「ほっ」と。キャンペーン

トンボつり

木曽の高原に期待した赤とんぼの姿は、見当たらなかった。
家内は、稲が色づいた田圃の畦道に数匹飛んでいたというのだが、小生が行ってみたところでは、その姿はあいにくなかった。

去年のお盆過ぎには、そこらじゅう群れをなして飛び交う赤とんぼを見ることができたのに・・・

朝夕の気温が低くなったせいで、トンボは低地の里に下りてしまったのだろうか。
そう思って道中注意して見ていたが、ついにトンボの群れに遭遇することは出来なかった。

トンボの姿があまり見れなくなったのは、ずいぶん前のことだが、そういえば、今年の夏はどうもいつもと様子が違うことを、小生は蝉の鳴き声で知ったのだった。

いつも真っ先に鳴き始める、ニイニイゼミの姿が全くなくなってしまったこと、そして次にはあのやかましい声でなくアブラゼミが続くのだが、今年はそれより早くクマゼミが鳴き始め、それが長く続いた。

ギンギンギラギラのアブラゼミの声がほとんど聞こえないから不思議と思いつつ、しかしクマゼミの声ばかりが聞こえると、いつものあのギラギラ声が懐かしくなってくる。

盛夏とアブラゼミの声は、どうも小生の中では対となっていたようだ。

夏の終わりから初秋にかけて鳴くツクツクボーシの声は、夏が完全に終わったことを告げるように、昨日あたりから聞こえなくなった。


「トンボ」が昔のように見られなくなってしまったのはとても残念なことで、昔の人は日本を「秋津島」・・・トンボの島であるという表現をしたぐらい、トンボと我が国の縁は深く長い。

昔はトンボを捕まえるのには、道具などは不要で、人差し指1本あれば事足りた。
停まっているトンボに人差し指をクルクルと回しながら近付くと、トンボの目玉はそれにつれて、グルグル動く。

だんだん近づきサット手を伸ばせば、たいていのトンボは捕ることができたのである。
嘘のような話だが、これは事実。小生はこの方法で相当数のトンボを捕まえた。

しかしそんな方法では決して捕ることができない大物が「銀ヤンマ」、そしてそれは少年の憧れのトンボでもあった。

話はそれるが、「トンボ」が出てくる詩や俳句で、思いつくものは以下のようなもの。

小生の好きな西岡恭蔵の「街行き村行き」の中のリリシズムあふれる名作。

「ひまわり村の通り雨」先ほど聞いて起してみたのが以下のようなもの。
「トンボつり」という言葉が使われている。

通り雨の村に蓮の葉咲いた
君と僕とで相合傘の夏の雨
空吹く風が雨雲呼んだら
トンボつりの村道畦道
かすみかけて通せんぼ
肩をすぼめてべそかき顔で川沿い道を
君と抜ければ空で雷ゴロリ
通り雨

