カテゴリ:「食」についてのエッセイ( 107 )

安くて美味しいワイン

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ごく最近、美味しいと思ったのは、オーストラリア産の「growers gate」。
シャルドネを使った辛口ワインだが、仄かなか果実・・・ルレクチェのようなかすかな香りを持つ。

安いシャブリのようなダダ辛さはない。
小生はワイン通ではなく、赤のフルボディならなんでも良いのだが、シャブリだけは好きでたまに飲む。

奈良の蔵元、今西清兵衛商店の「春鹿超辛口純米種」のような爽やか感と、キリットしたところ、そして仄かな果実の香りが気に入っているからだ。

同じシャルドネのシャブリとは違う南オーストラリア産だが、色とコクは中の上のシャブリよりは少し劣るものの、価格は4分の1。
1000円で買えるワインとしては抜群だと、小生は思う。

ワイン通のこぶちゃんさんにも評価をお伺いしたいところだ。
「イオン」の酒コーナーで特価で売っていた。

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by noanoa1970 | 2012-09-02 15:55 | 「食」についてのエッセイ | Comments(2)

料亭風に

筍が煮えたので、料亭風に上品に盛り付けてみた。
山椒の香りと若竹が見事なマッチイング。
極薄味にしたので、色も香りも柔らかさも京都の筍と遜色はない。
器は恐らく清水だと思うが、70年以上の年代物だ。
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by noanoa1970 | 2012-04-28 21:24 | 「食」についてのエッセイ | Comments(2)

地元桑名産の筍

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桑名の大きな園芸農園「花ひろば」の物産直売場で、今朝収穫したばかりの筍を仕入れてきた。
今が旬というより、竹林では収穫が間に合わないほどたくさん出ているらしく、値段はものすごく下がっていた。

この筍で、今夜は煮物、筍ご飯、薄皮のお浸しを食べることができる。
幸いなことに山椒」も入手できたから、自作の織部色の鉢に盛るとよく映えることだろう。
今夜が楽しみだ。

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by noanoa1970 | 2012-04-28 12:55 | 「食」についてのエッセイ | Comments(2)

たいめいけん・・・日本橋界隈の思い出

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富士ゼロックスに入社して赤坂にある営業部勤務になったのが、1977年だった。
まだファクシミリが一般的でなかった時代のこと、小生の配属されたのはビジネスシステム営業部といい、大型複写機、医療機器(乳がん検診用の機会)そしてテレコピアというファクシミリを扱う販売部門を参加に抱えている営業部であった。

複写機部門は全国に営業所を持つが、ビジネスシステム営業部は東京、大阪、名古屋という3大都市にしか展開しなかったほど、会社の中ではマイナーな存在で、部員数も200名足らずであった。

テレコピア販売部は約70名の営業部で、小生が受け持つことになったのが中央区日本橋であった。

日本橋といっても、1.2.3丁目の超大手企業がある所ではなく、日本橋の後に○○町、例えば本町、本石町、大伝馬・小伝馬町、馬喰町、人形町、東日本橋までとかなり広範囲のテリトリーで、面白い事に業種が固まって存在していた。
大企業から中小企業、果ては商店まで点在するテリトーは、変化があって面白いものだった。

ときどき三越前で地下鉄を降りて、付近を散策したことはあったが、残念ながら「たいめいけん」の存在を目にすることは出来なかった。

焼売の小洞天にはかなりの頻度で行ったのを覚えている。
山本山を横目で見ながら木屋で包丁を物色し、丸善ではよくお気に入りの作品を購入したが、たまたま旧友に遭遇したこともあり、昼ごはんを一緒に食べたものも「小洞天」だった。

というわけで、日本橋を根城にしながら「たいめいけん」とは縁がなかったのが至極残念なことであった。

人形町に本部があった京樽を訪問し、総務部長と食について話をするうちに、小生の前職に話が及ぶと、その総務部長に今の会社をやめてうちに来ないかと誘われたことがあったのを思い出した。

また同じく人形町の紳士服の「ジョンストン勝根」では、スーツが欲しいというと、すぐに倉庫に案内され、どれでも半額にしてあげるからといってくれ、3着購入したこともあった。
「三越」というタグがついたものもあって、三越では4~5万円で売るのだが、同じものがここでは2.5万円しかもその半額で良いというから驚いた。
紳士服の値段の付け方の仕組みを知ってしまったこともあった。

