小山清茂さん逝く

d0063263_11364914.jpg
d0063263_1137654.jpg
日本の西欧音楽愛好家ならその名が知られる作曲家小山清茂さんが亡なられたと言うニュースを聞いた。

小生が小山さんの音楽を初めて聞いたのは忘れもしない1967年の春のこと、同志社大学レコード音楽研究会の日本音楽グループに所属した直後のころだった。

当時は日本人の西洋音楽作曲家の録音が・・まだその数は少なかったが、ボツボツとレコード屋に並び始めていたころ。

当時3回生のFリーダーのもと、手始めに聴いたのが、岩城宏之が指揮をしたN響の初ステレオ録音のレコードであった。

収録曲は
外山雄三の「ラプソディ」
小山清茂の管弦楽のための「木挽き唄」と「子守唄」
そして、吉田雅夫のフルートが活躍する
尾高尚忠の「フルート協奏曲」であった。

それまで西洋の…主に古典やロマン派の音楽を中心に聴いてきた小生を含むメンバーは、そこから流れる日本の民謡のメロディに、少し恥ずかしげな気持ちを持ちながら聴いたものだった。

今ではもう、そのような小恥ずかしい気持などは、湧いてこなくなり、日本人が西洋音楽....しかもいわゆるクラシック音楽を作曲をすることに、何の違和感も持たない、いやそればかりか、日本人の感性に折を見て触れたいという気持ちが強くなってきているが、当時は音楽=西欧人>日本人の図式が、知らぬ間に植えつけられていたようであった。

このことは多分に学校の音楽教育にその要因があり、歌曲を除く日本人の純音楽作品は、文部省が教科書に取り上げてこなかったことにもあるように思う。

N響がアンコールで取り上げるようになった外山雄三の「ラプソディ」は、それまで耳にしたこともあったが、西欧人向けに作られたサービスメニューという認識程度であった。

日本人作曲の西洋音楽については、ほとんど無知の状態であった小生たちに、大きな衝撃を与えてくれた第1歩のレコードは、よほど愛着があり気に入っていたのだろう、リーダーであったFが卒業するときに、他のレコードは置いて行ったが、これだけは持って行った程である。

Fはその中でも取り分けて、尾高の「フルート協奏曲」の2楽章が好きで、「このくだりには涙が出る・・・」と、良く言っていた記憶がある。

そしてもう1つが、小山さんの「木挽き唄」だった。

「どうだこの曲いいだろう・・・」といわれても、残念なことに西欧かぶれ気味だった小生たちには、その当時ピンとくるものがなかったが、それから何年かたった後に、フトそのレコードを思い出してレコード屋に行ったが、キングレコードから発売当時「N響初ステレオ録音」そして「日本人作曲家シリーズ」の草分けシンボル的存在として、豪華箱入りで出ていたものではなく、ペラジャケットに入れられたものに変更されたものしかなかったが、それを入手した。

しかし10年ほど前、中古レコードショップを覗くと、懐かしいあの箱入りのままのレコードがあるではないか。

定価より少し高い値段が付いていたが、ためらわずに入手した。

箱の中にはレコードを入れる紙製の中ジャケットがあり、そこに表記されているのは、すべてが英語表記。
添付される解説文も表は英文表記、裏が日本語表記となっているから、いかに西欧人を意識したものかがわかろうというもの。

キングレコードは、時々1枚だけのレコードを豪華な箱に入れて発売したが、コノレコード葉その元祖であろう。

残念なことに、メンバーの興味は「黛、芥川、間宮、三善、武満」などに移り、小山さんの音楽は、「木挽き唄」そして「子守唄」…それしか聞き及ぶことは無かった。

今改めて聴きなおしてみると、日本人の感性、、、というより、幼いころ育った土地で自分が聞いた音のレビューであるように聞こえる。

樵が山に入り、間伐材を切りだす時鋸の音が、弦楽器の、不協和音的だが妙に哀愁のある音に変化して聞こえてくるし、農民が豊作を祝うお祭りで笛太鼓に合わせて踊り歌うさまを素直に表現している。

これらを、音楽的手法的に見れば、その後邦人作曲家たちも影響を受けたであろう、バルトーク、コダーイ、ヤナーチェク達に一日の長はあるものの、ズバリ感性を刺激し、すんなりと入ってくるその音楽はやはり日本人の何かがそうさせるのだろう。

奇をてらわない作風が、返って素晴らしいと思うし、改めて他の作品を聴かなくてはならないうちの一人である。

学生サークル時代に、「邦人作曲家が、今何を念頭に置いて作品を作ろうとしているのか」というアンケートを200通程出したことがあった。
半分ほどの返信があったと記憶する。

もちろん、小山さんにも出したはずだが、返事があったが否かは今では記憶がない。

[PR]

by noanoa1970 | 2009-06-10 11:27 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)