村の外れの社の下の
背中合わせの頬杖顔さ君と僕
通り雨

残り雨一つ
お地蔵さんにおちりゃ
わらぶき屋根にモコモコ雲と蝉しぐれ
じいちゃんばあちゃん眠ったふりさ
退屈そうなひまわり村の雨上がり

思わせぶりに
空を渡る七色虹に
君と二人で小舟を曳いて村抜けて
通り雨

季節はずれの釣鐘草が
わかっているのかうなずき加減の
ひまわり村の通り雨
通り雨


さらには以下のような俳句が浮かぶ。

とんぼつりきょうはどこまで行ったやら 加賀千代女

とんぼ捕ろ捕ろその児のむれにわが児なし 山頭火

蜻蛉(とんぼう)の羽に輝く夕日かな 正岡子規

上2つは、今は亡き子供を子供が好きだった「トンボつり(取り)の思い出とともに詠んだ句である。

山頭火の句はわが子と、子供を捕られてしまった親トンボをかけているようにも読めるから、トンボを捕まえてむやみに殺さぬように・・・という思いもあったかもしれない。

子規の句は、誰でも経験することを詠んだ句のようで、何の変哲もないように見えるが、鮮やかにその時の光景がよみがえってくるようでいい句である。

「トンボつり」
この言葉で思い出すことがある。


小学2年生のころ、国鉄の蒸気機関車準急「比叡」の三等席に座って、車内販売の「アイスクリーム」を買ってもらって、京都の母方の実家に行ったことがあった。

「円町」の近くに、祖母と母親の兄、妹、弟が暮らす実家があって、夏休みになると出かけて行って1週間ほど滞在した。

兄は芸大(上野音楽学校)を出たが、父親が早くに亡くなったので、音楽の道に進むことを断念し、京都で高校の音楽教師となった。

山城高校で教鞭をとっていて、教え子にはサッカーの「釜本」がいると後に聞いた。
小生は母親の兄、すなわち伯父の影響を多分に受けて育った感がある。

遊びに行くと、必ず音楽を聞かせてくれ、小生に音感があるか否かを試すように「ドファラ」の音を歌わされることもあった。

聴かせてくれたリストの交響詩「前奏曲」は、今でも記憶の底に存在している。

音学、そしてオーディオはもちろんだったが、驚いたのは1956年、NHKが「ハイウエイパトロール」という米国のドラマを放送したとき、すでに内部がむき出しのままの自作のテレビが伯父の家にあって、見せてもらったが字幕スーパーだったから、何をやっているのかさっぱりわからなかった思い出がある。

音の良いラジオを作ってもらって、風呂敷堤に包んで持ち返った。
そのラジオを高校生時代まで愛用し、海外の音楽やラジオ講座の恩恵は、そのラジオのおかげであった。

1週間も実家にいると、自然に隣近所の子供と顔見知りになる。
「地蔵盆」の催しに誘われたり、近所のお寺や酒蔵に「清掃奉仕」・・・(もちろんお駄賃のお菓子目当てだったのだが)に誘われてついて行ったこともあった。

実家の前の道路を挟んだ向かいには、護岸された深い「堀」があって、夕暮れ前になると、近所の子供たちが三々五々集まってくる。

橋の手前には駄菓子屋があって、5円か10円を持って、どれにするか迷いながら選択の時を過ごすのも悪くなかったし、そうするうちに、コウモリがヒラヒラ飛ぶのとともに、憧れの「銀ヤンマ」が群れをなして滑空し、ユスリカなどの昆虫を捕獲する光景が見られるのだった。

ヤンマが飛ぶのを見ていると、少し年長の子供が見たこともないものを空中に向って投げているのが目に入った。

空中に投げられて、落ちてきたものを見ると、それは縫い糸のような細い糸に結ばれたものが両方につけられた振り子のようなもので、それが「トンボつり」の、しかも銀ヤンマを捕獲するための道具とわかった。

仲良くなった実家の隣の家の子に頼み込んで、その道具の作り方を聞いたが、「難しいし、はじめてではなかなか捕まえることができなし、投げるのもかなり困難だと、否定の言葉が返ってくるのだった。

しかし見る限りでは「独楽回し」・・・普通に独楽を回すのではなく、住んでいた田舎で流行ったのは、その上級編で、化粧品の入った空き瓶の蓋の上に独楽を引っ張り回して乗せ、それを左手に持って、もう一つの手で持った紐をぐるぐる回しながら追いかけっこをし、紐で逃げる相手を触れば勝ち・・・そういうゲームを修練していた小生だったから、投げるのはどうってことはないと踏んでいた。

あとはその道具の作り方さえ分かれば、自分であの憧れの「銀ヤンマ」を捕まえることができる・・・そう思っていたのだった。

近くに落ちてきた道具を、拾ってあげる振りをしてよくよく見てみると、糸は縫い糸で、両脇につけてある錘のようなものは、中に小石が挟まれて、特殊な紙で包みこんであることが分かった。

それですぐに実家に戻り必要なものを持ってきて作ってみたが、紙に包んだ小石は投げた途端すぐに解けてしまい、空へとは舞い上がらなかった。

包み紙はキャラメルの包み紙をもっと薄くしたようなもので、それがなんであるか想像もつかなかったが、何回もやり直す小生の姿を見かねたのか、中に親切な子供がいて、これを使うといい・・そういって小さな紙を渡してくれたのだった。