小伝馬町の「インテコ」は、靴の卸問屋で、イタリア製の高級ブランドを多く扱っていた。
小生はどちらかと言えばトラディショナルだったから、好みではなかったが、会社の仲間に話すと欲しいといい、つれていくと、全てが40%OFFで購入できた。

本町の鉄総合商社の「カネキカナカオ」の専務と親しくなり、昼ごはんをごちそうになったこともあった。

とにかく日本橋近辺の会社ではこのような人間の結び付きがいたるところであったものだ。
セールスマンという職種なのだが、中規模以上の会社はホトンドがゼロックス複写機のユーザーであったから、他のセールスマンとは違う目で見てくれたのだろう。

日本橋界隈はサラリーマン時代の、数々の思い出の地でもある。

「たいめいけん」は未だに縁がないから、今度東京に行ったときには必ずよってみようと強く思うのである。
やはり洋食屋も伝統がある方が良い。
昔ながらの製法を守っているからだ。



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by noanoa1970 | 2011-12-16 00:01 | 「食」についてのエッセイ | Comments(8)

うなぎの「竹葉亭」

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HPを拝見すると、以下の文章があり、貴重なので拝借させていただくことにした。

「星丘」とは魯山人が起こした星ヶ岡茶寮発行の雑誌であろう。
二代目金七は、美術のコレクターでもあり、琳派の収集家でもあったらしいが、戦争で多くを消失したという。三代目哲二郎は、鰻料理に加えて日本料理にも本格的に取り組み、当時親交の深かった北大路魯山人の「星ヶ丘茶寮」に弟の得三を修行に出していました。

そのような関係で星丘に禁止地が鰻の話を投稿したのであろう。

昭和9年に亡くなった2代目金七が、昭和8年1月発行の『星丘』誌上に書き残した『鰻の味』から引用致します。

この頃の鰻屋なんかは零落したもんです。天然の鰻なんかを惜しげもなく使う家なんて、どしどし無くなってまいりました。大和田、小松屋、拙宅(竹葉亭のことです)、それに浅草のやっこの蒲焼の方などわずかなものになりました。これらの家以外は、第一使おうとしたってそうそう天然の鰻なんぞ手に入らなくなりました。まったく乏しい数量しか捕れなくなったのです。

先ず秋口に捕れる上等の天然鰻は、年に二千貫から三千貫くらいのものでしょう。そこへいくと、近頃どしどし捕れるようになった養殖の鰻。静岡の焼津だけでも1年間に三十五万貫から出来るそうです。大井川のあたりで盛んにやっているのです。たった一カ所で捕れる養殖鰻だけでかくの如くで、昔からの名物場所利根のシモ下りの天然鰻が総掛かりでやってきても、わずかその十分の一にも達しない有り様なのです。養殖の方は、一貫25円、27円から34.5円までなのに、天然の鰻は一貫85円以上90円くらいまでの相場です。

春の彼岸から後、天然鰻は新規に捕れるものを使います。一体に鰻は旬というものがなく、時季によってうまいとかまずいとか、良い悪いは定められません。ですが、捕れます場所によって、一年中良い悪いが決められてしまっています。ですから、良いと言われる場所のものを選んで食べていれば、いつでも良くてうまい鰻が食べられるわけです。

昔から東京湾の鰻が一番いいとされています。ところがそれは昔のことで、今はそうは行きません。東京湾などはすっかり荒らされてしまいました。石油の臭いがしたりする鰻が出てくる始末です。羽田の鰻は釣る餌によって捕れてくる鰻が全然種類が違います。餌にはしゃこ、えび、ごかい、こじゃこなどを使います。羽田の鰻と言えば古来からやかましいものですが、ガスのコールタールを流したりして、今では臭いが付き、州崎の遊郭の先の方ではゴミを捨てるとかで、又妙な臭気がある鰻が捕れます。以前、羽田のさかりには、一日に百貫目からの鰻が捕れたものでした。それが今では、捕れる量も一日に十貫目も難しい有り様、これでは天然の鰻を使う家も少なくなりました。私共は、天然鰻が年々乏しくなるので、これで尽きるのではないかと思うくらいです。

