ブラインドテスト・・・4

またもや名曲・・・でもこれは当たり前のことで、そもそも「20世紀のマエストロ」という全集盤なのだから、当然通俗名曲が多くなるのは、仕方がない。

それに、演奏をいくばくか判断するのには、都合がよいから、一石2鳥だともいえる。
最近はほとんど、聴くことのない曲もあるかと思うが、しばらくは楽しむことにする。

今日はモーツァルトの最後の交響曲、41番「ジュピター」。

これは優しい、実に優しいモーツァルトだ。
ともするとこの41番、かなり劇的に演奏する指揮者もある中、取り分けて静かな、落ち着いた、美しい曲に仕上げている。

出だしの音型の部分など、決してゴリゴリすることないので、少々ものたり無さを感じるが、この指揮者のモーツァルトに対する慈愛のようなものが溢れる演奏だ。

1拍と3拍が強めに出たり、小節の終わり目が、リタルランドするところは、いかにも古き良き時代を匂わせる演奏スタイルだ。

どうもこの1930年代から50年代の指揮者法の潮流としては、ザックリ分けると、それは3つあって、1つはノイエザッハリッヒカイトの流れを受けた、あるいは新古典主義的なものと言い換えても間違いではないだろうもの。

2つ目は、表現主義的な・・・楽譜に依存しない、かなり自由な解釈による・・・表現がよくないが、指揮者が作曲しなおしたような音楽づくり。

3つ目は19世紀の古き良き時代の指揮法を継承するといった動き。

この指揮者の場合は、あえて分類すると、3番目になるのだと思う。

貴族たちが集まる宮殿での演奏会・・・だから不協和音的な音さえもが、石造りの中規模のホールから美しく響いてきて、穏やかなひと時を、シャンパンでも飲みながら聴いているような音楽となる。

こういうモーツァルトは、沢山あるようで、実はそんなに多くはない。

この指揮者のモーツァルト像は、映画でのモーツァルトとは全く違い、限りなく尊敬できうる音楽の天才か、音楽の天使に映ったに違いないとさえ思うような、慈しみと慈愛に満ちたジュピターである。

オーケストラも明るい音を作っていて、この指揮者の解釈によくマッチしている。
特に2楽章は、この演奏中一番の聴きどころ。

実に優しく優雅な・・・ため息が出そうな演奏だ。

古い録音演奏を聴くことの喜びは、このような隠れた素晴らしい演奏を発見出来ることにあるのかもしれない。

種明
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なんとイギリスの指揮者ビーチャムの演奏だった。
1934年録音とかなり古いが、録音状態は良い。
ドラティの時とは違いロンドンフィルが、ここでは素晴らしい演奏をしているのは、やはりビーチャム肝いりなのが背景にあるのか。
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by noanoa1970 | 2009-07-14 10:28 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)