うちとけたその少年に紙の素性を聞くと、橋の向こうの駄菓子屋の隣に印刷屋があって、そこにから廃棄されるものがその紙の正体だという。

「謄写版」の「原紙」がその正体で、柔らかくて丈夫、捻っても元に戻りにくい、そして水分をはじくから、もってこいの材料、しかも只で手に入る。

子供の知恵はすごいものだ、お金が全く掛からない方法を編み出して、しかも最高峰のトンボを捕獲しようとは・・・・

早速同じようなものを作って、投げるのは得意とばかり、滑空する銀ヤンマをめがけてその道具を空中に投げてみた。

投げ方を教えてもらったわけではなかったが、見よう見まねで道具のV字の真ん中に人差し指を入れて、反動をつけて投げると、思いのほかそれは空高く舞い上がっていって、銀ヤンマは多分それを虫と勘違いするのだろう、追いかけるしぐさをするのが見えた。

これは魚釣りのルアーフィッシングかフライシッシングと同じ原理だから、うまくいけば、トンボは無視と勘違いして食べにくる。
すると細い糸が絡んで、トンボが落ちてくるという仕掛けなのだ。

小石のほうがトンボより重いから先に地面に落下する、したがってトンボのダメージは少なくて済む。

トンボの習性を利用した「トンボつり」の技法とその道具は、誰が考え出したのだろうか、フライフィッシングにも匹敵する面白い釣りの方法である。

さて小生の釣果は、3投目に突然やってきた。
空中で道具を追った銀ヤンマの体に偶然意図が絡みつき、道具とともに憧れの銀ヤンマが足元近くに落下したのだ。

周囲の子供たちが歓声の声を上げるのを聞きながら、悠然とそして自慢げに糸を解いて、実家に戻るのであった。

実家の隣の子供の、小生を見る目が変わったのはそれからだった。

これが小生の「トンボ(銀ヤンマ)つり」の大切な思い出である。

by noanoa1970 | 2008-09-24 09:14 | 田舎で遊ぶ | Comments(0)

寒村でのコース料理・・・杉原さんと一緒に

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写真は燻製まじかの自家製生ハム。
右の網の中には、スモークを待つサーモンが。

今から約15年ほど前のこと。

小生はその夏、長野県南安曇郡の奈川村に滞在していた。
知り合いのおばちゃんがいる、村の温泉施設の食堂のカウンターで、出来立てのカレーを食べていると、速報のテロップが流れた。

(よくカレーは一晩置いたほうがおいしいというが、小生は出来立てがおいしいと思う。その理由は、一晩置くとカレーの鮮烈な香りが飛んでしまっていて、どうしても好みではなくなってしまうからである。新しいカレー粉を足してそれを補ってくれる店ではいいのだが、殆どはそのようなことをしないから、ぼやけた味のカレーとなっていることが多い。家では必ず新しいカレー粉を加えて食べることにしている)

それはダイアナ妃が交通事故で即死した・・・というニュースであった。
その悲しいニュースの記憶を頼りに、何時のことであったかを調べると、1997年8月31日ということが分かった。

その日は、畑の手入れした後、汗を流しに村の温泉に行き、風呂上りにビールを飲み、出来立てかどうかを訊いてカレーを食べたのだった。

食堂勤務のオバチャンは、前はキャンプ場に務めていたから、もうかれこれ25年以上の知り合いだ。

キャンプに行っていたときは、自作の漬物・・・赤カブやスンキを毎回テントまで持ってきてくれた。

家内とも気が合って、行き来が始まったオバチャン。
カウンターで、「今日のカレーは出来たて?」と確認して、注文すると、家内と2人で食べろとばかり、特盛りにしてくれる。

畑用のネギも、ジャガイモの種も、オバチャンから地のものを分けてもらって、栽培することが出来たのだった。

(この土地で作ったジャガイモは、いままで食べたジャガイモの中で一番おいしいもの。
収穫後、一部をポテトコロッケにして食べたが、人生の中で一番美味しいコロッケが出来上がり、驚愕の時を味わったことがあった)

