エルベンのバラードに基づく4つの交響詩より

いつも訪問しているいくつかのブログに、ドヴォルザークの交響詩から「真昼の魔女」のことが書かれていて、その発展形として「魔女」についての考察があったので興味深く読ませていただいた。

「魔女」の成立を、キリスト教布教の歴史と合わせて考察することは、なかなか興味深く小生もかねてから、音楽に多大な影響を与えた、ヘルダーやハイネといった民話収集者に興味を持っていた。

さてドヴォルザークは交響詩を5曲書いているが、中でも19世紀ボヘミアの作家・詩人・ジャーナリスト・フォークロア研究家エルベン:Karel Jaromír Erbenのバラードを題材とし、それに曲を付けた4曲が有名である。

Based on Ballads by Karel Jaromír Erbenと題される、これら4つの交響詩は単独で演奏されることが多く、以下の曲から成り立っている。

交響詩「水の妖魔」:Vodník = The Water Goblin Op.107(B195)

交響詩「真昼の魔女」:Polednice = The Noonday Witch Op.108(B196)

交響詩「金の紡ぎ車」:Zlatý kolovrat = The Golden Spinning Wheel Op.109(B197)

交響詩「野鳩」:Holoubek = The Wild Dove Op.110(B198)

いずれもが残忍な「殺害」の場面がある怖いもので、スラブの民話から採取されたバラードが題材である。

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本日はその中から「水の精」を取り上げることとする。
演奏は知らない人のもので、ドヴォルザークの交響詩、序曲がほぼ全曲録音されているのと、安価なので購入した。
演奏はそこそこ、あまり気に入っていないからケルテスあたりで買いなおす必要があるかもしれない。

ドヴォルザーク:交響詩/序曲全集
・チェコ組曲 Op.39
・交響的 変奏曲 Op.78
・序曲『我が故郷』Op.62
・『謝肉祭』 Op.92
・『フス教徒』Op.67
・『オセロ』 Op.93
・『自然の中で』Op.91
・交響詩『水の魔物』Op.107
・『真昼の魔女』 Op.108
・『金の紡ぎ車』 Op.109
・『野鳩』 Op.110
・『英雄の歌』 Op.111
ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団
テオドール・クチャル(指揮)


「水の精」と言えばクラシックファンのだれしもが、ラヴェルの夜のギャスパールの「オンディーヌ」を思い浮かべるだろう。

小生もはじめは「オンディーヌ」のことを念頭に置いて作曲されたと思っていたが、The Water Goblin と英訳されていたことから、これはひょっとしてと思い、それからいろいろ調べると、予想だにしなかったことが分かった。

Vodník:ヴォドニークはチェコ語で「水男」と訳すそうだから、邦題が「水の精」となっていても決して「オンディーヌ」ではなく、男性の妖怪であるし、「水の魔物」と訳しているものもあって、むしろこちらの邦訳のほうが適切であろうなどと思った。

最近「野の花」というチェコ映画では、このヴォドニークをチェコの河童妖怪のように扱って作っているというものがあった。

エルベンの源詩を探していると、ようやく見つけることができたので、それをコピーさせていただくことにした。
これでドヴォルザークの曲の背景が、さらによくわかるはずだ。

伝統的なバラッドの4行詩でできている。


翌朝、乙女は早起きし
洗い物をひとまとめ;
「母さん、湖へ行って、
スカーフを洗ってくるわ」

「ああ、湖へなど行かず、
きょうは家にいて!
ゆうべ悪い夢を見たから;
娘や、水辺に近づかないで。

夢で真珠を選んでやり、
お前を真っ白に着飾らせた、
スカートは水の泡そのもの; 
娘や、水辺へ行かないで。 

白いドレスには悲しみ、
真珠に秘められるは涙、
金曜は不幸な日: 
娘や、水辺へ行かないで」・・

娘はなすすべもなく、
たえず湖へと駆られる、
たえず何かにせかされて、
家には娘を惹きつける物はない・・


「水の精」(ヴォドニーク Vodník)より 関根日出男訳

さらに物語は続き娘はヴォドニークの嫁になり、子供までできる。
子供は妖怪と人間の間の子供というわけだ。

娘はだんだんヴォドニークが怖くなり(それは河童のような妖怪だから仕方ない)嫌になって、ほんの少しの間、実家の母い会いに行くと言って湖から逃げ出し、実家の母のもとに帰り一歩も外に出なくなってしまう。

ヴォドニークはちっとも帰らない娘に腹を立て、娘との間にできた子供を真っ二つにして殺してしまう。

こんな残酷な話である。

ヴォドニークは河童のような形をした妖怪だといわれるが、小生はこの正体を「蛇」あるいは「水蛇」なのではないかと思っている。

「みずち」は古語で「蛇」を表し、それは蛇が湿地を好むことにより、水の神として古代からあがめられていたという。

水・・・農耕の根源と引き換えに、親が娘たちの一人を蛇の嫁にやる約束をし娘を蛇に差し出すことによって、雨を降らせてもらうという、水乞い結婚民話も数多くあるから、このチェコ民話もそういった農耕民族の「水」信仰の一種から発展してきたものなのかもしれない。

キリスト教では蛇は邪悪の象徴として扱われるから、当然のことながらこの民話はキリスト教化される前の時代のもので、それがキリスト教化されると、ヴォドニークは自分の子供をも殺してしまう「悪の権化」のように描かれることとなったのだろう。

チェコを含むスラブ地方はキリスト教化が比較的遅かったから、「魔女」「魔物」伝説が、古来からのものとキリスト教化の文化のもとで混在融合した結果が、エルベンのバラードになっているらしきことは、スコットランド、アイルランドのバラッドの成立過程と似ているようで面白い。
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by noanoa1970 | 2009-01-22 14:34 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)