評論家なるものに呆れる

今日もコンヴィチュニーの「新世界より」を聴いてしまった。
小生は昔からドヴォルザークのこの曲が大好きだ。

今まで何度聴いてきたことだろうと、推測ベースで数えてみると、2か月に1回づつ聴いてきたとすると、47年×6=282回。

年間10回と仮定すると、なんと470回聴いたことになる。

多分交響曲中小生が聴いた回数ではTOPランクに入る曲であろう。

あまたある演奏中、最もよく聞いた演奏は、フリッチャイのRIAS盤とBPO盤そしてこのコンヴィチュニー盤だ。

聴いた後、CD解説にはどのような情報が記載されているか、例のごとく、少々面倒くさいが、スキャナーで読み取ったものをPCで拡大して読んだ。

解説は某H氏…最近ではフルベンなどの復刻CD・・・良質の盤起こしを屋足り、音楽評論の著作を残している人であった。

読んですぐにガッカリした。
というのは
自分の考えを述べることはほとんど無いままに、コンヴィチュニーの演奏を評価した2人の評論家の正反対の意見を例に引いて語り、結局は自分の判断らしきものを全く書かなかったことだ。

おまけにデータの間違い・・・コンヴィチュニーの「新世界より」の国内初出は1963年と断言していること。
これはとんでもない間違いで、小生は1962年発売のコロムビアクラシック全集に収録されたもので聴いてきたから、間違いないこと。
念のためにLP発売年月を確認したので、間違いない。

不思議なのは、何の脈絡もないままに、コンヴィチュニーの「新世界より」のLPの初出時期を表記していることで、何か意味があるのかと考えたが、前後の脈絡に全く影響が無いままだ。

普通なら、自分が聴いたLPのことや、LPとCDでの音の違いなどに言及してもおかしくは無いはずなのだが、唐突に出てきてそれだけで終わってしまう。
単なる既知のデータの提示以外の何物でもない。

恐らくは発売もとからの情報をそのまま書いたものであろう。

既出の2人の評論家のコンヴィチュニー評価を、そのまま引用してしまうことや、決して核心に触れた自分の意見を表出しないところなどは、昨今のNETのブログ記事にも劣るものだ。
ここで小生は、おぞましいが「ゴーストライター」なるものの存在を疑ってしまうことになる。

このような文章は、プロの物書きの文章ではない。
一つの解説話としては、あまりにも醜すぎるのである。
発売もとか、本人かはわからぬが、誰か他の者に…それもドの付くような素人が書いたものに、名前だけを・・・箔がつくと思ったのだろうか、それともこのような解説文を書くことは、本意ではないと思っているのか、面倒くさいから名前を貸してしまったのではないかということを思わせるような文章なのだ。

何れにしても、…このようなことがあることはあまり考えたくないし、あくまでも小生の妄想の域を脱していないのだが、もしあるとすれば、クラシックファン消費者を根底から裏切る行為となる。

小生の勝手な妄想であり、これがそうでないことを祈るものである。

ここが駄目押し的に、1番大事な点だが、「コンヴィチュニーの(バンベルク交響楽団)この演奏内容は、手兵ゲヴァントハウスの時と全く変わりがない。」と言っている個所がある。

「演奏内容」などというわかりにくく、どうにでも取れるような言葉を平気で使っているところは、やはり素人の域を出ていない、この文章は、ゲヴァントハウスとの「新世界より」の演奏があって、それと比較して内容:(演奏は解釈は)・・・()中、小生・・・変わりがないのという話・・・そういう風に大いに誤解される文章であるが、コンヴィチュニーの「新世界より」は、現在バンベルク交響楽団の録音しかないのだ。(後にSKDとのライブ録音が発売になるが、この当時に認知されているものは、バンベルクのみである)」

だから演奏の基本的姿勢や解釈は、ゲヴァントハウス管弦楽団との…例えばベートーヴェンやブルックナーの時とあまり変わりがなくどっしりと構造的である…などと書かなくては真意が伝わってこない。

誤解のもとは、コンヴィチュニーの指揮ぶりがぶれないということの例えに、1952年のチェコフィルと1961年のウイーン交響楽団とのブルックナーの4番、「ロマンティーク」を例に出した、その後の発言であるから、余計に誤解を生むことになる。

「改めて聴いてみた」と書いているが、多分今までの経緯から推測されることは、このH氏、コンヴィチュニーの残した演奏を、1部を除きほとんど聴いてなかったと言わざるを得ない印象だ。

おまけに自分が見聞きした、ゲヴァントハウス管弦楽団の首席バイオリニストが率いたズスケ四重奏団の演奏を例に出し、コンヴィチュニーとゲヴァントハウス管弦楽団の特徴に当て嵌めることまでやってしまうのだから恐れ入ってしまう。