その1年前のこと、蕎麦を収穫した晩秋。
小生はかねてからやりたいことがあって、それを実行に移すことにした。

それは幻といわれる奈川産の蕎麦を使ったコース料理を作ることで、和洋を融合して、蕎麦という素材を異なる次元の料理で味わってみたかったからである。

蕎麦打ちは、それまでに何回も経験し、一応自分でもほぼ満足できるほどになっていたから、昔の経験を生かして、また蕎麦の新しい可能性を探って見ようと、かねてから考えていたことであった。

村の知り合いや、都会から奈川村に遊びに来る知人を誘って、収穫祭の一環として企画した。

10人のメンバーが集ってくれることになり、会費は原価の3000円とした。

蕎麦打ちは、小生の会社の同僚の杉原さんが引き受けるというので、彼に任せることにしたが、彼も凝る人間で、名古屋から小さい石臼をわざわざ持参して望んだ。
蕎麦切りは、自作の奈川の在来種の幻蕎麦を使用し、しかも石臼手挽きの完全自家製粉であり、俗に言う「三たて」であることは勿論だ。

小生が考えたメニューは

スープ、本格的コンソメを作ろうと思ったが、余りにも手間がかかるため、それは断念し、代わりに市販の「海亀のコンソメ」にマデラ酒などを入れ手を加え、浮き身を蕎麦のクネルと蕎麦米とした。

オードブルとして、数日前に完成した自家製生ハムを蕎麦のクレープで筒状に銀ホイール巻いて、それを斜めにカットしたものを当てることにした。

生ハムとスモークサーモンは、同じくクラインガルデンを借りていた、ホテルニューオータニのベテランのコックが絶賛したほどであった。(小生を全くの素人と思ったに違いない、
このころはすでに一流ホテルでもサーモン、生ハムは、業務用市販品を使用していたから、当たり前といえば当たり前だが)

新鮮でなければ、生ハムは作れないから、このとき使用した材料豚肉のモモは、その旨を伝えて小生の地元桑名の「柿安」という肉屋に特別注文して入手した極上のもの。

それに奈川のすばらしい食材で、昔はこの実の油で漆塗りの器を磨いたとされ、葉は天麩羅にすると、かすかに胡麻の香りがする「えごま」の実をすり鉢で丹念に下ろし、醤油に少し砂糖を混ぜたものを、蕎麦掻にかけて食すという村の隠れ名物。
五平餅のタレとして使っても美味しい食材である。
これを村の長老と、キャンプ常連の長老2人でやってもらうことにした。

日本酒は、新潟の名酒「ハ海山」、ワインはシャブリ・プルミエ・クリュ・・・いずれもが小生が「キリット、切れの有る酒」をと注文しておいたもの。

メインディッシュは、あれこれ考えたのだが、ここはローストビーフで行くことに決めた。

決めた理由は、場所柄(ログハウス風の集会所で、一応の料理の設備がある)付きっ切りでサーバー可能だから、焼きながら様子を見て一番よいタイミングで食べてもらうことが出来ると思ったからである。
ただ、オーブンという必需品の設備が無いので、キャンプ用の組み立て式のコールマンのオーブンを使うことにした。

このオーブンは、小生の必需品で、これにダッチオーブンを持っていけば、外でも大抵の料理は出来てしまう。

1泊か2泊のキャンプならば、大概のキャンパーは、バーベキュー、カレーなどを作ることが多いと思うが、小生のキャンプは3日以上のことが多かったから、それでは飽きてしまうし、ゲストが来たときに毎回バーベキューでは飽きるから、野外料理の巾を広げたく思っていたが、この料理道具のおかげで、殆どの料理が可能となった。

そういう魔法の道具が、風防付ツーバーナーと上の2つの道具である。

このときの牛肉も、やはり桑名の「柿安」で仕入れた4等級のものである。

魚は奈川のイワナのムニエール。(残念ながら養殖)
10名の出席だから、いくら奈川村でも、とても天然イワナというわけには行かない。
ハーブ類は、畑に10種類植えている物から、セージ、ローズマリー、タイム、オレガノ、フェンネル・・・およそ料理に使えるものは殆どある。(というより料理に使う目的で植えたのだが)

