことができなくなりました。
みなさん絶対声に出して読まないほうがいいと思います。」

至る所でこのような「トミノの地獄」を声に出して読むことへの禁忌警告らしきものが掲載されているのである。

近年ネットの普及で都市伝説というものが意識的に創造されたり流布されることが多いが、これもそのたぐいなのだろうか?

こうなるとそれに反抗して声に出して読んでみたいという願望が頭を持ち上げるのだが、今のところは目読にしておこうと思っている小生。

さて皆さんはこの詩を声に出して読んでみる勇気ありやナシや!




トミノの地獄  西条八十

姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。
皮の嚢(ふくろ)にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にゃ羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。



小生はこの詩から「林 静一」のイラスト、「あがた森魚」の「赤色エレジー」の収録された「乙女の儚夢」とそのレコードジャケットを想起したことも付け加えておく。

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by noanoa1970 | 2009-05-08 10:38 | 怖い話 | Comments(0)

桜の季節の怪

先日からの冷たい強風で、どうやら小生は、風邪を引いてしまったのか、それとも、ヒノキ花粉症になってしまったのか、喉が痒痛く、鼻水が止まらない。

1箱近いティッシュを使っても、まだなお鼻水は止まらない状態だが、熱は無く、体が少しだるい状態が続いて咳も出始めた。

それでも、わが愛犬シバの散歩は欠かせないから、つれて出たのが8時半。

散歩のコースは2つあって、朝はいつも里山のコースで、夕方は住宅地にある公園をを回るコースと決めている。

時々反対になることがあるが、わが愛犬シバは、朝と夕方同じコースを行くのを嫌がり、朝方に、門を出て左の里山コースを選択すると、夕方は自ら右のコースへ行こうとする。

面白いことにこれは、朝夕が逆のパターンでも同じで、常に朝とは違うコースを選択しようとするようだ。

余り体調がよくなかったが、いつもの里山コースへ行こうと、門を出て右に向かった。

上天気とはいえないが、桜もほぼ満開になる頃だから、公園コースより少し距離のある里山コースは魅力的でもある。

少し重い足を運びながら、里山の遊歩道に入るいつもの道にやってきた。

この遊歩道沿いには、多くの種類の樹木や花が植えてあり、四季それぞれに美しい姿を見せてくれる。この季節は鶯が方々で囀り、蕾を付けはじめる頃から満開になるまで、の期間、「待つ」という楽しみが味わえる。

愛犬は、いつもどおり、アチコチにマーキングをしながら進んでいき、もう少しでいつも右に曲がる、分かれ道に来た。

もう数百回、いや数千回も同じ道を散歩しているから、愛犬シバは、かって知ったるナントカで、指示しなくても、その別れ道を右に曲がるのだが、今朝はどうしたことか、いやがっている様子で、足をフンジばって動こういとしないではないか。

余裕があるときなら、引き返して、違う道を行くことも考えられようが、今朝はなにせ体調がよくないから、半ば強引に綱をヒッパリ、嫌がるシバを歩かせた。

この小道の正面には、ゲートボールのコートがあり、小生より1周り先輩の男女が、いつも10人ほど集って、競技に夢中になっている。

時々「5番」とか「9番」という・・ボールのナンバーを表すのだろう声が響き、拍子木の音を、さらに強くそして甲高くしたような、「カン」という音が聞こえてくる。

彼らは、さすがに大人の集団で、ゲートボールをするだけでなく、周辺の清掃や、中には趣味が高じたのか、花や樹木を植えて育てる人もいるらしく、いつもきれいになっている。

それに引き換え、すぐ傍にある東屋は、夜中に集るものが居るのだろうか、明らかにコンビニの飲食の残骸が放置されたままになっている。

先週その中の2人の話が耳に入ってきて、どうやら一人が「ニンニク」を植えたのを、もう一人が見破ったらしい。

よほど好きな2人と見えるが、それにしても「ニンニク」とはどうしてなんだろう。

これもあの中国製餃子事件の影響があるのだろうか、ナドと思ったことがあった。

そんなことを思い出しながら、ゲートボールコートに近づいたが、いつもと少し様子が違うのに気がついた。

それは、今まで目にしたことは無かった光景で、なんと全員が白い上下の・・・ジャージー風の物を着ている。

なるほど、彼らはようやく大会か何かに出場するためなのか、ユニフォームを手に入れ、今朝はそれを試着して競技をしているに違いない、そう思いながら通り過ぎようとするとき、またもやおかしなことに気がついた。

