2017年 03月 08日 ( 1 )

アレキサンダー・ネフスキー

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プロコフィエフがが同名のエイゼンシュタインの映画の劇伴音楽を、演奏会用にカンタータにして再編したものだ。
映画、音楽を理解しやすいようにするためには、ロシアの歴史を少し勉強する必要がある。
ロシアの元は、ノヴゴルドを征服した「ルーシ」でヴァイキングの末裔とチンギスハンの子孫、そして周辺の諸民族を取り込んだいわば混血の公国、よってルーシはヴァイキングとモンゴル民族をルーツに持つ国と言ってもよい。今のウクライナ地方にあたる大きな都市となったが、その中に大きな力を持つところがあった。
しばらくルーシの中心地だったが、首長の死によって遷都され、キエフに移ったが、工業立国ノヴゴロドはやがてキエフ公国から独立し、ノヴゴロド公国となっていく。簡単だが、9世紀から12世紀の話。
キエフは今のウクライナの中心地だった。古代から中世にはモスクワは登場してない。
モスクワ公国がアレクサンダーネフスキーの血縁によって建国されたのが14世紀。

キエフルーシ、モスクワルーシという具合に、どちらも「ルーシ」=ルーシカガンが出自という誇りが合ったようだ。
しかし、ルーシ人の北方スラブ人は、スカンジナビア半島、モンゴルおよび周辺民族の混血民族ということになる。

ウクライナを「小ロシア」(チャイコフスキーの交響曲2番の名称にもなっている)、と言うことが有るが、東ローマ帝国から観て、近くにある大都市を小ロシア、遠くに有る大都市をロシアとよんだ。その次代はウクライナ葉重要な年であったことを物語る。
アレクサンダーネフスキーの登場は、13世紀はじめの頃、周辺の新楽民族との戦いで、名を馳せた人物で、スエーデン、ドイツ騎士団、ハンガリー、モンゴルなどと戦った英雄。
有名なのは、ネヴァ河畔の戦いで、スカンジナビア半島軍隊と戦って勝利し、英雄視されることになった。
ロシアの英雄で、史実を疑われる人物はかなりいて、イーゴリ公、ボリスゴドノフも多分に造られた感がある。

モスクワは、キエフ・ルーシの時代には名前も知られていなかった北東ルーシの小都市にすぎなかった。そして、モンゴルのハーンによって厳重に支配、管理されるようになったルーシ諸侯のなかから、モンゴルとの関係を巧妙に利用し権力を握っていったのが、ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーと北東ルーシの諸公国に分封されたその子孫たちであった。

アレクサンダー・ネフスキーは、一方では戦闘の勇者であったが、片方ではモンゴル民族の建てた、キプチャク汗国に従った人物。
ロシア史の最大の屈辱は、タタールのくびきと言われるもので、モンゴル民族によって支配された歴史がある。
多くの英雄伝説は、その裏替え史とも観て取れそうだ。

そうは言っても、プロコフィエフの音楽は、素晴らしいの一言に尽きる。






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by noanoa1970 | 2017-03-08 10:07 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)