昭和8年にすでに天然鰻が絶滅するのではないかと危惧した見識は、ウナギを見てきた一だけに前もって理解できたことだが、今では現実となりつつ有るようだ。
「ウナギ」には旬がなく、取れるところ、つまり環境が良いウナギが美味しいとは、卓越の見解だ。

小生は残念ながら「竹葉亭」のウナギを食したことはないが、「冷めたほうが美味しい」と常識とは逆の見解が述べられていることを見ると、先代からの見解を受け継いでいるのであろうことを想像させられる。

『なるべく冷蔵庫に入れずに炊き立ての熱い御飯にのせて食べるのが一番いい』とは、四代目信雄の口癖でしたと記載されており、小生が重要に思う「白飯」についての見解と同じことが書かれてある。
生ぬるいご飯の上に乗っかったウナギは極端に美味しくない。

熱いものは熱く、冷たいものは冷たくが魯山人の料理の基本であったようだから、魯山人の下で修行したということから想像すると、その事が引き継がれてきたのであろう。

さすがは伝統のうなぎ屋で、最近では評判になっているうなぎ屋でさえご飯を保存して時間が経つ者を平気で使うから、せっかくのウナギが台無しなことが多い、。

料理を盛り付ける器についても相当勉強したであろうし、2台目は美術収集家でもあったということから、恐らく他の店とは一線を画すものと想像する。

一度訪問したい店であるが、昔と変わってなければと祈るばかりである。

民芸や美術に明るい経営者の店の広告が「民芸」には記載されているようだ。
またこの頃は東京と大阪に集中しているが後半になると、地方の店の広告もちらほら見られるようになってきた。

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by noanoa1970 | 2011-12-15 00:01 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

スエヒロ


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関東の方は聞き覚えがある名前で、小生もランチで利用したことがあるのですが、同じ「スエヒロ」でも経営が違うのか、それとも氏素性が別物なのか、こちらは「スエヒロ本店」と名乗っていて、関西で多く見られるものだ。

御多分にもれず「シャブシャブ発祥の店」と名乗っている。

多くの店がそうであるということは、本当の発祥は不明ということなのだろうと推測してしまうが、料理そのものと名前の由来が混同しているようだ。

明治43年(1910年)大阪の北新地にて洋食レストラン弘得社(こうとくしゃ)として創業。
その後、炭火で焼き、醤油とメンドテ-ルバタ-を掛けるスエヒロスタイルのステ-キを主とした牛肉専門店として営業し、昭和27年先代店主三宅忠一により ”しゃぶしゃぶ” を考案して以来世界的にスエヒロの名を広めてまいりました。「スエヒロ」は昭和26年に曽根崎新地に創設されたとある。

メンドテ-ルバタ-は、ホテルでは「メンテル」と略してよぶことがあり、バターにレモン汁、パセリ、ガーリックを入れて筒状にしてそれをカットしてステーキの上にレモンの輪切りを敷いて乗せるもの。

東京の「スエヒロ」は、スエヒロ商事株式会社となって、チェーン展開をしていて、神田の店には度々行ったことがあるが、経営者は別であるらしい。
明治44年大阪北新地で発祥した「ビフテキのスエヒロ」が東京へ進出とあったが「レストラン弘得社」のことであろう。

恐らく「レストラン弘得社」が元祖で、2つのスエヒロは、それぞれが、レストラン弘得社の従業員であった上嶋一族が独立・・・暖簾分けされて現在に至るのではないだろうか。

元祖「レストラン弘得社」は今では無くなってしまったようだ。

スエヒロ庄司のHPには以下が記されている。

創業者上嶋 孝(ウエシマ タカシ 1912~1990)
スエヒロ創業者 上島歳、末の甥にあたる
代表取締役社長上嶋 棟一郎(ウエシマ トウイチロウ 1939~)
創業者 上嶋孝の長男にあたる

