メンデルスゾーンの音楽の影

生誕200年に当たるメンデルスゾーン。

しかしメンデルスゾーンの音楽は、小生今まであまり熱心に聞いてこなかった。

クラシックを聴き初めのころには、学校の音楽の時間に、メンデルスゾーンといえばバイオリン協奏曲だと教えられたこともあって、すぐのちに交響曲3番スコットランドそして4番のイタリアなどのタイトル付きの曲を聴いただけに終わっていたのだ。

ロマン派の作曲家で、他のドイツ音楽の有名作曲家と比較すると、どうもあまり評価がよろしくないのを感じるところがある。

しかし小生は、ある時スメタナとヤナーチェク四重奏団の共演による弦楽八重奏を聞いてメンデルスゾーンに対する考え方を新たにした。

そんなこともあって、生誕200年の節目に当たる今年、入手したのがメンデルスゾーンの全集盤だ。

この全集には以前から聞きたかった彼のカンタータにオラトリオが2曲も収録されていて、普段ならたぶん入手しないようなオルガン曲集、弦楽四・五重奏集なども収録されている。

特に注目したのは、やはりオラトリオの「聖パウロ」そして「エリヤ」さらにカンタータ「最初のヴァルプルギスの夜」であった。

ユダヤ教徒であったメンデルゾーンは、わけ合ってキリスト教に改宗することになるのだが、そういう出自のメンデルスゾーンが作ったキリスト教に密接に関係する作品とは一体いかなるものであるかという関心があったからである。

「エリヤ」は旧約聖書に登場する預言者で、「キリスト」の再来的に扱われることもあるし、新約聖書と旧約聖書の橋渡し的存在でもあるとみてよいのかもしれない。

モーゼとエリヤだけが両方の聖書に登場することからもそれは言えるのではないだろうか。

のちにメンデルスゾーンは、未完のオラトリオ「キリスト」を作曲することになるが、「エリヤ」の前に最初のオラトリオ「聖パウロ」を作曲する。

小生はこのことはメンデルスゾーンのユダヤ人としてのアイデンティティ、そしてユダヤの神に反するようにして、やむを得ず改宗した自分に対しての義憤表れではないかと強く想像する。

異邦人の使徒パウロを題材とした最初のオラトリオ「聖パウロ」では、ユダヤ人の宗教観を表出しながら同時に、キリスト教信仰を恣意的に示した。

そして「エリヤ」でユダヤ民族の指導者旧約聖書の預言者エリヤを主題することによって、ユダヤ民族でありキリスト教徒という複雑な立場を守ろうとしたのではないか。

守る相手とはだれか
それはユダヤ教徒からでありキリスト教徒から・・・すなわち両民族宗教からの陰日なたない抑圧と差別からであろう。

メンデルスゾーンの家系がいかに裕福であっただろうが、キリスト教共同体からは、特殊な目で見られ、ユダヤ教徒からは、自分のアイデンティティを売り渡した裏切り者のような目で見られたか、あるいは自身でそのように感じるところは多分にあったのだろうと推測される。

宗教的民族的差別は、我々日本人が思う以上に激しく醜いものがあると思わなくてはならない。

そんな中でメンデルスゾーンは、一見すると優雅で美しいさして人生の苦労などは感じない音楽を書いてきたと思われることが多いのは事実であるが、たとえばあのホ短調のバイオリン協奏曲でさえどこかしら悲哀のようなものを感じさせることがある。

「走る悲しみ」と、ある人がモーツァルトの音楽を評したことがあるが、メンデルスゾーンの音楽には甘い香りの花があるが、同時にその根や果実は毒が隠されているのだ。

カンタータ「最初のワルプルギスの夜」はその典型的だと小生は思っている。

ゲーテの散文詩を題材にしたワルプルギスの夜とは、知られているように、ドイツの伝承では、ヴァルプルギスの夜はメーデー前夜の4月30日の夜で、魔女たちがブロッケン山で集い、彼らの神々とお祭り騒ぎをするというもので、今やお祭りの一つにもなっているほどである。

しかしゲーテやハイネが言う通り、「魔女」とは、非キリスト教徒民族集団が、キリスト教共同体から締め出され、おそらく山岳地方など人気の少ない所に移住していったのであろうその異宗教・異民族はキリスト教共同体からの追跡・・・改宗や迫害差別などから逃れるために、ある集団は武装し、ある集団は姿形を変化させたりしながら歴史的抑圧から耐えようとしてきた。

ゲーテはそのような意味のことを、異民族集団は異世界の体を装って、迫ってくるキリスト教民族集団を撃退した、これをキリスト教共同体は「悪魔」「魔女」といって歴史文化から抹殺しようとした。
…そのような意味のことを言っていて、これはハイネもヘルダーにも共通していることである。

作品ではブロッケン山にい集まる「魔女」「悪魔」はドルイド教徒だとされるが、ドルイド教は、歴史上古くからある自然神を信奉する宗教で、ケルト人もドルイド教を信奉していて、神木を「樫」とする集団もいたとされる。

カンタータ≪最初のワルプルギスの夜≫ 作品60は以下の構成である
1 序曲
2 第1部:「五月はほほえむ」 (一人のドルイド教徒、女たちの合唱)
3 第2部:「あなた方はいとも大胆に振舞えますか?」 (一人の老いたる女、女たちの合唱)
4 第3部:「今日、いけにえを捧げるのを畏れる者は」 (ドルイドの一人の僧、ドルイド教徒の合唱)
5 第4部:「男たちよ、ここに散らばれ!」 (一人の僧、ドルイドの見張りたちの合唱)
6 第5部:「この愚かなキリスト教の僧たちを」 (ドルイドの見張りの一人、一人の僧、見張りたちの合唱)
7 第7部:「万物の神を夜にひそやかに崇めるにふさわしく」 (一人の僧、合唱)
8 8部:「助けてくれ、助けて」

ドルイド教信者たちがキリスト教徒の侵略を阻止するために悪魔に変装し、驚いたキリスト教徒たちを退散させるという話。

つまりメンデルスゾーンはゲーテの力を借りながら、巧妙にかつしたたかに音楽的にキリスト教批判をしたのではないか、その理由はユダヤ教徒の自分が、やむを得ずキリスト教徒に改宗したことに対するアイデンティティの復活的な意味があったのではないだろうかと、小生は推理する。

最近ではようやく、ほうぼうで聞くことができるようになったのは喜ばしいこの曲。
音楽的にも優れていると小生は思うのだが、それ以上にメンデルスゾーンの隠された心境を表出した音楽としても、小生は高く評価したい。

合唱の部分では、後世「カール・オルフ」が作曲した有名な「カルミナブラーナ」の土俗的なリズムの前身のようなところが所見され一瞬だが、メンデルスゾーンとは思えない展開を見せる。

はたして、メンデルスゾーンがどのような思いと意図を持ってこの作品を作ったのかは確信はもてないが、「聖パウロそして「エリア」、未完の「キリスト」の流れから推測すれば、「最初のワルプルギスの夜」でメンデルスゾーンは大胆になり、ユダヤ人としての自己アイデンティティの保持に熱心になり、その象徴としてドルイド教徒への憧れ郷愁共感賛美につながり、作品にしたのではないかと思っている。

メンデルスゾーンに対する考え方が、かなり変わりそうな予感。
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by noanoa1970 | 2009-03-22 15:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)