ブラインドテスト・・・2

取り上げているCDセットは、それぞれ2枚づつ入っているもの。
本日はチャイコフスキーの交響曲5番を聴いた。

演奏には関係があまりないことだが、特筆すべきは、録音状態が非常に良いこと。
音楽が音楽なので、少しボリュームを上げ気味にして聞くが、60年代の録音とそん色ない感じで、十分聴きごたえがある録音となっている。

とにかくオーケストラの力量が凄いというのが第1印象。
この曲は「管楽器」が活躍する曲でもあるのだが、どの管楽器奏者もその技量は並大抵ではないとお見受けした。

もともと実力の高いオケだとは思うが、それにしても、こんな力をオケから引き出し、それが開始から終盤まで、持続できるのは、やはり指揮者の訓練力と実力、それに応えるオケの信頼感が無ければ、成り立つものではない。

こういうことが可能なのは、長年このオケの常任として活躍してきた指揮者に限られるようだが、はたしてどうだろう。

チャイコフスキーというと、甘く切ない、時には哀しいといった、感情表出の激しい演奏が評価される傾向にあった。

映画の付加価値も手伝ってか、ストコフスキーなどはその代表選手であろう。

この演奏は、かつて一世を風靡したとも思える、そのような感情表出を表面に出さない、「チャイコフスキー」という色を、かなりそぎ落とした演奏だ。

しかしながら、本来この曲が持つところの、ほの暗い心象、湧き上がる感情の汪溢は損ねてはいない。

すなわち、音楽に自らが浸ってしまうのを抑え気味に・・・こういうのをよく客観的な演奏とするものも多いが、それは適切な言葉ではないように思う。

非構成的なこのチャイコフスキーの音楽を、バランスよく再構築することで、スラブあるいはロシアの「チャイコフスキー」からワールドワイドな「チャイコフスキー」へと変身させたようなところを感じるのも、この指揮者の卓越した創造力によるものだろう。

指揮者のタクトに寸分たがわず、どのような要求に対しても、オケが忠実に従い、その響きが ・・例えるならば、コンヴィチュニー時代のゲヴァントハウス管弦楽団やドレスデン・シュターツカペレのような、少しくすんだ重みのある響きを出している。

多分上記のオケではないと思うが、音の響きからは、抽象的な言い回しになってしまうが、「ドイツの伝統」に加え、素晴らしい技術の両立を感じるところ。

全楽章が素晴らしいが、特に 3楽章のワルツは、運命の動機から解き放たれた開放感だけではなく、いまもなお運命から解放され得ないというような、弦パートのさざ波のようなボウイングが強調されるところが、この指揮者の尋常ならぬものを予感させる。

星のごとくある「チャイ5」の演奏で、小生は最近復刻されたレオポルド・ルートヴィッヒ/ハンブルグ国立交響楽団の演奏をよく聞いているが、この演奏録音は、多分これからも聴き続けることになりそうだ。

これは素晴らしい演奏・・・そのように評価しておこう。

種明
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フリッチャイ/BPO1949年録音
フリッチャイは「悲愴」が有名だが、いやいや5番もかなり素晴らしい演奏だ。
流石ベルリンフィル、フルベンンの後、チェリヴィダッケが常任となったころだろうか、このころのドイツのオケは、どれも素晴らしい実力を持ったものが多いようだ。
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by noanoa1970 | 2009-07-12 10:05 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)