「レストラン弘得社」は上嶋孝によって始められた。
甥の上島歳が「スエヒロ」を創業。
上嶋孝の長男、上嶋棟一郎が東京に進出し、現在のスエヒロ商事を起こした。

三宅忠一が大阪のスエヒロをやり、恐らくその子孫が後を受け継いでいると思われるが、三宅忠一が何者なのかを調べると意外なことが判明した。

三宅忠一は、柳の著書「工芸の道」(1928)に感銘を受け、1935年(昭和10年)頃から民芸運動に参加し、戦後北海道の民芸の調査を柳に任されるなど、日本民芸協会の中心的メンバーの一人になっていく。また、大阪の料理店スエヒロ本店の店長になる。

この料理が「しゃぶしゃぶ」として世に出たのは昭和27年のこと。永楽町スエヒロ本店の三宅忠一氏によって考案されたものでした。
当時スエヒロでは、従業員がタライの中でおしぼりを洗っていました。それを見ていた三宅氏は、おしぼりをタライの中ですすぐ様子とお肉を鍋のお湯にくぐらせる様子とがよく似ていると思い、おしぼりをすすぐ時の「しゃぶしゃぶ」という音を料理の名前として命名したのだそうです。

おどろくべきことに、スエヒロ本店の店長をした人と同一人物、「シャブシャブ」という料理名を考案した一でもあったということなのだ。


珍しくも昭和5・6年当時、北陽軒スエヒロで使われたメニューが有ったので利用させていただくことにした。
メニューからは、伝統的な仏料理が背景にあることを窺えるが北陽軒スエヒロについては記述がない。
しかしこれは凄いメニューである。
今では一流ホテル、レストランでもこのような充実したメニューはお目にかかれb無くなってしまったが、昭和初期にこのメニューとは凄いことである。

今現在このようなメニューを提供できるレストランがあれば、すぐにでも行きたいと強く思う。
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by noanoa1970 | 2011-12-14 10:48 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

京都の老舗の広告

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京都「十二段家」の広告発見。
祇園花見小路店の広告だ。

現在十二段家はかなりの数があり、車で走っているとときどき目に入ってくる。
恐らく発祥はこの祇園花見小路なのだろう。
だから「本店」と名乗っているのと思われる。

『十一段目まである演目の「忠臣蔵」。京都を訪れる観光客に向けて「ほど近い南座で忠臣蔵を観劇した後、十二段目は当店でお愉しみください」との思いが込められている。』と現在のHPに解説がある。

日本初「シャブシャブの店」とあるが、先の「ざくろ」も同じように言っている。
東京都京都、どちらが最初に始めたのだろうか。
「シャブシャブ」ではなく、「牛の水炊き」と呼んでいたのだろうか。

牛肉の関西、豚の関東というから、恐らく京都ではなかろうかと推測してしまう。
シャブシャブと呼んだのは東京だったのかも知れないが、料理(牛の水炊き)としての提供は京都であったのかも知れない。


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by noanoa1970 | 2011-12-14 00:01 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

広告の昔と今・・・恐怖体験へ


昔の広告の中、とりわけ「食」に関係するものを取り上げようと思った。

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昭和30年当時の「ざくろ」の広告。
ウイキで調べると、「ざくろ」赤坂店は昭和30年1955年に開業したそうだ。
と言うことは、開業当時の広告ということになる。
場所が場所、料理が料理だけに、接待に使われた模様。

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こちらは平成11年すなわち1999年の広告。
4月1日発行の雑誌「民芸」の中のもの。
民芸調ではあるが、昔の広告のほうがインパクトがあるように思う。
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これらの広告が記載されている雑誌は、京都の義父からもらったものだ。
いつだったか正確には覚えてないが、骨董や魯山人、濱田庄司、河井寛次郎などについて話をしていた時に、奥の部屋から持ってきて小生に渡された。

その義父は平成10年すなわち1998年3月に93歳で亡くなった。

20冊弱有る雑誌民芸は殆どが昭和30年から32年のものだが、この河井寛次郎の茶碗が記載された雑誌だけが新しく、1999年のもの。

昔の雑誌の定価が50円から100円だったのに、1999年では850円となっている。
義父は河井寛次郎特集が気に入って購入したことだろう。

・・と、ここまで書いて、小生は背筋が凍るような思いをすることになった。

雑誌の発行は1999年4月。
しかし義父が亡くなったのは1998年3月。

雑誌の発行1年前に亡くなっているのに、その後発行された雑誌を小生に渡せるはずがない。
にも関わらず、小生の手元に古い雑誌と一緒に存在しているのだ。

京都の義父の家には義母がいたが、義母は脳梗塞で倒れて病院にいるから雑誌を入手できるはずない。
もちろん小生も家内もこのような雑誌は義父から渡されるまで存在も知らなかったし、自分で購入した覚えもない。