「5番」、「9番」と大きく通るようないつものあの声が今朝は聞こえない、それにボールを打つ音も、今朝は「カン」という澄んだ響きではなく、太鼓の縁を叩いたときの音のように、やや透明感に欠ける。

もっと奇妙なのは、彼ら全員の顔が見えないことだった。

的のボールの方向が、小生の立ち位置方向にあるときは、その方向を全員が向くこともあるから、顔が見えないこともあると思われるのだが、今朝はそうでないときでさえ、下を向いているか、顔を背けているかのように、彼らの顔が見えないのである。

彼らの中に一人、目立つ元気の良い女性が居て、先週はその女性が中心となって、花見の惨憺・・・どうやら食べ物や飲み物の割り当てを決めている様子が耳に入ってきた。

その元気のいい女性の声も今朝は無い。

愛犬シバは、低いうなり声をさっきから発し続けているし、体調に優れない小生は、そのことが気になりながらも、足早にその場を立ち去り、坂を少し上ったところにある歩道橋のところまで来て、一息するのを兼ねて、先ほどのあのゲートボールコートを見やると・・・・

先ほどまでそこで競技をしていた、10人ほどの白いユニフォーム姿が、忽然と消えている。

そんな馬鹿な・・・
歩道橋までは、ほんの1・2分の距離。

つい今しがたまで、ボールを打っていた10人もの人が、たった1分か2分で、全員その場からいなくなるはずが無い。

競技が直後に終了したとしたって、彼らが作った手製の屋根つきの休憩場所には、かなりの人数が居てしかるべきなのだ。

歩道橋は、このあたりでは一番小高いところにあり、ゲートボールコートは、スッカリ見通せる。

不思議に重い、少し立ち止まって何回と無くコートを見たのだが、結果は同じ、彼らの姿はどこにも無い。

そういえば、今朝は不思議なことがあったことに気がついた。

この散歩コースは、犬の散歩をする人が多く、いつもなら数匹の犬に出会う。
中でも、この時間帯にはシバの天敵の犬が居て、すれ違うときには吠えあって、向かっていこうとするので、注意をしていないと危険なときが有る。

しかし、今朝は散歩中のほかの犬には1匹も遭遇しなかったのだった。

何かおかしい、そう感じていた小生。
シバは低いうなり声を発し続けている。

そうしている間に、歩道橋の頂点を境にして手前半分から向こう、すなわち小生とシバがやってきた方向は、突然俄かにかき曇って、風が吹き出した。

しかし歩道橋の前方は、後方とは打って変わって日差しも明るく、春の装いなのだ。

嫌な気持ちと、少しの恐怖感が漂い始め、小生はここを早く脱出しようと、足を前に出そうとするのだが、まるで金縛りにあったように、足を前に踏み出せない。

「結界」に足を踏み入れてしまったのか、ナドという思いが頭を過ぎり、
「忽然と消えた白装束の集団」。
「ニンニク」の話。
他の犬に出会わなかったこと。
シバがこの小道への進入を嫌がったこと。
常に低いうなり声を発していたこと。
そして後方が暗く、前方が明るい奇異な自然現象。

どうやら「結界」に足を踏み入れてしまって、脱出できないのが現状であるようだと悟った小生。

必死に歩道橋の上で、足を踏み出そうともがくばかりだった。

一体どのくらいの時が流れたのか・・・
数秒だったのか、数分だったのか、いやもっと長かったのか、

時計を見ると、8時45分を少し過ぎた頃。
家の門を出て、この歩道橋までは、いつもなら30分はかかる。
今朝は8時半に家を出たのだから、ここには9時に到着してなければおかしいのである。

何かがおかしい、何かが狂っている・・・そう思いながらも、必死に足を前に出そうと踠いていたときだった。

シバの「ワンワン」という声とともに足が動き、歩道橋の頂点から、脱出し、明るいほうに抜け出すことが出来た・・・・

その瞬間だった
ビッショリと寝汗をかいた小生が目を覚ますと、なかなか起きてこない小生に、朝ごはんの催促をするように、多分ワンと叫んだのだろう・・傍にはシバが居て、隣で伏せているではないか。

