ドヴォルザーク交響詩「野鳩」

本日は4曲あるドヴォルザークのエルベン交響詩から最後になる「野鳩」を聴く。

冒頭、ベートーヴェンそしてショパンの葬送行進曲に似通ったところも少し散見され、またパーセルの「メアリー女王の葬送行進曲」風のティンパニーが聞こえる葬送行進曲風の音楽で始まる。

しかし弦の下降による表情は、妻の偽りの嘆きあるいは薄笑いのようにも響くところが不気味で、この葬儀が偽りの葬儀であることが暗示されるようで、ドヴォルザークの仕掛けが面白い。

タイトルからは想像できないが、実はこの物語は夫殺しの妻の話である。

妻がなぜ夫を殺したのか、その理由はっきりとしないが、たぶん若い燕ができ、夫が邪魔になったことが原因ではなかったか。

葬儀の後しばらくすると、トランペットの音とともに、愛人が現れ二人は結婚することになる。

結婚式の舞踏会のシーンであろうか、スラブ舞曲風音楽が流れ、幸せな二人の時がしばらく続く。


そうするうちに亡き夫の墓の前に1本の樫の木が育ち、そこに鳩が巣を作った。
そして妻が夫の墓の前に行くと、その鳩は、悲しそうに、妻を責めるように鳴くのだった。

さすがに夫殺しをした妻は、良心の呵責に耐えきれなくなり、精神的苦痛を味わう日を送るが、鳩の悲しそうな鳴き声を聴くごとに、だんだん精神状態がおかしくなりとうとう発狂自殺してしまう。

鳩の鳴き声はフルートとバックのハープで示される。
R/シュトラウスの「4つの最後の歌」の「夕映えの中で」で奏される、フルートによるヒバリの鳴き声によく似ている。

ドヴォルザークには、「英雄の歌」という交響詩があり、R/シュトラウスに影響を与えたとする説もあるから、ひょっとするかもしれない。

このあたり音楽は、妻の精神状態がおかしくなっていく様子を、この時代の音楽手法としては、かなり饒舌にダイナミックに表現している。

4つの交響詩の中では最もダイナミックな表現に富む音楽だが、最後の終わり方はどうかというと、妻が自分のした悪行を悔いて発狂自殺したことで、夫の魂も救われ、妻を許した夫が来世でもう一度一緒になるかのような、浄化された空気の中で音楽が終わることが一層の変化を音楽に与える。

つまり「死」をもって罪を償うことで、殺された側、殺した側両方が救済されるかのような死生観が見て取れるが、これは非キリスト教的な考えであろう。
イスラム教に近いか、いやもっと古い原始宗教のようなところを感じる。

小生が着目したのは、夫の墓の前に育った1本の「樫の木」である。
樫の木は、古代ケルトの民が信奉したドルイド教のトーテムでもあから、墓の前の樫の木、それに鳩が巣を作ったということは、かって古代ヨーロッパを席巻した、ケルト文化の遺産がスラブ地方にも残っていたことの・・・ケルトとスラブの文化の共通性あるいはケルト文化の残像といったものが見えてきそうであり、これについてもまた興味深いことである。

スコティッシュ、アイリイッシュのオールドバラッドにも、殺人の話は数多くあり、兄弟姉妹間のもの、夫と妻のもの、子供による親殺しなど多岐にわたる。

「殺人」の民話の共通性から、民族文化の共通性や互いの影響度などを探るのも面白そうだ。

ドヴォルザークがエルベン詩集「花束」に収録された12の民話から、なぜこの4つを取り上げたかは不明だが、この4つの話に共通するものは、「殺人」である。

「水の魔物」は、好きで異界の人と一緒になった女性が、なぜか子供を置いてまで里帰りした結果、子供を殺されるという、女性の変心が招いた悲劇の話。

「金の糸車」は、権力者に見染められた娘に起こる悲劇の話、ここでは義理の母娘によって殺害される、しかし結局は娘は生き返り、めでたく終わる。

「真昼の魔女」は、子どもの躾に禁句である魔女の名前を、安易に出して・・・本来悪意のない者の名前を出したことで、見せしめとなり、子供を亡くす母親の話。
口は災いのもとということか。

そして「夫殺し」の「野鳩」。

はたして偶然か、何かの意図があってドヴォルザークがこの4つをチョイスしたのか、知りたい所である。
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by noanoa1970 | 2009-01-25 13:27 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)