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爆演指揮者と言われた男

古くは「ヘルマン・シェルヒェン」、「コンスタンティン・シルヴェストリ」、「レオポルド・ストコフスキー」。

比較的新しいところでは、「エンリケ・パディス」、「ゴロヴァノフ」の演奏が「爆演」と言われてきた。

「爆演」とは何かを論議することは必要であろうが、ここはとにかく「一風変わった演奏」あるいはアゴーギグ、強弱、テンポの動かし方が楽譜に書かれた領域をはるかに超えた演奏であると、仮にしておくが、大なり小なりの味付けはすべての指揮者が施すところであるから、人によっては、上にあげた指揮者以外に多くの人を挙げることもあるだろう。

そして本日書こうとしている「カルロス・パイタ」(クリックでカルロスパイタ公式サイトへ)は、シェルヒェンと並んで、一番多く聴くことになった指揮者である。

昨日から数曲を聴いてきたが、中で本日は「ブラームスの交響曲1番」を取り上げることにする。

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スイスのLodiaレーベルLO-CD 779
ナショナルフィルハーモニックオーケストラ
録音: 1981
於キングスウェイホール

パイタの演奏ほぼ全般に言えることなのだが、きわめて特徴的なのは、
「ティンパニーの強打音」
「低弦パートの唸るボウイング」
「華々しい吹奏楽の行進曲のような音づくり」
「総じて早いテンポ設定」
「弱音のニュアンス・表情付けの欠如」
「意外な箇所でのアゴーギグ」
「意外な箇所でのデュナーミク」
「<>松葉の多様、ただし弱音にはならない」

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以上のことが常に絡まっているので、聴いた感じとしてはいつも「スカッとしている」が、これはアルゼンチン生まれという血によるものなのだろうか。

ブラームスはというと、ちっともブラームスを聴いているという感じになれない。
ベートーヴェン7番交響曲のときも同様、この演奏からはベートーヴェンの曲を感じることは相当苦しい。

金管楽器の咆哮、ティンパニーの強烈な連打音、ゴトゴリゴツゴツとする低弦パート、ドイツなど正当的オケのほとんどの指揮者のブラームスからは相当遠い距離にあるように思われる演奏だ。

しかし過去のオーソドックスなブラームスを聴いた耳には、帰って新鮮に聞こえたのだろうか、またオーケストラの音響にダイナミズムを要求する人や、吹奏楽が大好きな人などは、こういう演奏も好きになるのかもしれない。

雨あられと常時降り注ぐ音響の中に身を置くことができるのは、こういう演奏のメリットであるが、食べ過ぎた後に胃腸薬を飲むように、こういう演奏の後では、箸やすめのようなものが欲しくなる。

いや、こういう演奏は、前もって胃腸薬を飲んでおかないと、消化不良を起こすことになり真似ない。

逆にいえば、普段食べなれている食品とは違う変わり種、ゲテモノ・・・人間にはこのような欲求が多分に隠されていると小生は思っているのだが、そんな食べ物を求めるのも悪食わない。

しかしやはり、それを日常とするには、限界があるというもの。

「パイタ」の演奏がそれである。

by noanoa1970 | 2009-02-28 13:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)