これは悪夢だ
そういえば、昨夜は体調が思わしくないため、早めに布団に入ったのだったが、お昼にも寝たため、寝付かれず、ラジオでジャイアンツが負けるのを聞いた後も、最近の若者が聞いているであろうと思しき、(どうしてこんなに下らなくなってしまったのかと思いながら)深夜放送を聞くとはなしに聞いていて、明け方になって寝付いたのと、風と花粉症で、体調が衰えていたせいなのか、こんな悪夢を見てしまったのだ。

いつもの散歩道がリアルに出てくる悪夢だったのと、時刻もすでに午前10時を過ぎていたこともあって今朝は、いつもの里山コースを行かずに、夕方コースを行くことにした。

しかし
もし明日の朝、里山コース、あのゲートボールコートに行って、彼らが白いユニフォームだったら・・・などと思うと、かなりソットするのだった。

久しぶりに怖い夢を見たものだ。

幼児期には、高熱を発したときには、必ずといっていいほど見る夢があった。

暗い船底か地下室。

大きな歯車のようなものが回っている。

その歯車を、体力を一杯に使いながら、汗をかき、息をからして回している自分。

ギー、ギーと歯車が回る音。

手を休めると、無いか怖い者が居て、激しく叱責する。

幼児期には、この夢を何回と無く見ることがあったが、さすがに今はこの夢を見ることは無くなった。


春の宵の悪夢はこのようにして始まり、そして終わった。

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by noanoa1970 | 2008-04-03 12:12 | 怖い話 | Comments(2)

異説「山の人生」5

さらに調べてみると、また面白いことが分かった。「柳田」の「山の人生」の話と、「異説1」は金子貞二著「奥美濃よもやま話」の中に「新四郎さ」と題して2編収録されているそうで、この「新四郎さ」の話は、岐阜県明方村(現在明宝村)に居住する金子信一氏の話を金子貞二がかきとめたもので、新四郎は出獄した後、金子信一宅で作男として働いていて、身の上話を打ち明けられていたというもので、其れは2つの説明があったという。

事件の有った地域とはおそらく地図上の×・・・このあたりであったであろう。「大和」と「寒水」を結ぶ山道が合ったという。現在は合併されて郡上市となったの白鳥、八幡、明宝の三角形の中ほどの地域である。
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「谷川健一」によるとその話とは

『新四郎が金子信一氏に打ち明けた話によると、新四郎は妻に先立たれたあと、ふたりの子供と山で暮らしていたが10歳になる娘が、明方村寒水にある柿洞という屋号の家で使ってもらうことになり、家族にも可愛がられていたが数年経った頃から息子の嫁さんの嫉妬心から、意地悪されるようになり、巾着を盗んだという濡れ衣をきせられ柿洞の家を解雇されることになる。娘は炭焼きの父親のところにやむなく帰ることになる。娘は死にたいと漏らし、それに同情した弟と父親は一緒に死ぬことを決心し、父親は明年播くために採っておいた種のアワやキビをお粥にして子供らに食べさせてから殺したという。柳田國男の文学的表現と多少の違いはあるが、それは、裁判官の同情をひくための弁護士のテクニックであったのであろうと。』

新四郎さは獄中でも模範囚で、出獄したあとは善光寺参りをかかさず、念仏三昧で八十八年の生涯をとじたという。    谷川健一「柳田國男の民俗学」より

「柳田」オリジナルの「飢餓説」そして「新四郎さ」の「恨み人情説」・・・これらがいずれも出獄した事件当人から、身請け人となった金子某に伝えられ、その親戚であろうか、金子某が後に資料にまとめたものを、「谷川」が言及したものである。

「柳田」オリジナルの「飢餓説」よりは信憑性はあるが、「盗みの嫌疑」を掛けられたことで、「一家心中」未遂をはたしてするものであろうか?
いわゆる「村社会」であるから、「村八分」的な扱いに耐えられなくなったともいえなくは無いが、それにしても「一家心中」未遂とは考えにくいと思われる。

小生は先の話の中の「庄屋の息子の妻の嫉妬による盗みの濡れ衣」というところ、そして「弁護士のテクニック」というところが妙にヒッカカルのである。、
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by noanoa1970 | 2005-11-23 09:32 | 怖い話 | Comments(0)

