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贋作-Ⅳ

贋作-Ⅲより続く
「鑑定団」は真贋を裁くことをひとつの「売り物」にしたことで世間の評価?を得ているのかもしれない。しかしこれとて「本物が偽物に」、「偽物が本物に」入れ替わる懸念は誰でも容易に持つことだろう。

他人から善意で貰い受けたものの評価を依頼する・・・・到底考えられないほど無礼なことが
公共の電波で流れる・・・そんな人を見るといったい何を考えているのだろうとつい思ってしまう。が、それでも見てしまうのだから、いささか厄介である。

「白洲正子」の師として彼女が尊敬する「青山二郎」という人は、鋭い審美眼の持ち主だといわれ、「真贋などは作品が自ら語る」というような意味のことを、ところどころで言っています。
良いものを徹底的に見ること=すなわち自分の感性を磨き、自分の美意識、価値観を高レベル、にしていく力になる・・・・・と
小林秀雄とも深い交流があり、後に仲たがいするまでは、心眼(真贋)論争なども展開したという。このあたりは白州正子の「なぜ今、青山二郎か」に詳しい。贋作-Ⅳ_d0063263_842532.jpg

さてクラシック音楽の世界にも「真贋」論争がついて回る。有名なのは、小生などは学校でそう教えられたハイドン作と伝えられていた「おもちゃの交響曲」が、実はモーツァルトの父、レオポルド作であったとか、モーツァルトの「管楽器のための協奏交響曲」モーツァルト作でないといったりしている。小生は何度聴いても、とりわけ「ペーター・マーク」の演奏を聴く限り、どうしても他の人が作曲したものとは思えないのだが、どうやらそうでない風潮が主流を占めつつあるようだ。贋作-Ⅳ_d0063263_8393744.jpg

「青山二郎」風に言うと
「おいおまえさん、自分の耳で何回も聞いて本当に実感としてそのように聴こえ、その結果そのように思うのだな」・・・・先ず作品をジックリと聞け、その作品自らが語らないうちはお前の耳は「ロバの耳」だよ・・・・とそして他人の目(耳)を信じるなとも・・・・

小生など典型なのだが、・・・ありとあらゆる先入観に、わが感性は侵食され続けているわけです。幼いころの「純な感性」など、もはや望むべくもないし、望む方が可笑しいのだろう。
しかし、今一度自身で「感性の復権≒振り返り」が必要なことに気づくべく、何かしようと思い、最近は幸いなことに、ほとんどの作品をCDで耳にすることが可能だから、自分の感性を出来るだけ磨いててみようと思ってる今日この頃です。

by noanoa1970 | 2005-06-19 08:51 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)