しかも1952年盤はハース版、1961年盤はノヴァーク盤であるが、それには一切触れずに、…もちろん解釈に大幅なブレが無いのは認めるが、この話を出した直後だから、知らない人は、ゲヴァントハウスとの「新世界より」との比較だと思ってしまう。

こんな評論解説は、素人の域をまったく脱してなく、素人が趣味的に書いたものならば、差し引いて読むことができるが、やせても枯れてもこのような仕事で飯を食っている人物だから、最近の評論界のレベルは相当に落ちていると、言わざるを得ない。

こうした真摯な評論解説活動をしないような人物に、評論やCDライナーノーツを安易に依頼し、出来上がった原稿にも一切クレームを付けずに、そのまま掲載してしまう発売もとの無神経さにも呆れてしまう。

最近の評論家や芸術音楽関係者なるものの、文章表現力の無さや、物事を誤解ないように、正確に伝えることの重要性認識の欠如には、相当に腹が立つ。

結局H氏が言いたいことを手短に言うなら、

・ドイツ伝統の味=地味で枯淡の演奏で、解釈がぶれない。(これを聴いてまだ枯淡とか地味な演奏と評すんだろうか)
・オケに任せっぱなしとの意見もあるが、そうとだけは言いきれなく、ところどころに自分の解釈を忍ばせるところが散見される。(いったい誰がいつオケに任せっぱなしと言ったのか、コンヴィチューしか出来ないところが多く散見されるのに)
・こうした演奏は、折に触れて取り出したくなる心温まる演奏だ。
録音状態も1961年の割にはとても良い。(そうではなくコンヴィチュニーの録音の中ではだろう)

結局は過去から言いつくされてきたコンヴィチュニー評価から1歩も前進していないのである。
せっかく素晴らしい「新世界より」を聴いた後の、プロフェッショナルとしての評価や感想がこの程度とは、いかにもプアー過ぎないか。

CD解説を、CDを購入し聴く人のために書き、それで原稿料をもらっているプロとして恥ずかしくは無いのだろうか。
「クラシック◎◎バカ」という本を書いているらしいが、それは自分のことではないのか。

こんな解説など苦労して読まなければよかったと悔やむばかりであった。
こういうものにお金を投入するなら、1962年当時のLP解説をそのまま記載してくれたほうがどれだけ良かっただろうか。
このシリーズ(オイロディスクヴインテージコレクション)の企画が相当良いだけに、至極残念なことである。
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by noanoa1970 | 2009-06-24 16:48 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(5)

Commented by ベイ at 2009-06-25 16:30 x
Hさんに昔原稿を依頼したことがありました。クラシックの小品集の曲目解説だったので、まったく問題はなかったです。最近自分で雑誌を刊行したり、SP復刻をしたり、活発な動きをされているのは知っています。時々暴走される(失礼!)のは気にはなっていました。
おっしゃるとおり、発売当時の解説のほうがよかったかもしれませんね。
Commented at 2009-06-25 22:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by noanoa1970 at 2009-06-26 09:31
pororompaさんご教示感謝です。
ご指摘の通りの計算でした(冷)
おかしいなと思いつつ、そのまま素通りしていました。
ところで、コンヴィチュニー盤はかなりのものですから、是非お聴きください。
お聴きになった感想など、また聞かせてください。
Commented by noanoa1970 at 2009-06-26 09:45
ベイさん
この解説文は、実にひどいものです。生を聞いたUNOKOHOUが以前LP手帳に書いたコンヴィチュニー評を例に出したり、アルタスが出した来日時の第9の解説者の話を例に出し、対比させるという独立した評論家がやるまじきことを平気でやってしまっています。1961年当時の費用など、ゲヴァントハウス/コンヴィチュニーの一面でしかないにもかかわらず、今頃になってそれもオケが違う「新世界より」にあてはめようとするなんぞ、この人ほとんどコンヴィチュニーを聞いてない証拠だはないでしょうか。
一体だれを想定しての解説なのでしょう。「新世界より」ファンもしくはコンヴィチュニーファンしか購入しないような演奏録音なのですから、それに新世界ファンでも相当いろいろな演奏録音を既に収集した人、そして巷にはそう多くはいないコアなコンヴィチュニーファン・・・恐らくは団塊世代以前の人が多くは購入することが分かっているのだから、(オイロディスクヴィンテージコレクションはそのような企画でしょうから)
Commented by noanoa1970 at 2009-06-26 09:45
それに見合ったそして重文耐えうる解説が求められるにもかかわらず、あのような手抜きをされるとは・・・ゴーストライターでないとすれば、相当いい加減な人だと思わざるを得ません。デーヤンの二の舞にならないといいのですが。