異説「山の人生」4

この話にはさらに驚くべき「異説」が存在する。

異説その-2

男の家に、ある日「山人」・・・「畏形の人」「非常民」「稀人」等と称される夫婦が山のほうから薪と炭を売りにきた。両方沢山あったので男が買うのを断ると、その「山人夫婦」は「お金がないので子供を食べさせることも出来ない」・・・といい、一人の「娘」を強引において去っていった。
男は困ったが、女房もなくしたことだし、家を切り盛りするのに都合が良いとばかりに、その娘を住まわせ家事を手伝わせて一緒に暮らすことにした。

男には息子がいて、初めは息子と娘は子供同士仲良く暮らしていたが、成長するに従い、恋愛関係になった。男も娘に恋心を抱くようになったので、息子と娘の成り行きを、快く思わなかった。

そうしたあるとき男は息子と娘のただならぬ関係に気がつき、嫉妬した男が斧で二人を殺害してしまった。自分も死のうと思ったが、死にきれずに刑務所に送られた。
・・・という「異説」である。

「異形の人」が登場するところがこれまでの話と全く異なるのであるが、小生はこの山人夫婦を「サンカ」であるような気がしている。
戸籍を持たない「山の民」、山間を放浪し自然と一体となって生活していた民は、この頃には農村(常民)との交流の必要が生じた。
自分たちで作った蓑・笠、竹細工などを売ることで、生活資金としていたことは事実であったようであるからだ。

下の図は「サンカ」が竹細工を作成しているところである。作成したものを山すその集落にもってきて金銭や食料などと交換したという。
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by noanoa1970 | 2005-11-21 09:20 | 怖い話 | Comments(0)

異説「山の人生」3

「グスコーブドリ」では子供を残し両親が森の中へと(死に場所を求めて)去っていく・・・・子供の生命を大事にする余り、自分たちを犠牲にしたのである。そして「山の人生」では子供たちが親のために、自分たちの命を犠牲にする・・・とその中で語られる関係は逆転しているが、「飢饉」にあえぐ山人の悲惨な姿を象徴したものに違いは無い。
「山の人生」の話は実話である。
恐らく「賢治」の「グスコーブドリ」も実際にこのような話があってのことであろうと思われる。
「柳田」はことの「真相」を知ってか知らないでか・・・その「真相」は「藪の中」とワザト隠したのではないかと、その文章から読むことが出来はしないだろうか。

「柳田」によって紹介された「山の人生」の話は、実話であり、彼自身がその後の詳細をワザトぼかしてしまっているので、そこからは事件についての事実関係は読み取れない。
ただ親のために自ら犠牲になろうとした兄弟の純粋さと、いじらしさ、切なさが、そして当時の寒村の貧しさが伝わるのみであった。
しかしこの逸話が実際の事件であったががゆえに、この話の「真相」なる「異説」が存在するぉとを最近になって知ることになった。

異説その-1

炭焼きを営む男が、「娘」を嫁に出したのだが、嫁ぎ先の家の親・・・夫の父親との関係がうわさされ、それに耐えかねた「娘」は「実家に帰ることになった。しかし実家の有る村人にもうわさが広がってしまい、噂話にに耐え切れなくなった「娘」は炭焼きの「父親」に「自分を殺してくれ」といった。( )内は推測であるが、(斧で殺そうとする父親を止めに入った息子も一緒に殺してしまった)・・・というものである。
取調べの警官は余りにも不憫なので、事実を隠して調書を書き報告した。すなわち「飢餓」による「一家心中」未遂として扱い、炭焼きの男は後に出所することになった。

・・・・これが本当の真相であったのかどうかも不明であるのだが、このような異説が浮上していることは事実である。

事件があったのは明治37年夏もしくは秋のことである。調度「日本」は「ロシア」との間で、「日露戦争」を開始した直後のことである。
事件から現在まで100年もたってないにも拘らず、「真実」は多く出ても「事実」がハッキリしないのだから、おおよそ昔話、伝説、神話の類においては、「異説」なるものが複数存在してしかるべきであると改めて思った。

このところのニュース報道での16歳の実の娘による「母親毒殺」未遂事件、15歳の高校生による同級生「女子殺害事件」などは・・・・いくつかの「真実」はわかっても決して「事実」は分からないのであろう。

「真実」とは・・・そのように信じ込めれば其れが「真実」となるのに比べ、「事実」は一つしかないのであるから。
「真実」は観念論的であり、「事実」は「唯物論敵」である・・・と小生は常ヾ思っている。
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by noanoa1970 | 2005-11-20 09:00 | 怖い話 | Comments(0)