Dr Pepperとジョージ・セルの「海」

かっての掲示板「猫」の重鎮であり、仏音楽に造詣が深いドクター円海山さんの久々のブログネタにドビュッシーの「海」が復活した模様。

言葉の裏にある含蓄の深い文化的諸相をくみ取らねばならないことの困難さはあるが、かっての鋭い突っ込みがいまだ健在なことに敬意を表するもの。

小生が60年代から聴いてきたセル/クリーヴランドのドビュッシーの「海」についての言及があって、「海」の有名どころの演奏を炭酸飲料系飲み物にたとえて、セルの演奏をドクターペッパーであるとしている。

ずいぶん突飛なたとえ方だと気になり、本日は午後からセル/クリーヴランドによる2つの「海」を聴く。

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1つはオデッセイからかって発売されたLPで、おそらくこれが円海山さんがお聞きになられたものであろう。

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もう一つはライヴで、しかも少々珍しいロシア公演のもの、レニングラードフィルハーモニア大ホールでの1965.9.19録音だ。

おそらくはLPのスタジオ録音とはそんなに時代は違ってないと思うが、録音状態は芳しくなし、板越しであろうかスクラッチノイズらしきものも聞こえてくるが、音楽を妨げるものではない。

さてドクターペッパーのような演奏のたとえとは?と、少し探ると、米国のIT関係の某役員が言ったという下のような記述がリンクされていることに気がついた。

プログラマーの採用に関して、その人の好む清涼飲料が何かによって多少の手心を加えそうな気配。

いまや日本人には忘れ去られた存在の感があるドクターペッパーの愛飲者には、プログラマーの素質がある人が多いらしい。

以下記述によると・・・


その理由については「プログラマーで重要なのは対人能力や愛想の良さだと私は思っていません。社会性が多少欠如していても、熱心に、そして時に予想を上回るプログラムを書いてくれることが重要です。独自路線で自分ひとりガーッと突っ走れるような人が優秀です。これまでの経験上、ドクター・ペッパーが好きな人は大抵そんな人です。コカ・コーラが好きな人はごく普通の人。ペプシはその中間です」と話す。

・・・つまりドクターペッパー愛好者には「変人」が多いということか。

さてさて、セルの「海」だが、いわゆる有名どころのフランス系の演奏と比べるとなんとも堅苦しく感じられる向きもあるが、反自然主義的な「海」であると同時に、多くのフランス的演奏の様相とは異なり、即物的であるといえそうだ。

ひょっとしたらドビュッシーの意図した音楽はここにあったのではないかと推測されそうな音楽を作っている。

このような「海」は、めったにお目にかかることはできないから、たぶん「海」演奏史的にも貴重であろうとは考えすぎだろうか。

ライヴでもスタジオ録音でも、ほぼ寸分たがわぬ音楽の作り方は、さすがセルである。

円海山さんご指摘の使用楽譜だが、小生の耳にはライヴとスタジオでは違うものを採用しているように聞こえるが、いかがなものだろうか。
あくまでも非確認、頼りない耳だけを頼りにしてのことだから、間違っているかもしれないが。
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by noanoa1970 | 2009-02-08 13:11 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)