ちょっとショスタコーヴィッチを考える

以前なら散歩中にブログテーマが決まることが多いのだが、最近これといったテーマが頭に浮かんでこないことが多くなってきて、それとともにキーボードが遠くなってくるのを感じるようになってきた。

そんなわけで、ブログの更新が少しとどこうってしまったが、何もしないでいたわけではない。

ライプチッヒゲヴァントハウス管弦楽団の音色を確認すべく、F・コンヴィチュニー及び、クルトマズアで、ベートーヴェンの3番の交響曲、クルトザンデルリンクでブルックナーの3番の交響曲、ヴァーツラフノイマンでマーラーの5番の交響曲などを聞いて、ライプチッヒゲヴァントハウス管弦楽団の音色について書いてみようとしたが、録音の差が激しすぎて、オケの音色の特徴的要素に迫るまでには至らなかった。

これについては今一度の猶予を必要とするから、いずれ書いてみたいと思う。

並行して少し気になっていたショスタコーヴィッチについて、主に交響曲を聞き進んで、7番以降を中心に聞き始め、最後の15番を聞いていた時のこと。

(そういえば5番の交響曲は、まるでベートーヴェンの「運命」交響曲の模倣のように聞こえたのを思い出した)

この最後の交響曲については、それが最後故(最後の作品はいつも特別視されることが多いようだ)、何かと語られてきたし、「引用の宝庫」といってもよいぐらい、すぐにそれとわかる他の作曲家の作品の一部が引用されている曲である。

小生は「ショスタコーヴィッチ」が特別に好きなわけではなく、いやどちらかというと「毛嫌いしていた」に近い作曲家だったので、熱心に聞いてこなかった人間であるが、明らかにすぐにそれとわかるほど、大胆かつ恥も外聞もないような引用は、この音楽的特徴の大きな1つであると思った。

ロッシーニのウイリアムテル序曲のあまりにも有名な旋律「スイス軍の行進」
ワーグナーからは「指輪」、「ジークフリートの葬送行進曲」でもおなじみの「運命の同期」といわれる部分が何度も登場し、」陰に隠れてトリスタンとイゾルデ「愛の死」テーマが、どこかで聞いたと思っていると、それはハイドンの交響曲、それも最後の
104番「ロンドン」の出だしの音だったりする。

そのほか自作から引用があるとされるようだが、小生はその作品を聞き及んでないか、印象がないので確認できなかったが、すくなくともハッキリわかる引用は上記のように少なくない。

経験的には1曲でこれだけの数を引用した例を小生は知らない。

それで「なぜショスタコーヴィッチがこれらの曲の引用をしたのか」という疑問を解くために、自分なりにアレコレ推理し考えてみたが、事実関係はもちろん、程よい仮説さえ見出すには至らなかった。

最後の交響曲作品であるがゆえに、また自身の作品の引用があるため、「自身の回想」であるとする説や、1楽章をしてウィリアム・テルのロシア語表記の最初の3文字とレーニンのイニシャルが共に「ВИЛ」であることから、レーニンがソビエトの指導者であった作曲者の幼年期から青春時代を表しているという、こじつけに近いような説など、情報公開には程遠い国の「芸術家」であるから、その真実に至るまでには相当長い距離があることをこれらは示している。

最も自由主義国家であっても、いわゆる芸術においては「謎」の部分がなくては「芸術家」という立場を保つことは難しいだろうが。

ウイリアムテル序曲の引用について作曲者自身は、「深夜のおもちゃ屋さんをイメージした」と述べているようだし、息子でこの曲の初演者であるマキシム・ショスタコーヴィチは、「幼少の父が最初に好きになった曲である」ことに由来すると説明している。

しかしこれらの言動についても小生は、決して鵜飲みにすることはできないだろうと思っている。

古今東西、芸術家と呼ばれる人種の言動には、言葉通り受け取るとトンデモナことになることが多いようだから。

「幼少の父が最初に好きになった曲である」とした息子マキシムの発言は、そうすることが一番他人に説明しておくのに「楽」だからであろうぐらいの読み方が必要だし、「深夜のおもちゃ屋」という発言も、・・・(たとえ本人が語った言葉だとしても)いかようにも解釈できてしまうから、それでこの引用の説明がなされるわけではない。

深夜そしておもちゃ屋などという、いわば静と動が混在するような意味不明な、そして、ひっくり返したりあれこれ見て触るととても楽しいものと深夜などという、幼年期には怖いものの存在の同居する、わざとらしく矛盾したイメージを想起させるような言葉の遊びに付きあってしまうと、たちまちショスタコーヴィッイが仕掛けた罠や術中にはまってしまうことになろう。

ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」という暴露本が出版され、一時話題になった記憶があるが、小生は読むのを未だにためらっている。

ほんの一部しか知りえないが、あれもやはり「事実」というよりは、政治背景による演出の色が濃いようだ。

各々の作品群からというよりは、時代によって「作られた芸術家」としてのイメージのほうが勝ってしまうこの不思議な正体不明の作曲家の前で、オロオロしながら未だに音楽を聞いている自分の存在に、半ば呆れている状態なのである。

ショスタコーヴィッチを聴くとき、小生だけであろうか、その音楽からはとても彼が20世紀に生まれ1970年近くまで生きていた人の作品ではなく、ひと昔前の・・・19世紀の作曲家として聞いていることがあるのは。

ショスタコーヴィッチについては、まだまだ知られざる神秘的、秘密的部分が多いのだろうが、少なくとも彼の音楽は、その音楽のよし悪し、主義主張、芸術性、音楽性を別として、終始「ソビエト共産党とともにあった」と言うことは間違いない。

彼が生きている間に体制が変化していたら、「ショスタコーヴィッチ」が亡命しなかった理由の真相などきっともっと違う真実が聴けたのかもしれないが、歴史とはとっても、そしていつも皮肉なものだ。

政治をも手のひらで操れるような処世術にたけた凄い芸術家だったのか、面従腹背の人だったのか、それとも体制によって随時カメレオンのように身を変化させることが得意な存在だったのか、興味は尽きないが真相は闇の中だ。

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by noanoa1970 | 2008-11-29 11:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Commented at 2010-05-05 04:46 x
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