バレンボイムのNYコンサート

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BPOのシェフの座をラトルに持っていかれたバレンボイムが、VPO2009年ニューイヤーコンサートを指揮することとなったようだ。

小生はこのニュースのことを知らずに、昨日偶然TV衛星中継の最後の場面だけを見ることができた。

恒例の「美しき青きドナウ」が終って、これも定番の「ラデツキー行進曲」の場面で、思いがけない光景を目にすることとった。

この「ラデツキー行進曲」を演奏する際、ある種儀式のように、必ず聴衆から手拍子が聞こえてくることになるのだが、どのような演奏会においても、聴衆の手拍子と、演奏される音楽との間のズレが起こってきて、最後にはうやむやになって手拍子が聞こえなくなるのを、苦々しく思っていたのであった。

その場にいる聴衆も、それを見ている側も、ひょっとしたら演奏者も、指揮者でさえもそうしたずれてしまう手拍子を手放しで喜んでいるのだろうか疑問がある・・・常々そのように思っていたので、中途半端な手拍子など、音楽を壊す害になると思っていたのであった。

しかし習慣とは恐ろしいもので、この「ラデツキー行進曲」の演奏の際、古今東西を問わずに、必ずズレてしまう手拍子が続けられている。

しかしである、バレンボイムは、手拍子が起きて・・・たぶんズレてくることの経験の中から、聴衆の拍手を聴衆の自然発生に任せずに、自らが合図し、ここぞというところから手拍子がズレないで一定のリズムを刻みやすい個所までを、聴衆に向かって合図すしたではないか。

小生の経験では、このようなことをした指揮者はダニエル・バレンボイムが初めてであったから、ホールで奏でられる音楽を決して乱さずに、かといって聴衆の手拍子を阻害しない気遣いと、そればかりか聴衆がまるで手拍子の演奏者であるかのような、粋な計らいに妙な感動を覚えたものである。

コアなクラシックファンからは、(病気になった妻、チェリストのデュプレを見放したからか)あまり評価の高くない言動が多かった様な記憶があるバレンボイムだが、小生は密かに前ピアニストのこの指揮者を評価してきた1人である。

1980年代のこの指揮者によるフォーレのレクイエムは、数ある同作品演奏の中でも、特に静謐さと美しさに溢れた演奏であったし、その後の数々のオペラでの才能の発揮ぶりは、この指揮者が只者ではないと感じさせるのに不足はなかった。

そのようなバレンボイムが中東の平和を宣言したことよりも、聴衆と一緒になりつつ、しかも質の高い音楽を作り上げようとした結果が、このことに集約されているようで、このまだ(66歳だから指揮者にしては)若き年代の指揮者の今後のさまが読み取れるような気がしている。

さらにこのような手拍子のコントロールに、的確に応え鋭い反応を見せたウイーンの聴衆の音楽的センスにも脱帽したい。

ハイドンの「告別」を見逃したのは至極残念であったが、それにもまして「ラデツキー行進曲」での異質の感動を呼び覚ましてくれたことに、新年早々の感謝の意を表したい。

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by noanoa1970 | 2009-01-02 11:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)