蕎麦打ち以外の料理人は、小生ただ一人、エゴマをすり鉢で当たっていた2人と、蕎麦うちの2人以外は、手伝うにも、手が出せないであろうことは分かっていたから、何問題もないし、段取りさえキチントしておけば、席を行ったりきたりしながら、自ら楽しむことが可能である。

オードブルの「生ハムの蕎麦クレープ包みソースグレービー」(小生開発の料理だからネーミングも適当)

スープ「蕎麦のクネルと蕎麦米を浮き実にした海亀のコンソメ」・・・「山海の出会い」とでもしておこう。

魚料理「イワナの香草焼き・ムニエール奈川風」

シリアル①「蕎麦掻inエゴマソース」

肉料理「ローストビーフ・野趣豊かな漁師風」・・・・グラスに天然山椒で風味を付けたソース

シリアル②「幻の奈川産の自家栽培、自家製粉挽きぐるみ、さんたて蕎麦」

デザート「生ハムwithマンゴウ」・・・・相性抜群のイチジクを探したが入手できないため、しかしメロン同等美味い。(イチジクの上に生ハム載せ白ワインを少量ふりかけるととてつもなくおいしい)

コーヒー:(京都イノダプレミアム)
酒:八海山、シャブリ・プルミエ・クリュ

以上の料理での楽しいひと時であった。
村の人の中には、ミディアムに仕上げたローストビーフがダメだから、完全に火を通してくれというのも合ったが、総勢10名が満足した小宴会となった。

これ以降、村の人の噂で、小生は料理の達人とされることになってしまい、この先の集まりには、必ず何か作れというリクエストが来ることになってしまって、あるときは、「タヌキ」を捕獲した村人が、タヌキの肉を料理して、都会から来た人に食べさせろというので、畑からハーブを抜いてきて、タヌキの臭みを緩和して料理をしたこともあった。

黙って差し出すと美味しいといって食べるが、これタヌキの肉ですよ・・・・そういうとたいていの人の顔つきが見る間に変化するのが面白かった思い出がある。

この村の人は、時々このような、軽い悪戯をすることがあって、「これおいしいよ」といって出された「シシトウ」を焼いたものを一口食べると、・・・・
口の中どころか、顔中が、頭までもがその余りにもの辛さで物凄いことになって、水を飲むとよけいにその辛さが増す・・・その名も「カラナンバン」。

姿かたちは「シシトウ」ソックリだから直ぐに騙される。
村の人は、仲良くなってこの人ならそういう悪さをしても問題ないと思った人には、このような村の洗礼を浴びせる習慣があるらしい。

可愛いウサギを檻に入れ飼っているらしいので、タンポポを取ってきて食べさせてやっていたが、ある日突然檻から消えた。
どうも飼い主の爺さんが食べてしまったらしい。

寒村であったから、タンパク質補給には欠かせなかったのだろうことから、習慣となって受け継がれてきたのだろう。

家にお邪魔すると必ず熊の敷皮がある。
熊も鹿もイノシシも鳥類も食料としていたから、昔からジビエ料理をやっていたことになる。

別の集まりだったが、まさか狸まで料理して食べることになるとは・・・・

by noanoa1970 | 2008-07-21 12:37 | 田舎で遊ぶ | Comments(3)

いつもの温泉の帰りに見つけた

小生がよく行く温泉は岐阜県南濃町・・・水晶がとれるという山の、秋には名月の絶好の鑑賞地でもある「月見のもり」の一角にある「水晶の湯」。
温泉は、細い林道を登ったところに在るので、温泉には一般車は入ることが出来ない。
麓の駐車場に車を置いて、温泉専用のマイクロバスに乗って、急な坂道を登りきったところに在る。海抜0mのこの付近からおよそ300mほど登ると、濃尾平野を見下ろすことが出来る絶景の露天風呂が待っている。

いつもなら往復バスに乗ってしまうのだが、余りにも天気が良かったので、帰り道は林道を歩いて下ることにした。
登りはチョットした登山並みに急勾配であるから、温泉につかると心臓が破裂する恐れがあるため、下りのみである。

