たまには室内楽を

このところオペラやピアノ独創曲ばかり聴いてきたので、本日は室内楽を聴くことにした。

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今日の日のような、どんよりした空気とそれが時間をおき反転して小春日和のような気候の変化があるときは、シューベルトのピアノトリオの1番と2番がふさわしい。

長い間スークトリオで聴いてきたのだけれど、10年ほど前にウイーンベートーヴェントリオというユニットが1番と2番、それにノットルノとソナタをカップリングさせたピアノトリオ全曲盤を出したので入手した。

それを久々に取り出し、まずはどんよりした空気にふさわしい2番から聞いて見ることにした。

それでこの曲のテーマをあえて探すとすれば、それはやはり「放浪」であろうということに気がつくことになった。

1番では少しの望があって、希望に向かっていこうとする医師らしきものが感じられるが、2番ではその希望の光は無残にも途中で打ち砕かれてしまうがごとき、重たい足取りで瀕死の状態で、這うように人生を渡っていかねばならない苦痛が感じられる。

そう、シューベルトのピアノトリオを聴くときは、2番を聴いてから1番を聴かなくては
相当憂鬱な気配に見舞われることだろう。

2番の2楽章の、流離の重たい足取りのように響く音楽は、キューブリックが映画「バリーリンドン」の場面で多用した。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールかフェルメールあるいはレンブラントを彷彿させる映像とシューベルトの2番の陰影ある音楽はベストマッチングだった。

ウイーン・ベートーヴェン・トリオの演奏は、それぞれの楽器が音楽に陰影を効果的につけていて、2番→ソナタ→1番→ノットルノと一気に聴けてしまうほど密度の濃い演奏だ。

録音もすこぶる良いから、楽器の表情の付け方も非常によくわかる。

2番のような音楽を聴いていると、絶望感が漂ってきてしまうから、絶対に2番単独で聴くことをお勧めしない。

シューベルトの音楽には、明るさとかハシャギを時として感じることもあるが、たいていの場合、それは偽装されたものであることが多いものだ。
美しいが陰に隠れて恐ろしさが潜んでいる、それがシューベルトの音楽だともいえる。

心がうち沈んでいるときのシューベルトは危険でもある。

ウィーン・ベートーヴェン・トリオ
 クリスティアーネ・カライェーヴァ(ピアノ)
 マルクス・ヴォルフ(ヴァイオリン)
 ハワード・ペニー(チェロ)

■ 録音
1993~1995年6月 /ウィーン・スタジオパウムガルテン
JVC K2レーザー・カッティング

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by noanoa1970 | 2009-02-04 17:29 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by こぶちゃん at 2009-02-04 20:11 x
お久しぶりです。
シューベルトは実に難しい音楽だと、ずっと思ってました。
構成力や音楽の構築感といったものは皆無に近く、それでいて魅力的なメロディライン。
無造作に繰り返される主題は全く変奏には向かない。
何故なんだ?と常に疑問でした。

その答えは、村上春樹氏の「意味がなければスウイングはない」のシューベルトのピアノソナタ17番に明確に書かれていました。

シューベルトは、名誉欲や金銭欲は全くなく、思いつくままに曲を書いたのだと…。
だから冗長で無駄が多く、各楽章に関連性が希薄なのだ、とまでありました。

その通りだと思います。そういう人だからこそ、気持ちの高揚や落ち込みがモロ音楽に出てしまうのでしょう。

陰鬱といったら、弦楽四重奏は特に重い曲が満載です。
しかし、断片的に素晴らしく美しい世界が提示される…だから止められない、虜になってしまうのかもしれませんね。
Commented by noanoa1970 at 2009-02-05 10:19
こんにちは
おそらくシューベルトは、自分の寿命があまり残されていないことをうすうす気づいていたのではないでしょうか。夜毎に開催された集まりも、楽しげな曲想の曲の中にも、いつも「死」とか「流離」「絶望」「孤独」といったものが見え隠れします。シューベルトの曲は長いものが多いですが、小生は冗長度が高いと感じたことはないのです。コリンデイヴィスがオールリピートでやっている「グレイト」でさえも長くはないのです。デートーヴェンのピアノトリオは数曲は続けて聴くことは難しいですが、シューベルトはなぜか聴けてしまいます。