人気ブログランキング | 話題のタグを見る

インフルエンザ騒動に思う

リスクヘッジ策として、最悪の事態を考えておくことは重要だろう。
状況を見ながらそれを緩和したり規制を解除していくというやり方は、その常套手段だといわれているからだ。

今回の政府のこれまでのやり方を見ると、いつもの・・・・いつも情報を小出しにするから、時間を追うごとに事態が重大になっていき、取り返しがつかないことが多かったのに比べ、相当な進歩であると一定の評価はできるだろう。

深夜の政府会見などは、万人受けを狙った政府のヤラセではないかとさえ思うこともあったぐらいだ。

しかし、いまだ意思決定の仕方は、自力では出来ないようで、諸外国などのある権威に大きな依存をしているように思われる。

これは意思決定の仕方が、民主主義的・・・すなわちある集団の総意のもとでしか決定されない、我が国の長い組織上の歴史を物語ることでもある。

「船頭多くして・・・・」、「会議は踊る」などという言葉通りのことが、たとえば国家的危機状況の時にさえ行われないとは限らない。

なんでも官僚が悪いとは言わないが、このような日本的思考パターンを作り上げてきたのは、官僚機構であることは推測が容易だ。

いつものことだがそれに加えて、マスコミの各メディアの愚かさがそれを助長する。

その例はいくつかあるが、たとえば
アメリカから帰国した女子高生のインフルエンザ感染について、成田から自宅に帰るまでの女子高生の足取りを、実際にトレースする映像。

TV3面記事的バラエティ番組化したこのような報道、一体何のためにやっているのだろう?
移動経路や使用した公共交通機関名をあからさまにすることで、またそれを声高にTVという巨大メディアで流すことによって得られるものといえば、悪戯なパニック煽動そのものでしかないことぐらいわかっているはずなのに、マスコミというヤツは、自らの立場と報道による結果のことをまったくわきまえない。

批判をしたかと思うと、返す刀で面白おかしく煽動する。
彼らのあくどさは、あるキャスターのいいわけに象徴的だ。

自らがマスコミの片棒担ぎの最先端にもかかわらず、口先だけでマスコミ批判あるいは自己批判めいたことを言って、自らの欺瞞を見破られないがごとく、自分の身の保全を図ること。

このような番組キャスターが一番危険人物であることを、見抜く必要がある。

インフルエンザの報道に関して、政府の最悪の事態想定のリスクヘッジ策をそのまま鵜呑みにした、過熱報道。

先にあげた帰国女子高生の足取りの追跡もそうだが、このようなことばかりしているから、世の中の受け止め方はそうでもないにもかかわらず、インフルエンザに感染した生徒を排出することになった高校の校長は、まるで社会的責任があるかのように、記者会見で涙を流すことになる。

あの姿を見て、校長の人柄のよさを感じ得た人もいるだろうが、小生は背景にあるマスコミの暴力の影を見てしまう。

マスコミの報道に関する意思決定にも、恐らく忌まわしき日本型意思決定方式・・・官僚的民主主義があり、しかもそれが資本の論理によってほとんど支配されているからたちが悪い。

国家的危機状況下で、一番右往左往するのは、我が国のマスコミではなかろうかと大いなる心配をすることになる。

また今回のことで学ぶことといえば、危機管理の方法であるが、いくらマニュアルが出来ていてそれを忠実にに実施しようとしても、初期段階でそれが絵に描いた餅、人、物、金、情報各分野で破綻をきたすことが明らかになったこと。

国家的危機は、歴史から学べば十分そのほとんどが予想可能なはずであろうから、マニュアルがいくつあっても、訓練でそれに慣れていたとしても、すぐに実行不可能になるようなものでは全く意味がない。

マスクと手洗い、うがい・・・それが本当に当面のインフルエンザの防止策だとすれば、マスクがないなどという状況が起こっているのは全くおかしな話だ。

マスクなど効果がないと思っていたに違いないことは、疫病危機管理策として、マスクの備蓄が政府によってなされてないことから見ても明らかではないか。

マスクマスクと一方で言いながらマスクが市場にない状況
これはほんのひとつのささいな現象の例にすぎないが、これこそが人的大パニックを引き起こす小さな要因であることに気がつかなくてはならない。

インフルエンザ発症地区でのマスク使用率が高いというが、人間はそんなものである。
自分に害がないと自分で感じている間はさほどでもないが、実際はそうでもないにもかかわらず、何かの力によって、自分がそう感じ始めた瞬間、突然意識が目覚める。

そのような仕掛けを、いとも簡単に可能にするのは、メディアが最先端であろう。
今やこの国の運命を握っているのはマスメディアといっても過言ではない。

しからば、マスメディアの社会的責任・・・こんなことを個々には真剣に考えているマスコミ人も居るのだろうが、集団となるとそのような考え方は成立しなくなる特徴を持つから、希望的観測にしか過ぎないが、このような時期だからこそマスコミの原点(それがあると期待しつつ)に立ち返る勇気をもつ時ではなかろうか。

マスコミが自らの批判をしながらも、平気で日常に埋没することのあくどさを見抜かなければならない。

by noanoa1970 | 2009-05-22 10:54 | トピックス | Comments(0)