2006年 12月 03日 ( 1 )

「ホテルNC」の頃ー最終回

こうしながら、いろいろなセクションを経験したが、そのうち様々な矛盾点に気がつくようになってきた。
大きなひとつは、厨房の従業員を含めた、このホテルの従業員、このホテルの伝統なのか文化なのか、ほとんどの階層、職種の従業員が「上を見て仕事をする」ことであった。
慣れてくると、お客様ではなく社内の重役連中の顔を見みて仕事をするかのようなところが見えてくる。
総料理長不在のときと居るときの仕事の態度の差。
常務や専務がホテル内に存在するときの、総料理長の態度。
いるときは必ず厨房に立つ、いないときには別室で過ごす。

しかし、そんなことよりも一番気にになることは「レシピ」の不在であった。
どういう事かというと、例えば
料理の顔とも言える「デミグラスソース」、「コンソメ」の標準的な作り方・KNOWHOW・・・それが無いのである。
口伝によって今まで伝えられてきたようであるが、よく観察すると、作る人によって、やり方はまちまち、したがって出来たものの「味」は微妙に異なる。
一応セカンドがチェックするが、味が違うのを平気でOKを出すことが多い。
勿論微妙な差ではあるが、料理通で、かなり通いつめて料理を食してきたお客なら気づくことであると思うのだが、そんなことはお構いなし。
最もレシピがしっかりあっても、同じものが出来るとは限らないが、それでも、「バラツキ」は少なくなるはずである。

ホテルの伝統的な「味」を保つための「料理技術の水平展開」はまったく行われることは無く、個人→個人という徒弟制度的家内工業の域を出てないものだから、コックの水準はなかなか上がらない。

「基本」として重要な「ソース類」の仕込みは、先ずレシピありき、次にコツの伝授、そしてそれがあって、後は微妙な塩梅・・・さじ加減によって、ホテル標準の味が保たれるということがまったくわかってない。
このあたりが「仕事は盗め」と、よく言われるような・・・真似てやればよいと思って、過去から連綿とそのやり方できたから、誰かがどこかで少し踏みはずすと、フライドエッグのような料理でさえも混乱をきたすことになる。
TVなどでよく見かけるゲームに、最初の人が見たものを口頭で5・6人に順送りに説明していくが、最初のイメージどおりには伝わってない。それと似た様な欠陥が厳然とあるのに、「個人の努力」で解決できるものと勘違いしている。
マネージングの立場にあるものが相変わらず一人の「ベテラン職人」の枠を脱し切れてないから、このような職場には未来は無い。

「イージーオーヴァー」を時間のオーヴァーと勘違いして、しかもイージーを無理や伊誤訳するから、「簡単な時間」=「若いめに揚げる」=「半熟の目玉焼き」と勘違いしたり、「サニーサイドアップ」を、焼いたとき、たまごの表面にうすい膜が出来ないような、黄色い色の目玉焼きと思っているもの、などいつの間にか勝手な解釈が出来てくることになる。
個人に仕事がついてくるから、極端に言えば、日によって料理の方法も、味も異なるという最悪なパターンに陥るのだが、この大切なことを指摘することはない、だから改善されることはないのである。

「上を見て仕事をしているから、余計なことは言わぬが花、上から指示があって、それに従えばいい・・・・これが当時の・・・・1970年代のホテルの厨房であった。

上に立つもの・・・コックでは「総料理長」であるがこの人が、勉強をしない限り、コックの世界の進歩発展は無い。
それは「新メニュー」に表現されるが、このホテルでは以前と変わり映えしない、古典的フランス料理のメニューを交代するだけにとどまるのである。
決して冒険や、新しいものにチャレンジするようなことは無い。しっかりしたOJTシステムが無く、人を育てることの重要性をわかってない、いやむしろ自分が苦労して覚えたことを他人にやすやすと、教えてたまるものかというような、悪しき職人気質が残っていたこの時代のホテルでもあったから、消費構造や嗜好の変化の激しい・・・多様化の80年代を乗り越えるのは簡単ではなかったであろう。