一体どうなってしまったのだろう。
雑誌の発行が早まったのをそのままの発行日で出版したのだろうか。

普通の出版社ならこのようなことは絶対やるはずはないから他に原因が有そうだ。

タイムスリップ・・・・そんな言葉が脳裏をかすめる。

そういえば、受け取って一応目を通した時に、1冊だけ他と違って倍ほどの分厚いものがあると思ったことがあった。

しかしそれも同じ時代のものだと思い込んでいて、発行日を確かめたのは、雑誌の中の広告をブログにUPしようと思い、いつの時代のものかを確認するためだから、つい昨日今日のことだ。

あるはずがないものが存在する。
起こるはずのないことが起こる。

そしてそのような小生の怖い話体験は真冬に起こる事が多い。

この話は「本当ににあった怖い話1から8」というタイトルで以前のブログに記載したから興味有る方は御覧ください。

不思議なことで、どう考えても合理的説明には至らない。
やはり「あの世とこの世」のつながり・・・「絆」が有るのだろうか。



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by noanoa1970 | 2011-12-13 10:29 | 「食」についてのエッセイ | Comments(10)

今夜はこれで

新潟の先輩から枝豆を送っていただいた。
そのあくる日あたりから集中豪雨で、先輩が居住する市の一部に、避難勧告が出されたようだが先輩のところは大丈夫の様子で安心。

「湯あがり娘」という色っぽい名前の品種で、地元だけに新鮮だから、香りと甘みに富んでいて、ここらで入手できるものとは雲泥の差。

一方、NYに行っていた息子が免税店で土産に買ったウイスキーを持って帰ってきた。
会社に入ってから、はじめて2週間もの休みをとったそうで、そういえば、職種が職種だけに、夏休みは知る限りほとんど取れない状態であったから、リフレッシュしないといけないと、常々思っていたのだった。

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重いのに持ってきてくれたのは、小生が好むアイリッシュウイスキー「ジェイムソン」。
通常は安いがスッキリ辛口の10年ものを愛飲していて、香り高く甘い12年ものは、たまに飲むだけであったが、其の12年もので、しかもパッケージの背格好がいやに高いと思っていると、国内では見たことのない1000ml壜であった。

枝豆とウイスキーは、相性がどうかと思われるかも知れないが、アイリイッシュは、スモークの香りがついてないから、枝豆の味を損なうことは無い。


ジエイムソン12年は、ほんのり甘みがあり、枝豆との相性は、ウイスキーでは抜群。
ビーフジャーキーもお供にして、ソーダで割って「ウイスキーソーダ」で飲ることにした。
これで蒸し暑い季節、当分楽しめそうだ。

家にある最大のグラスに氷をタップリ入れたものでウイスキーソーダを作るが、氷は一旦洗って入るが、それでも少し匂いがつく。
今度は氷を何とかしなければ。
ソーダによってウイスキーの味と風味は極端に変化するが、あいにくペリエの買い置きがなかったから、ウイルキンソンで我慢。
ペリエで割ったときは、甘さが一際強めに出て、嫌な炭酸味がないから、ウイスキーが上物に変化したように感じられる。

ソーダの水が硬水か軟水かが味の原因だろうか。
それとも、もともとの水そのものの味がウイスキーによって拡大されて出るのだろうか。
まさか炭酸ガスに味が有るわけはないし・・・


最近ウイルキンソンは、ペットボトル入となってしまい、昔の瓶入りとは全く違うものになってしまったような感がある。国内ライセンス生産と思うが、炭酸臭さ・・・少し苦味が後を引くので、主張の弱いウイスキーとは相性が良くないだろう。
瓶入りを探がして飲んで見たい。

ちなみに、下品な名称、「ハイボール」とは、小生は一切言わないことにしてから40年がたつ。
サントリーには悪いが、ハイボール=トリス(トリスバー)安物、という感覚があるのかも知れない