歩いていくと、いつものバスから眺める景色とはまた違った、すばらしい景色にめぐり合えた。

山の中腹にある古そうな「見張り塔」。昔は河川の見張りに使われたのだろうか。
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少し下って見張り塔を見上げる。「月見のもり」と植木の文字が見える。
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下界を眺める。揖斐川の遠く向こうに北アルプスも見える。
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温泉を目指し登ってくるバスに出会う。12分間隔で運行されるバスは日祝は満員になる。
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あたり一面甘い香りがするので、付近を見渡すと、「みかんの花」が真盛りだった。
白い小さな花はとてもかわいらしい。みかんの花を見るのは小学生のとき以来だ。
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道の両脇にはいろいろな植物が手入れを施されて花をつけている。これは「しらん」。
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途中で思わぬものを発見。「雪ノ下」の群生。これは天麩羅にすると、とてもおいしい。しかし今日は存在を確認するだけで、採取はしてこなかった。それにしてもこの群生の量は凄い!思わずうれしくなった。
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すぐそばにはなんと・・・幻の・・・といわれるモミジガサ(別名:シドケ)の群生も発見。少し時期が遅く生育しすぎていたので、来年の楽しみにとっておくことにした。
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by noanoa1970 | 2007-05-31 14:43 | 田舎で遊ぶ | Comments(4)

ランタン夜話・・・クラインガルデン-2

何とか農園およびガーデンとしての体裁が出来、1年目の苗付け、種まきも終わり、
「金来日帰」の日々が続くことになる。主たる生活地域からは、車で約3時間半ほどかかるが、キャンプの手間を思えばなんと言うことも無い。

ちょうど金沢単身赴任で使用した冷蔵庫も、洗濯機も、電子レンジも、炊飯器も・・・寝具はシュラフで十分だから、食料と着替えだけを持っていけば、時間の許す限り、そこで過すことが可能だ。

ベランダからは乗鞍岳に連なる山並みが見え、林道を少し行くといつも通ったキャンプ場。そこには昔からの知り合いのキャンプ場の管理人、そして手伝いのおばさん、夏になると常連のバイトで来る信州大学生など、顔見知りばかりだから、気軽である。

キャンプ場の池では岩魚が釣れ、山を降りた「奈川」にも魚影が濃い。
5月には山菜の宝庫、タラはそこらじゅうにあるし、コシアブラも、ウルイも、今まで食べたことが無かった山菜類にあふれるし、秋はきのこの宝庫「マツタケ」も出るらしいのだが、さすがにこれだけはほかに流通するようで、口に入ることは無かったが、序もとのきのこ名人が選定したものは安心してん食べることが出来た。
天然のなめこやシメジといったら、この上ないおいしさであった。

大量のわさびの葉、根曲竹など、取れる季節には、必ず分けてもらっていたが、中でも「エゴマ」という・・・胡麻風味の小さな黒い粒上の実は初めて知ることになるのだが、きわめて利用価値が高いものであった。すり鉢で摩ってから砂糖、塩、醤油で味を調え、「蕎麦がき」「五平餅」のタレとして使うと物凄く美味い。

後に「タヌキ」を食べることになる話も有るが、それはまた次の機会に詳しく語ることにして、今回は
農園開演から2年目の農園の様子と、秋の収穫の一部を紹介しておこう。

ジャガイモの芽が出てどうにか育ってきたところ。
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ハーブ類は環境適応能力が高く、すばらしい生育ぶり。ミント類は特に成長が激しくすぐにはびこるくらい。セージ、オレガノ、ローズマリー、フェンネル、バジルなど料理に使えるものは何でもそろう。
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ハーブスペースのしたには、葉物を植えた。ルッコラの生育は良かったが、他の野菜は虫食いがひどく食べることが出来なかった。
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センターの円形スペースには、御嶽山の麓の開田高原でブルーベリーを栽培している農家で頼み込んで分けてもらったものを植えた。風土に合ったものでないと、おいしい実をつけないそうだ。奈川と開田は標高が同じ、自然環境がよく似ている。
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1年目の秋遅くに収穫したジャガイモ、トウモロコシそして「とうがん」によく似た「夕顔」、「キューリ」は頂き物。「キューリ」に翼似た形をしているが本当は「かぼちゃ」の仲間、イタリア料理にいまや欠かせない「ズッキーニ」もこの地ではよく育つそうだ。南米からやってきた女性からタネをもらって知り合いの叔父さんが撒いて、見事なものが収穫できたそうだ。写真には無いがそれをもらい受けて、ピザ゙やスパゲティを作った。
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by noanoa1970 | 2007-05-30 09:21 | 田舎で遊ぶ | Comments(0)

