「ルドルフ大公」繋がりで

昨日聞いたベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」は、彼の良き理解者であり、パトロンであった「ルドルフ大公」に捧げられたものだ。

他にはその名もズバリ、「アーキデューク=大公」と呼ばれる有名なピアノトリオもある。

他にもルドルフ大公に捧げた曲は多いが、さらにベートーヴェンの32曲のピアノソナタのうち、彼自身が名前を津kれ他曲が2つあり、その一つが有名な8番「悲愴」。

そして本日聴くことにしたのが26番「告別」である。

32曲中自身によるネーミングは、たった2つしかないといわれていて、その1つがルドルフ大公に捧げられていることを考えると、やはりベートーヴェンは、大公に並々ならぬ・・・資金面以外のなにかに対する敬意と崇拝の心を持っていたことは明らかであろう。

しかも「告別」には、各楽章に副題が与えられていて
第一楽章『告別(Das Lebewohl)』
第二楽章『不在(Die Abwesenheit)』
第三楽章『再会(Das Wiedersehen)』とされている。

「告別」というタイトルで、小生は昔この曲は無き人への追慕の曲だと勘違いしていたが、どうもそうではなく、曲調からもそうは聞こえてこない。

終楽章の「再開」では、喜びに似た雰囲気さえも感じられる曲に仕上がっている。

会えなくなってしまったルドルフ大公に思いを馳せ、彼が帰還した喜びを素直に音楽で表現した。
・・・そんなことでよいのではないだろうか。

珍しくベートーヴェンの素直さと、ほんのスj腰のユーモアが読み取れる音楽と言えそうだ。

ただこのころの「旅」・・・はどこに行ったとしても危険が付きものであることは、容易に想像可能だから、まして身体の丈夫では無かった、ルドルフのことがとても心配だったのだろう。

データによれば、ルドルフは、6か月以上もの長い間にわたり、オーストリアを不在であったらしい。

外交的にも困難な情勢の中での、旅先や現地での生活などの詳細情報は乏しいだろうから、ベートーヴェンの心痛はかなり理解ができる。

ルドルフの、無事の帰還が相当嬉しかったのだろう。

思わず迷わずそれを曲にした・・・

下心なしのベートーヴェンの音楽がそこにあるようだ。

今日は、グルダも気になりつつ
ディーターツェヒリンのピアノで。

終楽章、出だしすぐ、「再会の嬉しさのあまり、心が千路に乱れる様子」をあらわすように、まるでミスタッチをするかのごとく弾かれるところがあるのが大変面白い。

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by noanoa1970 | 2009-06-20 14:21 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)