眠りの精もしくは砂の妖精に関する覚書から

讃美歌 第2編59番 「すべてのもの統らすかみよ」は、ブラームスの交響曲1番終楽章の有名な旋律からとられている。

この旋律をベートーヴェンの第9交響曲終楽章の「歓喜の歌」との類似性から、ブラームスがベートーヴェンをリスペクトして用いたとする向きもある。

またブラームスの作品49「5つの歌曲」の第4番目の歌曲「子守唄」は讃美歌となったというし、ブラームスのコラールは「今装いせと」、「血しおしたたる」と同一である。

小生がなぜブラームスの曲と讃美歌聖歌の関連性を述べたかというと、それはブラームスの「眠りの精」という子守唄風の小曲を、エリーナイのピアノ演奏で聴いていて、この曲は讃美歌のようだと感じたことと、この曲が先に述べた交響曲1番終楽章の有名なメロディーととてもよく似ていたこと。
そしてそこからベートーヴェンの9番の交響曲終楽章「歓喜の歌」との関連性に行きつき、そしてさらに、ドーヴァー海峡をわたったイングランドの作曲家ホルストの「惑星」のジュピターの中間部の美しい旋律に及んだのだった。

頭の中をいろいろ駆け巡らせた結果、妄想的仮説なるものを考え付いた。

「眠りの精」はもともとアントン・ツッカルマーリョ編集の「ドイツ民謡原曲集」に収録されたものを、ブラームスが編曲したものだ。

その曲にフリートリッヒ・シュペーという人が「ベツレヘムに生まれたもう」という詩を付け、それがドイツのクリスマスキャロルとなって、今もあるという。詩がつけられたのは1637年のことだそうだ。

シュペーという人物は詩人とされていることが多いが、魔女裁判を実施した裁判官でありながら、のちに魔女裁判に対し反旗を翻した人であったという説もある。

もしこのシュペーが同一人であるとするなら(活躍時代は、ほぼ等しい)、1631年に、「裁判官への警告、または魔女裁判について」を出版し、反響を呼んだとされる、ドイツのイエズス会士フリードリヒ・シュペーが「ベツレヘムに生まれたもう」のシュペーであるということになる。

一方この元旋律は、詩に先立つこと約75年ほど前の1559年に、パリで記録されていたものを、アントン・ツッカルマーリョが「ドイツ民謡原曲集」として編集したものという記述が正しいと仮定すれば、この元旋律はもともとドイツの民謡ではなかったということになる。

小生は以前のブログで、チャイコフスキーの交響曲「小ロシア」に登場する「カエルの合唱」と類似したメロディの原曲を探ろうとして、それがウクライナ地方のものであったという仮説を導くことにしたのだが、通説では「カエルの合唱」はドイツ民謡とされている。

ここに、おそらくドイツの昔の知識人たちは、自国の歴史文化隆盛のために、周辺の文化をあたかもドイツ民族の固有のものとするように、恣意的に歴史文化財産を築くことで、ドイツ民族の意気高揚に貢献しようとしたように思えるものを感じることができる。

「眠りの精」とは「砂の精」であり、もともとは子守唄風の、子供が寝付くのを見守るような、優しい妖精ではなく、子供の目玉に砂をかけ、その目を奪い取って食べてしまうという恐ろしい妖怪悪魔であった。

それはおおもとの発祥の、つまり非キリスト教文化圏下では、その民族の信奉する神々の一つ「砂の妖精」であったものが、キリスト教文化のもとで、妖怪扱いされ、おそらくは「早く眠らないと、砂の妖怪が来てお前の目玉をくり抜いてしまうぞ」などというように、子供をしつけるためのツールとして用いられてきたのではないだろうか。

そのルーツは、砂を大切にした多神教民族の、神々あるいは妖精から来たものかもしれない。

民族の守り神であったものを、キリスト教の文化圏では、悪魔的存在にしてしまった。

そしてそれを、いつの世にか、おとぎ話や童話の世界に変身させるために、「眠りの精」という子守唄風の怖くない妖精へと変えていったのだろう。

小生の妄想的仮説は、ブラームスもベートーヴェンも、またホルストという全く関係性のない人が、結果として似通った旋律を用いたのには、やはり宗教上の・・・讃美歌とか聖歌というような背景を早期せざるを得ないのである。

ベートーヴェン→ブラームスあるいはシューベルトという系譜以上に、「眠りの精」「歓喜の歌」の大本の旋律は、非ドイツ民謡を聖歌や讃美歌に取り上げたこと、それを聴いた作曲家たちが自分の世俗的な曲の中に取り入れたとするほうが合理的である。

類似性があるおのおのの讃美歌聖歌の成立時期とベートーヴェン、ブラームスの作曲時期を検証しなくてはならないが、讃美歌聖歌の作られた時期は、あまり確定できるものがないだけに、仮説の実証には至ってなく、彼らが新しい旋律を求め、さらに大本の原曲をリサーチいたとする考え方も可能だが、ここはやはり「キリスト教教会」との関連性のほうが説得力がありそうだ。

特にブラームスには、讃美歌風の旋律が多用されているように思うことがある。
そしてホルストもブラームスおよび讃美歌の影響によって、またそれにブリテン諸島の民謡のメロディラインを加えることによって、あの「ジュピター」の名旋律をしたためたのではないだろうか。
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by noanoa1970 | 2009-02-20 16:20 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)