「聖パウロ」を聴く・・・回心と転向をめぐって

1970年代初期、各所でぼっ発していた大学紛争がその終焉を遂げようとしていた時でもあった。
セクトの活動家はともかく、全共闘として活動した学生は、就職活動という宿命には逆らえなかったようで、今までの過激とも思えるような学生運動の潮流から、その大半は意識的に身をそらすようになった。

そのような潮流の中、それでもかつて自身が参加したさまざまな形態の活動を、あるものは懐かしみ、またあるものはあの時は仕方なかったといい、そしてあるものは自己矛盾を起こしながら、ひっそりとした日常生活に埋没しようととした。

中には女性を求めて、4畳半のアパートで同棲生活に入った者もいた。

そんな中、多くの学生が漠とした挫折感を味わうこととなったのであった。

それでも純真な彼らの多くは、確固とした考え方が希薄のままで時代の波に流された自分に対しての反省と自己喪失回避の大きなよりどころとして、手中にしたのが、橋川 文三の「日本浪曼派批判序説」、 磯田光一の「比較転向論序説」、吉本隆明 の「転向論」、遠藤習作の「沈黙」や「海と毒薬」、あるいは秋元 松代の戯曲「 常陸 坊 海 尊」などであった。

これらの著作は「転向」という概念でくくられるものだ。

メンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」を聞き及ぶこととなり、「パウロ」について調べてみると、彼はかつてユダヤ教徒であったがキリスト教徒に改宗し、キリストの弟子として加わり、新約聖書の中で重要な著述をした人物であることが分かった。

メンデルスゾーンもやはりユダヤ人でユダヤ教徒からプロテスタントに改宗した人物だ。

そのころのドイツではカトリックとプロテスタントの大きな反目もあったのに、プロテスタントに改宗した理由は定かではないが、恐らくは北ドイツ地区の宗教状況からであっただろうし、また商業的理由もあったと推測され、メンデルスゾーン自身においては、大バッハへのオマージュとが重なっていたことによるのかもしれない。

改宗は我々・・・日本人が考えるほど安易なものではなかったはずで、宗教=生活のヨーロッパ人にとっての改宗は、得られるものと引き換えに・・・多分それ以上に精神的苦痛や、さまざまな軋轢などの大きな犠牲を伴なったことだろう。

改宗は回心であると同時に、一種の転向である。

パウロもメンデルスゾーンも改宗、回心、転向を余儀なくされた、同じ境遇の人物としてみれば、メンデルスゾーンが「聖パウロ」を題材にした長大なオラトリオを書きあげた理由は、なんとなく想像がつきそうだ。

メンデルスゾーンはパウロの中に、パウロ的回心・・・つまりユダヤ教からキリスト教へと改宗した自分を、なんとか正当化したいという欲求に駆られ、救いを求めたたのではないか。

メンデルスゾーンは改宗した後も、改宗名を使用することを拒み、「メンデルスゾーン」という、明らかに誰にでもユダヤ人とわかる名前を用いたとされる。

このことは改宗したことへの、メンデルスゾーンのせめてもの旧ユダヤ教徒としての抵抗を表わすものだろう。

彼の心のうちには、改宗=善ではないもの、という図式が常にあったのだろう。

改修後の演奏会におけるカトリック教徒の妨害などを経験すれば、何のための改宗かという疑問と、後悔の念が、頭をよぎることは多かったであろう。

改宗=善という図式を得るためのよりどころとして作ったのが「聖パウロ」であった…このような推測が仮説として成り立つように思っている。

メンデルスゾーンは、聖パウロをモチーフとした作品を完成したとき、「目から鱗が落ちたような・・・」気分になったのではないだろうか。

「目から鱗・・・」は、キリストによってパウロにもたらされた効能の逸話である。

バッハのオマージュとしての引用を随所にちりばめ、親しみやすいメロディと和声で書かれ、恐らくプロテスタント庶民にも理解されやすい形で書かれたこのオラトリオは、近年でこそ接する機会にも恵まれているが、かつては音盤も演奏会もほとんどない状態であったように思う。
しかしメンデルスゾーンを語る上では、欠かせない作品であるように思われる。