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by noanoa1970 | 2011-07-31 17:06 | 「食」についてのエッセイ | Comments(2)

暑い夏にはタップリの

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この季節、一日1パイは必ず飲んでいるのがアイスミルクティ。

今では市販のものが簡単に入手可能だが、どの商品も小生の口に合わないから、自分で造ることになる。

甘みが強いもの、ミルクをタップリ入れたもの、紅茶の味を強く出したもの、紅茶の種類などなど、自作ならばその時々で、要求するものに答えることが可能だし、思いのほか面倒ではなく美味しいミルクティが出来る。

今では家の中で、定番化された小生の作り方だが、自分で言うのはおこがましいのだが、この方法は簡単で確かに美味しい。

タップリ飲みたいから、器は家で一番大きいガラスのコップ。
写真では大きさが分かりにくいが、高さが20センチはたっぷりある大きなコップを使う。

先ず暖かい紅茶を、小さなカップで作るのだが、小生は市販のティーパックの中でも、割と優れものを使用する。
本来ならティーパックは使いたくないが、昔のような缶入りの紅茶だと、取り扱いや後始末が面倒だから、ティーパックになるが、今日はリプトンのティーパック、アールグレイを使用した。

さてキーポイントは、ティーパックを2袋使うことで、これはなるべく濃い紅茶を作りたいためで、1パックだと出来上がりの色も香りも味も薄れてしまいがち、場末の喫茶店で出す哀れな紅茶のようなものにしかならない。

ティーパック2袋を、普段使うティカップに入れて、なるべく暑いお湯を注いで、紅茶の葉が完全に開ききるまで最低2分間待つ。濃ければ濃いほど美味しく仕上がる。

ちなみに、今日はアールグレイを使ったが、ダージリンは無難だし、オレンジペコはミルクと相性がよいと思う。

出来た紅茶原液に砂糖(小生は三温糖を使用)をお好みでいれ(小生の場合はかなり甘め)それを氷をタップリ入れたコップに注ぐ。

場合によってガラスコップの8割に近いぐらい紅茶が入ることがあるが、それでは多すぎるから、味見を兼ねて7割ほどに減らす。(アールグレイはストレートでも美味しい)
複数分・・・2人分が限度だろう・・作るには、少し大きめの器で紅茶を作ればよい。

出し終えたとはいえ、2袋のティパックがもったいないので、家内が自分用の紅茶をもう一度それで作るが、まだ完全に出きってないのか、紅茶の味と風味が十分あるといっている。

これでアイスティが出来たので、後はガラスコップいっぱいまで牛乳を注いで拡販する。
こだわれば牛乳もよいものを使用したい。
限られた材料だから、よい材料を選ぶのとそうでない時の差は歴然としてしまう。

ちなみに小生が愛用しているのは「大内山牛乳」で、最近では珍しいコクのある牛乳だ。

書き忘れるところだったが、ガラスコップに入れた氷は、氷表面に付着している、嫌なにおいの元や不純物を取り除くために、いったん水を注いでから水切りしておく。

これが小生のアイスミルクティの作り方で、以前はロイヤルミルクティを作ってから、氷を入れたグラスに注ぎいれたが、これでは非常に手間がかかるし、跡片付けが大変であるから、何時もいつも作れるものではないが、この方法であればそういう手間から開放されるし、いつ何時でも欲しいときに直ぐ味わうことが可能だ。

夏にはレモンティのほうが似合いそうだが、あれはどうも飲み物としては、不十分な代物のように、小生は思っている。

レモンと紅茶のバランスはいかにしたって鳥用がない。
その証拠に、紅茶専門店でも市販のものでも、レモンティで美味しいものにお目にかかったことがないから、やはりバランスのよくない飲み物なんだろう。

ミルクティがそれだけで成立しているように思われるのに、レモンティは他の何かがないと物足りない、つまり何か他の食材がないと成立しないように思うので、単独の飲み物としては不完全だと思う。

それに、レモンを浮かせると、折角の紅茶の色がたちまち褪せてしまうのが気に食わない。

やはりなんと言っても、紅茶はミルクティに限る。

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by noanoa1970 | 2011-07-16 14:57 | 「食」についてのエッセイ | Comments(15)