ランタン夜話・・・クラインガルデン

1990年代の後半、小生は長年のキャンプ生活から足を洗って、同じ土地にて新しく設けられる「奈川楽農クラブ」という「クラインガルデン」=(宿泊可能で、簡易生活が出来る小さなハウスを伴った農園)を借りることにした。
100坪ほどの土地にコテージのような宿泊ハウスと60坪ほどの農園がある。

農業を通じての、立て前は農村と都会の交流であったが、キャンプの準備、設営、撤収などもろもろが、だんだん億劫になってきたため、半分以上はキャンプの代用との隠れた考えからであった。
しかし農園には何か農作物を栽培しなければならないので、農業など今まで経験したことは無かったが、村の知り合いの手助けがあって、何とか1年目にはおいしい農作物が収穫できた。

村でキャンプの時から懇意にしていたおじさんと、おばさんが、親切に面倒を見てくれて、葉物は余り良くないから「ジャガイモ」、「ネギ」、「トウモロコシ」が良いという。
植え付けの方法や黒いビニールシート=マルチで地面を覆う方法など、手に取るように教えてくれた。

畑の面積が大きすぎたので、畑を通路で十字に区切り、真ん中を円形に仕切り、そこには「ベリー」・・・ブルーベリーと、rズベリーを植えることにし、残りのそれぞれのスペースを「ハーブ」「ワイルドフラワー」「トウモロコシ」「ジャガイモ」そして少しだけ葉もの植えたが、農薬類を余り使用しなかったので、葉ものは虫に食われてしまった。そこで次の年は、見ても食べても美しくておいしい「花豆」を作ることにした。

初期の農園。農地面積が多いので減らすためと、農園の中を自由に歩けるようにするために通路を作ったところ。イングリッシュガーデンを真似てみた。
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じゃがいもを植えるための工夫。黒いビニールシート=マルチで地面を覆い、そこに穴を開けてタネイモを植える。標高1000mの極寒地区ではマルチは必需品だ。
トウモロコシもほぼ同じ方法で種を植える。
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by noanoa1970 | 2007-05-29 18:19 | 田舎で遊ぶ | Comments(0)

ランタン夜話・・・テントの変遷

1980年代より通い続けた長野県南安曇郡奈川村にある「奈川高原キャンプ場」
いつもの場所テントサイトNo3から、岩魚の池を挟んで天文台のある山を眺める。
釣りと天文台で隠れた人気が有り、リピーターのキャンパーが多い。この写真ではあいにく見えないが、写真の左奥に乗鞍岳を望むことが出来る絶好の位置にあるキャンプ場だ。
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初期のキャンプは、簡易テントから始まることになったが、このようなタイプのテントでは、標高1000mの高原では季節によってはかなりしんどい。
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簡易型テント内部にはこのときすでに、赤と緑のランタンが吊るされているから、1983年か4年のキャンプのことだ。
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やがてテントを風雪雨に強いノースフェースのドームタイプに変更し、コテージタイプを追加して2組で使い、ユーティリティを高めた。
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コテージタイプは取り回しが大変なのに気づき、やがてスクリーンテントを入手、虻の多い奈川キャンプ場では重宝し、かなり豪華にそして優雅な食卓となすことが出来た。
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室内は、ごらんのようにかなり広い。
就寝直前の写真だったろうか、外部に吊るしたランタンを引っ込めて、テント内部に全てのコールマンのガソリンランタン200A型を吊るしてある。
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by noanoa1970 | 2007-05-29 07:34 | 田舎で遊ぶ | Comments(0)