現在の業界事情のことはわからないが、OJTをはじめとするキチンとした科学的「教育」体制を整えたところなら、昔は10年かかって一人前といわれたものを、3年で済ませることが出来るのではないかと思われる。

先進的経営戦略を身に着けたホテルの厨房では、すでに「古典的フランス料理」から「ヌーベルクイジーヌ」への移行が始まりつつあったのがこの時代であった。
お客の嗜好がコッテリ」から「アッサリ」へと変化していくのだが、それに気がつかないホテルもあったのだ。

このことをどういう風に間違えて解釈したのか、あるときバターの使用量を減らせという指示が来て、メニュー構成・・・・素材から調理法・・・をまったく変えずに、バターの使用量を半分にしたから、味が落ちるのは当たり前であったが、バターの使用量を減らせばアッサリ仕上がると思い違いし、しかもその弊害に気づかないから、よくない評判が入ってきたときにはすでに手遅れであった。

すると次にやったことといえば、肉中心のメニューに、魚介類のメニューを加え、メンダイの入り口には飾り付けを置いたりもしたが、調理法が古典的フランス料理の枠を出ていないから結果は同じことだった。
総料理長の力量そのものが問われているのに、気がつかない。小手先で乗り越えようとしても、無駄な努力であった。
伝統的な手法での料理技術がいかに上手でも、料理戦略の無い職人コックは、「時代のシェフ」にはなれないということを、リアルにみることとなってしまったのであった。

こうした中、小生は「スープ屋」を経験せずに、ホテルを去る決意をしたのであった。
ほかのものは場所を問わず大抵真似できるが「コンソメ」だけは難しい。
大量でないと、先ず作れないから、ホテルで本格的に経験したかったが、牛スネ肉のミンチと野菜を卵白であわせた後の火加減と、あの色の出し方、酒類の上手な使い方を全て一人で経験しておきたかった。

小生は今でも思うのだが、昨今のラーメンブームで今まで誰もやったことが無く、恐らくすばらしいラーメンが出来るものと確信するのだが、
スープに本格的「コンソメ」を使い面は極細めんの「ちじれ」、白髪ネギを乗せ、コーンビーフかコーンタンの薄切りを載せる。
夏場は冷麺として供すると、スープは透明な、煮こごり状態のコンソメを細かくして、麺と一緒に食べていくと、だんだん冷たい液状のスープへと変身していく。
色艶透明感は全てが麺の黄色を浮き立たせ、見た目はアッサリ、しかしそのスープは、何しろ本格的に作ったコンソメであるがゆえに、その「コク」というと、今まで存在するあらゆるラーメンスープを凌駕する。
・・・こんなラーメンを夢想するのである。
コンソメは、牛肉のスープで、鶏ガラのブイヨンをともに使用するからあわせスープ。
さらにカツオだしなど、魚介類の・・・競合しない透明なス^プを混ぜて実験すれば、さらに変化する味となると思う。

ホテルの厨房で特別に印象に残る「絶品」の味は、
ローストチキンのお尻の周りの肉・・・焼きたてのそれはチキンで最もおいしい部位であるが、この上手さを知る人は少ない。
もうひとつは
ローストビーフを焼くときに出る肉汁=肉のジュースを赤ワインで割って飲む特性ドリンク。
半割にしてコップ1杯飲むと、その味もさることながら、精力がつき、疲れも吹っ飛んでしまう。
スッポンの生き血同様の効果があり、しかもおいしい。
これらは大量に「ロースト」を作る、ホテルのコックだけが味わえる知られざる「役得」であった。

ホテルで一通り基本の技術を学んだ小生は、何を思ったのかまったく違う畑の第2の職業・・・コンピュータ・OA機器製造販売会社を選択することになるのだが、その話はまたいずれ機械があればお話できると思う。
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by noanoa1970 | 2006-12-03 09:50 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)