小生の大好きなヤノヴィッツとゲヴァントハウス管弦楽団のライブ演奏の録音しか聴いてはいないが、これで十分すぎるほど素晴らしい。

合唱がマズアらしく、少年合唱隊であることも、静謐感があって心地よい。

テオ・アダム(聖パウロ)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ローゼマリー・ラング、
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ、
ゴトハルト・シュティア、
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター
演奏 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮 クルト・マズア
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by noanoa1970 | 2009-05-27 16:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(5)

Commented by yoshimi at 2009-05-28 09:48 x
こんにちは。
今の学生さんに「転向」という言葉を言っても、よく理解できない時代になりましたね。私もまだ幼少のみぎりだったので、当時のことは立花隆などの書籍から得た知識しか持ってはいないのですが..。
この記事を拝見して、学生時代によく読んだ高橋和巳の「我が心は石にあらず」をすぐに思い浮かべてしまいました。これは一種の転向というか、挫折ものですね。何度も繰り返し読んだので内容は今でも良く覚えています。それ以降はあまり読むことはなくなってしまいましたが。

私はこの曲を聴いたことはありませんが、ヤノヴィッツは何枚かCD(シュトラウスの「四つの最後の歌」など)を持っています。透明感のある清楚な歌声はとても素敵ですね。

それから、掲示板に書き込んだことはないので、HMの方は私ではないですね。なにぶん、よくある名前ですので...。
Commented by noanoa1970 at 2009-05-31 18:23
気ままな生活様
先日は訪問いただきありがとうございました。
実はいつ訪問を、と思っていたのですが、ちょうど小生の愛聴しているブラームスのヴァイオリンソナタの記事がありましたのでその機会を見つけました。
カッチェンというピアニストを強く意識したのがこの録音と、スーク・シュタルケルとトリオを組んだだブラームスのピアノトリオでのことでした。

その後小生のお気に入りコンヴィチュニーにカッチェンとの協奏曲が出るに至り、45年前カッチェンというピアニストの確かベートーヴェンの協奏曲を聴いてその名前の記憶があることを再認識しました。あまり名前が知られてないようですが、彼の実力もう少し正当に評価されてもよいと思う次第です。

Commented by noanoa1970 at 2009-05-31 18:23
エントリーの録音におけるスークのヴァイオリンですが、この録音でのスークのヴァイオリンを暖かいと表現できるのは、かなりのお耳の持ち主、そして何しろオーディオ的に恵まれないと、単線的な音に聞こえる事が多いらしいです。小生この曲は好きなほうで、かなりの録音を入手しましたが、最近復刻され入手したアイザック・スターンとルービンシュタインとともに、ピカ一の演奏だと思っています。

ちなみに小生所有のCDは、ジャケットにクララシューマンらしき女性がピアノ家事をしているような絵がある、DECCA盤です。
Commented by yoshimi at 2009-05-31 20:06 x
noanoa1970様、こんにちは。
私のブログへご訪問いただきありがとうございます。コメントをせっかく書いていただいたのにすみませんでした。多分クララの部分の「女性」で禁止語に引っかかってしまったのだと思います。

スーク&カッチェンのヴァイオリン・ソナタは、第1番の冒頭を少し聴いてすっかり虜になってしまいました。カッチェンのピアノには、以前の演奏では見られなかった柔らかさと繊細さがあって、全く驚きです。
スークのヴァイオリンの響きや音楽の作り方も好きになってしまい、ベートーヴェンやドヴォルザークのヴァイオリン・ソナタなど、いろいろ録音を集めているところです。
私もスーク&カッチェン&シュタルケルのピアノ・トリオのCDを持っていますので、このヴァイオリン・ソナタ集の次にじっくり聴こうと思ってます。

私のオーディオはハイエンドではないんですが、ARCAMとDALIで構成していて、小ぶりながらとても良い音を聴かせてくれます。直前にシュナイダーハンを聴いていたせいもあってか、スークの響きに暖かみとか柔らかさを感じたのでしょう。
Commented by yoshimi at 2009-05-31 20:08 x
(長くてすみませんが、先ほどのコメントの続きです。)

ブラームスは20年以上前に第3交響曲を聴いて以来、ずっと好きな作曲家です。カッチェンはブラームスのピアノ曲全集で昔から有名だったのですが、私はうかつにも最近知ったピアニストです。早世して新譜が出ていないので、今はあまり知られていませんね。
彼のレパートリーは幅広くて演奏内容も良いものが多く、忘れられてしまうにはとても惜しいピアニストです。

またお寄りさせていただくと思いますので、よろしくお願いします。