奈川随想・・推理・奈川の由来-5

この言葉の遊びとも思える語呂合わせの中にどうやら歴史の真実が隠されているようです。
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奈川(nagawa)=大示川(taijigawa)、(daijigawa)
=大蛇川(daijagawa)の関係を意識的に教えようとしたに違いありません
宵の明星が乗鞍岳の上空にそのペールイエローの輝きを放ちはじめるころです
そろそろキ―ボードにも疲れてき始めました。もし私の仮説が当たっていれば、奈川のルーツは 、(海)蛇をトーテムとする海の民ナーガ族の末裔と「蝮」をトーテムとする山の民が゙融合したものと言えるでしょう。そしてまた,種族の融合が共通の蛇神,龍神(トーテム)によりさしたる混乱もなく行われただろう事は、きわめて容易に推測できます。

奈川は、太古より山と海とを結ぶ文化の交流地点の一つだったのです.。
小生の推理が当たっているかどうかは、海あるいは蛇、龍神に関わる信仰の痕跡を、奈川村で発見する事に尽きます。
しかしたとえこの推理が成り立たないとしても、遥かな時を経たた今日、小生の歴史ロマンの推理の源になってくれたことに感謝の念を込めつつ(奈川の由来考)の筆を一旦休めます。

by noanoa1970 | 2005-07-07 07:00 | 田舎で遊ぶ | Comments(2)

奈川随想・・推理・奈川の由来-4

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それでは(taiji)をどう説明すればよいのでしょうか。
岐阜県に多治見(タジミ)という町があります。陶磁器で割と有名ですね。
この多治見の語源はtajihimi=多治比見=多治見族(たじひぞく)が古代から住み着いたことから来ているといわれています.
そして何と多治比族は蝮(まむし)を捕まえて生計を営む一族だったらしいのです。
だんだんと謎が解けてきたようです。

(奈川nagawa)はヘビの川で長い川、大蛇のいる川
(長野nagano)はヘビのたくさんいる長い野原
(長脛彦nagasunehiko)はヘビをトーテムとした、長い脛を持つ悲劇の英雄 。(大示川taijigawa、daijagawa)は、多治比川(tahijigawa,tajihigawa)でヘビの多い川、または大蛇川、大事な川
(両面宿鋤ryoumensukuna)は、双頭のヘビをトーテムとした種族のこれもまた悲劇の王。
安曇野の「八面大王」との類似にも着目したい。

飛騨、そして東濃地区を含んだ木曽、そして安曇野の、この3つが交わる地点にある、奈川村ですから、これらの民族や文化や言葉が交じり合っていても何の不思議もありません。

それにしても(nagawa)に奈川と言う漢字を当てた人物はたいしたものです。
「名」でも、「菜」でも、「那」でもなく、多くの漢字の中から「奈」をわざわざ選び、時代が経てば忘れてしまいがちな名前の由来を、発音とともに後世に残そうとしたのでしょう。
この言葉の遊びとも思える語呂合わせの中にどうやら歴史の真実が隠されているようです。

by noanoa1970 | 2005-07-06 08:10 | 田舎で遊ぶ | Comments(0)

奈川随想・・推理・奈川の由来-3

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ここにきて暗礁に乗り上げてしまうかと思った時
幸いにも10数年前に読んだ古代史の文献に 次のような事が書かれていたことを思い出しました。それによると[海洋民族のナ-ガ族は海蛇をトーテム(信仰のシンボル)とし
東南アジアに勢力を持ち海流に乗って多くの土地に流れ着いた。
当然のごとく黒潮に乗って古代日本にも渡来してきたそうで(naga)はヘビでありヘビが長い事から「naga」いと言う言葉(発音)となった]と言います。

何と(naga)の語源はヘビだったのです。
また海人族と海蛇はきわめて仲のよい関係のようです。
NHKで少し前偶然見たのですが、海蛇を食用にする沖縄では薫製を作り
供物として海神にささげる風習があるという事です.。
きっと重要な食料源としての海蛇を神として祭る事で 、種族の永久の繁栄を祈ったのでしょう.。

by noanoa1970 | 2005-07-05 07:00 | 田舎で遊ぶ | Comments(0)