me her

いまではもう死語に近くなってしまったのか、その昔よく聞いた言葉がある。
ちゃんとした記憶ではないが、たぶん昭和20年代のことだったと思う。

そのころ父親は、ある製鋼会社に勤務していて、人事畑の職務に就いていた。

終戦後労働運動が盛んになったころで、組合が赤化していく中、労使交渉などが過激に行われたようで何かと大変な時期だったと聞く。

そのころ田舎の農家の離れから、社宅へと引越しをして家が少し広くなったのと、同じ年ごろの子供がたくさんいて、小学校は遠くなってしまったが、それなりに快適に過ごすことができた。

そんな時代小生が今でも覚えている言葉がある。

「みーちゃん、はーちゃん」という不思議な響きをもった言葉であった。

父親がよく使っていたようで、それを聞いて覚えたのか、母親までもがその言葉を使うようになった。

何度も聞くうち、その言葉のよさそうな感じのする響きとは関係なしに、どうも悪いことを象徴する言葉のように感じ、そのことを問いただすことはなしに、そのように思っていた。

Aさんは「ミーチャンハーチャン」だから・・・。
「ミーチャンハーチャンじゃあるまいし」・・・。

その言葉の意味が、他人を少し見下した表現だと確信したのは、「ミーチャンハーチャン」が「ミーハー」という言葉に置き換えられ耳にするようになった大分経ってからのことであった。

一説には「ミーチャンハーチャン」はそのころ・・・(昭和初期とされる)ミーあるいはハーという発音がある名前が流行した・・・あるいは多かったから、大衆的の総称として使われたとされているようだ。

大衆的だからされでもわかるような平易な諸相をさし、だから迎合的すなわち流行色の強い、感性的状態から行動様式までを指すものと思われる。

しかし、「ミーとかハーとかという名前が多かったから」というのには、小生はどうしても納得できかねる。

「ミ(ー)」なら、ミヨ、ミチなどたくさんあるだろからまだしも「ハ(ー)」が付く名前がそんなに多くて大衆的だとは思えないからである。

この説は後付けのこじつけ説であろう。

それよりも説得力があるのは「meとher」が語源・・・というより引用だが、その説を採りたいと思う。

大正~昭和の流行語に「モボ、モガ」という言葉があた。
今では死語に近いがなんとなく愉快でリズミカルな響きの言葉だ。

ご存じのとおり、「モダンボーイ、モダンガール」の省略語で、西洋化および和洋折衷の文化の中で、先進的ファッションセンスを取り入れた人をそのように称した言葉で、良い意味と逆の意味両方を備えていたように思う。

さて「ミーチャンハーチャン」あるいは「ミーハー」は「モボモガ」の亜流傍流なのではないか。

そしてその言葉はいずれも、そこから来る斬新な響きの奥に、「批判」「揶揄」がこもっているのである。

流行をいたずらに追う若者あるいはバカ者の生態を、その昔演歌師たちは唄にして盛んにうたい歩いた。

d0063263_1434835.jpg
添田唖蝉坊はそういった代表的な演歌師である。
「現代節」という唄があるが、それを高田渡が取り上げ、ウッディ・ガスリーの曲を借りて歌った歌がある。

「新案特許よくみれば、小さく出願中と書いてある アラほんとに現代的だわね」
「貧にやつれて目をくぼませて、うたふ君が代千代八千代 アラほんとに現代的だわね」


「アラほんとに現代的だわね」という女性言葉を使うのも「現代的」だが、「現代的」という言葉に封じ込めた社会風刺はとてもサビが効いている。

わざと婉曲な表現にしたのは、巷で歌っていて官憲にしょっ引かれることから逃れるすべであったのだろう。

高田渡は明治大正期の演歌師から多大な影響を受けていて、それが彼のフォークの原点だといってもいいのだと思う。

さらに面白い唄がある。
作詞作曲は「なぎら健一」とされる歌、彼も高田渡もうたった曲で、「流行りものには目がないわ」と題された歌である。

これも恐らく唖蝉坊の影響を受けて作られたものと推察する。

短びのパンタロン
それに不似合いなハイヒール
大きいだけが取り柄のチョウネクタイ
アメ横で買ったラメのシャツ

流行りものには目がないわ
いつでもかっこよくいたいんだわ
頭がチョイト足りないから
その分カバーするんだわ
頭が少し弱いからその分カバーするんだわ


モボ、モガ、ミーチャンハーチャン、そしてミーハーから続く、流行だけをひたすら追い求める人への風刺歌である。

そして流行を追い求める・・・というより遅れないでいようとそのスタイルは変化したようだが、いまだそのような人種は、絶え間なく存在している。


補足:宮川泰 が1960年代「安井かずみ」の詩に付けた曲「若いってすばらしい」があり、なぎらのこの曲はそれにそっくりである。

小生は初め「なぎら」のパクリだと思ったが、調べると作編曲宮川泰 となっていた。
これから推測すると両者のオリジナルは、アメリカンのカントリー音楽からのものだったのかもしれない。(調査中)

「唖蝉坊は生きている」と題されたCDが発売されているらしいが、まさにドッコイ唖蝉坊はいまだ現代に生きている。

[PR]

by noanoa1970 | 2009-04-19 14:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)